音楽・曲を作ることは「生きていること」そのもの — 音楽プロデューサー・作曲家 T-SK(ティー・エスケー)インタビュー
音楽クリエイターチーム「Future Unison」とパートナーを組み、海外作家とのコライトでグローバルレベルの作品を次々と発表している音楽プロデューサー T-SK。幼少の頃より音楽に囲まれ育ち、「曲を作ることは生きる一部」という先天的な音楽センスで、安室奈美恵をはじめ、三代目J Soul Brothersや三浦大知など、トップアーティストに数多く楽曲を提供している。今後もクリエイターとして更なるスケールアップをしていくであろうT-SKの素顔に迫った。
- レコードショップのような家で育まれた曲作りの感性
- 音楽プロデューサーとしてのキャリアを決定づけた二つの出会い
- 作品で人の感情を動かすことができるのが、エンターテインメントのプロ
- 音楽を作ってない時間も、音楽を作っているようなもの
- 今後は、StargateとNe-Yoが産み出したような「流行」を作っていきたい
レコードショップのような家で育まれた曲作りの感性
——T-SKさんは幼少の頃から音楽が好きだったんですか?
T-SK:僕自身はあまり覚えていないんですけど、親によると幼稚園の頃、先生が弾くピアノを耳コピしていたらしいんですね。それで「ピアノが好きみたいだから、やらせてみようか?」ということになったらしく、小学校4年生ぐらいまでピアノを習っていました。でも、クラシックはあまり好きじゃなくて(笑)。
その後、13歳頃にテレビの「ASAYAN」で小室哲哉さんがプロデュースする姿とかを見て、作曲をやってみたいと思って。それで、自分で作った曲を、ピアノを弾きながら歌って、カセットデッキで録音したりしたのが作曲のはじまりですね。
——作曲は独学ですか?
T-SK:実は中学生の頃、当時芸大生だった渋谷慶一郎さんに1年間だけ作曲を習っていたんです。
——それはどういった経緯で?
T-SK:渋谷さんが友達と同じマンションに住んでいて、友達の親が僕のことを「作曲をやりたいらしいんだけど、クラシックは苦手みたいで」って渋谷さんに話してくれたら、「それは僕が教えるしかない!」みたいになって(笑)。それで教えていただけることになりました。
——すごい巡り合わせですね(笑)。もともとT-SKさんの音楽の好みやバックグラウンドは?
T-SK:しいていえば、バンドサウンドよりはR&Bやヒップホップとかの打ち込み系の音楽が好きなんですが、ポップスを含め幅広く聴いていました。父も音楽が好きで、タワーレコードに一回行くとCDを何十枚も買ってくるような人だったんです。だから家自体がレコードショップみたいな感じで。邦楽・洋楽、メジャーどころから名前も知らないアーティストまで、ジャンルを問わず色んな音楽がいつもかかっていました。
——家庭環境も音楽的だったんですね。「音楽で食べていこう」と意識し始めたのはいつごろですか?
T-SK:作曲を始めた頃からすでに夢として「音楽でやっていこう」とは思っていましたね。渋谷さんに作曲を習っていた時、ちょうど学校の自由研究課題があったんですけど、作品としてインスト10曲位のアルバムを作って提出したり。今となっては、誰にも聴かせたくないですけど(笑)。
——今はPCがあれば中学生でもそういうことができるかもしれませんけど、当時は…
T-SK:大変でしたね。僕が作曲を本格的に始めた1996年頃はMacがOS7で、すぐシステムエラーが起きるんです(笑)。シンセサイザーのシーケンスの中で曲を作る時代だったので、フロッピーに記録したりとか、いちいち作業の敷居が高くて。そもそも「どうやって録音すればいいんだろう?」って、まずカセットテープから始まって、4トラックのMTR、それが16トラックになって、やっとパソコンに辿り着くみたいな流れでした。
——その頃はお一人で音楽活動をされていたんですか?
