広告・取材掲載

スティーブ・ジョブズが世界の音楽産業にもたらしたもの(11)〜Spotifyが誕生するまで「未来は音楽が連れてくる」連載第59回

コラム 未来は音楽が連れてくる

Spotifyを創った男の過去

 

連載第59回 スティーブ・ジョブズが世界の音楽産業にもたらしたもの(11)〜Spotifyの誕生
▲Spotify創業者のダニエル・エクを「音楽界の最重要人物」と紹介したフォーブス誌の記事。エクは音楽家の家系に育ち、少年時代はギターとプログラミングに熱中した。(画像はForbsの記事をキャプチャしたもの http://onforb.es/1UdkqQf )

齢二十三ですべてを手に入れたはずだった。フェラーリ。高級マンション。クラブのVIPルーム。光と音楽。シャンパンと女たち。だが成功のあかしは幻滅の苦痛に変わっていった。

「ずっとじぶんのいるべき場所を探していたんだ」

スウェーデン人らしい抑制の効いた微笑をたたえながら、若者は当時のじぶんをそう説明した。

「成功すれば居場所はみつかる。そう信じてやってきた」

現実は違った。女たちはじぶんを利用していただけだった。男たちも結局友だちではなかった。

「どう生きていったらいいか、わからなくなった(※1)」

だからフェラーリを処分し、マンションを引き払って故郷のコテージに引き篭もった。その冬、若者はギターを爪弾きながら短い半生を振り返り、何かを探そうとしていた。質素な窓から見える北欧の松は、日本のそれと違って真っ直ぐに林立し、その黒い葉が寒空を点綴していた。

IT革命が始まって間もない1997年。中学生の彼は既にウェブのコーディングで稼ぎはじめ、高校に入ると起業していた。大学は名門、王立工科大に合格したが初講義に失望し、二週間で辞めた。起業の興奮に勝ることはなかったからだ。次々とITベンチャーの設立に関わるうち、一生暮らせる金ができた。

彼の半生はITから大金までが一直線に結ばれていた。だが、じぶんという人間は本当にそれだけなのか? 少なくとも、金を目標に事業をやるのはもう真っ平だった。

若者はふと手を止め、窓辺でギターをみつめた。

幼いころ、家の壁に掛けてあったギター。ジャズピアニストだった祖父のものだ。祖母はオペラ歌手だった。音楽一家だ。じぶんの音楽好きはやはり血筋なのだろうか…。

思えばプログラムにのみ熱中した少年時代ではなかった。

中学では音楽の先生が親友がわりだった。授業が終わると飛ぶように彼の音楽室に行って、飽きるまでギターを弾いた。歌うのも好きで、少し恥ずかしいがミュージカルの主役すら二度つとめた(※2)。

それから高校時代は…彼は思い出した。

※1,2 http://www.expressen.se/nyheter/the-story-of-daniel-ek–mr-spotify/

 

 

Spotifyのルーツを探る

 

連載第59回 スティーブ・ジョブズが世界の音楽産業にもたらしたもの(11)〜Spotifyの誕生
▲SpotifyのHQ
Flickr: 2007 Some rights reserved by Sorosh Tavakoli https://flic.kr/p/28X6qV

1998年、パンドラの箱が開かれた。

アメリカで、とある大学生がファイル共有を発明すると、21世紀を迎える頃には世界を席巻。Napsterは突如、無料で音楽が聴き放題の人工楽園を創りあげ、当時のティーンエイジャーは名を隠して熱狂した(第二巻一章)。

ファイル共有のもたらしたかつてない音楽体験は、おなじく高校生だったこの若者の音楽趣味をも一変した。

それまで国内の流行音楽ばかり聴いていた彼は、Napsterと裁判を起こしたメタリカをダウンロードしてみて好きになった。それから、メタリカが影響を受けたというツェッペリンやキング・クリムゾンをダウンロードしたら、ますます好きになった。

