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アーティストのイメージや空気感をミュージックビデオで形に〜映像ディレクター 山口保幸氏インタビュー

インタビュー フォーカス

映像ディレクター 山口保幸氏
映像ディレクター 山口保幸氏

フリッパーズ・ギターやサニーデイ・サービス、ゆらゆら帝国、ドリカム、ケツメイシにサカナクション——。錚々たるアーティストのミュージックビデオ(MV)を手がける、映像ディレクターの山口保幸さん。MV創成期の80年代から第一線でご活躍され、現在も精力的に活動なさっています。今回、当時の様子や現場でのエピソード、アーティスト秘話、映像業界の未来など、たっぷりとお話を伺いました。

[2012年2月3日 / 渋谷区恵比寿 有限会社OMBにて]

プロフィール
山口 保幸(やまぐち・やすゆき)
有限会社オンブ 映像ディレクター


1958年 埼玉県に生まれる。
1979年 個人映画、実験映画を撮り始める。
1984年 有限会社「Miss MOTION」設立。
1989年 株式会社「タイレル・コーポレーション」に参加。
1992年 株式会社「タイレル・コーポレーション」解散後、フリーの映像ディレクターとして活動。
1993年 株式会社「THE SECOND」に参加。
2002年 有限会社「OMB」設立。 現在に至る。

 

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1.

——キャリアをスタートさせた最初の1本って覚えていらっしゃいますか。

山口:ドキュメンタリーとショートムービーで構成されたデヴィッド・シルヴィアンのビデオグラムと、アン・ルイスさんの「薔薇の奇蹟」のMVを同時期に作ったように思います。80年代当時、中学時代の友人とMiss MOTIONという映像制作会社をやっていて。高校の頃から映像はやりたいと思っていたんですが、志を曲げて一般大学に入りました。でもやっぱり映像がやりたいと中退し、イメージフォーラム映像研究所に入ったんです。その後、その時の仲間が運営するパルコの映像ギャラリー「スプーン」を手伝っていました。伊島薫さんや立花ハジメさんともそこで知り合って、アン・ルイスさんの仕事を頼まれました。個人的にビデオアートもやっていたので、その流れでデヴィッド・シルヴィアンの話もきたんです。あとは田中泯さんのパフォーマンスを記録したり、上映スペース「スタジオ200」の実験映画祭に自分の作品を出したり、アーティストの中谷芙二子さんが手がけるビデオギャラリー「スキャン」を手伝ったり。「スキャン」では草間弥生さんのパフォーマンスのお手伝いをさせていただいたりもしました。また、西武美術館や西武デパートのイベント映像も作りましたし、幅広くやっていましたね。

——もともと実験映像がお好きだったんですか。

山口:高校の頃からなんでも映画は好きでしたね。ATGやブニュエル、タルコフスキー、ヘルツォーク、ジャームッシュ、あと岩波ホールやアテネフランセでかかっているような作品……。それで自然と作ってみたいってなりましたね。

——その頃は文化的土壌もしっかりしていたんでしょうね。

山口:当時はビデオメディアの創成期で、ファッションや建築、演劇、ダンス、いろんなジャンルのアーティストがビデオにすごく興味を持っていましたね。さっき話したパルコの映像ギャラリーでは、石岡瑛子さんや近田春夫さんに伊藤豊雄さんといったさまざまなジャンルのアーティストにビデオ作品を作ってもらったり、海外のビデオアーティストのショウイングをしたりしていたんですよ。西武デパートとかでもいろんなアートイベントをやっていて、来日したストリートアーティストのFUTURA2000がスプレーペインティングして、デパートのなかをシンナーの匂いで充満させて(笑)。イエローキャブを池袋から渋谷へ走らせるイベントをやったり、ピテカントロプス・エレクトスやレッドシューズのようなクラブも元気だったりと、あの頃はいろいろおもしろかったですね。

——当時のMVはどんなものが多かったんでしょう。

FOCUS「映像ディレクター 山口保幸氏」

山口:MVというジャンルはなかったですね。海外の音楽情報番組といえば「ヤング・ミュージック・ショー」、「ベストヒットUSA」とかクラブだけで流通するテープメディアのMTVみたいなものがあったくらいでした。MVの先駆けになるのかもしれませんが、70年代末に東京ロッカーズと呼ばれた複数のパンクバンドやオルタネイティブなバンドと、ビデオアーティストがコラボレーションするイベントに参加したりしていました。ライブの記録とモニターから流している映像をミックスさせて、MVのようなものは作っていましたけどね。ちょっとしたエフェクターを開発して……。

——エフェクターを開発!?

