Pandora+iTunes。『社会的なフリーミアムモデル』で米レコード産業が回復「未来は音楽が連れてくる」連載第25回
画像:Apple Possibly Developing New Music Stream Service To Rival Spotify And Pandora
AppleのPandoraクローン計画は、ウォールストリートにとって寝耳に水だったかもしれない。だが実際には、Pandoraは以前から株主報告書で数度、Appleを潜在的競合としてリストしていた。
Spotifyに続いて、AppleもPandoraクローンを構想中?
理由は簡単だ。
iTunesには、2008年からGeniusという楽曲レコメンデーション・エンジンが搭載されている。加えて、アメリカにはSoundExchange(サウンド・エクスチェンジ)がある。日本を始めとするほとんどの国では、インターネット放送で音楽を使うには、原盤権を持つレーベルから使用許諾を得なければならない。だが、アメリカではSoundExchangeに楽曲使用料さえ支払えばインターネット放送に音楽を使用することができる(SONY/ATV脱退が引き起こした米著作権管理団体の変化については後述)。
要するに、AppleがアメリカでPandoraクローンをやろうと思えば、2008年の昔からいつでもできた。もちろんSoundExchangeのような権利処理の公的機関がない日本や欧州各国では、Appleといえど、Pandoraクローンをやるのは容易ではない。
AppleがPandoraクローンをやる、という噂の確度は半々といったところだろう。
「可能性あり」派の最大の根拠は、ミュージック・ディスカヴァリー・サービスと称されるPandoraが、iTunesの楽曲販売に大きく貢献してきたことだ。
次ページで説明するが、アメリカではiTunesユーザーの半数がPandoraを使用して新しい音楽を発見している。iTunesがこの一年に、アメリカで販売した曲は16億曲。ざっくり言って、この半分がPandoraの影響下にあると見てよい。
「可能性なし」派の最大の根拠も、前者と同じだ。Pandoraが、iTunesの楽曲販売に大きく貢献している現在、わざわざ鎬を削る理由がない、ともいえるからだ。
加えて音声広告は、セールスマンが足を使って売上を建てる世界だ。
Pandoraの人事計画では、今年、270人の社員のうち、約130人を広告営業チームに当てることにしている。Googleですら失敗した泥臭い音声広告の世界にAppleが入ってくる、という予想に疑問符をつけている記事は少なくない。アメリカほか車主体の国で重要となる車載器も、Appleが開発する可能性は低い。
そもそも、Pandoraクローンはこれまでいくつも出てきたが、結局、Pandoraには太刀打ちできていない。Spotifyラジオもそうだ。
ミュージック・ディスカヴァリー・サービスの中核は、楽曲レコメンデーションエンジンの選曲力だ。ウェスターグレン率いるプロ・ミュージシャン集団が10年かけて築き上げた究極の楽曲レコメンデーション・エンジン(Music Genome Project)に、他社製のクローンはどうしても勝てなかったのだ。
筆者は、これまで様々な楽曲レコメンデーションを試してきた。波形解析を基礎とするAppleのGeniusエンジンは、そのなかでもかなり優秀だ。だがiTunesのGeniusは、「選曲力」、というミュージック・ディスカヴァリー・サービスの中核において、Pandoraとは明らかな実力差をつけられている。
AppleのPandoraクローンは、取りやめたPingのようなソーシャルな要素を足した「ヒューマンな」音楽放送だという噂もある。初期の頃、Pandoraの最大のライバルだったLast.fm的な方向になる、という噂だ。個人的には、その方向なら若干のシェアを奪う余地はある気もする。CBSによる買収以降、元気のなくなったソーシャル・ラジオLast.fmの穴を埋める潜在的需要はあるだろう。
いずれにせよ、本章の連載が終わる年末までには、噂の真相は明らかになっていそうだ。