T-SK:中学でもバンドを組んでて、僕はオリジナルがやりたかったんですけど、周りはコピーをやりたがったので、しょうがなくコピーバンドをやっていました。
それで、高校になって同級生でCIMBAと出会って、彼がボーカルでオリジナルのバンドを組んだんですけど、気が付いたらCIMBAと僕だけのユニットになってて(笑)。それが後のVery Phat Soulです。インディーで2004年にアルバムを1枚出して、そこから彼はソロシンガー、僕はプロデューサーとしてそれぞれの道を進むことになるんですが、当時から、僕とCIMBAの他にラッパーやダンサー10人ぐらいの仲間と“MASEGAKI CIRCUS”としても活動していました。
——事務所やプロダクションには所属されていたんですか?
T-SK:2007年〜2008年ごろに、CIMBAと2人でビーイングのDAY TRACKというレーベルにお世話になった時はありましたね。
音楽プロデューサーとしてのキャリアを決定づけた二つの出会い
——その後、段々とキャリアアップされてきたと思うのですが、ターニングポイントになった出来事はありますか?
T-SK:クラブの現場から何とか結果を出そうと活動していた時、R&Bで大先輩のアーティスト、HI-Dさんと共演する機会があったんです。その時HI-Dさんに「一緒にやりませんか?」って話しかけて、後日一方的にHI-Dさん宛に曲を送りまして(笑)。それで、有り難いことにHI-Dさんからご連絡をいただいて、一緒に仕事をさせていただきました。
その時期HI-Dさんは「Special Calling」という企画をやっていたので、ゲストで呼ばれたMay J.やAI、青山テルマを手掛けさせてもらいました。そこから少しずつメジャーレーベルともつながりができるようになったので、やっぱりHI-Dさんと一緒に取り組めたのは、とても心強かったし、ひとつのきっかけになりましたよね。
——次のステージへの勢いをつけてくれたんですね。
T-SK:色々なアーティストもやらせていただけるようになって、インディーズシーンでもそれなりの結果を出すことが出来たので、「そろそろ本格的にメジャーでやりたいな」と思っていた時に、今度はFUTURE UNISONのHiDEさんに出会いまして。
——それはどういった経緯だったんですか?
T-SK:HiDEさんが、僕やCIMBAが関わっていた当時のレーベルのトップのMr.T-Kさんと知り合いだったんです。それでHiDEさんがトラックメーカーを探しているということで、Mr.T-Kさんが僕を紹介してくれたという流れです。 実はHiDEさんとは、その5年前くらい前にクラブですでに出会っていたんですけど、二人ともすっかり忘れてて。お互い「あれ、なんで携帯に名前入ってるんだろう」って(笑)。
コライトがスタンダードになって、日本の音楽シーンはもう「洋楽」である——そこから具体的にどういう作品を手がけられましたか?
T-SK:HiDEさんと出会った年に、双子の女性プロデューサーでアーティストでもあるNERVOと一緒にスタジオに入って曲を作りました。それが安室さんの「Love Story」です。その時の手応えはやっぱりすごかったですね。
https://www.youtube.com/watch?v=QYb7dtMq7Sc
それまでコライト(co-write:共作)はあまりやったことがなかったんで、HiDEさんも最初「他の作家さんのメロが入ってくるけど大丈夫?」って気を遣ってくれて。でも、海外の作家さんが僕の作ったメロディーをどう超えてくるかすごく楽しみだなと思って「ぜひやりたい!」と。
——コライトのスタイルは自分に合っていると思いますか?
T-SK:僕は詞もメロディーも全部ひとりでやる人間ではないんですね。むしろ自分の考えているメロディーをどう越えてくるのか、自分の想像もつかないことを目の当たりにするのはとても楽しいことなので抵抗はないです。むしろコライトの方が、掛け算的にクオリティの高い楽曲ができると思いますし。
——国内でも少しずつコライトが広がってきていますね。
T-SK:当時は煙たがられたかもしれないですね。相手が海外の作家なので、権利的な部分もありますし。あと、そもそも向こうのデモのクオリティって異常に高いんです。アーティストじゃないのに、作家自身、歌がめちゃめちゃ上手いんですよ。もう「このまま出せるんじゃない?」って思うくらい。
例えば、後にジェイソン・デルーロの「Trade Hearts」にフィーチャリングされたジュリア・マイケルズと仕事をした時も、当時ジュリアは17歳で、すでにとんでもなく上手でしたね。作家で、しかもデモなのに。
——コライトは効率も良い?
