映像を通じてインディーズアーティストたちと「ゼロから一緒にやる」〜映像ディレクター/『kampsite』ディレクター 川村ケンスケ氏 インタビュー
映像ディレクター/『kampsite』ディレクター
川村ケンスケ
ライブ映像配信サービス「USTREAM」を活用したインディーズ音楽支援サイト『kampsite(キャンプサイト)』が、Ustream Asiaや各種メディア、全国各地のイベント企画会社などを中心とした賛同企業とともに運営を拡大し、サイトを大幅にリニューアルした。今後は、CDやDVD、楽曲のダウンロード販売、グッズやチケットの販売など、ライブの中継を中心にインディーズのアーティスト活動の支援を展開していくという。
そこで、今回はUstream Asia 筑田大介氏にも同席していただき、『kampsite』のディレクターであり、フィッシュマンズを始め、数々のミュージックビデオを手掛けられてきた川村ケンスケ氏に同サイト開設の経緯や、今後の展望までお話を伺った。
(取材・文・写真:Kenji Naganawa、Jiro Honda)
PROFILE
川村ケンスケ(かわむら・けんすけ)
映像ディレクター/『kampsite』ディレクター
1965年生。CM、PV、ライブ映像など数多くの映像作品を手掛ける。ミュージック・ビデオの主な作品にはフィッシュマンズ、東京スカパラダイスオーケストラ、嵐、SOPHIA、中島美嘉、倖田來未、安室奈美恵など多数。現在はインディーズ音楽支援サイト『kampsite』のディレクションも手掛ける。
kampsite
2010年7月OPEN。インディーズミュージックテレビジョン。インディペンデントな音楽ライブを、ハイクオリティな映像で見られるサイト。先日、11月15日にリニューアルし、インディーズ・アーティストに投票してランキングを作り上げる「TENT(テント)」、全国のライブ情報がやってくる「Kinfo(キャンパーズインフォメーション)」、CD/DVD等が買える「kampSTORE(キャンプストア)」等、インディーズ音楽を盛り上げる仕組みを更に強化した。
1.
——『kampsite』は2010年7月に開設されていますが、立ち上げるきっかけは何だったんですか?
川村:僕は92年くらいから音楽ビデオやCMのディレクターをやっているんですが、そこから97年くらいまでは音楽ビデオってある種バブルで、予算も伸び、メディアとしての力も強くて、音楽ビデオがないとCDが売れないような時代でした。その時代の流れに僕らも乗っかっていたわけですが、その状況が一段落して2006、7年くらいに「このまま上手くいく気がしない」という直感めいたものがあったんですね。
——悪い予感がした?
川村:そうですね。例のリーマンショックが起こる前にすでにその予兆があって、崩壊のピークがリーマンショックだったわけですが、そのあたりで会社としても僕個人としても「このままでは駄目なんじゃないか?」という思いはあったんです。それでも、ジェットコースターで例えれば、まだピークのところにいる感じもあって、しばらく走ってから落ちるのか、それともすぐに落ちるのかが分からなかったんですね。それで2009年あたりに日本の経済状況が悪くなったと同時にCMやPVの量や予算、自分の報酬が下がるわけですよ。
——ジェットコースターが落ちだしたんですね。
川村:ええ。ちょうどその頃、中国へ仕事に行くことがあったんですが、日本とは逆に中国はすごく勢いがあったんですよ。言ってみれば、日本が70年代の高度成長期に外タレを呼んでCMを作ったり、外国人のディレクターにやらせたみたいなことと全く同じ状況で、僕らは中国に呼ばれてCMを作るわけです。そういう状況を見ていると「日本が再浮上することはもうなくて、このまま低空飛行をするんじゃないか?」と思いましたし、そんな中で音楽ビデオがまたいい位置に行けるとは、どうしても思えなかったんです。
それで、中国ではあまりにも仕事の進みが遅くてすごく暇だったので(笑)、「日本のテレビをネットで観られるはずだ」とサイトを探す過程で、USTREAMを見つけて、「これって自分で放送ができるのかな?」とおぼろげに思いながら帰国したら、ちょうどDOMMUNEが始まっていたんですよ。
——2010年の2、3月くらいですね。
川村:それで帰国後「USTREAMというのがあるから早速実験してみよう」と、会社の一角に編集機材が並んでいるんですが、そこのPCで映像を受けられるようにして、カメラを持たせて、中目黒の駅まで行ったんですよ。途中エレベーターの中でも映像は切れなくて、そのまま駅前まで辿り着いたんですね。別に中目黒の駅前なんて珍しい風景じゃないんですが、中継として観られることにすごく驚きがあったんですよ。「自分たちで中継できるんだ」と。しかも地方局ではなくて全世界レベルで映像を配信できるんだから「これはすごいな」と感じました。
