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MTVのグローバル経営から学ぶ。クールジャパンの進め方「未来は音楽が連れてくる」連載第40回

コラム 未来は音楽が連れてくる

http://youtu.be/-wYmq2Vz5yM
▲Bjorkの『Big Time Sensuality』。アイスランドの歌姫は、第一回MTVヨーロッパ・ミュージック・アワード(EMA)のベストソング賞を受賞した。欧州最大の音楽イベントMTV EMAは、ベルリンの壁崩壊から5年後に、ブランデンブルグ門で初めて開催された。

本書でMTVの世界展開を取り扱うべきか、かなり悩んだ。MTVブームの無かったこの国では、全く一般ウケしそうにないからだ。しかしクール・ジャパンの今後を考えるにあたって、少なからぬ示唆を与えてくれることを鑑み、掲載することにした。その理由は読み進んでいけば、おのずと感じ取っていただけるように思う。

 

押しつけの文化輸出は通用しない

 

ビル・ローディがロンドンに着任したとき、MTVの名前を知っているイギリス人は全国でたった6%しかいなかった。

1987年、軍人上がりのローディは、MTVを買収したサムナー・レッドストーンからヨーロッパ上陸作戦の指揮官に任命された。アメリカで起きたMTVブームをに広げるのが任務だった。アメリカ市場と並ぶ欧州が最初のターゲットだ(※)。

(※ 1990年時点で欧州のシェアは全世界の35%、アメリカは31%、日本は12% Billboad, Oct. 12, 1991 pp.3)

今ではMTVの名はグローバリゼーションの象徴だ。だが、MTVが海外進出を始めた頃、「アメリカ文化のゴリ押しなどもっての他」というのが欧州の雰囲気だった。

「我が国にはBBCがあります。世界最高のチャンネルですよ。他に3チャンネルもある。なぜアメリカのチャンネルが我々に必要なんですか?」

イギリスのメディア関係者は、MTVの需要がないことを誇らしげに告げてきた。アメリカ文化への軽蔑すら、かすかに匂わせていた。

イギリスに限らなかった。当時、欧州統合の機運が高まっていたヨーロッパ諸国は、「反アメリカ文化」が共通の感情だった。人はまとまろうとするとき、得てして共通の敵を創りたがるものだ。とはいえ、虚り無き心情もそこには隠れていた。

音楽は文化だ。各国の住民は自分たちの文化に誇りを持っている。文化産業はコーラやハンバーガーのようにはいかない。だから、理想を言うならそれぞれの国の音楽で、国別にMTVをやるのが望ましかった。

それが、不可能だった。コストの問題ではない。

ミュージックビデオが無かったのだ。欧州ではイギリス以外、当時ミュージックビデオを創る商習慣は無かった。MTVを立ち上げたとき、アメリカの音楽業界にミュージックビデオがほとんど無かったのと同じだ(連載第39回)。

「アメリカのMTVをそのまま世界に輸出すればいい。効率的だし、何よりアメリカ音楽の人気は世界一なんだから」

VIACOM(MTVの親会社)のヘッドクォーターには、そんな勘違いをした取締役も少なくなかったという。かすかに、日本のコンテンツ産業政策を想起させる。前線を視察したローディは、その慢心がいかに非現実的か、お偉方に伝えなければならなかった。

 

 

「ダメな理由」で溢れていた

 

アメリカのMTVを輸出するのではなく、ヨーロッパ共通のMTVを立ち上げる。前線指揮官のローディは本部を説得し、そう戦略を切り替えた。「MTVヨーロッパ」だ。

これなら反アメリカ感情もクリア出来る。各国にミュージックビデオがない問題もだ。何より「汎ヨーロッパ」の夢は、当時、流行になりつつあった。ローディは、このトレンドに戦略をかぶせた。

だが、その汎ヨーロッパが曲者だった。

ローマ帝国崩壊以降、欧州は千数百年かけてローカライズが進んできた。汎ヨーロッパのかけ声は少なくとも文化的には、木霊のように中身がなかった。そもそもMTVヨーロッパと言っても現実問題、ミュージックビデオはアメリカ、イギリスのものしかない。

問題は、番組の中身だけではなかった。アメリカのビジネスモデルを、欧州にそのまま持ってきても通用しそうになかった。

MTVの事業モデルは、広告売上とサブスクリプション売上で成り立ってる。その意味で、SpotifyとMTVは、似たビジネスモデルだ。アクセス・モデル(※)という点でも共通している。

