初音ミクを音楽の歴史に位置づける『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』著者 柴 那典インタビュー
音楽ライターの柴那典氏による著書「初音ミクはなぜ世界を変えたのか?」が発売された。
2007年8月に登場したボーカロイドソフト「初音ミク」。”彼女”の登場は、ニコニコ動画を中心に「ボカロP」と呼ばれる一般ユーザーたちが大量の新曲を発表する原動力となり、単なるツールやソフトウェアの枠組みを超え「音楽の新しいあり方」を示す象徴となった。
本書は「初音ミク」が誕生した2007年を”三度目の「サマー・オブ・ラブ」”と捉え、今までオタク文化、ネット文化の中で語られることが多かった「初音ミク」の存在を初めて音楽の歴史に位置づけ、綿密な取材を通して、21世紀の新しい音楽のあり方を指し示す画期的かつ刺激的な一冊となっている。
今回は出版を記念して、著者の柴那典氏に執筆の経緯から、本書に込めた想いまで話を伺った。
(取材・文・写真 Kenji Naganawa、Jiro Honda)
『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)
PROFILE
柴 那典(しば・とものり)
1976年神奈川県生まれ。ライター、編集者。音楽ジャーナリスト。出版社ロッキング・オンにて『ROCKIN’ON JAPAN』『BUZZ』『rockin’on』の編集に携わり、その後独立。雑誌、ウェブメディアなど各方面にて編集とライティングを担当し、音楽やサブカルチャー分野を中心に幅広くインタビュー・記事執筆を手掛ける。
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- 端緒は「2007年」というキーワード
- 音楽の歴史の中で「初音ミク」を語る
- 思いつきを血肉化した音楽制作現場の声
- 初音ミクの背景にあるシンセサイザー開発史&テクノ・エレクトロニカ史
- ボカロカルチャーが証明したこと〜「やってみる」の先に何かがある
端緒は「2007年」というキーワード
——著書『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』の出版おめでとうございます。どのような経緯で本書を執筆されたのでしょうか?
柴:実は、2〜3年ほど前に専門学校の講師をしていたことがありまして、音楽業界に入りたい学生向けに、例えば、レコード会社や音楽事務所などの仕事の概要を教えていたことがあったんです。ただ、そもそも僕はレーベルや事務所の人間ではなかったので、自身の経験から伝えることは一切できません。その代わりに、こういう新しいテクノロジーが登場して、それが音楽の受け取り方をこう変えた、というようなことを教えていたんですね。
——音楽業界を俯瞰して、その流れを押さえるような?
柴:そうですね。経験がない代わりに分析はできるだろうということで。その中で「2007年が時代の変わり目だったんじゃないか?」と気がついたんですね。TwitterやYouTubeなど、音楽やソーシャルまわりのサービスが出始めたのが、だいたい2000年代の中盤だったんですが、調べてみると、ニコニコ動画、SoundCloud、Ustream、初音ミクが全部2007年に誕生しています。1995年は阪神淡路大震災が起こり、オウム真理教による地下鉄サリン事件があり「日本社会が転換した象徴的な1年だった」とよく言われていて。「2000年代にも絶対転換期があるだろうな」と思っていたんですが、それが2007年だったんじゃないか、という仮説を思いついたのが、本書の始まりです。
もう1つのポイントとして、洋楽について考えていたことがあります。2000年代になって変わったことの一つに「洋楽のロックが若い子たちに聴かれなくなった」という現象があります。カーリー・レイ・ジェプセンやレディー・ガガなどポップスは聴かれていますが、ロックが聴かれていないと。それで「今の10代に洋楽が響かない理由はなんだろう?」と調べたりしている中で、ドリルスピンに投稿したコラム(「いつの間にロック少年は『洋楽』を聴かなくなったのか?」)が佐野元春さんの目に留まって、佐野さんのラジオ番組に出させていただくことになったんです。番組では洋楽について語ったので、ボカロは全く関係なかったんですが、番組の内容とは別に「では、2000年代の若い子は何を聴いているんだろう?」という話をした中で、今の若い子たちは「カウンターカルチャーとしてボカロを聴いていたんじゃないでしょうか?」と言ったんです。
