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「ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ」がヒット、ソウル・シンガーのビリー・ポールが死去

コラム 高橋裕二の洋楽天国

「ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ」の大ヒットを持つビリー・ポールが24日、ニュージャージー州ブラックウッドの自宅で亡くなった。81歳だった。

リズム&ブルースやソウル・ミュージックと呼ばれる黒人音楽。60年代はフォー・トップスやシュープリームスに代表されるモータウン・サウンドだが、70年代に入って、より洗練されたフィラデルフィア・サウンド(フィリー・サウンド)が登場した。作曲家のケニー・ギャンブルと作詞家のレオン・ハフが興したフィラデルフィア・インターナショナル・レコードから多くの大ヒット曲が生まれた。

72年の暮れ、オージェイズの「裏切り者のテーマ」とハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツの「二人の絆」とビリー・ポールの「ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ」が大ヒット。ビルボード・シングル・チャートの1位獲得は「ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ」だけだ。この3枚のシングルの日本担当ディレクターは当ブログの筆者だった。

MFSB(Mother Father Sister and Brother)というオーケストラをバックにビーリー・ポールは歌った。私とジョーンズ夫人という「ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ」は不倫ソングだった。

シグマ・サウンド・スタジオ
「ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ」が録音されたフィラデルフィアのシグマ・サウンド・スタジオ 1973年 筆者撮影

記事提供元:洋楽天国


高橋裕二氏インタビュー

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