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ジェフ・ベックとワールド・ロック・フェスティバル

コラム 高橋裕二の洋楽天国

1975年、クリエイションは内田裕也のプロデュースでアルバム・デビューする。同年、内田裕也の企画でワールド・ロック・フェスティバルが開催された。日にちと開催地と会場は以下だ。

8月3日札幌(真駒内アリーナ)
8月5日名古屋(愛知体育館)
8月6日京都(円山公園野外音楽堂)
8月7日東京(後楽園球場)
8月9日仙台(菅生トレール・ランド)

ジェフ・ベックのバック・ミュージシャンは以下だ。

  • マック・スミドルトン(キーボード)
  • バーナード・パーディ(ドラムス)
  • ウィルバー・バスコム(ベース)

ジェフ・ベックはハワイで風邪をひき、飛行機に乗り遅れ、羽田経由で札幌の千歳空港に着いたのは当日の19:00前。当然リハもない。演奏は良くなかった。翌々日の名古屋は、うって変わって、素晴らしい演奏だった。しかし京都の円山は野外で土砂降りの雨。ジェフ・ベックは体調を崩し、演奏はキャンセルになった。お客は荒れた。しかし裕也さんは、「医者がやめとけというからしょうがないだろ。うるせー、バカヤロー」と怒鳴り返した。

翌7日も回復せず、マネージャーのアーネスト・チャップマンは午後2:00から始まるフェスのオープニングで演奏しロンドンに帰ると言い出した。屋根の無い頃の後楽園球場。当ブログの筆者は、録音は同僚の鈴木に、スチールをカメラマンの三浦憲治さんに、演奏のフィルム撮影を井出情児さんに頼んだ。オープニングではなく2番手で登場する事になったジェフ・ベック。ステージに上がる10分前、録音もカメラもフィルム撮影も全て中止の指示がマネージャーから出た。フィルムはアルバム「ギター殺人者の凱旋」を拡売する為、レコード店と組んでフィルム・コンサートをやるつもりだった。

ジェフは即、羽田からロンドンに帰った。以下は後楽園の出演アーティスト。

1975年8月7日
開演 13:55

  1. イエロー
  2. ジェフ・ベック
  3. カルメン・マキ & OZ
  4. クリエーション
  5. 四人囃子
  6. ニューヨーク・ドールズ
  7. フェリックス・パッパラルディ・ウイズ・ジョー

当時ジェフ・ベック・ファンクラブ会長は鏑木朋音。1975年当時、女子高校生だったと思う。市谷のCBSソニー・ビルの5階にある当ブログの筆者が座る席の後ろに、なんどとなく、おともさせずにスッーと立っていた。懐かしい思い出である。

高橋裕二の洋楽天国記事提供元:洋楽天国
高橋裕二(たかはし・ゆうじ)
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