——佐野さんとの対話の中で、「カウンターカルチャー」という言葉が出てきたんですね。
柴:そうです。その「カウンターカルチャー」をキーワードに過去を遡ってみると、67年にサマー・オブ・ラブ、87年にセカンド・サマー・オブ・ラブがあった。そこで「2007年が時代の転換期だった」という先ほどの発見と、67年、87年、2007年と見れば、20年おきに音楽とカルチャーの大きなターニングポイントが出てきている、という説がクロスして、自分で勝手に盛り上がった (笑)。それをブログに書いたら、出版社の人から「それで一冊書きませんか?」とオファーを頂きました。ですから、元々はボカロについて本を書きたい、というスタートではなくて、「2007年」というのが大きなキーワードだったんです。
最初の書名は「初音ミクとサード・サマー・オブ・ラブの時代」でした。ただ「”サード・サマー・オブ・ラブ”と言っても、音楽好き以外には伝わらないですよ」と言われ、二転三転しつつ『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』というタイトルに落ち着きました。とはいえ、音楽好きには”サード・サマー・オブ・ラブ”をアピールしたい気持ちもあるし、表紙に”三度目の「サマー・オブ・ラブ」”という文言は入れさせていただきました。
音楽の歴史の中で「初音ミク」を語る
——柴さんが初音ミクと初めて出会ったとき、どのような感想を持ちましたか?
柴:初音ミクを知ったのは発売直後でした。これは、皆さんと同じように、ネットニュースやテレビからでした。当初は僕も音楽業界の大多数の人と同じように、「萌えキャラ」みたいなイメージで、あくまでもオタクのものだと思っていました。
——その認識が変わったきっかけは何だったんですか?
柴:「FLEET」というロックバンドをやっていた佐藤純一さんというミュージシャンがいて、昔インタビューさせていただいてから親交があったんですが、彼が2010年頃にボカロの曲を作ったんです。彼は、ボカロの世界に新しい熱気があることにすでに気づいていて、例えば、THE VOC@LOiD M@STER(ザ ボーカロイド マスター)や同人音楽界隈にも足を運び、「これからはここの橋渡しをやらないといけないんです!」とすごく熱く語っていました。
佐藤さんのようなロックミュージシャンがボカロで曲を作ったというのが、僕にとっては「これは音楽として語るべきものなんだ」と思ったきっかけだったんです。
——そこで「ボカロ」に対する見方が変わった?
柴:変わりました。佐藤さんはその後、ボカロPの人やネットレーベルの人など、いわゆるネット系の下の世代のクリエイターと「fhána」というユニットを組んで、ランティスさんからリリースしていますが、たぶん、佐藤さんがボカロ曲を作ったのも、「FLEET」よりも新しいところに行こうとしたタイミングだったと思います。2009年から2010年のボカロシーンは音楽的な広がりが出てきた頃で、そのタイミングで僕もボカロを知ることができた。
それでも、ボカロを最初から知っている人と比べるとめちゃくちゃ遅いことは十分わかっていて。2007年から知っていた人に対しての後輩意識みたいなものがすごくあるんですが、ただ、2011年に「Tell Your World」が出て、みんなが「ボカロすごい!」と騒ぎ出したときに、「ね。すごいでしょう?」と言える立場にいたというか(笑)。ボーカロイドに関してはそれくらいの距離感でしたね。基本的にはロックやJ-POPのメディアで仕事をしている人間なので、どうしても、そちら側からの切り口になります。
——ボカロ、初音ミクを音楽史の中で位置づけしようと思ったのも、そのような柴さんの立ち位置ゆえなんでしょうか?
