取り残される日本 Spotifyのジャパン・パッシングはなぜ起きたか「未来は音楽が連れてくる」連載第20回

コラム 未来は音楽が連れてくる

▲Spotifyで聴ける日本の音楽(2012年8月現在)。L’Arc〜en〜Ciel、X Japan、Hyde、Dir En Grey、Puffy Ami Yumi、Utadaなど欧米で流通している日本のミュージシャンとアニソンは聴けるようだ

 

取り残される日本 Spotifyのジャパン・パッシング

「それでSpotifyは日本にいつ来るの?」

音楽ファンがいちばん知りたい話はこれだろう。結論からいうと向こう1〜2年は厳しいが、洋楽限定ならあるかもしれない、という感じだ。日本の特殊事情を挙げれば切りが無いし、オフレコ話も多いので、筆者の到達した最重要事項に絞って話そう。

Spotifyが日本に入って来られない最大の理由は、Spotifyの株主である四大メジャーの影響力が、日本では低いからだ。

海外では7割の占有率を誇る四大メジャーも、日本では36%ぐらいシェアを持ってない。さらに四大メジャーの一角が、親会社や子会社等の諸事情で、日本に限っては公然とSpotifyを推進しにくい立場にあるようだ(2010年度オリコン調べ)。

話をかんたんにすると、欧米諸国では4人に話をつければSpotifyはできる。しかもその4人はSpotifyの株主であり、身内のようなものだ。

だが、日本になると4人の影響力が下がり、1人に事情が出来てしまう。その上、Merlinのようなドメスティックメジャーの取り纏め役もいないので、同意をいただくべき方々が片手で数えられないほどに増える。

結果、起こっているのがSpotifyのジャパン・パッシングだ。

2011年の末、Spotifyのホームページに、Spotifyのない国の人材募集が掲載された。アジア太平洋地域では、香港、シンガポール、そしてオーストラリアのシドニーでリクルーティングが始まったが、東京の名前は無かった。半年後、オーストラリアとニュージーランドでSpotifyはサービスインしたが、シンガポールや香港も時間の問題だろう。

アジア太平洋地域でエックがいま最も力を注いでいるのが中国だ。

中国には2010年時点で3.8億人のネットユーザーがいます。そして中国では音楽が一番ネットで人気があります

レコード産業のこれからについて質問を受けたエックは、開口一番、そう答えた。

JETROでも同様の調査結果が出ている。中国のインターネット広告売上は、2012年には日本を超える規模になると予測されている。

中国でも『アメとムチ』路線はすでに始まろうとしている。

中国の検索エンジン、バイドゥ(Baidu)はMP3検索で人気を集め、ついにはGoogleに勝利したが、当然ながらメジャーレーベルから告訴を受けていた。2011年1月、メジャーレーベルとバイドゥの画期的な合意を、北京市高級人民法院が承認した。

中国にはワンストップ社という、ユニヴァーサル、ワーナー、ソニーミュージックの楽曲を一括で管理するエージェントがある。このワンストップ社の楽曲を使って、バイドゥがフリーミアム配信を行うことを承認したのである。これを受け、バイドゥは広告ベースの音楽配信サイトBaidu Ting!(バイドゥ・ティン!)を2011年5月に公開した

Baidu Ting!のサービスの洗練度は低いが、重要なのはBaidu Ting!そのものではない。「メジャーレーベルの楽曲をストリーミングしたら中国の企業は、タダで配信したってちゃんと楽曲使用料を支払いなさいよ」と、北京市高級人民法院のお墨付きが出たのが画期的なのだ。

中国では、ストリーミング音楽配信に必須の広告市場が整い、法的整備も着手された。

エックは中国で強力な人材を確保した。Googleチャイナの最高責任者だったダン・ブロディを、Spotifyのアジア太平洋・最高責任者に抜擢したのだ。イギリス進出の段階で、香港最大の財閥、長江実業を率いる李嘉誠(Li Ka-Shing)から戦略的に出資を受け入れており、「人間関係が最も重要」と言われる中国ビジネス攻略に向け、着々と手を打ちつつある。

連載第20回 取り残される日本 Spotifyのジャパン・パッシングはなぜ起きたか
出典:Facebook Coca-Cola Festival Tour

コカコーラとSpotifyが戦略的パートナーシップを結んだ話を紹介したが(連載第15回)、実はこれも中国を中心としたアジア進出の布石だ。コカコーラ社は2020年までに売上倍増という野心的な計画を持っている。人類の10代の三分の一に、音楽を使ってコカコーラをブランディングする戦略だ。人類の10代の三分の一にリーチするにあたり、コカコーラ社が選択した国は、アメリカ、インド、インドネシア、ナイジェリア、パキスタン、そして中国だ。

