時代を超える名曲の源流を辿る〜 BS-TBS「SONG TO SOUL〜永遠の一曲〜」BS-TBS担当プロデューサー 澤井研志氏インタビュー
2007年から放送を開始したBS-TBS「SONG TO SOUL〜永遠の一曲〜」は、毎回、古今東西の名曲にスポットを当て、楽曲のシンガー、作者のみならず関係者への綿密な取材を元に、その名曲に秘められたストーリーを描き出す番組だ。音楽ドキュメンタリーとでも呼ぶべき濃厚な内容と貴重なインタビュー、そして番組内で流れる楽曲の音質にもこだわった「SONG TO SOUL」のクオリティの高さが、音楽ファンの間でも話題になっている。「Musicman」としても全ての音楽関係者必見の番組として推奨したい「SONG TO SOUL」の担当プロデューサー澤井研志氏に番組制作の経緯やこだわり、そして今後の展望までお話を伺った。
プロフィール
澤井 研志(さわい・けんじ)
株式会社 BS-TBS 編成局 編成部 プロデューサー
1974年生まれ 京都・カナダで育つ
1993年 慶應義塾大学入学
1998年 株式会社東京放送(TBS)入社
2004年 ニューヨーク大学大学院留学
2006年 株式会社BS-i(現BS-TBS)現職出向
制作部など経て編成局編成部に至る
1.
——BS-TBS「SONG TO SOUL〜永遠の一曲〜」は2007年から放送されているんですね。
澤井:そうですね。ご存じのように5〜6年前のBSの視聴者数は今と比べたらまだ少なく、日本の中でも一部の人が観るイメージだったと思います。裏事情を申し上げますと、BSは番組予算が潤沢にあるわけではないので、毎週新作を作るとなると内容の薄い番組になってしまいます。ですから、再放送をやりながら、たまに新作を作っていく方法がその頃はとられていました。そして、何回もの鑑賞に耐える番組とはどういうものかという話し合いの中で、一過性の情報番組ではない、本当に音楽の好きな人、もしくは音楽業界の方も納得できるような内容の濃い番組を作ろうというところから「SONG TO SOUL」は始まりました。
——澤井さんは番組の企画立ち上げ当初から関わっていらしたんですか?
澤井:はい。番組の発起人は私の上司です。TBSで「ザ・ベストテン」をはじめ、数多くの音楽番組に関わっていた者なので音楽への造詣も深く、「本当に良い音楽番組をやりたい」ということになりました。ただ、立場的に番組制作にどっぷりというわけにはいかないので、彼の周りをうろちょろしていた私に「ちょっと」と声がかかり、担当させていただくことになりました。当時は私の上に最初のプロデューサーがいて、私はその補佐をやっていましたが、その者が3年ほど前にTBSへ戻りましたので、そこから私がプロデューサーをやらせてもらっています。
——私も地デジ化に伴う環境の変化で「SONG TO SOUL」を視聴できるようになったのですが、日本にもこういう番組があったのかと驚きました。今までは内容の濃い音楽番組を観ると必ず「BBC」のクレジットが入っていたりと、「海外のドキュメント」という印象が強かったので「SONG TO SOUL」もそうだと思ったんです。でも、エンドクレジットを見るとどうやら日本制作のようだと…(笑)。こんな番組が日本人だけで作れてしまうんだということに驚きました。
澤井:「海外プロダクションの制作ではないのですか?」と聞かれることは度々ありますが、正真正銘、全ての回を自前で作っております。「世界遺産」などの番組制作で有名なTBSビジョンを中心に、前述の上司が集めた優秀なスタッフも加え、立ち上げ時とほぼ同じメンバーで今もやっております。
——音楽業界に携わっているすべての人に観て欲しいです。最近の若い人はミュージシャンですらあまり洋楽を聴かないようです。そういう背景なしに音楽を作っている人もたくさんいるようですが、せめて歴史を学ぶというか、ミュージシャンの生き方や音楽性といったことを、この番組を通して学んで欲しいと思いました。
澤井:ありがとうございます。どんどん言っていただければ…わたくしの口からはそういうことをなかなか言えないので(笑)。
2.
