スティーブ・ジョブズが世界の音楽産業にもたらしたもの(4)〜なぜiTunesは救世主とならなかったのか「未来は音楽が連れてくる」連載第48回
なぜiTunesは救世主とならなかったのか
▲トニー・ファデル。「iPodの父」と呼ばれている。mp3プレーヤーと音楽配信を組み合わせた理想の音楽ビジネスをSony、サムスン、フィリップスに提案したが断られ、Appleに行ってiPodを創った。iモードや着うた、Walkmanケータイを調べるうちに「iPodが携帯電話に徹底的にやられる可能性」を感じたファデルは、携帯電話事業に反対だったジョブズを説き伏せ、iPhone計画が始動することになった。
Photo : flickr. 2012 Some rights reserved by @naro https://flic.kr/p/dyziMC
歴史は希望と失望が織りなすタペストリーだ。
iTunesミュージックストアがアメリカでブレイクした2004年。世界のレコード産業売上が例年通り軒並み下がる中、デジタル売上の急騰したアメリカのみが2.6%のプラスを記録した(※1)。
Naspterの席巻が始まった1999年以来、初めて見えた希望であり、ジョブズの提案するアラカルト販売は世界の音楽産業が選ぶべき方向に見えた。iTunesストアの上陸を待望するアーティスト、音楽ファンの声が各国で上がるようになった。
アメリカではデジタルのみならず、物理売上も回復した。ミュージックビデオを収めた音楽DVDが+45%の急成長を遂げたのだ。日本も音楽DVDは+25%(※2)、欧州も+21%となった(※3)。
これにはゲーム産業の貢献もあった。2000年に発売されたSonyのPlayStation 2は、累計1億5000万台となり、当時、家電史上最も売れた同一機種となった。PS2では、DVDが再生できた。若年層にインストールベースを得たDVDは、急成長していった(連載第41回)。
MTVの登場以来、音楽ビデオは制作費が膨らむばかりの上、音楽ビデオは売れなかった。MTVをVHSに録画すればタダだったからだ。音楽ビデオはCDの宣伝に使うほかなかった。
DVDはVHSには無いアピールポイントを持っていた。画質・音質が劣化しないだけでない。CDと同じように、一瞬で好きな曲を繰り返すことが出来たのだ。テープの巻き戻しは映像の世界でも遂に過去のものとなった。そして音楽ビデオは、一転してアーティストたちの新たな収入源になろうとしていた。
iTunesミュージックストアを立ち上げる際、米メジャーレーベルが最も懸念したのはCDそのものではなく、アルバム・ビジネスだったことを書いた。アルバムが完全消滅すれば産業規模は4分の1にまで縮小しうるからだ(連載第46回)。
だがこのままデジタルが伸び、音楽DVDも伸びてくれるならその心配はなくなるかもしれない。CDが死んだとしても、シングルはデジタルで買って、アルバムの代わりにDVDをコレクションする商習慣ができあがればよい。
だが、すぐにそのシナリオは崩れることになった。mp3が共有されるようになったように、音楽ビデオも共有される時代が来たのだ。
2005年、YouTubeが誕生した。
インターネット史上最速の成長を遂げたこの動画共有サイトのキラーコンテンツは音楽だった。MTVや音楽DVDから取ったコンテンツが数多くアップされ、ストリーミングでシェアーされた。結果、YouTubeの検索クエリーは、六割が音楽関連となった(※4)。
Napsterはロンチから1年3ヶ月で3000万人のユーザーを得たが、YouTubeは公開から1年半で5000万人を集めている(※5)。これに六割をかけた3000万人は、ちょうどNapsterのそれに相当する。YouTubeはわずか一年で世界第5位のトラフィックを誇るサイトとなった。
「いずれテレビの時代が終わり、YouTubeの時代となる」と世界は興奮した。ファイル共有に続き、音楽が動画共有の時代を牽引していた。
「YouTubeは次世代のNapsterなのか?」
Mashableのような影響力の高いニュースブログが次々とそう論じていたが(※6)、YouTubeとNapsterには決定的な差があった。ユーザーが無断で商業音楽をシェアしても、YouTubeは運営の合法性が認められたことだ。
アメリカのデジタル著作権法では、権利者が削除申請を出して約二週間以内に削除すればサイト運営者は合法になる。
しかもストリーミング(※実際にはプログレッシブ・ダウンロード)のため、視聴者はダウンロードしないので法に触れない。
