プロデュース・ワークを経て見えてきた風景 〜 アーティスト/プロデューサー SHIKATA
May’s、KG、CLIFF EDGEと組んだユニット、NATURAL8のリーダーとしてアルバム「GOLDEN SHUFFLE」をインディーズながら大ヒットさせる。ソロ・アーティストとしても活動しながら、2009年からは、作家、プロデューサーとしても活動を開始。ナオト・インティライミをはじめ、BIGBANG、JUNSU/JEJUNG/YUCHUN、w-inds、JAY’ED、福原美穂等、幅広い層のアーティストを手掛けており、時代を見据えたディレクション、プロデュース・ワークは各方面から確かな信頼を得ている。
今回、満を持してソロ・アーティストとしての活動を本格化。プロデューサー/ソロ・アーティスト、両方の顔を持つSHIKATAの本質に迫った。
(取材・文:Masahiko Yamaura、Jiro Honda)
PROFILE
SHIKATA(しかた)
1981年、長崎に産まれ、横浜で育つ。幼少の頃より様々な音楽に触れ、J-POPからロック、そしてR&Bに至るまで多岐に渡るジャンルに影響を受ける。2002年より本格的に音楽活動を開始、2003年には全国歌謡祭にて審査員特別賞を獲得し、以降、クラブ、ライブハウスでレギュラーイベント、主催イベントを行う。2007年にMay’s、KG、CLIFF EDGEと共に、リーダーとしてNATURAL8を結成。その後、ソロとして1枚のアルバムと2枚のミニアルバムをリリースし、それと並行しながら様々なアーティストをプロデュース、手掛けた作品は各種チャートを賑わせ続けている。
——SHIKATAさんは、最近、アーティストとしてはもちろん、プロデューサーとしても頻繁にお名前を拝見するようになりましたが、プロデュースを本格的にするようになったきっかけを教えて下さい。
SHIKATA:僕は、アーティストの仲間とNATURAL8というユニットを組んでいまして、数年前その活動中にメンバーのボーカリストのKGが、後藤真希さんにフィーチャリングで参加するという話があったんですね。そのとき、僕が楽曲制作を本格的に始めた頃だったので、そこに曲を提供して関わったのが、まず初めのきっかけです。
——楽曲制作のスキルはいつ頃から身につけていたんですか?
SHIKATA:僕にはMONKさんという師匠がいるんです。MONKさんとは、昔、渋谷のclubasia(クラブエイジア)でアルバイトをしている頃に、そのバイト先の知り合いを介して出会いました。
MONKさんは、安室奈美恵さんやEXILEに楽曲を提供している方で、出会ったときに、まず仮歌のシンガーを探していると言われたんですね。それで、更に話を聴いてみると、そういう楽曲提供も行っているということで、「仮歌もやりたいけど、僕も曲を作ってみたい」って言ったんです。そうしたら「まだ早い」って言われちゃって(笑)。
そこからMONKさんに弟子入りして、約2年をかけて作曲の勉強をしました。トラック・メイク、メロディ・メイク、ディレクションの方法などを、様々な現場に同席させてもらいながら、スキルを培いましたね。
——その最初に提供したという、KGさんと後藤真希さんの作品というのは?
