「今日2月28日は、全ての惑星が一直線上に並ぶ“惑星直列”の起きる、天文学的にめずらしい日なんです」
“Human Universe” 全国ツアーの最終日、サントリーホール満席の聴衆に向けて角野隼斗がそう教えてくれる。
「前回の惑星直列は1982年なので、40年以上前のこと。そのとき、次の惑星直列のときにはHuman Universeをやろうと思っていたので、40年越しに実現しました。……僕は今年30になるんですが」
角野は声のトーンを一つも変えないままそんなふうに話すので、聴衆はいちはやくジョークに気づくためにしっかり耳を傾けていないといけない。
それはある意味で彼の演奏にも言えることだ。もちろん、華やかで起伏に富んだ明快な魅力もあるのだが、細やかに練り込まれた遊びやメタファーを全部受け取るには、集中して聴く必要がある。
幼少期から自然や科学の仕組み、その構造的な美しさに魅了されてきたという角野。『Human Universe』は、昨年リリースされたばかりの世界デビュー・アルバムのタイトルでもあり、「遠くではなく近く、人間の中の小宇宙を見つめる」という意味が込められているという。
リサイタルはそのコンセプトのもと、テーマごとに3作品がリストに並び、それらを即興でつなぎながらランダムに演奏していくという趣向だった。ステージは角野の公演ではおなじみのセッティングで、グランドピアノ、アップライトピアノ、シンセサイザーがコの字型に置かれている。そこに、地球、太陽、月を意味する球体が用意され、どれが光っているかで今演奏している曲がわかるというシステム。
ステージに現れた角野は、グランドピアノで「Introduction」とバッハの「半音階的幻想曲とフーガ」を演奏。現代のピアノとコンサートホールの響きを駆使するバッハで聴衆の耳をクリアにする。
一つめのテーマ「A Call Beyond」では、バッハのコラール前奏曲「 主イエス・キリストよ、我汝によばわる」、坂本龍一「solari」、ハンス・ジマー「Day One」の3曲、そして自作の「胎動」を演奏。アップライトピアノからはピアノとは思えない未知の音色を鳴らし、シンセサイザーではオルガン風の音を効果的に響かせて、“間口”も“奥行き”もあるサウンドを重ねる。
二つめのテーマ「Celestes」では、ドビュッシー、メシアン、フォーレに加えて、アルバムのタイトルにもなっている楽曲「Human Universe」が披露された。徐々に熱を帯び、人は最後天にのぼるのか、それとも土に帰るのか……。
偉大な作曲家たちの作品の音楽のエネルギーと自作のエネルギーを連携させるように構成された前半は、静寂とともに閉じられた。
休憩後、三つめのテーマ「Three Nocturnes」で演奏されたのは、角野が世界を旅する中で見た夜から着想を得て書いた3つのノクターン。それぞれで全く異なる空を描きあげ、旅先で過ごす夜がいかに彼のイマジネーションの扉を開いているのかを感じさせる。
ここからはクラシック作品が続く。角野が宇宙を感じるというスクリャービンから、ピアノ・ソナタ第5番。ミステリアスなところのある作曲家の世界を解剖するようで、ドラマティックだがどこか爽やかな印象だ。
スクリャービンのモチーフを使った即興を挟んで続けられた、ラヴェル「亡き王女のパヴァーヌ」は、懐かしい音色が生きた、彼ならではの表現。
そして続けられたストラヴィンスキー「火の鳥」は、複数の楽器を駆使して、音で大きく羽を広げるようだった。“音楽はもっと自由で良い”といわんばかりの、熱を帯びた演奏だった。
アンコール1曲目は、炎を鎮めるようなバッハ「主よ、人の望みの喜びよ」。その後、「Human Universe」という楽曲は、尊敬してやまないとあるミュージシャンのイニシャル「H・U」から生まれたという話に続き、この日、客席にいたその憧れのピアニスト、上原ひろみを紹介。
すると角野が「いっぱい鍵盤があるので、どうですか?」とステージ上から声をかけ、二人による「The Tom and Jerry Show」のセッションが始まるという嬉しいサプライズ!
二人はグランドピアノでの4手にはじまり、アップライトで相の手をいれたり、上原が先の「主よ、人の望みの喜びよ」を一瞬蘇らせたりという、遊び心満載のやりとりを展開。お互いの音楽に振り落とされないように、しっかり掴まって楽しげに駆け回るようなエキサイティングな音楽に、客席は総立ちとなって、コンサートはフィナーレを迎えた。
なお、サントリーホール公演の模様は、2025年3月29日(土)NHK BSP4K、4月6日(日)NHK Eテレにて放送予定だ(編集註:放送は最終日の公演ではありません)。
取材・文=高坂はる香 撮影=Ryuya Amao
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