柴:そうですね。僕はボカロに関してオーソリティではないですし、ボカロの動きを最初から見てきた人間ではないので、本を書くにあたっては誰かに話を聞きにいかなきゃいけない、というのが最初にあったんです。では、誰に話を聞こうかと考えたときに、まずはクリプトンの伊藤社長(クリプトン・フューチャー・メディア株式会社 代表取締役 伊藤博之氏)のところに行くしかないだろう、と思いました。
伊藤社長に取材するにあたって、クリプトンという会社を調べたところ、伊藤社長はもともとアマチュアミュージシャンで、自分で作ったサンプリング音源を売り始めたのが、クリプトンのビジネスの最初なんだということを知りました。要は社長も社員もみんな音楽が好きで、音楽クリエイターのためになることがしたくてやっている会社であると。そのときに、初音ミクは音楽の歴史の中で語られるべきだし、今の音楽ライターが一番できていないことはそこなんじゃないか? と思ったんです。
——なるほど。
柴:それで「60年代のヒッピーカルチャーから、脈々とポップミュージックとインターネットが進化し、その果実として初音ミクが生まれた」というアウトラインで企画書を書いて、伊藤社長に送ったら非常にノってくれました。
——「ようやく伝道者が来てくれた!」と。
柴:そう思っていただけたのなら本当に嬉しいですけどね。ただ、初音ミクは発売後にものすごく話題になったんですが、そのときのテレビやメディアの取り上げ方が、伊藤社長の思うものではなかったようなんですね。つまり、自分たちは音楽クリエイターのために作っているけれど、どれも「新しいアニメキャラが出た」みたいな扱われ方で。その時点で伊藤社長が目指していたのは、初音ミクを通じて、たくさんのアマチュア音楽家が生まれ、そこからプロになる人もいるみたいな未来像だったのに、「アニメ化」とか言われちゃった……みたいな。そこの葛藤は2007年当時の伊藤社長にはあったと思います。
——でも、2007年当時の伊藤社長の未来予想図は現実のものとなっていますよね。
柴:そうですね。これは実際に取材してわかったことですが、伊藤社長はものすごく未来を見ている人なんです。2007年の時点で、初音ミクがいわゆるキャラクターとして消費されるんじゃなくて、新しい音楽文化を生むだろうという予測を持っていたんですね。
その背景には同人音楽の存在も大きいと思います。当初、伊藤社長はその存在を全く知らなかったそうですが、Linuxのオープンソースの開発みたいに、音楽やイラストや、様々なクリエイターが結びつけば良いんじゃないのか? と直感的に思ったらしいんです。つまり、オープンソース的な音楽文化というものを2007年の時点で思い描いていた。そこがすごく大きかったんですよね。その思想があったからこそ、単なるキャラクターのブームでボカロが終わらなかった。
この本の中では、3回伊藤社長にインタヴューしているんです。最初はクリプトンが初音ミクを出すまで、2回目は初音ミクの発売直後、そして最後は未来に向けての話を聞いたんですよ。最終章に3回目の取材で行ったインタヴューを乗せているんですが、そこで語られているこの先50年の話はものすごく面白かったです。伊藤社長はまだまだインターネットがもたらした革命って入り口の1歩も踏み出してないっておっしゃって。
——暖簾くぐったくらいだと(笑)。
柴:みんなは世界がものすごく変わったと言うけど、全然変わってないって言うんですね。それは何と比べて変わってないかというと、産業革命や農業革命なんです。産業革命の前後で人の暮らし方や社会がガラっと変わったのに比べると、情報革命ではそんなに変わってない。むしろこれから50年先にかけて、とんでもない変化が起こっていくだろうと予測していると。そのものすごい変化の最初のリファレンスとして、初音ミクの起こした、ポッと燃えた火のような現象があるんだ、とおっしゃっていました。
