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ビースティ・ボーイズ、アダム・ヤウクが死去

コラム 高橋裕二の洋楽天国

最強のヒップ・ホップ・グループと言われているビースティ・ボーイズのメンバー、アダム・ヤウクが昨日(5月4日)がんで死去した。47歳だった。アメリカのメディアが異例とも思われる扱いで報じている。

ビースティ・ボーイズの実質的なリーダー。1964年、ニューヨークのブルックリンで生まれた。70年代末にマイケル・ダイヤモンド、アダム・ホロヴィッツとビースティ・ボーイズを結成する。ビースティ・ボーイズはデフ・ジャム・レコードの創業者リック・ルービンに認められ1986年アルバム「ライセンス・トゥ・イル」でデビューする。シングル「ファイト・フォー・ユア・ライト」がビルボード・シングル・チャートの7位になり、アルバムは1位になった。黒人が創り出したヒップ・ホップというジャンルで、白人として初めての成功者になった。アルバム制作は寡作だったがライブ活動は衰えがなかった。日本にも単独公演やサマーソニック、フジロックでたびたび訪れた。昨年(2011年)発売されたアルバム「ホット・ソース・コミッティー・パート2」はビルボード・アルバム・チャートの最高位2位となり、バリバリの現役だった。

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アダム・ヤウクは音楽活動に加え映画制作にも力を入れ、またチベット人を支援する活動家でもあった。今年(2012年)4月、ビースティ・ボーイズは「ロックの殿堂」入りを果たしたが、アダム・ヤウクは病気が理由で欠席した。

ニューヨークのマンハッタンにあるプレスビテリアン病院で最後を看取った母のフランセス・ヤウクは、「勇敢な子でした。長い間がんと闘いましたが命を全うしました」と新聞ニューヨーク・タイムズのインタビューに答えた。

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