ReoNa
絶望系アニソンシンガーReoNaが、自身10枚目のシングル「GG」を11月20日にリリースする。エレキギターをかき鳴らし”死ぬ気で遊べ”と叫ぶラウドロックである表題曲と、10分40秒にわたる組曲「私たちの讃歌(ウタ)」、そして原点と進化を感じられる「Mosquito」「By myself」の4曲に込められた思いや、制作の意図、そして今ReoNaが思う自分自身とは?彼女の思いをロングインタビューでお送りする。
――11月20日発売の「GG」はReoNaさんの10枚目のシングルとなります。アニメ『ガンゲイル・オンラインⅡ(以下GGOⅡ)』が10月から放送中なので、結構ユーザーには届いている印象はあります。
アニメで毎週出会っていますし、MVも公開されてますし。
――まず、このGGはグランジ(1989年頃からアメリカで起ったオルタナティヴ・ロックのジャンル)を前面に押し出した1曲となってると思います。楽曲制作の流れはどういうものだったんですか?
最初にまずGGOサイドからお話をいただきました。「6年ぶりにGGOが返ってきます、今回はそれに伴って主題歌をお願いします」って言われまして。まず楽曲制作する前に『ソードアート・オンライン(以下SAO)』、『GGO』の総合プロデューサーさんとお話しする機会をいただいたんですが、そこで「SAOはエモーショナル、GGOは熱さです」っていうお話をいただいて。その言葉を最初の軸として制作がスタートしました。
じゃあ、その熱さって何だろう?って考えた時にたどり着いたのが「グランジ」っていうキーワードだったんです。グランジって言葉の中に含まれる薄汚れたっていう意味合いだったりとか、気だるさやファッション。サウンド面だけじゃなく、理念のところで「グランジとは?」と考えるところから、制作がスタートしました。
――グランジロックってちょうど僕たちが青春時代に生まれたものでしたが、90年代初頭にニルヴァーナ(カート・コバーンを中心として生まれたロックバンド、グランジの先駆者)が衝撃的に登場しましたけど、そのムーブメントの頃はまだ生まれてませんもんね、ReoNaさん。
生まれてないです。私が物心ついたころは、カート・コバーンは20年前くらいに亡くなった人って感じで。伝説を作った人というか、刹那的に生きて若くして亡くなったってイメージがグランジにはありました。
――ReoNaさんの音楽の原体験は「ニコニコ動画」などからというのを前にお伺いしましたが、そういうReoNaさんが聴いたグランジロックの印象ってどういうものなんですか?
初めてニルヴァーナを聴いたタイミングは洋楽を色々聴き漁ってる時期で、ジャンルとかも分からず、それをあんまり意識せずに聴いていたので、数ある歴史を作った名曲のうちの一つという感じでした。改めて私自身がアーティストになって聴いてみると、いまだに風化してない部分があるというか、今聴いてもかっこいい。一つの時代を作ったカリスマ性みたいなものは感じました。とんでもない人たちだったんだな……と。
――「GG」はグランジ、特にニルヴァーナに対するリスペクトが非常に強い曲だなと思っています。曲の中でも言葉遊びがすごいあるじゃないですか。
ふんだんに詰め込まれてます。
――思いっきり「Never mind」って言ってますし(Nevermindはニルヴァーナの2枚目のアルバムタイトル。全世界で3,000万枚以上販売されているプラチナディスクにして代表作)、「Nirvana」とも言ってるし、「叫べGRANGE」ですしね。
そうですね、思いっきり遊んでみました。
――作詞にはruiさんとReoNaさん、ハヤシケイさんが3人でクレジットされています。この辺のワードチョイスは三人で練ったんでしょうか?