そこで、音楽ビデオはメディアとして力がますます低下するだろうし、そこに注力するんだったら、自分たちでチャンネルを持って、作った映像をそこで流せばいいじゃないかと思ったんです。ある種パンクな気持ちというか、インディースバンドを映像的に始めるような気持ちでチャンネルを作って、自分たちで撮ったライブの映像を流しちゃおうと『kampsite』を始めました。映像はプロなので、あまり素人がやっている体じゃなくて、それに見合ったサイトをデザインして、開始時点からECサイトもつけていました。
——機能をつけ加えていったというのではなくて、サイトスタート当初からほぼ現在の形だったんですね。
川村:僕が企画書を書いた時点で、色々な情報が入ってきて、それを出すポイントがあったり、物を買えるところがあったりということはアイデアとしてありました。では、そこで何を流すかとなったときに、もちろん自分たちで作った映像もあるんですが、例えば、メジャーレーベルからお金をもらってスタジオライブを中継したり、そういうコンテンツも含めて全部『kampsite』で流していこうと。それでお金をもらったり、もらわなくても勝手に中継しに行ったり(笑)、そういったことを人づてにやっているうちに、だんだん輪が広がっていきました。
——先ほどDOMMUNEが出てきましたが、企画書を書かれたときにヒントにされたサイトなどはありましたか?
川村:「DOMMUNEじゃないものにしなくては」と思いましたね。つまりDOMMUNEは宇川(直宏)君の色が出た。彼自身=あのサイトなので、そういう形ではなくて、主役が僕らではないようなサイトにしたいなと。いくらDJを呼んできたり、クリエイター同志が対談をしても、DOMMUNEはやはり宇川君がいないと成り立たない。僕らはメインキャラクターがいない状態ですから、アーティストを主役に据えたいなと考えました。
別にアンチDOMMUNEということではなくて、DOMMUNEを反面教師にして「こういうものも成り立つんじゃないか?」と考えたのが『kampsite』なんです。DOMMUNEは広告を入れたり、他の資本を入れて成り立っているビジネスモデルだと思うんですが、僕らは今までずっと広告を入れたことがないんですよ。ですから基本的には全て自分たちでやるし、中継することでお金をもらう。つまり映像そのものでお金をもらう仕組みなんですね。ECストアを最初からつけたのも、僕らがいわゆる映像の製造元・販売元になって、映像を売って利益を得ていくということを初めから考えていたからで、ある種レーベルっぽいサイトなんですよね。ただ、音楽のレーベルはあったけど、映像のレーベルって今までなかったので、そこは新しいかもしれませんね。
——アーティストが主役の映像レーベルが『kampsite』であると。
川村:音楽ビデオって音楽がないと成り立たないので、あくまでも音楽が中核にあって、MVやPVはその外縁にあるという認識が僕にはずっとあるんですよ。つまり、アーティストが真ん中にいて、それをどう伝えるかという気持ちがどうしても抜けないんですね。そういう意味では、何かを参考にしたというよりも、僕の仕事への考え方や、もともとの資質が『kampsite』を作らせたのかもしれません。
※kampsiteトップページ
——この『kampsite』という名前の由来は何ですか?
川村:WEBサイトのことなので、「『サイト』という言葉をつけよう」というアイデアが最初にあって、その上につける言葉を考えるときに「それぞれアーティストがテントを立てて音楽をやっていて、最後、大団円でキャンプファイア」みたいなイメージがパッと思い浮かんだんですよね。
——でも「camp」ではなくて「kamp」となっていますよね。
川村:そうですね。頭を「k」にしているんですが、フランス語から派生した言葉で「camp」という言葉があるんですよ。スーザン・ソンタグから僕は知ったんですが、ものすごく簡単に言うと、「悪趣味だからこそ魅力的」とかそういう意味なんですが、そこに引っかけています。いわゆるドラァグクイーンの世界観みたいな、日陰にいてあまり認められないような文化を愛でる感覚というか、メジャー感のあるものではなくて、そこには流れないものをやりたいんだという思いがあるんですよ。それは初めの企画書にすでに書いてあって、「悪趣味や俗悪なものがいい」みたいなスーザン・ソンタグ的な感じと言いますか、少し違うかもしれませんが…そういうことをやりたいなと。でも、周りは「この意味なんだっけ?」みたいになってきているという…「キャンプって楽しくてよくない?」みたいに「楽しいほうのキャンプ」へと、換骨奪胎されていくというね(笑)。
2.
