違法ダウンロードを減らし、CD4〜8枚分/人を年間で売上げるSpotify「未来は音楽が連れてくる」連載第10回
▲Ed Sheeran(エド・シーラン)。UKチャートが新たに始めたストリーミング・チャートで1位となった。Spotify、Deezer、We7などフリーミアム音楽配信をベースとしたこのチャート、アデルがTOP10外になるなどエッジが効いている(※)
出典:Wikimedia Commons
英レコード産業、Spotifyの活躍で売上回復へ
イギリスで本格サービスインする際、CDとのカニバリズムを恐れるレーベルの経営陣に対して、エックは次のように説得した。
Spotifyの有料会員料は月10ポンド。年間で120ポンドとなり、実売価格(7.65ポンド)ならCDアルバム約16枚分の売上だ(2009年イギリスにおけるCDアルバムの平均額は7.65ポンド。これで120ポンドを割ると15.68枚になる)。「4人に1人」が有料会員なので、平均しても、年間で一人当たり4枚分のお金を払ってくれる。2009年当時のサブスクリプション売上は広告売上の1.5倍なので、金額的には、年間で一人あたりCDアルバム6.5枚分をSpotifyは売っていることになる。メディアパワーがついて広告売上がサブスクリプション売上と並ぶようになれば、一人あたり7.8枚だ。
つまりレコード会社にとってSpotifyは、CDショップの4〜8倍、儲かる。
「乱暴な理屈だ」とおっしゃるかもしれない。が、BPI(英レコード協会)の統計も、この仮説が、少なくとも方向的には正しいことを証明しつつある。
2009年は、Spotifyの上陸に牽引されて、イギリスのソーシャル・ミュージック業界は大躍進だったが、レコード産業の方も絶好調だった。レディ・ガガのイギリス上陸、マイケル・ジャクソン追悼の特需、おばちゃん歌姫スーザン・ボイルの国民的ヒットなど話題も事欠かず、ビッグアーティストによるアリーナクラスの大型ツアーも複数あった。
そのおかげでイギリスの音楽産業の売上は、リーマンショック後の不景気に関わらず、2003年以来の久しぶりのプラスとなった。2003年から5年間で音楽産業の売上は30%も減ったが、2009年には1.4%増の92億8800万ポンド(約1兆3500億円 2010年4月26日145.35円/ポンド換算)となった。
コンテンツを生み出すレーベル側の好調。コンテンツを消費者に届けるソーシャルミュージック側の急成長。コンテンツプロバイダとコンテンツサプライヤー双方の好調は、上記のような数字に結晶した(英レコード産業協会BPI調べ)。
中でも、デジタル売上は996%増だった。第1章(本連載は第4章を初めに掲載しています)で紹介したように、iTunesに代表されるダウンロード売上の成長率は先進国では漸減し、頭打ちに向かっている。その一方で、SpotifyやPandora Radioのようなストリーミング型音楽サービスが生み出す広告売上とサブスクリプション売上(有料会員料)が、先進国におけるデジタル売上の急成長を現在、牽引している(IFPI 2012 pp.15ほか)。
なお、Pandora Radioのようなパーソナル放送や、Spotifyのようなフリーミアム音楽配信(定額配信と異なる)のない国、たとえば日本では、デジタル売上の成長はは頭打ちとなっている(IFPI調べ)。
2007年の22%から、2009年には17%に減った。最も違法ダウンロードをする中高生(14歳から18歳)に限ると、2007年には42%もいたファイル共有常習者は、2009年初頭には26%に激減した。
2009年から2010年は、緩やかな減少にとどまり、違法ファイル共有の常習者は13%減(つまり前出の17%から14.8%)となった。
違法ダウンロードの利用率の減少が緩やかだったのは、新たな問題が発生したからだ。合法サービスのふりをした、違法な格安MP3ダウンロード・サイトが台頭してきたのである。結果、違法ダウンローダーのうち、「違法」と自覚していない層は44%に上昇している。
違法ダウンロードを止めた動機も統計が取られている。
23%が「ストリーミング型の合法サービスを使うようになったから」と答え、29%の人が「アーティストに対しフェアでいたいから」と答えた一方、「逮捕が怖いから」と答えたのは12%に留まった。
読者のみなさんの予想通り、ムチでやめた人よりも、アメでやめた人の方が二倍以上、多い。これが人類という生き物の性質なのだ。Spotifyというアメと、パイレーツベイ裁判に代表される取締強化というムチ。エックたちがスウェーデンで確立した『アメとムチ』戦略はイギリスでも採用され、効果を出した、ということを表す数字と言える。
