秋山黄色が前作『ONE MORE SHABON』から2年半ぶりに4thアルバム『Good Night Mare』を9月25日(水)にリリースした。『Good Night Mare』には、2022年8月に配信した「ソーイングボックス」にまで遡って、この2年半の間に完成させた全12曲が収録されている。ダンサブルなポップソングを中心にパンクロックからバラードまでという振り幅を持つ曲の数々を、アルバムとして1つに繋ぎとめているのは「この世界は悪夢に満ちている」という秋山の死生観だ。「良い悪夢を!」と皮肉を込めながら、こんな世界を見させる夢魔もいつか眠るかもしれないという希望を歌い続ける秋山が、そこに託した想いや曲作りのこだわりを語ってくれた。自分に向き合いながら、自らの深層心理を言葉にした切実なロックを、巧みなトラックメイキングと生々しいバンドサウンドを使い分けながら作り続けるという意味では、秋山のソングライティングはこれまでと変わらないものの、この2年半の間に、さらに研ぎ澄まされてきたようだ。
『Good Night Mare』ジャケット
「もういい加減寝てくれよ。
普通に生きたいよと、僕は怒っているんです」
ーーまずは2年半ぶりにアルバムを完成させた手応えを、まず聞かせてください。
前作の『ONE MORE SHABON』まで1年に1枚のペースでリリースしてたので、ちょっと時間が空いちゃいましたけど、その時間も決して無駄ではなくて。忙しない社会情勢というか、音楽業界もこの何年かうてんやわんやしてたせいか、「みんな一丸となって」みたいな雰囲気があったので前作はそういう曲が多めだったんです。けど、さすがにもう脳のポジションが安定してきて。言っちゃえば、もともとは社会性のない曲が多かったんですよ。それが本来の僕なんですけど、今回はそこに戻ることができました。なのでアルバムが完成したというよりは、もともとやっていたような制作を進められた手応えの方が大きくて、それらを聴かせられる状態にパッケージできた達成感があるのと、同時にこれからの期待も大きいですね。
ーーこれからの期待というのは?
このままこういうふうに続けていきたいっていう。
ーーあー、なるほど。もともと作っていた社会性のない作風に戻ったとおっしゃったんですけど、『Good Night Mare』というタイトルが象徴しているように悪夢を見させる夢魔を眠らせることや、秋山さんがウェブサイトで公開している全12曲のライナーノーツから言葉を借りるなら「ボケナスが寝てろ メア」というメッセージが今回、リスナーに向けられたものなんじゃないかと思うのですが、それは前向きなものなんですよね?
それと同時に『Good Night Mare』のGood Nightmare、つまり「良い悪夢を」っていう意味合いもあるんですけど、前向きっちゃ前向きですね。基本的に僕は、どうしようもない宇宙とか、死とか、そういうことを歌にしてるんですけど、それで終わりにしちゃうと、歌う意義すら失われてしまうんですよ。僕自身が現実に持ってる最終的な希望って、やっぱりまだいろいろなことが不確定であるとか、もしかしたら死んだ後も何かおもしろい世界があるかもしれないとか……もっというと、現実の行動というか、僕の心のコントロール次第で、死に際に何か抵抗する術があるのかもしれないとか。そういう“かもしれない”運命がまだ残っているということなんです。だから、現実を悪夢たらしめるような事柄みたいなものが、いつか眠ってくれる日が、もしかしたら来るかもしれないとも思っているんです。そんなふうに言ったら、儚い願望に聞こえるかもしれないけど、タイトル的には、もういい加減寝てくれよ。普通に生きたいよと、僕は怒っているんですよ。なので、一応、ポジティブなメッセージにはなってるかもしれないです。
ーーライナーノーツの中で「生まれてよかったと思うこと」の「生は無意味だ 完全に」という一言を読んだとき、ポジティブなメッセージが込められていると思いながらアルバムを聴いていた僕は正直、ちょっと突き放されたような気持ちになったんですよね。