SHIKATA:「TEAR DROPS」という曲です。最初は曲自体、全然作れませんでしたね。僕は26歳ぐらいまで、ほとんど作曲をしたことがなかったですし、今30歳なので、本格的に曲が作れるようになってから、まだ実はそんなに時間は経っていないんですよ。
——しかし、その短期間でしっかりと結果が出ていますよね。ちなみに、NATURAL8はどういうきっかけで結成されたのですか。
SHIKATA:clubasiaでのバイト時代に、僕自身でイベントを1〜2年間やり続けていたんですけど、そのイベントをやっている中で、NATURAL8のメンバーであるMay’s、KG、CLIFF EDGEと出会いました。
その後、自分たちで事務所を設立して、僕自身がリーダーとしてNATURAL8を組み、「LOVE SONG」という曲を作ったんですね。その曲が入った、「GOLDEN SHUFFLE」というアルバムを、僕らの手売りとCDショップのWonderGOOに置かせてもらってリリースしたら、驚くことに3万枚売れたんです。
——え!いきなり3万枚ですか。すごいですね。
SHIKATA:本当に奇跡みたいな感じでしたね。今振り返ると、ああいうことはもう無いかもと思うような出来事でしたね。
当時、僕らはお金もなくて、みんなで借金して会社を作っていたんです。それで、「とにかくみんなで協力して、曲を作って売るしかないんじゃないか」と、宅録で作成して、ミックスは仲のいいエンジニアさんにお願いして、予算のない中で精一杯作ったんですよ。そうしたらさっきみたいな売れ方をしたんで、「あ、音楽ってお金をかけたものだけが売れる訳じゃないんだな」って実感しましたね。
——そのような流れがあったんですね。
SHIKATA:その後は「GOLDEN SHUFFLE」での実績や、それぞれの活動も花開いて、所属アーティストはみんなメジャーに行ったんですが、その過程で、僕自身は、シンガーだけの活動では何か足りないなという思いが、どこかにあったんですね。裏方の仕事も、もっとできた方がいいのかなということで、作曲やディレクションの勉強をしました。ちょっと近頃は裏方仕事の比重が増えすぎてるんじゃないかと、ときどき感じますけどね(笑)。
——最近ではナオト・インティライミを手掛けて、ヒットとなりましたね。
SHIKATA:ナオト君の場合は、いわゆるナオト君の自由でグローバルな感じと、僕の緻密なところを組み合わせたら面白いんじゃないかと僕の知人でもあるナオト君の担当が思ったらしく、それで、いきなり連絡をいただいて、プロジェクトが始まった感じです。最初はナオト君のことも全然知らなくて、会う前に彼の旅の本を渡されたんです。
——世界を旅したという旅行記(『世界よ踊れ歌って蹴って!28ヶ国珍遊日記』)ですね。
SHIKATA:そうです。それで読んでみたら、すごく面白いと感じたんです。実際にお会いしたら、彼の人間性がすごく良くて、この人と作品を作ったら、必ず良いモノができるだろうと確信しました。僕にお話をいただいた理由は、メロディやコーラス等の全体的なバランスを含め、僕のバックグランドにあるクラブ・ミュージックの要素が欲しいということでした。
——確かにお二人のテイストは違う感じがします。
SHIKATA:ナオト君の作品で手掛けたものとして最初にリリースされたのは「今のキミを忘れない」という曲なんですけど、実は最初に手掛けたのはその次に出た「brave」という曲でした。「brave」は、一番最初に会ったときに、彼がギターをジャカジャカって弾いた曲を「好きにしてみて」と言われたので、好きにやってみたら、「これはヤバい、すごく良い!すぐ次もやろう!」となって(笑)、それで「今のキミを忘れない」を急遽2週間ぐらいで作って、そこからヒットにつながっていく流れとなりました。
——それはナオトさんにとっても、最初のヒット曲といってもいいですかね。
SHIKATA:僕が携わる前から既に「タカラモノ」という曲がヒットしていました。そこから何作かを経て「もうひとつ突き抜けたいんだ」ということで、依頼をいただきました。
——ということは、現在のナオトさんの曲の雰囲気はSHIKATAさんが関わり始めてから出来上がったんでしょうか?
SHIKATA:いえいえ。本当に相性よくハマったので、幸運にもヒットしただけです(笑)。
——SHIKATAさんがプロデュースするときに、心がけていることはどんなことですか。
SHIKATA:僕自身がシンガーなので、より一層思うことなんですけど、僕に依頼された1曲で、アーティストの運命が左右されてしまう可能性があるわけですよね。「次のシングルに懸けているんだけど、どうしたらいいかな?」ということで依頼が来るわけですから、それはかなり重く受け止めています。
ですので、一番心がけるのは、その1曲はもちろん、どうしたらそのアーティストが良い状態で長く活動できるのか、というところにすごく気をつかっています。
コンペに曲を応募するときは別ですが、プロデュースする場合、曲もそうですけど、最初からディレクションもしたいし、アーティスト本人と距離を縮めながら、作業を進めたいですね。人間として近づかないと、そのアーティストの良さというのは分からないと思いますし。
——アーティストとは、意見を密に交わしながら進めたい?
SHIKATA:はい、アーティストがどうしたいのかというのが分からないと、僕がやる意味もないとも思います。自分で作詞をする場合も、アーティストがどういう風にその曲を歌いたいかということを徹底的に話したいですね。
——アーティストと世界観を共有すると。
SHIKATA:そうですね。僕が書いた詞だとしても、それはその詞を歌うアーティストの歌詞なんだという考え方でいます。あとディレクターさんとのやりとりも大事かも(笑)。アーティストばかりに目を向けるのではなく、ディレクターさんも、どういう風に売りたいのかとかも、詳しく知りたいですね。
とにかく、1年や2年でのスパンではなく、その先もアーティストが良い状況で長く活動できるにはどうしたらいいかを一生懸命考えて、プロデュースしています。
——そのような意識はプロデュースを始めた初期段階からありましたか? それとも段々と分かってきた感じですか?