——「SONG TO SOUL」のサブタイトルである“永遠の一曲”というコンセプトにはすぐ行き着いたんですか?
澤井:アーティストに絞るとどうしても本人が出なければおかしいですし、出ていただける方も数が限られてきます。そこに縛られて音楽の本当の良さや、音楽が生まれたときのストーリーが埋もれてしまうのはもったいないなという思いが最初にありました。でも、1曲1時間というのもこれはこれで難しく…どうやって構成しようかと(笑)。
——確かに大変ですよね(笑)。
澤井:最初は「とりあえずやってみよう」という感じでしたね。ここがBSの良いところで、地上波だったら、視聴率次第で打ち切りとかすぐありますので、どうしても話題性や旬な人、レコード会社のタイアップが中心になると思うんですが、BSはもう少し長いスパンで番組を作ることができます。そういった番組作りをしたいと思っていた優秀なスタッフたちが「やらせてください」と手を上げてくれて、すごく良いチームが組めました。結局、「1曲で1時間」という難題をスタッフの音楽愛で乗り切ったというのが率直な感想ですね。
——裏方の方々にもしっかりと取材されていますよね。
澤井:そうですね。その曲を作った作詞・作曲の方 ご本人はもちろん、普段テレビに出ないスタジオエンジニアのような裏方の方々も、名曲が生まれる、まさにその現場にいた方々が多いので、とても深い話が聞けるんですよ。ですから1時間という尺さえ用意すれば、とても深い話を提供できるなと思いました。あとはその1曲を手がかりに番組を観続けていただけるかどうかなんですね。
——アーティストにスポットを当ててしまうと1アーティスト1回限りになってしまいますが、曲でしたらストーンズだろうがビートルズだろうが何度でもできるっていうのもありますよね。
澤井:やはり純粋に曲って移り変わっていくものですし、過去に放送したサイモン&ガーファンクル「スカボロー・フェア/詠唱」のように、新しい時代に復活する曲ってたくさんあると思うんですよ。私の思い入れ深い回が、エルヴィス・コステロの「She」という曲なんですが、私たちが学生時代に観た映画(『ノッティングヒルの恋人』)でエルヴィス・コステロが歌ったものだと思っていたら、シャルル・アズナヴールが70年代に作って歌っていたことを知って驚くわけです。そんなことを私たちの世代は知らないですからね。
それで曲の歴史を辿っていくと、そこにはものすごいストーリーがあるわけです。作詞されたハーバート・クレッツマーさんはミュージカル『レ・ミゼラブル』の英語版歌詞を書いた方なんですが、私が知っているような音楽作詞のレベルを超えた文学的な人でした。私は海外に住んでいた時期がありましたので、韻の踏み方や英語の発音の響き方、歌詞の滑らかさって非常に気になるんですが、彼の作詞はそこがものすごく深かったんですね。結果、どうしてこの人にこれまで話を聞かなかったんだろうと思うくらい素晴らしいインタビューになりました。
——目から鱗、みたいな話がいっぱいあったんですね。
澤井:そうですね。シャルル・アズナヴールのインタビューは本人から一旦断られたんですが、ハーバート・クレッツマーさんが「俺が電話してやるよ」とその場で電話してくれて、イギリスロケだけだったはずが、そこからシャルル・アズナヴールのいるフランスへ行きました(笑)。そういうことも意外とよくあるんですよ。やはり日本からのインタビューオファーってどうしても距離がありますし、間に人がたくさん入りますからなかなか難しいんですね。私も大好きなカルロス・サンタナなんて2年くらい前からオファーしていたんですが、残念ながら本人のインタビューなしで放送せざるをえませんでした。
