Pandoraリスナー百万人が起こした市民革命。レコード産業のロビイ活動に勝利「未来は音楽が連れてくる」連載第30回
▲シアトルのタウンミーティングにいどむティム・ウェスターグレン。全国のPandoraファンを組織した結果、ファン100万人の電話・FAX・メールがワシントンの全議員事務所に殺到。超党派の議員らが「インターネット放送調停法案(Webcaster Settlement Act)」を提出し、成立した。これによりレコード産業と地上波ラジオのもくろんだネット放送潰しは水泡に帰した
デイ・オブ・サイレンス
嘆願書は却下されたが、そこからが勝負だった。連邦委員会の行政判事が構成するCRBが対話を拒否した以上、あとはその上の議会を動かすしか道はなかった。だが、新興のインターネット放送業界はロビー団体を持っていない。
法外な新料率の発効日は7月初頭が予定されていた。あと四ヶ月が過ぎれば、インターネット放送は、レコード産業の思惑通り壊滅してしまう(連載第29回)。
しかし、当時Pandoraの登録会員数はすでに850万人に到達し、コムスコアの調査ではアクティブ・リスナー数も330万人(MAU)に達していた。インターネット放送では既に圧倒的No.1となっていたPandoraを率いるウェスターグレンは、立場的に、全インターネット放送局の将を務める責務があった。
そして、彼は立ち上がった。
330万人を集結し、草の根運動で燎原の火を起こすことができるか。すべてはそこに掛かっていた。
EメールやBBSの書き込みをいくら集めたところで、それくらいで世界は動かない。嘆願書の失敗で、もうわかっていた。
ウェスターグレンは全国を飛び回った。
まず、彼は数百のインターネット放送局を集結させ、『セーブネットラジオ(SaveNetRadio ネットラジオを救え)』を組織。Yahoo!、MTV、AOLなどネット放送を手がけていた大手企業を参加させることに成功した。大手企業が参加すれば、インターネット放送サイドもロビイストを雇用することができる。
AOLの紹介で、ワシントンのクオヴィス社(Qorvis)と契約した。AOLやAmazonを顧客に持つロビイ会社である。クオヴィス社は優秀で、交渉担当の傭兵部隊を一気に編成できた。彼らの活躍により短期間で、7,000人のアーティスト、マネージャーから運動への賛同を集めることに成功した。交渉代理人の代表は、音楽配信業界では名を知られた弁護士デヴィッド・オクセンフォード(David Oxenford)が快諾してくれた。
1ヶ月後の4月6日。ここまでやった上で、ウェスターグレンたちは草の根運動のサイト、savenetradio.orgを立ち上げた。そして参加ステーションの協力の下、850万人の登録会員にメールを打った。
「全国の議員の連絡先はこちらになります。みなさんの地域の議員に、みなさんの声を直接、届けて下さい」
そして、ワシントンD.Cの全ての議員事務所で電話が鳴り響き、メールとFAXが殺到することとなった。
この時、ウェスターグレンは気づいた。
この一年間、全国でタウンミーティングを開き、地道にファンと交流を深めてきた。そこで得たPandoraファンとの絆の深さがどれほどのものかに。ウェスターグレンと絆を結んだ彼らが、今、Pandoraを助けようと、中心となって運動を広めるまでになっていたのだ。
セーブネットラジオの歌をつくって活動し、賛同を募ってくれるファンもいた。寄付金を送ってくれるファンもいた。ワシントンの事務所には陣中見舞いのお菓子が毎日、ファンから届いた。ちょっとした大統領選のようなお祭り騒ぎが、全米で起こりつつあった。
Image : Pandora Official blog
ワシントンの議員たちは、Pandoraファンの電凸に目を白黒させていた。eメールの嘆願やBBSの書き込みが集まったところで、たじろぐことの無かった彼らも、これにはただならぬ気配を感じた。いったい何が起こっているというのか。
電話はひっきりなしにかかり、ファックスはいつまでも紙を吐き続ける。セーブネットラジオの事務所から、紙の束をかかえた運動員が訪問してきた。運動員がいうには「先生の事務所のFAXがずっと通話中で繋がらないので、こちらの事務所にFAXが届いています。それを届けに来たのです」という。ウェスターグレンもFAXの束をかかえて議員事務所に乗り込んだ。
