2024年10月19日(土)、沖縄・宮古島コースタルリゾートヒララ トゥリバー地区ヘッドランド特設会場にて、日本最南端のロックフェス『MIYAKO ISLAND ROCK FESTIVAL』が開催される。「離島の子どもたちに本物の音楽を聴かせたい」という思いから、2005年6月に始まったロックフェスで、”日本で一番早い夏フェス”として沖縄を代表するフェスとして知られるようになった。コロナ禍を経て、昨年は3年ぶり、10月に時期を変更して開催。待ちに待った『宮ロック』の開催に島の人はもちろん、島外の観客、そして出演者たちを大いに喜ばせた。
2度目の秋開催となった今年は郷ひろみ、BEGIN、MONOEYES、HEY-SMITH、HY、MONGOL800、Saucy Dog、Novelbright、僕が見たかった青空の出演が決定。同イベントでは恒例となっている前夜祭、後夜祭といった付帯イベントも開催される。『宮ロック』は宮古島に住むボランティアスタッフを中心に運営される、いわゆる”手作り”のロックフェスなのだが、同フェスに出演したいと願うアーティストは後を絶たないという。離島で開催されるフェスの魅力とは一体何なのか。『MIYAKO ISLAND ROCK FESTIVAL』を主催する、野津芳仁氏に話を聞いた。
ーー宮古島は沖縄県、沖縄本島から約326kmの距離にある離島です。海が美しく、自然豊かな島として有名で、「リゾートアイランド」というイメージがあります。『MIYAKO ISLAND ROCK FESTIVAL』(以下、『宮ロック』)の実行委員会長の野津さんは宮古島在住です。島内の人から見る島の印象はどんなものでしょうか。
「今でこそテレビやSNSで紹介されるようになり、リゾートを中心に話題となる島になりましたが、20年ほど前はそこまで活気のある島ではなかったんです。知る人ぞ知る島、という感じ。プロ野球球団のオリックスがキャンプ地として宮古島を選んでいた時期があったことから“スポーツアイランド”をウリにしていたこともありました。あとはキレイな海がある、それだけという感じで」
ーー2005年に『宮ロック』が始まったことで、徐々に“音楽の島”というイメージが広まりましたよね。
「島の子どもたちに本物の音楽を届けたいという思いから『宮ロック』が始まったんですけど、実は宮古島は昔からロカビリー系の音楽が根強い”音楽の島”ではあったんです。僕らの先輩世代を中心にロカビリーバンドを組む人が多くて、昔は小さなライブハウスもいくつか点在していて。でも、メジャーな音楽に触れる機会はそうそうないんですよ。『宮ロック』の前身イベントとして、ロック系ミュージシャンを宮古島に呼んでイベントを開催したこともあったんですけど、たくさんの人を呼べるだけの大きなハコがない。そこで初代実行委員長の平良(直也)氏が『宮ロック』を立ち上げることにしたんです」
ーー”島の子供たちに本物の音楽に触れてほしい”という思いは今もずっとイベント開催の主軸となっているんですよね。
「一貫してそれは変わっていないです。子供たちに本物の音楽を聴かせる。離島でも有名なミュージシャンを呼んで、こういうイベントができるんだよっていう盛り上がりを見せたい気持ちもあって」
ーーそうして開催された、記念すべき第1回目となる2005年の『宮ロック』。ORANGE RANGE、MONGOL800、175R、山嵐などといったアーティストが出演しています。初年度から豪華なラインナップがそろっていますよね。
「出演を交渉していたのが、初代実行委員長の平良氏で。僕らの世代からすると、音楽やファッションのカルチャーをリードする、カリスマ的な存在の先輩なんです。沖縄本島の人たちとの伝手もあり、第1回目の『宮ロック』開催当時、爆発的人気を誇っていたORANGE RANGEやMONGOL800を伝手だけでイベントに呼ぶことができたんです。友達との繋がりだけで有名なミュージシャンが宮古島にライブをしにやってくる。沖縄というローカルコミュニティがあるとはいえ、素人ばかりで運営しているフェスではありえないラインナップでしたね」
ーー『宮ロック』は初年度から野外で開催しています。大きな会場もなかった当時、機材設備などはどのように準備したのでしょうか。