もちろん、この番組は本人が出なくても成立する番組だと思っていますが、基本的になるべく近くまで行こうと毎回努力はしています。その中で音楽家同士というか、スタッフ同士の繋がりで直接ご紹介いただけることが結構あります。「ホテル・カリフォルニア」の回でもドン・フェルダーが初期のベーシストであるランディ・マイズナーを紹介してくれました。それもこの番組の趣旨を深く理解していただいているからこそなんですね。海外の方々にとって、やっぱり日本のテレビ番組って得体が知れないじゃないですか。どんな番組かも分からないという中で取材依頼しますが、一度出ていただいた人がいい感触を持っていただけますと、その噂が業界で広まって、今ではもう番組開始から比べたらずっと取材しやすくなりました。
——やはり最初は苦労されたんですね。私たちのリレーインタビューも最初は「何なんだそれ?」と言われることが結構あったんですが、途中からは快く出演していただけるようになりました。
澤井:やはりそうですよね。ジェームス・テイラーとキャロル・キングが2人同時に出てくれた回があるんですが、ロサンゼルスのツアー前のリハーサル中にインタビューさせていただきました。私もそこに行きまして、30分と短い時間ではあったんですが、インタビューしている間に「過去に日本のメディアがジェームス・テイラーとキャロル・キング2人並んでのインタビューってしたことがあるのかな?」と思いながら話を聞いていた記憶があります。インタビューはあるかもしれませんが、リハーサルの模様を撮れたのは奇跡だと今でも思ってます。
——それは貴重な体験ですね。滅多にないと思いますよ。
澤井:もちろん僕はリアルタイムで彼らの歌を聴いていませんが、2人がどれだけすごいアーティストかはよく分かっているので。そういうことが番組を通じてできるというのが、個人的にも非常にいい経験で、音楽を通じて色んなことを勉強させてもらっているなと思います。
3.
——「SONG TO SOUL」で取り上げる曲はどのように決めているんですか?
澤井:まず、スタッフに候補曲を出してもらいます。ある程度、制作側でリサーチして、できるできないを判断し、どれを進めるか会議で話し合います。ディレクターは個々の回で勝負すると思うんですが、私はトータルのラインナップ勝負になってきます。コミックで例えると1冊1冊ではなく、全体でどう揃えるかというところが私の責任だと思っています。
現実的な話になりますが、BSの場合、視聴者に団塊の世代前後の方が多いので、そういう方が一番多感な頃に聴いていた音楽を狙っていくというのはあると思います。現役のアーティストの方ってあまり過去を振り返りたがらないですよね。「次の作品が自分のベストだ」とおっしゃる方が多いじゃないですか。そうするとインタビューしにくいということもありますし、逆にある年齢に達したビッグアーティストの方々が昔のことを語ってもいいと思うようなになってきているということもあります。60年代にビートルズと時期を同じくして活躍されていた方々がそろそろ自伝を書くような年齢になってきているのも事実です。そうなると、昔話も聞きやすいですし、視聴者ターゲットにも合うので、60年代後半から70年代くらいの曲が多いですね。加えて音楽などのカルチャーが一番盛り上がった時代なので、どうしても良い曲が多いですね。
——日曜日23時〜という放送時間もいいですよね。
澤井:昨年の春にこの放送時間に移ったんですが、平日はお忙しい視聴者の皆さんが、ふとテレビをつけたときに出会ってしまう、本屋さんに行って目的じゃない本に出会うような感覚で観て頂けたらいいなと思っています。
——たまたま観てしまったとしても、目が釘付けになる番組だと思います。そして、若い人も番組を通じて紹介された曲に出会えればいいですよね。
