「想像を超えた表現で多くの人に感動を与えたい」 作詞家 有森聡美氏インタビュー
LINDBERGや西城秀樹、岩城滉一、本田美奈子、森川美穂など、多数のアーティストをはじめ、アニメ「スレイヤーズ」シリーズの林原めぐみ、「機動戦艦ナデシコ」の松澤由実、近年では「僕は友達が少ない」などの人気アニメ・声優に数多くの歌詞を提供している売れっ子作詞家の有森聡美さん。
今回のFOCUSでは、作詞家になられた経緯や、驚きの制作過程、作詞家を目指す方へのアドバイスなど、“作詞家”という仕事と、その生き方についてお話を伺いました。
PROFILE
有森 聡美(ありもり・さとみ)
名古屋出身。音楽活動をしながら89年頃より作詞家としての活動をスタート。LINDBERG、西城秀樹、大親友であった本田美奈子、森川美穂、高橋克典、岩城滉一からアイドルまで、多数のアーティストに歌詞を提供。90年代のアニメでは、林原めぐみ、松澤由実、奥井雅美や井上麻理奈、伊藤かな恵、沢城みゆき、小林ゆう等有名声優アーティストにも提供している。また、1998年に今の会社ストーン・へブンを立ち上げ音楽制作等を行いながら、1999年頃より、LEGOLGEL(ルゴルジェ)と言うユニットを結成させ、プロデュースも行っている。
Contact:press@stone-heaven.com
1.
——今回はスターチャイルド 星子誠一さんからのご紹介頂いたんですが、星子さんとはどこで出会ったんでしょうか?
有森:かなりコアな異業種交流会で知り合ったんです。そこは面白い人たちが多くて、たまたま星子さんもいらしていたんですが、星子さんの存在は以前から知っていたんですね。会場に音楽関係の方があまりいらっしゃらないので、ついつい音楽の話しに花が咲いてしまって…。それからは食事に行って、音楽や仕事の話しをしたり、ライブに招待していただいたり、人生の先輩としても、助言をいただいたりしています。
——有森さんはご出身の名古屋で音楽活動をなさっていたそうですね。そのときから詞はご自分で書かれていたんですか?
有森:はい。普通のバンドはコピーから始まるんですが、私の場合は先にオリジナルの楽曲ができていて、それを音にしたくてバンドを作ったのが始まりです。元々小学生の頃から詞や曲を作るのが大好きで、音楽の先生に譜面に起こしてもらったりもしていましたね。
学生時代に唯一、バンドというカテゴリーの中でメンバーと一体感を噛み締めていた、私にとってはめずらしい時代でした。子供の頃からみんなと同じことをするのが苦手で、寂しいんですけど、群れるのは好きではないのと、媚びるのはもっと嫌だったので、人に合わせたりはしませんでした(笑)。もちろん音楽にも妥協はありませんでしたが、どんどん磨かれて、みんなで成長してゆき、評価されることが、凄く楽しくて、ついにバンドという連携するスタイルにハマったわけです。それでもワガママに生きてきて、それがそのまま通ってきちゃった名古屋時代は、「夢に向かって」という理由付けで、かなり自分勝手に生きてきたと思います(笑)。
——そんな風に素直に言ってみたいです(笑)。
有森:何もないところからものを作るのがとても好きなので、大学は芸大を受けたんですが、1回じゃなかなか受からないんですよね。私が受けたときで倍率が38倍くらいだったんですよ。そのときにいい教授がいると聞いた短大があったので、そのデザイン科に入って、将来はフランスに行って画家になろうと思っていたんですよ。
ただ、趣味としてやっていた音楽の方が、どんどん上手くいって、名古屋では結構売れっ子になったんですね。当時はテレビに出たり、色々なイベントに呼ばれたり、CMソングを歌ったりと、沢山お仕事をさせていただいていたので、「東京に行けばデビューできる」と思ったんです。「これはいけるだろう」と (笑)。本当に怖いもの知らずの、世間知らずでした。
——東京にはメンバー全員で出てきたんですか?
