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日比谷野音100周年、記念事業開催に向け公式サイトを開設 キャッチコピー発表並びにロゴマークの公募を開始

ビジネス 音楽業界

日比谷野音100周年記念事業実行委員会は、100周年記念事業の開催に向けてあらゆる情報を発信するプラットフォームとなる公式サイトを開設、100周年を象徴するキャッチコピーの発表と、ロゴマークの公募を開始した。

日比谷公園大音楽堂(通称:日比谷野音)は、大正12年(1923年)7月に日本初の本格的な野外音楽堂として開設されて以来、幅広い音楽分野の公演や数多くの舞台・行事などを催してきた。

100周年記念事業の実行委員会は、委員長の亀田誠治をはじめ、音楽アーティスト、プロデューサー、音楽業界団体関係者、演出家などで構成され「アーカイブ事業」や「ライブ・イベント事業」「PR(広報告知)事業」を柱として、これまでの100年を讃え、次の100年につなげるためにアイデアを出し合い準備を進めている。

開設された公式サイトでは、キャッチコピーが発表されているほか、ロゴマークの公募などが紹介されている。

日比谷野音100周年記念事業は、2023年4月〜11月の期間を予定しており、詳細は決定次第順次発表される。

実行委員会メンバーのコメント

⻲⽥ 誠治/委員⻑

日比谷野音が2023年に100周年を迎えます。
2023年の4月のオープニング・セレモニーから、11月のクロージングまで野音という都会の中の野外ステージで、さまざまなコンサートやイベントが行われます。
今までの100年とこれからの100年がクロスする、まさに祝祭の1年になります。
野音はたくさんの伝説が生まれた音楽の聖地。
僕も音楽少年だった頃、さまざまな野音伝説を見聞きするたび「いつかは野音のステージに立ちたい!」と思っていました。
そして、大人になって実際にそのステージに立つと、緑に囲まれ、その向こうにビル街を望むステージには、野音にしかない空気感と音楽の息遣いがありました。
曲が終わるとお客さんの拍手に混じって、鳥の鳴き声や、虫の音が聞こえてきます。
バラードの泣かせどころで、遠くでパトカーのサイレンが鳴り響いていることもあります。
さっきまで⻘空だったのに、急に大雨が降りはじめることもあります。
楽屋では、会話もままならないくらいに熱気のある音がステージから聞こえてきます。
いいことも、わるいこともたくさんあるのに、楽しい記憶しか残らない。それが、野音。
音楽、人、自然、街…野音は何もかもありのままに受け入れる自由な空気に溢れています。
よく「日本武道館は音が天井から降ってくる」と例えられますが、野音は「音が空の向こうに飛んでいく」そんなイメージです。「僕らはどこまででもいけるんだ!」そんな気持ちにさせてくれるステージは野音がワン・アンド・オンリーです。
この度僕⻲⽥誠治は、そんな愛すべき、日比谷野音の100周年記念事業の実行委員⻑という名誉あるお役⽬をいただきました。勝手ながらこれは音楽の神様からの天命だと感じ、心が突き動かされました。そしてこの100周年を最高の祝祭にするために、音楽だけでなくさまざまな分野から、野音を愛する素晴らしい仲間や先輩方を実行委員としてお招きしています。今までの100年とこれからの100年をつなぐこの祝祭を、みんなの音楽愛に溢れる自由な発想と行動力で鮮やかに彩っていきたいと思います。もちろん、ステージに立つ僕らだけでなく、野音で音楽を楽しむオーディエンスの皆さんが揃ってはじめて歴史は刻まれていきます。
野音にある自由な空気を、ここで鳴らされる尊い音楽を、ステージと客席の間に生まれるエネルギーをどんどん高めて、新しい野音伝説を作っていきましょう。さあ、みんなで一緒にお祝いです!