——川村さんはPV監督として数々の作品を作られてきたわけですが、作品として完結しているPVと、USTREAMのような「撮って出し」状態と、川村さんの中での齟齬はなかったんですか?
川村:全くないですね。僕は昔から完成させない方が好きだったというところがあるんですよ。PVは完成させないと納品できないじゃないですか?でも、バージョン10までやっていいんだったら、僕はやりたい方なんです。編集って要は解釈だと思うので、解釈を一つに決めるのがすごく嫌といえば嫌で…それはクリエイターとしてはあるまじき姿なんですけどね(笑)。
どうしても映像って最終的に「具体的な印象」を持たせる表現手法なんですよ。言い換えると解釈しやすいように作らざるを得ない。そういうことからどうやって外れていけるか?というテーマで僕はPVをやってきているので、「何もしなくていいなら一番いいじゃん!」と思いますし、そういう意味でUSTREAMは一番しっくりくるんですよ。
余談になりますが、フィッシュマンズのビデオで一番初めにやったのが「ナイトクルージング」(※)という曲で、あのときは2日かけてべーカムの30分テープ15本くらい撮ったんですよ。それで、その素材を全部入れて一回作ったんですけど、生前の佐藤伸治君が「これってさ、トランポリンで飛んでいるだけでいいんじゃない?」と言って、あのクリップになったんですよ。
(※ミラーボールの乱反射の中、ほぼメンバーたちがトランポリンで飛び跳ねる姿のみで構成されたMV。曲とともに、その後のフィッシュマンズのイメージを決定づけた記念碑的作品。)
——「ナイトクルージング」のクリップには他に素材があったんですか。
川村:そうなんです。完成したものはトランポリンの素材だけ抜き出して作り直したものなんです。自分としては音楽ビデオの作り方として「それはないものだ」と思っていたことで、もちろん佐藤君本人が言うなら…というのもあるんですが、確かにこの曲はそういう感覚だよな、と思い直しました。そもそもフィッシュマンズの音楽って、ある16小節を投げ出しているような音楽だと思うんですよ。で、聴いている方がそれを色々考える。「映像もそうあるべきなんじゃないか?」と思うようになって、その後はワンカットで作った作品も多々ありましたし、あまり「意味を持たせないような」つくりの編集なんかも色々な音楽ビデオでやりました。
そういう意味で言うとUSTREAMでやるというのは、投げ出し感とか、やりっぱなし感とか、それが良いか悪いかは分からないけど、この「みんな考えなさい」という感覚の映像って今まであり得なかったと思うんですよね。実験映画ですらあり得なかった。でも、それこそがUSTREAMの最大のメリットなんじゃないかなと思いますね。
——川村さんにとってUSTREAMとの出会いは「面白いもの見つけた」みたいな感じなんでしょうかね。
川村:そうですね。USTREAMって音楽をやっている感じに近いんですよね。弾き語りとか、バーッと流して「みんな聴いて!」「じゃあ、終わり」みたいなね。僕は、音楽ビデオっていうのは「フランケンシュタイン」みたいなものだと思っていて、「撮影素材という」もう機能しない人間の体の部分みたいなものを無理矢理組み合わせて、人造人間みたいに動かしているのが音楽ビデオだと思っているんですよ。だって、生身のものって切り刻めないじゃないですか?でも、そういうようなことを映像でやるとしたら、音楽ビデオだと4分でコントロールしなくてはいけないんだけど、USTREAMだとコントロールをしてもしなくてもいいというか、自由があるなと感じますね。
——音楽の本質にPVは合わない?