澤井:そうですね。今、テレビの性能もよくなっているので、できればいい視聴環境でゆっくり聴いていただきたいですね。「SONG TO SOUL」は優秀なエンジニアが音にこだわって作っている番組ですから。ものによってはCDではなくてレコードから音をとって、番組の音をつけています。今どき、そんなことしないですからね。
——私もこの番組を観るときはオーディオから音を出しています(笑)。
澤井:それは嬉しいですね。そもそもこの番組は「テレビで音楽をフルレングスで聴けないよね」というところから始まっているんですね。また「テレビで音楽を聴かせるにはどうしたらいいのだろう?」という試みであり、我々の目標なんです。ですから絶対に番組では曲をフルで流します。
「クリムゾンキングの宮殿」なんて10分近くありますからね(笑)。10分間1曲を聴かせるというのは、今のテレビの感覚ですと不可能なんです。しかもプログレですから(笑)。最初、私も「プログレか…」と思いましたものね(笑)。「これ成立するのかな…?」と。そこで僕らが考えるのは「10分間、どうやって画を埋めようか」ということで、ライブ映像を10分流しても持ちませんし、映像もありませんから、イギリスの風景や音楽にまつわるジャケ写とかも含めて構成するわけですが、これは思った以上に大変です。
——でも音は切らないと。
澤井:そこはこだわっていますね。ディレクターによっては、たまにインタビューをブリッジの部分に入れたりしますが、頭から最後までそのまま流すようにしています。
——訳詞が流れるのもいいですね。さんざん聴いた曲でも詞の内容までは実はよく分かってなくて、「こんなことを歌っていたのか」と思うことが多いです。
澤井:そうですね。歌詞の意味も含めて理解してもらわないと、曲というものは伝わらないんだろうなという思いもあって、そこは重要視していますね。
——先ほど話に出たコステロの「she」も作詞家の方が話してくれることで、また新たな発見がありますよね。
澤井:ええ。どうしても洋楽というとBGMじゃないですが、音としてサラッと聴くことがあると思うんですが、歌詞もちゃんと読み解くと、時代性やアーティストのそのときの状況が現れたりするんですね。ですから曲自体からアーティストに迫れますし、作品にとって詞というのはものすごく大事だなと思いますので、詞はオリジナルと和訳の両方をテロップで入れています。
4.
——少し澤井さんご自身のことを伺わせていただきたいんですが、先ほども少しおっしゃっていましたが帰国子女だそうですね。
澤井:はい。小さい頃カナダにいて、大学のときに帰ってきたので、帰国してもうすぐ20年になります。もうあんまり英語もスラスラ出てきませんけど。
——おいくつのときにカナダへ行かれたんですか?
澤井:‘86年、12歳くらいのときです。ですから、日本のバブルは全く知らないんですよ。音楽も「ザ・ベストテン」の松田聖子さんくらいまでしか知らなくて、それ以降のミュージックシーンはあまり詳しくありません。
ある日、どこへ行くかもあまり理解せず、親に連れられて、いきなりカナダのトロントに住むことになったんですが、英語は話せませんし、まだ友達もいなかったのでテレビばかり観ていたんですね。それでテレビが好きになってこの世界に入ったんだと思うんですけどね(笑)。当時、カナダは日本よりもケーブルテレビが発達していたので、100チャンネルくらい観られたんですよ。映画を沢山観ていましたが、結局最後はMTVを観ちゃうんですよね。本当に一日中MTVを観ていました。
——それだけMTVを観ていたとなると、洋楽はお詳しいんじゃないですか?
