ポップしなないで 撮影=ハヤシマコ
<ママが作ってくれたお馴染みの料理 エビシュリンプバーガー エビの間にエビが挟まってエビの味しかしないんだ>。少し想像するだけで「どんな料理なんだ?」「そりゃエビの味しかしないでしょう」とツッコミを入れたくなってしまう1曲「エビシュリンプバーガー」で、ポップしなないでが3月19日(水)にドロップしたメジャー3rd フルアルバム『Electric』は幕を下ろす。一見すると不思議な手触りに思えてしまうこの作品の各所には、ネオン街をトボトボと歩いていた主人公が腕の中にあった大切なものを自覚していく「エレクトリック修羅」や<今夜は ツギハギだらけの服を着て 崩れたステップで蘇る>と不格好でも音楽に身を任せて踊り尽くそうとする「my tempo」を筆頭に、音楽やバンドに対する深い愛情と、踊りや手を繋ぐといった肉体的な行為を通じて他者とダイレクトに繋がろうとする姿勢が散りばめられている。その態度を踏まえた上で「エビシュリンプバーガー」の再生ボタンを押せば、温かな食卓からママの温もりが漂ってくると同時に、ポップしなないでがリスナーに提供するほのかな優しさが伺い知れるであろう。不条理な現実から背を向けるのではなく、ディストピアをデコレーションすることで、共に困難と対峙しようとし始めたポップしなないで。ツアータイトルにも冠された「ビビっちゃってんじゃないの?」の問いかけに託された、この世界を生き抜く覚悟を2人に聞いた。
ポップしなないで
困難と真っ向から対峙する覚悟の発露。3rd フルアルバム『Electric』
――3月19日(水)にメジャー3rd フルアルバム『Electric』がリリースされました。カオスな世界で音楽を響かせる姿を記した「my tempo」や「愛とべいべー」、虚構にまみれた世の中を颯爽と駆け抜ける「スチーム・スチーム・アドレナリンジャンキーズ」をはじめ、メジャー1st フルアルバム『戦略的生存』から特に追求してきた「何のために音楽を生み出すのか」という問いに対して、1つの答えを煮詰めるアルバムだと受け止めています。改めて『Electric』を振り返って、どのような1枚になったと感じていらっしゃいますか。
かわむら(Dr):おっしゃっていただいた通り、『戦略的生存』から今回の『Electric』に至るまでの過程は「今回はこれをやってみよう」「次はあれをやってみよう」と考えていたというよりも、地続きのものとして自分たちにできることや与えられる影響をアップデートしてきた感覚なんです。だから、これまでは意識できていなかったことが今作で新たに達成できるようになって。これまで以上に、やりたいことを後悔なく音楽に落とし込めた気がしています。
ーー今作でスポットを当てようと思っていたのは、具体的にどのような側面だったのでしょう。
かわむら:メッセージ性といいますか、歌詞の部分ですかね。これまでの我々の音楽や歌詞は「何かに直面しても考え方はいろいろあるよ」という内容が多かったと思うんですけども、今回は逃げる方向に進むのではなくて、見たくないものも直視する、見ないふりはしない姿勢を強く打ち出したんですよ。
――これまで逃走を1つの正解にする音楽を鳴らしてきた中で、今回は困難と真っ向から対峙する様子を描くことにしたわけで。この変化の背景には何があったんですか。
かわむら:今まではおこがましくも聴いてくれる方の心の支えや助けになりたいと思っていたんですけど、活動を続けるにつれて「僕らの音楽を聴いている人はそこまで弱くないな」と感じるようになったんです。むしろ、こちらが支えられているくらいで。一緒の時代を過ごす、なおかつ自分たちの発信する音楽を好きでいてくれる人は、ギブとテイクの関係じゃなくて、同時代を生きる仲間だと思うんですよ。その意識がライブや活動を通じてどんどんと強くなってきたからこそ、リスナーの皆さんを信頼して「一緒に困難に向き合おうや」というモードになったんじゃないかな。
かめがいあやこ(Vo,Key):私はむしろ、かわむらくんとは逆のルートを辿ってきたのかもしれなくて。もともと誰かを救えるとも思っていなかったから、人のために何かを生み出したいと深く考えていたわけじゃなかったんです。でも、「救われました」「この曲に背中を押されました」と言ってもらうことで、自身を救うためにやってきた音楽が誰かを救えるんだと気づいた。我々の音楽が誰かの心を揺らしたり、救いになったりすることもあれば、自分の助けにもなるんだと分かった。「心の支えになりたい」と思っていたかわむらくんと「自分を救いたい」と考えていた私ではスタート地点は違うかもしれないけれど、今至っている場所は結果的に同じなのかもなと。
――性格的な部分や音楽に対する態度だけではなく、言葉を生み出す人と実際に発する人という役割の違いも影響しているように思いました。かめがいさんは本作を振り返って、どのような手ごたえを感じていらっしゃいます?