そうやってNapsterで音楽のルーツを探っていくうちに、ブリティッシュ・ロックの虜になっていた。ビートルズ、セックス・ピストルズ、デビット・ボウイ…。聴き放題は60年代、70年代、80年代を駆け抜けるような、未知の充実感を彼に与えた。

「文化を理解するようになった。それは魔法のような体験だった(※1)」

ファイル共有がもたらした聴き放題の体験は、フィーリングで音楽を聴いていた頃には無かった感動を若者たちにもたらした。だがNapsterは裁判に敗れ、やがて潰えていった。メジャーレーベルはかわりに合法的な定額制配信を用意したが、その出来は悲惨だった。

定額制配信はユーザーから総スカンを喰っていた。大物アーティストや最新ヒット曲がぼろぼろ欠けていたのが最大の敗因だ。

「定額制配信は絶対にうまくいかない」

当時、裏でスティーブ・ジョブズがそう語っていた(※2)と後に知ったが、それも無理からぬことだった。軽快でシンプルなNapsterに対し、定額制配信は鈍重で複雑。ストリーミングの音楽は途切れがちで、ダウンロードに比べ満足に再生できなかった。

かわりにジョブズのAppleが世界に提案したのが、iTunesミュージックストアだ。人びとはそれを熱狂を持って賞賛した。

だが一曲ごとに購入するその仕組は、何もかもが聴き放題のNapsterと比べるとユーザー体験が後退していた。そもそも有料ダウンロードの数が、無料ダウンロードの数を超えるわけがない。実際、若者の母国スウェーデンではファイル共有に押され、iTunesは全く冴えなかった。

合法かつ完璧な聴き放題。答えはそれしかないはずだ。

では、どうすれば合法のファイル共有を創れるのか? 高校生だった彼は構想に没頭した…。

そこまで思い出したとき、若者はふたたび強い眼差しで空を見上げることができるようになっていた。テクノロジーと音楽の交差点。おそらくそこに、この若者の天命が埋もれてあったからである。

2006年の早春。23歳の若者は街へ帰った。そして全財産を投じて、Spotifyを起業した。若者の名はダニエル・エク。定額制配信が普及しつつある今からおよそ10年前のことである。

※1 http://www.newyorker.com/magazine/2014/11/24/revenue-streams
※2 http://www.keystonemac.com/pdfs/Steve_Jobs_Interview.pdf (RollingStone,Dec.03.2003)

 

 

サイバー海賊の拠点

 

古代、北欧は辺境の地であった。

山脈、森、雪で覆われた厳しい地にあって、人びとが頼ったのは遥か中南米から暖流の来る海だった。よき船大工を尊重した彼らは、中世なかば、技術革新を起こす。竜骨の発明だ(※1)。

竜骨の強度があれば、船にマストを立てられる。帆に海風を受けていつまでも船は進む。世界の民が陸沿いに船を漕ぐなか、北欧の民のみが母港をはるかに離れ、陸の見えない大海原にロングシップを疾走らせるようになった。

彼らはときに商人となり、ときに海賊となった。

ヴァイキングが次々と貿易の要衝を略奪するなか、英仏独は為す術がなかった。海賊たちの技術力を前に、西欧のいかなる国家権力も太刀打ち出来なかったのである。ヴァイキングは四海と交易し、先進地域のイスラム帝国、ビサンティン帝国から技術を集めていた。

北の海賊たちはやがて国々を征服し、王侯貴族になっていった。現在の英国をしろしめす女王エリザベス二世の王朝はヴァイキングを祖としている。

それから1000年余りの歳月が過ぎた。

スウェーデンの夏は美しい。森は緑に、花は色とりどりに咲いく。夏の風をSpotify社が初めて迎えた頃、世界の音楽界は、時を超えて北欧に現れた海賊の港に慄いていた。

