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「常に新しいアーティストを仕掛けていきたい」アーティマージュ設立20周年記念 浅川真次氏インタビュー

インタビュー フォーカス

浅川真次氏
浅川真次氏

m-flo、DOUBLE、SOUL ‘d OUT、leccaなど多数のアーティストを擁し、日本のクラブミュージックシーンを、その黎明期から牽引してきたアーティマージュが、今年9月に創立20周年を迎えた。前回、「Musicman’s RELAY」において代表の浅川真次氏(第37回)にお話を伺ってから10年。今回はアーティマージュ20周年を記念して、浅川氏にこの20年を振り返って頂きつつ、クラブミュージックシーンの現状や、変革の時期を迎えている日本の音楽業界、そしてアーティマージュの今後の展望についてお話を伺った。

[2012年7月10日 / 渋谷区東 株式会社アーティマージュにて]

PROFILE
浅川 真次(あさかわ・まさじ)
株式会社アーティマージュ 代表取締役社長


1966年 千葉県生まれ 1985年 早稲田実業高等部卒
1985年より新宿2丁目「ブギーボーイ」にてDJ活動をスタートすると共にプールバー、レストランなどの店舗プロデュース、運営などに関わる。DJとして芝浦「GOLD」、西麻布「P.Picasso」などのPlayを経て1992年(株)アーティマージュを設立。MORE DEEP、Groovy Boyfriends、Favorite Blue、moveなどのマネージメント&音楽制作を始める。1995年ハウスユニットGTSを結成、ChakaKhanの名曲「Through The Fire」をハウスカバーしクラブシーンで大ヒットを記録した。その後AVEXよりデビュー、日本のハウスミュージック創成期に深く関わり、現在までに19枚のアルバムを発表、最新作は2011年3月9日リリースの「GTS ザ・ベスト1996-2011」。現在アーティマージュはm-flo、LISA、DOUBLE、SOUL’d OUT、lecca、DJ MAYUMI、LIL、CREAMなどのマネージメントを中心に数多くのダンスミュージックの制作、プロデュースを手掛けている。また2002年の新木場ageHa@STUDIO COASTのオープンに伴い、取締役プロデューサーとして参画、音楽業界多方面に関わるプロデューサーである。更には音楽制作者連盟副理事長及び日本ダンスミュージック連盟理事長としても活躍。

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1.

——92年にアーティマージュを設立されて今年で20周年ですが、この20年を振り返っていかがですか?

浅川:アーティマージュは、レコードメーカーと契約した92年に会社組織になりましたが、個人的にはその5年前からがむしゃらにDJをやり、パフォーマーたちと知り合う中でクラブツアーを組んだり、クラブイベントをやっていたので、どちらかと言うと25年くらい経っているような感じがするんですよね(笑)。四半世紀ですから、結構長いな…みたいな(笑)。

——浅川さんの人生の半分以上ですね(笑)。

浅川:(笑)。10年前にインタビューを受けたときは、ダンスミュージックが日本ではまだそんなに知名度がなかった頃に会社を立ち上げて、みたいなニュアンスでお話したと思うんですよ。

——確かスタジオコーストができた直後くらいですよね?

浅川:そうですね。その頃はクラブという文化や、ダンスミュージックといった新しい音楽シーンを、近しい人達と一緒に作ってきたという自負みたいなものがありましたが、そこから10年経ち、みんなで作り上げたものが一時代越えて、もう新しいステップに入っていると感じています。僕たちは割と時代の先端を走ってきたと思いますので、逆に「ついていかなきゃ」という感覚や取り残されているという感覚があまりなかったんです。

でも、20年経って、ハッと気づいたときに、今の自分の考え方とか立場、あるいはプロデューサーとしての発言の中に、実は時代に追いついていない部分や自分のポリシーが凝り固まった部分があって、そこをしっかり自覚しなくてはいけないなと思っているんです。未だにクラブに行ったり、たまにDJもやっているわけで、そうすると常に先端にいるという錯覚が自分の中にあるように感じるんですね。