YouTubeならCDシングルやiTunesで買った曲のように、何度再生してもタダである。mp3と同じ便利さをストリーミングは、なかば合法で提供してくれた。2005年以降、世界中で音楽DVDのセールスは下降の一途を辿ることになった。
ファイル共有、デジタル販売、動画共有。
このみっつが揃った時、レコード産業の第三次黄金時代(連載第39回・連載第41回)を支えてきたアルバムビジネスの崩壊は決定的となった。
▲米レコード産業の売上推移。iTunesミュージックストアの誕生した2003年からデジタル・シングル売上が爆発的に増加している。一方、アルバムのユニット売上はNapsterの登場以降3分の1に。合計すると一人あたりの売上も3分の1になった(インフレ換算済)。
source:RIAA, Graphのベース : Business Insider (http://read.bi/1oUMSKZ)
上の図を見てほしい。CDの全盛期である90年代には、アメリカ国民は一人あたり3.5枚超のアルバムを購入していたが、2009年には1枚/人に迫るまで下降している。
かわりにシングル売上は爆発的に伸び、同年、一人あたりの売上は3.5曲超となった。この時点では、デジタル・アルバムは鳴かず飛ばずとなっており、ちょうど購入数がアルバムからシングルに入れ替わった状態だ。
結果、アメリカのレコード産業売上は、ピーク時の76ドル/人から2009年には26ドル/人に。アルバムの売上は0にならず1枚/人でとどまったので4分1にはならなかったが、総売上は往時の3分の1にまで落ちこんだ。ほぼメジャーレーベルが懸念した通りの結果となったわけだ。
「まさか生きている間にこうなるとはね。タワーレコードも消えたよ」
サイアー・レコードの創業者シーモア・スタインが語るように(※7)、CDストアはアメリカで壊滅した。
2004年、HMVがアメリカから撤退。2006年末、タワーレコードがアメリカの全店を閉鎖。
2009年夏、ヴァージン・メガストアも全店舗を閉鎖し1000人を解雇した。今ではこの三社とも経営破綻しており、世界的な現象となった。CDストアは日本やドイツ、イギリスなどごく僅かな国にしか残っていない。ほとんどの国でCDは、Amazonの通販か、大型スーパーで買い物ついでに購入するものになった。
2008年4月、iTunesミュージックストアは大型スーパーのウォルマートを抜き、No.1の音楽販売会社になったとAppleは発表した(※8)。
2013年には、世界のデジタル音楽売上のうち75%をAppleが占めた(※9)。ランチェスターのマーケットシェア理論に基づけば、「独占的」な地位にまでAppleは辿り着いたことになる。
アメリカのメジャーレーベルはスティーブ・ジョブズに楽曲の一元管理を託した。それは、インターネットの普及で失った流通の手綱を取り戻したかったからだった(連載第46回)。背景には、音楽ストアのようなリテールの世界で、Windows OSのような独占状態は起こらないだろう、という予測もあった。
だがiPodとiTunesの組み合わせはデジタル流通で独占的なシェアに到達した。皮肉にも、それはレーベルがAppleに強く求めたDRMが一因だった。
iTunesで買った音楽はiPodでしか聴けなかった。そうなるとiTunesストアを一度でも使った音楽ファンは他で買わなくなる。それで自己組織化の作用が起こっていたのだ。この事象に気づいたメジャーレーベルは、今度はDRM撤廃を容認することになった。
Napster以降、売上がほとんどゼロになったシングル売上を救ったのはiTunesだ。iTunesは1950年代を超えるシングルの黄金時代をもたらした。だが、iTunesではデジタル・アルバムはいっこうに売れなかった(図1)。
業を煮やしたメジャーレーベルは、シングルの値段を上げるようAppleに求めたが、強気の交渉は不可能だった。交渉が決裂してiTunesで売れなくなったら、デジタル売上の4分の3を失うのだ。ジョブズが値上げを拒否することは容易だった。
もっと大きな誤算があった。
2008年、IFPI(国際レコード産業連盟)は衝撃的なレポートを公表した。世界のダウンロードのうち、合法ダウンロードはたった5%だったのだ(※10)。
ブロードバンドは、中国・インド・ブラジルなど新興国へも普及しつつあった。5%のうちのシェア7割、すなわち3.5%しかiTunesは改善できなかったことになる。iTunesミュージックストアは違法ダウンロード対策にほとんどなっていなかった、ということを意味していた。