山口:その時のビデオテープにはPAからのライン音しか入っていなくて、エコー成分が入っていないすごくなまい音なんですよ。エコーマシーンも無くて。もっとリバーヴ感がほしいがために、作業していた友達のマンションのお風呂場にスピーカーを置いて音を流して、それをもう一度マイクで録って。もう一度画面を撮影してスローモーションを作ったり、文字を入れるテロップマシーンを使ったりもしたなあ。昔の機械はとんでもなくて、インサートカットって、ある場所に2秒だけアップを入れたいときに、入れる場所を厳密にはコントロールできなかったんですよ。だから何度もここでこれを入れるっていうリハーサルをしながら編集していました。そういう時代なんで、一曲作るのに2週間くらいかかっていましたね。

——そのようななかで、だんだんとMVが認知されていったと思うのですが、Miss MOTION時代には他にどんなMVを?

山口:初期の頃は坂本龍一さんの「羽の林で」というビデオ(監督:新谷裕一Miss MOTION)や、高橋幸宏さんの「ウォーキング・トゥー・ザ・ビート」(監督:立花ハジメ)のMVを制作していました。ムーン・ライダースのライブビデオも。(鈴木)慶一さんと僕らがアイデアを出し合って作ったんだけど、最終的にMVのようになりました。当時スタジオ代ってすごく高くて、1日ロックアウトすると編集の部屋によっては100万円近くかかったんですね。それで10日間くらい連日編集しているからとんでもないことになってたんだけど、なんとか200万円ぐらいにしてもらったり(笑)。

——5分の1の値切りってすごいですね(笑)。

山口:そう。あの頃って編集や撮影って絶対徹夜なんですけど、毎朝編集室でよく会う顔がいて、それが中野裕之さんだった。なにか同じようなことやっている人がいるなあと、お互いシンパシーを感じていて。僕らの会社は経営者みたいな人がいなかったので、ものすごく働いているのに会社に前々お金が残らなくてランニングコストがあまりなかったので、働くほど状況はまずくなって。そんな時に中野さんが少し会社を大きくしたいので「来ない?」みたいな感じで、タイレル・コーポレーションに参加することになったんです。

 

2.

FOCUS「映像ディレクター 山口保幸氏」

——Miss MOTIONからタイレル・コーポレーションへ。当時、思い出深いMVの現場はありましたか。

山口:ゴンチチさんの海外用MVですかね。すごく短絡的に、海外仕様なら日本っぽい場所ってことで銭湯で撮ろうと。でもそのままじゃつまらないから、銭湯に植物をいっぱい入れて土をまいて、ジャングルみたいにしたんです。外国人がきっと誤解してくれるだろうと思って(笑)。ロケハンでは富士山の壁絵があったほうがいいだろうってことで、それがある銭湯を1日に7か所くらいはしごして、実際に入りましたね。あとフリッパーズ・ギターを信藤三雄さんとふたりでやっていました。アートディレクションは信藤さん、撮影演出は僕という感じで、毎回5時間くらい打ち合わせして、煮詰まりながらアイデアを絞り出していましたね。

——個人的にはゆらゆら帝国のMVが好きで。彼らもタイレル・コーポレーション時代にやられていたんですか?

