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ニッポン放送、17時間の特番「ニッポン放送開局70周年特別番組 笑顔にナーレ!」無事終了

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ニッポン放送は、開局記念日の7月15日に大型特番「ニッポン放送開局70周年特別番組 笑顔にナーレ!」を17時間にわたり放送した。東京・ニッポン放送イマジンスタジオからの公開生放送や、ニッポン放送の歴史を彩った「あの声」の復活など文字通り「話題満載の1日」にレジェンドパーソナリティと現役パーソナリティが続々と登場し、リスナーに“笑顔”を届け続けた。

トップバッターを務めたのは、平日朝の番組を担当している上柳昌彦と飯田浩司。「ラジオが報じたニュース70年史」と題して、世界と日本で起きた事件・事故をはじめとした出来事、自然災害からスポーツ・芸能まで、ラジオが伝えてきたニュースの70年を、ニッポン放送に残る貴重な音声とともに振り返った。ニッポン放送に残る最も古いラジオニュースの音声、開局の年、1954年12月10日に放送された「第1次鳩山内閣発足」もオンエア。印象に残っているラジオニュースとして上柳は1964年の「東海道新幹線」の開通、飯田は1994年の「羽田孜内閣の解散」を挙げた。ニッポン放送の朝の顔として、長きにわたってニュースを伝えてきたゲストの高嶋ひでたけは、1982年の「ホテルニュージャパン火災」を挙げ、取材に行った現場の様子を明かした。様々なニッポン放送のニュース音声を紹介した3時間の生放送。日々ニュースを伝えている上柳と飯田は、「70年の間には色々なニュースがラジオから伝えられました。これからもニッポン放送では世界や日本で起きているニュースをしっかりと伝えていきます」と決意を新たにした。

8:00からは垣花正と山田邦子がパーソナリティを務める「あなたとワンダフルリクエスト」。ゲストの榊原郁恵の代表曲「夏のお嬢さん」はニッポン放送の「こうせつ・郁恵のまんてんナイト キラキラ放送局」がきっかけで生まれたことが明かされ、リスナーからのリクエスト曲として「夏のお嬢さん」が流れると榊原がノリノリでフリを披露する場面も。榊原は番組だけでなく、ホリプロスカウトキャラバンの地方予選の会場がニッポン放送だったという繋がりもあり、山田から「ニッポン放送の顔ならぬ、ニッポン放送の“主”じゃないですか!」というコメントが飛んだ。かつて「垣花正 あなたとハッピー!」の中継リポーターを務めていた山内惠介が登場すると、イマジンスタジオに駆け付けた観覧リスナーから「キャー!」という黄色い歓声が。当時の思い出を振り返り曲名が出る度に垣花が「それってどんな曲なんだっけ?」とムチャ振りすると山内がそれに応えて歌うサービス精神でリスナーに笑顔を届けた。

10:00からは「垣花正あなたとハッピー!」でお馴染みの森永卓郎と中瀬ゆかりが登場。森永が最初に聴いたラジオはニッポン放送の「山谷親平のお早ようニッポン」で、「オールナイトニッポン」も聴いており、「ラジオは自分だけのメディアだった」という。中瀬も受験勉強をしながら「中島みゆきのオールナイトニッポン」を聴くことが「無上の喜びだった」と話すと、垣花も同じ経験があり「誰に教えられたわけでもなく(「オールナイトニッポン」を聴く生活が)始まる。これは何なんでしょうね?」と、「オールナイトニッポン」の持つ不思議な魅力を挙げた。森永は、自身が教授を務める大学の学生が「オールナイトニッポン」を聴いていて朝起きられないと聞きつけ、「俺の出ている朝の番組(「あなたとハッピー!」)も聴け!」と怒ったというエピソードを明かして笑いを誘っていた。

11:00からは高田文夫、松本明子、ナイツによる「70年の半分やってる高田文夫のラジオビバリー昼ズ特大号」を公開生放送。「ニッポン放送開局時の放送も聴いていた」と豪語する高田は、ニッポン放送の開局当時について、さらに20年ほど前にニッポン放送有楽町移転記念で歌った「有楽町でまた逢いましょう(高田文夫バージョン)」の秘話など、特別な日らしい貴重な話を爆笑エピソードを交えながら次々に披露。昭和61年放送時の「とんでもダンディー・民夫くんと文夫くん」音源もオンエアされ「景山民夫は才能を持った男だった」と景山さんを偲び、当時を懐かしんだ。

キャイ〜ンをゲストに迎えてからは、ニッポン放送とキャイ〜ンとの長い歴史を回顧。1995年に放送された「キャイ〜ン天野ひろゆきのMEGAうま!ラジオバーガー」の伝説となった最終回の音源が流れたが、再生された音源は「ずっと天野が泣きっぱなしで言葉に詰まり、結果、無音の状態が続く状態」というもの.。天野はイマジンスタジオのリスナーに「泣いていいんだよ?」と話しかけつつ、ナインティナインから未だにその件をイジられると明かした。最後に、高田は番組について「ラジオのワンクールは10年目から。まだ3クール半だよ!」とまだまだ始まったばかりの番組だとアピール。そして「これからも諸々とよろしくお願いします」とリスナーに向けてメッセージを送った。

