DIME店長 バンドーエイジ氏
香川県高松市の中心部にある高松中央商店街。アーケードで繋がっている8つの商店街の総称で、ライブサーキットイベント『SANUKI ROCK COLOSSEUM』は、そのうち常磐町商店街の中や近隣にあるライブハウス6つを中心にして開催されている。中でも象徴的ともいえるライブハウスが高松DIME。18年間経営されていた場所から、2022年春に同じ高松中央商店街沿いに移転した。
今年は20周年を迎えたことを記念して、8月3日(土)~8月6日(火)の4日間に周年企画も開催される。四星球のモリスいわく「高松ライブハウスシーンの父」である“小屋主”(店長)バンドーエイジ氏に20年の想いを訊いてみることに。想像以上に高松の音楽シーンを心から考えておられて、とても個人的にも感動したインタビューとなった。是非とも読んで頂きたい。
ーー高松DIMEが今年20周年を迎えられました。そもそもライブハウス経営には、いつ頃から関わられているのですか?
中学生の時にバンドでベースをやっていて、高校生の時に音楽で食っていこうと思い、卒業後は東京に修行に出たんですよ。当時だと、新宿のルイード、渋谷のクロコダイルやテイクオフセブンとかに出入りしていて。こないだ同世代の森純太(JUN SKY WALKER(S))とも当時の話をして盛り上がったよ(笑)。東京には4年いて、そこから地元高松で色々と店をやって、29歳の時にサッカーをしていたら骨折して2週間入院してね。そこで考え方が変わって、30年前の30歳の時にレゲエバーを始めたの。8年ぐらいやったのかな。ジャンル的にはロックステディで、月1、2回ダンスパーティーをやったりして。そしたら、再開発地域のビルを取り壊すまでの2年間は安く貸してあげるという話が出てきた。まだDIMEという名前では無かったけど、今のDIMEと同じくらいの200人キャパの場所だったからライブをやりたいなと。
それで地元のバンドに貸したりしていたら、ちょうど青春パンクブームでガガガSPやジャパハリネットとかもツアーで周ったりしてくれて。当時は、いわゆるツアーバンドを受け入れるライブハウスが高松にはまだなくて、いいところがないかなと探していたら、駅前の商店街にあるセントラル高松2という映画館が2002年5月に閉館するから貸していいよと。天井が高いところが格好良くて、映画館の座席もあったし、ちゃんとしたライブハウスをここならばやれるのかなと、おもしろそうだから乗っかったの。そうそう、再開発地域のビルでライブハウスをやっていた頃に、デキシード・ザ・エモンズが下北沢から来てくれて。僕と同世代で40歳手前とかやのに炊飯器を持ち歩いて、ライブハウスでご飯と缶詰を食べていた。まだ、こんなことをやってる人がいるんやな、ロックンロールだわと……。まぁ、だから応援したいというか、そういうバンドたちの受け皿になりたいなって思ったのがキッカケかな。そうやって同世代のデキシーとか地元のインディーバンドから話を聞いて、心が動かされて、乗りかかった船で始まったね。
ーーいざ2004年8月6日に高松DIMEとして新たにライブハウスをオープンしてからは、いかがだったでしょうか?