山口:タイレル・コーポレーションはバブル崩壊とともになくなってしまったんですね(笑)。1年くらいフリーランスでやっていたんですけど、ひょんなつながりでMIDI RECORDの大蔵博社長にお世話になり、THE SECONDという会社をお借りしてプロダクション業務を始めるようになりました。MIDIの所属アーティストのゆらゆら帝国やサニーデイ・サービスを手がけたという流れです。作り方はさまざまですが、まずミュージシャンがいま、なにに興味があるのかってことを話しながら感じていく。それでぽろっと出た一言を拾って、そこに僕が持っている技術や世界観をあわせて、かたちにしていくって感じです。

——具体的にこんな一言を拾ってこんな映像に仕立てたというエピソードがあれば。

山口:ゆらゆら帝国の坂本(慎太郎)くんは、おっきく言えばお任せなんですけど、話しながら坂本くんの頭のなかを覗く感じでコンセプトを決めてゆくことが多かったです。なにか一言ぽろっと言うんですよね。たとえば「夜行性の生き物三匹」はリズムが阿波踊りだから、「なんか踊ってんのとかだけでもいいんじゃないですかあ」って。それでひょっとこかぶった3人の男が阿波踊りしてるだけって映像になったり。「タコ物語」にしても、「映像とリズムのシンクロ」が坂本くんのキーワードとしてあるんだろうね。彼の描いてるイメージとか空気感とかがなんかわかるから、「頭のなかに描いていたものが絵になっててびっくりしました」っていつも言ってくれた。その言葉はいつも嬉しかった。

——お宝映像もいっぱいありそうですね。

山口:ありますよ。「タコ物語」はデモテープがあって。まだちゃんと造形したやつじゃなくて、赤い全身タイツと目玉と口だけ貼り付けて、夜の公園でテスト撮影したの。それは悪い夢を見そうなぐらい相当やばいですよ。

——すごく見たいです!ケツメイシの「はじまりの合図」と「さくら」のMVは、同じ監督さんがやられたとは思えないほどムードが違いますね。

山口:彼らも細かいことは一切言わず、くだらないことはいっぱい言うんですが、ひとつキーワードを投げるんですね。まあそこが一番大事なんですけど、「はじまりの合図」は「世界中のひとが騒いでいる、喜んでいるありものの映像で作れないか」って話でした。膨大なフッテージは、当時の助監督がかなりあちこち回って探してくれました。「さくら」は名のある脚本家と鈴木えみさんにお願いしたいって言われたの。たぶん会いたかったんだと思うんだけど。内容に関しては、歌詞やサウンドのなかにすべてがあると思うからあとは任せますって。それで岡田惠和さんに原案をいただいて演出しました。

——オワリカラの「シルバーの世界」のMVもインパクトありましたね。ボーカルギターのタカハシヒョウリくんにインタビューしたとき、自分が特撮大好きって言っていないのに、山口さんが書いてきた絵コンテの1コマ目が謎の蜘蛛女でびっくりしたと話していました。曲を聴いて蜘蛛女が連想されたんですか?

山口:どうアイデアが出てくるのか、自分でもよくわかんないんですよね(笑)。この話をいただくちょっと前に気になる銀色のテープの素材を見つけていて、これを大々的に使いたいなというのはありました。風で煽ってびろびろさせたらすごく変だろうなあとは漠然と思っていて。それが特撮映画とか実験映画とかの雰囲気で部屋に侵入して来て彼らを繭のように包み込みこんだらおもしろいなと。その銀色はどこから出てくるんだろうなって考えたときに、最期に蜘蛛女が出てきたんですよね。ちなみにお助けマンはタカハシくんが即興で作ったの。僕は撮影もやってたから忙しくて過程を見てなかったんだけど、こんな短時間でこんなクオリティ出せるなんてすごいなこいつ!って思った(笑)。

——THEラブ人間の「大人と子供 初夏のテーマ」、sleepy.abの「空中花」、ゆらゆら帝国の「つぎの夜へ」のMVを観て思ったんですが、夜の街がお好きなんですか?

山口:THEラブ人間は曲を聴いて、夢のような幻想感があるな、そういうにおいがするなって。子どもの頃、お祭りの日ように、年に何回か夜に出歩けるときがあるじゃないですか。そういうわくわくするような夜のにおいが好きなので、彼らの曲に合うんじゃないかなあって。とくに夜って意識はしてないんですけれど。

——他にも数えきれないくらいのMVを手がけていますが、なかでもハードだった現場は?