かめがい:正直なところ、アルバムの全体像に関してはかわむらくんの方が私よりも深く考えてくれているとは思うんですけど、その分、私は自分のこと、特に歌へフォーカスしていて。これまでは心のままにやりたい放題やって「もう少し整えないと」と思ったり、「ここは聴きにくいからこうやって改善しよう」と反省したり、客観視を大事にしてきたんですよね。で、その視点を外してみようと思ったのが前作のアルバム『DOKI』だったんです。そのタイミングで感情的な部分でも新しい自分を確立できたからこそ、もっと色んなものを取っ払ってみようと思った。やってこなかった表現に挑戦したり、聴いたものを取り入れたりと、自分の内からだけではない外からインプットしたものも表現できるようになったと感じていますね。
ーー『DOKI』で客観視の視点を外したとのことですが、そのタイミングで主観的、感情的にのめり込んで歌うようになっていったのでしょうか。
かめがい:前提として歌は絶対的にハートだと思っているんですけど、その上で『戦略的生存』では自分の歌声をサウンドの1つと捉えてデザインしていましたし、その後も歌い方を戦略的に考えていたんです。そこから自分の心に従った表現を大事にしようとした作品が『DOKI』で。今回はそこでやってきたことを続けつつ、さらにもう一段階、外部の刺激に対して素直になることで、モノマネではない自分の表現ができると思えたという。
――かわむらさんがリスナーの方をより信頼できるようになったことと、かめがいさんが外部からの影響を真っ直ぐに取り入れられるようになったことは連動している気がしましたね。ポップしなないでの基盤が固まっているからこその糊代が生まれ始めているというか。
かめがい:そうかもしれないです。あまりに未熟な時に「これが格好良いからこんな感じのことをやりたい」だと、他人の剣で戦っているのと変わらないと思うんですよ。でも今は、「私の歌はこれだ」っていういつでも戻ってこれる家があるから。冒険に出かけて新しいアイテムをゲットしても、自分のものとして使いこなせると考えたんです。人の表現を借りるんじゃなくて、「素敵だな」と思った表現が自然と自分の中に流れていく。今回は無意識のうちに、そういったやり方になっていた気がします。
高い純度の言葉で自他の多面性を描く1曲「エレクトリック修羅」
ポップしなないで
――先行配信された「エレクトリック修羅」は<さっき飲んでたレモンサワーの グラスを投げつける夢を見る>と冒頭で鬱屈とした感情を表しながらも、<でも時々は笑えるし 大切な人も出来たんだ>と手の中にあるポジティブなものをきちんと見つけていく構成になっていて。おっしゃっていただいた通り、現実逃避をせず、困難へぶつかっていく様子を描いた1曲だと感じていますが、この楽曲はどのような思いから生まれたのでしょう。
かわむら:SNSを眺めると、どんな生活を送っているか分からない人がいるじゃないですか。でも、当然のことながらその人にもリアルな暮らしがあって。そこを想像することが、凄く大事だと思うんです。自分の価値基準で「この人は良い人」「この人は合わない人」と判断を下しても良いけれど、顔の見えないSNSの投稿の奥に人間がいることを忘れちゃいけない。そういう人の二面性を踏まえた上で、「エレクトリック修羅」は自分の存在の歌だと思うんですよ。
――ええ。
かわむら:相手にも沢山の側面があるように、自分の存在も無力だったり、反対に上手く物事が進んだりと色んな要素があって。そんな中、我々は結局自分自身として生きていかなければならない。相手に対しての想像力と自分の認識の仕方、そして自己存在を、音楽を通すことで見つめ直せるのでは、みたいな1曲だと思っています。