あー。でも、僕の世界ってそれが大前提だから。最終的に死んじゃうんだったら、お金持ちになろうが、偉大なことをしようが意味ないよねって。僕、例えでよく出すんですけど、バスケットゴールが上空500メートルにあったら、誰もバスケしないよねと。そういう無意味さがあるというか、人生の全体って、それを全身で体感するような作りになってる気がするんです。だったら何やっても無意味じゃん、というところからのスタートなので、むしろ「人生はめっちゃ希望に満ち溢れていて。いつか死ぬかもしれないけど、とにかく今をがんばって生きようよ」というメッセージを放つ方が、僕を好きになってくれた人には突き放したことになるんだと思います。僕がまだ絶望している方が、一応、リスナーにとってはポジティブに発せられた生存報告みたいなところもあるんですよ。だから、「生は無意味だ」と言ってる僕が4枚目のアルバムを出すことに、すごく意味がある。だって、生き生きと楽曲制作なんかして生きちゃってるんですからね。「生は無意味だ」と言いながら、僕は曲を作ることをやめることはできない。こういったものも言語化していくことのほうが救いになるというか、あきらめてないんですよね、僕はまだ。
ーーうんうん。
いつだったか宮崎駿さんがインタビューで、この世界には生きる価値があることを子供に伝えていかなきゃいけないとおっしゃっていたんですよね。僕もそうなりたいんです。はっきりと、堂々と、自信を持ってそう言えるようになりたい。ただ、今はまだ無理なんです。だけど、自分がまだ変われるんじゃないかと思っていて、それを必死に言語化したり、勉強したりして、心の動かし方を学びながらどこかに何かの鍵があるんじゃないかと探し続けてる。それがある意味、僕の音楽活動の全ての内訳であり、音楽にもその鍵があるような気がしてるんです。なので活動を続けること自体が、僕のポジティブなメッセージになっているとは思っています。
ーーおっしゃることは理解できます。
まだ匙を投げていない、という言い方がいいかな。でも、もしかすると中には突き放されたと感じる人もいるかもしれないですね。
ーーでも、それは秋山さん、および秋山さんのリスナーと僕の世代のギャップかもしれないと、今、お話を聞きながらちょっと思いました。
「生まれてよかったと思うこと」は、その後にボーナストラックが入ってますけど、一応はアルバムの最後の曲という位置づけなんですね。アルバムの最後は大体、こういうシビアな曲で終わるという流れがこれまでもあって、それを踏襲してはいるんです。
「若者はみんな盛大に勘違いして『俺が最先端だ』と
言えないと、音楽が止まっちゃう」という気概
『SCRAP BOOOO』
ーーなるほど。そういうシビアな曲もある一方で、「SCRAP BOOOO」や「ソニックムーブ」とか、ライブでもすでにやっていらっしゃいますけど、躍動感があるというか、高揚感がある曲も収録されています。
その2曲はシングルだったという事情込みですけど、「生まれてよかったと思うこと」のような生命の問いかけみたいなことって、結局、歌詞が「人生は無意味だ」みたいなことになっちゃうから、アルバムの全曲をそういった重いものにするのは難しくて。そういう重たい曲は「最新がこれですよ」とわかるものが1曲あればいいというか。アルバムのメリットは、そういう曲をより深く聴いてもらうために、他の曲で道筋を立てられるところだと思っているので、アルバムの半分ぐらいは生活面におけるーー例えば不満であったり喜びだったり、励ましだったりとかになってるんです。そうでないと、常に絶望している、諦めてる人の楽曲って、やっぱり聴くに耐えないというか、あんまり意味ないですよね。みんな、そういう気持ちをうっすら抱えながらも、それを打ち消すような趣味を含め、目を逸らせるような手段を持ってると思うんです。毎日をしっかり生きるために死に対する何かしらの抵抗みたいなものを、みんなそれぞれに持っている。
例えば、僕が山籠もりして、人としての悩みを断ち切った状態で「人生って何だ」「世界って何だ」みたいなことを歌っても、「あなたは生活がんばってないじゃん」ってなっちゃう。生きることに取り組めてない人の死の話って軽くなるんですよね、原理的に。なので僕は人よりも怒るし、喜ぶし、悲しむことも真っ当にやっている、普通の人だということもはっきりと曲にした上で、「生まれてよかったと思うこと」のようなことを聴かせたい。僕にとっては、どっちもなきゃいけないんです。最終的に「生まれてよかったと思うこと」みたいな曲があるので、ダークな作品ではあるんですけど、それがよりダークに聴こえるのは、そんなことも思いながら、人並みに怒ったりするし、人を励ましたりもする人間らしさがあるからこそなんですよ。アーティストって神格化されがちじゃないですか?