山口:THE SECONDの頃、ドリカムが多忙で撮影時間に3時間しかさけないって言われたことですかね(笑)。4時間かかってこれ以上はおせないだろうからとOKを出したんですけど、吉田(美和)さんがあんまり撮ってる気がしないからもうちょっと撮らない?って言ってくれて、追撮したんです。そのワンカットが曲の軸になるようなものになったので、そのままだったら危なかったなと。吉田さんもカンが鋭い方なので、なにか足りないっていうのを本能的に察知して、声をかけてくれたんだと思いますね。

——現場では柔軟性や瞬発力が求められるんですね。

山口:うん、状況が変わったら変えちゃいますね。現場での臨機応変な余地を残しておきたいし、そこでの発見をいかしたいと思うんで、絵コンテはあえてラフにしておきます。でもわりと即興的にやっているつもりでも、後で見ると意外と絵コンテのように撮られてるんですよね。あとアクシデントには強いんで、かえって気持ちが盛り上がります。ドリカムのときもすごく盛り上がったし、森山直太朗くんの「12月」のMVなんて、「明日MV撮ってくれないか」って前日の夕方くらいに電話がかかってきたし(笑)。それで20分くらい考えて、シンプルに、白い息が出るところで歌っている絵にしようと。すぐ制作担当にどこか白い息が映える山を探して来て欲しいと言って、そのひとの地元のネットワークを駆使して、翌日群馬の山で撮りましたね。何テイクか撮ったんですが、結局はリハーサルテイクを使いました。いい具合に力が抜けていたし、その頃は直太朗くんも「12月」が一番好きって言ってたな。この作品はシンプルなんだけど彼の本質的な部分が映り込んでいるように思いました。

——自分流のアイデアの磨き方、インスピレーションのよりどころはありますか。

山口:とにかく考えること。集中したり緩めたり緩急はつけながらも頭のどこかでずっと考えている。もちろん曲も聴きますけど、すごく聴くときもあるし、何回か聴いてあとは聴かないときもあるし、本当にケース・バイ・ケースですね。なんか出てくるまであっちこっち寄り道して、方向性をイメージしながらシミュレートしていきます。あとは日常のなかの些細なこと、たとえば電車のなかで見かけた光景、ぱっと読んだ新聞、いままで観た映画や読んだ本、そういう偶然性がきっかけになってぽろっと出ることもあります。とにかくなんか出てくるまでいろいろ入れ続けて考え続ける。それである飽和量に達すると、顔を洗ってるときやシャワー浴びてるときに、ふと出てくる感じがしますね。

 

3.

FOCUS「映像ディレクター 山口保幸氏」

——これは難しい質問かもしれませんが、いままで手がけたMVのなかでお気に入りを挙げるとするなら?

山口:サニーデイ・サービスの「サマー・ソルジャー」。スーパーカブでただ走ってゆくだけのロードムービー風な映像なんですが、青春のヒリヒリした感じが出ていて好きです。リトル・クリーチャーズの「ドリフト」も、タイのアユタヤ遺跡に行ってただ帰ってくるだけのロードムービーなんですけど淋しさが好きです。あとAJICOの「美しいこと」とかも好きだなあ。これもコンセプトは夢のなかのロードムービーでした。ストーリーはないけれど夢のようなロジックで絵が美しくて、観るひとの魂に届くような……そういう気持ちで作ったと思います。でも正直言うと選ぶのは難しいです。どの作品も愛着があります。

——最近のお仕事は?

山口:サカナクションの「ドキュメンタリー」のMVを山口(一郎)くんと作りました。最初に、山口くんがレコーディングスタジオでその曲を流しながら、彼のアイフォンに入っているレコーディング中やツアー中の写真を曲に合わせてぱっぱっと変えていく映像が送られてきて。それをもとにMVを作ってくれないかとオファーがきたので、スカイプで打ち合わせして、4つくらいアイデアを出したのね。そしたらひとつのアイデアが山口くんにかなりウケて。それはストーカーの女の子が彼の家に忍び込むっていうお話なんですけど(笑)。CDの特典映像でしか観られないMVになっています。