中島 高志/副委員⻑

東京都では日比谷公園再生整備計画を策定し、日比谷公園の更なる賑わいの創出と共に、野音の再整備に向け準備を進めています。
この100周年記念事業を経て、日比谷公園においてもポテンシャルを最大限に発揮できるよう取り組んでまいります。

湯川 れい子/特別顧問

日比谷野音の90周年の時に、半年にわたって記念コンサート開催させて確信したのは、ここ日比谷野音が、ニューヨークならセントラル・パーク、ロンドンならハイドン・パークに匹敵するような、音楽と文化を刻んで来た大切な場所であったという事でした。
今回の100年を機に、さらに新しい世界にその名を残す音楽と文化の発信地になることを、心から楽しみにしています。

井上 芳雄

20年以上、日比谷の劇場で演劇をやらせてもらっていますが、野音とのご縁を頂けたのはつい数年前でした。
初めてそのステージに上がった時の開放感と、そこから空に向かって声を放った時の感動は忘れられません。
この歴史ある音楽の殿堂が、ここ日比谷の街に在ることを改めて誇りに思いました。
そして今回、これから先の野音と劇場の橋渡しの役割を少しでも担わせてもらえるなら、こんなに光栄なことはありません。
輝かしい100年⽬になりますように。

大塚 愛

私が野音で音を鳴らしたのは10回です。
そのどれもがスペシャルでした。
空の色、風の温度、鳥や虫の声、毎回違うそのどれもがスペシャルでした。
ミュージシャンと観客が円になって創る音楽はこの自然溢れるアート空間でより良いものになっていく確信があります。
それがずっと続いていくように、それが1つのartのホームになるように願っています。

菊本 誠二

東京の中心で、大正・昭和・平成、そして令和という各時代の音楽と文化を刻んできた特別な場所「日比谷野音」が100周年を迎えました。
この度、90周年に続き100周年においても実行委員、そして事務局⻑として記念事業に携わることができることに大きな喜びと感謝で一杯です。
今般の100周年記念事業では、歴史を踏まえた幅広いジャンルの「ライブ/イベント事業」や100年の歴史をとりまとめた「アーカイブ事業」など、果たしてきた役割と存在価値を再確認するとともに、新たな音楽文化を生み出す発信拠点として次の100年に向けたスタートにしたいと思っています。

岸谷 香

1人の⺟親として、野音で観た感激を、子供達にもその子供達にも味わってほしい。
1人のミュージシャンとして、野音に立った感激を、次の世代のミュージシャンにもまだその運命に気付いてない未来のミュージシャンにも味わってほしい。
だから私は尽力致します。

KREVA

ライブ中歌いながら見上げたら、空があって鳥が飛んでいて緑があって、でも大きなビルがあって、あぁ東京の真ん中にいるんだなと改めて感じることがありました。ステージ上だけではなく楽屋や裏側にまで鮮明な思い出のある日比谷野音。これまでの感謝の気持ちを胸に、次の100年への良いスタートとなるように、皆様と協力しつつ自分ができる表現でしっかりと貢献していきたいと思います。よろしくお願いします!

佐藤 伸朗

これまで100年の間、東京のセントラルパークの緑に抱かれたこの場所で、音楽が奏でられ、数え切れない人々に感動を届け続けてきました。そして、日本と東京が築いてきた歴史と文化の大事な部分を創り出してきました。そのレガシーの上に新たなページを積み重ねていく営みを、未来に向かってさらに力強く続けていけるよう、これからも関係者の皆様とともに力を尽くしてまいります。

武部 聡志

日比谷の野音。言わずもがな日本のロックの聖地として語り継がれているこの場所に、僕は高校生の頃毎週末通っていた。70年代初頭、野音では毎週のようにロックバンドが何組も出るイベントが開催されていた。ここで見たクリエイションや、成⽑滋&つのだひろ、そして名盤「⿊船」をリリースする前のサディスティック・ミカ・バンド! 衝撃を受けた高校生の僕は、正に音を浴びるような時期を野音と共に過ごした。そしてプロになって初めてステージに立った時に扇型の客席から観客のエネルギーがステージに集まってくるさまに鳥肌が立った。
そんな思い出深い野音が100周年と共にリニューアルする話を聞き、光栄にも100周年事業の実行委員として名前を連ねさせて頂く事になった。
以前の自分がそうだったように、誰かの未来を変えられるような、そして、永遠の記憶に残るようなLIVEがまたこの野音から生まれますように・・微力ながらお手伝いしたいと考えています。