アメリカではPandoraとiTunesのセットがレコード産業売上の回復に貢献
ファクトに戻ろう。
Appleは各国でiTunesのディストリビューターを集めてコンヴェンションを開いている。今年のiTunesのコンヴェンションでは、キーノートの最中、壇上に巨大な「P」のマークが投影された(特別 対談2)。
Spotifyの章でも取り上げたが、欧州ではSpotifyを代表とするストリーミング売上が急成長し、レコード産業売上の回復を支えている一方、ダウンロード売上の成長率が鈍化している。結果、iTunesはヨーロッパで成長率が落ちてきた(連載第17回)。一方、アメリカではiTunesは堅調にシェアを上げており、米レコード産業全体の売上のうち29%のシェアを持っている。アメリカでは、ウォルマートがCDの小売でトップだが、シェアは11%だ。これとを比べると、iTunesがアメリカではいかに圧倒的か、再確認できる。
2011年の夏に、Spotifyもようやくアメリカ上陸を果たしたが、予想されたほどiTunesを浸食していない。これは、アメリカのレコード産業の売上トレンドをよく見ると理由が分かってくる。
Spotifyの章でも取り上げたが、2011年の米レコード産業は売上が若干のプラスとなった。内訳を見ると、マイナストレンドを形成している、物理売上は2億3,450万ドル減(約181.5億円減 77.4ドル/円 2011.12.31)。
対してプラストレンドの内訳を見ると、iTunesなどのデジタル売上が1億9,010万ドル増(約147億円増)で、パフォーミングライツ売上がパフォーミングライツ(演奏権)売上の4,120万ドル増(約32億円増)だった。
「パフォーミングライツ売上?」
業界人でも首をかしげるかもしれない。パフォーミングライツというのは、おもに楽曲の放送使用料が占めているものだ。だが、既存放送のロイヤリティー(楽曲使用料)支払いがそこまで急騰したわけがなく、衛星ラジオの売上も伸び悩んでいる。このパフォーミングライツ(演奏権)売上の急増は、インターネット放送の支払うロイヤリティーの売上が急騰したということだ。
つまり、Pandoraだ。
2011年度のPandoraの総聴取時間は82億時間(Q1 16億時間 前年同期比+129%、Q2 18億時間 前年同期比+125%、Q3 21億時間 前年同期比+104%、Q4 27億時間 前年同期比+99%)。1曲3.5分で計算すると、2011年に、Pandoraでアメリカ人が聴いた曲の数は1,405億7,000万曲になる。
Pandoraは、レコード産業に対し、曲が一回ストリームされるたびに0.11セント(約0.1円)支払っているので、年間約1億5,500万ドル(約124億円 80円/ドル)の楽曲使用料をPandoraは、レコード会社に収めたことになる。
実際に、株主報告書に載っている金額は1億4,900万ドル(約119億円)。計算と一致する。2011年度の楽曲使用料は、売上の57%を占めていた。
アメリカ・レコード産業の回復を支えたパフォーミングライツ(演奏権)売上の4,120万ドル増(約32億円増)。Pandoraの楽曲使用料は、その期間、3,640万ドル(約29億円)増えた。ほぼすべてをPandoraが占めていたことがわかる。
(※2012年10月17日一部修正)
PandoraとiTunesのセットが『社会的なフリーミアムモデル』を復活させた
ここで大事なのは、「Pandoraは音楽放送だ」ということだ。しかもリスナーの好みを、どの放送局も実現できなかった精度で的確に突いてくる。
だから、Pandoraで1952億曲も放送されれば、相当数の楽曲が購入に至っている、ということである。実際、筆者も初めてPandoraに触れた数ヶ月は、毎月1万円単位でダウンロード購入していた経験がある。(※2012年10月17日一部修正)
現在、アメリカではiTunesのユーザーの内、64%がオンラインラジオを使用しているという。オンラインラジオにおけるPandoraのシェアは74%だ。