SHIKATA:少しずつ分かってきた感じですね。最初の頃は、やはりがむしゃらにやっていて、結果が出てそのまま「やったー!」という感じだったんですけど、一旦世に出たものが、その後どういう風に時代の中で在り続けるのかなってよくよく考えたときに、プロデュースした作品のその先にあることを意識し始めましたね。
——現在、ソロ・アーティストとしても活動されていますが、アーティストとプロデューサー、それぞれの立場でいるとき、意識の違いはありますか?
SHIKATA:それが、難しいところなんですよね(笑)。プロデューサーとして活動する前は、アーティストだったらみんなそうだと思うんですが、一人のシンガーとして「僕の歌がナンバーワンだ。みんな聴いてよ」ぐらいの気持ちでやっていたんですけど、裏方の仕事やプロデュースをやるようになってからは、全てにおいて客観的になってきましたね。
例えば、曲を作るときも、自分のやりたいイメージだけで進めることはもう減ってきていまして、とにかくなるべく沢山の人が良いと思える曲にしたいというような、客観的な意識で作るようになりました。
つまりエゴを通すのではなく、みんなで一つのプロジェクトを成功させるという、プロデューサーとして「求められる」ことに自分としてはすごくやりがいを感じますね。
もちろん楽曲は、はじめは自分の好きに作るんですけど、気がつくと、やっぱりその曲と時代背景やタイミング等をうまくすりあわせて、より良いモノに仕上げるということを、自然に意識していますね。
——それにしてもプロデュースやご自身のソロ活動など大変お忙しそうですね。
SHIKATA:全然そんなことないですよ。僕は チームを組んで制作するので毎日が刺激的です。それは何故かというと、チームで進めて、意見を交わし合って、化学反応が起こるというのが僕は好きだからなんです。トラックメーカーやメロディメーカーを数人組み合わせて、プロジェクト・チームを作っているんですけど、これからの音楽制作というのはこのようなスタイルが主流になってきてると思いますよ。
海外の作家はみんな、既にそういう方法をとっていますよね。日本だと、最近やっと、チームで進行するというスタイルが増えつつあるという状況です。K-POPなんかは、既に全部そういうやり方ですよ。僕には、年上の信頼できるブレーンがいたりするので、そういった人たちのチカラを借りながら、上手に組み合わせて作っているんです。
——プロデューサーではなく、ソロ・アーティストとしてのSHIKATAさんの場合は、作曲方法が違ったりしますか。
SHIKATA:その質問は難しいですね(笑)。最初はやはり感覚で作るんですけど、感覚で作ったモノにあとから積み上げていって、今の時代に合うものにもっていくという、気が付けばさっきのプロデュース目線と同じことをやっているんで。
——曲が上から降りてくるという感じですか?
SHIKATA:「そのとき、その現場で作る」という感じですかね。セッションで作るときもありますし。ピアノとピアノを向き合わせて、メロディを出し合ってみたいな。これもチーム作業での面白いところですよね。自分からは出てこないものが提案されるので、とても客観的になれますね。「ここのコードでこのメロディをもってくるのか」みたいな。
——作詞においてはどうでしょう?
SHIKATA:作詞は、自分の経験談から書くことが多いですが、そうはいっても経験にも限りがあるので、昔の中学校の頃の淡い思い出を思い出したり、18歳のときの彼女を思い出したりすることもありますよ。あと、当時出会った人に10年後に再会したらこんな感じだろうなとか、最近は妄想が多いかも(笑)。
——(笑)。歌詞を見ると全体的なトーンとしては切ない感じですよね。
SHIKATA:クサい言葉も出てきたりするんですけど、それは若かったり幼かったりしたときの自分の素直な気持ちだったりしますし、当時が一番恋愛していたとも思いますしね。
——しかも、それは誰もが経験があり普遍的なので、みんなに伝わりますよね。
SHIKATA:はい、今は30歳になって、年齢を重ねた分、ライフイベントのインパクトが段々薄まってきた気もするんですけど、やはり若いころは、起こることのひとつひとつが一大イベントで、すごくリアルに響いてきますからね(笑)。
——やはりラブソングが多くなりますか。
SHIKATA:ラブソングは好きですね。ただ、昨年の東北の震災の後に色々なことに関わらせていただいて、考えさせられることも多かったので、恋愛モノだけではなく、もう少し幅をもたせたいなとも思いました。最近出来上がってくるものはポジティブな気持ちを伝える内容や、歌っていて自分も笑顔になれるようなものが多いです。
——元気を届けるような?