ーー確かに、そういうところはありますね。
何か難しいことを喋ってると、この人、普段どんなことを考えてるんだろうって得体が知れなくなってくる。タモリさんとかビートたけしさんとか、僕の中ではそういう印象があって。日常の思考から、僕と違うんじゃないかなと感じる。そういう人がもし、僕が欲しがってる言葉を発したとしても、何か違う生き物の話として受け取りづらかったり、ちょっと無敵に見えるんですよね。もちろん、本人達はそんなことはないと思うんですけど、僕がリスナーからそういう印象を持たれると、楽曲としての効果はかなり薄れてしまうので「ほんと普通の人です」と伝わるような2面性がアルバムにはかなり必要になってくるんです。だから、パンクな曲も入れていたり。
『ソニックムーブ』
ーー「吾輩はクソ猫である」と「負け負けの負け」は、まさにそうですね。そういう2面性を作るためというところが大きいのかもしれないですけど、例えば「SCRAP BOOOO」や「ソニックムーブ」はミックスチャー・ロックというか、ヒップホップとバンドサウンドの掛け合わせという音楽的な興味も、曲を作る上ではあったのではないでしょうか?
そうですね。作曲って相当おもしろくて。作曲というか、僕の場合は編曲になるのかな。コンピュータで音を重ねることが容易にできちゃうから、音楽的な興味はまだまだ尽きないですね。勝手な気負いもあるんですよ。一応、最先端のアーティストであるという自負があるから、2桁年前の人達の流行りを堂々とやって、お金もらうっていうのは気が引けるという気持ちがすごくあって。往年のハードロックとか、僕、そういう時代のものもたくさん聴くんですけど。
ーーそれはギターソロからも窺えます。
だから、ミクスチャーというか、いろいろなジャンルと今風の僕のミックスみたいな曲を作る意識はそういうところにあります。もちろんリスペクトもありますけど、好きだからって同じようなことして、歌詞だけ今風にしてお金をもらうのは納得できない。だから、ちょっと昔っぽさを感じさせつつも、僕にしかできないギターリフだったりアレンジを突き詰めていこう、みたいなある種の矜持もあります。それは僕が一応は若いアーティストだから勝手にそうしているだけなんですけど、そこにおもしろさを感じていますね。逆に、まったくもって新しいものを作ろうとしても意外におもしろくないというか、そもそも無理なんですよ。誰も聴いたことがない、本当の意味で新しい音楽を作ることって。たまに模索はするんですけど、やっぱり古き良きものもこういうふうに聴かせられる、みたいなほうがいい。今、リバイバルブームでもありますが、自分も含め日本人はそういう制作がやっぱり得意なのかなと思いますね。
ーー曲を作る時やアレンジする時のレファレンスを含め、バックグラウンドをライナーノーツで書いたらいいのにってちょっと思いました。読みたいと思っているファンは少なくないんじゃないですか?
別の脈略で、「僕はこういう音楽が好きです」とか「こういう音楽を聴いてます」みたいな発信は好きなんですけどね。年齢を重ねれば重ねるほど、昔の音楽に恐れをなしていくというか。音楽を知れば知るほど、ビートルズって偉大だったんだってどんどん謙虚になっていくというか。「自分の存在なんてこんなものなんだ」と思い知らされるんですけど、レッド・ツェッペリンよりも二回りぐらい下の世代のミュージシャンがインタビューで、ツェッペリンの話ばかりしているのを読むと、僕、すっごい嫌な気持ちになるんですよ。
ーーそれはなぜ?
40代とか、50代になった時に自分のインプット、アウトプットが精査されてから「自分はこのバンドの影響でこういう音楽をやっているんだ」となるのは、全然いいと思うんです。だけど僕はまだ20代だから、その歳で「この曲はキング・クリムゾンのここに影響を受けて、それになんとか近づけるようにしたんです」みたいなことを言ったら、もう昔の曲をこすり倒すのかってなると思うんですよ。
ーーあー、なるほど。
せめて30代ぐらいになるまでは、「おまえなんて、そんな偉大な存在じゃねえよ」って周りから罵倒されながらも、「いや、これは新しいんだ」「いや、それは昔、誰かがやってた」っていう応酬をしてるほうがいいと思うし、そうじゃないと、昔話ばかりする人になっちゃいますから。秋山黄色に影響を受けましたっていう新しいアーティストが出てきた時に、ちょっと申し訳立たないですよね。
ーーそうか。それはそうですね。
そういうバチバチした意識がだいぶあるんですよ。もちろん、超新しいものを生み出してる自覚はないですよ。僕の音楽だって、やっぱりビートルズやオアシスの影響を受けた部分がどこかに出ているはずで、まったくの無からは生み出してないですから。だけど、血気盛んに「俺は新進気鋭なんだ」という姿勢でやっていかないと、10年後、20年後のアーティスト達に「秋山黄色のここに影響を受けたんだ」と言わせられる存在にはならないですよね。昔のバンドをただコピペしてやってるだけのアーティストになったら、一生僕達のリスペクトがビートルズ止まりになっちゃうじゃないですか。