有森:結局、本当に行こうと思ったのは私だけで、一人で東京に出てきました。
——一人になってしまっても決心は揺らがなかったわけですね。
有森:そうですね。学生時代、毎日朝早く起きて、通学して…、という繰り返しの生活をしてきたのに、社会に出てからも同じように、朝起きて満員電車に乗り、時間通りにランチを食べて、また電車で帰るという生活があり得ないと思ったんですよ。そういう生活は高校生まででいいと思っていました。短大の時にはもう車で通ったりしていましたね。名古屋ですし(笑)。
——(笑)。上京されてからは?
有森:少ないながら東京に知り合いもいましたので、事務所を紹介してもらったんですが、最初の1ヶ月しかお給料が出なかったんですよ。その時、大人も嘘をつくんだなって、ただショックでした。子供でしたから…。でも親には言えないのでバイトをしながらミュージシャンにギャラを払って、バックバンドをやっていただいて、自分でチケットも一生懸命売りながらライブを続けていました。
最初のライブは岩城滉一さんの前座だったと思います。岩城さんのライブ用の歌詞を書かせていただいたことがきっかけでした。その頃から詞を提供する機会が増えてきて、依頼がどんどんくるようになったんです。
——では、上京してそんなに経たないうちに作詞家としての仕事が始まっていたんですね。ものすごく早いですよね。
有森:早かったですね。岩城さんに詞を書かせていただいた後くらいからは、“AZUSA”というペンネームで作曲家の三木たかしさんの曲で、アルバムやシングルの詞を書かせて頂いたり…。それをテレビ朝日ミュージックの方がすごく気に入ってくださって、三木たかしさんも「才能がある」とおっしゃってくださったみたいで、色々な方のご紹介等もあり、あっという間に仕事の幅が広がっていきました。
2.
——作詞をされるときは歌う方に合わせて書かれるんですか?
有森:もちろんそのアーティストさんが歌ったらこうなるだろうと、なりきって書いています。ただ、自分も歌っていたので、歌詞を書いてから歌うことが多いんですよ。自分で歌ってみて、歌いづらい箇所を直すんですね。ロングトーンがきれいに流れるようにとか、発音の響きが良いとか、歌詞が伝わりやすいフレーズの並びとか、そこはしっかり歌って考えます。アーティストさんにも歌いやすさの点もあり、オファーをよくいただきます。
——技術的な部分も気をつけながら作るわけですね。
有森:ええ。それがすごく楽しいです(笑)。作ったイメージを、良い意味で裏切って歌われた時なんて、感動ものです! ライブ等でお客さま達が、その歌で感動してくださっている姿を見たら、ハマったなって、思わずニンマリしています(笑)。最高の瞬間ですね。
——他人に提供した方が色んな世界が広がるという感じですか?
有森:そうですね。それはやり始めてわかりました。
——作詞家・作曲家を目指す人はごまんといますが、それを現実に仕事にできる人はなかなかいませんよね。有森さんだったらどんなアドバイスをされますか?
有森:まず、学校で基礎を学ぶことも大切ですが、現場が一番大事だと思います。私はなるべく色んなところへ行ったり、ライブや舞台を観たり、体験してみたりするんですよ。後はとにかく書くこと! 昔、作詞家になったばかりの頃に「雨が降っていても、ただ雨が降っていると思っちゃダメだよ」と言われたことがあって、最初は意味が分からなかったんですが(笑)、実際自分が作詞家としてやっていくうちに、無意識に「どう表現しよう?」と見たり感じたりしてしまうんですよ。職業病ですね(笑)。
あと、感受性や感性が豊かだったり繊細だったりするのは武器のひとつだと思います。傷つきやすいというリスクもありますが、人が10感じるところを100感じられたり、違う感じ方ができたりして、作品を作る上で、色々な角度から色々な形で物作りが出来ると思います。妄想も大切ですね。心の中の言えない言葉が作品作りのパワーの源だったりしますから(笑)。後は、色んな人に当たって砕けることですね。私も好き勝手な名古屋での時代から、まったく別世界の東京で、かなり砕けましたし(笑)。視野は広がりますから色んな人との出会いは、大切にすると良いと思います。
——有森さんはとてもお綺麗ですし、恋愛の経験も豊富そうですよね。
有森:いえいえ、とんでもないです。恋愛の経験が豊富そうとか、時々言われますが、何を根拠にそう見えるのか、いつも不思議に思っちゃうんです。ただ、ずっと仕事に恋してきたので、両立することが苦手なのかもしれません。そろそろ女としても羽ばたいてみたいです(笑)。この場をお借りして募集してもいいですか? (笑)。
——もちろんです(笑)。ちなみに恋愛をテーマにした詞は多いですか?