世の中の人たちは「初音ミクブームですね」「ボカロが売れてますね」という風に見ているんですが、伊藤社長は全然別のところを見てる、というのが話を聞いていて一番面白かったですね。ですから、この本も単に「ボカロがブームでした」「現象を起こしました」という本ではなくて、60年代から脈々と続く様々な革命の先端にボカロはあり、今後のポップミュージックのあり方として、新しい流れが定着するだろうということを書いています。共有されるオープンソース的な音楽のあり方ですね。「一 対 多」ではなく「多 対 多」みたいなものになっていくという。
思いつきを血肉化した音楽制作現場の声
——伊藤社長の他にもエレックレコードの萩原克己さん、U/M/A/A(ユーマ)の弘石雅和さんにも取材されていますね。
柴:ええ。やはり現場の人たちの言葉にはすごく力があります。それをすごく実感したのが昨年急逝されたエレックレコードの荻原さんに取材させていただいたときですね。荻原さんは伊藤社長にからご紹介いただきました。60年代に吉田拓郎のバックで音楽を始めて、70年代のフォークブームを作った人が、今、“歌ってみた”のムーブメントにちょっと関わっていたわけです。正確に言うと、“歌ってみた”をやっていたhalyosy(ハルヨシ)さんがもともとやっていたabsorb(アブソーブ)というバンドのマネージメントに関わっていた。その繋がりを聞いたときには本当に驚きました。現場の人は「”フォーク”と“歌ってみた”って同じだ」と気づいていていたんですよね。荻原さんやエレックレコードが70年代にやっていた「歌の市」というイベントは、泉谷しげるさんみたいな売れっ子だけじゃなく、アマチュアの応募で成り立っているようなイベントで。つまり、構造が“歌ってみた”と同じなんですよね。
それから“セカンド・サマー・オブ・ラブ”については、U/M/A/A(ユーマ)の弘石社長に話を聞けたことが大きかったです。“セカンド・サマー・オブ・ラブ”とボカロって、実は分析としては繋がっていないんですよ。それはなぜかというと、ドラッグがないからなんです。初音ミクもニコニコ動画もドラッグと関係ないですし、「“サマー・オブ・ラブ”って結局ドラッグのムーブメントでしょう?」って思う人にはピンとこない。でも、“セカンド・サマー・オブ・ラブ”を実際にロンドンで体験した弘石社長が、ボカロのシーンに一早く飛び込んでいる。YMOからケン・イシイ、ブンブンサテライツ、アンダーワールド、エイフェックス・ツインといった、日本のテクノと海外のテクノをやってきた人が、ボーカロイドのレーベルを一早く作っている。そういう事実を知ったときも、「1987年と2007年がこんな風に繋がるんだ」と驚きました。
Musicman-NET取材時の弘石氏
——現場の人の声を直接聞けたのは大きかったと。
柴:そうですね。荻原さんと弘石さんは本当に証言者として非常に重要な登場人物だと思います。ちなみに弘石社長の取材は、Musicman-NETのインタビューを参考にしました(笑)。
——ありがとうございます(笑)。
柴:元々、sasakure.UKさんにインタビューしたときに、「実はこういう本を考えているんですよ」と話したら、「それウチの弘石社長、超ノリますよ」って言ってくれたんですよね(笑)。思いつきでスタートしたものが血肉化したのは、音楽業界の現場にいる方々の声を聞けたからですし、それはこの本の柱になっています。僕一人では絶対に書けませんでした。
——先ほどドラッグの話が出てきましたが、”サマー・オブ・ラブ”がLSD、マリファナ、“セカンド・サマー・オブ・ラブ”がエクスタシーとすると、サードには何もなかったんですか?
柴:ノン・ドラッグなんですよ。ですから、“サマー・オブ・ラブ”をドラッグ・カルチャーとして捉えると、初音ミクって全然“サード・サマー・オブ・ラブ”じゃないんですよね。
——一応、該当物がないかと探されたんですよね?