ーーそれは確かにおもしろくないですね。
自惚れなのはわかってるけど、若者はみんな盛大に勘違いして、「俺が最先端だ」と言えないと音楽が止まっちゃう……という意識なんです。だから、曲のレファレンスはあまり出しすぎないようにしてます。もちろん、ちょっとあるんですけどね。あれを聴いて、作りたくなったみたいなのは。
「僕はバンドが好きなんですよね、本当に」
ライブを意識した音作りについて
ーーところで、DTMを駆使したトラックメイキングの曲がある一方で、生っぽいバンドサウンドを活かすことを意識した曲が多いという印象がありました。
そうですね。ちょっとライブを意識してる節はあります。やっぱり、相当長い間、ライブができなかったので。だから生バンド感をベースにして、トラックメイカー的な楽曲を何曲か差し込んでるようなバランスになっていると思います。僕はバンドが好きなんですよね、本当に。だからより新しいものを作るぞって思っても、なんだかんだベース、ドラム、ギターのバランスがやっぱり大好きだ!という音になっちゃうし、それが求められているんだろうなって気持ちもあります。ただ、そうしようと思ったわけではなくて、結果的にそうなったんです。だから、生楽器が7割ぐらい占めてるのが今の自然な感じなんだと思います。
ーーでは「FLICK STREET」と「Lonely cocoa」の楽器隊のインタープレイは、ライブを意識して入れているんですか?
そうです。もっと多かったんですよ、最初は。ギターソロも超長かった。あれでも削ったんですよ。
ーー音作りの話について、もうちょっと聞かせてほしいんですけど、その「Lonely cocoa」と「生まれてよかったと思うこと」の2曲は、空間系のギターサウンドを使ったリバービーな音像が印象的でした。
「生まれてよかったと思うこと」は、付点8分ディレイ……いわゆるディレイトリックを使って、テコテコテコテコってギターを鳴らすありふれた手法なんですけど、それをメインリフで使っていて。これまであまり使ったことはなかったんですけど、それを終始弾きながら歌ったらかっこいいなと思ってやってみました。いつもだったら最初にディレイを掛けてないフレーズだけ録って、DTM上でディレイを掛けるやり方をしたと思うんですけど、今回はライブを意識した、何かおもしろい録り方ができないかなと考えて、アンプを2台、真ん中に仕切りを立てて並べて、マイクも1本1本立てて、ディレイを掛けながらステレオで出力して一発録りしました。
ーーそういうやり方だと、かなり時間が掛かったんじゃないですか?
めっちゃ掛かりました。だって、1か所でもミスると、ディレイだから間違ったフレーズがテンテンテンテンってなっちゃうんで(笑)、最初から最後までノーミスで行かないといけないっていう。
ーーそうですよね。
俺は人と違うことをやってるんだ、という自尊心を満たすための自己満足ですけどね。
ーーでも、それが音のバリエーションの広がりに繋がっていると思いますけど。
自分との戦いみたいなところはありました。たぶん聴いている人にはわからないかもしれないけど、微妙によれがあったり、音の質感も微妙にチープだったりとか。デジタルと比べるとちょっとクセがあるというか、別に籠ってはいないけど、なんかちょっと不気味な音色にはなっていると思います。そこにはやっぱりアンプやマイクの特性も乗っかりますからね。基本的に録音が好きなんです。エゴでしかないけど、僕らの仕事ってそういう細かいところに、どれだけこだわりを詰められるかみたいなところがあるから。そういう意味では、今回はやり甲斐のあるレコーディングが多かったですね。
ーー今のお話を思い出しながら、改めて、「生まれてよかったと思うこと」を聴き直してみます。
普通のディレイに比べたら、音の広がりもちょっと不自然なんですよ。
「Deu(PEOPLE 1)さん以外、あり得なかった」
本来の意味に近づけることができた「Caffeine Remix feat.Deu」
『Caffeine Remix feat.Deu』
ーー「生まれてよかったと思うこと」の後にボーナストラック的に秋山さんの代表曲の1つである「Caffeine」のリミックスバージョンが入っていて、PEOPLE 1のDeuさんがボーカルで参加していますが、これは今年4月に開催した東名阪Zepp対バンツアー『秋山黄色 presents BUG SESSION』の成果というか、『BUG SESSION』での対バンがあったからこその共演なんですよね?