20日後の4月26日。
超党派の議員有志の手で『インターネットラジオ平等法案(Internet Radio Equality Act)』が起草され、議会に提出された。状況はかわりつつあった。
法案名に『平等』と入っているのは、理由がある。
米レコ協(RIAA)からスピンアウトしたSoundExchangeが、インターネットラジオには法外な楽曲使用料をふっかける一方、衛星ラジオや有線ラジオには売上の7.5%を使用料に定めていたからだ。もちろん、地上波ラジオに対しては一切、支払いを要求していなかった。
法案起草者のジェイ・インスレー下院議員(Jay Inslee 民主・ワシントン州)を中心に集まった超党派の議員たちは、この不平等を是正する法案を通すことで、法外な新料率を封じることを意図していた。
「来週、連邦議会の前でミーティングを開きます」
ウェスターグレンはブログで、法案提出の報告と共に、集会の告知を出した。レコード産業のロビイストの声は、Pandoraファンたちが起こした怒濤に掻き消されようとしていた。当時、Pandoraのアクティブ・リスナーは330万人(MAU)ほどいたが、電話やFAXなど実際の活動に参加したPandoraファンは100万人にも達したという。
議会の前で開かれたこの集会はテレビがこぞって報道し、全米の国民がセーブネットラジオ運動を知るに至った。そして、作戦は本番に入る。ウェスターグレンたちインターネット放送連合は、この法案の通過を後押しするため、あるキャンペーンを仕掛けた。
6月26日。『デイ・オブ・サイレンス』
『サイレンス』という名がついているが、沈黙とは真逆の意図を持った作戦だった。この日まる一日、全米数百局におよぶインターネット放送局は完全に沈黙する。不審に思った全リスナーにこう伝える。月が明ければ、レコード産業が要求している楽曲使用料の法外な値上げで全てのインターネットラジオ局が潰れる、と。
そして、いますぐワシントンへ抗議の電話をかけることを促すのだ。もちろん、ネット放送局の全てのサイトには、全選挙区の議員の連絡先へのリンクが張られていた。キャンペーン日は、新料率が発効する7月に入る直前に置かれた。
そして、当日。
4月の電凸を超える電話爆撃が、ワシントンの全議員事務所を襲った。 「イラク戦争のときと同じくらい、議員に電話がかかってきましたよ」
と、先のインスレー議員はふりかえる。電話やFAXの方が、Eメールよりずっと効果的といっても、数によっては話が変わってくる。全議員に、サーバーがパンクするほどのメールが殺到した。賛同者のダイアン・ファインスタイン上院議員(民主・カリフォルニア州)の元に届いたメールの数は、25,000通に達した。
全米から「声」が文字通り降り注ぐ中、ウェスターグレンたちは議員のもとを回り、『インターネットラジオ平等法案(Internet Radio Equality Act)』の賛同を得ていった。この時点で、法案に賛同した議員の数は120人。
もう少しのところまで来た。
しかし、新料率の発効は7月初頭。時間はほとんど残っていなかった。
運命の48時間
インターネット放送局の死刑宣告は、7月初頭のはずだったが、『デイ・オブ・サイレンス』の効果で、わずかばかりの執行猶予が生じた。新料率の発効日は月頭から、15日に変更されたのだ。残り2週間で何とかしなくてはならない。
法案に賛同した議員たちの計らいのもと、楽曲使用料を決定する連邦評議会CRBは嘆願を再審査することになった。だが、CRBは折れなかった。
7月11日。
CRBが嘆願を2日後に再却下する方針だというリークが、ワシントンを駆け巡った。CRBはなぜ、そこまで頑なだったのか。それは、CRBに権限を与えた法律(the Copyright Royalty and Distribution Reform Act)に問題があったからだ。
SoundExchangeがCRBに提出した法外な「市場価格」の実例は、インタラクティブ配信事業者とレーベルが取り交わした契約だった。
通常、インタラクティブ配信の楽曲使用料は、放送型配信の4〜5倍前後が相場だ。