違法ファイルの検索エンジン、パイレート・ベイ。スウェーデンにできたサイバー海賊の一大拠点である。

検索結果をクリックする。それだけでいい。後はファイル共有ソフトが、軽々と音楽を無料で入手してくれる。実に三億人のサイバー海賊たちが愛用するネットの港だった。

2006年の夏、総選挙を迎えたスウェーデンでは首相候補たちがテレビ討論で、このパイレート・ベイの是非を論じ合っていた。それは違法ダウンロード刑罰化の是非について、でもある。

きっかけは警察がパイレート・ベイに乗り込み、サーバーを押収したことだ。今日、GoogleやYahooが消えれば我々は途方にくれる。同じように無料の音楽天国は大混乱に陥った。

スウェーデンの若年層は、ほとんどがファイル共有を愛用していた。小学生ですら60%の利用率だ(※2) 。国家の手厚い教育サポートによりPCが子供にまで普及していたからである。

「だってふつうよ」と小学生の女の子はインタビューに答えた。「みんなやってるよ」と男の子が続く。ファイル共有で「音楽をダウンロードしてiPodに入れるんだ」。

「党首のみなさんは、違法ダウンロードの問題についてどう思われますか?」
 
番組の司会者は、首相候補たちに質問を投げかけた(※2)。

「音楽を愛する世代をまとめて犯罪者扱いするのは、現実的とはいえないでしょう」

そう党首二人が慎重に言葉を選んで語る画面を、リビングで険しい顔のまま見る男があった。頭を剃りあげたその男は、スウェーデンの音楽業界を率いる立場にいた。

ソニー・ミュージックのスウェーデン社を率いるペル・スンディン。それがこの男の素性である。党首討論の内容に、スンディンは微苦笑せずにはいられなかった。

この国は若年層の投票率が75%を超える(※4)。その票をとりこむには、かれらの好きな音楽とITの話題で注意を引き、かつ好感度を得る必要があった。自然と政治家の発言は、わすかな雇用者数の音楽産業よりも、若年層の大半を占めるファイル共有ユーザー寄りになる。つまりこの国は、アーティストの生活基盤を守る気などないということだ。

翌朝、さらに憂鬱になった。党首討論を受けて新聞という新聞が、警察とレコード会社を「時代遅れ」と冷笑していた。

スンディンの隣人はこう話したことがある。「うちには子供がいるからわかるけど、若い子たちはもう音楽を買わなくていいんだって言ってますよ」と(※6)。

それでも、とスンディンは思った。違法ダウンロードを取り締まり、CDを売るほかないのだ。この国でiTunesは上手くいっておらず、その売上はCDの20分の1にも満たなかった(※5)。

合法ダウンロードが違法ダウンロードの代替になる、そんな救いは望み薄だ。有料ダウンロードがどうして無料に勝てるだろうか…。

※1 正確には再発明。古代の地中海には竜骨を持つ船があった。
※2 https://torrentfreak.com/sweden-warns-kids-against-the-pirate-bay-080202/
※3 http://www.bloomberg.com/news/2011-07-14/spotify-wins-over-music-pirates-with-labels-approval-correct-.html
※4 http://tatsumarutimes.com/archives/842
※5IFPI2008pp.53
※6 http://www.theguardian.com/technology/2013/nov/10/daniel-ek-spotify-streaming-music

 

 

海賊と海軍と

 

技術革新と海賊、それがSpotify誕生の章のテーマである。

近世の大航海時代。中世のヴァイキング時代に次いで、技術革新と海賊とが世界を変えた時代だ。

ヴァイキングのロングシップは、三本のマストを持つコブ船へと進化し、やがてそれは近世ポルトガルのエンリケ航海王子のもとイノヴェーションを迎えた。長大な竜骨に四本のマスト、そして巨大な船倉を持つキャラック船の誕生である。

ポルトガルはこれを駆ってアフリカとインドへ向かい、ライバル国スペインはコロンブスを雇った。黄金の国ジパングを目指したコロンブスは、かつてヴァイキングの上陸したアメリカ大陸を再発見した。