川村:音楽によっては。そういう構造を要求する音楽もありますよね。1番、2番、大サビ、みたいな構造が、映像の構造を決めちゃう場合もありますから。でも、フィッシュマンズの音楽はそういうのがないんですよ。延々やっているからね。そこで「延々続く映像もいいじゃん」と初めて思ったというか。それは自分にとって影響が大きくて、思うにそこから今のUSTREAMまで繋がっているんじゃないかな。
——『kampsite』はフィッシュマンズでの経験の延長線上なんですね。
川村:そうですね。「今風にやるとこうなる」ということでしょうね。「今風でやるならば、音楽ビデオ、という形って、もう「ない」んじゃないの?」というね。音楽ビデオのように固定しちゃうこと自体意味がないんじゃないかという気分ではあります。
——映像ディレクターである川村さんがそういったことをおっしゃるのはすごく新鮮です。
川村:もっと遡ると、僕は映像ディレクターになりたかったわけでもないので、そんなに映像の勉強をしてきたわけではないですし、仕事としてやれと言われたといいますか、配属がここだったみたいな感覚に近いんです。もともと「語学・文学」少年でしたので。でも、やっているうちに歳も重ねてくるんで、転職とかできなくなるじゃないですか…?(笑)
——いやいや(笑)。「映像作家としてのエゴ」みたいなものはあまりないんですか?
川村:普通の映像ディレクターが持つようなエゴはないかもしれないですね。だけど、さっき言った「ワンカットでやる」とか「生っぽいことにこだわる」といったエゴはあります。作家的な「絶対こうじゃないと!」みたいなことは全くと言っていいほどないですね。そういう風に振る舞うことを要求されているときはやりますけどね(笑)。「あっ、そういうふうにやったほうがいいんだな」と(笑)。そうじゃない限りは「どっちでもいいんじゃない?」というね。あんまりそういうことを言っていると「いいかげんだな」と思われるんですけど(笑)。
どっちかというと、さっきの「kamp」というコンセプトを決めるときのエゴの方が強いかもしれない。「絶対これしかない!意味はないけど」と。そういう意味では、僕は映像向きの人間ではないのかもしれません。でも、それでも仕事ってできるので、バンタンで教えていたときは「映像なんて、放っておけば撮れるんだよ」「何を考えるかが大事なんだよ」と生徒たちには言っていました。
——今や撮影機材も安いですし、誰でも映像を流すことができますからね。
川村:そうですよ。昔、苦労して作ったいい映像が、今はカメラを構えれば、その画になっちゃうんですからね。憧れたあの画に。「これでいいんじゃないの?」と思いますし、あとは流すところを作ろうよという気持ちなんですよ、今は。
3.
——現在の『kampsite』でアーティストを選ぶ基準はどのようになっているんですか?
川村:「basekamp(ベースキャンプ)」という事務局がありまして、ここにはフジテレビやキョードーグループ、サンデーフォーク、サンライズプロモーション、もちろんUSTREAMもそうですけど、色々な方々に参加して頂いているんですが、その推薦という形にしています。というのは、クオリティが高い低いというよりも、まだ出だしなので、そのアーティストのバックグラウンドとか、素性も含めて(笑)、確実なところから拾ってこないと、上手くいったときにサポートができない可能性が出てくるからなんですね。いずれ、自由にしてもいいんじゃないかとは思ってはいますけど。
——ちなみに初期の『kampsite』はどうだったんですか?
川村:10月末日までの『kampsite』は僕らが知っている人しか流さなかったです。ただ、紹介されれば会いにいって「やりましょう」というケースもありましたし、メールで直接連絡があって、やり取りの中でやることになったこともありましたし、今はメールベースで決断することはないと思いますけど、昔は普通にやっていました。
でも、自分が声を掛けた人も含めて、いいアーティストが集まってきているなと思います。基本的にライブができる人じゃないと駄目なので、みんなしっかりライブができるし、CDよりもライブの方がいいという人も多いですね。
——先ほど名前が上がりましたが、11月から賛同企業が参加することになった経緯は何だったんですか?
川村:Ustream Asiaさんから紹介して頂いた部分が大きいですね。特にフジテレビの方と会ったことが一番大きいかもしれないです。結局フジテレビさんとは5ヶ月間くらい話し合いを続けたんですが、最初に会った日に「やろう」みたいな感触ではあったので。フジテレビの方は何かしらテーマを以前から持っていたと思うんですね。インターネットでなにかやろうとか。そこに僕が持っていった考え方がハマったんだと思います。
ちょうどそのプロデューサーの方が事業部の方で、イベント的な視点でものを考えてくれる人なので「じゃあ、おもしろくなるならテレビの力も使っちゃえ」みたいな、メディア的にはおそらく逆の発想をされたんですよね。テレビでやるというよりは、最終的にテレビを持ち込むかも、みたいな。それがテコになって、Ustream Asiaさんとの話も前進しましたし、そこからHMVやぴあといった新しい会社さんが「『kampsite』を中心にして、インディーズアーティストを盛り上げていくのは面白いかも」とどんどん集まっていただいたのが流れですね。
——多くの企業が関わることで、当初の目的からブレてしまうような危惧はありませんでしたか?