——誰よりも最先端を切り開いてきたという自負があれば、人一倍それは強いのかもしれないですね。

浅川:未だにDJをやっていますから「常に新しい場にいる」と自分では思っているのかもしれないですが、かたや「DJの現場」というもの自体、クラブという場所自体がもう古いのかもしれない…とすら思うんですよ。

もちろんクラブイベントを仕掛けている側の人間ですから、そうとは言い切りませんが、別な空間はいっぱいあるわけじゃないですか。例えば、☆Taku (m-flo)たちは「block.fm」というインターネットラジオの中の疑似空間みたいなところから、どんどんダンスミュージックを紹介していっている。そういう部分では僕は追いついていないのかもしれないのかなと、ふと考えるんですよ。

——IT世代の人たちが当たり前だと思っていることが、僕らの世代は実体験としてはわかってないかもしれないですね。

浅川:僕もITの世界を過程としては触れていたわけで、知っていると思い込んでいるんですが、途中から通った人と、そこから始まった人は全然違うじゃないですか? それはいつの世代もそうなんですが、クリエイティブワークをしている人間からすると、そこは非常に重要なポイントかなと思いますね。

また、この20年間、本当に色々なことがあって、アーティストマネージメントや音楽制作は、アーティストと生で接している仕事ですから、普通の仕事では味わえない大きな感動を味わえる分、悩みも深いじゃないですが、その繰り返しの20年だったので、正直疲れたという部分もあります(笑)。

——前回、「アーティストの悩みから何から全部抱え込まなきゃいけない。では、俺の悩みは誰が聞いてくれるんだ、と思うことがよくある」とおっしゃっていましたよね(笑)。

浅川:そんなことを言っていましたか(笑)。その頃からやや辛かったんでしょうね(笑)。アーティストはやはり特殊な能力を持っていますし、そのアーティストの悩みがダイレクトにくるわけじゃないですか? それを受け止めなきゃいけないというのと、受け止めるだけじゃなくて、それにちゃんと応えなくてはいけないわけですから、普通の神経ではなかなかできないと思います。僕自身は性格的にそういうことが気になると言いますか、放っておけないので、それを真正面から受け続けて20年やってきました。

——浅川さんはずっとアーティストと深い付き合いをされているようですね。

浅川:例えば、大手のプロダクションは、仕組みが色々あるんでしょうね。社長がトップにいて、アーティストとの間には悩みを聞く人間とか、色々な人がいて、最終的に社長、みたいな。アーティマージュも所帯は少し大きくなりましたが、それでもアーティスト対僕みたいな感じでずっとやってきていますからね。もちろん、その間でマネージャー陣や現場の人間ががんばってくれているんですが、どうしてもそれを飛び越えて僕のところに来ちゃうときもありますし、本当に行き場がなくなったときに来るみたいなすごく重い話もあります。

10年前もそうですし、会社を設立したときもそうですが、数は違っても、ある程度アーティストと素でぶつかっていくことは変わってないと思います。若いときはすごくがむしゃらに、例えば、夜中に悩みを打ち明けられて「じゃあこれから会おうか」となったり、朝まで飲みながら話したりしていたわけですが、この年になってくると、体力的な部分も含めて、それもきつくなってきています。

——夜中に悩み相談で電話をかけてくる人もいたんですか?

浅川:やっぱりいますよね。最近はメールになったのでまだいいですけどね。

——メーカーの360度ビジネスでマネージメントを始めるという動きは結構ありますが、今のような生々しい話を聞くと相当大変かもしれないですね。

浅川:メーカーは360度ビジネスをずいぶん前からやっていますが、なかなか成功しているところは少ないじゃないですか?

——会社の一組織でできるようなものじゃない、ということですか?