(※ ストリーミングや放送を通じて、ユーザーが音源へアクセスする権利をマネタイズするビジネスモデル。CDやダウンロード販売のように、マスター音源の複製をユーザーが購入する従来のモデルと異なる)

20年後、Spotifyの登場で、欧州はサブスクリプション・モデルの発火点となる。iTunesのダウンロード売上が根付いたアメリカ市場は、Spotify上陸時、ニッチなサブスクリプションが本当に受けるのか、懸念があったほどだ。

だが80年代末のヨーロッパでは逆に、MTVのサブスクリプション・モデルが成り立ちそうに無かった。専門チャンネルを扱うケーブル網自体がほとんど普及していなかったからだ。インフラが普及し、商習慣が確立するまでは、基本フリーの広告モデルに頼るしかあるまい。

しかし、広告モデルの眼前にも「不可能」の壁が聳え立っていた。どの国の広告市場も、自国の放送局しか扱ったことがなく、ヨーロッパ共通のチャンネルで広告を売ることなど前例がなかった。

「インターナショナル広告なんて、聴いたこともありませんね。理想論では?」

各国の広告代理店は、笑顔でそう断ってきた。MTVの海外進出は、「できない理由」で溢れていた。だが世の中には障害に遭遇すると、元気になっていく人種がいる。ローディがそれだった。「NO」と言われる度に彼の顔には、不適な笑みが浮かんだ。静かな炎が彼を包んだ。

 

 

「掟破り」の時間差フリーミアム・モデル

 

連載第40回 メディアが音楽を救うとき(中)〜MTVのグローバル経営から学ぶ。クールジャパンの進め方
▲カイリー・ミノーグとビル・ローディ。2003年、MTVムービーアワードでの1枚。表情の硬い彼には珍しく破顔している。
Image : http://www.billroedy.com/gallery/

既存のやり方を全て、ぶち壊すことにした。

まず編成方針だ。アメリカ製番組のグローバリゼーションも通じない。各国にミュージックビデオが無いからローカライゼーションも無理。ならば、どちらの常識を破ってしまえばいい。ローディの出した答えは、グローバルでもない。ローカルでもない。「グローカル」というコンセプトだった。

ローディはスタッフからアメリカ人を排除。

完全に現地雇用にした。そして、現地スタッフに編成を任せる。アメリカから来た番組素材をどう使って、どう現地の番組に仕上げるかは彼らの自治権に委ねられた。ヨーロッパ放送の共通語として英語を選んだが、英語が母国語のVJは避けた。視聴者は非英語圏がほとんどだ。たどたどしい英語に親近感をもってもらう方が大事だった。

こうすれば、元がアメリカの素材でも、欧州向けにローカライズされたプロダクトが出来上がる。言語の障壁を低めるため、本家MTVよりもずっとミュージックビデオの比率を高めることにした。

最初はイギリス・アメリカの音楽ばかりでも、いずれMTVヨーロッパを見て、欧州諸国のレーベルもミュージックビデオに目覚める。ローカル・コンテンツの比率はいずれ上げられる、と踏んだ。アメリカのレーベルも最初はミュージックビデオを創らなかったが、2年で考えが変わった(連載第39回)。

ビジネスモデルでも、アメリカの常識から離れることを選んだ。

「インフラが整備されてないからまともにビジネスが出来ない」なんて言っていたら、海外戦略は進まない。やれることから始めてなければ、やがて内外から現れる競合に出し抜かれるに決まっている。ローディは有料モデルにこだわらず、広告モデルを活用することにした。地上波放送と契約し、MTVを無料で流すのだ。

掟破りは、地上波のことに留まらなかった。

欧州に散在する何十もの地上波放送と契約交渉をやっていたら、時間がいくらあっても足りない。1988年、欧州初の民間通信衛星アストラ1Aが打ち上げられると、ローディは年間1000万ドル(約10億円/年)で契約。「売上も立ってないのにそんな大金を使ってどうする」と反対を受けたが押し切った。

大胆不敵は続いた。

欧州全土へノン・スクランブルでMTVヨーロッパを配信したのだ。パラボラアンテナを買えば、事実上、欧州全土でMTVはタダで見放題ということを意味していた。この決断が数年後、歴史をも動かすことになる。東欧の住民がツテでパラボラアンテナを取り寄せ、MTVをこっそり見始めた。そこには自由主義社会の日常風景があった。

ローディには勝算があった。

まず無料配信でMTVを欧州全土に普及させてしまう。そこで多国籍企業から広告収益を上げる。そしてMTVが欧州全土の若者の生活に根付いた時点で、地上波はケーブルへ移動させ、衛星放送はスクランブル化する。その頃にはインフラも整っているだろう。