この2009年のイギリス音楽産業の好調は、違法ダウンロード罰則化、Spotify上陸、コンテンツのどれもが欠かせなかった。が、公平に見ると3番目のコンテンツ好調がいちばん大きかっただろう。だが3年後の2012年には、Spotifyの役割が決定的だったといえる統計が英レコード協会(BPI)から出ることになる。
その前にエックたちがイギリスで足場を固め、アメリカに進出してゆくまでを通しておこう。
Spotify、四大メジャーレーベルとインディーズ連合を株主に迎える
欧州展開を開始してたった1年で、Spotifyの会員数は600万人に到達した。うち半数のユーザーは欧州の音楽産業の中心、イギリスだった。欧州各国で取締が進む違法サービスの代替として、数ある音楽配信サービスの中で、Spotifyをヨーロッパは選択したのである。
だが、通常のITメディアと違ってソーシャルミュージック事業では、人数が集まるだけではロイヤリティーの支払いばかりが増えて、iMeemやMySpace Musicのように空中分解してしまう。
いくら広告力があるといっても、すべてを広告費で賄えるわけでないことは上記の2社ほか多数の倒産したソーシャルミュージック事業者が証明している。
鍵は、有料会員になるきっかけをどう創るかだ。
ここでも、エックがベストタイミングを見計らってサービスインしたことが証明された。2年前にAppleのiPhoneが登場したことで、スマートフォンが急激に普及しはじめていたからだ。
▲2009年当時にモルガンスタンレー社が出した世界のスマートフォン普及率と予測
▲Googleが出したスマートフォン普及率のグラフ。モルガンスタンレー社の予測を超えて、Spotifyがサービス展開する地域は50%前後の高い普及率に到達した
Spotifyには「月二十時間まで無料」という制限が設けられていたが、これだけだと「月二十時間も聴ければ十分」となってしまう。だが、iPhoneでSpotifyのアプリを出せば「街中、車の中や電車の中、どこでも音楽の聴き放題を楽しみたいなら有料」という、ユーザーにとてもわかりやすい動機を、提供することができる。
2009年8月。SpotifyのiPhoneアプリが、Appleに認証されて公開されると、はたして無料会員達がこぞって有料会員になりはじめた。
実は当初、「Appleは難癖をつけてSpotifyのアプリを認可しないのでは?」と心配されていた。SpotifyのインターフェースはiTunesの操作性に近い。その上、ダウンロード購入しなくても音楽が聴き放題のSpotify・アプリはiTunesキラーになるのでは、と憶測されていたからだ。
Appleが認可を下ろさない音楽系アプリもないわけではない。だが、楽曲のダウンロード販売を当時まだやってなかったのがよかったのか、無事にSpotify・アプリはAppleの審査を通過した。
iPhoneアプリ、導入直前の有料会員数は1.7万人程度だったが、これで有料会員の比率が劇的に改善することが予見できた。この瞬間、Spotifyのビジネスモデルは理論上、完成したとみてよい。実際、章頭で触れたとおり、3年後にはアクティブユーザーの4人に1人が有料会員になるに至った。
iPhoneアプリを発表して間を置かずに、エックはMySpace社の使った大技を踏襲した。
四大メジャーレーベルと、欧州最大のインディーズレーベル連合Merlinに19%の株式を、わずか1万ドル(約95万円 94.94円/ドル 2009.8.3)で譲渡したのである。Spotify社の評価額は、この時点で2億5000万ドル(約240億円)。40億円以上をレーベルに配ったことになる。
ほとんど譲渡とはいえ、事実上、メジャーレーベルはSpotifyに投資したに等しい。数ある音楽配信サイトの中でSpotifyの主要株主になるということは、今後Spotifyに対し戦略的にコンテンツを卸してゆくということになるからだ。
ユニヴァーサルミュージックのデジタル部門社長、ロブ・ウェルズは、インタビューにこう答えた。
「みっつのメリットでSpotifyを投資対象に選びました。まず、一曲ストリーミングされるごとに必ずロイヤリティを受け取れるので、ある曲が凄い回数で再生されると大きな収益が我々に生まれるからです。更に広告収益と、サブスクリプション(有料会員費)がレベニューシェアされることになっています。ユニヴァーサル・スウェーデン社ではSpotifyが最大の収益源になりました」
この頃にはMySpaceミュージックの失敗が確実になってきており、もう自分たちでソーシャルミュージックを経営するのは無理だ、とも考えていたろう。四大メジャーは、以降もSpotifyのサービス運営面には、口を出していないようだ。わずか3年後、メジャーレーベルがSpotify株の取得に払った95万円は、608億円の資産に化けた。彼らの選択は間違っていなかったのだ。