柿落としは、当時僕が出演していたNHK高松の『ごじ☆えもん』という番組の公開生放送なので、初めて出た人はテツandトモでした(笑)。本当はその先のスケジュールを決めてからオープンしないといけないのを、ライブハウスを作ることを先にしちゃったから、最初の半年は無理やり月3本とか4本のイベントを打っていくような感じで。それでも毎月赤字が50万から60万と雪だるま式に増えていったね。最初の3ヶ月は出稼ぎも考えたけど、そんな格好悪いこともできないし。
映画館でスクリーンがあったから、サッカーとか野球の試合を流したりしていましたよ(笑)。8ヶ月くらい経ってから、少しづつスケジュールが埋まってきたのかな。2005年の半ばくらいに、ようやく売り上げも出てきた。DIMEを始めてから、地元のイベンターのDUKEとも仲良くなってね。今回の8月3日(土)~6日(火)の20周年企画も色々と考えてくれたり、本当におんぶにだっこで(笑)。
ーー地元イベンターとの関係性もしっかりと築かれて、この20年で高松にライブハウス文化も根付きましたよね。
オリーブホールみたいなホールはあったんですけど、いわゆるライブハウスは本当に無かったから。もともとが映画館というのもあって入りやすかったし、小学生でも入りやすい環境にしたかったの。2年前に移転して、今は5階建てのビルに入ってるんだけど、みんなが入りやすい環境にしたいということは常に考えています。前のDIMEは車いすの人がいたら、みんなで入り口の階段からフロアまで抱えて運んだし、僕がトイレにも連れて行ってましたね。
ーー小屋主自らが、そこまで体を張ってライブハウスを経営していたら、絶対に街の人にも浸透しますよね。
商店街の人たちも喜んでくれてね。商店街も30年前、40年前は盛り上がっていたけど、その頃は人通りが少なかったから、昔の光景に戻った感じがしたね。
ーーそういう意味では、香川県高松市の常磐町商店街を中心としたライブサーキットイベント『SANUKI ROCK COLOSSEUM』(以下『サヌキロック』)も今や15周年を迎えましたよね。DIMEは最初の店舗も今の店舗も商店街の中や沿いにあって、そういう商店街近辺の6つのライブハウスを多くの観客が商店街の中を通って行き来するのは圧巻だなと。
最初はライブサーキットイベントってよく知らなくて、調べたら、こんなんがあるんやなと。確かにおもしろそうだなって。最初は駅の地下広場とモンスター、オリーブホールとDIMEで歩いて3分の距離だし、しかも商店街のアーケードを通って移動ができる。他の地域のライブサーキットイベントも観に行ったけど、まぁまぁライブハウスからライブハウスが離れていて、高松みたいなコンパクトシティのライヴサーキットイベントはほかにないんだなと肌で感じたね。商店街の人も特別メニューを出してくれたりして、お祭りみたい。それこそ2005年くらいからELLEGARDENも来てくれるようになって、(ライブハウスシーンとして)高松も注目され始めて、周囲の見る目も変わった。田原俊彦さんも来てくれたり、商店街の人たちも喜んでくれてね。後、バンド界隈で広めてくれたのはフラワーカンパニーズだった。2階が映画館の座席そのまま残していて、そこに照明があって、僕が上半身裸で足をかけて身を乗り出しながら照明をしていたら、『変なオッサンがいるぞ!』と(笑)。あのあたりの人たちが口コミで広めてくれて、映画館で変わったライブハウスができたなと思えたね。本当に口コミがデカかった。そもそも映画館を改装したライブハウスというのが飛び道具だったし、全国にも元映画館のライブハウスは5つくらいあったけど、DIMEはほぼほぼ映画館のままでやっていたから。楽屋が通路だったのは、バンドのみんなが可哀想だったけど(笑)。
ーー香川県の国営讃岐まんのう公園で開催されている中四国最大級の野外ロックフェス『MONSTER baSH』(以下、『モンバス』)も今年で25周年を迎えます。15周年の『サヌキ』に、20周年のDIMEに、香川ライブシーンが盛り上がっているのを物凄く感じます。
『モンバス』も最初は知らなくて、DIMEをやり始めたときに資料をもらったらCharも来るんやと驚いて。で、翌年観に行かせてもらったら、「こんな良いイベントが香川県でやっているのを何でみんな知らないの!?」と思ったね。これは凄いと……。尊敬の眼差しで観たし、感動したし……。ステージの袖から観たら、お客さんが稲穂のように揺れていて、それが凄く好きでね。ライブイベントの集大成だなと。
ーーライブハウスから『サヌキ』へ、そして『モンバス』へ……みたいな地元のヤングバンドマンからしたら夢の道のりができた感じもするんです。
夢が繋がっている感じはありますよね。ライブハウスとしてもTOONICEに出て、DIMEに出て、オリーブホールに出るみたいな長いラインもできたらなと。地元の高校生が『モンバス』に出れるんちゃうか、みたいに夢を見れるようになったら良いよね。実際、香川発の古墳シスターズもそうやって出れたし、夢がありますよ。それで言うと四星球は徳島だけど、モリスは香川だし、四国の四つの球ではなくて、今や四つの光ですから。彼らも若い頃は『モンバス』を観に行ったり、現場でスタッフとしてバイトをしていましたしね。
ーーそれでいうと四星球のドラムであるモリス君は、「エージさんは高松の父です」と言っていますから!