インターネットが普及すれば、音源のコピーを販売するビジネスモデルは崩壊するーー。90年代後半より米レコード産業で思想的リーダーを務めていたジム・グリフィンは、そう予言した(連載第44回)。デジタル・データが無数の端末に複写されていくのがネットの本質だからだ。
iTunesミュージックストアも、音源のデジタルコピーを販売するビジネスモデルにかわりはない。iTunesが革命を起こしたのは流通の部分であり、エジソンが創始したビジネスモデルの根本は変わっていなかった。
アラカルト販売の失敗を予言したグリフィン。定額制ストリーミングの失敗を予言したジョブズ。まずジョブズの予言が当たり、やがてグリフィンの予言が当たるという10年だった。
iTunesミュージックストアは世界一の音楽販売会社になった。iPodのヒットでAppleの時価総額は、iPhoneの登場を待たず10倍となった。音楽ソフトの販売をフックにハードで稼ぐAppleは成功を収めたいっぽうで、レコード産業は依然苦しんでいる構図だった。
音楽はソフトで稼げず、ハードが稼ぐ時代が来る。そう予測したふたりを紹介した(連載第46回)。
ジョブズと激しい交渉を繰り返したソニーミュージックのアンディ・ラック。もうひとりは傘下のアーティストを引き連れてジョブズとタッグを組み、iTunesミュージックストアの実現を強力に支えたインタースコープのジミー・アイオヴィンだ。
2006年、アイオヴィンはハードウェア・ビジネスを立ち上げる。Beats Electronics社だ。ポータブル・オーディオプレイヤーに匹敵する市場規模を持つヘッドフォン事業に、彼は傘下のアーティストたちと乗り出した。そしてインタースコープ・レーベルの読みは見事に的中することになる。
不況のしわ寄せは経済弱者に来るのが世の常だ。アメリカでは2000年から2009年にかけてプロ・ミュージシャンの30%が失業した。メジャーレーベルに金が回らなくなり、制作費が大幅に縮小されたのが響いた失業だ。
新人アーティストはもっと悲惨だった。
世界のデビュー・アルバムは、2003年から2010年にかけて売上枚数がマイナス77%となった。理由は同じだ。ベテランや人気アーティストが稼いだ金を、新人のデビュー予算に回し、ビジネスを循環させるのがこの産業の仕組だ。だが資金繰りが悪化し、新人に投資資金を回す余裕がなくなった。大不況で新商品を開発する余裕が無くなり、ジリ貧になる企業の構図だった。
「iTunesは音楽産業を破壊している」
この惨状にそうした意見は世界中から出るようになったのも無理はない。だが、そう言い切れるかどうか。
iTunesミュージックストアが無ければ、その売上分がごっそり無い世界が到来していた可能性もある。それはデジタル売上が7割減った世界だ。代替は登場したろうが、どこまで代わりが伸びたか想像はつかない。
iTunesの影響はプラスかマイナスか。それは事の本質ではないと考えている。
レコード産業が依って立つ複製権ビジネスの技術的基盤は、インターネットに破壊されている。音源のコピーを売るという点で、iTunesのビジネスはレコードやCDと本質的に変わらなかった。これこそ、iTunesが音楽産業の救世主になりえなかった本当の理由だろう。
「全く新しいもの」につながる何かが要るーー。
iTunesミュージックストアのブームが落ち着いた頃、レコード産業はそう希求するようになった。かつてiMacブームが下降に入った時、ジョブズが感じた情熱と同じものだったかもしれない。
iPod誕生のきっかけは1990年代後半、日本勢の起こしたデジタルガジェットのブームに、ジョブズが示唆を得たことだった(連載第45回)。点と点がつながるように、日本はふたたびAppleを動かし、革命へ連なってゆく。
丸山茂雄の危機感
▲佐野元春。丸山茂雄のEPIC・ソニーが輩出した和製ロックのパイオニア。1998年に、国内メジャー・アーティストとしては初の有料音楽配信を行った(※11)。
ことは1998年の早春に遡る。
80年代に小学生だった団塊ジュニア世代はファミコンブームに熱狂。中学・高校時代にはマンガの全盛期を買い支え、90年代に入って大学生となると、音楽を買う遊びに遭遇していた。中高年の遊びだったカラオケが小室哲哉の手で小さなレイヴとなった。
タイアップ・ソングをテレビで耳にして、CDシングルを買い、カラオケで盛り上がる。
黄金の方程式を見出したエイベックスは隆盛を極め、90年代後半にはポスト小室時代を目指すアーティストたちもミリオンヒットでチャートを埋め尽くしていた。