有森:そういったオファーも多いですね。心のカギがカチッと開きます(笑)。
——依頼されるときはテーマが決まっている場合が多い?
有森:そうなんです。アニメの歌詞の場合は、脚本を読んで原作者が伝えたいことを想像して作ります。アーティストの場合はできれば直接会って、お話をします。アーティストの想いやスタイルを書くことも大切ですが、第三者的視点から見たアーティストを書きたいと思っているんですよ。それは本来お客さんが求めるものだと思うので。なので、まれに提案させていただくこともあります。
以前、西城秀樹さんに恋愛の詞を書いたんですが、コンサートの演出家の方と秀樹さんに「こういう歌じゃなくて、できれば大人が人生の旅に出るような歌を書いて欲しい」と言われたんですよ。でも、ここは提案させていただいたんですが、「秀樹さんのファンは30代から50代の方が多いじゃないですか? 今まで何十年も人生を生きてきたので、せっかくコンサートに来るんだし、秀樹さんに恋、させてあげましょうよ。日頃の生活を忘れ、地に足がついていない、数センチ浮いた気分を味あわせてあげたいです」というような話しをしたら「よし、わかった」と言って下さって。それからは、秀樹さんからも仕事を頂くようになりました。秀樹さんは詞に関して「これはどういうことなの?」 と深い所まで確認して下さるので、作りがいがありますし、歌い手としての表現の仕方など、素晴らしい方だと思います。
——有森さんの姿勢は受け身でなく積極的なんですね。
有森:大切なのはオファーされたものをどう膨らませるかなんです。よく「有森さんの詞ってギリギリですよね」って言われるんですよ(笑)。何がギリギリなのかはわからないですけど、ギリギリをいかないとつまらないと思うんですよね。オーダーする側が100%を求めたら、こっちは120%以上で返すよう心掛けていますが、向こうが想像していない120%を狙いたいんですよ。これは一生の課題だと思うんですけど、そこが私たちの腕の見せ所じゃないですか。
——ちなみにギリギリを狙い過ぎて、直しを求められることはあるんですか?
有森:たまにありますね(笑)。プロデューサーが頭に描いたものにいかに近づくか、そしてそれをどう追い越すかなんですよね。お仕事として受けているので、プロデューサーが書いてほしいという詞を書くのは当たり前だと思います。最近の若いプロデューサーの中には、私が直しをしないと思っている方もいらっしゃるみたいなんですが、私はどんどん意見を言って欲しいんですよ。直しますから(笑)。直すことによって「こういう考え方もあったのか」と、すごく勉強させてもらった気持ちになります。プロデューサーも私もお互いのいいところは盗もうとしますし、どんどんアイデアが生まれてくるスタイルがベストな仕事だと感じています。
——お互いに切磋琢磨されているという感じですよね。
有森:尊敬したり尊重したりしながらやっていく仕事は、とてもいい作品ができますよね。そうなれるように自分も努力しないといけないと思っています。
——曲先でオーダーがきた場合、曲については何も口出しされないんですか?
有森:プロデューサーが「この曲でいく」と言うなら一切言わないです。すごく良い曲がきた場合は負けられないと思いますし、そうでない場合は詞で盛り上げようと思います。多少変えてもいいと事前に言われているときは提案したりしますけど、基本作曲家の方が書かれたものに、きっちり合わせます。
——敬意を払っていらっしゃる?
有森:そうですね。作曲家の方も魂を込めて書かれていると思うので。
3.
——同じ作詞家として尊敬している方、あるいはソングライターで詞が素晴らしいと思っている方はいらっしゃいますか?