T-SK:トラックがある程度出来ていたら、そこにメロを流していくんです。思いついたところからやっていくんですけど、頭からやることもあれば、サビから始めることもあります。その流れで順番を変えたり、カットしたり、逆に増やしたり。コーラスも含め、その場で全て作業が終わりますね。
とにかく早いんですよ。「え?もう 終わったの?」って感じるぐらい(笑)。一日というか、数時間で終わることもあります。日本だと持ち帰りが多いんですよね。メロの雰囲気だけ決めて「あとは自分でやります」みたいな。
海外作家とのコライトの現場では、ファースト・インプレッションが大切にされます。さらに、人数の多さも早さにつながっていますよね。信用している作家やスタッフが沢山いるから、その場で良し悪しのジャッジも受けられる上に、悩んでいたら他の人がアイデアをすぐ出してくれますし。
——そういう流れになっているんですね。
T-SK:今や国内でもデモの段階で、ハモも積んで、ミックス・ダウンまでやって提出するのが主流になってきていますからね。
「洋楽チック」って言葉がありますけど、日本の音楽シーンはある意味もう「洋楽」なんですよ。すでに海外の作家と一緒に作っているんですから。
——トラックはグローバルになっていると。
T-SK:トラックがというか、「日本の楽曲全体が」ですね。今までの日本の楽曲は1人の人が作詞作曲をするのが一般的でしたが、海外の楽曲は昔からクレジットを見ると「何人いるの!?」と思うくらい多くの人が書かれていますよね(笑)。今では日本でも外国人作家とコライトするスタイルが定着しつつあり、1つの曲に何人もの人が関わっています。人種を問わず。これは日本の曲の作り方そのものが海外の作り方に並んだとも言えます。これからはその楽曲たちを日本だけではなく海外アーティストにも歌って貰いたいと思います。それが僕らの次の目標ですね。
作品で人の感情を動かすことができるのが、エンターテインメントのプロ
——多くの作品を手がけられていますが、T-SKさんのことをこのインタビューで初めて知る方に、自分の名刺代わりとなる作品をあげるならば?
T-SK:あえて選ぶなら、やっぱり安室さんの「Love Story」と三代目J Soul Brothersの「Eeny, meeny, miny, moe!」、後は三浦大知くんの「IT’S THE RIGHT TIME」あたりだと思います。
——どれも多くの人が耳にしたことのある楽曲ですね。
T-SK:「Love Story」や「IT’S THE RIGHT TIME」は、ドラマやアニメのタイアップが付いていましたしね。自分で観ていても、ドラマではすごく音楽を大事にしてくれてて嬉しかったし、アニメ『寄生獣』はもともと大好きな作品だったので。
登場人物の田宮涼子が赤ん坊を抱えながら語るシーンとか、最初マンガで読んだとき本当に感動した場面だったので、アニメのそのシーンで自分の曲がフル尺で流れた時は泣きました(笑)。
——また「Eeny, meeny, miny, moe!」が収められている『PLANET SEVEN』はミリオンになりましたが、ミリオンワークに楽曲を提供したことに対してどう感じられていますか?
T-SK:周りの「動いている感」がすごいんですよね。リアルでもネットでも。例えば「T-SKさんのサインが欲しい」って言われて、「え? 俺の?」みたいな(笑)。だから、改めてアーティストさんたちは、本当に大きい市場を動かしているんだなというのを実感しましたね。
——そういうところに関わっていることが、創作モチベーションに繋がったりする?
T-SK:僕の中で「エンターテインメント」とは、それに接した人の感情が揺さぶられるということなんです。そして、そうやって感情を動かすことができるのがプロだと思ってるので、自分が伝えたかったことが多くの人に伝わって、それに対する色んな反応がダイレクトに分かるというのはすごくやりがいになります。音楽、曲を作るというのは、イコール「生きていること」
——普段の曲作りのモチベーションとなっていることは?