そうすれば欧州の日常生活に、一気にサブスクリプション・モデルを組み込むことが出来る、という長期戦略を立てたのだ。いわばローディは「時間差フリーミアム・モデル」をやってのけた。

この時間差フリーミアムは、MTVが本国での立ち上げ時に使った手法でもあったが(連載第39回)、海外進出でここまで思い切って活用してきた放送ネットワークは、ローディのMTVヨーロッパが初めてだった。Spotifyも同じだ。まず無料で生活から切り離せなくして、ある時点から音楽のマネタイズに入る。

無料放送が基本となると、広告が生命線となる。ローディはここでも掟破りを選んだ。

「無理」しか言わない広告代理店を飛ばし、直で多国籍企業の広報と付き合うことにした。まずコカコーラのCMを無料で全ヨーロッパに流した。これを「前例」にしてペプシやベネトンから国際広告の契約を取ることに成功。

1989年にはゼロだった全欧広告のクライアントは1年で45件に。その翌年にはナイキやヴィザ、リーボックなど130件の国際的なブランドが顧客となった。

ローディたちは、国際広告という新市場を自ら創造した。国境を越えた放送が、国境を越えた視聴者を創り、多国籍企業の前に、国境を越えた広告市場が誕生した。かつてラジオが音楽の力で広大なアメリカをまとめ上げ、大量消費社会を創ったように(連載第36回)、衛星はMTVというキラーコンテンツを得て、国境を越えたマーケットを創造することとなった。

広告モデルの欠点は、広告市場が限られたパイであることだ。IT以降登場したヴェンチャーのフリーモデルが次々と縮小していった原因はここにある。Googleが限られたパイをほとんど押さえてしまったからだ。

一方、当時のMTVはインターナショナル放送の実現で、多国籍企業が新市場を切り開く機会を提供。企業の新市場は、広告市場の新たなパイを生みだし、MTVは高収益な広告モデルを実現した。同じようにPandoraはモバイル放送で音声広告の市場を創造。アメリカでGoogleに次ぐモバイル広告売上を実現した。

MTVネットワークは現在、広告5割、サブスク4割、マーチャンダイズなどその他が1割といった感じだ(※)。当時のMTVヨーロッパは広告売上が9割を占めていたが、インターナショナル広告という新市場を創造したおかげで、MTVヨーロッパはたった3年で黒転することとなった。

ローディのポリシー「掟破り」は、次々とイノヴェーションを起こしていった。

(※ http://ir.viacom.com/common/download/download.cfm?companyid=VIA-B&fileid=658702&filekey=8dbbf6fb-e0f9-4516-a95d-5b593cf97704&filename=Final_2013_Q2_Trending_Schedules.pdf )

 

 

音楽は核より強し

 

http://youtu.be/oTQEIlLrEMU
▲マンガ。メタルとヒップホップを融合したトルコのバンドだ。日本の漫画好きが高じてこのバンド名になった。2009年、ヨーロッパ最大の音楽イベントMTV EMAでベスト・ヨーロピアン・アクト賞を受賞。この年のEMAは、ベルリンの壁崩壊20周年を記念してブランデンブルグ門で開催された。

「フォレスト・ガンプみたいだ」

イギリスのフィナンシャル・タイムズ紙は、ビル・ローディをそう評したことがある(※)。ベルリンの壁崩壊、バルト三国のソ連邦脱退、ロシアの民主化と大統領選。90年代に欧州で起きた歴史的イベントのほとんどに彼の姿があった。

(※ http://www.ft.com/cms/s/0/088b793c-8e28-11e0-bee5-00144feab49a.html )

1989年。CNNが天安門事件を世界に生中継したのをきっかけに、ベルリンの壁は崩壊。『ミュージックテレビは文化の壁を破壊できるのか』というテーマで東ベルリンのセミナーに招聘されていたローディは、歴史の現場に立ち会うこととなった。セミナーにあたり、特別にMTVが東ベルリンのホテルで放映されていた。

「衛星から降り注ぐ情報のシャワーが、世界中の独裁政権を崩壊させるだろう」

ライバルのマードックは当時、そう講演した。ローディの方は、独裁政権崩壊後の旧共産圏に乗り込み、新政府を次のように説得して回っていった。

「MTVの放映を認可すれば、多国籍企業が進出してきますよ。『自由化が進んだ』と安心するからです。経済復興に必要な資本を誘致することができます」

ロシアではMTVが開局すると、ベネトンやコカコーラなど多国籍企業がさっそく広告を出し、ロシアに拠点を作り始めた。ロシア人にとってはCM自体が初体験であり、MTVはこれから始まる新生活を覗き見るウィンドウだった。