SHIKATA:今までだと、感情がすごく入ってしまって、下を向いて歌ってしまうようなものも多かったんですけど、今は笑顔で手を振りながら、押しつけるわけじゃなく、聴いた人が自然と頑張ろうと思えるような、自然と笑顔になれるようなものが多いですね。
そして、実際そういう曲を聴いた人が笑顔になっているのを見て、「あ、今自分が作りたいのはこういう曲なんだな」って改めて気付いたりします。そういう心境の変化はありますね。
——ベストアルバムにも入っているチャリティーソングもそういう中でできた曲なんですか?
SHIKATA:そうです、あの曲も僕らの仲間で「こういう曲をやりたい」って、すぐに決まりました。もちろん、みんなレコード会社が違うので大変な部分もあったんですけど、自分たちで一つ一つクリアにしながら作りまして、売上は寄付させてもらいました。
——今回のベストアルバムの選曲というのは、どのようにして決められたんでしょうか?
SHIKATA:選曲には色々迷いましたけど、やはり求められているものを提供するということで、結果が出ている曲を入れています。
あと、僕のプロデュース作は耳にしたことがあるかもしれないけど、僕自身が歌っている曲はまだちゃんと世間に届け切れていない部分もあると思ったので、まずは今回のベストでちゃんと聴いてもらいたい曲を意識して、バラエティ豊かになるように選びました。
——ここで少しSHIKATAさん自身のルーツをお伺いしたいのですが、ご出身は九州だそうですね。
SHIKATA:ええ。中学校の初めには横浜に移ったので、九州時代は幼い頃の記憶しかないのですが、僕の家族は基本的にはみんな九州の人間なので、九州男児ではありますね。
——音楽に目覚めたのはおいくつのときだったんですか?
SHIKATA:小学校4年生のときにCHAGE and ASKAさんの「僕はこの瞳で嘘をつく」を買ったんですけど、それを僕の父親が酔っぱらってギターを弾きながら歌っていたんです。それにあわせて、僕はハモりで歌ったりしていましたね。チャゲさんのマネをしたりして。
父親はCHAGE and ASKAさんのレコードを「万里の河」から全部持っていまして、それを聴いて覚えて、カラオケで歌ったり、ハモったりしていたんですよ(笑)。なので、ルーツのひとつとして、CHAGE and ASKAさんというのはありますね。
——ハモるのがお好きだったんですね(笑)。
SHIKATA:中学校のときの合唱コンクールでも、ハモり担当でハモっているのが楽しくて。多分、父親と歌ったりしている中で、相対音感がついたんじゃないかな(笑)。今振り返ると、そう思いますね。
——横浜に移られてからは、より深く音楽に関わり始めたんでしょうか?
SHIKATA:そうですね。実際にクラブ界隈に深く関わり始めたのは、さっき言ったclubasiaでバイトをはじめてからですね。もっと若いときは色々なオーディションを受けていたんですけど、中々上手くいかなくて、「やっぱり現場からだな」と思って電話帳を見ていたら、clubasiaが「a」で上の方にあって、それで電話したら「今から面接来れる」と。それで行ったら「じゃあ、明日から働けるかな?」みたいな感じで(笑)。
clubasiaでは僕の状況をすごくわかってくれる方が上司としていらっしゃったりもしたので、出会いには恵まれましたね。それまでは、音楽の専門学校に行って音響の勉強をしたり、あと何故か育成費がかかるような謎の事務所とかを転々としたりしていましたから…(笑)。
——実はかなり苦労をされているんですね。
SHIKATA:そういう下積みももちろんありました(笑)。そこから、本当に色々な出会いに恵まれて今までやってこられたという感じですね。周りの方々との出会いがなかったら、今音楽をやれていないんじゃないかと思うぐらいです。
——ちなみに、初めてのライブというのは覚えていますか?
