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モハメド・アリとアントニオ猪木とスリー・ディグリーズ

コラム 高橋裕二の洋楽天国

当コラムの筆者にもモハメド・アリとアントニオ猪木戦には思い出話がある。

モハメド・アリとアントニオ猪木の「格闘技世界一決定戦」は1976年6月26日、武道館で行われた。試合前にスリー・ディグリーズがアメリカ国歌を斉唱した。当時筆者はスリー・ディグリーズの担当ディレクターだった。

スリー・ディグリーズはアメリカの黒人女性ボーカルグループ。メンバーはフェイエット・ピンクニー、シェイラ・ファーガソン、ヴァレリー・ホリデイの3人で、「荒野のならず者」や「天使のささやき」が大ヒットした。

どうして国歌を斉唱する事になったのか。ケン田島というパーソナリティーがいたからだ。当時FM東京をキー・ステーションに、「富士フイルム ミュージック・スコープ」という番組が放送されていた。スポンサーは富士フィルムで、使用するレコードは全てCBSソニー(現ソニーミュージック)だった。ケン田島はこの番組のナレーター。筆者はこの番組の、レコード会社の担当者だった。

ケン田島は当然スリー・ディグリーズを知っていた。そして新日本プロレスからモハメド・アリの通訳を頼まれた。ラジオのDJやパーソナリティーは副業で通訳が本業だった。スリー・ディグリーズはケン田島の指名だった。結果、国歌を斉唱する事になった。

高橋裕二の洋楽天国記事提供元:洋楽天国
高橋裕二(たかはし・ゆうじ)
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