ピアニスト務川慧悟、王道への挑戦と「芸術家と死」をテーマに~初のリサイタルツアーへの意気込みを語る

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パリに本拠を置くピアニストの務川慧悟が今夏、自身初となるリサイタルツアーを開催する。全国5都市をめぐる本ツアーのプログラム前半では、満を持して古典の王道二作品に、そして、後半では「芸術家と死」というテーマに立ち向かう。

「ショパン、フォーレ、そして、最後にもう一つプロコフィエフの作品を通して、多様な死生観を聴き手の皆さんに感じてもらえたら」と語る務川に、全プログラムに込めた思いを聴いた。

5都市をめぐる”初”のリサイタルツアー

――「初の正式なリサイタルツアー」ということですが、務川さんは今までにも数多くのリサイタルツアーを開催しているように思えるのですが。

昨年12月の演奏会シリーズは、“ツアー” と言ってもよいのかもしれませんが、本番と本番の間にかなり日程が空いたりもしましたので、今回のように単一プログラムで10日間にわたり5都市をめぐる集中的なツアーは実は初めてなんです。

――「初の」ということで特に思い入れはありますか?

初ということもありますし、僕も30代に入りましたので、まずは前半で今まで舞台で演奏する勇気がなく、ずっと自身の中で温めていたバッハとベートーヴェンの王道二作品を思い切って演奏してみようと思いました。

――後半では冒頭一曲目から大作のショパン「幻想ポロネーズ」が置かれていたり、最後にプロコフィエフの学生時代のソナタが置かれていたりと大胆な構成ですね。

「幻想ポロネーズ」は本来、流れの最後に置くべき作品といえますが、あえて逆をやってみたくて(笑)。
ちょっと偉そうな言い方ですが、この作品(幻想ポロネーズ)や「舟歌」、「バラード 第4番」など、一般的に難しいとされるショパン晩年作品の大曲を僕は難しいと思ったことがなく、ほとんど苦労した覚えがないんです。高校生の時から「こう弾きたい」という強い思いがあって、譜読みを終えたら、すぐに「こんな感じかな」と作品が呈する世界観にすっと入り込めるような感覚でした。

前半は長年温めていた王道作品を

――前半一曲目はバッハ「パルティータ第1番」です。6曲あるうちの第1番を選ばれたのも興味深いですが、昨年12月の演奏会で取り組んだ「フランス風序曲」も想起させますね。

昨年12月のリサイタルでも大好きな「フランス風序曲」も含め、さまざまなスタイルのバッハ作品をいろいろな角度でお聴きいただきましたが、そこでバッハの舞曲に興味と自信を得て、今年4月には「フランス組曲」全曲プログラムでの演奏会にも取り組みました。今回は、さらにその経験を生かし繋げたいと「パルティータ 第1番」を選びました。

今後、さらに本格的にバッハ作品を演奏していきたいと考えており、その観点で、例えば宗教的で荘重なテーマや音型などが盛り込まれた「平均律ピアノ曲集」のような曲よりも、まずはカジュアルに弾ける軽めな舞曲組曲から集中的に取り組み、そこからさらに時間をかけて、舞曲以外の作品群にも入っていきたいと考えています。

なので、今回、冒頭にパルティータを持ってきたのは、今後の僕が描いている行程の流れをご紹介する意味で一つのプロローグ的な提案でもあります。「パルティータ 第1番」は、最も軽やかでサロン的な舞曲で構成されていること、それから、次のベートーヴェンのソナタ「テンペスト」との調性関係やバランス的な対比で選びました。

――そして、次に32曲あるベートーヴェンのソナタからは第17番、王道の「テンペスト」です。

もっとマイナーなものを弾いてもよいかとも思ったのですが、前半は長らく僕自身の中で温め続けていた王道作品で正々堂々と勝負したいという思いがありましたのでこの作品を選びました。今の僕にとって最も自信を持って弾ける作品という意味では、「テンペスト」や「月光」「ワルトシュタイン」などのいわゆる有名曲なんです。僕自身の中でようやく解釈を得つつあって、これらの有名作品には有名なりの理由があるんだな、ということが、自分の中でも納得できるようになってきたんです。

――その中で一つあげるとしたら、どのような点でしょうか。

一つひとつのモチーフの精緻な積み上げ方や、構成自体の妙によって大きな作品を創りだすのがベートーヴェンという作曲家の偉大なところでもあり、醍醐味だと思うのですが、同時にピアノという楽器自体のメカニズムが進化していた時代にあって、(ベートーヴェンは)つねに革新的な試みを打ち出していたという点でも真に先駆者的な存在だと感じています。それが特に表れているのがソナタの「月光」や「テンペスト」なんです。僕の中では印象派を先取りしているかのような側面すら感じられます。

――“印象派”という言葉がとても興味深いのですが、ベートーヴェンと印象派の結びつきについては具体的にどのようにお考えでしょうか。

一つの例として、ペダルの指示に “センプレ ペダル(sempre con pedale~つねにペダルを使って)” というのがあるのですが、「ペダルで濁す」ということにおいてベートーヴェンは驚くほどに深く追求しているんです。恐らく「月光」の一楽章が一番わかりやすい例だと思います。
ペダリングの価値については、時代とともにさらにピアノのメカニズムが進化して一時忘れられたこともあったり、「濁す」ということに対してアンチのような流派も出てきたのですが、やはり、ベートーヴェンの革新的な試みがあったからこそ、その後、印象派のような一つの流れに大きく影響を与えたのだと思います。
特にフランスで古楽器を勉強した者としては(※務川さんは、昨年パリの高等音楽院で古楽器の専門コース5年を終えたばかり)、ベートーヴェンの生きた時代の楽器の弾き方にあらためて立ち返る機会もありまして、それがいかに後世に大きな価値を生みだしたかということを実感しています。