インタラクティブ配信だと、じぶんの好きな曲が好きなときにかけられるので、CDやダウンロード販売が不要となる。だから、放送型よりも相場が高い。2012年11月現在で言えば、インタラクティブ配信のSpotifyは1曲が再生される毎に0.5セントほど払っている(連載中、0.34セント/streamという数字を紹介したこともあるが、Spotifyの楽曲利用料は構造上、有料会員が増加するほど増える。この半年で、Spotifyの有料会員は350万人から500万人に増加した)が、Pandoraは0.11セントだ。
つまり、SoundExchangeは、意図的にインタラクティブ・非インタラクティブの区別をつけず、インタラクティブ配信における相場をCRBに提出した。が、CRBに価格決定の権限を与えた法律(the Copyright Royalty and Distribution Reform Act)には、SoundExchangeが提出した「市場価格」を不当とする法的根拠は何もなかった。法にない根拠で不当と認めれば、法を曲げることになる。これがCRBが頑なだった理由である。
「緊急事態!すぐに議員会館へ電話して下さい!」
ウェスターグレンはメールとブログで数百万人のリスナーに事情を説明し、ふたたび議員会館への電凸が始まった。死刑宣告まであと2日。もう後がない。
7月13日午前。
リスナーの声はCRBに届かなかった。CRBは3人の行政判事で構成されている。そのひとりが反対したことで、嘆願は正式に却下され、7月15日に新料率は発効されることになった。死刑宣告は正式に下りてしまったのだ。ウェスターグレンたちの命運は尽きようとしていた。
この絶体絶命の状況を一変させたのは、ひとりの議員の電話だった。
「彼らを救済する法案に賛同した議員は139人だ。われわれ議員に楽曲使用料を決めてもらいたいのかね? そうではないだろう。君たちSoundExchangeは交渉のテーブルにつくべきだ」
インターネットラジオ平等法案の起草者ジェイ・インスレー議員は、SoundExchangeにそう説得する一方、インターネット放送陣営に譲歩を求めた。まずはSoundExchangeを交渉のテーブルにつけることを最優先すべきだ、と。
議員の仲裁案は、こういうことだった。
インターネット放送陣営は、新料率をとりあえず受け入れる。だが、SoundExchangeは即刻支払いを求めず、支払い猶予を認める。その間に双方で解決の糸口を模索してゆこう、という妥協案だ。つまり、しばらく現状維持にして、その間に話し合おう、という提案だった。
SoundExchangeは、議員139人の圧力に屈した。というより、139人の議員を動かしたPandoraファン百万人の怒号に折れたのだ。
同日の昼に、連邦議会の前で青空会議が開かれた。
SoundExchangeと、インターネット放送連合(DiMA, the Digital Media Association)の代表たちが連邦議会の前に集い、報道陣のカメラが注視する中、会議は始まった。
連邦議会の前で開かれたセーブネットラジオとSoundExchangeの青空会議。中央は、仲裁役のインスレー議員。この場でSoundExchangeはついに、インターネット放送を潰すことを諦めた。
Image : SaveNetRadio.org
「法を守り、誠実に交渉する意志のあるインターネット放送局は、われわれを恐れる必要はありません。われわれはあなた方のストリーミングを止めません。ただし、それはライセンスが定めるとおりの使用料を支払う限りにおいてのみです」
連邦議会の前で、SoundExchangeのジョン・シムソン(John Simson)はこう宣言した。回りくどい言い回しだが、要するにインスレー議員の提案に乗った、という意味だ。新料率を譲るつもりはないが、交渉には応じる。ただし、お金を全く支払うつもりのない、趣味でネット放送をやっているような連中は、法的な実力行使でストリーミングを停止させる、という意味でもある。
インターネット放送陣営(DiMA)も後者の条件を受け入れた。
レコード産業側の要求を飲み、売上を建てる気のないネット放送は切り捨てることで同意したのだ。
「売上がないのだから、払えない」を認めたら、「趣味」でストリーミングすれば、音楽はタダでいくらでもネットに垂れ流しできる。そこは十分、筋が通っている要求だった。
「われわれはみなさんを敵と思っていません。潰すつもりはありません。大切な顧客だと考えております」