有森:作詞家になりたての頃は、松井五郎さんが安全地帯や工藤静香さんに書いていた詞が好きでした。あとは松任谷由実さんや小田和正さん、Mr.Children、B’zなんかも好きですね。小田さんは、長年、不変的でピュアな歌詞を書き続けていらっしゃるので、本当に素晴らしいと思います。初めて音楽を聴いて泣いたのも小田さんの作品でした。小田さんやユーミンは未だに必ずライブにも行かせていただいています。
——私もユーミンが出てきたときは、別格だと思いました。とにかく新鮮でしたし、詞がすごいですよね。
有森:ユーミンは失恋すると“アカプルコに飛行機で飛ぶ”んですよ(笑)。詞って生まれや育ちの違いも出るじゃないですか? そういう詞の世界に憧れもありますね。
——ユーミンはちょっとセレブっぽいところを出しながら、女の子の憧れを形にしていましたよね。
有森:そうですね。夢を見させてもらいたいという気持ちもありましたし、そういう意味では今の時代、ちょっと形は違うかもしれませんが、自分もみんなに夢を見せてあげたいなと思っています。そのためにもっと世界を広げたいというか、今はニューヨークに2年くらい住んでみたいんですよ。何かを掴んできたいと言うか、外側から日本を見てみたい気もします。ヨーロッパに行ったときも、歴史ある街と最先端をいっているファッションが美しく共在していてあの時は凄く感動しました。パリジェンヌがサンドイッチを食べながら歩いているのを見て、すぐマネしましたもんね(笑)。小さな感動からもフレーズは生まれますから。クリエイティブなお仕事をさせていただいていると、何もかもが宝の山なんです。
——シンプルに憧れてしまいますよね。
有森:私はとってもミーハーなんです(笑)。でもミーハーって大事だと思っているんですよ。みんな隠すみたいなんですけど、「好きは好きでいいじゃん」って思います。ミーハーな気持ちがなくなったら終わりのような気もしますしね。でも、そういう人を動かす力ってすごくないですか? 私も、私の詞を聴いてくださったファンの方に「人生変わりました」とか言っていただけるとすごく嬉しいですから。
——詞は人に与える影響力も大きいですし、作品がずっと残る。作詞家はやっぱり素敵な職業ですね。
有森:本当にそうですね。作品は自分の子供のようなものです。でも、書いたら忘れるようにしているんです。書いている最中は魂込めて書いて、愛情もたっぷりかけますが、歌い手さんに渡った時には、子供をお嫁に出すような感覚なんです。「いってらっしゃい。ここからはちゃんと育つんだよ」みたいな。
——今までに何千と作品を書かれたと思うんですが、言葉は尽きないものなんですか?
有森:尽きないです。いくらでも出てきます。ノッてる時は踊りながら書いていますよ(笑)。メロディーが流れると同時に詞が浮かんでくることも、よくあるので、一気に書いちゃうんです。ときどき同じフレーズが出てくるときもありますけど(笑)。
ありがたいことに職業作家なので、いろんな色を持ったプロデューサーの方々と仕事をさせてもらうことによって、いろんなエキスをもらえるんですよね。それが自分のボキャブラリーに反映されていきます。だからプロデューサーさんに引き出していただいている感じはしますよね。
——長くやられている理由がわかった気がします(笑)。そういう気持ちがないと続きませんよね。
有森:そうですかね(笑)。何というか、お金を稼ぐという意識はまったくなかったですし、ただ、好きなことを一生懸命、継続できた環境に感謝しています。
——最初から求めるものじゃなくて、結果として付いてくるものですからね。
有森:今考えると、何の保障もなく情熱だけで、東京に出て来たあの頃の自分にビックリです(笑)。そして、東京に来ることを唯一理解してくれた母や、受け止めてくださった関係者の方々にも感謝しています。
4.
——有森さんは作詞以外に取り組まれていることはありますか?
