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ソウル・シンガーのパーシー・スレッジが肝がんで死去

コラム 高橋裕二の洋楽天国

「男が女を愛するとき」の大ヒットを持つソウル・シンガーのパーシー・スレッジが14日、ルイジアナ州バトン・ルージュの自宅で亡くなった。73歳だった。肝がんを患っていた。

1966年5月、初めてのシングル「男が女を愛するとき」がビルボード・シングル・チャートの1位になった。曲を録音していた頃は病院の付添人の仕事をしていた。フレッド・ロビンソン著「ビルボード・ナンバー1・ヒット」によれば、パーシー・スレッジはエスクワイヤーズ・コンボというグループのボーカルで、地元のクラブで歌っていた。ある夜、レパートリーにしていたビートルズやスモーキー・ロビンソンの曲が歌えなくなった。そこでベースのキャメロン・ルイスとオルガンのアンドリュー・ライトに、どんなキーでもいいから何か演奏してくれと頼んだ。それに合わせて即興で詞を作り歌った。その後友達のDJクイン・アイヴィーに聴かせたら、アトランティック・レコードを紹介される事になる。

ちなみに、「男が女を愛するとき」が1位になった1966年5月28日付のビルボード・シングル・チャートのベスト5は以下だ。

1位) パーシー・スレッジ「男が女を愛するとき」

2位) マインドベンダーズ「グルービー・カインド・オブ・ラブ」

3位) ママス&パパス「マンデー、マンデー」

4位) ローリング・ストーンズ「黒くぬれ」

5位) ボブ・ディラン「雨の日の女」

余談が2つ。73歳という事になっているが、音楽誌ローリング・ストーンによれば、パーシーのマネージャーは、73歳ではなく74歳だとコメントした。

亡くなった町バトン・ルージュは、クリス・クリストファーソンが書いてジャニス・ジョプリンが歌い大ヒットした「ミー・アンド・ボビー・マギー」の頭に出てくる。「疲れ切って、バトン・ルージュで汽車を待っていた」

記事提供元:洋楽天国

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