そう述べた後、シムソンは、いちステーションあたり年間500ドル、という最も非難の集まった決定に関し、「いち企業あたり最大で5万ドル(約590万円 118円/ドル)までしか受け取らない」と宣言した。
パーソナライズド放送のPandoraにとって、この発言はもっとも大きかった。Pandoraは、数百万のリスナーひとりひとりが何十局もカスタム放送局を立ち上げることができるため、数千万ステーションを持っていることになる。上限が無ければ毎年払う基本使用料は数百億円にもなってしまう。売上の何倍もの基本使用料を支払う義務は、即、倒産を意味していた。これが回避されたのだ。
シムソンは、新料率の施行は譲らない、と述べた。譲らないが、Yahoo!やAOLのような大企業を除いて、支払いの猶予を受け入れる用意がある、と。このロジックなら、双方が譲らぬとも交渉継続が成り立つ。インスレー議員の提案した条件を飲んだのだ。
会議室の中で発された言葉だったなら、確たる保証はなかっただろう。
だが、シムソンは連邦議会の面前で、テレビカメラが注視する中、言葉を並べた。「個人的意見を言った。正式でない」と後ほど撤回するのは事実上不可能であり、それこそがインスレー議員の背後にいたウェスターグレンたちの狙いだった。
「もう少しのところまで来ました」ウェスターグレンは報道陣に答えた。「僕は、最後には正義が勝つといつも信じているような、楽観的な人間です。だけど、今回ばかりは信念がぐらつきだしていました」と心情を吐露した。
これで2日後の7月15日に、インターネットラジオが壊滅することはなくなった。
ウェスターグレンにとって、人生でいちばん長い48時間だった。リスナーひとりひとりが議員たちにかけた電話が、Pandora最大のピンチを乗り切らせたのだ。彼は心底ほっとしたと同時に、活動に参加してくれた100万人のPandoraファンすべてを抱きしめたいほど感謝していた。
だが本質的には、時間稼ぎに成功した、というのが正確なところだった。数ヶ月続くのか1年なのか、その期間は不安げに揺れ動いていた。
地上波ラジオからの横槍を撃破。Pandoraリスナー百万人が起こした市民革命、ここに成る
インスレー議員の起草したインターネットラジオ平等法案(Internet Radio Equality Act)には、レコード産業がどうしても受け入れられない条項が入っていた。
売上が極めて小さいうちは、楽曲使用料の支払わなくてよい、という条項だ。これを認めれば、先に説明したように「趣味」を理由にストリーミングで音楽の垂れ流しが氾濫してしまう。衛星ラジオ・有線ラジオと平等に、インターネット放送もレベニューシェア型になっていることも、レコード産業からすれば大きな後退だった。
それに、7月13日の青空会議はギリギリの均衡で成り立っている、いわば口約束に過ぎなかった。ここでゴリ押せば均衡は崩れ、一気に破局を迎えかねない。事実上、インターネットラジオ平等法案は捨てる他なかった。
かわりに起草されたのが『インターネット放送調停法案(Webcaster Settlement Act)』だ。
インターネット放送調停法案は、CRBの行政判事たちが決定した料率を無視して、インターネット放送局と直接、価格交渉できる権限をSoundExchange自身に与えるものだった。つまりこの新法の下、PandoraとSoundExchangeで価格交渉が成立すれば、CRBの決めた法外な楽曲使用料は法的に無効化できる。現在の、ギリギリの均衡で成り立っているモラトリウムを、法的に保証する法案といえた。
2008年9月。
青空会議から一年が立ち、インターネット放送調停法案(WSA of 2008)は、下院で採決を待つばかりとなっていたが、ここで事態が急変した。地上波テレビ・地上波ラジオのロビー団体NAB(全米放送 事業者協会 National Association of Broadcasters)が横槍を入れてきたのだ。
アメリカの放送ネットワークは、傘下に数百の放送局を従える巨人だ。
850局のラジオを傘下に収めるクリアチャンネルに加え、CBSのような巨大な放送コンプレックスが集うNABは、インターネット放送陣営がかろうじて対峙してきたRIAA(米レコ協)など比較にならないほどの、大きな政治力を持っている。これまで静観を決め込んできた彼らがどういう経緯か、法案を覆すべく巨大なプレッシャーを議員たちにかけてきた。