川村:それはなかったですね。インディーズのアーティストをプッシュしていくために、インディーズのアーティストをライブハウスで撮って、それをそのままDVDにして販売し、利益は折半する、という従来のアイデアも残していきますし。インディーズとともに!というのも変わることはないです。
インディーズのアーティストは、日々バイトをしつつ練習し、ライブをやって、CDを作ったりして活動していくわけじゃないですか?でも、それには限界がありますよね。だから事務所に入ったりするわけですが、事務所やメジャーに入るとその管理下に置かれるので、インディーズのときの方が売り上げがよかった、みたいな話ってよくあるんですよ。
だからといって、個々でやるには色々壁があると思うんですけど、その壁を取っ払うために映像周りだけでも僕らが一緒にやれたら、というコンセプトは、今の新しい『kampsite』でもぶれていません。しかも、元の『kampsite』でやっていたら、チケットの売り上げが100枚が120枚にしかならなかったけど、新しい『kampsite』だと、100枚が500枚になるかもしれない。400枚増えただけでもアーティストにとってはすごくメリットがありますからね。
——あくまでアーティストを中心にしているということですね。
川村:その果てには新人を見つけてきて、一から育てていくということもあるかもしれないですけど、それはまだ先の話で、今いるアーティストの音楽や売り上げのキャパを広げていくのが大事ですね。「それをレコード会社じゃない力がやったら面白いんじゃないか?」という考えを賛同企業さんも共通認識として持っています。だから協賛してくださっている企業の中にレコード会社は入ってないんですよね。といっても、レコード会社に対抗して…!みたいな気持ちではありません。むしろ、共存できないかな、と…。
——配信サイト、プロモーター、プレイガイド、TV局、小売…確かにレコード会社はないですね。
川村:フィッシュマンズのDVD「FISHMANS 2011/5/3 日比谷野外音楽堂 LIVE”A PIECE OF FUTURE”」は『kampsite』で制作したんですが、「ライブを撮ってUSTREAMで配信しよう」と持ちかけ、スペースシャワーでの放映と引き替えに撮るときのお金を出してもらって、その後、自分の手で映像を再編集し、ドラムの茂木欣一さんに確認を取りつつ、デザイナーとの交渉から素材の選定など、とにかく最後までほぼ一人でやったんですよ。
それで販売することをツイートしてサイトに来てもらって、完全生産受注にして、受注が来た分をみんなで梱包して、それを中継しました。すごく面白いのが、このDVDの発売を発表したのが2010年の12月15日で、初めは出足が悪かったんですよ。「このままではものすごい赤字でクビだな…どうにかしないと」と思って、MAの現場で作業の状況を頻繁にツイートすると、ツイートする度に売れるんですよ(笑)。
——実況中継ですね(笑)。
川村:「もうこれしかない!」と思って(笑)。一応年内で第一弾の受付は締切ということにして、29日も30日も31日もずっとツイートしました(笑)。「あと10分で締め切りです」とか(笑)。でも最終的には追加発注も受けつけて、ネットの受注だけで2,000件あったんですよ。あと、ライブ会場でも売って、計2,100セットくらい売れました。だからアーティストがいてくれて、僕たちが一番いい映像を撮って、いい形で出せば、やれる可能性があることがわかりました。そうしたら、アーティストとゼロから一緒にやる方がいいんじゃないのか?というのが今回の第二期の『kampsite』のテーマであり、やりたいことなんですね。アーティストが物を出したいというときのアウトプットとして、ローソンHMVがいたり、music.jpがいたりという座組みになってくるのではないでしょうか。インプットは僕たちやキョードーさん、サンデーフォークさん、サンライズプロモーションさん、がいて。
——まさに360度ビジネスですね。
川村:そうですね。360度で利益が出たらシェアというのが一応の目標です。話が飛ぶんですが、今、ポラリスというバンドのプロモーションも『kampsite』がやっていて、彼らとは実際に360度ビジネスの契約をしたんですよ。CD、DVD、ライブチケット、物販、その他の売り上げ全体の何%を僕たちが受け取る。そのかわりに僕たちは、今までみたいに宣伝費をもらってビデオを作るんじゃなくて、最初からお金をもらわずに一緒にやっていく。それはある種の投資として。ポリスターさんもすごい決断をされていて、原盤権も、一部分いただくことになりました。そういう契約書を交わせたんです。それは第1期『kampsite』の成果で、そのノウハウを元に第2期『kampsite』ではもう少し大きい規模でやれるんじゃないかと思っています。
4.