柴:そこで、ドラッグってそもそも何なのかという話になるんですが、“セカンド・サマー・オブ・ラブ”のドラッグって「快楽」なんですよね。トリップして気持ち良くなるためのものだった。ただ、調べてみると60年代のLSDはそうじゃないんです。「意識を拡張する道具」として捉えてられていて、トリップして気持ち良くなろうというのは邪道だったんですよ。その一方で、同じ時期にパーソナル・コンピュータやインターネットが発明されている。サンフランシスコのダグラス・エンゲルバート博士という人は現代のパーソナル・コンピュータを60年代の時点で予測した人で、スティーブ・ジョブズやアラン・ケイ、ビル・ゲイツといったパーソナル・コンピュータの偉人たちに影響を与えた人なんですね。
Douglas Engelbart(img via wiki)
そのダグラス・エンゲルバートという人は、「コンピュータは人間の意識を拡大させるものだ」と言っていたんですよ。その考え方って、当時ではものすごく革新的だったんです。手塚治虫の『火の鳥』を読めば分かるんですが、60年代の人が思ってたコンピュータの未来像って、超巨大なマザー・コンピューターがあって、人類の行く末をそれで決めるみたいな中央集権的なものが一般的だったんですよ。
——「神 vs 機械」みたいな。
柴:そうですね。まさに「神 vs 機械」みたいなイメージが一般的だったときに、ダグラス・エンゲルバート博士は「コンピュータというものは、人の感覚・意識を拡張するものだ」というヴィジョンを唱えていた。今はまさしくその通りになっているわけです。スマホなんかは完全に人間の感覚の拡張を果たしているわけで。そう考えると、LSDが為し得なかった人間の意識の拡張をなしえたのがコンピュータであり、インターネットであると。
——なるほど。そう考えると”サード・サマー・オブ・ラブ”へ繋がっていきますね。
柴:ヒッピーは自然回帰を唱えるようなナチュラルな人たちのイメージが主流だったんですが、同時にインターネットの思想的バックボーンになっているんですよね。スティーブ・ジョブズの有名な「ステイ・ハングリー、ステイ・フーリッシュ」も、元ネタは『ホール・アース・カタログ』を創刊したスチュアート・ブランドが言ったことですしね。結局、パーソナル・コンピュータとインターネットって、ルーツをたどるとヒッピーに辿り着くんですよ。
——これは私の個人的な意見なんですが、ファーストとセカンドとサードも、ステージを引き下げた運動でもあるような気がするんですよ。徐々に、オーディエンスとパフォーマーの距離が近くなっていったと言いますか。
柴:まさにそうですね。67年の日本では、ヤマハの「ライト・ミュージック・コンテスト」が始まり、萩原さんもそこで世に出た。後に佐野元春さんのデビューのきっかけになった「ポプコン」の前身です。60年代にもアマチュアの人たちが世に出る流れがあったんです。ザ・フォーク・クルセダーズの『帰って来たヨッパライ』も、もともと大学生が自主制作で作ったレコードなんですよね。
——今で言う、インディーズですよね。
柴:そう、インディーズのはしりみたいなものが60年代にはあった。80年代もDJカルチャーやヒップホップ、宅録やDTMの文化などが登場して、音楽を制作するハードルがどんどん低くなっていった。さらに2000年代にはバンド組まなくても、歌わなくてもいい、歌わなくても歌声が作れるんだ、人前に立たなくていいんだ、ということになった。本質的には同じだと思います。
——今は音楽というと、「共有」「共感」というキーワードがすぐ出ますが、結局昔からあったことなんですね。
柴:この本を書いてみて、本当に定期的に、その時代、その時代の若者カルチャー、ユース・カルチャーが立ち上がってきたんだと、改めて思った。当たり前のことですが、それに気づけたのはすごく大きかったですね。
初音ミクの背景にあるシンセサイザー開発史&テクノ・エレクトロニカ史
