野生の本能で生きる獣・プロデューサー 西崎義展の功罪 『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』発刊記念 牧村康正氏+山田哲久氏インタビュー
音楽のステージ制作プロデューサーとしてキャリアをスタートさせた西崎義展氏は、アニメ業界に歩を進め、『宇宙戦艦ヤマト』で空前のヤマトブームを生み出す。一匹狼の独立プロデューサーとして、周囲を巻き込みながら栄光をつかみ、破産と刑事事件(覚せい剤・銃器所持)によって転落し、そして復活から事故死へと続く激動の人生を送った。その西崎氏の実像に迫る書籍『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』が話題を呼んでいる。西崎氏は映画音楽のプロデューサーとしても実績を残し、ヤマトのLPアルバムは昨年『アナと雪の女王』に記録を破られるまで長期間にわたり売上枚数1位を記録していた。悪評、罵詈雑言、あるいは賞賛と評価真っ二つのプロデューサー 西崎義展とはどのような人間なのか? 本書執筆にあたったフリージャーナリスト 牧村康正氏と、かつて西崎氏の部下であったアストロビジョン 代表取締役 山田哲久氏に話を伺った。なお、インタビュアーの屋代卓也(Musicman発行人)は若かりし日の数年間、西崎氏の書生として一緒に暮らしていた過去がある。
ちなみにこのインタビューは、自社の社員からの情報でこの本を知り、読後30数年ぶりに山田氏に屋代が連絡を取ったことがきっかけとなり行われた。
その人生を文章にしたらこんなに面白い人物もいない
——この書籍『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』は山田さんが企画されたんですか?
牧村:はい。山田さんがこの企画を発案して、資料もある程度先行して集めていたところに私が加わりました。
——山田さんにとっては、自分の若き日の存在の証明でもありますよね。
山田:そういう部分も少しありますけど、企画の一番の動機は、映像業界、あるいは音楽業界でその人生を本にしたらこんなに面白い人物はいないと思っていたんですよ。
——そうですね(笑)。
山田:だから何人かに書かないかという話をしたこともあるんですが、やっぱりノンフィクションの経験のある書き手には敵わないと実感しました。牧村さん以前にアニメ系の二人に依頼したんですが、「手に負えない」と降参しました。二人とも何冊か本を出している方なんですけどね。決して彼らの能力が低いということではなくて、一人の人間の裏表とか人生を掘り下げるのが得意な方でないと、西崎さんの人生は書けないと思ったんです。そんなことを考える中で、牧村さんと出会ったということですね。
牧村さんは、文章力はもちろんのこと、人間観察力、洞察力に非常に優れた書き手なので、何度読み返しても面白い作品に仕上がっていると思います。テーマが西崎さんですからエピソードが詰まりに詰まっていますし、大変読み応えのある本になりましたね。すでに多くの反響を頂いていますし、業界関係者も読んでいる人がかなりいて「話題になっているね」なんて声を掛けられると、作ってよかったなと思います。
——牧村さんは本を書き始めた当初はどのようなことを考えられていましたか?
牧村:前提として、僕自身は西崎氏と面識があるわけじゃないですし、アニメ業界のことも専門的にやっていたわけではありません。また、バブル期には西崎氏のように一攫千金で大金を稼いで転落していくというパターンの人たちが結構いたので、ものすごくめずらしい題材という認識もなかったです。割とありがちな栄光と転落の人生だなという気が最初していたんですね。
ですから、事前にざっくりとした資料はいただきましたが、即座に興味を持ったかと言うと、なかなかそういうわけでもなくて、考える順番としては「なぜ山田さんがそこまで時間をかけて、かつての上司の一代記をまとめたいのか?」ということを、自分なりに理解するところから入りました。それで最初に思ったことが、これは山田さんにも言いましたけど、「悪女に取り憑かれた男」みたいなことで(笑)。
山田:そんなことないんだけどね…いや、潜在的にあったのかな(笑)。
——ありますよ(笑)。西崎さんはとてつもない毒気なので中毒になりやすいんですよ。
牧村:まあ毒気にあてられて一度は離れたものの、どこかで気になってしょうがないという愛着はあったんでしょうね。もう死んじゃったけど、ここらで一肌脱いで彼の一代記をまとめることが、自分に残された大きな課題だと思い至ったんじゃないかなと勝手に推測しました(笑)。ただ、山田さんが西崎氏について思っていることをそのまま反映させたら本ができるかと言ったらそういうことでもないですし、僕自身は山田さんの代弁者にはなれないですから、山田さんが考えていることを一度自分で噛み砕いて、一代記という形に表現し直そうと思いました。同時に関係者に話を聞いていったわけですが、最初の何人かの印象をまとめると、山田さんと同じように「悪女に魅入られた男」という印象を持ったんですよ。悪口や愚痴も相当聞きましたしね。西崎氏を無条件に褒めちぎる人は全くいなかったですよ(笑)。
——やはりそうですか。
牧村:まず嘆き節から入る人が多くて、合間に少し褒めるというパターンですね。でも西崎氏と関わったことを後悔しているのかというと、おそらく後悔はしてないだろうし、非常に上から目線のような言い方になっちゃうかもしれないですが、今嘆いているこの人たちから「西崎義展」という存在を引いちゃったら、味気ない人生になってしまったのではないかと思ったんです。
——ただ、西崎さんは普通には付き合えない人ですよね。発している熱量が大き過ぎて周りがやけどしちゃうような。
牧村:人徳で惹きつけるわけではないから、ときにはやけどもするだろうけど、やっぱり強烈なエネルギーがないと、善かれ悪しかれ誰もついていかないですけどね。
——この本を書いている過程で、西崎さんへの印象の変化はありましたか?