ちなみに、この時NABを先導した全米最大のラジオ放送網クリアチャンネルは、2012年に今度はPandoraの味方につくことになる。
話を戻そう。
採決を翌日に控えた9月26日。
「緊急事態です!」
ウェスターグレンはこの見出しで始まるブログを投稿し、一年ぶりに一斉メールを打った。3度目の電凸依頼だ。メールには連邦議会の交換台の電話番号が掲載されていた。
結果を言おう。
それから48時間、議員会館の電話は鳴り続けた。テレビとラジオの強力なロビイ活動で、法案はほとんど覆されていたはずだったが、議員たちは意を翻し始めた。
採決の当日。朝にウェスターグレンは再度ブログを投稿した。
「もう一押しです。ワシントンにいるわれわれの味方は、『電話がいちばん効いている』と言っています」
ここらへんになると、メールやBBSでは議員連中は動かないことを、もうリスナーたちもよく分かっていた。切っても切っても鳴り続ける有権者の電話が、議員たちには一番効くのだ。電話のベルが鳴り響く中、連邦議会のロビーでは、ウェスターグレンたちと、地上波放送サイドのロビイストが入り乱れて、最後の説得にあたっていた。
「『マイゴッド!小さな放送局が(連邦議会に)爆撃してきた』わたしはそう叫びましたよ」
法案のスポンサーに名を連ねたドン・マンズーロ下院議員(共和・イリノア州 Don Manzullo)はこう振り返っている。電話爆撃の中で、テレビ・ラジオ側のロビイストたちの心は折れてしまった。ギリギリの段階で法案賛成派の議員が多数になり、法案は通過した。
かくて、Pandoraを代表とするインターネット放送局は、完全勝利を収めた。それは金力を背景としたロビイ政治に対する、草の根民主主義の勝利でもあった。Pandoraリスナー100万人が起こした市民革命は、ここに成ったのである。
iPhoneアプリで大ブレイク
▲Pandoraが出すiPhoneアプリのデモを見るべく、アップルストアに列を作ったPandoraファン。シカゴのアップルストアには500人の行列ができた
同年の2008年。
この市民運動と平行して、Pandoraはサービス面でも大きなブレイクを迎えていた。
7月にiPhoneアプリを出すと、これが社会現象を起こした。運動と平行していたことも功を奏したろう。炎上マーケティングならぬ革命マーティングだ。
アプリの発表日には、全米のアップルストアで、Pandoraアプリのデモを見ようとPandoraファンが列を成した。シカゴのアップルストアには500人の行列ができたという。この日からPandoraとAppleの蜜月が始まった。
iPhoneアプリのブレイクは、大きな転換点となった。車への参入だ。
iPhoneがあれば、どこでもPandoraを楽しめるようになった。ということは、メディア大国アメリカの主戦場、車の中へ乗り込むことになった、ということだからだ。年末には、わずか5ヶ月で200万ダウンロードを達成。そして、Pandoraアプリは、iPhoneのアプリ・ランキングで長らくNo.1に君臨することとなった。現在でもPandoraアプリは、利用頻度ランキングで、Facebookに次ぐNo.2だ(連載第23回)。
2009年7月7日。
怒濤の法案通過から1年が経とうとしていた。
この日、SoundExchangeとPandoraでついに交渉が成立。2015年まで、2007年に提示された一段高い料率(0.11セント/曲 約0.1円)が続くことで契約が成立した。値段が年々上がり最終的に0.21セント/stream(約0.2円/曲)まで上がる、というCRBの法外な新料率設定から始まった大蜂起は、ここに終結したのである。
2010年4月2日。
ジョブズ最後の傑作、iPadの発売前日。
iPadアプリのリリースを発表したPandoraのCTOトム・コンラッドは、感極まっていた。彼は元アップル社員で、OSXのいくつかの機能は、彼の発案によるものだ。フォルダにファイルをドラッグすると次々とフォルダが開いて、望んだ階層にファイルを収納できる、Macのあの機能はコンラッドの仕事で、今でも彼が特許を持ってるそうだ。
「僕はアップルに入社するんだ、って決めて受験勉強して、大学に入ったんです。そしてアップルに入社しました」