——常日頃、柴さんのテキストを様々な媒体で拝見していますが、すごくフラットな見方をされる方だなと思うんですよ。
柴:そういうことを言われることも多いんですけど、僕自身、そんなにフラットな意識ってないんですよ。ただ、音楽ライターや音楽評論家の一つのあり方として、「自分が好きかどうか」みたいな思い入れを大事にしている人が沢山いる中で、自分はもちろん大好きなものはありますが、それだけで押し通すつもりがないというのはあるかもしれないですね。
ボカロでいうと、アラフォーの自分が今これを聴いてすごく熱くなるかという視点と別に、もし14歳のときにこの音楽を聴いていたらどう思うだろう? みたいなことを考えることが多くて。ですから、フラットというか、要は色々なフィルターを通して書いているのかもしれません。それこそRADWIMPSの原稿を書くときは、RADWIMPSの最前列にいる女の子の気持ちになって書く、一方でアイドルの原稿を書くときは、サイリウムを振っている男の子たちがどう思っているのか、みたいなことを考える。もちろん自分のできる限りですから、全然理解できないものもたくさんあるんですが。
——色々な視点があるからこそ、フラットに見えるのかもしれませんね。
柴:今話していて思い出したんですが、それこそボカロPの人たちって、ボーカロイドのキャラクターに思い入れを抱くというより、フラットに見ている人が多いんです。「初音ミクは楽器です」と。「自分にとって本当にツールなんです」とおっしゃる方が主流で。例えば、kzさんも「ミクってどういう存在だったんですか?」と訊くと、「いや、オートチューンかけたらオモロイかな? って思ったんで試してみただけなんですよ」って、ドライなんですよね。supercellのryoさんも、効果音をつくる会社があって、そこに応募するための素材として曲を作って、それをニコ動にアップしてみたらものすごいことになっちゃって、今も続いている、みたいなことを言っている。
https://www.youtube.com/watch?v=iOFZKwv_LfA
プラス、色々なボカロPの人に話を聞くと、みんな音楽ファンなんですよね。kzさんはモータウンやUKロック、クラブミュージックと幅広く聴いていますし、米津玄師さんのようにBUMP OF CHICKENとか日本のロックにすごく影響を受けた人もいるし、じんさんもTHE BACK HORNにすごい憧れていたりする。彼らが日本のロックや海外のロックに憧れてボカロ曲を作っているということは、やっぱりボーカロイドも脈々と続くポップミュージックの歴史に繋がっているんですよね。
——初音ミクは自己実現化するためのツール?
柴:そうですね。完全にツールだったと。渋谷慶一郎さんが面白いことをおっしゃっていたんですが、「初音ミクはやっぱり楽器」なんだけども、TR-808やTR-909のように「名器感がある」と。808や909って高域がすごく特徴的で、ドラムマシンのくせにドラムの音なんか鳴らないし、すごくチープな音が鳴るんですが、それが逆にいいみたいな機材で。ミクもある種チープでトイミュージック的なロリータボイスなんだけど、それがスタンダードになっちゃった、みたいな。そういう見方もできるとおっしゃっていたんです。
Roland TR-808 (img via wiki)
——時代を象徴する、規定する音みたいな?
柴:そういうところは絶対あると思います。初音ミク開発者の佐々木渉さんは、エレクトロニカとかアブストラクトミュージックといった音楽のマニアで、そもそも初音ミクに携わるつもりはなかった。クリプトンは音響系の制作に使うようなマニアックな音源サンプルも出していて、その解説とかマーケティングの仕事をしようと思って入社してきた人なんですよ。そうしたら、ある日、竹村延和さんから、初音ミク以前の海外製ボーカロイドソフトに対する猛烈なクレームが来たそうなんです。佐々木さんにとって、竹村延和さんは憧れのアーティストで、そういう人にここまでダメ出しされてしまったボーカロイドを自分がなんとかしたいという気持ちが、初音ミクを開発する最大のモチベーションだったそうです。ですから、そういう意味でも初音ミクって90年代、2000年代のテクノ、エレクトロニカの正統な進化形なんですね。