後半は「死」をテーマに

――そして、休憩を挟んで後半はいよいよショパンの「幻想ポロネーズ」です。

ショパンはこの作品を創作した時期、すでに自分は死ぬということを確実に意識していたと思うのですが、その中にある種の光のようなものが見えてくるんです。一条の光を探していて、本当はまだこの先、もっともっと生きたいという作曲家の力強い意志のようなものを感じます。

死ぬということは終わりであると同時に、ある見方によっては何かの出発点だという哲学的な考え方もある訳です。なので、僕としては、暗い死というものに対して光を見出していた彼らの思いに託して、後半プログラムを「死」という深いテーマに捧げたいと思いました。そして、死の中に希望の光を見出だしたこの作品こそを出発点として後半を始めてみたいと思ったんです。

――その後に置かれたフォーレの「ノクターン13番」も作曲家の最晩年の多感な作品で、務川さんのように詩的な理解に秀でている方の演奏に、いっそう期待感が高まります。

実際に聴いていただかないとわからないですが(笑)、ピアノ曲としては最後の作品で、やはり死へと向かう絶望的な思いの中に光が感じられます。フォーレもショパンと同じくらいの生への執着があったんだな……というのがおのずと見えてくるんです。

――後半最後の作品は、プロコフィエフ「ソナタ 第2番」ということですが、プロコフィエフは務川さんにとって、身近な作曲家といえるのでしょうか?

小学生の頃からプロコフィエフの子どものため作品をいつも弾いていて、子ども心にも何となく取っつきやすい作曲家のように感じていました。幸いにも僕の音楽人生の重要な場面でいつもこの作曲家の作品を弾いてきました。例えば、日本音楽コンクールの本選ではプロコフィエフのピアノコンチェルト3番を弾きましたし、エリザベート王妃国際コンクールのファイナルではコンチェルトの2番でした。

――幸運をもたらす作曲家と言えそうですね。

縁がありますね。ただリサイタルなどのソロプログラムではほとんど弾いたことがないので、そういう意味では皆さんにあまり馴染みがないかもしれません。でも特にこの第2番ソナタはずっと弾きたいと思って温めていました。

――「死」という大きなテーマの中で、あえて作曲家が学生時代に書いた作品を選ばれたのは?

確かにプロコフィエフの若い時の作品ですが、この作品にもまた別の意味で死を感じています。恐らく“破壊的”な死と言えるのかもしれません。芸術家は……、もちろんタイプによると思うのですが、何かしら自己破壊みたいな側面を持っているような気がしていて……、特に作家に多いタイプなのかもしれませんが、僕はプロコフィエフの若い時代の作品に何となくそういうものを感じるんです。いや、むしろ作家のように破滅的な死への願望ではなく、「死なんて怖くない」というような “破壊的”なエネルギーなのかもしれません。むしろ、野心的とも言える程の。

昨年の5夜連続演奏会で見えたもの

最近趣味で古琴を始めたという務川。この日も披露してくれた。

最近趣味で古琴を始めたという務川。この日も披露してくれた。

――話は戻りますが、今後さらにバッハを深めていきたいということですが、務川さんにとって、なぜ今、バッハなのでしょうか?

バッハは昔から最も好きな作曲家です。ただ、現代のピアノのメカニズムでバッハ作品を弾くというのはちょっと特殊なことですし、どのような印象を聴き手の皆さんに与えられるかは僕の中では未知数だったので、昨年12月の演奏会では、バッハ自身の作品と技巧で聴かせる(バッハ作品の)トランスクリプション作品を混合してのプログラムで挑みました。そこで僕なりに手ごたえを感じられたのはとても嬉しかったですね。

――具体的にどのような点で最も手ごたえを感じられたのでしょうか?

一つのプログラムで恐らく5公演くらい演奏をしたと思うのですが、毎ステージ演奏を重ねるごとに「毎回、何かがわかっていく」のを感じたんです。「バッハは偉大過ぎて自分にはまだ早いから、今はまだ……」と言っていたら、このまますぐに歳をとっていってしまいますから、積極的に弾いていかなくては何もわからないということに気付かされました。

もし、仮に今回のリサイタルでは、「バッハはこうあるべき」ということがわかっていなかったとしても、それは仕方がないことなんです。そんなに簡単にわかるものではないんですよね。
昨年のステージで思い切ってバッハ作品に集中的に挑戦したことで「今は多少未熟であっても、80歳になってわかればいい」と思えるようになったのは、大きな自信につながりました。

――では、最後にファンの皆さんにメッセージをお願いします。

初めてのリサイタルツアーということで、これまで自分の中では温めてきたけれど、大舞台ではあえて弾くことのなかった作品ばかりを取り上げてみました。前半のバッハ、ベートーヴェン作品に加えて、後半では一つのテーマ性をもったきれいなプログラムを組んでみたので、ぜひ会場に聴きに来ていただけたら嬉しいです。

取材・文:朝岡久美子  写真:池上夢貢

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