——コンサート映像も手がけられたとか。

山口:最近、東方神起のストーリー物のコンサート映像も撮りました。この時、気付いたことがありました。それはライブで見せる映像と、テレビで流す映像の編集では編集の呼吸が違うんですね。それは、ファンの方がキャーって叫ぶリアクションの時間をとってあげないといけないんですよ。テレビで見るとこのカット少し長いなってくらいがちょうどいいんです。ある程度想定していたんですが少しだけ短かったかなと、見られる状況によってタイム感は変わるんだなっていう反省点はありました。

——いまのMV業界の現状と未来をどのように考えていらっしゃいますか。

FOCUS「映像ディレクター 山口保幸氏」

山口:OMBをはじめて10年ですけど、MV業界はかなりきつくなっています。音楽業界全体もなかなか大変な状況です。色々なコストをおさえていくなかで、宣伝費でまかなわれるMV予算も当然下がっています。撮影機材や編集システムのローコスト化と人件費の削減とスタッフのがんばりでなんとか対応しているのですが、かなり限界にきている会社も多いと思います。MVを生業とする制作会社は東京に25社くらいあって、その主だった会社が加入して数年前から音楽映像製作者協会という団体を作り活動しています。MVの文化と産業の振興と発展を目的とし、会員の交流・懇親・情報の交換を通して、労働環境・取引条件・製作環境の向上を目指して活動しています。今、MVの抱えるさまざまな環境を整備しておかないとMVの未来は厳しいと感じています。

——そうしたなかで、山口さんは今後MVだけでなく、ドラマやドキュメンタリー、劇映画をやってみたいという気持ちもあるんですか。

山口:そうですね。まずは長年お世話になっている音楽を基軸としたドキュメンタリーの企画を進めているし、映画的な企画も進めようとしています。最近はさまざまな企業がウェブサイトに力を入れています。そこでショートドラマの要望もあるので、ドラマも作っていこうと考えています。

——それでも絶対にMV監督になりたいという学生さんや社会人もいると思うんですね。なにかメッセージがあれば。

山口:MV監督を目指す人は残念ながら減ってます。僕もMVの専門科がある学校で3年程教えたことがあるんですが、毎年人数が減ってきていました。若い子たちも映像業界が厳しいって感じていると思うんですよね。色々な意味でもっと魅力的な業界にしないといけないなと思っています。

——でも映像表現としては、MVが一番自由で即興性があるし、フレキシブルですよね。

山口:ええ、MVは一番自由だと思います。クリエイティブに関して自由度は高いと思います。純粋に監督とアーティストとメーカー担当者が顔を突き合わせたなかで物事が進められていくというか、とにかくクリエイティブな良いものを作ろうという気持ちが強いです。そこで話して決めたことが最後のアウトプットまでつなげられるっていうのは、なかなかないと思うんですよね。もちろん予算があるから考えていかなきゃいけないんだけど、そのなかでベストを尽くす。CMだと絵コンテ書いて、当日やっぱりこっちの絵がいいんで変えましょうってことはなかなかできないんですけど、MVはこっちの方が良くなるなと分かったらその場で変更してゆくことも出来るし、こまわりきくんですね。ほんとに楽しいです。さっき話したオワリカラの「シルバーの世界」のMVも、MVの原点のような作り方だし、自主映画みたい。カメラも僕がやっているし、銀色のテープだってみんなで巻いて「もっと巻けー!」って感じで、ほんとに楽しいんですよ。

——貴重なお話、ありがとうございました!

(2012年2月20日 公開)

(インタビュー・文:福アニー)

 学生時代から山口さんのMVに親しんでいたこともあり、現場では若干はしゃいでしまいましたが、どんな質問にも丁寧に答えてくださるジェントルマンでした。さまざまなエピソードに触れるたび、当時の文化のにおいや現場での情景がありありと迫ってきて、好きなことを試行錯誤しながらも楽しみながらやるという真摯な姿勢を感じました。本当に創造/想像力、瞬発力、柔軟性に富んだ方。シュールでユーモラスでエロティック、でもどこか淡々とした彼のMVのムードは、実験映画とロードムービー好きからきているのかも、と合点がいくような瞬間も。ぜひ彼のMVを見てほしいです。

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