澤井:そこで全て覚えましたね。「SONG TO SOUL」で色んな曲が出てきますけど、60〜80年代の曲でしたら、タイトルを見ただけで曲が浮かびます。70年代後半〜80年代でしたらPVも浮かびますよ(笑)。もうすり込まれているというか…その経験が今に活きているという感じですね。
それと、カナダって移民の国なので学校に行くと色々な人種の人がいるんですよ。東ドイツやレバノンから亡命してきた人もいれば、ジャマイカや香港からの移民、そして僕は日本人で、みんな聴いている音楽が滅茶苦茶なんですね。レゲエやヒップホップなども普通に聴いていましたし、その傍らでメタルを聴いている奴もいたり、パンクもいたり…そのごちゃごちゃな感じが僕の音楽との出会いだったかもしれないです。
——環境から多国籍な感じだったんですね。
澤井:例えば、U2「Sunday Bloody Sunday」を聴いて「この曲、やけに物騒な歌詞だな…」と思って、IRA(アイルランド共和軍)について知り、U2はアイルランド人なのでこういう歌を歌うのか、音楽ってそういう部分もあるのかと12歳くらいで体験すると、聴き方が変わってくるわけですよ。
——音楽をよりリアルに感じることができたんですね。
澤井:そうなんです。しかもそのときの理科の先生はアイルランド人だったり、CNNでニュース映像を観たり、音楽がニュースの映像や歴史とリンクしているのを体感したんですよね。
——確かに日本にいるとジャーナリスティックと言いますか、そういった感覚で音楽に接しないですよね。
澤井:ええ。僕自身が理屈っぽい男だったのかもしれませんが、異文化に放り込まれると理屈が欲しくなるんですよね。「なんで僕は日本人なのにここにいるんだろう?」と。そういう年頃だったんでしょうね。良くも悪くも、僕にはMTVなど映像メディアの変遷と、米ソ冷戦に代表される当時の政治状況や北米の社会情勢を肌で感じながら、音楽を聴いてきた経験があるんだと思います。
5.
——澤井さん個人として印象に残っている回やエピソードはありますか?
澤井:最近では先ほどもお話したジェイムズ・テイラーの回は、まさかのジェイムズ・テイラーとキャロル・キングの出演が実現しましたから印象深いです。気分が高揚しましたし、頑張ったなと思いました(笑)。そのとき同時進行でCCR「雨を見たかい」のロケもしたんですが、CCRって僕が小さい頃、親父が車でガンガンかけていたので、実際にCCRのメンバーたちにインタビューをするときは不思議な気分になりましたね。親父が聴いていた曲を作った人に僕が話を聞いている。でもこういったことが起こるのが音楽の力なんだろうなと思いますね。世代を越えて何か引き寄せられると言いますかね。そういった個人的なことに照らし合わせることがやはり多いですよ。
——ちなみにお父様は番組を観られたりするんですか?
澤井:「これ、やるから」って案内を出したりするんですが、「ああ、わかった」くらいの感じです(笑)。親父もいい年なので23時はもう寝ているのかなと思いながら(笑)。親父は結構LPを持っていたようなんですが、僕が赤ちゃんのときに棚から全部引っ張り出してバリバリ割ってしまったそうなんですよ(笑)。中でも記憶にあるのは「ホテル・カリフォルニア」のジャケットですね。僕はあのジャケットがすごく怖くて、結局それも割ってしまったらしいんですけど…(笑)。でも、この番組で「ホテル・カリフォルニア」のジャケットを撮影した方に取材していますからね。この方はビートルズの「アビイ・ロード」のジャケットも撮っている有名な方なんですが。
——罪滅ぼしみたいな感じですね(笑)。
澤井:ですよね(笑)。結局、自分の人生の中でも取り上げる音楽との接点は多々あるわけですよ。ですから時代を越えて残っていくものをどう扱かったらいいかということは毎回考えさせられます。
——澤井さんのライフワーク的な番組になっていますね。
澤井:よく「番組は何をやっているんですか?」と訊かれるんですが、一番最初にこの番組のことを言いますね。代表作と言ったらおこがましいですが、本当にいいスタッフと協力者の方々に支えられてやらさせていただいているので、逆に喜んで頂ける視聴者やこのスタッフがいる限りは、僕のできる範囲でこの番組を続けていきたいなと思いますね。
——是非続けていって頂きたいですね。名曲はたくさんありますし。