ポルトガルはアフリカの奴隷とインド諸島の香辛料で富を作った。スペインは黄金の国ジパングのかわりに、中南米で巨大な金山と銀山を見つけた。そして当時、欧州全土の富に比肩する金銀を本国に持ち帰った。

世界の富は、地中海を制していたイスラム圏のトルコそしてルネサンスの花咲くイタリアから、大西洋を制した二国スペイン、ポルトガルに中心を移すことになった。

いっぽう羊飼いの刈る羊の毛の他、さしたるプロダクトが無かった辺境のイギリスは貧しいままだった。そのイギリスが産業革命を待たずして近世に主流国へ躍りでたのは、本章のテーマである海賊に秘密がある。

スペインとポルトガルは、国力の要であった航海技術を国家機密にした。この航海技術を国家のインテリジェンス(諜報機関)と裏で組んで、あの手この手で入手していたのがイギリスの海賊たちだ。

ヴァイキングの血を引く女王エリザベス一世は、この自国の海賊王たちドレークやホーキングを秘密裏に雇い、中南米から金銀を載せて帰るスペインの船を略奪した。宝船の財宝は女王と海賊とで山分けである。それは貧国イギリスの国家予算を超えるほどであり、英国王室はわずかの間に豊かになった。

さらに女王陛下の海賊たちはポルトガルの奴隷船を奪い取り、そしらぬ顔で奴隷をスペインの商人に密売して女王陛下と山分けした。のみならずスペイン・ポルトガルから奪った最新鋭艦を組み込むことで、イギリス海軍は急速に近代化した。

表向きは海賊など知らぬ存ぜぬと白を切る英国に、堪忍袋の緒が切れたスペイン国王はイギリス本土占領を企てる。

ここに至って女王エリザベス一世は、ドレークたち海賊船団を正式に英国海軍へ組み入れた。そして自軍の船に火薬を積み、火を付けてぶつけるという海賊ばりの奇襲作戦で、スペインの無敵艦隊を大混乱に陥れ、打ち破った。

このアルマダ海戦を機にイギリスは主流国の道へ進み始めた。が、同時にビジネスモデルの転換を迫られるようになった。警戒され、スペイン船・ポルトガル船の略奪は難しくなったからである。

イギリスは短期的な略奪から、長期的な貿易へ向かうべきである。そう女王陛下に上奏したのは当の海賊たちだ。そして王室・貴族の出資のもと史上最大の独占的な貿易商社、東インド会社が生まれた。執行役員は全て海賊の首領だったと判明している。

かくして海賊の航海技術を公権力に取り込んだイギリスは、貿易立国というサスティナブルなビジネスモデルへ国家経営を転換していった。

のみならず貿易で蓄えた富を研究開発費に注ぎ込み、今度は自身のちからで一大イノヴェーションを生み出した。ワットによる蒸気機関の発明だ。産業革命を興した島国イギリスは、七つの海を支配する一大帝国になっていった(※1)。

それから二世紀半の歳月が過ぎ去った。

「海軍になるより海賊になれ」

コンピュータ革命を起こすべく1981年、そう言って部下たちを鼓舞する男がクパチーノにいた。Appleを創業した若きスティーブ・ジョブズだ。比喩ではなく、彼はオフィスの屋上に海賊旗を翻していた。

海賊船を率いて海軍に挑むキャプテン。それが若きジョブズの自負だったのだ。

Macintoshの開発に、彼は手段を選ぶつもりはなかった。社内の誰を敵に回しても、彼は狙った技術者を奪うことを厭わなかった。ある日、ジョブズは会議室に入って、電話帳をどさりと置いた。

「それがMacintoshの大きさだ」

これ以上、大きくなることは認めないと若き船長は言う。これまでのパソコンの半分も無い大きさに、技術者たちは青ざめた(※2)。直前のAppleIIIはジョブズが無謀な小型化にこだわるあまり、失敗作になっていた(連載第58回)。