13:00からは「のってけラジオ」のテリー伊藤、「噂のゴールデンアワー」の笑福亭鶴光、「ズーム そこまで言うか!」の辛坊治郎という、ニッポン放送70年の歴史をヒヤヒヤさせてきた3人による、1回限り2時間の公開生放送「のってけゴールデンズーム」。3人とも「この3人が集まることなんて、なかなかないですよ!」と発言するほど珍しい組み合わせとなり、鶴光が「政治(について語る番組)ちゃいますよ!」と念のため否定。辛坊に至っては「僕にとっては雲の上の2人。まさか一緒にやれるとは」と恐縮しきりでイマジンスタジオでの番組がスタートした。

途中、鶴光がJR有楽町駅前広場にて行われている「有楽町 笑顔パーク」に移動し、現場の様子をレポートするコーナーも。その鶴光が戻り、さらに田中美和子を加えて「放送の未来」をテーマにトーク。辛坊が「テレビは何もしゃべらずニコニコしてても何とかなるけど、ラジオは違う」と言うと、大学で「テレビとラジオの違い」を研究していたテリーが「それは視覚と聴覚の違い」だと解説。「テレビでは“この人老けたな”“服が変だな”などのマイナスイメージが30%ほど入るが、ラジオは90%が好意的イメージ。スポンサーはラジオに付いた方がいい!」とアピールした。ラジオを通じての商品購入の返品率が低いという話から「鶴光はラジオで何を売ればいいか?」という話になり、「バスツアーはどうだ?」「熱海秘宝館巡りは?」など脱線しつつ盛り上がっていた。

15:00からは「タモリセッション2024」を放送。タモリは「周年しか呼ばれない“周年のプロ”」「ニッポン放送はいつもタイトルが長い」とぼやきながらタイトルコール。「タモリ“セッション”」ということで音楽にスポットを当てたこの番組では、「タモリのオールナイトニッポン」で1981年にアルトサックス奏者のリッチー・コールとセッションした音源や1976年12月29日に東京・六本木「WHO」からの4時間の生放送の際に披露された「ソバヤ」など、秘蔵音源がオンエアされたほか、民放随一、20万枚の保有数を誇るニッポン放送のレコード室を訪れ、タモリが「今、レコードで聴きたい名盤」をセレクト、実際にレコードプレーヤーで聴きながら想い出を語る場面も。後半にはゲストにジャズピアニスト・山下洋輔が登場、2人の出会いから“タモリ”と呼ばれるようになったきっかけ、タモリを東京に呼び出した際のエピソードなどが明かされた。70周年の今年4月に入社したニッポン放送の新入社員のアンケートを紹介するなかで、「“周年”も“ラジオ”も意味がない!意味からの解放!音楽は意味がないからいい」といった発言も飛び出すなど、タモリ節も炸裂した。

17:00からは松任谷由実、ゆず、あいみょんの3世代が集まり「ユーミン・ゆず・あいみょんの音楽とラジオ」を放送。ミュージシャンで、オールナイトニッポンのパーソナリティ経験者という共通点を持つ3組。ユーミンからはラジオを通じた西城秀樹との交流が明かされたほか、ゆずがデビュー前に一番最初にニッポン放送に出演したのは「松任谷由実のオールナイトニッポン」への乱入だったこと、あいみょんからは緊張のあまりラジオで言い間違えてしまったエピソードなど、ラジオの思い出が披露された。“音楽とラジオ”ということで、それぞれのルーツともいえる「ラジオから流れてきて、好きになった曲」を紹介したり、お互いの楽曲で「ラジオで聴きたい曲」を選曲するなど、音楽談義にも花を咲かせた。「自身にとってラジオとは何か?」という質問に、あいみょんは「出会い系」、岩沢は「つながり」、北川は「部室」、ユーミンは「親友」と回答、その理由を話すとそれぞれ納得した様子でラジオの魅力について語り合った。

19:00から三四郎が公開生放送で届けたのは、「ニッポン放送70周年」と自身の「番組10周年」を記念した「三四郎の爆湧きラジオ」。普段は「三四郎のオールナイトニッポン0(ZERO)」を金曜3:00という時間帯に生放送しているため、今回は19:00からの生放送に小宮は「今日みたいにマトモな時間にラジオできることが嬉しいです!」と喜びを語る。少しかしこまった放送を送ろうと誓う一方で、ゲストの名前を聞いて「70周年のゲストなのに脆弱〜!」と嘆いて集まったリスナーの笑いを誘った。

そのゲストとして三四郎から“ミスター・ニッポン放送”として紹介されたきしたかの・高野正成とバスケのドリブルやパスのジェスチャーをしながらラブレターズ・溜口佑太朗が登場。溜口が三四郎の番組に来たということは、やることは「クイズ」!「70周年にふさわしい渾身のクイズ」ということでニッポン放送や「オールナイトニッポン」にまつわる問題を出題。正解したリスナーには抽選で「出演者がサインを入れて作った“お手製”の「ニッポン放送開局70周年記念オリジナルTシャツ」」がプレゼントされた。

結局、このクイズコーナーが長引いたまま番組のエンディングとなってしまい、今日の感想を聞かれた高野は「クイズしかしてねぇよ! せっかくスーツ着てきたのに……俺まだ元気だよ!」と余力を残しての終了を嘆く。一方の溜口も「まだまだクイズはあったんですけどね」と全て出題しきれなかったことを残念がっていた。

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