浅川:やはり人ですよね。会社の中にマネージメントがちゃんとできて、「この人についていこう」と思えるような人がいないとなかなかやれないですよね。

——そもそも、それがないとアーティストも集まらないでしょうしね。

浅川:そうでしょうね。それに育てていくことも非常に難しいです。例えば、エイベックスは元々マネージメントをやっていた千葉さん(Musicman’s RELAY 第35回)がいるでしょう? クリエイティブマックスを作り上げて、エイベックスと会社が一緒になり、エイベックスマネジメントになった。つまり、もともとマネージメントをやっていた人や、あるいは松浦さん(Musicman’s RELAY 第83回)みたいに求心力のある人がいる会社ってなかなかないじゃないですか? そういう人や仕組みがないとマネージメントは難しいんじゃないかなと思います。

 

2.

浅川真次氏

——浅川さんの負荷はやはり未だに大きいんですか?

浅川:「誰が俺の悩みを聞いてくれるんだ!」という部分に関しては、家庭だったり、子供ができたりして、別なところで息抜きできるようにはなりましたけどね(笑)。

——そういう意味では、浅川さんにお子さんが生まれたことは大きいんじゃないですか?

浅川:自分にとってはすごく大きいですよね。タバコを止めるなんて今まで何をやっても無理だったのに、子供の誕生ということだけでピタッと止められました。大人の精神力も変わるんだなと思いましたね(笑)。

——それはすごいですね(笑)。

浅川:子供ってそれくらいの影響力がありますよね。子供たちの未来について考えたり…それは今までにはなかったことだと思います。幼児番組を観ていても、子供たちってダンスものとか、リズミカルなものに興味を持ちますよね。ですから、ダンスやダンスミュージックって子供の頃からのアイテムなわけで、すごく大事だなと思いますし、こういう子供たちに将来感動を与えられるような仕事ができるのは誇りですし、そういった音楽を生み出すアーティストはすごいなと思います。そういったアーティストたちと向き合っていくのがマネージメントにとって重要で、やはりそれが僕の仕事なんだと再認識しました。

——ダンスやダンスミュージックの重要性を、お子さんを通じて再確認したと。

浅川:ええ。そういったことを感じることはありますよね。

——今や学校の授業にまでダンスが取り入れられ、多くの子供たちが当たり前のようにダンスを踊る時代になっていますよね。そういう文化を根付かせるのにアーティマージュも一役買ったわけじゃないですか。

浅川:ダンスミュージックという、20年前にはある意味ポピュラリティがなかった音楽に関わり、僕が関わったことによってかは分かりませんが、この20年間でダンスというものが子供たちの間で広まり、ラップやDJという存在も当たり前になりました。

前のインタビューでも「よくあの時代にダンスミュージックを日本でやれたなと思う」と話しましたが、ダンスは世界の共通言語ですし、踊りって身近なものですから、音楽として成り立つのは当たり前だと思います。そして、今のように新しい形で日本の文化として根付いていくというのは自然な流れなんじゃないかなと思いますし、そこに関われて本当によかったと思います。もし関われていなかったら残念と言いますか、嫉妬したと思うんですよね(笑)。最初のMORE DEEPをやったときは、思った程売れませんでしたから、もしそこで諦めて違うものをやっていたら、すごく後悔したと思います。

——この20年音楽に関わって、成果は上げられたということですよね。

浅川:ダンスミュージックがこれだけ市民権を得たことに関しては満足感があります。ただ、商業的な面に関しては、もう少し上手くやっておけばよかったな…と思うときもあります(笑)。ダンスミュージックってわりと難しい面もあって、例えば、ライブも自分たちの表現だけでは伝えきれない部分もあると言いますか、打ち込み音楽ですから、ロックバンドと違って、演出的なものとか人の手を借りないと実現できない部分も結構あります。それプラス、アーティストとしてはスタンディングでやりたいという思いが強くて、そのためにスタンディングのライブハウスツアーとなると、大規模なツアーにできなかったりもします。また、ダンスミュージックはファンがあまりアーティストファン化しないと言いますか、クールなほうがかっこ良い、という事で熱狂がやや薄い傾向にあります。

——ファンもクールな印象がありますよね。

浅川:それもEXILEの登場によってだいぶ変わりましたが、我々はそれ以前からやっていたので、グッズが売れないとか、ファンクラブを作っても思ったより入会者が伸びなかったり、とても苦労しました。そういう部分では、金銭的に難しい部分もあります。

