スティーブ・ジョブズが世界の音楽産業にもたらしたもの(2)〜iTunesとミュージックマンたち「未来は音楽が連れてくる」連載第46回
▲iTunesのビデオ・レンタルを発表するジョブズ。Apple追放後、Pixer社を経営していた時代にディズニー社と渡り合い、コンテンツ業界のタフな交渉を学んだ。その経験があったからこそ、メジャーレーベルのCEOたちとの交渉をリードし、iTunesミュージック・ストアをまとめ上げることができた。
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ミュージックマンたちの決断
▲ジミー・アイオヴィン。卓越した耳で才能を拾い、インタースコープをユニバーサル・ミュージックの旗艦レーベルに育て上げたミュージックマンだ。ジョブズと意気投合した彼は、傘下の大物アーティストたちを説得。iTunesミュージック・ストアに全レーベルのアーティストが集うきっかけとなった。現在、Dr.Dreと音楽配信とハードウェア・ビジネスを興し、ライブ事業に続く360度ビジネスを創出しつつある。Appleの社外取締役も務めたことがあり、ある意味、ジョブズ・スピリットの後継者といえる。
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ジミー・アイオヴィンは答えを探していた。
ブルース・スプリングスティーンのレコーディング・エンジニアだった彼は、才能を聴き分ける卓越した耳を持っていた。彼はその耳で世界のトップ・レーベル、インタースコープを創りあげた。
上に登場したドレ、エミネム、NINのレズナー、クロウ、U2。他にベック、ゴリラズ、レディ・ガガ。当時、高校生だったガガを除いて、その全てがiTunesミュージックストアのお披露目で目玉アーティストとなったが、みなアイオヴィンのインタースコープに在籍している。
技術音痴が少なくない音楽業界だが、エンジニア上がりのアイオヴィンはそうではなかった。テクノロジーを知悉するがゆえにこそ未来を憂えていた。レコード産業の依って立ってきた技術的根拠を、ファイル共有は破壊してしまった。
業界人たちがシリコンバレーをなじって溜飲を下げる一方、彼は違う道を取った。
悟りを求めて師を探す僧のように、あるいは才能を求めてライブハウスを巡るディレクターのように、彼はシリコンバレーの会社という会社を巡っていた。答えを持つ人物をじぶんで探し当てようとしていたのだ。
だが、IT業界の「賢人」と会う度に、失望感は深まっていくばかりだった。
「すべての産業が未来永劫続くってわけじゃないんですよ」
当時、IT業界の盟主だったインテルの最高幹部が言い放ったこの言葉は、アイオヴィンの心臓を突き刺したという(※146)。この最高幹部とは、アンディ・グローブ会長その人だったのではないか。彼はインターネットすべてがNapsterのようになると公言していた(第2章)。
IT業界の経営者は音楽を救うことに関心などない…。徐々にアイオヴィンはドライな真実に気づいていった。ITバブル崩壊で、じぶんたちのことで精一杯なのだ。
ダグ・モリスは怒っていた。
ソングライターとしてキャリアをスタートしたモリスは、伝説のミュージックマン、アーメット・アーティガンの右腕となり、やがてレコード産業の頂点に立つことになった。レコード産業の盟主、ユニバーサル・ミュージックはモリスが率いる時代に、Napster革命と遭遇した。
モリスが頭に来ていたのは、社内のデジタル担当者たちだった。
彼らのやることなすこと、すべてが失敗していたからだ。iPod発売の5ヶ月前に、ユニバーサル・ミュージックはmp3.comを巨額の3億7,000万ドル(約370億円)で買収した。だがユニバーサルとの裁判をきっかけに失調したmp3.comは買収後、調子を戻すことはなかった。
デジタル担当者たちは続いてSony Musicと組み、定額制ストリーミングを鳴り物入りで開始した。だが始まってみれば、コンテンツアグリゲーションもまともにできていないし、プロダクトプラニングには何のきらめきもない。コピーガードにばかり頭が行ったせいで、システムの出来は最悪。音楽ファンから総スカンを食っていた。