T-SK:音楽、曲を作るというのは、僕にとってはイコール「生きていること」なんです。息をするのと同じような感覚というか。もちろん好きで始めたんですけど、気付いたら生きる一部になっていて。
作曲への入り方は2パターンあって、いわゆる「降りてくる」ときは、そこからバーッと作ります。中々でてこない時は、とりあえずピアノとかキーボードで「弾いてみる」「リズムを打ってみる」。それは僕の中では「趣味」「遊び」と同じで、その遊びの延長として曲ができたりしますね。
——仕事上のこだわり、ポリシーはありますか?
T-SK:人からは「音楽のことになるとすごく頑固」と言われますけど、まぁ他人の意見を聞く聞かないは、人間なので気分に左右されるときもありますからね(笑)。
こだわりというか、今までの作品に関していうと、「なんでこんなもん作ったんだろう」というような作品は一つもない。もちろん「今のスキルならもっと出来ただろうな」とか「次やるんならもっとこうしたいな」っていうのはありますけど、基本その時その時、全て納得するまで追求しますね。
あと「感情」という部分はすごくこだわっています。歌に感情を込めるのと一緒で、僕も弾く時にものすごく感情を込める。その込め方で、他のトラックメーカーと差が出ると思うし、そこは誰にも負けないと思っています。技術的な意味で僕よりピアノが上手い人はいると思うけど、「この感情はオレにしか出せない」っていう自信はあります。そこは、僕の作家としての個性にもなっていると思いますね。聴いた瞬間に「これT-SKが作ったっぽいよね」が伝わるというか。
——塩ノ谷早耶香さんとのMV(「Sky falls down」*session with T-SK)でも、まさにそういう部分を感じました。
T-SK:そうですね、あれは生で弾いているんで僕の個性が良く出ていると思います。
——この楽曲にはどういう背景があるんですか?
T-SK:塩ノ谷さんって、すごく素直でいい子なんですね。それで、普通だったらいかに彼女の良いところを引き出すかを考えると思うんですけど、敢えてそうではなく、20歳を過ぎた女のコの誰しもが抱えてたりする葛藤みたいな「闇」の部分を出してみようと。
すごく感情的に歌う子だし、若い分、良い意味でまだアーティストとしての方向性も固まりきっていない。だから、彼女の未知の可能性を活かしたかったんです。曲的にも「もうひとりの自分」というテーマがあったので、色んな歌い方を引き出すことで、まだファンも知らない塩ノ谷さんを出したかった。「まだまだ底が知れないよ」と。そういったことを意識して取り組みました。
——今回は「session with」ということで、フロントにも出ていますよね。
T-SK:出たがりではあるんですよ(笑)。昔からライブに出る時も、バック伴奏というよりは、フィーチャリングぐらいの勢いでグイグイ前にでたいタイプなので。
それに、表に出ることで僕の存在をもっと知ってもらえれば、僕が関わっている色んなアーティストの楽曲が聴かれる機会も増えると思うんです。プロデューサーや制作陣を軸にして、新しい音楽や好きな音楽に出会うというのも全然ありだなと思ってて。
——そういう発信もしていきたい?
T-SK:やはり制作サイドも積極的に情報や自身を発信しなければならなくなっていると思います。CDや歌詞カードといったフィジカルな情報が減ってきている分、以前よりもみんな感覚的に音楽を聴くようになっていますからね。
音楽ビジネスの現状を考えても、もっと音楽にエンターテインメント性を持たせていきたいですよね。だからこそライブにはまだ魅力があるんでしょうし。「そこじゃなきゃ観られない」、「生で観た方が良い」っていうアーティストがやはりこれからは残っていくと思います。僕も「ライブに行ってみたい」「生で観たい」といった感情を呼び起こすような曲を作っていきたいです。
音楽を作ってない時間も、音楽を作っているようなもの
——T-SKさんはどんなところからインスピレーションを受けますか?