――幾度も登場する<エレクトリック修羅修羅>のワードは、「しゅ」というどこか爽快感のある音だったり、カタカナと重厚感のある漢字が結ばれる表記だったり、インパクトのあるフレーズだと感じているのですが、このワードはどういったキッカケから浮かんできたのでしょう。
かわむら:正直思いついた理由は分からないんですけど、最近は頭から出てきた言葉を計算で大きくいじらないようにしていて。もちろん、ある程度は整えますし、リズムやサウンドと組み合わせる必要はあるものの、頭の中の言葉を高い鮮度で出したいんですよね。
――言葉の鮮度、言い換えればアイデアの種を加工したくないと思っていらっしゃるのは、なぜなんです?
かわむら:調整するほどに嘘くさくなってしまうからです。ポップスというパッケージングの必要な音楽にポップしなないでは取り組んでいるからこそ、ピュアな部分がないと自分たちも面白くない。人間の頭の中は絶対にごちゃごちゃしているし、綺麗なものではないので、計算しないというか、そのままを表現しているんだろうなと。
――「あかるい秘密結社」や「知らんが。」では陰謀論や嘘といったワードが散りばめられていて、そこからもかわむらさんの虚構や作り物に対する意識が読みとれる気がします。
かわむら:あー……、確かにそうかもしれないです。もちろん、見事だと思う嘘や言葉もありますけど、強い言葉を使ってしまえば品のないことをしたくないから。
――というと?
かわむら:「これだったらバカでも分かるでしょう」みたいに、消費者を見下しているものが好みではないというか。嚙み砕きすぎてしまっているものに対して、ワクワクできないのかもしれないな。
「音楽、めっちゃおもろい」という気持ちが出ちゃってます(かわむら)
ポップしなないで
――本作には<あの頃アンプに刺した ジャックが今も胸から抜けません>と歌う「エレクトリック修羅」を筆頭に、<止まらないでいて 理解不能のビート>と綴られた「my tempo」や<ばら撒いたメロディが 此処で生きる意味そのものだなんて やっと気付いたんです>と書かれた「愛とべいべー」など、音楽に対するラブソングが詰まっている印象があります。表題の『Electric』もどことなくエレキギターやベースを想起させますが、なぜこうした音楽に対する讃美歌を生み出すことができたのでしょう。
かわむら:バンドを始めた当時は、音楽を用いてというと語弊がありますけど、少なからず音楽を通すことによって何かを届ける意識があったと思うんです。実際、そういう作品を生み出していましたし。もちろん、音楽をある種の手段として伝えたいことを伝えていく面白さはあるにせよ、特にこのアルバムは音楽そのものが目的になる感覚なんですよ。音楽って凄く楽しいよね、みたいな。それはライブや制作、楽曲提供といった活動を積み重ねてきた中で高まってきた思いですし、「音楽、めっちゃおもろい」という気持ちが出ちゃってますね。
――お2人はここまでのディスコグラフィーも含め、「なぜ音楽を鳴らすのか」という疑問を大事にしてきたわけですけども、その結果、非常にピュアな音楽の楽しさに行き着いたイメージなんですか。
かわむら:そうかもしれないし、「音楽で何かを変えてやろう」といった考えの危うさを自覚できていることも大きいんじゃないかな。音楽そのもので変えられない事実は多いし、そういう不確かなもので自分たちが生活していることを認識していたい。だからこそ、音楽を音楽として楽しもうと思えるというか、自分たちにできることを自覚しながら制作に臨めている気がします。