そんな折だった。モリスの元に、ワーナー・ミュージックのエイムズがその男を連れてきた。
モリスはワーナーのOBだった。ユニバーサルに来る前、ワーナーの旗艦レーベル、アトランティックをアーティガンと経営していた。後輩のエイムズがぜひ紹介したいというからには、会わないわけにはいくまい。
2002年、秋のNY。ブロードウェイにあるモリスのオフィスに現れたジョブズは、ロックスターと同じ才気を身に纏っているように見えた。
デモの合間に挟むジョブズの説明は、モリスの心に響くものだった。iTunes Music Storeからワンクリックで購入する。iPodで聴く。とてもシンプルだ。これならCDを売って、プレイヤーで聴いてもらうのと同じように、レコード産業は安全だ。CDにできないコピープロテクトもiTunesならかけられる。レコード産業が何に困っているか、よくわかっていると思った。
だが、懸念点もある。Appleに一元管理をまかせれば、いつの間にか主導権を持っていかれるかもしれない。
モリスがワーナー・ミュージックにいた頃のことだ。親会社のワーナー・コミュニケーションズがMTVを立ち上げた(本書Part 1)。同じグループとしてMTVを助けたが、いつのまにかMTVが産業の主導権を握ってしまったことを思い返していた。ビデオをオンエアするかしないか。新譜の生殺与奪権はMTVの編成チームが握るようになった。
iTunes Music Storeが主流になったら、アルバムビジネスを諦めることになるかもしれない。
「アルバムはすでに崩壊しています。Napsterで」
それはその通りだが…。
「まずMacでやらせてください」とジョブズは切り出した(※146)。「そうすれば…もしまずいことが起きても荒らされるのは市場の5%だけだから」
ここに向かうタクシーの中で、エイムズと打ち合わせした決め台詞だった。経営界のスーパースターが、謙虚な物言いをする。モリスの心はぐらりと動いた。
ジョブズはもはや20代のロックスターではなかった。Appleから離れた時代、Pixer社を創り、ハリウッドの頂きを創るディズニーのCEOと渡り合ってきた。いつの間にか、コンテンツ産業とのトップ交渉をマスターしていたのだ。
会談を終える頃には、モリスの直観は確信に変わりつつあった。レコーディングに、才能あるプロデューサーが要るように、ITの世界にも才能が要るのだ。
加えてジョブズという男は、「こちら側の人間」でもあった。Pixer社を創業し、『Toy Story』(トイ・ストーリー)や『Monsters, Inc.』(モンスターズ・インク)をハリウッドに送り出した。同じコンテンツ産業の経営者としてファイル共有の問題を危惧していた。Appleはソフトウェアの違法コピーに長年、苦労してきたとも言っていた。
CEO室でひとりになったモリスは考え込んだ。ジョブズの予言通り、定額制配信は失敗に終わるだろう。
アルバムのダウンロード販売では、ファイル共有とは戦えまい。それはEMIが、元ワーナーの人気コンサルタント、テッド・コーエンを雇って進めていた。だがアルバム中心のダウンロード販売サイト、LiquidやEmusicは死に体だった。
少し話は逸れるが、若き日のジョブズはワーナーとニアミスしている。大学中退後、アタリに入社したが、悟りを求めて休職。インドを放浪した後、復職し、ウォズニアックに手伝ってもらって「ブロック崩し」を開発した。これが大ヒットしてアタリはワーナーが買収するが、その直前に小遣い稼ぎで創ったApple Iも当たって、ジョブズはアタリを辞めている。
モリスは電話を手に取った。アイオヴィンに相談することにしたのだ。
「救世主をみつけたかもしれないよ」
モリスはそう切り出した。ジョブズと会って君の意見を聴かせて欲しいと、驚くアイオヴィンにモリスは頼んだ(※147)。アイオヴィンは才能を見抜く力を持っている。その力にモリスは絶大な信頼を置いていた。