——『kampsite』の試みは、レコード会社の否定ではなく、新たな方法論の提示ですよね。
川村:そうです。レコード会社にはレコード会社のやり方がありますし、規模感もあると思うんですけど、「それがインディーズに合っているのか?」というテーマの提示になればいいですね。「メジャーでデビューするだけが全てではないのではないか?」という。メジャーが悪いというよりは、メジャーじゃないやり方もある。それでもやっていけるはずだと。それはサラリーマン的ミュージシャンになるんだったらやめた方がいいよってことかもしれないですね。
——アーティストの自立が必要だと。
川村:そうなった方がいいと思いますし、自立したアーティストとだったら仕事もやりやすいじゃないですか。昨日聞いた話なんですが、ニコ動から出てきたバンドは音楽的にはすごくしっかりしているんだけど、ニコ動でみんなにすごく支持されて、成功に向かっているという感覚があるから、あまり他人の言うことを聞かない傾向があると。もちろん、人にもよるとは思いますが。そういう人たちがどれくらいベテランの言うこととか、外の人の言うことを聞くかどうかが、成功の鍵だと思うんですよね。クローズドでも良いんだけど、他の人の意見もうまく取り入れるみたいなね。でも、それってアーティストとして自立していないとできないことなんですよ。
やっぱり自立していないと自分の意見は言えないということを、僕は『kampsite』をやって実感したんですよ。つまり、お金をもらって音楽ビデオを作るんじゃなくて、作りたいから作って「これどう?買ってくれる?」と提示する。これは僕たちにとっては大逆転の話で、それができるかどうかが、この先、僕たちが物を作って生きていけるかということの大事なテーマになるんじゃないかなと思います。
——リスクを取って、その分自由に物作りをしていくということですね。
川村:今のインディーズの子たちは、リスクを取って生きているんだと思います。僕にはそういう風に見えるから「だったら一緒にやろう」ということなんですよね。音楽ビデオを作るだけのとき、僕たちは音楽を批評するような立場だったんですよ。「音楽がいまいちイケてないけど、頑張って映像作るかー」みたいなことを平気で言っていたときもありました。でも、どう考えてもそれは無責任なわけで、「ゼロから一緒にやろうよ」という風になれた方が健全かなと思いますね。
——当事者として一緒にやっていく感覚を持つと。
川村:同時にそれは自分たちが試されているとも言えるかもしれないですね。
——最後になりますが、今後のPVについてどのように考えられていますか?
川村:PVというのはその時代に一番フィットした感覚を持った人が作るべきだと思っています。簡単に言うと、若いバンドは若いディレクターが作ればいい。今までは「あのディレクターに任せよう」みたいなことが選択肢の中にあったと思います。「デビューしたので川村さんお願いします」というような。そうすると僕とアーティストは20〜30歳くらい年齢が違ったりするわけで、それだったら同い年くらいでワイワイやった方がその世代にとってはいいだろうし、PVはそのような作り方をするメディアになるだろうし、実際にそうなっています。そう考えると、PVはニコ動的な狭い世界の映像表現になっていくのでしょうね。
PVの在り方として、マスに受けるようなPVはもう作る必要がないし、できないだろうと思います。そうすると「プロモーションビデオ」という意味と少し違ってくる。例えば、パッと流れたときにすごく嫌悪感をもよおすようなものでも、10代が見て面白いと思えばそれでいい。すなわちそれはテレビ向けではなくて、ネット向けになります。
だから、先ほど言った20世紀型の音楽ビデオ、つまり全員が観てグッとくるものというのは今あまりなくて、ある世代へ向けて、ある世代が作っているものが多い。その流れはもう戻らないんじゃないかな?なぜかというと映像を作るのにはお金がかかるからで、お金があればみんなが楽しめる大作映画みたいなPVも撮れるかもしれませんが、その映画でさえ大作主義が成立していない。例えば、「アベンジャーズ」ですらそんなに広い間口は持っていないじゃないですか?あの世界観が好きな人しか観られないというね。
——「マーベル・コミック」のようなアメコミ好きが喜ぶ映画ですよね。
川村:そう。その何百分の1、何千分の1の規模(予算)でやっている音楽ビデオなんて、もっと狭いですよね。だから狭い状況でも成り立つような作り方をしていくこと。すなわちそれはネット向けだったり、「kampsite」みたいなものになるんじゃないかなと思っているんです。自分自身としてはそういう状況になる前に音楽ビデオに携われて良かったなと思っていますよ。今からだったら映像ディレクターになろうとは思わない。
——実際、映像ディレクターを目指す人は減っているんですか?