歌詞は各々が抱えて作ってくるっていうよりは、いろんなタイミングでそれぞれの手が加わって出来上がった感じがしています。細かいところを最後の最後まで結構詰めて考えました。レコーディングしながらも「ここ変える?」っていいものが思い浮かんだらどんどん組み替えていって出来た楽曲です。
――「Gun Gun行こうぜ」とか入っているのも面白いです。「ドラゴンクエスト5」をやり直しているとも言ってましたしね。
そもそも「GG」っていう言葉自体がグッドゲームという意味のスラング的な挨拶ですし、歌詞はダブルミーニングがふんだんに詰め込まれてます。
――ニルヴァーナと言えば代表曲でもある「スメルス・ライク・ティーン・スピリット」を意識させるような「Hello Hello」の連発から、「halo」と来ます。
「halo」は直訳すると後光とかっていう意味の言葉だったり、FPSゲームの大ヒット作品「HALO」シリーズだったり、パラシュートの自由降下も「HALO」だったり。
――改めて印象的だった部分として、ReoNa楽曲の中でもあまり絶望を全面に描いていない曲のような気がしたんです。勿論「GGO」はハードな世界観なんですけど、そこで「ゴミのように美しく、何度でも死に戻れ」と叫び、最終的に「遊ぼうぜ」で終わるのって、ちょっと新鮮で。
そうかもしれないですね。この楽曲作るときに、グランジってなんだろう? って考えたんですけど、毛蟹さんが「答えが見つかりました、グランジは“叫び”です」って言ってきて。私は「背中も押さない、手も引かない、ただ寄り添う」って言っているんですけど、寄り添い方には、ただ頷くだけじゃなく、代わりに言葉にして叫ぶというのも方法の一つだと思ったんです。だから「GG」は最初から最後まで叫ぶ曲にしようというのは、楽曲づくりの軸足の一個になりました。
――なるほど、叫ぶことも寄り添いになる。
ついてない嫌な日もあるかもしれない。そんなことはわかっちゃいるけど、楽しんだもん勝ちじゃない? という気持ちを叫びたかったんです。絶望系という部分で言えば、軽くしたいわけでも、明るくしたいわけでもなくて。楽曲の勢いや叫びっていうところを大切にしながら描いたらこうなったという感じです。
――勢いや叫び、という部分で言えば、メンバーもちょっと雰囲気を変えて音色をラウドに持ってきていると思いました。coldrainのSugiさんがギター、KnosisのKosuke Tanoさんがベース、Survive Said The ProphetのShowさんがドラム、強烈なメンバーが揃いました。新鮮味はありましたか?
もちろんありました。編曲の時点からSugiさんに入っていただいて。ReoNaがラウドロックをやるときに、普段からやってる人たちと音を紡いだからこそ、本物ではないかもしれないけど、みんなで真剣に楽曲に正面から向き合えたと思います。
――今回はご自身も神崎エルザから譲り受けたギターをかき鳴らしています。ライブでも披露されてましたが、弾くことに対してのコンプレックスはなくなりましたか?
ここまで見せるギターとしてエレキを弾くことは今回初めてだったので、曲から一つ挑戦をもらった感じがあるんです。弾き方一つとっても、アコースティックとエレキはぜんぜん違うし。新しいことに対する迷いだったりとか苦悩はもちろんあります。
――やはりそういう部分はあるんですね。
でもある種の開き直りかもしれないんですけど、エルザからもらったギターと「GG」という楽曲と一緒に、ライブでどんどん自分を育てて、本当に“死ぬ気で遊べる”曲になったらいいなって思っています。
――MVではラウドロック畑のメンバーの真ん中に立って、違和感なくカッコよかったのは正直想像以上でした。
本当ですか、休憩時間に頭の振り方とか教わったんです。やっぱりラウドロックの人たちは凄くて。テイク重ねて見返すとSugiさんめちゃくちゃ暴れてて、「かっこいい!」って思いました。現場には学生さんたちも70人ぐらいギターを持って参加してくれたので、一人一人が熱量を上げていく現場だったと思います。
――学生さんたちも凄かったですね。
ReoNaの楽曲MVではあるんですけど、一人一人に自分が主役として暴れて欲しかったんです。学生さんのソロカットとかも、本当に好きなこと言っていいよってディレクションで。テストの点数とか、好きな子の名前でも、本当に自分の見せ場だと思って叫んでくださいって言ったんです。そうしたら学生の子たち凄くいい顔で、思いっきり叫んで大暴れしてくれて。誰がやっていようが、どんな経歴だろうが、思いがあるものってやっぱりいいなって思いました。
――ライブでもシャドウダンサーズと称した学生さんとコラボしています。ご自身より若い人たちと作品作りすることで、自分の刺激になったりすることがあったりするんでしょうか?