竹村延和さんは2002年にスピーチ・シンセサイザーでアルバムを1枚作っています。それは「10th」というアルバムで、その時点であったスピーチ・シンセ、その機械音声の波形をいじってメロディにして、歌わせるみたいなアルバムを作っていたんですね。そういう人なので、ボーカロイド的なものに当然興味を持つわけです。シンセサイザーの進化でピアノもギターもドラムも再現できるようになってきた、その先の、最後に残された聖域としての“声”というところを、ヤマハの剣持さんも佐々木さんも「進化のフロンティア」として捉えていた。ですから、初音ミクの背景にはシンセサイザー開発史と、テクノ・エレクトロニカ史があるんです。
——渋谷慶一郎さんが初音ミクと出会うのは必然みたいに思えますね。
柴:渋谷さんも必然ですし、シンセサイザーのパイオニアである冨田勲さんも必然なんですよね。冨田さんは60年代にmoogで人の声を出そうとしていた方ですからね。最初、冨田さんと初音ミクのコラボは「異色」とか色んな風に受け取られましたけど、やっぱりものすごい必然だったんだなって思います。
——初音ミクは、人間に似過ぎることによる「不気味の谷現象」に陥らなかったですよね。
柴:これも佐々木さんがおっしゃっていたことなんですが、最初に人間っぽい声、つまりアナウンサーやプロ歌手を全部排除したそうなんです。そして、声に特徴のある声優さんが候補に挙がったと。プラス、佐々木さんが明確に言っているのは、おもちゃっぽい、ある種のチープさとか、トイ・ミュージック的なロリータさをあえて打ち出していこうと選んだそうなんですね。ボカロの音声ライブラリの制作って、意味不明な言葉を2日間喋ってもらって、それを裁断するような作り方で。だからコラージュ・ミュージックを作るようなイメージでもあったそうなんですよ。いわゆるアンダーグラウンドの音響系をずっと聴いてきた佐々木さんがその作業をするという(笑)。
——ミュージックコンクレートみたいな(笑)。
柴:ノイズを通ってきた人にすると、これはコラージュ・ミュージックみたいなもんなんだと。だから「不気味の谷」の話で言うと、元々人間に似せようという発想を捨てているんでしょうね。
——なるほど。
柴:ロリータ・ボイスが持っている「カワイイでしょ」と自己アピールするような感じ、それがコラージュされてミクというソフトになっているがゆえに、不思議な情感を持つようになったんでしょうね。
ボカロカルチャーが証明したこと〜「やってみる」の先に何かがある
——鹿野さんとの対談で「ボカロシーンは今も昔も地図がなかった」とおっしゃっていますよね。やはり、その語り部をやろうという意識はあるんですか?
柴:語り部をやりたいという気持ちはあります。ただ、地図はやっぱりないですね(笑)。僕が語れるのはあくまでもその時々で一番力のある人なんです。例えば、ライブハウスシーンの全体像ってやっぱり語れないんですよ。それこそ全国のライブハウスでどんな音楽がプレイされているのか、全てを把握できませんからね。それと全く同じで、ボカロシーンの全体像なんてものは全くわからない。ただ、そこでどんな人たちがフックアップされ、どんな人たちが人気を獲得し、自分の表現を多くの人たちに届けているのか、ということは語れるんです。それはあくまでもシーンの氷山の一角なんですが、一番勢いのあるポップなものがやはり氷山の一角となるので、そこを切り取って、こういう風になっていますと見せることはできるかなと思っているんです。
——ボカロシーンに地図は描けないとおっしゃっていましたが、逆に地図が描けないのが魅力だったりもするんじゃないですか?