しかし今度の場合、ジョブズは画期的なアイデアを持っていた。平面積を縮める代わりに、一体型にして縦に伸ばせばいい。そのヴィジョンの元、技術者たちは死にものぐるいで働き、不可能を可能にした。

だが前章で語ったとおりだ。Macintoshはリリースされたが売れず、海賊船長は放逐され、時を待たずApple社も沈没の危機を迎えることになった。その未来、Appleがハイテク世界を統べる大正義の海軍となるとは、当時の誰も知る由もない。

2006年、Spotifyが創業した年にふたたび戻ろう。

産業革命に匹敵するIT革命の生んだネットの大海原では、サイバー海賊のあいだで人気を上げる新たな船があった。uTorrent(ミュートレント)。速く、小さく、軽快な、ファイル共有アプリの決定版だ。

この年、uTorrentのCEOに就いた若者がいる。彼の名はダニエル・エク。そう、Spotifyを創業した若者である。エクはCEOに就くと直ぐにこの会社の売却先を見つけて売り払った。

いったい何が狙いだったのか。彼が欲しかったのはサイバー海賊時代、最高の船を創った男の技術だ。

おそらくuTorrentを創ったはいいが金にできずに困った凄腕エンジニアに、エクはもちかけたのだろう。「僕が会社を売却してあげるから、うちの会社へ来てくれ」と。エクはuTorrentの開発者ルーデ・ストリゲウスをSpotify社へ引き抜き、彼にSpotifyのテスト版を開発させたのである。

サイバー海賊の技術を取り込む。それが若きエクのプロデュースだった。

※1 イヴ コア (著), 久保 実 (訳)『ヴァイキング―海の王とその神話 』(1993)「知の再発見」双書 、竹田いさみ著『世界史をつくった海賊』(2011)ちくま新書ほか
※2 ジェフェリー・ヤング著『スティーブ・ジョブズ 偶像復活』(2005)東洋経済 第二章p.90

 

 

音楽ストリーミングの歴史は古い

 

 

History of the Internet – Severe Tire Damage, The Internet’s First Live Band from InterWorking Labs on Vimeo.

▲1993年、世界初のライブ・ストリーミングの映像が残っていた。かつてGUIの生まれたパロアルト研究所から発信された。バンドはSevere Tire Damage。

じぶんには音楽産業を救うヴィジョンがある。エクはそう確信していた。

技術が音楽の世界に問題を起こしたという。ならば技術には技術で勝つのが王道だ。違法ダウンロードを無くしたいなら、ダウンロード以上のものを創ってしまえばいい。それには音楽ストリーミングが最適だった。

だがそれには、どうしても成し遂げなければならぬ技術革新があった。ストリーミングを革新し、最速に仕立てあげることである。

音楽ストリーミングの歴史は古い。

GUIを生み、ジョブズが訪れたあの研究所が関わっている。

ネットが生まれて間もない1993年。カルフォルニアのパロアルト研究所から、遠隔地のオーストラリアにあるビルに向けてストリーミング中継された。史上初のライブストリーミングは、インディーズバンドの演奏だったという(※)。ストリーミングは音楽のために生まれた。そう言っていいのかもしれない。

ネットの普及が始まった1995年には、リアルネットワークスが誕生。同社は上場し、ストリーミングは商用化された。

だがすぐにストリーミングは敬遠されるようになった。同時期あらわれたmp3と比べ音質が悪く、音は途切れ、反応が遅かったからである。

ファイル共有を機にmp3が爆発的に普及すると、ネットで音楽を楽しむということは、ダウンロードのことを言うようになった。2002年、ファイル共有に対抗してメジャーレーベルは定額制ストリーミングを始めたが失敗。

iTunesミュージックストアが登場すると、ストリーミングは定額制とともに烙印が押され、なぜ失敗したか、どうすればうまく行っていたのか、そこまで深く考える人間は世界から消えた。エクを除いては。

http://history-of-the-internet.org/index.php/8-videos/12-severe-tire-damage-the-internet-s-first-live-band

