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音楽好きの天才少年プログラマがSpotifyを創業するまで「未来は音楽が連れてくる」連載第06回

コラム 未来は音楽が連れてくる

Spotifyの共同創業者マーティン・ローレンヅォン(左)とダニエル・エック(右)。エックの年齢を超越した判断力は、パートナーにローレンヅォンがいるからだ

 

少年社長ダニエルがSpotifyを創業するまで

さて、お待たせした。本章の主人公に再登場願おう。

ジョブズがiPodとiTunesを発表し、音楽とITの新時代を切り開いて間もない2002年の頃のことである。スウェーデンはストックホルム郊外の雑居ビルに、楽器好きな10代のプログラマが事務所を構えていた。

彼の名前はダニエル・エック。14歳で起業してから、5年が経っていた。

少年社長エックの事務所は狭くて、壊れたコーヒーメーカーが貧相な雰囲気を醸し出していた。だが、この部屋でエックが着想したビジネスアイデアは、当時生まれたばかりのiTunesやファイル共有の遙か先をゆくものだった。10年後には上場を待たずして3200億円(40億ドル 2012年5月17日80.34ドル/円換算)の輝きを放つ、最強の音楽系ITベンチャーに育ってゆくことになる

2002年のタイミングでは、19歳のエックのアイデアは時代の先を行きすぎていたし、資金もなかった。だから彼は、未来の音楽ビジネスの設計図を記憶の引き出しにしまいこみ、ほかの仕事で経験と人脈、資金を創っていった。

20歳を過ぎた頃には、ヴァーチャル着せ替え人形のオンラインゲーム、Stardoll.com(スタードール)の立ち上げに参加し、エックは同社のCTOとなった。

スタードールはソーシャルゲームの先駆けだった。

シャネルやソニアリキエル、カルティエなど秀逸なスポンサーとタイアップを行うソーシャルアプリに成長し、アヴリル・ラヴィーンやヒラリー・ダフを着せ替えモデルにする等の企画で、当時のIT系ニュースのトピックスとなった

ヴァーチャル着替人形を使ったソーシャルゲーム、Stardoll
▲ヴァーチャル着替人形を使ったソーシャルゲーム、Stardoll。アカウント数は2011年現在で1億人を超える。エックはこれでSpotify創業の資金を創った

エックの技術力とマーケティング力は高く、その後、μTorrent(ミュートレント)社のCEOに抜擢された。μTorrentは超高速、超軽量なことからファイル共有のデファクト・スタンダードになったアプリであり、現在でもフリーウェアやPDFなど重いファイルの配布に活用されている。

スタードールの創業から3年後のことである。

23歳になったダニエル・エックは自分の事務所で、隣の部屋の男と壁越しに怒鳴り合っていた。といっても喧嘩をしていたのではなく、大人二人で尻取りのようなことをやっていた。

隣の部屋にいたのはエックとは少し年の離れたビジネス・パートナーのマーティン・ローレンヅォンだった。ローレンヅォンは、IT産業の草創期にアフィリエイト・ネットワークをいち早く欧州で立ち上げ、1999年に上場させたドイツ人だ。

当時、エックの事務所の応接間には、HP社製のインターネットテレビが置いてあった。

エックは物思いに耽りながら、インターネットテレビを玩んでいたが、だんだんうんざりしてきた、という。VOD(オンデマンド番組配信)の設計思想が古すぎることにいらついたらしい(読者も経験があるかもしれない)。

「なんとかならないか」と考え始めたその刹那、19歳のときに着想したビジネスアイデアを思い出した。ピアツーピア技術とフリーミアムモデルを組み合わせたソーシャルミュージック事業のことである。

エックは事務所にやってきたローレンヅォンに、この話をした。

しばらくして、ふたりは会社名候補をネタ出しするために、別々の部屋に分かれた。

ノートPCでデタラメなキーワードを生成したりして、よさそうな名前があったら壁越しに叫ぶ。これを交互にやって、ピンと来た言葉があったら採用、というわけだ。

ふたりの男の叫び声がアパートに何十回か響き渡った後、ローレンヅォンのデタラメ語が、エックの耳に「Spotify!」と聞こえた。エックは早速、GoogleでSpotifyと入れて検索した。うまいことにヒット数は0件だった。 後にエックは、「Spotifyとは、音楽のスポットと個人のアイデンティファイを組合せた造語です」と会社説明に書いたが本当のところは、空耳だったのだ