——確かにダンスミュージックとファンクラブって両立しづらいかもしれないですね。

浅川:ヴィジュアル系やアイドルはファンクラブに入ってナンボだったり、ファンクラブ中でのポジションなど、ファン心理を上手く突いていますよね。結局、この辺のジャンルやロックもそうですが、いい席のチケットを取りたいという思いが一番にありますよね。ツアーの先行発売のときだけ入会して、すぐに退会して、またツアーの時期が来たら入会して…を繰り返す人もいますからね(笑)。

——ファンクラブというのはいかに辞めさせないかが鍵だと聞いたことがあります。

浅川:私たちも手作りのファンクラブを作って、その作業があまりにも膨大で、大変な思いをして以来モバイルでファンクラブを運営していますが、できるだけ長く会員でいてもらうために、仕組みを考え直さないと、とは思っています。

——会員年数で優遇が変わってくるとか、そんなところもあるみたいですね。

浅川:でも、公平性みたいなものを維持するのも大切ですしね。また、長年売れているビッグアーティストはそれができると思うんですが、東京公演はずっとZeppみたいなアーティストだとなかなか難しい部分もあります。席といっても入場番号でしかないですから。

 

3.

浅川真次氏

——先ほどファンクラブのお話が出ましたが、その他でアーティマージュが課題としていることは何ですか?

浅川:課題は色々あります。これはウチだけに限らないのかもしれませんが、レコード会社も含め、今、色々なことが変革の時期であり、音楽自体の存在意義というか「音楽はタダなのか否か」みたいなことも含めて、喧々諤々やっていますよね。とにかく、CDというものは売れなくて、配信も落ち着いてきてしまって、かたやそこには違法なものも含めて、ちょっと工夫をすればタダで音楽を手に入れる、聴くことができる状況の中で、音楽のどこにお金を使うか、またはお金になるかということは考えていかなくてはいけないと思っています。

——昨日読んだ記事ですが、ただCDが売れないだけでみんな音楽は聴いていると。なぜ売れないのかと言えば、値段の問題もありますが、誰もが何千曲とアーカイブ化できて、昔のように探す手間も省けてしまう結果として、今から出る新曲というのは全て過去の名曲とライバル関係になる。そういう構造変化が一つの要因としてあるのでは? ということだったんですよ。

浅川:それは確かに言えますね。また、新曲が出てくるときのモチベーションが低くなっていますし、新曲が出るときの演出がなくなっていますよね。昔は「さあ初出しします!」とFMで新曲がかかり、その初出し日がHPで告知されたり、つまり新曲が最初にどこで聴けるかみたいなことは大きなイベントだったじゃないですか。そういうエンターテイメントのワクワク感が今はないというか、アーカイブ化によって音楽があまりにもプライベートなものになり過ぎてしまって、新しいものに対する希少価値とか希少性が薄れた。ですから、CDが出た瞬間にわざわざ買わなくてもいいし、インナーとか写真とか見たいけど、「あとでいいか」と思っているうちに「ま、いいか」という気分になってしまう(笑)。

——新曲が「今までのアーカイブに新しく入れる一曲」くらいの感じになってしまっているんですよね。

浅川:新曲に対するワクワク感をどうやってまた演出できるかということですよね。アーティストは常に「次の曲はどうしよう?」「どうやってファンを驚かしてやろう?」と考えているわけで、それを売り出す人たち、つまりレコード会社やプロダクションが演出を考えないといけないと思いますし、デジタルになったなりにそれはできると思うんですよ。いつの時代の人間でも、ワクワク感というものは持っているので、そこに対してどうアピールできるか、それこそがエンターテイメントだと思うんですよね。便利になるだけでもダメで、そのタイミングごとに新しい戦略をどう仕掛けていくかを常に考えなくてはいけないと思います。