アイオヴィンがアトランティックでインタースコープを立ち上げて以来、数十年の付き合いだった。モリスはMCA(現ユニバーサル・ミュージック)のCEOを引き受けてすぐに、アイオヴィンのインタースコープをワーナーから買い取った。
アイオヴィンに、アーティガンの面影を見ていたのだろう。
モータウンと並んでR&Bのマーケットを創り上げ、その後、ツェッペリンやストーンズと共にブリティッシュロックの時代を創ったアーティガンのアトランティック・レコードは、ワーナーに黄金時代を到来させた。アーメットと同じく奇跡の耳を持つアイオヴィンのインタースコープは、いずれユニバーサル・ミュージックに黄金時代をもたらしてくれる。モリスはそう信じていたように思う。
モリスの紹介を受け、アイオヴィンはクパチーノに赴いた。圧倒されたという。iTunes Music Storeのシステムは他の音楽配信と一線を画すクオリティだった。それだけでない。事業計画は緻密で、何よりレコード産業の将来像を情熱的に話す。彼こそ探し求めていた、答えを描けるビジョナリーだった。
「ぼくらはすぐに意気投合した」
アイオヴィンはそう語る。この頃、ユニバーサル・ミュージックをAppleが買収するかという報道が流れた。実際、そんな会話がジョブズとのあいだであったらしい(※146)。ぜひそうなってほしいと願ったほど、彼はジョブズが好きになった。
アイオヴィンは傘下のアーティストにiTunes Music Storeへ参加するよう、説得を開始した。「レコード産業には優れた人間もいると会ってわかった。いっしょに世界を変える気になってくれた」とジョブズは後に発表の場で語った(※148)。
モリスの方は、社内の反対派スタッフをなだめすかした。
ユニバーサル・ミュージック内のデジタル担当者たちはiTunesの抵抗勢力となった。プレスプレイで無能扱いされて臍を曲げたらしい。Macのシェアなんて5%なんだから一度やらせてみろといモリスの説得に、インターネットの専門家たちはしぶしぶ折れた。
【表5】2002年当時、5大メジャーの世界的シェア(IFPI)。1位のユニバーサル・ミュージックが世界の4分の1を持っていた。ジョブズはAOLにあったつてを使い、兄弟会社のワーナー・ミュージックにまずコンタクト。味方につけると元ワーナー繋がりでユニバーサル・ミュージックのモリスCEOを紹介してもらう。モリスが旗艦レーベル、インタースコープのアイオヴィンCEOをジョブズに紹介した時点で、ほぼ勝負が決まった。親会社のWalkman事業を慮ったSony Musicは最後の参加となった。
あとのレーベルはSony Musicを除き、ユニバーサルに右へ倣えだったという。ユニバーサル・ミュージックは2002年当時、世界で27%のシェアを持つ圧倒的な盟主だった。
BMGは親会社ベルテルスマンで定額制配信の推進を仕切っていたミデルホフCEOの首が飛び、コンパスを失った状態だった(第2章)。周囲を見渡して判断する他なかっただろう。
ジョブズはさらに、メジャーレーベルを口説き落とすためクレージーなアイデアを投入した。
iPod/iTunesストアの宣伝にタイアップ枠を用意する。ここまでは普通だ。宣伝費の桁がふたつ違った。7500万ドル(約75億円)を投入するというのだ。音楽プレイヤーの広告規模としては他社比で100倍だった。
「iPodを売ればMacも同じように売れるはずだと、すごいことに気づいたんだ」
iPodの粗利はiMacのそれとほぼ同額だった。iMacの宣伝費を全部iPodにつっこめば2倍おいしい。さらにメジャーレーベルを口説けるときたら1粒で3倍おいしいことになる。
EMIは、デジタル配信に明るいジェイ・サミットがイニシアチブを取っていた。
レコード産業で思想的リーダーを務めていた先のテッド・コーエンをスカウトし、ダウンロード販売を進めていたところだった(第1章)。EMIは、ジョブズのアイデアと親和性が高かったが、この桁外れなタイアップ枠の提案が決定打になったようだ。