東欧圏だけでない。中国の江沢民、南アフリカのマンデラ、キューバのカストロ、チベットのダライ・ラマ等々。ローディが世界中で会った国家元首級の人物は30人以上にのぼった(※)。

(※ The Independent, 16th Nov. 2009 )

新政府が希求したのは外資マネーだけではなかった。基盤の不安定だった新政府は、若者たちの支持を維持する必要があった。東欧革命の主役は彼らだったからだ。彼らはMTV上陸を待望し、歓迎した。旧共産圏の若者たちにとって、MTVの届ける音楽は、手に入れた自由の象徴となった。

世界を駆け巡るCNNの報道が、東欧革命のきっかけを創ったとしたなら、空から音楽を降り注いだMTVは、革命後の新世界を先導する役目を歴史的に果たすこととなった。

かくて90年代、ユーラシア大陸で自由主義の先導役となったMTVは、アメリカの文化から世界の文化に生まれ変わった。

2009年。ベルリンの壁崩壊20周年を記念して、MTVは大規模なミュージック・アワードをベルリンで開催した。そこには招待されたゴルバチョフの姿があった。

「音楽には世界を変える力があります。音楽には、核ミサイルよりも強い力があるのです」

特別賞を受賞したゴルバチョフのこの決めぜりふ(※)は、ローディが半生をかけて体験した真実だった。20代の頃、ヴェトナム戦争に従軍し、戦後はNATOの一員としてイタリアに着任。ローディは核ミサイル基地の指揮官を勤めた。そんな異色の経歴を持つ彼は、MTVが音楽の力で、自由と資本主義をかつての敵国に広げていくのを指揮することになった。

(※ Bill Roedy, David Fisher (2011) What makes business rock : building the world’s largest global networks, Wiley, pp.258)

 

 

音楽が命を救うとき

 

http://youtu.be/B5bhSSTFvAQ
▲UNAIDSコンサート(2006)におけるワイクリフ・ジョン。MTVのエイズ予防キャンペーン『Staying Alive』にかけて『We Are Stayin’ Alive』をやった。ビル・ローディとは人道支援に熱心な者同士で仲がよい。

トム・ハンクスの演じるフォレスト・ガンプは国連の講演台に立ったが、ローディも同じだった。MTVでエイズ予防キャンペーンを先導してきた彼は、

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【本章の続き】
■音楽が命を救うとき
■グローカルからローカルへ
■各国でローカル音楽が活況に。そしてレコード産業は第三次黄金時代へ
■MTVのグローバル・フィードバックと、レコード産業の第三次黄金時代
■MTVのグローバル経営から学ぶ。クールジャパンの進め方

「未来は音楽が連れてくる」電子書籍 第1巻

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著者プロフィール
榎本 幹朗(えのもと・みきろう)

 榎本幹朗

1974年、東京都生まれ。音楽配信の専門家。作家。京都精華大学講師。上智大学英文科中退。在学中からウェブ、映像の制作活動を続ける。2000年に音楽TV局スペースシャワーネットワークの子会社に入社し制作ディレクターに。ライブやフェスの同時送信を毎週手がけ、草創期から音楽ストリーミングの専門家となった。2003年ライブ時代を予見しチケット会社ぴあに移籍後、2005年YouTubeの登場とPandoraの人工知能に衝撃を受け独立。

2012年より『未来は音楽を連れてくる』を連載・刊行している。Spotify、Pandoraをドキュメンタリーとインフォグラフィックの技法を使って詳細に描き、 日本の音楽業界に新しいビジネスモデル、アクセスモデルを提示することになった。 音楽の産業史に詳しく、ラジオの登場でアメリカのレコード産業売上が25分の1になった歴史とインターネット登場時の類似点 や、ソニーやアップルが世界の音楽産業に与えた歴史的影響 を紹介し、経済界にも反響を得た。

寄稿先はYahoo!ニュース、Wired、文藝春秋、プレジデント、NewsPicksなど。取材協力は朝日新聞、Bloomberg、週刊ダイヤモンドなど。ゲスト出演はNHK、テレビ朝日、日本テレビなど。音楽配信、音楽レーベル、オーディオメーカー、広告代理店を顧客に持つコンサルタントとしても活動している 。

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Twitter:http://twitter.com/miky_e

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