ケイシー・ケイサムの遺体がノルウェーの墓地に埋葬、遺産問題で混乱も
人気ラジオ番組「アメリカンTOP40」で一世を風靡したDJケイシー・ケイサム。亡くなってから半年後、12月16日に遺体はノルウェーのオスロにある墓地に埋葬されたとゴシップ・サイトのTMZが伝えた。
TMZが確認したのは22日。ケイシーの子供達は埋葬を知らず、TMZ同様、22日に知ったという。
ケイシー・ケイサムの晩年は惨めなものだったようだ。娘のケリによれば、6年程前からパーキンソン病に悩んでいたと言われていたが、実際はそれとは異なる「レビー小体型認知症」だった事が分かったという。
そして症状が重くなると後妻のジーン・ケイサムは、前妻の子供達マイクとジュリーとケリのケイシーへの面会を断った。3人は父の自宅前まで来て、父に会わせて欲しいと嘆願したが断られた。
ケイシー・ケイサムは今年(2014年)の5月、3日間ほど行方不明になって、家族から捜索願が出され、ワシントン州キトサップ郡で発見された。誘拐されたのではないかとの噂も流れた。翌6月15日、入院先のワシントン州ギグ・ハーバーの聖アンソニー病院で亡くなった。82歳だった。
遺体の埋葬の件で、後妻と子供達の間で揉めた。ケイシーが生前希望していたのはロサンゼルス郊外のグレンデールにあるフォレスト・ローン記念公園墓地だった。ウォルト・ディズニーやエリザベス・テイラーやハンフリー・ボガート他多くの著名人が眠っている。
後妻のジーン・ケイサムの母方がノルウェー人の血を引いているという。3人の子供達はジーンに対して、死因を調べる迄は埋葬しないで欲しいと頼んでいた。しかしTMZが伝えたように、ジーンは先妻の子供達には告げず、オスロの墓地に埋葬した。ケイシーの遺産は80億円ほどあるそうだ。もめ事は長く続きそうだ。
ヒット曲をカウントダウンで紹介する「アメリカン・トップ40」はケイシーケイサムのDJで一世を風靡した。
1932年、レバノン系の両親のもと、デトロイトで生まれた。1952年、アメリカ軍に入隊。韓国にある米軍放送AFNにアナウンサーとして配属される。除隊後はアメリカ各地のラジオ局でアナウンサーを勤め、1970年7月4日、「アメリカン・トップ40」がスタートする。音楽業界誌ビルボードによると、番組最初の1位はスリー・ドッグ・ナイトの「ママ・トールド・ミー(ノット・トゥ・カム)」だった。
ヒット曲を作るという意味でアメリカのレコード業界に大きな影響を与えた。ケイシー・ケイサムは番組制作のABCラジオと契約条件が折り合わず1988年8月6日で降板した。10年後の1998年、「アメリカン・トップ40」に復帰。2004年、ライアン・シークレストにバトンタッチするまでDJを努めた。
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