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元ザ・バンド、リヴォン・ヘルムが死去

コラム 高橋裕二の洋楽天国

ボブ・ディランのバック・バンドとして有名だったザ・バンドのドラマーでマルチ・プレイヤーのリヴォン・ヘルムが4月19日、ニューヨークの病院で死去した。71歳だった。1996年に喉頭ガンが見つかり、闘病生活を余儀なくされたが、その後奇跡的に回復、音楽活動を続けていた。

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1940年、アーカンソー州の綿花農家の次男として生まれた。高校卒業後、地元で既に「メリー・ルー」のヒットがあったロカビリー歌手ロニー・ホーキンスのバンド、ザ・ホークスに加入する。ロニー・ホーキンスはその後活動拠点をカナダに移した。だがザ・ホークスのメンバーはアメリカ人だったので、本国に帰りたいという理由から次第に脱退、代わりにカナダ出身のメンバーが入ってきた。このザ・ホークスが後に「ザ・バンド」となる。ロニー・ホーキンスと分かれたザ・ホークスは「リヴォン&ザ・ホークス」名で活動中ボブ・ディランのマネージャーであるアルバート・グロスマンにスカウトされる。

ボブ・ディランのツアー・バンドに起用され、アメリカやヨーロッパ公演に参加する。1966年、ボブ・ディランのバイク事故で仕事がなくなったザ・ホークスはボブ・ディランが住んでいて、マネージャーのアルバート・グロスマンがオフィスを持っていたウッドストックに移り住む。1968年、ザ・バンドと改名し、デビュー・アルバム「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」を発表する。ウッドストックでメンバーが住んでいた家の壁がピンク色だった。アルバム・ジャケットはボブ・ディランが画いた。メンバーはリヴォン・ヘルム、ロビー・ロバートソン、リック・ダンコ、リチャード・マニュエルとガース・ハドソン。リーダー役はリヴォン・ヘルムだった。

ザ・バンドが有名になるのは翌1969年。映画「イージー・ライダー」にザ・バンドの「ザ・ウェイト」が使われた。契約上の関係でサウンドトラック盤には収録されなかった(スミスというバンドのカバーが使われている)。この年、ウッドストック・フェスティバルに出演、「ザ・ウェイト」を演奏した。その後ロビー・ロバートソンがグループのメンバーとうまくいかず、ザ・バンドはマーティン・スコセッシ監督で映画にもなった「ラスト・ワルツ」のコンサートを最後に1976年に解散。そして1983年からはロビー・ロバートソン抜きのザ・バンドとして活動を再開する。

しかし1986年、メンバーのリチャード・マニュエルが自殺、1999年にリック・ダンコも死亡した為グループを解散した。その後リヴォン・ヘルムはソロ活動を続け、アルバム「Dirt Farmer」は2008年のグラミー賞「最優秀トラディショナル・フォーク・アルバム賞」を獲得した。

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