つまり、アメリカではiTunesユーザーの半分がPandoraを使っている。iTunesの全米売上は推定で年間14億2,400万ドル。15〜6億曲ほどだろう。うち、半数の購入者がPandoraの影響の元にあったと考えられる訳だ。
これが意味するのは、
「アメリカでは、フリーのPandoraと有料のiTunesがセットとなって、『社会的なフリーミアムモデル』が成立している」
ということだ。アメリカ人は、ミュージック・ディスカヴァリー・サーヴィスのPandoraで新しいお気に入り曲と出会い、iTunesで購入しているのだ。
かつてラジオが普及したとき、アメリカ人は史上初のフリーメディアに熱狂した。「音楽がタダで聴き放題」だったからだ。1927年に1億4千万枚あったアメリカのレコード売上は、ラジオの急激な普及と大恐慌が重なって、たった5年で600万枚にまで落ちた。文字通りの壊滅状態を、レコード業界は経験した。その後、レコード産業は様々な改革を行い、急回復していくのだが、最も効果的だった改革は、クラシックから大衆音楽へ転換し、レコードを高音質化・低価格化した後、フリーメディアのラジオを使って音楽を売る戦略に切り替えたことだ(他、アメリカの専門書には少なからず登場する話題だ。ネットですぐ読める記事としては以下を紹介しておく。 この史実は重要なので後ほど詳しく取り上げる予定だ)。
Spotifyの章で、IFPIが「世界のダウンロードのうち合法的なのはたった5%」と発表したことを紹介した。iTunesのシェアは5%の中の7割であり、ほとんど解決策になってなかったことで、メジャーレーベルがSpotifyを後押ししたという経緯を述べた。
だが、歴史は繰り返すのだろう。
ウェスターグレンは、レコード産業から「海賊」と揶揄されてきたインターネットを使って、新しい音楽の発見を促す最高のメディアを生み出した。それがPandoraだ。インターネットというフリーメディアと、音楽との正しい関係を、ウェスターグレンは人類に提示したのだ。
Pandoraは流行ではない。MTVやYouTubeと同じ、メディアの本質的な変化だ。百人を超えるプロ・ミュージシャンが魂を注ぎ込んだ、PandoraのMusic Genome Projectが繰り広げる前人未踏の選曲力は、現在進行で放送史を変えつつある。
iTunesは、新たに登場したPandoraという最強のフリーメディアと組み合わさることで、アメリカで「解決策」に返り咲くに至った。それは同時に、米レコード産業にとってようやく訪れた、Spotifyと並ぶファイナルアンサーとなりつつある。
著者プロフィール
榎本 幹朗(えのもと・みきろう)
1974年、東京都生まれ。音楽配信の専門家。作家。京都精華大学講師。上智大学英文科中退。在学中からウェブ、映像の制作活動を続ける。2000年に音楽TV局スペースシャワーネットワークの子会社に入社し制作ディレクターに。ライブやフェスの同時送信を毎週手がけ、草創期から音楽ストリーミングの専門家となった。2003年ライブ時代を予見しチケット会社ぴあに移籍後、2005年YouTubeの登場とPandoraの人工知能に衝撃を受け独立。
2012年より『未来は音楽を連れてくる』を連載・刊行している。Spotify、Pandoraをドキュメンタリーとインフォグラフィックの技法を使って詳細に描き、 日本の音楽業界に新しいビジネスモデル、アクセスモデルを提示することになった。 音楽の産業史に詳しく、ラジオの登場でアメリカのレコード産業売上が25分の1になった歴史とインターネット登場時の類似点 や、ソニーやアップルが世界の音楽産業に与えた歴史的影響 を紹介し、経済界にも反響を得た。
寄稿先はYahoo!ニュース、Wired、文藝春秋、プレジデント、NewsPicksなど。取材協力は朝日新聞、Bloomberg、週刊ダイヤモンドなど。ゲスト出演はNHK、テレビ朝日、日本テレビなど。音楽配信、音楽レーベル、オーディオメーカー、広告代理店を顧客に持つコンサルタントとしても活動している 。
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