こうして二人は、2006年にSpotify社をスウェーデンで創業した。エックたちはこれまでの起業で稼いだ800万ユーロ(約12億円2006年8月1日146.40ユーロ/円)を新会社につぎ込んだ。

お金のために始めた仕事じゃないです

エックは将来、何度もインタビューでこう答えるようになる。創業して3年後には、100億円単位の買収話をふたりが断り続けることになるからだ。 Spotifyの創業前に、すでに生涯賃金を稼いでいたふたりだからこそ、このありふれたセリフには、業界の反対派の心も動かす力がこもっていた。

iMeemが強引に無料で音楽配信サービスを始めた頃の話である。

 

違法ダウンロードの弱点を攻略! まずは社会実験の国スウェーデンでサービスイン

創業間もない頃のSpotifyのチーム
創業間もない頃のSpotifyのチーム

「音楽の世界で、違法ダウンロードに勝つ」

これがエックの立てた創業の志である。

口で言うのはたやすい。が、競合サービスとして見ると、違法ダウンロードは無敵だ。タダでダウンロードし放題の違法ダウンロードに、制限だらけの合法サービスが勝つのは並大抵のことではない。

しかし業界人には無敵に見える違法ダウンロードにも、4つの攻略ポイントがあった。

ひとつめは検索の面倒さだ。

違法ファイルの検索では、誰でも知っているようなメジャーアーティストならすぐ見つかるが、ちょっとでもマニアックになると途端に検索がむずかしくなる。それに、メジャーアーティストの楽曲であっても、違法ファイルの検索サイトで検索した後、トラッカーが登録したサイトにジャンプし、さらにファイルの情報をファイル共有ソフトに登録する、という何重もの手間がかかる。

ふたつめはダウンロードの時間だ。

お目当ての曲のダウンロードにかかる時間が全く読めない。ダウンロード時間は、逮捕のリスクを冒してファイルを公開してくれる違法ユーザーの数次第だからだ。だから、「この曲を聴きたい」と思ってから数分から数日待つことになる。加えて、ダウンロードしたファイルをiTunesに読み込ませたり、iPhoneへ転送させたりする時間が必要になる。違法ダウンロードはとかく手間がかかるので社会人の利用率は低く、学生の利用率が高い。

iTunesはここまでを攻略した。検索を容易にし、ダウンロードの時間を短縮した。だが、まだ攻略ポイントがふたつ残っていた。

みっつめが、ソーシャル性の低さだ。

Web2.0以降、ユーザーは履歴や感想を共有することで、自分好みの新しい発見と、新たな出会いを楽しむようになった。だが、違法ダウンロードの世界では逮捕が怖くて、自分の履歴を公開したり、人間関係を構築してゆくことなどできない。本質的に、違法ファイル共有がソーシャルメディア化することは決してないし、ソーシャルメディア特有の”新しい発見の楽しさ”(セレンディピティ)が産まれがたい。違法ファイル共有は、ITメディアとして本質的に古いということだ。

よっつめは、最大の攻略ポイント、「無料だが非合法」であることだ。

「無料である違法ダウンロードにどうやって勝てるのか」と誰もが思っていた。が、エックは違法ダウンロードよりも遙かに便利な合法サービスを創って、「フリーミアムモデルと組み合わせれば、「無料」をも攻略できると踏んだ。」

音楽好きの天才少年プログラマがSpotifyを創業するまで

「違法ダウンロードよりもずっと便利な合法サービスをやればよい」と口でいういうのは簡単だ。だが、2006年時点でそんなものは地上に影も形もなかった。いや、もっと正確に言えば、エックの頭脳の中にしかなかった。

