音楽家がAIに転生するとき「AIが音楽を変える日」連載第1回
イーロン・マスクには少なくとも9人の子供がいる。だが結婚しているわけではない。彼はよく「私たちの住む世界は何者かによる壮大なシミュレーションなのではないか」とメディアで語っている。その説に従うなら彼の子供も、伴侶も、そして彼自身でさえもシミュレーションされた創作物でしかないが、彼と同意見の科学者も昨今、少なくないらしい。
創作物 音楽、小説、映画は私たちを感動させる。精神が魂の活動であれ脳の作用であれ、その結晶である創作物は私たちの意識が「在る」ことを実感させてくれる何かであった。だが、意識のないAIが創作物を生成できるとしたら?
AIは人を感動させる音楽を作り出せるのか。そのためには、やはり人が介在する未来が待っているのか。そもそもAIは音楽をどう変えるのだろうか。
前号でとある人物が超人気ラッパー、ドレイクの「新作」をAIで生成して配信し、音楽業界を騒ぎに陥れた話を紹介した。ドレイクの所属するユニバーサル・ミュージックは著作権侵害を理由にすべての配信サイトから当該曲を排除した。
だがそれは著作権が事の核心だったとは少なくとも私には思えないし、レーベルもそれで終わりとは考えていない節がある。ユニバーサル・ミュージックは事件からほどなくして、音楽の生成型AIを開発するエンデル社と提携。その発表で、所属ミュージシャンがAIでじぶんの音楽を生成できるようにしてゆく未来を示唆した。
エンデル社は先のイーロン・マスクと子をもうけたミュージシャン、グライムスと協業したことがある。ふたりは第一子の息子にエックス・アッシュ・エー12という宇宙船のような名前をつけて世を騒がせたが、グライムスが我が子のためにAIで生成した曲は、宇宙を浮遊しているかのようなSFチックな子守唄だった。
彼女はよくケイト・ブッシュやビョークと比べられると言えばご存知ない方にもイメージが伝わるだろうか。
大学時代、神経科学を学んでいたが、F・ハーバートの人工知能を扱ったSF小説『デューン』シリーズに感化を受けてミュージシャンに。SF、ファンタジーだけでなく、日本のアニメやゲーム特有の世界観を取り込んだ斬新なファッションと、サイボーグ化したエルフが宇宙で歌っているかのような浮遊感あふれるクラブ・サウンドを生み出した。
2012年のアルバム「ヴィジョンズ」は世界で最も影響力の高い音楽サイト「ピッチフォーク」に集う匿名の音楽評論家たちから絶賛を受け一躍、音楽を超えたポップ・アートの若きアイコンとなった。
イーロン・マスクによると彼女は音楽の趣味のみならず、そのSFじみた人生観までもが全く彼と同じで「彼女は(現実界の)僕がシミュレーションしたベスト・コンパニオンかもしれない」と方々に語っていたほどだ。グライムスはそれを否定するどころか肯定していたと言うが、彼女ならさもありなんと納得してしまう位、現実離れした存在感を持っているのがグライムスというアーティストだ。
マスクとの間には2人目となる娘も生まれたが彼女によると現在、「イーロンとはこの仮想世界では別れて暮らしている」らしい。次の同棲相手には二重の意味で目を疑った。政府の極秘情報をウィキリークスに流して「アラブの春」の契機を作ったと言われる米軍元情報分析官のチェルシー・マニングだったからだ。画像検索すれば分かるが、彼はトランスジェンダーで、もう彼女になっていたはずだった。
そんな破天荒なグライムスが、先の「フェイク・ドレイク」事件が起きた直後に、ユニバーサル・ミュージックとは真逆の行動に打って出た。じぶんの声を学習させたアーティストAIを公開し、「誰でも自由に使える」と発表したのである。ただし有料配信したい場合は、彼女と売上を50%で折半という条件付きだった。開発会社によるコンテストも開かれ、優勝作には7千ドルが贈られることになった。
ユーチューブには次々と、彼女のAIの新曲が次々と投稿された。それは本当に目を瞠る出来栄えの作品が揃っていた。
「私の作品を脅かすくらい凄い曲をみんなが作り出してるのって正直ちょっとストレスね」彼女はツイッターでそうこぼした。「でもこれってすごくポエティックなやり方でグライムスが死んで新しいキャリアに生まれ変わったようなものだと思う」
これを読んだとき、私は「グライムスはアーティストじゃない。バンドでもない。グライムスのアート言語を喋る人たちのコミュニティこそグライムスなんだ」とファンがコメントしていたのを思い出した。
そして作曲家のジョビンと歌手のジルベルトが出会い、ボサノヴァというジャンルが誕生していったのとはまた違った経緯が、アーティストAIが普及した世界ではあちこち起こるかもなあと、腕を組んで物思いに耽ったのだった。
興味があれば、ぜひユーチューブで「Grimes AI」と検索してみてほしい。一番人気の「Cats Heart Savers」は特におすすめだ。
歌詞はChatGPTにテーマを投げかけて生成したものを整え直したという。作者には病気の猫がいてインプラントが必要だが、じぶんの愛する存在をサイボーグにしてでもずっと一緒にいたいか、という問いをイラストに起こし、生成型AIで動画化。この映像が実にサイバーかつ芸術的で、AIがアートの道具になる時代はもう始まっていると一見して納得するはずだ。最後にじぶんで歌ったものをアーティストAIでグライムスの声に変換し、編集で整えているという。
作曲・アレンジはAIではなく手製だが、初期のグライムスを彷彿させる作品だ。これまでもアーティスト同士のコラボやリミックスはあったが、AIとDTMの発達はファンとアーティストの共同創作を可能にしてしまった。
この場合、ポイントは生成型AIを創作のツールとして使っていることだ。そしてグライムスは、彼女の世界観とともに生きながらにAIへ転生したと感じているらしい。
昨今、生成型AIなど技術的な進歩に不安な報道が多いことに対し「私は外交関係を改善したい」と彼女は話した。技術者と芸術家の関係のことである。「私たちはお互いを必要としている。あのね、私が会ったAIの開発者はみんなアートの崇拝者だったよ?」
その話を読みながら私は、古代ギリシャでは芸術と技術は「テクネー」という同じ言葉だったことを思い返していた。
※「AIが音楽を変える日」は現在「新潮」(本日8月7日に最新号発売)にて連載中。Musicmanでは1月遅れで同連載を掲載していきます。
著者プロフィール
榎本幹朗(えのもと・みきろう)
1974年東京生。作家・音楽産業を専門とするコンサルタント。上智大学に在学中から仕事を始め、草創期のライヴ・ストリーミング番組のディレクターとなる。ぴあに転職後、音楽配信の専門家として独立。2017年まで京都精華大学講師。寄稿先はWIRED、文藝春秋、週刊ダイヤモンド、プレジデントなど。朝日新聞、ブルームバーグに取材協力。NHK、テレビ朝日、日本テレビにゲスト出演。現在『新潮』にて「AIが音楽を変える日」を連載中。