澤井:今期中に60曲くらいになると思うんですが、それが100曲になったときに「今度はどんな曲を選ぶようになるんだろう?」という興味もあります。実は90年代の曲もたまに入れているんですよ。それは僕ぐらいの世代、30代後半になってきた世代が18歳頃に聴いていた曲なんですが、働き盛りになって色々な人生経験をして、多少は社会の厳しさも分かってきたこの世代は音楽を聴く土台が整ってきているのかなと個人的には思うんですよね。そういう方々のために新しい曲も入れていかなくてはと僕は思いますね。
——曲は尽きないですし、普遍的な番組にどんどんなっていくと思うんですよね。
澤井:曲は本当に尽きないですね。2月12日にオンエアするのが「君の瞳に恋してる」なんですよ。フランキー・ヴァリがオリジナルで作っているので、彼にずっとインタビューのオファーをしていたんですが、ちょうど今くらいにやっているニュージャージーのコンサートで「話してもいいよ」と言っていただいたところです。
——私たちにとってはバブル時代の象徴のような曲のイメージがあります。
澤井:それはボーイズ・タウン・ギャングのカバーですね。他にもアンディ・ウィリアムスとか、シュプリームス、ローリン・ヒル、椎名林檎などたくさんのアーティストがカバーしているので、みなさんそれぞれ思い出す時代があると思います。我々は「君の瞳に恋してる」のような色んな時代に引き継がれている曲を特に発掘していかなければならないと思っています。ぜひ観ていただきたいですね。
——最後に今後の展望をお聞かせ下さい。
澤井:我々は日本人であり日本で番組を作っているので、日本のことに関する番組についてはもちろん自信があります。逆に「SONG TO SOUL」のように海外の人たちに取材をしたり、海外の土壌で生まれたものを日本人が扱うというやり方も、この番組を通じて「意外と悪くないな」「できる」と思うようになりましたし、その方法論に可能性も感じています。
つまり、僕らをフィルターにして海外の情報を、今後たくさんの情報が必要となってくるアジアの国々に提供できるようなことができたらいいなと思うんですね。日本が高齢化社会になり人口が減少しても、我々がフィルターとなって情報を輸出していければ、番組制作が成立するのではないか? また、そういった仕組みを作っていけば、次の世代も自分たちがやりたいことを続けていけるのではないかと思っています。
——「SONG TO SOUL」も世界に発信する番組になったら素晴らしいですね。
澤井:もちろん権利問題など大変なこともたくさんありますが、「音楽」というのはある意味グローバルなものなので、これに勝るテーマはないですし、例え、日本の曲じゃなくても洋楽を日本で聴いていた人間たちが、番組として加工して紹介したり、提供することもありだと思います。それくらい日本のオーディエンスは成熟していると僕は思っていますし、そういった人たちが仲介する情報はさらに付加価値がついていいと思うんです。ですから今後「SONG TO SOUL」を海外のTV局からも「いいね」と言ってもらえるような、そして、より多くの人たちに届くような番組にしていきたいなと思っています。
(2012年2月1日 公開)
(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也/山浦正彦)
綿密なリサーチと丁寧な取材、そして音へのこだわりが結実した「SONG TO SOUL」は、澤井プロデューサーを始め、スタッフの方々のチームワークと音楽に対する情熱が生み出している番組であることを実感する取材となりました。また、番組制作を通じて得た新たな事実や予期せぬ出会いについて話す澤井さんの表情は、とても生き生きとしていて印象的でした。澤井さんと番組スタッフがどんな名曲の旅を描いてくれるのか、今後も楽しみです。日曜日23:00からのBS-TBS「SONG TO SOUL〜永遠の一曲〜」、ぜひチェックしてみて下さい。
BS-TBS「SONG TO SOUL〜永遠の一曲〜」
毎週日曜日 23:00〜23:54
2月放送スケジュール
- 2月5日 #11
マーヴィン・ゲイ「ホワッツ・ゴーイング・オン」 - 2月12日 #59
フランキー・ヴァリ「君の瞳に恋している」 - 2月19日 #35
アース・ウィンド&ファイアー「宇宙のファンタジー」 - 2月26日 #54
キング・クリムゾン「クリムゾン・キングの宮殿」