SHIKATA:実は、高校生の頃はバンドをやっていたので、初ライブ自体はその頃になりますね。高校のとき、先輩に影響を受けて、X JAPANやLUNA SEA、SIAM SHADEあたりが大好きになって、そういうのを町田のプレイハウスでライブをやったりしてました。
——今とは、ずいぶんイメージが違うバックグラウンドですね。
SHIKATA:実はそうなんですよ。その後、Hi-STANDARDを聴いてギターを始めたり、そういうラウドなバンドが好きな時期もありましたし、バンドものも実は一通り通過しているんです。
現在のスタイルに方向転換したきっかけは、専門学校のときに友達に聴かされたBOYZ II MENですね。「すごいいい歌があるから聴けよ」って言われて、アカペラの「End Of The Road」を聴いたときに、自然と涙が出たんです。「声だけで涙を出させるような曲や表現力ってすごいな」と率直に思いました。
それで、BOYZ II MENを聴いた次の日すぐに、なんか良さそうだなと思って、JOEとBrian McKnightのCDをジャケ買いしたんですね。そうしたら、それがやっぱりすごく良くて、もう後戻りはできないという感じでハマってしまいまして、今の方向に進むことになりましたね。
でも、バンドをやっていたり、J-POPも含めて色々な音楽を普通に好きで聴いてきたので、現在仕事をする際もいい意味でこだわりなくできるのかなと思います。
——最初からR&Bばかりのフリークというわけではないんですね。
SHIKATA:そうなんです。ひとつのジャンルだけというよりも、幅広い音楽性を持っていたいなとはずっと思いながらやってきたので。R&Bはもちろんかっこいいと思っていますが、格好をつけすぎてしまってJ-POPの要素を受け入れないというのも、違和感があるというか、もったいないと思うんですよ。
最近は海外の作家と仕事をする機会も増えたんですけど、海外の目線で見てみると、改めて日本の曲や歌の良さに気付くことが多いです。海外の作家からも「日本には日本の良さがあるのだから、そこをもっと出すべきだ」というアドバイスをいただきますし、海外にない日本独特のハーモニーを作って、向こうの人に聴かせたら「これすごくいいね!」って言って貰えたりもしますしね。また、日本語の良さも、最近すごく実感するようになりました。
——SHIKATAさんの楽曲を聴くと、楽曲はグローバルなのに日本語が自然に聴こえてくる感じがありますよね。
SHIKATA:言葉がハマるメロディ、逆に、メロディにハマる言葉という部分を、すごく意識しているんです。ナオト君と曲を作るときも、聞こえ方自体を深く追求しています。例えば、詞をつくった後、その言葉をひとつひとつ黒板に書き出して、歌ってみるんです。そこで気持ち良く言葉が聞こえるかどうか、全てお互いで確認します。あとは、韻の部分も含め、とにかく耳に聞こえたときの心地良さにこだわっています。
——なるほど…ヒットの秘訣を垣間見た気がします(笑)。SHIKATAさんは今後、ソロ・アーティストとしても一層チカラを入れていかれるんでしょうか?
SHIKATA:実は、今までソロ・アーティストとしては、レコードメーカーさんと本格的にお仕事を一緒にしたことがあまりなかったので、今後トイズファクトリーさんと一緒にやっていくのはすごく楽しみです。
——もちろんプロデューサーとしても両立しながら?
SHIKATA:はい、今の時代の、ソロ・アーティスト兼プロデューサーの代表みたいなポジションを目指していきたいです。
ちなみに僕は昔からアーティストとしては、トイズファクトリーでずっとやりたくて、20歳の頃に一度オーディションに応募したんですけど、その時は落選したので(笑)、10年越しで今回の話をいただいたときはすごく嬉しかったです。
これからは、いただいたチャンスのお返しをキチンとしたいと思っています。また、夢というのは、本当に叶うんだなと実感しましたし、まだまだその途中でもあるので、今後さらに大きな夢に向かっていきたいですね。
リリース情報
SHIKATA「BEST 2007–2012 〜Prologue〜」
2012年7月18日 発売
PDCX-9012/2,000円(税込)
【収録曲】
1. ただ… ありがとう
2. I still…
3. Dear… My friend
4. 逢いたくて… feat. CHIHIRO
5. まだ、君が好き
6. FAVOR 〜確かなこと〜
7. Lose control
8. LOVE SONG(NATURAL8)
9. Believe Myself(Dear, KEN THE 390 & SHIKATA)
10. ラブレター with SHIKATA(Tiara)
11. STAY TOGETHER(NATURAL8)
12. Shine