さらに同月。エックは、欧州制覇のその先、アジア進出を見据えて、戦略的に香港財閥のドンから増資を迎え入れた。香港最大の財閥、長江実業を率いる李嘉誠(Li Ka-Shing)が、5千万ドル弱(約47億円。2009.8.21 94.01円/ドル換算)をSpotifyに出資したと、フォーブス社が伝えた。
李嘉誠はイギリスの携帯キャリア、スリー社の筆頭株主でもあり、Facebookにも1億2000万ドルを投資している。2008年の世界長者番付では12位につけている(資産260億ドル。約2兆3400億円)。
第一章でも触れたとおり、中国のIT広告売上は日本のそれを超えようとしており、そして中国のネットで一番の人気があるコンテンツは音楽になっている。中国は、Spotifyのフリーミアムモデルに最適な未開拓マーケットなのだ。
李嘉誠からキャッシュを調達したのにはもうひとつの理由がある。キャッシュフローの問題だ。
SpotifyやiMeemのようなオンデマンド型ストリーミングのサービスでは、音楽をかければかけるほど出費がかさんでゆく。2000万人以上を集めたiMeemは、100億円近いロイヤリティーが支払えずあっという間に倒産してしまった。エックはこれに対して、耐性が整えるまでは招待制を貫き、会員数を抑えてきた。そして本格サービスインからわずか半年で、収益構造をぬかりなく組み立ててはいた。
ブランドに強い広告代理店とのパートナーシップ、有料会員を促すiPhoneアプリ。さらに、支払いを押さえるべくメジャーレーベルを自陣へ囲い込んだ。とはいえ、毎月10万人単位でユーザーが増えだし、ロイヤリティの支払いも毎月、億単位で増加していた。
立ち上げから数年間は、通年で10億円を超える赤字が続くことが予想された。これは先行するPandora RadioやLast.fmの経営状況も同じだった。ソーシャルミュージック事業は、軌道に乗せるまでに10億単位のキャッシュを都度、調達しなければならないのだ。
Pandora RadioやLast.fmのような勝ち組が、年を追う毎に収益構造が改善していったことはすでに書いた。Spotifyも、勝ち組の生き方を選んだ。Spotifyの2009年度の売上は1300万ユーロ(約17億円 132.98ユーロ/円)だった。翌年2010年の赤字は1700万ユーロ(約18.4億円 108.53ユーロ/円)だったが、売上は大幅に上がり5900万ユーロ(約64億円)。広告収益とサブスクリプション収入が共に大幅に改善されつつあった。
音楽メディアというものは、一定以上のオーディエンスを抱えてブランドが確立すると、広告単価が飛躍的に改善する傾向がある。また数年かけてオーディエンスのロイヤリティーが上がると、有料会員へのコンヴァート率もよくなる。
「オンライン音楽サイトの99%は黒字化していません。まずサスティナブル(持続可能)なビジネスモデルを構築してから、アメリカに進出しようと思います」
アメリカの音楽ファンからの熱烈ラブコールを携えて、エックの元へインタビューへやってくる度に、決まってエックはこう答えてきたが、ようやく、アメリカ進出の体制が整った。
著者プロフィール
榎本 幹朗(えのもと・みきろう)
1974年、東京都生まれ。音楽配信の専門家。作家。京都精華大学講師。上智大学英文科中退。在学中からウェブ、映像の制作活動を続ける。2000年に音楽TV局スペースシャワーネットワークの子会社に入社し制作ディレクターに。ライブやフェスの同時送信を毎週手がけ、草創期から音楽ストリーミングの専門家となった。2003年ライブ時代を予見しチケット会社ぴあに移籍後、2005年YouTubeの登場とPandoraの人工知能に衝撃を受け独立。
2012年より『未来は音楽を連れてくる』を連載・刊行している。Spotify、Pandoraをドキュメンタリーとインフォグラフィックの技法を使って詳細に描き、 日本の音楽業界に新しいビジネスモデル、アクセスモデルを提示することになった。 音楽の産業史に詳しく、ラジオの登場でアメリカのレコード産業売上が25分の1になった歴史とインターネット登場時の類似点 や、ソニーやアップルが世界の音楽産業に与えた歴史的影響 を紹介し、経済界にも反響を得た。
寄稿先はYahoo!ニュース、Wired、文藝春秋、プレジデント、NewsPicksなど。取材協力は朝日新聞、Bloomberg、週刊ダイヤモンドなど。ゲスト出演はNHK、テレビ朝日、日本テレビなど。音楽配信、音楽レーベル、オーディオメーカー、広告代理店を顧客に持つコンサルタントとしても活動している 。
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