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ビジョナリー、ジョブズの誤算〜スティーブ・ジョブズ(15)「未来は音楽が連れてくる」連載第63回

コラム 未来は音楽が連れてくる

ビジョナリー、ジョブズの誤算

 

連載第63回 ビジョナリー、ジョブズの誤算〜スティーブ・ジョブズ(16)
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 プロデューサー気質の強かったジョブズは、まばゆい才能に出会うと顰め面から晴れやかな顔をしたものだった。

 だから10万ドル、現在価値で30億円弱(※)の大金をはたいて稼ぎのないCG集団を手に入れたとき、「気でも触れたか」と揶揄されたが気にすることはなかった。

 ジョブズには自信があった。ジョージ・ルーカスのスタジオで、彼はヴィジョンを得ていた。やがてCGは万人のものになる、誰もがCGで写真のような絵を描く時代が来る、と。

 そのヴィジョンは、ずれていた。が、その錯誤ゆえに彼の流離譚には、復活の種子が植えられることになった。

 ジョブズは考えていた。ピクサーには才能をカネに変えるマネージャーがいない。じぶんが仕切ればいいが、自主独立を重んじることが買収契約の条件だった。

 彼は約束を守った。

 かわりに、創業者のキャットムルを一流のマネージャーにしたてようと考えたのだった。「一人前のビジネスマンになる手助けが出来ると思う」とインタビューに答えている(※1)。

 さっそくジョブズは、ビジネスモデルを考えてやった。

 映画製作を手伝っているぐらいだから儲からないのだ。この最新鋭のCGワークステーションをそのまま売ればいい。値は張るが、いずれムーアの法則が味方して安くなる。コンテンツからハードウェアへの業転。それがジョブズの指南だった。

 実はキャットムルの方も、ムーアの法則を味方につけようとしていた。ただし逆で、ハードウェアではなくコンテンツでだった。フルCGの映画をいま創れば天文学的な予算が要るが、いずれ常識的な金額に収まるはずだと踏んだのだ。

 が、新しいボス、ジョブズの人生では、クールで小さいハードウェアこそが常にスターだった。

 いまは稼ごう。稼いでこのチームを温存すればきっとチャンスが巡ってくる。そう思い、キャットムルはジョブズの戦略を受け入れた。

 一〇歳年下のジョブズは、兄のように振る舞った。

measuringworth.comで計算し、近日のドル円で換算。以下同
※1 『iCon』6章 pp.257

 

 

ジョブズの招いた経営危機

 

連載第63回 ビジョナリー、ジョブズの誤算〜スティーブ・ジョブズ(15)
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 ジョブズの号令で、社員の数は三倍になった。

 120人の営業スタッフを雇い、全国に営業所を置き、新たに創ったピクサーイメージコンピューターを大体的に売りだしたのだ。

 そのコンピュータは美しかった。

 デザインは、敬愛するソニーのトリニトロンテレビとWalkmanを手掛けたH・エスリンガーの手によるものだ。会社追放前、マックのデザインを依頼して縁ができた。

 その頃、Appleによるピクサー買収をスカリーに訴えたこともある。だがスカリーはCGの将来性を認めず買収しなかった。そしてジョブズを追放した。

 Appleの創業を成功に導いたやり方で、Appleを圧倒して眼にものを見せてくれる…。ネクスト社とピクサー社を立ち上げたジョブズは、そう考えていたようだ。

 だが、「そのアドバイスはことごとく間違っていた」とキャットムルは振り返る(※2)。

 売れなかった。

 ピクサーイメージコンピューターは13万5000ドル、現在価値で一台3000万円以上した。その上、まともに使いこなせる顧客はいなかった。もともと極限を追求する、計算機科学の博士号を持った専門家のために設計されたものだったからだ。

 過去の成功にしがみついたジョブズは当時、じぶんが確信したヴィジョンを修正する術を知らなかった。結果、わずか二年でピクサーは経営危機に陥った。

 1988年。カルフォルニアに春が来ていたが、その日の会議は長く、つらいものとなった。どの人間を馘首にするか、決めなければならなかったからだ。

 じぶんよりも優秀な人間を雇う。いまできることより、将来できる能力を買って仲間にする。その信念で、キャットムルが集めた最高に優秀な仲間たちだった。だがオーナーのジョブズは、聖域なきリストラを強く求めている…。

 「これで終わりか?」

 あらかた首切りの検討が終わり、ジョブズがそう言って席を立とうとしたときだった。ちょっと待ってください、と引き止める声がした(※3)。

 副社長だった(続)。

※2 『Becoming Steve Jobs』Chap.5, pp.137
※3 『iCon』6章 pp.263

>>次の記事 【連載第64回 アロハシャツとブレイクスルー〜スティーブ・ジョブズ(16)】

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著者プロフィール
榎本 幹朗(えのもと・みきろう)

 榎本幹朗

1974年、東京都生まれ。音楽配信の専門家。作家。京都精華大学講師。上智大学英文科中退。在学中からウェブ、映像の制作活動を続ける。2000年に音楽TV局スペースシャワーネットワークの子会社に入社し制作ディレクターに。ライブやフェスの同時送信を毎週手がけ、草創期から音楽ストリーミングの専門家となった。2003年ライブ時代を予見しチケット会社ぴあに移籍後、2005年YouTubeの登場とPandoraの人工知能に衝撃を受け独立。

2012年より『未来は音楽を連れてくる』を連載・刊行している。Spotify、Pandoraをドキュメンタリーとインフォグラフィックの技法を使って詳細に描き、 日本の音楽業界に新しいビジネスモデル、アクセスモデルを提示することになった。 音楽の産業史に詳しく、ラジオの登場でアメリカのレコード産業売上が25分の1になった歴史とインターネット登場時の類似点 や、ソニーやアップルが世界の音楽産業に与えた歴史的影響 を紹介し、経済界にも反響を得た。

寄稿先はYahoo!ニュース、Wired、文藝春秋、プレジデント、NewsPicksなど。取材協力は朝日新聞、Bloomberg、週刊ダイヤモンドなど。ゲスト出演はNHK、テレビ朝日、日本テレビなど。音楽配信、音楽レーベル、オーディオメーカー、広告代理店を顧客に持つコンサルタントとしても活動している 。

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