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ライオネル・リッチー 全米アルバム売上げ1位の理由とは

コラム 高橋裕二の洋楽天国

先週のビルボード・アルバム・チャートでライオネル・リッチーの「タスキーギ」が2週連続の1位になった。マドンナのコンサートのおまけCD「MDNA」が無ければ初登場1位で3週連続1位の快挙になるはずだった。1位を続ける23歳のアデルを62歳のライオネル・リッチーが大復活し、阻止するはずだったのだが。

ソウル・グループ、コモドアーズから始まったライオネル・リッチーのキャリアー。ソロ後も数多くのソウル・ヒットを放った。しかしどうしてライオネル・リッチーは自身のヒット曲をカントリー系のアーティストとデュエットする事になったのか。音楽業界誌ビルボードが伝えている。

5年ほど前、ロサンゼルス・ビバリーヒルズのライオネル・リッチーの自宅の居間で、彼の友人がライオネルを説得したという。その時を振り返ってライオネル・リッチーは、「私はその話に反応した。何故ライオネル・リッチーは『ライオネル・リッチー』をやらないのかって」とビルボード誌のインタビューに答えた。セルフカバーである。しかしそのアイデアは進展しなかった。

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ライオネル・リッチーはアラバマ州タスキーギで生まれた。南部のアラバマ州は白人が人口の70%以上を占める。しかしライオネル・リッチーが生まれたタスキーギは人口が1万人ばかりの小さな町。黒人が90%以上を占める。しかし地元にはR&B(ソウル)局は無く、カントリー局が夜の時間帯だけソウル・ミュージックを流していた。必然的にライオネル・リッチーが聴いていた音楽はカントリーのウィリー・ネルソンやジョニー・キャッシュだった。今でも町にはカントリー局とゴスペル局の2局しかない。

音楽活動でカントリー・ミュージックを選ぶ事は無かった。地元タスキーギで結成されたソウル・グループ、コモドアーズにサックス奏者として参加、後にコモドアーズはジャクソン5のバック・バンドになる。コモドアーズは1979年、ビルボード・シングル・チャート1位の「スティル」と4位の「セイル・オン」の大ヒット曲を放つ。2曲ともライオネル・リッチーが作詞作曲をした。ソングライターとしての地位を築く。

1980年、コモドアーズ在籍中にカントリー・シンガーの大物ケニー・ロジャースから作曲を依頼される。書いた曲「レイディー」はビルボード・シングル・チャートの1位になった。ケニー・ロジャースは当時を振り返って、「ライオネル・リッチーはR&B出身で私はカントリー出身だが、ポップスというくくりの中で私達は出会えた」と語る。ケニー・ロジャースはライオネルのソングライターとしての才能を高く評価していた。

その後翌81年には映画「エンドレス・ラヴ」の主題歌を依頼され、ダイアナ・ロスとのデュエット曲「エンドレス・ラヴ」はビルボード・シングル・チャートの1位を獲得する。ソロ後はビルボード・シングル・チャートの1位になった「ハロー」や「セイ・ユー、セイ・ミー」他数多くのヒット曲を放った。

アルバム「タスキーギ」が生まれる芽は5年前の友人の説得にあった。最初ライオネル・リッチーは、カントリー系のシンガー数人とデュエットする数曲を含むカントリー・アルバムを考えていた。しかし、「よくよく考えれば、自分が作ったヒット曲をカントリーの人達とデュエットするアルバムがセルフカバーのベストだと思い始めた」とライオネル・リッチーはビルボード誌に語った。黒人である自分が作った曲を白人のカントリー・アーティストが新しい解釈をする。

マネージャーが変わった事も大きな要因だった。ライオネル・リッチーをマネージメントしていたのは、マイケル・ジャクソンのロンドン公演を企画したAEGライブのランディー・フィリップス社長兼最高経営責任者。新しいマネージャーはマイケル・リチャードソン。14年間もマライア・キャリーのマネージメントに携わっていた。

マイケル・リチャードソンはライオネル・リッチーをエルトン・ジョンやビリー・ジョエルのようにとらえた。自分で曲を書き演奏するスーパースターでコンサートの集客力がすごい。アルバムは単なるグレイテスト・ヒッツ集ではなく、ライオネルが考えたカントリー・アーティストとのデュエットで、より幅広い年齢層やジャンルで新しいファンを獲得する。ケニー・ロジャースを始めカントリー界の大物達はライオネル・リッチーのソングライターとしての才能を高く評価していたので企画は難航しなかった。録音はナッシュビルで行われ、ライオネル・リッチーはロサンゼルスからシャトル便のように行き来した。3週間の予定が9ヶ月間になった。

マイケル・リチャードソンは宣伝活動でTVを最優先に考えた。誰でも知っている曲だが、歌っているのがライオネル・リッチーだけじゃない。手始めに主婦が見るTVショッピング・チャンネルの「ホーム・ショッピング・ネットワーク」を狙った。本人が出演した1時間で25,000枚もの予約が取れた。極めつけはCBSテレビの特別番組「ライオネル・リッチー・アンド・フレンズ・イン・コンサート」。アルバムでデュエットしたアーティスト達とラスベガスで収録。4月13日にオンエアーされ、同放送時間帯の視聴率で1位を獲得、平均で740万人が番組を視聴した(ニールセン調べ)。カントリーが好きな白人が数多く番組を観たという事だ。結果、ライオネル・リッチーは26年振りのアルバム・チャート1位に輝いた。

加えてTV番組「レイト・ショー・ウィズ・デイヴィッド・レターマン」、「トゥデイ」や「ジミー・キンメル・ライブ」にも出演、オーデション番組「ボイス」ではコーチ役で登場した。娘の女優ニコール・リッチーがクリスティーナ・アギレラの友達という事もあり出演を引き受けた。クリスティーナ・アギレラは「ボイス」の審査員だ。オーデション番組が好きな若者達にもアピール出来た。

良い曲は生きている。曲はジャンルを問わない。カントリーのドリー・パートンが書いた「オールウェイズ・ラヴ・ユー」は黒人シンガーのホイットニー・ヒューストンが歌って空前の大ヒットになった。そして今回は黒人のライオネル・リッチーが書いた曲を白人のカントリー・シンガーとデュエットする。アメリカの音楽業界、良いところも悪いところもあるが、作品が良かったら評価する。「タスキーギ」はライオネル・リッチーのソングライターとしての才能が再び大きく評価された事に尽きる。残念ながら日本盤の発売は未だ決まっていない。

記事提供元:Musicman オススメBlog【高橋裕二の洋楽天国】

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