「最初は見よう見まね。『宮ロック』の実行委員会は初年度からボランティアだけで成り立っているんですけど、友達だけじゃなくいろんな業種の人たちに協力してもらって。開催から数年は分からないところはイベント会社さんにもお願いして」
ーー現在の『宮ロック』の運営は完全にボランティアの力だけで作り上げていると聞きました。
「そうですね。話は変わるんですけど、宮古島は沖縄より遠い離島なので、いくらアーティストの出演料が他のフェスと比べて安くても、飛行機での移動や宿泊費のコストがどうしても高くなるんですよ。開催当初は1組のアーティストでレコード会社や事務所スタッフが2~30人と来ていたんです。我々は業界のことは何も知らない素人の集まり。それが当たり前と思っていたら、仲良くなったバンドマンに”それは違うよ”って教えてもらって(笑)」
ーー仕事と同時に離島の滞在を楽しもうとしていた人がいたんですね(苦笑)。
「そうなんです(笑)。それに、回数を重ねるうちに出費も増えるんですよ。『宮ロック』の1、2回目はたくさんのお客さんが来てくれてすごく盛り上がったんですけど、3~4回目ともなるとお客さんも慣れてきたのか来場者数が減ってしまって。これはどうにかしないといけないぞ!ということで、これまで外注していた仕事を実行委員会のスタッフたちで担うようになりました。いまでは僕ら実行委員会のメンバーだけで『宮ロック』を作り上げています」
ーーコロナ禍には開催を中止せざるを得ない年もありましたが、今年で『宮ロック』は16回目の開催を迎えます。出演者も年々豪華になりつつありますよね。
「正直、最初の頃は調子に乗り過ぎました(笑)。2005年の第1回目は友達の繋がりや伝手でブッキングが決まりましたが、翌年の2006年にはケツメイシが出演したりして」
ーーケツメイシのほかに、ELLEGARDENやマキシマム ザ ホルモンなども出演し、出演者の数もぐっと増えましたよね。
「お客さんも集まったけど、イベントとしてはずっと自転車操業の連続です(笑)」
ーーそれでも、島の子どもたちにとっては本物の音楽を体感できる。唯一無二の経験にもなりますよね。
「当初は島の人たちが多かったけど、3~4回目にもなると島外から徐々に人が増えてきて。島内外のお客さんの比率が逆転しはじめたんです。僕らは島の子どもたちのために始めた音楽フェスだったのに、島の人たちが来ない。協力してくれる人も減ってしまうようになって…」
ーー矛盾が起き始めたんですね。
「来てもらえないってことは、僕らが島のみんなが見たいアーティストを呼べていないかもしれないと思って。もっと島の人たちに誠意をもってやらないといけないんだと気づいたんです。当初はELLEGARDENやマキシマムザホルモンみたいな、いわゆるゴリゴリのロックバンドが多く出演していたんですけど、島の子どもたちも喜ぶ音楽をと考えると、テレビに出演して、ある程度名の通ったアーティストにも出てもらわないとダメだねって、色んなジャンルのアーティストを呼ぶようになりました」
ーー『宮ロック』と銘打ちつつ、J-POPやヒップホップのアーティストが数多く出演してきたのはそういう経緯があったんですね。一時はTHE ROOSTERSやCOOLSといった7~80年代を中心に活躍した伝説のロックバンドの出演もありました。
「50代の僕たちよりも上の世代が喜ぶラインナップですよね。ヒップホップだと、FUNKY MONKEY BABYSはこれから売れるかも!? ケツメイシみたいなすごいアーティストになるかもしれないぞ!というタイミングで出演してもらったんです。翌年には爆発的に売れたんですけど、初めての出演以降、解散するまでずっと『宮ロック』に出演してくれて。しかも出演料も最初から最後までずっと同じ金額で出演してくれて」
ーービッグアーティストになっても変わらず出演し続けてくれるのは、アーティストと『宮ロック』の関係性があるからこそですよね。
「彼らも“『宮ロック』に出演して売れたから”“『宮ロック』に、宮古島に行きたいから”っていう理由だけで出演してくれる。本当にありがたいですよね」
ーーアーティストも『宮ロック』の雰囲気はもちろん、宮古島そのものに心惹かれているからこそ、ずっと出演し続けてくれているんでしょうね。