実際、iPod/iTunesのCMが始まると、00年代なかばの音楽トレンドを決めていったと言いたくなるぐらいの勢いで、シルエットCMからヒット曲が続出することになる。
残りはSony Musicだけだった。
※146 『iPodは何を変えたのか』第5章
※147 ウォルター・アイザックソン『スティーブ・ジョブズ』第30章
※148 Apple Event 2003 April 28th
Sony Musicの苦悩
【図1】音楽産業におけるソフト(黒)とハード(紫)の規模。ジョブズは、音楽ソフトで儲けず音楽ハードで稼ぐ戦略を打ち出した(※149)。音楽はキラーコンテンツのひとつだ。
意外だが、Sony Musicのトップは端からiTunes Music Storeに賛成だった。
「スティーブが話しはじめてから、私が心を決めるまで、15秒もかからなかったと思います」
当時、ジョブズと交渉したSony Musicのアンディ・ラックは振り返る(※150)。
ラックは、Sony Americaのトップだったストリンガーと同じテレビマン出身だ。CBSで報道番組のプロデューサーを務め、NBCの社長となった後、Sony Musicに来た。
社内には当然、デジタル売上がCDを喰うのではないかと懸念する声があった。だがジャーナリストの経験から、ラックには音楽レーベルはジョブズの言う方向に進むべきことがすぐに理解できた。
ラックとストリンガーが慮ったのは、Walkman部隊のことだった(本書Part 1)。
ソフトとハードの両輪を実現しなければ次の時代は生き残れない。Sonyのミュージックマン、大賀典雄は、Walkmanを生んだ盛田昭夫をそう説得してコロムビア・レコードを買収した(本書Part 1)。それがSony Musicだ。いままさに、大賀の予言した時節が到来していた。
ジョブズのやろうとしている一体型ビジネスは本来、Sonyがやるべきことではないのか…
【本章の続き】
■はじめ、iPodは理解されなかった
■セレンディピティ。iPodのもたらした音楽生活の変化(1)
■一体型サービスだけが出来る一元管理
■1曲99セント。破壊的イノヴェーション
■アルバムの終わり?
■U2とDr.Dre。MTVとiTunes。
>>次の記事 【連載第47回 スティーブ・ジョブズが世界の音楽産業にもたらしたもの(3)〜iTunes革命の成就】
著者プロフィール
榎本 幹朗(えのもと・みきろう)
1974年、東京都生まれ。音楽配信の専門家。作家。京都精華大学講師。上智大学英文科中退。在学中からウェブ、映像の制作活動を続ける。2000年に音楽TV局スペースシャワーネットワークの子会社に入社し制作ディレクターに。ライブやフェスの同時送信を毎週手がけ、草創期から音楽ストリーミングの専門家となった。2003年ライブ時代を予見しチケット会社ぴあに移籍後、2005年YouTubeの登場とPandoraの人工知能に衝撃を受け独立。
2012年より『未来は音楽を連れてくる』を連載・刊行している。Spotify、Pandoraをドキュメンタリーとインフォグラフィックの技法を使って詳細に描き、 日本の音楽業界に新しいビジネスモデル、アクセスモデルを提示することになった。 音楽の産業史に詳しく、ラジオの登場でアメリカのレコード産業売上が25分の1になった歴史とインターネット登場時の類似点 や、ソニーやアップルが世界の音楽産業に与えた歴史的影響 を紹介し、経済界にも反響を得た。
寄稿先はYahoo!ニュース、Wired、文藝春秋、プレジデント、NewsPicksなど。取材協力は朝日新聞、Bloomberg、週刊ダイヤモンドなど。ゲスト出演はNHK、テレビ朝日、日本テレビなど。音楽配信、音楽レーベル、オーディオメーカー、広告代理店を顧客に持つコンサルタントとしても活動している 。
Facebook:http://www.facebook.com/mikyenomoto
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