それは気持ち悪い(笑)! でもウチのバイトでも長いことめげずに続けて、そこから東京に行って、今は某アイドルグループの照明をやったりしている子もいますし。地元の子が頑張っているのは嬉しいですよ。モリスは、よくお酒をたかりに来ていますけど!
ーー先程もチラッとお話に出ました8月3日(土)~6日(火)の4日連続による20周年企画も本当に楽しみです。
20年というのはわかっていたんですけど、企画モノは得意じゃなくて。と言うのも、何十周年だから、俺ん家に集合!は嫌で。僕ごときで集まらなくていいですよと。まぁ、でも、ひとつの区切りなので、お祭りをやれたらいいなって。DUKEがやろうと言ってくれましたしね。チラシもDUKEのスタッフが作ってくれて、僕はそれを印刷しただけ(笑)。ライブハウスによっては1ヶ月とかやるけど、それは気が遠くて…4日間でも気が遠いのに…毎晩打ち上げだしね(笑)。それでもコロナで相当ダメージを受けて、普段に戻そうと何とか脱却しようと頑張り、この1年で昔に戻ってきた段階というのもあるから……しんどいけどやらなアカン。ここから新しいライフスタイルが出てくるのかなとも思うしね。まぁ、みんなに迷惑かからないようにやります。
後、香川にアリーナができるので、それでだいぶ流れも変わってくるのかなって。香川のアリーナに来る人たちによって、香川のライブハウスの在り方も変わってくるのかなと。アリーナだからライブハウスは関係ないっちゃ関係ないですけど、音楽が好きな人が増えてきたら何かが変わってくるはず。アリーナで観たお気に入りのアーティストのルーツを調べて、ライブハウスを気にしてくれたりとかもあるかもしれないし。この20年で音楽人口は確実に増えて、変わってきてるから。毎週毎週、ライブハウスでTシャツを買って汗だくになって、この20年で香川のライブハウスシーンは変わった。もちろんDIMEをやらなくても、何かしら変わったと思う。この20年で誰かがやっていたとは思うので。だって、僕が中学生の時なんてアンコールの文化を知らなかったんですから。何かせがんだらアカンと思ってたから、アンコールも起きないし、そうするとバンドに「高松って盛り上がらない」と言われていたくらいだから(笑)。それが今やWアンコールが起きるからね。
ーーエージさん御自身は、いつまで現役で現場におられようとか考えていますか?
今年61歳なんですけど、車いすに押されながらでも観に来ようかなと。引退なんて考えてないし、目の見える内はライブハウスを観ておきたい。現場を観ているのがおもしろいから。ここDIMEを維持して残していくのが最大の目標。同じバンドを好きならば、歳の差の垣根を越えられるしね。10代の子とも普通に話せて、気分が若返るから。若い子と話していると、負けてられへんとも思うし。まぁ、都会がやっているものをそのままやっても仕方ないし、みなさんのアイデアを聞きながら、こちらのやり方でやっていきますよ。
取材・文=鈴木淳史 写真=大西健斗