そこで仲良くなったのは事実なんですけど……。いったんサウンドは置いておいて、僕、作詞面で同業者に対して、うわってなることってあまりなくて。やっぱり僕も相当、あの手この手を使って、歌詞を書いてますから、ちょっとやそっとじゃ人の作品に感動することってないんですよ。その中でPEOPLE 1のDeuさんの歌詞は微かに近い匂いがして、昔からお話できないかなとちょっと思っていて。それが『BUG SESSION』でPEOPLE 1と対バンして、決定的になった気がしたんです。ちょうど誰かと一緒にやるのもいいねって話があって、それで一緒にやるならDeuさんがいいなと。というか、Deuさん以外はあり得なかった。
ーーそこで「Caffeine」を選曲したのは、どんな理由からだったんですか?
「Caffeine」が完成したのは、18歳ぐらいの時だったんですけど、僕の中ではかなりピュアな自分の心に近づけて、歌詞を書けた曲なんです。
ーー孤独に対峙した冷徹な言葉が聴いている人間の胸を抉りますよね。
昔、書いた歌詞って稚拙なものが多かったんですけど、「Caffeine」は世界だとか、死だとかっていうことに対する不安感が今聴いても、よく書けている。当時、僕は今よりもオープンじゃなかったから。
ーーオープンじゃなかったというのは?
日本って、死生観について話すことがあまりよろしくないという雰囲気があって、「死」という伏字にするじゃないですか。ここ最近はそれが顕著になってきて、ひたすらそういったものを隠匿していく、もはや集団の動きみたいなものがあって。僕もなんとなくその危機感を感じていたので、歌詞に直接的に書き起こしていくっていうのが怖かったんです。
ーーなるほど。
万が一、僕が思ってるぐらいの精神状態に、これを聴いた人が陥ってしまったら、音楽どころの騒ぎではないというか、そういう可能性ももしかしたらあるなみたいな危惧が以前はあって。だから「Caffeine」の歌詞を書く時も直接的に、それこそ「人生無意味だ」みたいなことは書かないで、自分の感じた不安感を抽象的に表現して、それで背筋がぞわっとなって、わかる奴に届けばと考えていたんです。けど、それから10年、「Caffeine」はライブでも披露していますから、みんなに聴いてもらってきた中でもっと本来の意味に近づけられないかと。だったら、外的な力を借りるのも1つのやり方なんじゃないかってことで、Deuさんに繋がっていくんですけど、ぼかして書いたなみたいな気持ちがなくなるぐらいまで行きたかったんですよ。
ーー今回のリミックスバージョンは、オリジナルよりも若干テンポを落としていますね。
そうですね。「Caffeine」って極限まで生というか、ドライな質感で作ってるはずなんですけど、今聴くと、速めのテンポで終始4つ打ちなのが作品本来の意味を阻害してる要素になってるような気がするんです。もちろんそこが好きですって人もいると思うんですけど、ノリノリで、サウンドにグルーブがあるから好きになってもらっちゃ本当は困るんですよ。だから、勢いでごまかせないようにテンポを落としました。
ーーそういう発想だったんですね。
ちょっと洒落たリフの中、ハイトーンかつハイスピードで歌う、ある種の伸びる要素がたくさん入ってる曲なんですよね。なんなら再生数も上がるだろう、みたいな作りなんですけど、それをいったんクールダウンさせたかったんです。味が濃すぎると、料理がうまいかどうかの判断を鈍らせるじゃないですか。僕、バカ舌だから、味が濃ければ、何でもうまいので、そういったものをいったん取り除いてみようという意識が僕の中ではありました。このテンポだと、ずっと4つ打ちでもそんなに乗れないし、普通の人がクラブで踊るには遅い感じがするんですよね。でも、もう1回ぐらいやるかもしれないです。
ーーつまり、それぐらい愛着のある曲だ、と。なるほど、ありがとうございます。いろいろ貴重なお話を聞かせていただきました。最後に10月27日(日)から始まる『NON-REM WALK TOUR』の意気込みを聞かせてください。
半ば無理やり元気になっていこうぜ、みたいなライブはいったんやりきったので、今回は自分勝手に「どうなっても知らないよ」というツアーにしたいと思ってます。前は明確にエネルギーを与えていきたい、というような意図があったので、そういった空間演出もしましたけど、今回はやりたいことをやるからお客さんがドン引きする可能性ももちろんあります。僕、いつもこれを言うんですけど、遊園地に行ったみたいな印象で帰ってほしくて。黄色さんがこういうことを言ったから云々じゃなくて、単純に「良かった」「感動した」みたいな気持ちで帰ってもらうことを目標にやってるので。あとは『Good Night Mare』が、より伝わるツアーになればと思います!
『秋山黄色 NON-REM WALK TOUR』
取材・文=山口智男