蔦谷好位置

野音は演奏したときも観に行ったときもいつも強烈な想い出が残っていて、大きな力が宿った場所だと感じています。
素晴らしい天気の中で観たライブ、大雨で手元が滑る中お客さんと一緒に熱狂したライブ、どれも自分の音楽人生を彩る経験でしたし、野音を体験した人は、同じような感覚を覚えているのではないでしょうか。
そんな歴史ある野音のこれからの歴史を作っていく架け橋となれるよう尽力していきたいと思っています。

寺島 剛紀

東京のセントラルパーク、緑豊かな日比谷公園の中で、音楽を楽しむことができる施設として、⻑い歴史を刻んできた日比谷野音がこの度100周年を迎えました。
誠におめでとうございます。
施設の管理者として、アーティストをはじめ多くの人々に愛され、親しまれ、そして数々の歴史に残る伝説的な公演が行われてきた日比谷野音の大きな節⽬に立ち会うことができることはこの上ない喜びです。
今般の記念事業を通して、さらに日比谷野音の魅力が向上するよう実行委員の一人として尽力してまいりたいと思います。

中⻄ 健夫

この業界に入って、野音で初めて仕事をしてから既に40年以上経っています。
年間20本は観るとして、既に1000本くらいのライブを観たことになります。
数々の伝説のライブを⽬撃した証言者として、野音でしか起こりえないミラクルにいつも感動させられています。
都会の中なのに自然の中で、音楽の音だけではない街の喧騒と例えば蝉の声。
素敵過ぎます。

野村 達矢

真夏のドピーカンの野音、大雨の野音、セミの鳴き声と音楽が混じる野音、ビルの谷間の野音、ソールドアウトでチケットが買えなくて音漏れを聞く野音、秋になると夜は冷えますな野音、缶チューハイおいしい野音、開放感たっぷりの野音、伝説が生まれる野音、普通のホールでは味わえない魅力ポイントが沢山の日比谷野外音楽堂が大好きです。

檜原 麻希

有楽町のニッポン放送社屋から日比谷通りに出て、数分歩くと日比谷公園、そして日比谷野音がすぐそばにあります。本当にご近所です。
野音でのライブやイベントはニッポン放送の歴史の中にも刻まれています。1世紀の時空を超えて、東京の都心で音楽を届けてきた場所の次の100年を夢見て、これからもラジオから愛を送っていきたいと思います。

ミッキー吉野

日比谷野音100周年、お祝い申し上げます。
日本の各時代の音楽、芸術、社会の表現の場として存在してきた日比谷野音。
大都会の真ん中のステージに立っても見上げれば⻘空。私にとっては、心が開放され自由に演奏する事を教えてくれた日比谷野音。感謝・多謝です。

箭内 道彦

観た野音、出た野音、全ての思い出がいつでも鮮やかに甦るのは、世界でここにしかない立地と景色がここにあるからですね。
雨とともに、風とともに、光とともに、緑とともに、人とともに、様々な音楽を響かせて来た聖地が、新たな100年、たくさんの人の愛で、もっともっと大切な場所になっていくことを願います。

横⽥ 健二

90周年・100周年と野音の記念すべき節⽬の事業に参加できたことを心から嬉しく光栄に思っています。90周年の時は事務局の一員として参加させていただき、手探りで作ったような記念事業で苦労の連続でした。当時は無我夢中で本番を無事に実施することが精一杯でしたが、今回の100周年では実行委員のひとりとして余裕をもって初めから大いに楽しんでいきたいと思っています。
大都会東京の緑豊かな日比谷公園の中にある「日比谷野音」、その歴史と共にこれからも記憶に残るコンサートが数多く開催される場所として150年・200年とその役割を続けてほしいと思います。

依⽥ 昭夫

日比谷野音は、音響のなかパフォーマンスを通して皆さんが夢見る場所図書文化館は、静寂のなか活字などを通して皆さんが思いを巡らす場所違いはありますが、文化と芸術が融合する日比谷公園内のこの地で益々発展することを切に望んでくれているファンのため、この100周年記念事業の展開とともに今後とも取り組んで参ります。