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ジョブズの師、知野弘文〜スティーブ・ジョブズ(20)「未来は音楽が連れてくる」連載第68回

コラム 未来は音楽が連れてくる

オスカー像とジョブズ

 

連載第68回 ジョブズの師、知野弘文〜スティーブ・ジョブズ(20)

 その日の会議は荒れているようだった。

 ジョン・ラセターは、自分のブースで待っていた。会議室で何が起きているかはうすうす感づいていた。いよいよリストラが始まろうとしている。

 ピクサー社は新オーナーの戦略ミスで傾いていた。閉鎖すべき部門があるとしたら、まず自分らだろう。コンピュータを売る会社に、CGとはいえアニメ制作の部門があること自体が浮いているのだ。ブースをおもちゃだらけにしている自分など候補の筆頭だろう。

 実際、オーナーのスティーブ・ジョブズはキャットムル社長に何度かそう提言したという。

 だがラセターは、ほぼ同い年のオーナーのことが嫌いではなかった。科学者だらけのこの会社で唯一、デザインに対する鋭い美的センスを備えた存在がジョブズだったからだ。制作中の作品を見せて、ジョブズの感想を聞いたりすることもよくあった。

 ドッと音がして、会議室からずかずかと経営陣のみんながやってきた。ジョブズもいる。キャットムルもいる。上気した顔で、絵コンテを見せてくれと言う。ラセターは理解した。いまこそ正念場なのだ。

 日本から帰って描いた絵コンテは、すでにリールに起こしてあった(連載67回)。3秒に1枚の速度で、100枚の絵コンテが次々と切り替わっていく。その映像に合わせて、ラセターが迫真の演技で声をあてていった。

 リールが終わった。ラセターは息が切れている。みながジョブズの顔を見た。彼は感動しているようだった。

 だが制作費は一秒あたり百万円を超える。会社に金が無いなら、彼が資産を崩すしか無い。ジョブズはラセターの眼を見て、ただ一言いった。

 「とにかく、最高のものを作れよ(Just make it great.)」

 ワッと声が上がり、『ティン・トイ』の制作が始まった。

  ☓ ☓ ☓

 この夏もCGの祭典は、スタンディングオベーションでピクサーに賞賛を送った。なにせ今回は、人間をCGで描いていた。

 ブリキのおもちゃティニーが、人間の赤ちゃんに追いかけられる。ソファ下に隠れたら、おもちゃたちが震えている。でも転んで泣き出す赤ちゃんが心配で、勇気を出して様子を見に行くが、赤ちゃんに捕まえられてしまう…。

 これまで「無機的なCGで人間を描くのは不可能」だったが、ピクサーに集った科学者たちとアーティストのラセターが、その壁を束になって壊したのだ。

 89年の春。『ティン・トイ』はアカデミー賞を受賞した。短編アニメ部門だった。

 「写真を凌駕するだけでない。演出は芸術的だ」と映画芸術科学アカデミー理事は絶賛した(※1)。賞賛は『トイストーリー』の制作へつながり、やがてジョブの復活につながってゆく運命が待っている。

 授賞式場ではキャットムルが感慨にふけっていた。学生時代、CGは誕生したばかりの赤ん坊だった。彼と共に研究室を飛び出たCGは、20年近い旅路を経て、遂に芸術の一員と認められた…。

 あのときの直感は間違ってなかった(連載62回)。結局ジョブズは物作りが大好きで、彼の夢を助けてくれたのだ。

 レッドカーペットの壇上に立った監督のラセターはオスカー像を掲げてみせ、「スティーブ・ジョブズ!スティーブ・ジョブズ!ありがとう」と会場のどこかにいる彼に叫んだ(※)。

連載第68回 ジョブズの師、知野弘文〜スティーブ・ジョブズ(20)

 ほどなくしてチームは、サンフランシスコの波止場にあるジョブズとっておきのレストランに集っていた。最高級のベジタリアン料理を出すザ・グリーンズだ。

「とにかく最高のものを創れ…そう言ってくれましたよね」

 ラセターの言葉に、真っ白な卓の向かいのジョブズは頷いた。

「はい、どうぞ」

 そういってオスカー像をジョブズの手前に置くと、彼の顔はそのトロフィーよりも輝いた。ジョブズの隣には、後に最愛の妻となるローリーンが座っていた。

 ふたりは付き合い始めて何ヶ月も経ってない。こんな幸福そうなジョブズをラセターは初めて見た。まるで、人生の全てがシャンペーンの泡で出来ているような…(※)。

 だがこの年、良きニュースはこれが最後となる。ネクスト・キューブは年間目標1.5万台に対し実売数360台の惨劇に。ピクサー社も翌年、ジョブズ肝いりのハードウェア部門を閉鎖、大リストラの運命が待っている。