 

技術革新がSpotifyを生んだ

 

ジョブズの教義を一点に絞るなら「シンプルに考えろ」になる(Part2四章)。複雑に絡みあう問題をすべて解決するシンプルな答えを発見することだ。

ストリーミングの速度を上げる。その一点に音楽産業の諸問題を集約できることを、エクは発見していた。
 
ウェブ世界の帝王、Googleはある発見をした。ひとはクリックして0.4秒以内にレスポンスがないとストレスを感じ、5%のユーザーが離れる(※1)。20回続けばユーザー数は3分の1に激減する。

だからGoogleはずっと、検索結果が0.2秒以内に返るようにシステムを磨き抜いてきた。だが既存の定額制ストリーミングは、曲が始まるまで1秒以上かかった。

もし音楽が途切れず、0.2秒以上待たせずして再生できるストリーミングがあったなら、何が起こるか。

人類は今度、待ち時間を強いるダウンロードを避け、ストリーミングを選ぶようになるだろう。違法ダウンロードというより、ダウンロード自体が不要になる。

のみならずストリーミングなら広告モデルも導入できるようになる。

ファイル共有が誕生したとき、Napsterの社内で広告モデルも検討された。それが不可能だったのはダウンロード配信では、誰もクリックしないバナー広告が関の山だったからだ。ストリーミングなら、ラジオやテレビのように定期的に音声広告を流せる。

有料の合法が無料の違法に勝てるわけがない、それが音楽業界の悩みの種だったが、広告モデルが取り入れられるなら、無料に立ち向かう戦略も生まれてくる。

以上のような洞察からエクはエンジニアに言ったのだ。「目指すのは200ミリ秒以下だから」と。

Googleに負けない200ミリ秒以下。そこにこそ、ストリーミングが音楽を救う未来への分水嶺だと彼は考えていた。 それ以上、遅くなることは認めない。エクの宣言に、uTorrentの開発者からSpotifyのリード・エンジニアに転向したストリゲウスは戸惑った。

「不可能だ」とストリゲウスは答えた。「インターネットはそんなふうに出来ていない」

「いや、なんとか方法を見つけるんだ」とエクは言い切った(※2)。

恐るべきはストリゲウスが、やってやろうじゃないかと決意したことである。王立理科大を出たばかりの若者たちとともに、Spotifyの不可能を可能にする挑戦が始まった。

「さあもっと!もっと速くだ!」

開発が進むたびに、手を叩いてそう鼓舞するのがエクの癖となった。音楽好きばかりが集まったせいか。とびきり働いた後、会議室にエクの用意したビールで騒ぐのが会社の流儀となった。

音楽を目一杯かけ、ビール缶を次々あけながらポーカーやダーツ、テレビゲームに興じる。エクのお気に入りは、卓球とプレステのFIFAだ。金曜日のそれはまるで小さな海賊団の宴のようで、騒ぎすぎて警察が会社へ注意に来るほどだった(※3)。

余談だが後日、同世代のジャスティン・ビーバーがSpotify社に遊びに来たとき、エクは得意の卓球で勝負を挑み、1-21でビーバーにボロ負けしたそうである。ビーバーは卓球が鬼のように強いらしい(※4)。

インターネットが不完全なら、独自のインターネットを築いてしまえばいい。エクたちは独自のプロトコルを開発した。ピアーツーピア技術をストリーミングに応用することで、ストリーミングに技術革新を起こしたのである。

一年後、2007年春。Spotifyのβ版が完成した。とてつもなく速く、ダウンロード再生と全く差異が無い。音楽をダウンロードする必要は無くなったのである。

※1 http://googleresearch.blogspot.jp/2009/06/speed-matters.html
※2 http://www.newyorker.com/magazine/2014/11/24/revenue-streams
※3 http://www.expressen.se/nyheter/the-story-of-daniel-ek–mr-spotify/
※4 http://www.theguardian.com/technology/2013/nov/10/daniel-ek-spotify-streaming-music