コカコーラ社とパートナーを組んで上記の国へ進出することをエックは想定したのである。残念ながら日本の10代は構成に入ってないようだ。

 

各国で登場するフリーミアム配信の『国産Spotify』

連載第20回 取り残される日本 Spotifyのジャパン・パッシングはなぜ起きたか
▲Spotifyと世界で競争を繰り広げているフランスのDeezer。フランス語圏の北アフリカを意識して、ブラック・ミュージックがフィーチャリングされている
出典:Deezer.com

Spotifyの最大の競合と呼ばれているのがDeezer(ディーザー)だ。フランス生まれのDeezerは独自の戦略で、2300万人の会員と150万人の有料会員を獲得してきた。その戦略というのが、「アメリカと日本には進出しません」と宣言することで、日米以外の国でストリーミング配信をするライセンスをメジャーレーベルからさくさくと得るやり方だ。

「アメリカ(と日本)でサービスをやりたい、と言うと、とたんにレーベルとの交渉がむずかしくなるんです」

とDeezerのCEO、アクセル・ドーシェ(Axel Dauchez)は答える。

アメリカと日本は、レコード産業売上で世界ナンバー1&2だが、ふたつ合わせても全世界の25%にすぎないし、成長率も低いから、他の75%を取りにいくのだ、という。Deezerはすでに91ヶ国でサービスインし、数年後には200国を目指している。特にアジア、アフリカ、南米を重点的に展開中だ。

アフリカでは南アフリカ共和国、南米ではブラジル、アジアでは、マレーシア、インドネシア、フィリピンといった億単位の人口を持つ国でサービスインしている。Spotifyがフリーミアム配信の交渉で四苦八苦している間に、Deezerは、未来の大国を押さえてしまう、という絵を描いているのだろう。

クリティカル・マスを獲得する方法も独特だ。フリーミアム配信は本国のフランスのみで、残りの国では各国の携帯電話事業者と組み、プリインストールすることで「10人にひとり」を取りにいくのがDeezerの勝ちパターンだ。

「レーベルとの交渉よりも、パブリッシャー(※)と交渉する方がたいへんですね」

(※ 何十ヶ国もの音楽出版社や著作権協会をまとめて指していると思われる)

とドーシェは語る。逆に言えばドーシェにとってレーベルとのライセンス交渉はそこまで難度の高い仕事ではない、ということだ。フリーミアム配信を本国に限ることも、海外で楽曲ライセンスを獲得しやすくするための戦術なのだ。このやり方なら本国はフリーミアムでシェアを厚く取ってブランドを確立し、海外は何十ヶ国で広く浅く取りに行く、というビジネスモデルが成り立つ

ここまで読んで、

「日本でもDeezerのように国産でフリーミアム音楽配信をやったらどうか」

とお考えの方もいると思う。実はフランスのDeezerに限らず、「本国ではフリーミアム配信、海外では定額配信」というやり方を採用しているサービスがいくつかある。ドイツのSimfy(シムフィ)、台湾のKKBOX(ケーケーボックス)、インドのSaavn(サーヴン)・Dhingana(ディンガナ)などがそうだ。

ドイツのSimfyは、200万人のユーザーを持ち、オーストリア、スイス、南アフリカで展開している。Webベースのオンデマンド・ストリーミング音楽配信だ。2012年にはドイツでSpotifyがいよいよサービスインし、フリーミアム配信同士のバトルが始まっている。

台湾のKKBOXは、総人口の30%にあたる700万人(有料会員は100万人※)が加入しており、香港・マカオにも進出した。中国語圏最大のフリーミアム音楽配信サービスだ。2011年にKDDIが買収し、日本でもLismo Unlimited(リスモ・アンリミテド)の名でサービスインした。本国と異なり定額配信のみで、洋楽中心のため日本では苦戦しているが、KKBOXの本命は中国本土だろう。KDDIはすばらしい買い物をした

連載第20回 取り残される日本 Spotifyのジャパン・パッシングはなぜ起きたか
▲ブラジルでも人気の出てきたインドのフリーミアム音楽配信、Saavn。洗練されたデザインだ
出典:http://www.saavninteractive.com/?page_id=155

インドにはふたつのSpotifyクローンがあり、Saavnが930万人、Dhinganaが1,050万人の月間アクティブユーザーを獲得している。インドも日本と同じく国産音楽が非常に強い国だが、インド映画から派生したボリウッドミュージックは最近、他の新興国でもマーケットを獲得しつつあるようで、Saavnはブラジル人のユーザーも少なからず獲得しているようだ。