 レストランに笑い声がさざめき、夜窓にはゴールデンゲートブリッジの灯が瞬いていた。

 

 

ジョブズの結婚

 

 1991年という年をジョブズは最悪の形で迎えていた。

 ネクスト社は空中分解の危機に瀕していた。Appleから付いてきてくれた中心メンバーたちが全員、愛想をつかして退職していった。

 なかんづく右腕だったCTOのバド・トリブル(Appleの現副社長)とCFOのスーザン・バーンズが結婚した途端に会社を去っていったのは、ジョブズをひどく傷つけた。

 ネクスト社は大富豪ロス・ペローや日本のキヤノンからの資金援助でなんとかやっていたところがあった。どれも辞めていったスーザンの尽力による。

 だが助けのないピクサー社の負債は、もはやジョブズの資産を遥かに超えるところまで来ていた。彼はキャットムルが出張している隙に、会社を処分しようと決意。社員の三分の一をさらに解雇し、売却先を探しだした。

 私生活でも、ローリーンとの関係が拗れていた。

 ある日、娘のリサとローリーンとジョブズの三人で食事をしているとき、大喧嘩をしてしまう。

 ローリーンがレストランを出ていったあと、12歳の娘になにか叱られたのかもしれない。翌朝、チャイムが鳴りローリーンがドアを開けると、ずぶ濡れになって、手作りの花束を抱えたジョブズが立っていた。彼は謝罪に雨の中、腕いっぱいに野の花を摘んできたのだ。そして結婚を申し込んだ。

 だが、いざ彼女が妊娠するとジョブズは以前付き合っていた女性と迷いだした。激怒したローリーンは彼の家から飛び出し、帰ってこなかった。

「スティーブは、すべてのことに悲観しているように見えました」

 ピクサーにただ一人残った経理担当は、当時のジョブズをそう振り返る。そう、すべてが敗北に向かうかにみえた。スカリー率いるAppleは売上世界一のパソコンメーカーに。株価は過去最高に達した。

 この年、スカリーがSonyに設計・製造を依頼したPowerbook 100が世に出る。Sonyの大賀社長は、このプロジェクトのためにどの部署のどんな人材も集めていいと指示していた。

 大賀の読み通りPowerbook 100は今日のノートパソコンの形を決めた画期的な製品となった。Appleの株価はジョブズの退職を機に低迷から抜け、今や10倍になっていた。

 結局、ジョブズは肩の力を抜いた。

 ローリーンと結婚したのである。式はヨセミテ公園で、敬愛する禅僧、知野弘文老師のもとで行われた。13歳になった娘のリサも式に来ていた。

 親しい家族だけが見守る中、老師の打つ銅鑼がセコイヤ杉の茂る山に鳴り響いた。

 

 

知野弘文とジョブズ

 

連載第68回 ジョブズの師、知野弘文〜スティーブ・ジョブズ(20)
(Wikimedia Commons https://ja.wikipedia.org/wiki/乙川弘文#/media/File:Kobun_Chino_Otagowa.jpg )

 禅僧、知野弘文は思い出していた。

 初めて会ったとき、ジョブズは18歳だった。

 ある晩、チャイムが鳴り、玄関の戸を開けるとボサボサの髪に穴だらけのジーパンの少年が裸足で立っていた。何の用かと聞くと「悟りを得た」とものすごい体臭の少年は言う。

 玄関に来た妻が「あなたの信者はおかしな人ばっかり」とカンカンになってしまったので、少年と外に出て話を聞いてやった(※)。

 悟ったという証拠は何かと聞くと、まだ見せられないが今度持ってくる、とよくわからないことをいう。ほどなくして再訪した少年が「これです」といって小さい板を見せた。パソコンのマザーボードだった…。