川村:やりたいという人がもういないんですよ。なぜなら、明らかに儲かる仕事ではないから。でも、やりたい人が本気でやれば、YouTubeにアップして、1日10万回再生とかしてもらって、お金稼いで、それだけで食っている人もいるわけじゃないですか。そう考えると、PVの形自体が変わっちゃうのは必然なんですよ。そこで残ってくるのは、結局ライブ映像で、ライブの撮り方は昔からあまり変わっていなくて、同時進行で撮っていくのでやり方を伝えることができないんですよ。ずっと一緒にやるしかない。そういう意味では可能性があるかなと思います。それは50人しか入らないライブハウスでも、横浜アリーナでも同じだと思うんですよ。だから、横浜アリーナからのライブを毎日USTREAM中継することができたら面白い(笑)。
——(笑)。
Ustream Asia 筑田:フィッシュマンズの日比谷野音ライブのときに私は現場に居たんですが、川村さんがカメラマンたちを集めて「今日のライブは絶対に今日しかないライブなんだという気持ちで…あとはみんな好きに撮っていいから。自分の残したい映像を撮ってください」と言っていたのがすごく印象的で「こういう風に言うんだ」ってすごく感動したんですよ。
川村:いや、あのときだけですよ(笑)。他のライブのときは、「手元を撮って!」とかビシビシ指示します(笑)。話が戻るんですけど、フィッシュマンズのPVを撮った後に、レコード会社から「プロモーション用にライブを撮ってくれ」と依頼があって、リキッドルームへ撮りに行ったら、彼らのライブがすごく面白かったんです。それで「この後のライブも全部撮っちゃおうかな」という気持ちになって、そこから佐藤くんが亡くなるまでの、学園祭と一部イベントを除いて、東京のライブは全部自前で撮ったんですよ。自前というのは、当時DVが出てきた頃で、なぜか僕の周りのカメラマンがみんな「Sony DCR-VX1000」を持っていたんですよ。だから、ライブがあるたびにカメラマンへ電話して「明日フィッシュマンズのライブあるけど、撮ったりしません?お弁当は出るかも…」と(笑)。
——まさに手弁当状態ですね(笑)。
川村:でも、いい音楽だからみんな撮りたいわけですよ。それで撮ったテープが膨大に残って、『記憶の増大』というDVDはその素材だけで作ったんです。そのとき、僕たちはDVDの権利をもらえませんでした。ユニバーサルがそれをさせなかったというか、まだそういう時代ではなかったんですね。でも、そこから10年弱経って、今度はこれ(「FISHMANS 2011/5/3 日比谷野外音楽堂 LIVE”A PIECE OF FUTURE”」)を全部自分たちで企画し、撮影に臨んだわけで、日比谷野音で「もう好きに撮ってくれればいいから」と言ったのは、「とうとうここまで来たんだな…」という感慨なんですよ。
——撮りたいから撮りに行く。そして、今度は自分たちの手で送り出すことができると。
川村:そう。撮りたいものを撮って形にするという基本的なことを、ようやく僕たちもできるようになってきたし、もう世の中がそれを半ば公認しているようなものじゃないですか?だったらやろうよと。『記憶の増大』のときはそれができなかった。それ以前も流通の壁とか色々な問題があって、やっぱりできなかった。でも、今は「『kampsite』だったら、どんどんできるんじゃないか?」という思いがすごく強いです。今後はその可能性に賭けていきたいと思っています。