あります。なんでそうやって思わせてくれるかって、やっぱりみんなが真剣だから。仕方なく参加してる人なんていなくて、ちゃんと爪痕を残しに来てくれてる子たちなんです。休憩時間もずっと踊ったり弾いたりしているし、そういう子たちだからこそ、その思いを背負って歌わないとってすごく刺激されましたし、巡り巡って、また別のところでお仕事できたら嬉しいと思えます。
――ちゃんとそこにいる意味を感じてくれているのは嬉しいですね。
私もデビュー当初は『サイサイフェス2018』でオープニングアクトをやらせてもらったり、先輩アーティストさんから機会をいただいてきたので。私も誰かの忘れられない1日に、誇りに思ってもらえる作品になったらいいなって毎回思います。
――もう一つお伺いしたいのは、この「GG」のラウド感が加わることで、ReoNaのお歌の世界、ライブというのは変わってくるような印象はありますか?
変わっていくんだと思います。これまでも毎回毎曲変えられてきたし、増やされてきたし、重ねられてきたので。私は自分の思いを代わりに言葉にしてくれる音楽にも救われてきたので、自分もそういう音楽を作る身でありたいって思います。
――確かにそうですね。
今はいろんな方向に自分の可能性を伸ばさせてもらっていると思っていて。絶望系のバラード、アコースティックの楽曲、10分超える組曲、ポップネスに踊る楽曲……その一つとして「GG」が増えたという感覚はあります。
――YouTubeのコメントを見ると、Cメロ終わりの「Yeah」の出し方が話題になってたりするのも面白かったですね。
普段は出したことのない声というか。あそこは最初ruiさんのデモでは結構アッパーな「Yeah」が入ってたんです。私も挑戦したんですけど、なんか全然かっこよくなくて。それで「ReoNaの好きなYeahでいいんじゃない?」となって、入れたのがあれなんです。本当にナチュラルに出したものが採用されています。
――ああいう気だるさみたいなものって今まで出してなかったからこそ、刺さった感じはありましたね。楽曲のエッセンスとして素晴らしいと思います。
自分的には意外でした。そこまで注目されるところだと思ってなかったから、すごい細かいディテールまで聴いてくれてるんだなっていうのは嬉しいし、びっくりさせられたなら良かったです。
■「私たちの讃歌」と「Till the End」は曲を通して伝えたい思いが違う
――では、「私たちの讃歌」のお話をお伺いします。10分40秒にもわたる組曲となっています。プログレというよりは組曲というべきか。この楽曲はなぜこの形に?
まず『ソードアート・オンライン フラクチュアード デイドリーム(以下SAOFD)』というゲームが出ますってお話をいただいて、その時点でゲームの構想はもう決まっていたんです。SAOのゲーム10周年を記念して、敵も味方も関係なく主要キャラクターを操作して、レイドボスを倒すゲームですと打ち合わせでお聞きして。帰りに「SAOがみんなが集まるゲームになるんだったら、ReoNaもみんなのことを集めないと」って話になって。
実際一緒にSAOに関わったクリエイターの皆さんにお声掛けしたら、皆さん心よく集まって頂けて。最初は長さも決めてなかったんですけど、全部の思いやメロディを拾っていったらこうなりました。
――SAOに対する想いが凄いですよね……SAOゲーム総合プロデューサーの二見(鷹介)さんも最初「とんでもないものが来てしまった」って思ったとおっしゃってました。
実際に二見さんから「とんでもないラブレターいただいてしまったんで、少々お時間ください」ってご連絡いただきました。でもゲーム制作チームの皆さんも、その熱量に対して思いをぶつけてくださったので、そこで生まれたり変わったりした歌詞もあって。
――具体的にどういうものなのか教えていただくことは可能ですか?