 若き日のジョブズは孤独だった。友人を怒らせてすぐ絶縁状態にしてしまうからだ。だから、どんな話でも裁かずに聞いてくれる知野のような存在はかけがえがなかった。

 父親に捨てられたトラウマがあったのだろう。父親になるのが怖くて、なかなか認知しなかった娘のリサについて相談したのも知野だった。知野はリサのゴッドファーザー的な存在となった。

 この師弟はどこか似ているところがあった。知野を知る僧らは彼をよく「天才」と呼ぶ。ジョブズと同じ称号だ。

 京都大学で西洋哲学と西田幾多郎を研究し、永平寺に仏教を学んだ知野は、ジョブズとおなじく理知と直感の融合を目指していた。

 ほかに「雲のような人」ともよく評された。僧でありながら彼は、束縛や規則を嫌った。それで日本の仏教界を飛び出し、何ものにもとらわれない禅の自由な精神を、自由の国で追求した。

 ジョブズには無かった美質も備えていた。人を性格や行為で白黒つけなかったので、誰に対しても自然体の好意を絶やさなかった。自然、聞き上手となりアメリカ女性にもてたのは、彼にとって想定外だった。

 そのせいで知野は、ジョブズと同じ悩みを抱えることになった。

 ローリーンと知り合うまで、ジョブズはじぶんと同じタイプと付き合ってきた。スピリチュアルで神秘的。繊細な美的センスを持つが、どこかもろくて癇が強く不安定。決してこころのやすらぎを与えてくれる相手ではない。

 知野もまた、アメリカでそういう女性を娶った。茨の道とわかっていたが「修行のつもりで結婚した」という。

 ふたりでどんな話をしたか、ひけらかすことの嫌いな知野は記録を残さず死んでしまった。だが不安定な女性に振り回される師弟は、同じ悩みを語り合うこともあったろう。

 空をつくほどに聳えるセコイヤ杉のもとで目を伏せる新郎新婦を見て、知野はジョブズとの20年近い付き合いを思った。

 きっとこの女性は、不安定な彼のこころに錨を与えてくれるだろう。スピリチュアルではないが、理知的で落ち着いた女性だ。自立していてジョブズの精神的な負担になるところもない。おだやかな家庭を築くだろう。

 知野は、ふたりを祝福した。

 11年後。iPodがWindowsに対応し、Appleが音楽ビジネスに本格進出した翌週のことだった。

 弟子に請われ、禅寺を建てにスイスへ来ていた知野弘文は、娘と湖のほとりへ出かけた。はしゃぐ娘が誤って湖に落ち、助けようとした知野はいっしょに溺死した。

「なぜ…どうして…」

 ジョブズから電話を受けた兄弟子は、彼が嗚咽を漏らし、ときどきそう呟くのを受話器越しにじっと聞いていた(続く)。

http://www.yukikoyanagida.com/article/398698982.html

 

 

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著者プロフィール
榎本 幹朗(えのもと・みきろう)

 榎本幹朗

1974年、東京都生まれ。音楽配信の専門家。作家。京都精華大学講師。上智大学英文科中退。在学中からウェブ、映像の制作活動を続ける。2000年に音楽TV局スペースシャワーネットワークの子会社に入社し制作ディレクターに。ライブやフェスの同時送信を毎週手がけ、草創期から音楽ストリーミングの専門家となった。2003年ライブ時代を予見しチケット会社ぴあに移籍後、2005年YouTubeの登場とPandoraの人工知能に衝撃を受け独立。

2012年より『未来は音楽を連れてくる』を連載・刊行している。Spotify、Pandoraをドキュメンタリーとインフォグラフィックの技法を使って詳細に描き、 日本の音楽業界に新しいビジネスモデル、アクセスモデルを提示することになった。 音楽の産業史に詳しく、ラジオの登場でアメリカのレコード産業売上が25分の1になった歴史とインターネット登場時の類似点 や、ソニーやアップルが世界の音楽産業に与えた歴史的影響 を紹介し、経済界にも反響を得た。

寄稿先はYahoo!ニュース、Wired、文藝春秋、プレジデント、NewsPicksなど。取材協力は朝日新聞、Bloomberg、週刊ダイヤモンドなど。ゲスト出演はNHK、テレビ朝日、日本テレビなど。音楽配信、音楽レーベル、オーディオメーカー、広告代理店を顧客に持つコンサルタントとしても活動している 。

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