T-SK:一時期、恋愛ソングが流行った時は、恋愛映画をたくさん観ましたね。感情が乗らないと曲って書けないんですけど、僕は年がら年中失恋してるわけではないので(笑)。とりあえず恋愛した気分になるために観ていたかな…だいたいは寝ちゃうんですけど(笑)。
あと、インスピレーションを受けているのかは分からないですけど、ゲームはよくやっていますね。最近のゲームは、ユーザーが作品の中に参加する感覚が味わえるというか、すごく進化していますよね。ゲームの完成度が80%の状態でスタートして、あとの20%をユーザーが完結させる、みたいな形がすごく面白いと思ってて。
——ゲーム含め、無意識に色んなところからインプットされているのかもしれませんね。
T-SK:よく考えたら、純粋に「音楽を作りたい!」って衝動で初めて曲を作った中学生のときから、かれこれ20年間ずっと曲を作り続けてきているんですよね。だから、恐らく自分が作りたいものは全部作ってしまっている。にも関わらず、いまだに曲を作り続けられるっていうのは、知らず知らずのうちに色んなところから刺激を受けて、毎日アップデートしているからこそなんですよね。
そういう意味では、音楽を作ってない時間も、音楽を作っているようなもので。例えば、誰かに「いつまで映画観てんだよ!」って怒られても「いやいや。映画観ているようで実は今曲を作っているんだよ」みたいな(笑)。極端に言うとそういうことかな。
——ナチュラルボーンなクリエイターなんでしょうね。
T-SK:どっちかというと、「言われたことだけをやる」というより、「ゼロから作る」タイプなので、そういう風に仕事をやらせてもらえる環境だったり、それを認めてくれる人がいるというのは幸せだなと思います。
——作曲には時間がかかる方ですか?
T-SK:納期がなければ、ずっと終わらないでしょうね。納期による「一旦の完成」はあっても、一週間後には違ったアイデアが出てくる。限りなく時間があれば、完成はしないと思うんですよ。一生作り続けているはずです。
でも、完璧にしたいともそこまで思っていなくて。人って、あまりにも完璧すぎると心を揺さぶられないじゃないですか。ちょっと不完全なものだったり、何かが足りないからこそ、可能性やワクワク感、人間味を感じるんです。だから、どんなに技術が進化、発達しても、結局「人が作っている」という所が一番大事なんだなと思います。
今後は、StargateとNe-Yoが産み出したような「流行」を作っていきたい
——T-SKさんが尊敬するクリエイターはいますか?
T-SK:ゲームの「メタルギア」シリーズを作っている小島秀夫さんです。あの方は、エンターテイナーですよね。ワクワクさせるのがものすごく上手い。「楽しんでもらいたい」「悲しんでもらいたい」「喜んでもらいたい」という、「感情を操る」っていうことを見事に実現していると思います。まさに僕が考えるところのエンターテインメントを作っていますね。しかも、小島さんのゲームって音楽のセンスも凄く良いんですよ。機会があれば、いつか一緒にお仕事させていただきたいですね。
——では、ライバルというか、気になるプロデューサー、クリエイターは?
T-SK:特定の人はいないですけど、グローバルレベルで誰に対しても「負けたくない」という気持ちが強いです。コライトの最初のセッションでは特にそうですね。その場にいる作家のテンションが上がらないと始まらないんで、まず目の前の外国人たちが「わー、これヤバいな!」ってなるものを作ろうっていつも思います。
さらに、トップライナー達にも負けたくないですね。「グラミーを獲ってるNERVOのメロも、このトラックがあるから生まれてくるんだ」っていう。メロディーが良いだけじゃなくて、トラックも良いって思って欲しいですね。
——最後に今後の展開や目標があれば教えて下さい。
T-SK:流行を作りたいですね。今までは誰かが作ってくれた流行に乗っていた感じがあったんですね。例えばStargateがNe-Yoと手がけた「So Sick」みたいな曲があって、そこから流行が産まれた感じの。そういった流れを自分で作り出したいですね。
あとは、機会があればもっとフロントに出る活動を増やせればと思っています。自分が何歳までこの仕事を続けていけるかは分からないですけど、僕のセンスや音楽的DNAみたいなものが、未来の世代に何らかの形で受け継がれればいいなと。その為にも、こういうインタビューもそうですけど、音楽だけじゃなく、音楽を基盤とした色んな物事に対する考え方とかも積極的に発信していきたいですね。