エックはまずビジョンを具体化する道を選んだ。2006年の創業からサービスインまで、800万ユーロ(約12億円/2006年10月1日149.72円/ユーロ換算)をつぎ込んで2年の開発期間を置いたのだ。

開発陣は20人に及んだ。独立系のヴェンチャーが、2年間も売上を建てないまま、20人も使って開発をかけて成功したという事例は、拙速が常道のIT業界において、ちょっと思いつかない。

エックには確信があった。ある技術革新を起こせば、違法ダウンロードのよっつの攻略ポイントを一度に攻略できる、と見ていたのだ。

彼の秘策は、ダウンロードに勝るストリーミング技術を生み出すイノヴェーション(技術革新)だった。当たり前だが、ストリーミングで音楽を提供すれば、ダウンロードは必要ない。ダウンロードが必要無ければ、違法なファイル共有は発生しない。彼はここにレーベル交渉の勝機を見いだしていた。

Spotify以前のストリーミングは、楽曲名をクリックしてから再生まで2〜3秒の再生遅延が起こった。早送りや巻き戻しをしたり、次の曲へスキップするといちいち遅延が起こるし、音が途切れたりした。つまりストリーミングでは音楽ファンが納得できるレベルの音楽再生ができなかった。

エックは、違法ファイル共有で悪名高いピアツーピア技術を応用すれば、この再生遅延を限りなくゼロにできると踏んで、12億円と2年をつぎ込んだのだ。そして出来上がった「ダウンロード不要のプレイヤー」を交渉材料に持って、メジャーレーベルへ乗りこんだのである。

エックがほしかったのはフリーミアムモデルをやらせてもらう許可だ。

メジャーレーベルがSpotifyを通して楽曲カタログを公開すれば、違法ダウンロードより遙かに速い検索結果を音楽ファンに提供できるだけでなく、違法ファイル共有やiTunesのようなダウンロードの面倒さも一切無い。検索結果をクリックすれば、エックの技術なら一瞬で再生が始まる。

これをフリーミアムモデルで提供すれば、「無料」という部分で違法ダウンロードのアドバンテージを潰せるだけでなく、ソーシャル・ミュージックという広大な牧場が出来上がる。この大牧場へ違法ダウンローダーたちを連れて来て、狼を子羊の群れに変えてしまえばよいのだ。

その結果、勝ち取ることができる潜在マーケットは巨大である。そのことは「音楽の全ダウンロードのうち、合法ダウンロードはたった5%」と知っていたメジャーレーベルにはわかりきったことだった。

メジャーレーベルは課題を理解していたが、解決方法がわからなかった。そしてエックは、「答え」を持ってきたのだ。


著者プロフィール
榎本 幹朗(えのもと・みきろう)

 榎本幹朗

1974年、東京都生まれ。音楽配信の専門家。作家。京都精華大学講師。上智大学英文科中退。在学中からウェブ、映像の制作活動を続ける。2000年に音楽TV局スペースシャワーネットワークの子会社に入社し制作ディレクターに。ライブやフェスの同時送信を毎週手がけ、草創期から音楽ストリーミングの専門家となった。2003年ライブ時代を予見しチケット会社ぴあに移籍後、2005年YouTubeの登場とPandoraの人工知能に衝撃を受け独立。

2012年より『未来は音楽を連れてくる』を連載・刊行している。Spotify、Pandoraをドキュメンタリーとインフォグラフィックの技法を使って詳細に描き、 日本の音楽業界に新しいビジネスモデル、アクセスモデルを提示することになった。 音楽の産業史に詳しく、ラジオの登場でアメリカのレコード産業売上が25分の1になった歴史とインターネット登場時の類似点 や、ソニーやアップルが世界の音楽産業に与えた歴史的影響 を紹介し、経済界にも反響を得た。

寄稿先はYahoo!ニュース、Wired、文藝春秋、プレジデント、NewsPicksなど。取材協力は朝日新聞、Bloomberg、週刊ダイヤモンドなど。ゲスト出演はNHK、テレビ朝日、日本テレビなど。音楽配信、音楽レーベル、オーディオメーカー、広告代理店を顧客に持つコンサルタントとしても活動している 。

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