アップルに入り、アップルを去った自分が、アップルのイベントに招聘された。ジョブズがiOS 4デベロッパー・プレビューの基調講演をやった後、コンラッドがデベロッパーの代表として講演の舞台に立つのだ。感激せずにはいられまい。
iOS 4(発表当時の名称はiPhone OS 4)の目玉機能にはバックグラウンド機能があった。音楽放送のPandoraアプリがこれに対応すれば、Pandoraを聴きながらメールを打ったり、Facebookをチェックしたり、ということができるようになる。ここにスマホ時代の音楽放送のスタイルが完成しようとしていた。
基調講演から数日後、Pandoraのリスナー数は1,000万人(MAU)を超えた。キャズム越えだ。
後は、本章の冒頭に書き記したとおりだ。翌年2011年の7月にはニューヨーク証券市場に上場。初値は2,200億円をつけた。全米レーティングは6.5%を超え、総視聴時間はMTVの四倍に到達(連載第23回)。音楽放送の新たな帝王となっただけでなく、地上波放送を史上初めて超えたインターネット放送となった。影響力ではSpotifyをはるかに凌ぐ。2012月11月現在、Pandoraのリスナー数は全米で5,800万人を超えている。
2007年に起きた音楽ファンの大蜂起で、エピソードが残っている。
Pandoraの登録者850万人に送られた一⻫メールに、リスナーが激励メールを返すと、ウェスターグレンのメールアドレスで感謝のメールが返ってきた、という。ウェスターグレンは、大量に届いたリスナーの激励メールに、ひとつひとつ返信し続けていた。それが、彼の人柄だった。
後年、彼は「経営陣を動かす秘訣」をたずねられて、
「リーダーシップを語る際、みんなが忘れていることがあります。それは謙虚さです」
そう、答えた。リーダーの自分が謙虚だから、ケネディ(CEO)やコンラッド(CTO)のような優秀な人材がサポートしてくれるのだ、と。だが、メールのエピソードから分かるように、彼の美徳が及んだ範囲は、マネジメントの話に留まらないように思う。
ミュージックゲノムは「全ての才能と、全ての秀逸な楽曲を、売上に関わりなく等しく尊く扱いたい」という彼のフラットな理想から生まれた。そんな彼の理想と人柄に応じて、ミュージシャンたちが何十人も集まり、ピンチの際はボランティアで働いてくれもした。
2007年のアメリカに起きた音楽ファンの大蜂起は、ウェスターグレンの持つ謙虚なカリスマが引きおこした、という側面がある。ウェスターグレンは、全国をバンで巡り、あらゆる街で音楽ファンの声に等しく耳を傾けてきた。ミーティングで、ファンのくれるオススメCDを大事に受け取り、ミュージックゲノムのレパートリーに載せていった。
そんな彼の姿を知っていたからこそ、全国のPandoraファンたちはウェスターグレンの要請に応じ、立ち上がってくれたような気がするのだ。
著者プロフィール
榎本 幹朗(えのもと・みきろう)
1974年、東京都生まれ。音楽配信の専門家。作家。京都精華大学講師。上智大学英文科中退。在学中からウェブ、映像の制作活動を続ける。2000年に音楽TV局スペースシャワーネットワークの子会社に入社し制作ディレクターに。ライブやフェスの同時送信を毎週手がけ、草創期から音楽ストリーミングの専門家となった。2003年ライブ時代を予見しチケット会社ぴあに移籍後、2005年YouTubeの登場とPandoraの人工知能に衝撃を受け独立。
2012年より『未来は音楽を連れてくる』を連載・刊行している。Spotify、Pandoraをドキュメンタリーとインフォグラフィックの技法を使って詳細に描き、 日本の音楽業界に新しいビジネスモデル、アクセスモデルを提示することになった。 音楽の産業史に詳しく、ラジオの登場でアメリカのレコード産業売上が25分の1になった歴史とインターネット登場時の類似点 や、ソニーやアップルが世界の音楽産業に与えた歴史的影響 を紹介し、経済界にも反響を得た。
寄稿先はYahoo!ニュース、Wired、文藝春秋、プレジデント、NewsPicksなど。取材協力は朝日新聞、Bloomberg、週刊ダイヤモンドなど。ゲスト出演はNHK、テレビ朝日、日本テレビなど。音楽配信、音楽レーベル、オーディオメーカー、広告代理店を顧客に持つコンサルタントとしても活動している 。
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