――先ほどかめがいさんにお話いただいたボーカルの変化もですが、これまで客観視を欠かさなかったからこそ「こんな歌い方を取り入れてみたい」「音楽を音楽として楽しみたい」という欲求に応答できているのだと感じました。かめがいさんは、音楽に対してどのような思いを抱いていますか。
かめがい:どうなんでしょう……。もちろん、音楽は楽しい。楽しいんです。でも、かわむらくんの話を聞きながら、私は自分を許したくて音楽をやっている気がしたんですよね。私は自分のことを「最高!」とは思えなかったけれど、歌っている時やライブでみんなと一緒の時間を過ごしている時は「許されても良いのかな」と思える。その感覚はきっと、少しずつ強くなっていて。「誰かを救うなんてできるはずがない」って気持ちは完全には変わらないかもですが、「全く救えない」とは思わなくても良いのかもしれない。活動を通じて、ちょっとだけ自分に期待したい気持ちが強くなっているかもしれないです。
ポップしなないでの温度感を示すツアー『ビビっちゃってんじゃないの?』
ポップしなないで
――5月10日(土)宮城・仙台enn2ndよりワンマンツアー『ビビっちゃってんじゃないの?』がスタートします。タイトルは「エレクトリック修羅」からの引用ですが、今回のツアーにこの言葉を掲げた理由を聞かせてください。
かわむら:我々がZeppにビビってるからですかね(笑)。
――なかなか赤裸々な理由。
かわむら:真面目な話をすると、「ビビっちゃってんじゃないの?」という問いかけに対して明確に応えられる人っていないと思うんですよ。どの局面でも「もしかしたらビビっているのかも」と考えてしまうだろうし、どんなに自信がある人でも「全くビビっていない」とは答えられないはず。で、逆に「ごめん、ビビっているんだ」と伝えることも難しいじゃないですか。その絶妙な温度感というか、曖昧さが、自分たちのライブに対する考えや活動に対する思考とフィットしたんですよね。だから、この一節は「エレクトリック修羅」の中でも凄く大きいフレーズですし、これしかないなと。
――「ビビっちゃってんじゃないの?」という問いかけが持つ、強引にではなく人を鼓舞する力は、沢山の選択肢を提示した上で「こんなチャレンジはどう?」と声をかけてくれるポップしなないでの音楽と確かに地続きのものだと思います。かわむらさんからもお話があったように、6月13日(金)には東京・Zepp Shinjuku(TOKYO)にてバンド最大キャパシティとなるワンマンライブも控えていますが、改めてどのようなツアーにしたいですか。
かわむら:我々はどのステージでも「これは一生の宝物になるな」と思うことばかりなんですけど、それをみんなと共有したいですし、このツアーに参加したことを宝物のように抱えながら生きていってもらえるライブをしたいですね。やっぱり良いアルバムができたので、騙されたと思ってうかつに足を運んで欲しい。それくらい自信があります。
かめがい:かわむらくんと同じ気持ちでいますし、やっぱり私は歌詞が好きなので、言葉をきちんと伝えたいなと。で、来てくれた人が通電してほしくて。通電は目が合うみたいな感覚だと思うんですよ。自分自身でも周囲の人でも、その場にいない人とでも良いんで、心の目がバチッと合って繋がれる。このアルバムと共にそういうツアーを回れる気がしています。コネクトという感じですね。
ポップしなないで
取材・文=横堀つばさ 撮影=ハヤシマコ
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