——例えば、ソーシャルな環境を通じて、リスナー間が繋がる中で、共感・共有を得るという新しい形もありますよね。

浅川:そうですね。Musicman-NETの連載(特別連載企画『未来は音楽が連れてくる』)に「spotifyは違法じゃないものも含めて、タダで音楽を手に入れている層を狙っている」と書かれていましたが、僕らの時代にもそれに近い考え方があって、それが「貸レコード」だったんですよ。クラスの奴がレコードを一枚買って、そいつからみんな借りるわけじゃないですか。それで自分に回ってくるまでは10日以上かかって、ジリジリしながら待っていたわけですよ(笑)。

それが、貸レコードができた瞬間に250円か300円出せばその日のうちに借りられる。それまで友だちに借りるのを待っていたのが、有料だけどすぐに借りられるという便利なものができた。少なくとも、僕はそういう感覚でした。僕は貸す側でもあったんですが、貸して1ヶ月返ってこないのも嫌でしたが、貸レコード屋ができたことで貸す必要もなくなりました。

——値段と利便性ですよね。

浅川:そうですね。話を今に戻すと、違法ダウンロードってなんとなく後ろめたい部分もありますし、落とすにも他のサイトに誘導されてしまったり、手間と危険がつきまとう可能性もありますが、spotifyのようなサブスクリプションはそういうことが一切なく、入り口は無料で、お金を払うにしてもそこまで高くない。それって僕らの時代の貸レコード屋に近いなと思いますね。

僕が副理事を務める音楽制作者連盟(音制連)は、貸レコードへの問題提起から始まった団体ですが、その後、色々な権利を決めることで共存できました。サブスクリプションも色々な問題点がありますが、メーカーもアーティストサイドも条件面をクリアしていけば共存はできると思います。ですから、その部分で言うと、サブスクリプションは新しい仕組みというだけで、そういったことはいつの時代もあったと思うんです。貸レコード以前に関しては分かりませんが、昔も同じようなことがあったと思います。

——常にそういった要望はあったと。

浅川:ただ、そのサブスクリプションの中にも、さっき言ったワクワク感をどう作り出すかが重要で、一つは友だち同士のレコメンデーションですよね。例えば、有名人とかお笑い芸人のプレイリストとか、お笑いファンだったら好きな芸人さんと音楽の共有ができて、ワクワク感が増しますよね。

——その人が持っているものや着ているものを真似したいみたいな感じですよね。

浅川:そうですね。あと、カセットに自分の好きな曲を入れて、人にあげたりしていたことが、サブスクリプションとSNSのシステムでできるわけじゃないですか。そういうことも一つのワクワク感ですし、音楽を通じてコミュニケーションをとるのは昔から変わっていないですからね。

——では。そういった新しい動きにも積極的に関わりたい?

浅川:やはり、個人と音制連という団体の理事という立場では少し意見が変わってくると思いますが、僕個人としては推進したいですね。ただ、権利がフェアな形として守られるかどうかというのが一つあります。恐らくこれって、一次利用なのか二次利用なのかというと、その間みたいな感覚なんですよ。その間というところで、ごまかされてしまうのも問題がありますし、僕は一次利用でいいと思うんですね。つまりCDが出る、あるいは有料配信のリリースと同時にサブスクリプションに載るのがいいと思っているんですね。

でも、メーカーによっては2ヶ月後とか、もっと言ってしまえば1年後とかになってしまうんだったら、やらないほうがましなんじゃないかと思います。ですから、貸レコードのときと一緒で、料率や条件などはそれぞれのアーティストごとでいいんですが、各メーカーで歩調を合わせて、しっかり対応していくべきだと思います。

——ちなみに音制連の中では、こういったサブスクリプションに対してどんな意見があるんでしょうか?

浅川:新しいものに対してはきちっと対応すべきだという方がわりと多いですね。ただ、貸レコードでも放送二次でもそうですが、新しいものってうやむやにされてしまうと言うと言葉は悪いですが、なかなか判断が難しいということで、保留になっている項目が一杯あるんですよ。それがちゃんとした形で解消されていかないと、ネット上の音楽の利用がどういった扱いになるのか見えてこないと思います。

 

4.