「東京で活動しているアーティストからすると、ちょっとしたバカンス気分にもなりますしね(笑)。よく他のフェス関係者に、どうやって経営してるの?と言われるんですけど、『宮ロック』がほかのフェスと違うのは、そもそも商売ではないんです。ボランティアスタッフで運営しているので、収益がトントンだったらそれで万々歳。そういう運営方法もあってか、出演したアーティストが口伝で「『宮ロック』はいいよ」と周囲のバンド仲間たちに広めてくれるようになって、年々いろんなアーティストに出演交渉がしやすくなりました。それこそ、当初は電話で直接アポ入れしては断られての繰り返し。ゼロからの状態でいきなり“『宮ロック』に出てほしい”なんて怪しいですよ(笑)」
ーー何者だ!?となりそうですね(笑)。
「それでも出演してくれたアーティストからの口コミが大きな存在感となって、いろんな人に出演交渉ができるようになりました。細美武士さんは『宮ロック』開催2年目から出演してくれるんですけど、彼がいろんなアーティストに『宮ロック』の存在を広めてくれてたりして」
ーー『宮ロック』において、細美さんの存在は欠かせませんよね。
「細美くんは初代実行委員長の平良氏を“兄貴”と呼ぶほど慕っていて、今では出演したその日のうちに“来年も出るから”って言ってくれますからね」
ーーELLEGARDENやMONOEYES、the HIATUSと、バンドの形が変わっても毎年『宮ロック』に出演されています。
「“来年も出るから”という、その言葉だけでも嬉しいですよね。ELLEGARDENが復活したときも“『宮ロック』行くからね”ってすぐにスケジュールを決めてくれました」
ーー『宮ロック』愛に溢れていますね。それも長い時間をかけて繋いできた関係性があるからこそですよね。ほかにも、2013、2016年にはONE OK ROCKも出演しています。
「当時、出演者がすべて決まっていた状態のなか、バンド関係者から出演オファーをいただいたんです。当時からもちろん人気がありましたけど、それ以上に大きな存在のバンドになるぞ!ということで出演してもらいました。その2、3年後には爆発的な人気になって、僕たちもびっくりしましたね。昨年には、新しい学校のリーダーズが出演してくれました。これもアーティスト側からオファーをもらって出演が実現したんです」
ーーアーティストにとって「憧れのフェス」になっていったんですね。いまではロックからヒップホップ、レゲエにJ-POP、アイドルと幅広いジャンルのアーティストが出演するようになりました。島内の若い世代にとっては憧れのアーティストのライブを生で観ることができる、またとない機会ですよね。しかも『宮ロック』には前夜祭、後夜祭もあり、本編以上の盛り上がりを見せそうなラインナップも話題を呼んでいます。
「ある年に、イベントの打ち上げとして開催翌日にビーチでBBQをしていたんです。島ならではの開放的な雰囲気もあってか、最初にMONGOL800のキヨサクくんが歌い出して、それから細美くんも歌って、お前も歌え~って言うと次々にアーティストが続いて会場が大盛り上がりになって。これはちゃんとイベントとしてやらないとパニックになるぞ、ということで翌年から後夜祭を開催することになったんです(笑)」
ーーアーティストもお客さんも島の魅力に魅せられた証拠ですよね。
「いまでは後夜祭としての規模も大きくなりすぎちゃって(苦笑)。お笑いのステージや後夜祭だけに出演するアーティストも登場するようになりました」
ーー地方のフェスに参加すると、学校や仕事の都合でライブが終わるとすぐに帰らなきゃいけない状況も多々ありますが、『宮ロック』に関しては前夜祭から後夜祭まで、たっぷりと島に滞在したくなりますよね。
「『宮ロック』はステージとお客さんとの距離がものすごく近いんです。ほとんどライブハウスのような感覚。『宮ロック』の存在をもっと世間に広めませんか?と、テレビの中継や配信の依頼もありますが、すべて断っているんです。『宮ロック』はあくまでも島のため、島の子供たちのために開催しているイベントです。会場にはテレビ用の導線など、ステージと客席を隔てるものが一切ない。だからこそ、アーティストもお客さんも純粋にライブを楽しんでくれるんです。なかにはライブ終わりに客席に混ざり込んで、一緒になってイベントを楽しむアーティストもいますしね」
ーー物理的にも気持ち的にも距離が近いフェスなんですね。毎年、どれくらいのキャパで開催しているのでしょうか?