一つあげるんだとすると、サビの「旅立つものよ、見送るものよ」のところ。最初は「生きるものよ、死にゆくものよ」という感じだったんです。でも肉体っていうものを持たない、アンダーワールドの住人たちに「生きる、死ぬ」という肉体を必要とする言葉は彼らが可哀想だ、生き死にっていう言葉は使わずにそういうものを表現したいんですっていう言葉を頂きました。
――それは大分印象が変わりますね。
あとはSAOの全てというか、アインクラット編からアリシゼーションに至るまでの歴史をなぞるような楽曲にしたいっていう思いも詰まっているので、各セクション各パートに対して、それぞれどんなイメージを抱いているかというのをすり合わせる会議も別で開きました。何秒から何秒まではアインクラッド、ここからここまでアルヴヘイム、ここからガンゲイルに入って、ここはアリシゼーション……というすり合わせをして。
――SAOそのものを表すような作品だと思うのですが、ここで聞きたいなと思っていることがありまして。
はい。
――ReoNaさんにはもう一つ、SAOに対する強い思いの曲、「Till the End」という曲があります。この曲はSAO原作10周年を記念した楽曲ですが、SAO・サーガというものに対する思いの強さは「私たちの讃歌」と同じくらいの深さを持っている曲で、ある意味ライブでも簡単に歌えないというか、必殺技的ポジションじゃないですか。
そのつもりで作ってます。
――ある意味「SAO」を体現しているこの二曲、ご自身の中で区別というか、棲み分けはあるのでしょうか?
あります。まず「Till the End」はSAO原作刊行10周年ということで、ReoNaとして初めてアリシゼーション編以外も含めたSAOっていう世界を全部表してもいい機会をいただいた曲なんです。1ファンとして受け取ってたアインクラット編から始まって、この10周年の歴史っていうところに触れられる。作編曲の毛蟹さんもSAOが大好きで、ずっと関わりたいって言い続けてきた作品だったからこそ……本当にイメージだけの話になっちゃうんですけど、私の中ではこう……SAO10周年に「捧げる歌」なんです。
――捧げるですか。
はい、一つの節目を迎えたけど、願わくばいつまでも続いていってほしい。この物語に終わりが来てほしくない。いつまでも寄り添い続けたいっていう願いがこもっているんです。その思いを込めた言葉として「それでも生きていけ」と歌わせてもらっています。そう言う思いが詰まった楽曲が「Till the End」で、
――では、「私たちの讃歌」は?
「私たちの讃歌」はもうタイトルの通りで、SAOに向かって仰ぎ捧げるというよりは、いろんな矢印があってほしいという思いを込めた楽曲なんです。
ReoNaから作品に対するありがとう。
クリエイターから作品に対するありがとう。
ReoNaからクリエイターに対するありがとう。
ReoNaからユーザーに対するありがとう。
作品からユーザーに対するありがとう。
物語に対するありがとう。
キャラクターに対するありがとう。
キリトからアスナに対して、アスナからキリトに対して、キリトと出会った全ての人……もう言い出したらキリがないぐらい無限の思いの矢印があると思うんです。
――気持ちは一方通行だけではない。
はい。SAOっていう作品の歴史の中で、その全てに“ありがとう”が言える楽曲にしたかったんです。この2曲は『ReoNa ONE-MAN Concert “Birth 2024″』でも一つにして組曲みたいな聴かせ方をしたんですけど、私の中では結構明確に分かれてる2曲です。曲に対する印象と、曲を通して伝えたい思いが全然違うというか。
――『”Birth 2024″』では最後二曲を綺麗に繋げてましたもんね。
はい。「Till the End」のアウトロと「私たちの讃歌」イントロはキーは違うんですけど、フレーズは一緒なので。あれは私もやりたかったし、多分毛蟹さんもこうしてほしかっただろうなって思っています。
――本当に軽く歌えない曲ですね、この2つは。
軽く歌えないです。それはなんか物理的にもそう思います。本当に“私たち”がいないとできないんです。“私”だけの曲じゃない。
■「Mosquito」は朝、目覚めた時の絶望のイメージ
――そして期間限定盤と初回、通常盤に入る曲が違います。まずは期間限定盤の「Mosquito」についてお伺いします。ハヤシケイさん作詞作曲編曲ですが、ギターのクリアトーンで弾かれるアルペジオから始まるポップスです、Aメロ、Bメロは低いキーでローの歌声の魅力を感じたあと、サビでハイトーンに来る感じが中毒性が高いと思っています。
