AIがライムを刻む日「AIが音楽を変える日」連載第9回
都内某所の国立大であった実話なのだが、その研究室は応募者が超過の場合、誰が入るかは学生たちで話し合って決めさせるという。だいたいは成績順ということで話がつくらしいのだが今年、ある女子が「ラップで決めよう? この研究室への熱い思いをラップに乗せてバトルで決めようよ!」と叫んだら、そうだ、そうしようとなった。「俺、辞めとくわ」という学生も当然出て、結局人数通りになってフリーバトルは開かれなかったらしいが、観てみたかった気もする。
この話を聞いたとき私は爆笑しつつ、先日観たインドのヒップホップ映画『ガリーボーイ』を思い出していた。カーストの下位に生まれた大学生がヒップホップに出会い、ラップの才能一つで階級の壁を破って自由な人生を勝ち取る実話に基づいていた。
インドは長らく『ムトゥ踊るマハラジャ』のような、歌って踊る〝ボリウッド・ミュージック〟がチャートの主流だったのが、今やヒップホップが自由と階級打破の想いを乗せてメインストリームになりつつあると聞いたので、どんなものか知りたくて観たが面白かった。
ヒップホップの人気は母国アメリカでは落ち着きを見せつつあるが、欧州やアジアの各地でブームを作りつつある。その仕掛け人である著名な音楽業界人に先日会い、理由を聞いたが「ヒップホップはデジタル・ネイティブ世代と非常に相性がいいからだ」と教えてくれた。
ヒップホップはメッセージ性が強く、ファンとアーティストを強く結びつける。それはインスタグラムなどSNSでコミュニティをつくってゆく。ファッションとも結び付きが強いので、そのビジュアル志向は動画文化とも相性がよく、TikTokで着火してスポティファイの人気プレイリストに載って、レコメンド・エンジン(AIだ)の推薦でますます拡散してゆくことになるのでCDやテレビ時代よりも拡散のスピードが速い。
各国で若者を引きつけるテーマが違うのも面白い。アラブのヒップホップはアメリカのような個人主義ではなく、家族への愛や故郷への想い、信仰と心といったものが表現される。先のインドならそうしたものに加え、理不尽な社会的拘束に対する自由への熱い思いが若者たちを駆り立てる。
ヒップホップの母国アメリカではその音楽性は多彩になり、ケンドリック・ラマーのような「これは小説?」と感じるような物語性の高いリリックを書くラッパーも増えた。
今回、取り上げたかったルーペ・フィアスコもいわゆるギャングスタ・ラップとはかけ離れた音楽を作る。そのトラックは多彩で、ある時はドラマチックなシンセパッドが鳴り響き、ある時は七〇年代のソウル・ミュージックのように静謐。そしてリリックは一九世紀の象徴主義詩人のようにシンボリックなイメージを次々と重ねてゆく。2008年にグラミー賞にも輝いた。空手、剣道に親しみアニメと東京を愛する親日家だ。
ルーペは昨年の夏、ラッパー向けの生成AI、TextFXをグーグルと共同開発したが、それはそんな作風の彼にまさしく合った仕事だった。初めは歌詞全てを生成する開発方針だったが「それは間違いだった」と言う。彼とグーグルは方向転換して、ラッパーがリリックを創作するのを助けるツールに仕上げた。
ユーチューブに彼が実際、このAIを使ってリリックを創作してゆく動画が載っているのだが、これが面白い。「Lupe Fiasco glass of Water」で検索すると出てくるのでぜひ見てもらいたいが英語のラップの創作過程なので、ここで内容をかいつまんで紹介しておこう。
まず彼は「グラス一杯の水」というアイデアから入った。そこから思いついた一、二行のライムにはGlass of waterの韻を踏んだthe lips of marauder(略奪者の唇)という言葉があったので、それをTextFXで歌詞の「情景(シーン)」に設定した。
すると口づけの音、血の香り、アドレナリンの味などなど様々な連想されるフレーズが生成される。そのなかにあった「乾いて、かさかさで、まるで何日も水を飲んでいなかったようだ」という文にイメージを掻き立てられたので、ピン留めしておく。
そして最初の「略奪者(marauder)」をクリックして、韻を踏んだ単語のリストを見る。そこにあった「more rudder(もっと舵を)」に目を付けクリックして、様々な例文を生成する。すると「船長のいない船よりも舵が利かない。俺は不確実の海を彷徨っている」という一文があり、物語が見えてきた。そのイメージに合わせて自由にラップして、ノートに書き留める。「不確実の海」は「行き先の見えない人生の海」に直した。
ここで良い物語に不可欠な矛盾、葛藤を入れてゆく。略奪者、無慈悲な海賊。彼は今、誰かの親切な助けが必要な苦境に置かれている、とプロットを決めた。
そして最初のアイデアだった「一杯の水」に戻り、例文集を生成する。「金魚の入ったグラス」という文に目を付け、クリック。また例文集が生成され、そのひとつの「新しい環境に適応できない金魚」にピンと来た。
それをじぶんの言葉に直してフレーズを作って、生成を重ねると「店の水槽に慣れきっていたが、この全く違うヴァイブは何だ?」と出てきた。ヴァイブという言葉を活かす続きをつくるため、水槽(tank)をクリックして、army tank(戦車)に目を付けイメージを繋げる。
「まるで水から出た魚の気分だ。今、入ってる新しいタンクじゃなんか浮いてる気がする。迷彩服を着て兵士たちから敬礼されてるぜ」というフレーズで、歌詞の一番を閉めることにした。
二番のテーマは何にしよう?「涙を溜めた瞳」で行こう。「眼鏡(glass)の奥で涙ぐむ瞳」姿が思い浮かび、それを入力。例文集にあった「メガネを外すと世界はぼやけて、まるでモネの絵みたいにぐちゃぐちゃだった」というのが気に入る。それを自分の言葉で整えて二番の歌い出しを作った。そして…。
ざっとこんな感じで、完成版はユーチューブで見てほしいが、道具としての生成AIが、ラップの創作と非常に相性がいいのが伝わるだろうか。以前、「音楽生成は生楽器の曲が苦手だが、ヒップホップのトラックはかなり聴ける」と書いた。
音楽の世界で生成AIが自由に泳ぎはじめるのは、デジタル世代と相性のよいヒップホップの海であるような気がしている。〝フェイク・ドレイク〟は転じて本物へのイントロになるだろう。
※「AIが音楽を変える日」は現在「新潮」(7月5日に最新号発売)にて連載中。最新回は新潮でお読みいただけます。
著者プロフィール
榎本幹朗(えのもと・みきろう)
1974年東京生。Musicman編集長・作家・音楽産業を専門とするコンサルタント。上智大学に在学中から仕事を始め、草創期のライヴ・ストリーミング番組のディレクターとなる。ぴあに転職後、音楽配信の専門家として独立。2017年まで京都精華大学講師。寄稿先はWIRED、文藝春秋、週刊ダイヤモンド、プレジデントなど。朝日新聞、ブルームバーグに取材協力。NHK、テレビ朝日、日本テレビにゲスト出演。著書に「音楽が未来を連れてくる」「THE NEXT BIG THING スティーブ・ジョブズと日本の環太平洋創作戦記」(DU BOOKS)。現在『新潮』にて「AIが音楽を変える日」を連載中。
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