浅川真次氏

——アーティマージュ20周年ということで、今年は何か予定されていることがあるんですか?

浅川:何かやろうかなと思っていたんですが、会社的に今年何かが集中しているということもないので、今は特に考えていません。

——20周年というよりも「リセット感」みたいな気持ちの方が浅川さん的には強いのでしょうか?

浅川:それはちょっとありますね。先ほどから生まれ変わってもどうだのこうだの、弱音を吐いているわけではなくて(笑)、ここから先もこの仕事をやっていくでしょうし、やっていきたいという強い気持ちがあります。そうするとこの20年目で、1回自分を見つめ直すことで、今後に向かっていきたいと思っているんです。

——前向きな心持ちなんですね。

浅川:そうですね。来年から1年目みたいな、そういう感覚はあります。前のインタビューでも言ったのかもしれませんが、私はもともとロックが好きで、ロックの人間なんですよ(笑)。いまだにRUSHの新譜が出たらすぐ買いますし、UKやヨーロッパの音楽ってダンスとロックの融合がすごいじゃないですか。ですから、わりとフレンドリー・ファイアーズみたいなバンドが好きだったり、ロックに関してはずっと興味があって、よくライブを観にも行っています。ですから、今後、ロックとダンスが融合したものは、すごくやりたいんですよね。

——もうすでにアテがあったりするんですか?

浅川:今のところないですが、探しています。日本で言うと、分かりやすいところでサカナクションとかandropっていいなと思います。彼らにはロックと様式美と歌詞の世界観がある。サカナクションは本当バランスの取れている理想のバンドですよね。私はどちらかというとサカナクションよりもう少し打ち込みを取り入れているバンドを探していますし、作りたいですね。

あと最近注目しているのが、名前が長いんですが「Fear, and Loathing in Las Vegas」というバンドで、音楽的にはハードコアなのにフロントがキーボードで、オートチューンのかかったヴォーカルと、それにデスラップ(笑)みたいなヴォーカルがいる、神戸の二十歳そこそこの若いバンドなんですよ。そのバンドはすごいカッコイイですね。ライブを観て一発でノックアウトされました。あれこそ色々な意味での融合と言いますか。デスメタルとハードコアロックとディスコとエレクトロと。

——それで二十歳そこそこですか。

浅川:ええ。それですごくテクニカルなんですよ。ドラムとかすごく上手くて。そういう面白いバンドが出てきていますね。

——浅川さんもそういう新しい世代のバンドを作りたいと思っている。

浅川:作りたいですね。それはやりたいです。でも、それって予定調和で作れるものではないですし、やはり素材が大切ですよね。いつもサカナクションをやっている野村氏に「よく見つけましたね、あのバンド」って言うんですけどね(笑)。山口一郎くんは地元の札幌でDJとかもやっていたりしていて、GTSのことも知っていたんですよね。「札幌にいたときからGTSは知っていましたよ」と(笑)。知っていてくれたのはものすごく嬉しいですよね。

——今、GTSのお話が出ましたが、浅川さんご自身のアーティスト活動は今後どうしていきたいとお考えですか?

浅川:GTSは今年アルバムを出そうと思っています。とはいえGTS自体、始めて15〜16年になり、ハウスを日本風にという発想はもう1つの時代が過ぎたかなと感じていて、何か新しい形に進んでいかなくてはと思っていますので、新作はよりポップ性も意識したものになると思います。

——発売はいつ頃になりそうですか?

浅川:1〜2月頃には出せるかなと思います。

——GTSの新作とともにアーティマージュの今後を楽しみにしております。

浅川:ありがとうございます。この先も、新しい音楽や新しいジャンルは色々な音楽の融合から生まれてくると思いますし、アーティマージュはそういった動きに臨機応変に対応できる感性を持っていると信じています。ですから、その感性を鈍らせることなく、時代の潮流を見ながら、常に新しいアーティストを仕掛けていきたいと思っています。