日本の音楽業界が史上最高の活況に沸く中、ソニー・ミュージックエンタテインメントの社長となった丸山茂雄は、危機感を募らせていた。
レコード・メーカーのシステムは今後、崩壊するのではないかーー
業界の盟主と言って差し支えない立場となった丸山だったが、社内だけでなく業界内でも、この焦燥感はなかなか共感を得なかったという(※12)。
この時点でのインターネットの普及率は10%に届くかという程度であり(※13)、ショーン・ファニング少年の頭脳にファイル共有のアイデアはまだ閃いていない。
EPIC・ソニーを立ち上げ、芸能界に対抗するかたちでJ-Rockの時代を切り拓いた丸山は、EPICに所属していた小室哲哉のマネージャーも務めた。いちインディーズだったエイベックスがたちまちソニー・ミュージックと並んでいく様を、丸山は横で体験した。
同時期、丸山は久夛良木健を助けプレイステーションを成功に導く。ソニーミュージックの子会社だったソニー・コンピュータエンタテインメントが瞬く間に1兆円ビジネスに育っていくのを体験した。
芸能界とロック、音楽とゲーム、インディーズとメジャー。丸山が体験したのはどれも、傍流が主流にとって変わる物語だった。
そうした彼の目には、1,500名のスタッフを抱え、巨人のように手足を動かすようになったソニーミュージックは、似合わぬ大企業病を患っているように写った。丸山は、業界No.1となったソニーミュージックを傍流にしてしまおうと思った。会社を50のレーベルに分断して、メジャーレーベルを解体してしまうのだ。社内では激論が巻き起こったらしい。
巨大化した組織にスピード感を取り戻すにはふたつしかない。専制を組んでトップの一意のままに組織を動かす道。ジョブズが取った手法がこれだ。リーダーの類稀なる資質に依存するのがデメリットになる。
もうひとつは組織をアメーバのように分解してしまう道だ。大局で一気通貫しがたくなるが、各組織は最速で現場対応することができる。丸山の取った道がこれである。50の分社化はさすがに出来なかったが、10数社に分社化したことで、2000年以降、ソニー・ミュージックは勢いを取り戻してゆく。
丸山の危機感は、レコード産業全体に及んでいた。当時、10人に1人が使っている程度だったインターネットだが、いずれレコード産業のビジネスモデルに挑戦してくるように思えてならなかった。
インターネットの勃興期に、ソニー・ミュージックの取った施策はふたつある。ライブ事業の構造改革とデジタル配信の開始だ。
丸山は、ライブ産業の仕組みに疑問を持っていた。PA、照明、トランスポート、イベンター、サポートミュージシャンなど、
【本章の続き】
■盛田昌夫とレーベルゲート
■カー・ラジオから携帯電話へ
■iモード。ポストPCの先駆け
■着うた、あるいはモバイル音楽配信の先駆け
■都度課金、そしてWalkmanケータイへ
>>次の記事 【連載第49回 スティーブ・ジョブズが世界の音楽産業にもたらしたもの(5)〜iTunesを超える革命へ。アクセスモデル誕生の物語】
著者プロフィール
榎本 幹朗(えのもと・みきろう)
1974年、東京都生まれ。音楽配信の専門家。作家。京都精華大学講師。上智大学英文科中退。在学中からウェブ、映像の制作活動を続ける。2000年に音楽TV局スペースシャワーネットワークの子会社に入社し制作ディレクターに。ライブやフェスの同時送信を毎週手がけ、草創期から音楽ストリーミングの専門家となった。2003年ライブ時代を予見しチケット会社ぴあに移籍後、2005年YouTubeの登場とPandoraの人工知能に衝撃を受け独立。
2012年より『未来は音楽を連れてくる』を連載・刊行している。Spotify、Pandoraをドキュメンタリーとインフォグラフィックの技法を使って詳細に描き、 日本の音楽業界に新しいビジネスモデル、アクセスモデルを提示することになった。 音楽の産業史に詳しく、ラジオの登場でアメリカのレコード産業売上が25分の1になった歴史とインターネット登場時の類似点 や、ソニーやアップルが世界の音楽産業に与えた歴史的影響 を紹介し、経済界にも反響を得た。
寄稿先はYahoo!ニュース、Wired、文藝春秋、プレジデント、NewsPicksなど。取材協力は朝日新聞、Bloomberg、週刊ダイヤモンドなど。ゲスト出演はNHK、テレビ朝日、日本テレビなど。音楽配信、音楽レーベル、オーディオメーカー、広告代理店を顧客に持つコンサルタントとしても活動している 。
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