 

 

若者エクの交渉力

 

配下のエンジニアたちが不可能に挑戦している最中、CEOのエクもまた別の不可能に挑戦していた。とはいうものの始めた際は彼自身、それが無理難題とは気づいていなかった。

音楽配信は著作権ビジネスとはいささか異なる。

レーベルから「うちの楽曲、配信に使っていいよ」と許諾を貰わなければ、一曲たりとも使うことはできない。だからエクは、楽曲の使用許諾をもらうためにメジャーレーベルに赴いた。それはまるで、街へCDを買いにいくような気軽さで向かったと、当時の部下は言う(※1)。

「二週間で片付くと思っていたんだ」とエクは振り返る。「まさかそこから三年、壁にヘディングし続けると分かっていたら、やってなかったろうけどね」(※2)

無茶な話だった。あのジョブズをして、水面下の交渉が1年要ったのだ。iTunesミュージックストアが始まったとき、レーベルが許諾を卸した楽曲はわずか20万曲に過ぎなかった。現在の150分の1にも満たない。

それでもiTunesミュージックストアのデビューが華々しく見えたのは、ジョブズ自ら大物アーティストと交渉して、賛同メッセージをお披露目イベントで発表することが出来たからである。様子見していたアーティストはそれをみてiTunesに参加を決めた(Part2第6章)。

それにエクの立場はジョブズと雲泥の差がある。Appleを創業し、iMac、iPodで復活させたジョブズと違って、エクは何の信用もない23歳の若者に過ぎなかった。さらにはアニメスタジオを経営するジョブズと違い、IT業界出身のエクは、コンテンツ業界にとって他所者だった。

ユニバーサル・レコードに訪れたエクは、担当が失笑するようなお願いを並べ始めた。すべての曲を許諾して欲しい、それも広告モデルの基本無料で使いたいと言い出したのだ。

「君の言ってることはねぇ…」会社の担当はエクに「不可能なんだよ」と諭した(※3)。たいてい、ここで終わりだ。音楽会社にそう言われたら、音楽アプリを創りたい若者らは憮然と去っていく。あとは仲間内で音楽業界の旧態依然とした様を愚痴るのみだ。

だがエクはここからが違った。彼は毎週通いつめた。どう言われても、レコード会社を説得することを止めなかった。彼には確信があったのだ(※4)。レコード会社は必ず話を聞くようになる。なぜなら、何もかもを失いつつあったからだ。そして自分は答えを持っているのである。

エクの説いた戦略はこうだ。

広告モデルで合法の無料を創って、サイバー海賊たちを囲い込み、ファイル共有を超える圧倒的な利便性をもって彼らを有料会員に変える。フリーとプレミアムを組み合わせたフリーミアムモデルの導入である。

ダウンロードを不要にすること。無料で囲い込めること。そして全ての音楽があること。このみっつが揃えば最高のユーザー体験を提供できる。エクが強固に説くSpotifyのプロダクト・ヴィジョンだった。

Apple Musicの始まった今も、Spotifyは一際輝いている。

会員数だけでない。使い勝手もコミュニティも選曲力も、圧倒的な差を付けていると、両方を使う筆者は感じているし、世界のユーザーもそのようだ。Spotifyが他と一線を画す存在になった理由を、ある大物はこう評している。「信じられないほど頑固だったからだ」と。

「いい意味で言ってるんだけどね。プロダクト・ヴィジョンが主で、ビジネス取引は従。交渉で主従を譲らなかった」

Napsterの共同創業者で、後にSpotifyの取締役となったパーカーはそう語った(※5)。楽曲の許諾を得るなら簡単な道もあった。有料のみの定額制にして、一部の楽曲のみ許諾して配信することだ。それなら前例があった。2002年の誕生以来、細々と続く定額制配信がそれだ。だがエクはそんな「とりあえず」の議論は一顧だにしなかった。

絶対に、全ての音楽でなければならなかった。

4年前に誕生した定額制配信はそれで失敗したのだから。レコード会社とアーティストはおっかなびっくりに楽曲を小出しに提供した結果、ヒットチャートの曲がなかったり、大物アーティストの曲が無い奇妙な「聴き放題」が出来上がった。

お金を払ったのに、無料のファイル共有より曲が無い? 