「Mosquito」は原点の一つでもあるお歌の形だなって思っていて。デビュー曲の「SWEET HURT」も作詞作曲ハヤシケイさんですけど、あったかいメロディーに、優しい柔らかい歌声で、痛々しい歌詞を歌う。そのコントラストでより歌詞の中の毒々しい、痛々しい部分がより浮き彫りになる。あれがReoNaの原点だなと思っているんです。辛いことを苦しい声で歌うんじゃなくて、あえて優しさで包むというか。「Mosquito」もそう言う曲だと思っています。
――確かに「SWEET HURT」の系譜って言われたら凄い納得できますね。
そうですね、「Lotus」とか「ミミック」とかもそういう曲だと思っていて。ハヤシケイさんのすごく人間らしい部分を、人以外の何かや物語に置き換えて、文学的に情緒を持って描く方法っていう手法。そこにまた一曲増えた感じです。
――もう一つ印象的だったのは、歌っているReoNaさんが目の前にいるように感じたんです。
それははじめて言われた意見かも。
――例えば「オムライス」「Someday」とかって、どちらかというとポエトリーリーディングのように淡々と紡いでいく中にメロディが重なっていって、僕らはおこっている物事を第三者視点で見るような感覚で追体験していくような印象があって。
はい、読み聞かせみたいな形というか。
――でもこの「Mosquito」は目の前でReoNaさんが歌ってくれているような質感があるというか。傘村トータさんとハヤシケイさんという、作家によって同じ絶望を描いても、ReoNaさんが発する質感が違うのを再実感できたんです。
曲から感じるイメージの情報ってありますよね。例えば時間帯。この曲朝昼晩どの瞬間だろうとか。「Someday」って一人ぼっちの始発電車の朝焼けだよなとか、「生きてるだけでえらいよ」は放課後だよなとか。
――「Mosquito」だと何時くらいですか?
私はこの曲で描かれているような感覚は、朝の絶望だなって思っています。人の中にいる孤独と一人きりの時の孤独って種類が違うなぁって思っていて、「Mosquito」で描かれている絶望は寝起きで感じるようなもので。朝って希望に満ち溢れたものとして描かれがちだけど、朝に絶望していることこそ一番の絶望じゃないですか。
――それはそうかもしれないですね……。
深夜一人で膝抱える絶望もあれば、朝目が覚めて1日が始まった瞬間に落ちてくる絶望もある。そう言う曲だと思っています。だから描かれている場所も自分の部屋の、ベッドの上ですね。
――そういう解釈を広げられるのも、アーティストとしての幅が広がってきたからこそという感じがしますね。
そうだと嬉しいです。
■ちゃんと悲しんで、怒らないといけない時がある。
――では初回、通常盤に入る「By myself」です。まず表記に、「All Instruments by ReoNa」ということですが。
そうです。全部私が弾いています。エレキギターとアコ―スティックギターを両方自分で弾きました。
――そして作詞も
全部私です。
――シンガーソングライターになってしまいましたね…(笑)。作曲はruiさんですが、どんな思いが込められているのでしょうか。
最初に曲作りでやったのは、10代の時の日記とか、こえにっきにしようと思ってならなかったものたちとかを持ってくることでした。だからこれはかつてなくむき出しで、かつてなく自分のことで、かつてなくパーソナルな言葉が書き留められている感じです。
――印象的な歌詞としては二番の「具体的なビジョンとかない 自分のことで精一杯」という部分でした。
自分のことで精一杯な時ってそうなっちゃうじゃないですか。余裕があればもっと人のことも考えられるし、もっと未来のことも考えられるし、何か今自分ができている自負があったり、成功体験をした後って、すごい視界が晴れるというか、RPGで言ったらレベルアップした瞬間みたいな感覚があると思うんです。
――抱えていたものが終わって肩の荷が下りるとか、確かにありますね。
でもまだ経験値足りてなくて、あと少しで次のレベルいけるのに……みたいな時って、すごく余裕がなくなっちゃうんです。目先のことで精一杯になって、自分の気持ちとか相手のことを考える時間が少なくなっちゃう瞬間ないですか? 辛い時に人のことを気にできる人、すごいと思うんです。
――ReoNaさんは以前、自分はキャパシティ狭いっておっしゃっていた気がしますが、シンガーとして活動を続ける中でそれは広くなったんでしょうか?