有森:1998年にストーン・へブンという会社を立ち上げて、音楽制作をしながら、LEGOLGEL(ルゴルジェ)というユニットのプロデュースもしています。レコーディングはもちろん、ステージの演出やPVの監督もやっています。ライヴを観に来たお客さんが、楽しんでくれている姿を見るのがすごく嬉しいし、また次のステージへの架け橋にもなりますね。
あと、今はミュージカルの作詞をやってみたいと思っています。私は本田美奈子.ちゃんとすごく仲良しだったんですよ。彼女に詞も書いていたんですけど、プライベートでも仲が良くて「レ・ミゼラブル」も彼女が出演したときに初めて観に行ったんですが、ファンがすごく根強いんですよ。去年うちのアーティストも「レ・ミゼラブル」に出演して、そのステージを観ながら「日本人が作った新しいオリジナルのミュージカルがあってもいいんじゃないか?」とすごく思いました。そういう同じ考えを持った人たちが集まって一緒にミュージカルを作りたいですね。
——ニューヨークはブロードウェイの存在によってミュージシャンも生活ができるという側面もあるそうですね。でも、日本にはそのような土壌がありませんよね。
有森:日本でもミュージカルは増えているんですが、ブロードウェイから持ってきているものが多いんですよ。ですから私は日本オリジナルのものを作りたいんですよね。アニメとかビジュアル系が、今、世界では日本の文化として認められていますが、もっとたくさんの文化を発信してもいいと思いますし、日本人は世界へ発信していく力が十分あると思います。
だから、もっとオリジナリティのあるものを作ってゆくべきだと思います。それがビジネスになって、今チャンスに恵まれていない人たちがそこから出てくるべきだとも思います。ミュージシャンもそうですが、今、若い人たちが出て行ける場が少ないんですよね。ただ、私はいつも「ないんだったら作ればいいじゃない」と思うんですよ。私が会社を作ってアーティストをやり始めたのも、自分の世界を広げたかったというのもありましたが、若いアーティストにチャンスの場を作ってあげたかったんですよね。
——長いこと仕事をされてきて、音楽業界や制作環境が変わったなと感じることはありますか?
有森:音楽業界だけじゃないと思うんですが、若い方はあまり冒険しないですよね。失敗を恐れているのか、失敗が許されないのか、色んな事情はあると思いますが、その中からヒットを生み出すのは難しいんじゃないかと思うんです。私は「せっかくの人生、勝負しようよ!」と、いつも思っていますから。
——若者に勝負する感性が欠けていると。
有森:今の20代や30代ももう厳しいかもしれないですね。数年前とは環境も違うので、しょうがないと言えばそれまでですが、クリエイティブな遊び心や継続する根気が欠けてきているように思います。もちろん、素晴らしい方々もいらっしゃいますが、そんな時代だからこそ、頑張る人にチャンスはあるんだと思うのですが…。
——これからの若い人たちに向けてのメッセージですね。
有森:私はいつも「死ぬ気で頑張っても死なないから」って言っているんですけど(笑)、そのくらい頑張ってみればいいと思いますし、私だって今までも何の保障もなかったですし、これからもないですから。それでもチャレンジはしていきたいです。守りに入った時点で作家ではなくなると思います。もっと自分を追い込んだ時に、何かが見えてくるんじゃないでしょうか。
——そのくらいの根性と気概がなければやれない仕事だということですよね。
有森:そう思います。せっかく生まれてきたので、平凡に生きていくよりは、何度転んでも、なかなか見られないものを見たり、経験したり、人に感動を与えることができるような作家として生きたいです。辛い経験もパワーになって詞が書けていると思うんですよ。本が書けるほど酷いフラれ方をしたことも結構ありますから(笑)。
昔、新宿二丁目に行ったときに、私が作詞をした歌をみんなでさんざん歌って、盛り上がったあげく、「あんたみたいなネガティブな女が、よくこんなポジティブな歌詞書けるわね」って言われたことがあるんですが(笑)、私は何にしてもネガティブだったりするんですよ(笑)。でも、ネガティブだから書けるんですよね。幸せじゃないときほどいい詞が書けたりもします。もちろん人によって違うと思うんですが、幸せじゃないとき、何かが足りないときの方が埋めようとする何かや憧れがパワーに変わるような気がします。
——電車に乗って会社に行きたくないと思った瞬間に平凡な生活は捨てているんですもんね(笑)。それは自分が選んだ道なんだから辛い記憶も経験も背負っていかないと、ということですね。
有森:ええ。誰に何と言われようと、何か1つでいいから一生懸命続けることですね。一番信じないといけないのは自分で、自分を信じられない人には結果はついてこない。作詞家になりたいのであれば、受け止める心のキャパシティを広げること。色んなところに行ってみたり、時には恋したり、ライブや舞台、映画でもテレビでも観たり聴いたりして、自分勝手でいいので理解したり感動することですね。自分が感動しなかったら人を感動させられないですから。私も色んな経験をしたり、感じたりして、そこで得た想いや感情を自分のものにしながら、これからも作品を作っていきたいと思っています。