柴:本当にその通りだと思います。地図が描けないのが魅力になっている。逆に地図が描けてしまうというのは、2010年代に起こってきていることなんですよね。ここ数年のボカロシーンは、『千本桜』以降「こういう曲がウケるんだ」という最適化がなされている。でも「ああいったタイプの曲がウケるんだ」と固まっちゃったら面白くなくなってしまう。ボカロシーンという意味で言うと、今は若干、良い意味でも、ちょっと悪い意味でも、曲がり角だなと思っていますし、ブームとしてのボーカロイドっていうものは、ひょっとしたら落ち着いていくかもしれない。
——でも、その曲がり角の先は明るいかもしれないというところがポイントですよね。
柴:そうですね。伊藤社長は「この先、1〜2年でブームが収束するかどうかなんてどうでもいい。50年後にアマチュアクリエイターがクリエイティブなことをどんどんやれているかどうかがポイントだ」とおっしゃっていますからね。
——小っちゃい話をしているんじゃないよと。
柴:(笑)。そういう風に終われたのは、この本にとってもすごく良かったですね。
——この本にはもう一つ「インターネットは音楽を殺さなかった」というテーゼがありますね。
柴:これはみなさん忘れかけている話なんですが、2007年くらいって、音楽業界の人間、僕のいた音楽メディアの人間も「音楽は誰に殺されるのか」という話ばかりしていたんですよ。もうCDなんて売れなくなるってずっと言われていて、実際売り上げも落ち、業界も縮小して、このまま音楽文化は終わっていくんだって、そういうことを言う人もいたんですよ。
——「終わりの始まり」みたいなブログ記事もありましたよね。
柴:そうですね。そのブログはどこかのレコード店の方が匿名で書かれたみたいですが、実は僕のブログってそれに反論するところから始まっているんです。「終わりの始まり」って言うけど、インターネットが出てきたくらいで音楽が終わるわけがない、と。そのときも強く思っていましたし、その気持ちは時代を追うごとにどんどん強くなっています。終わるのはCD、正確に言うと旧来のメディアや、その収益構造に乗っかったビジネスモデルなんでしょうね。でも、音楽そのものと、それを楽しんだり、そこからビジネスが生まれるという構造自体は全然変わっていません。現にiTunesやSpotifyなど海外の新しい事例を見ても今や「インターネットは音楽を殺さなかった」という答えははっきりと出ています。ただ、2007年や2008年の時点では音楽業界の人間でそういうことを言ってる人間はほとんどいなかった。
——終末論みたいな感じでしたよね。
柴:あの頃は決して希望なんか誰も抱いていなかった、ということは強く言っておきたいですね。最近僕が思っていることなんですけれど、レコード文化って20世紀の文化だと思うんですよ。エジソンがレコードを発明したのが1877年、コロムビアなどいわゆる大手レコード会社が登場したのが1900年代初頭。アメリカにおいても日本においても一番CDが売れたのが1999年、2000年。そこからは下降の一途と考えると、パッケージ音楽の歴史ってきれいに100年間なんですよね。
僕はレコードやCDを聴いて育ったので、パッケージにも愛着がありますが、パッケージメディアが20世紀の文化なんだと思うと、すごく視界が晴れやかになるんですよね。つまり、パッケージメディアの文化が終わることと音楽文化が終わることは別の話だという。そこを混同してはダメだと思います。
——最後に、この本に興味を持っている人たちにメッセージをいただけますか?
柴:『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』という書名なので、ボーカロイドについて書いてある本ではあるんですが、ボーカロイドに興味のない人や性に合わない人に「ボーカロイドを好きになってください」という本ではないんです。2000年代を通して「クリエイティブである」ということのルールが変わった。そのことについてルポタージュした本であり、その1つの象徴として「初音ミク」というキャラクターを登場させています。
今の世の中には非常にポジティブな変化が起こっていると僕は思っています。それは、この本を書くことを通してたどり着いた一つの答えでした。特に音楽に関して、最近はどうやって表現で飯を食うかとか、クリエイターがどうやって暮らしていくかとか、メディアがどうやって生計を立てていくかとか、そういった話が多いじゃないですか。
——みんなサバイヴの話なんですよね。
柴:みんな「どう生き残るか」みたいな話ばかり、眉をひそめて「これから先どうしたらいいか」みたいな話ばかりですよね。でも、この本で言いたかったのは、とにかくボカロPとか、イラストレーターとか、ボカロカルチャーに関わった色々なクリエイターがそうだったように、面白いと思ったら、マネタイズとか、生き残るとか、そういうことを考えずに、まずワッとやってみる。そしたら、その先に何かがある。というのは、ボカロカルチャーがここ数年で証明したことだと思うんです。今は情報革命という大きな時代の転換期の入り口で、そこに初音ミクというキャラクターが巻き起こした「創作の爆発」みたいなビッグバンがあった。その現象を観察したのが『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』という本です。だから、是非、ボカロに興味のない人にこそ読んでみてほしいですね。
柴那典著『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)
発売中
1600円+税
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