さすがに10代のころと比べたら増えました。キャパシティにも色々種類があると思っていて、私は自分が被害を被ることに対するキャパシティは凄く広いと思っていて。
――それは具体的には?
私だけが我慢したり、私が忘れれば済むことに対する怒りや悲しみのなさというか。今考えればその歪みとか我慢がいろんな心の膿を生んでたんだと思うんですけど……何か自分の中で諦めたタイミングがあったんでしょうね。抗っても解決されない経験を積みすぎると、人間は抵抗することをやめちゃうタイミングがあるんだなっていうのを、いじめられてきた時期とかを経て痛感したんです。どうせなにも変わらない、自分だけが我慢すれば家の中は平和、みたいな。
――辛い話ですけど、諦めという名の達観みたいなものは社会に出ても感じるときはありますね……。
でも、それじゃあいけないんだなって。周りで支えてくれている人のためにも、自分にされた不都合に怒らなきゃいけない。決して自分のためだけじゃなく、諦めのキャパシティを広げちゃいけないんだっていうのは、大人になって気づいたことだと思っています。
――確かに、もう独りじゃありませんしね。
ちゃんと悲しまないといけない時がある。ちゃんと怒らないといけない時がある。それは決して誰かを無条件に傷つける行為でも、貶める行為でもない。人からされたことに対して怒る、悲しむっていうのが絶対悪だと思い込んでた時期があったんで、そうじゃないんだよっていうのは最近思えるようになりました。
――そう言う意味でもこの「By myself」は現在進行系のReoNaという一人の女性のむき出しが叩きつけられてる感じはあります。
そうですね、叩きつけてます。
――メロディーは流石ruiさんというか、洋楽的なテイストがたっぷり含まれているので、ReoNaさんがライフワーク的に続けている洋楽カバーを思い出すような感じもあります。原点回帰感もありつつ、ちゃんと進化している部分も感じる。
自分で歌詞が書けるようになって、演奏もして。でもやってることや言いたいことは変わってないと思っています。もちろん進化はしていきたいし、成長はしていきたいけど。
――最新のReoNaさんの写真がジャケットになっている初回・通常盤に「By myself」が入っているのも面白いですね。まさに最新のReoNaがパッケージされている。
最新かつ原点かもしれないです。実際私自身10代の時の言葉も入っていますし。
――それはどの辺でしょうか。
「いつ死んでもいいやってくらいの思い出が欲しかった」っていうのは10代の時の言葉です。
――そんな思い出はできましたか?
うーん……思い出は増えましたけど、まだ死ねないです。今の私には責任もあると思っているので。誰ともかかわらずに無為に過ごしていたら、ひょっとしたらもう死んでいたかもしれない。その可能性は正直あったと思いますね。
――今はReoNaさんがいなくなったら悲しむ人がいっぱいいますしね。
でもネガティブな意味じゃなく、いつ死んでもいいってくらいの思い出が欲しいとは思います。この思いを持ってること自体は、悪いことじゃないって思っているので。
――改めて今回の10枚目のシングルは強い曲たちを持ってきたと思います。ここから面白いことやろうっていう企みも感じるし、でも根っこは忘れてない感覚もある。
どこを守っていて、どこを変えていくかってきっと一生のテーマですよね。そこに対して挑戦していく姿勢は、チームとして考え続けてくれてると思っています。
――またこれを踏まえて、神崎エルザ starring ReoNaとしての2ndミニアルバム『ELZA2』、そして来年には『ReoNa ONE-MAN Live Tour 2025 “SQUAD JAM”』の実施も控えています。
凄く楽しみです。久しぶりのオールスタンディングツアーで、全国のZEPPを回らせていただけることもそうだし、この“SQUAD JAM”というタイトルで回らせていただく意味みたいなものも、ぜひ楽しみにしていてもらいたいです。
――まずはそれまでは「GG」たっぷり聴いてもらいたいですね。
アニメ『GGOⅡ』と、そしてゲーム『SAOFD』と合わせて、カップリングも愛を込めて、思いを詰め込んで作っているので、ぜひ受け継っていただきたいです。
インタビュー・文=加東岳史