「6000人、これは毎年変わらないですね」
ーー年々出演者も豪華になるなか、チケットも争奪戦ですね。
「実はチケットがソールドアウトしたのは2023年、昨年が初めてだったんです」
ーーえ!? これまでも錚々たるラインナップだったので、意外でした。もっともっと、『宮ロック』の存在を全国の人に知ってもらいたいですね。
「沖縄本島で『宮ロック』を開催したら何万人とお客さんが来るよって、よく言われるんですよ。でも宮古島を離れた時点で『宮ロック』じゃないですからね」
ーー本来のコンセプトである「宮古島の子どもたちに本物のライブを見せる」ということから離れてしまいますよね。
「東京や大阪からもお客さんが来てくれますが、宮古島は離島の離島。やっぱり移動費や宿泊費もかかってしまいますからね」
ーーそれでも『宮ロック』の魅力にハマると毎年参加する人も多い。会場はどういった環境の中にあるんでしょうか。
「宮古島コースタルリゾート トゥリバー地区は海に囲まれた場所なんですけど、元は市が管理する埋立地で長年活用されずに放置されていた場所だったんです。そこを僕たちが『宮ロック』の会場として使うようになりました」
ーー『宮ロック』のための会場、と言っても過言ではないですね。
「開催当初は周囲に何もなかったんですけど、いまでは外資系ホテルや伊良部島と宮古島を結ぶ橋が完成したり」
ーー 一気にリゾート感が増しましたね。
「島が盛り上がるようになったのはうれしいんですけど、今後は同じ場所で開催し続けることができるのかが課題となりつつあります。あとは実行委員会のメンバーも年を取り、高齢化も問題です(笑)」
『宮ロック2023』highlight_longver
ーー宮古島に住む、音楽好きの若い世代にぜひとも継いでいってほしいです。昨年はチケットもソールドして来場者数が増えるなか、移動手段や宿泊先であるホテルの数も増え、周辺環境も良くなりつつある。今年も無事ソールドアウトが発表されました。後夜祭のチケットも好評で、盛り上がりに期待が高まりますね。
「JALのツアーパックなどもあるので、初心者の方でも安心して来ていただけると思います。飛行機も東京や大阪、名古屋などからの直行便も増えたし、ホテルの数もぐっと増えましたからね。『宮ロック』は開催初年度から2019年までは6月に開催していたんです。梅雨も開けるか開けないかの時期で、”日本で一番早い夏フェス”と謳っていました。初年度の頃、6月は宮古島にとっては観光の閑散期ということもあって、開催にはうってつけの時期だったんです。でも、『宮ロック』が徐々に浸透していくうちに、島の観光のピーク時期も前倒しになり、宿や飛行機の確保が難しくなってきて……。コロナ禍が落ち着き、全国的にもフェスが開催されるようになって、そろそろウチも動き出そうとしたとき、これまでと同じ6月に開催にするには時間がかかりすぎるし、宿や飛行機の問題もある。いつもと同じ6月に開催するか、それとも時期を変えて開催するか。色々悩んだ結果、昨年から10月に開催するようになりました」
ーー開催時期の変更にはそんな理由があったんですね。
「でも、10月開催が意外と良くって(笑)」
ーー10月の宮古島、気候はどんな感じですか?