インドでは映画産業と音楽産業の関係が密接なこともあって、Saavnでは音楽に限らず、映画もフリーミアム配信している。インドやブラジル、台湾の動きを見ていると、従来のレコード産業が発達していなかった分、身軽に未来を構築しているように感じる。未来は新興国の方に先にやってきている印象だ。

以上からわかるように、フリーミアム配信はSpotifyに限らず、世界の各国で始まりつつある。フリーミアムモデルは、Spotifyの専売特許ではないということだ。エックはこの状況を予見していた。

エックはずっと、フリーミアムモデルのその先を見てSpotifyを導いている。Spotifyプラットフォーム、Spotifyラジオ、Facebookやコカコーラ社との戦略的パートナーシップと次々と新戦略を間断なく畳みかけていくのは、それが理由だ。

連載第20回 取り残される日本 Spotifyのジャパン・パッシングはなぜ起きたか
▲スリーストライク制施行後、フランス音楽配信サービスのユーザー数の変化。紫が2010年で橙が2011年。サンプル人数は2.5万人。国産フリーミアム配信のDeezerは、Spotifyから厳しい追い上げを受けているが、依然iTunesと並ぶ人気を誇る

ここで読者のみなさんにおたずねしたいことがある。

現時点でSpotifyと世界でまともに競っているのはフランスのDeezerぐらいしかないが、フランスからSpotifyを閉め出していたからDeezerは育ったろうか?

Spotifyがフランスに入ってきたのは2009年だ。Deezerは最強のライバルSpotifyと端から生存競争を繰り広げなければならなかった。だが、このおかげでDeezerは国際競争力を獲得した、と筆者は思う。

Spotifyの差分を世界規模で押さえに行くDeezerの戦略では、Spotifyのある国で後発しても負けるのは織り込み済の話だ。かわりに、現在のフランス国内の状況と同じく、Spotifyより先行しておき、その後、Spotifyが入ってきても拮抗できればよい。

Deezerは現在、フランス国内でSpotifyの追い上げを受けているが、まだフリーの時間を毎月5時間からSpotifyと同じ10時間に伸ばす手も残っている。Spotifyは南アなどDeezerが先行した国にも入って来たが、そこまではドーシェの想定通りだ。

ただ、この戦略は、少なくともフランス本国でSpotifyと競争して、先行すれば拮抗できるだけのサービス力を身につけたから成り立ったものだ。

日本版のSpotifyクローンを創る、という発想も確かにある。

だがそのとき忘れてはならないのは、「生物学的にも閉じられた世界で育った種はひ弱だ」ということだ。「その世界でだけ生きているのだから十分じゃないか」と思っていても、閉じた世界にも変化は起こる。結果、滅亡の危機に瀕してしまう。

今の時代、国内からSpotifyを完全にシャットする保護主義よりも、Spotifyと適度な自由競争が起こる状況をつくり、日本の音楽配信事業者にイノヴェーションを促す方が、環境の変化が目まぐるしい世界経済の中では安全ではないだろうか。

著者プロフィール
榎本 幹朗(えのもと・みきろう)

 榎本幹朗

1974年、東京都生まれ。音楽配信の専門家。作家。京都精華大学講師。上智大学英文科中退。在学中からウェブ、映像の制作活動を続ける。2000年に音楽TV局スペースシャワーネットワークの子会社に入社し制作ディレクターに。ライブやフェスの同時送信を毎週手がけ、草創期から音楽ストリーミングの専門家となった。2003年ライブ時代を予見しチケット会社ぴあに移籍後、2005年YouTubeの登場とPandoraの人工知能に衝撃を受け独立。

2012年より『未来は音楽を連れてくる』を連載・刊行している。Spotify、Pandoraをドキュメンタリーとインフォグラフィックの技法を使って詳細に描き、 日本の音楽業界に新しいビジネスモデル、アクセスモデルを提示することになった。 音楽の産業史に詳しく、ラジオの登場でアメリカのレコード産業売上が25分の1になった歴史とインターネット登場時の類似点 や、ソニーやアップルが世界の音楽産業に与えた歴史的影響 を紹介し、経済界にも反響を得た。

寄稿先はYahoo!ニュース、Wired、文藝春秋、プレジデント、NewsPicksなど。取材協力は朝日新聞、Bloomberg、週刊ダイヤモンドなど。ゲスト出演はNHK、テレビ朝日、日本テレビなど。音楽配信、音楽レーベル、オーディオメーカー、広告代理店を顧客に持つコンサルタントとしても活動している 。

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