40年かかったレコード産業、黄金時代の再来「未来は音楽が連れてくる」連載第37回
https://youtu.be/6nV7SD-eMHg
▲ロックンロール・ブームを牽引したカリスマDisc Jockey、アラン・フリードが主人公の映画「ミスター・ロックンロール」
売上枚数の回復だけでは、完全復活できなかったレコード産業
「アラン・フリード。僕の名前だ。僕の半生は、ロックンロールの歴史でもあるんだ」
独白に続いて、男は壇上に立ち、エムシーを始める。オーディエンスは熱くなり、伝説のロックンローラー、ビル・ヘイリーの演奏が始まる。
1957年のボストン。男の主催するこのライブショーは、ロックンロールにとっても、男の人生にとっても頂点だったかもしれない。ロックンロールのブームは、この男から始まり、ブームはピークを迎えていたからだ。
オープニング曲は、ロック・アラウンド・ザ・クロック。「ロックンロールの最初にして最大のヒット曲」だ。ビルボードで8週連続1位を飾り、売上枚数は累計2500万枚に達した。つまらない大人たちに反逆する当時のティーンエイジャーにとって、この曲は、世代のアンセムとなった。
映画「ミスター・ロックンロール」が描く、歴史の1コマだ。
主人公のアラン・フリードは、ロッカーではない。だが、ラジオDJの彼が「ロックンロールの生みの親」であることに間違いは無かった。彼こそが「ロックンロール」の名付け親であり、今ではチャック・ベリーやプレスリーたちと共に、ロックの殿堂に並んでいる。
「北米レコード産業は、フリーメディアのラジオが普及した際、恐慌も重なり壊滅した。だが、様々なイノヴェーションを重ね、15年を費やし、1942年にようやく売上枚数を回復した」
そう、書いた(連載第36回)。しかしそれは、1920年代の黄金時代が再来したことを意味していなかった。ARC、Deccaといった新興のメジャーレーベルが価格破壊を起こしていたからだ。
値段が半額以下になったのなら、2倍以上の枚数を売らなければ、本当の意味での復活にはならない。黄金時代を再来させるためには、レコードの大量消費を生む「何か」が必要だった。
「ラジオはレコードをかけてはいけない」タブーを破った太平洋戦争
アラン・フリードの人生は、その答えの「何か」だった。
【本章の続き】
■TOP40番組の発明
■終戦がもたらしたインディーズレーベルの復活
■テレビの脅威が、ラジオDJとロックンロール全盛の時代を創った
■テレビ・映画を活用し、反撃を試みるメジャーレーベル
■50年代末、ついに黄金時代が再来
■反動。あるいはペイオラ・スキャンダル
■ディスク・ジョッキーの転落、そしてブームの終わり
>>次の記事 【連載第38回 日本が世界の音楽産業にもたらしたもの】
著者プロフィール
榎本 幹朗(えのもと・みきろう)
1974年、東京都生まれ。音楽配信の専門家。作家。京都精華大学講師。上智大学英文科中退。在学中からウェブ、映像の制作活動を続ける。2000年に音楽TV局スペースシャワーネットワークの子会社に入社し制作ディレクターに。ライブやフェスの同時送信を毎週手がけ、草創期から音楽ストリーミングの専門家となった。2003年ライブ時代を予見しチケット会社ぴあに移籍後、2005年YouTubeの登場とPandoraの人工知能に衝撃を受け独立。
2012年より『未来は音楽を連れてくる』を連載・刊行している。Spotify、Pandoraをドキュメンタリーとインフォグラフィックの技法を使って詳細に描き、 日本の音楽業界に新しいビジネスモデル、アクセスモデルを提示することになった。 音楽の産業史に詳しく、ラジオの登場でアメリカのレコード産業売上が25分の1になった歴史とインターネット登場時の類似点 や、ソニーやアップルが世界の音楽産業に与えた歴史的影響 を紹介し、経済界にも反響を得た。
寄稿先はYahoo!ニュース、Wired、文藝春秋、プレジデント、NewsPicksなど。取材協力は朝日新聞、Bloomberg、週刊ダイヤモンドなど。ゲスト出演はNHK、テレビ朝日、日本テレビなど。音楽配信、音楽レーベル、オーディオメーカー、広告代理店を顧客に持つコンサルタントとしても活動している 。
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