「昼間はまだ夏のように暑く、夜は涼しい。抜群のシーズンですね。ここ数年はフェスの数も増え、6月開催のフェスも多くなり、徐々にブッキングが難しくなりつつあったんです。僕らはボランティアということもあって、ブッキングなどの動きがどうしても遅くなりがちで……」
ーー開催時期を変えるだけで、イベントとしても運営がしやすくなったんですね。
「そうですね。お客さんも過ごしやすい環境のなかでライブを楽しんでもらえると思います」
ーー会場はビーチ沿いです。10月の海はさすがに水温が低そうですね。
「10月の開催時期は台風も終わるシーズンで、10~11月までは海も入れちゃいますよ」
ーーどうして今まで10月に開催しなかったの?というくらい、最高の条件がそろっていますね。
「当初は“日本一早い夏フェス”を売りにしていましたからね(笑)。10月は湿気もないですし、ベストシーズンだと思います」
ーー開催時期も変わり、昨年に続きチケットはソールドアウト。勢いに乗る『宮ロック』ですが、今年のラインナップも素晴らしいアーティストが顔をそろえています。まさかの郷ひろみさんの出演には『宮ロック』ファンどころか、いろんな世代が驚いたかと思います。
「なかなかないラインナップだと思います。昨年は緑黄色社会や新しい学校のリーダーズといったアーティストの出演に、島の人たちも楽しんでもらえて。今年は島の子どもはもちろん、郷さん世代、僕らの先輩方にも楽しんでもらえるといいよねっていうことで、郷ひろみさんに出演していただくことになりました。実はこれまでにも何度かオファーをしていたんですけど、出演いただける機会がなくて。今年もダメ元でオファーしたらまさかの快諾で!」
ーー実行委員会のメンバーもまさか!と驚きますよね。
「『宮ロック』は僕たちボランティアスタッフで運営していて、出演料や島の環境などもきちんと説明したうえでオファーを受けていただけました。実は郷さん、今年はフェスに出演したかったそうなんですよ」
ーー“郷ひろみがフェスに出る”、それだけでもインパクトがあるのに!
「しかも今年5~10月は郷さん自身のコンサートツアーもあったので、『宮ロック』がこれまで通り6月に開催していたら出演が叶うこともなかったんです」
ーーすべてのタイミングがばっちりと重なったんですね。
「しかも当初はカラオケでの歌唱予定だったんですけど、せっかくのツアー直後ならとフルバンドで出演してくださることになりました。しかもご本人から、バンドで行きたいと要望があったそうです」
ーー郷ひろみさんこそ、まさに「テレビの中の人」。島の子どもたちはもちろん、出演者も誰もが注目を集めるステージになりそうですね。
「とにかく豪華な、ご本人のソロコンサートでしか観られないようなハイクオリティなステージになるかと思います」
ーーしかも野外の開放的な空間。忘れられない一日になりそうですね。ほかにも、今年もHYやBEGIN、MONGOL800といった沖縄出身アーティストも出演します。
「沖縄勢が3組も出演するのは今年が初めてなんですよ」
ーーさらにパワーアップした『宮ロック』になりそうですね。前夜祭や後夜祭の情報も解禁され、チケットも間もなくソールドアウトとなりそうです。今年で16回目の開催を迎える『宮ロック』ですが、今後の展望を教えてください。
「開催初年度から参加している実行委員会のメンバーも50歳を迎えました。そろそろ若い世代へと繋いでいきたいところですが、フェスの規模がどんどん大きくなり、ここまで作り上げたものを引き継ぐには責任もある。それでも、20代の子たちが自分たちでもイベントをやりたいと動き出しているんです。そういった子たちと協力しながら、『宮ロック』を次世代に繋いでいけたらいいなと思っています。沖縄本島や石垣島にはメジャーなアーティストもたくさんいらっしゃいますが、宮古島にも素晴らしいアーティストがいます。そういった人たちにも『宮ロック』のステージに出演してもらいたいですね」
ーー初開催が2005年。その頃から『宮ロック』を見ていた子どもたちがイベントを引き継いでいく。近い未来、そんな姿が見えそうですね。
「実行委員会のメンバーの子どもが音楽活動を始めて、忖度なしにオーディションを勝ち抜き、オープニングアクトとしてステージに立ったこともありました。高校生になっ『宮ロック』でアルバイトをする子どもが出てきたり。少しずつ僕らの想いが引き継がれているのかなと感じています」
ーーコンセプトである「島の子どもたちに本物の音楽を届けたい」という思いが宮古島のカルチャーとして根付いてきたのを感じますね。島内はもちろん、島外から来るお客さんにも『宮ロック』を存分に楽しんでほしいですね。
「『宮ロック』を、音楽を通じて宮古島の魅力を知ってもらえたらうれしいですね」
取材・文=黒田奈保子