定額制配信の曲の少なさに失望した音楽ファンたちは、無料ダウンロードの世界へ帰っていった。その2002年から4年経った今、人類はそこから成長しなければ意味が無いはずだ…。

23歳の若者は頑固に、ユニバーサル・レコードへ通い続けた。比喩ではなく、会社の玄関の前で寝泊まりしたこともあるという(※6)。

「禅に通じるような忍耐力が彼にはある。どんなプレッシャーやフラストレーションもこころに入れないんだ」

アメリカ人のパーカーは、エクのそんなところがスウェーデン人らしいと評する(※7)。

「それで彼は、何度でも逆境に身を投じることができる。ふつうの人間なら、タオルが投入されて終わりという逆境にね」

そして扉が開かれる日がやって来た。

※1 http://www.theguardian.com/technology/2013/nov/10/daniel-ek-spotify-streaming-music
※2 http://www.newyorker.com/magazine/2014/11/24/revenue-streams
※3 http://www.bloomberg.com/news/2011-07-14/spotify-wins-over-music-pirates-with-labels-approval-correct-.html
※4 http://www.theguardian.com/technology/2013/nov/10/daniel-ek-spotify-streaming-music
※5 http://www.newyorker.com/magazine/2014/11/24/revenue-streams
※6 http://www.theguardian.com/technology/2013/nov/10/daniel-ek-spotify-streaming-music
※7 http://www.expressen.se/nyheter/the-story-of-daniel-ek–mr-spotify/

>> 最新刊で公開予定!

【本章の続き】
■開かれた扉。欧州に成立したSpotify連合
■Spotifyのブレイクに必要だった「何か」

>>次の記事 【連載第60回 初代iPhoneの開発、NEXT BIG THING、あるいは次の『スティーブ・ジョブズ』〜スティーブ・ジョブズが世界の音楽産業にもたらしたもの(12)】

[バックナンバー]
 

 


著者プロフィール
榎本 幹朗(えのもと・みきろう)

 榎本幹朗

1974年、東京都生まれ。音楽配信の専門家。作家。京都精華大学講師。上智大学英文科中退。在学中からウェブ、映像の制作活動を続ける。2000年に音楽TV局スペースシャワーネットワークの子会社に入社し制作ディレクターに。ライブやフェスの同時送信を毎週手がけ、草創期から音楽ストリーミングの専門家となった。2003年ライブ時代を予見しチケット会社ぴあに移籍後、2005年YouTubeの登場とPandoraの人工知能に衝撃を受け独立。

2012年より『未来は音楽を連れてくる』を連載・刊行している。Spotify、Pandoraをドキュメンタリーとインフォグラフィックの技法を使って詳細に描き、 日本の音楽業界に新しいビジネスモデル、アクセスモデルを提示することになった。 音楽の産業史に詳しく、ラジオの登場でアメリカのレコード産業売上が25分の1になった歴史とインターネット登場時の類似点 や、ソニーやアップルが世界の音楽産業に与えた歴史的影響 を紹介し、経済界にも反響を得た。

寄稿先はYahoo!ニュース、Wired、文藝春秋、プレジデント、NewsPicksなど。取材協力は朝日新聞、Bloomberg、週刊ダイヤモンドなど。ゲスト出演はNHK、テレビ朝日、日本テレビなど。音楽配信、音楽レーベル、オーディオメーカー、広告代理店を顧客に持つコンサルタントとしても活動している 。

Facebook:http://www.facebook.com/mikyenomoto
Twitter:http://twitter.com/miky_e

関連タグ