牧村:まずは被害者に同情しましたよね。それが最初で、もっと言うと山田さんからは「西崎氏もひどいけど、今頃泣き言並べている奴も情けない」って聞いていたわけですよ。その話を聞いた後で実際に取材に入ったときに「なるほど。やはり嘆くには嘆くなりの理由があって、やっぱり西崎はひどい奴だ」という印象の方が強かったですね(笑)。それがだんだん取材を重ねて行くにつれて、被害者と加害者のドラマではなくて、最終的に西崎氏が『宇宙戦艦ヤマト 復活編』でどん底から這い上がっていく、ここがこの人の人生の真骨頂だな、これが本のテーマになるな、という結論にたどり着いたわけです。
山田:西崎さんの再起のきっかけとなったのは松本零士さんとの著作権裁判で勝利し明確に原作者として認められたことで、そこから西崎さんも「もう一本映画を作ろう」という決意が生まれましたよね。あのまま引きずったり、解決していなかったり、裁判で松本さんが勝利していたら、西崎さんは再び映画を作れなかったと思います。著作権裁判のときの西崎さんが書いた手記・上申書なんか読むと、とにかくすごい分量を書いていて、なおかつどんどん字が上手くなっているんですよね(笑)。拘置所での西崎さんは裁判に向けてすごく気合いが入っていたんでしょう。
——西崎さんの立ち向かう根性はすごかったですよね。だから、松本さんが西崎さんを蘇らせたとも言えるのかもしれません。松本さんは全く望んでいなかったでしょうが。
牧村:そういう側面もあるとは思います。ただし、裁判は『復活篇』を作る環境を整える一助にはなったと思いますが、現実的に新たに資金を集めて、新しい映画を制作・公開することができた最大の要因はやはり養子になった彰司氏との出会いだと思います。
我々は彰司氏の証言をとれていないので深く言及する立場にはないですが、彼が結局資金集めの責務を負って話を持ちかけたわけですから、西崎氏にとって後半生の最大のパトロンは彰司氏なんですよ。彼がいなければ、おそらく後からくっついてきた人たちだって、「一緒にやります」とはなかなか言えなかったと思います。彰司氏を褒めそやすわけではないですが、そういう縁を引き寄せた西崎義展のエネルギーの強さですよね、重要なのは。
——普通、彰司さんのような人間は現れないですよね。
牧村:『復活篇』の後、ヤマトが『2199』の成功へと続いたので、「財産目当てだろう」と後から言うことはたやすいでしょうが、少なくとも『完結編』の段階でヤマトは終わっていましたからね。マーチャンダイジング展開、例えばパチンコ台のヒットなどはありましたが、当時ヤマトの映画を作ればヒットする保証なんてなかったですから。
——「ヤマトはもういいんじゃないか?」という雰囲気の方が強かったかもしれないですよね。
牧村:そうですね。業界の中でもそう思う人はかなりいたと思います。そんな状況で彰司氏は養子縁組したのですから、いくらヤマトの権利絡みだったとしても半端な覚悟じゃ踏み切れない話ですよね。さんざん苦労させられながら、結果として『復活編』を父親に作らせたんですから大変な親孝行ですよ。
ちなみに屋代さんは『復活編』の話を聞いたときは、どう思われましたか?
——つい5〜6年前の話ですよね。正直、私の中でヤマトは終わったと思っていましたし、あまり興味がなかったですね。
牧村:おそらく最初の『宇宙戦艦ヤマト』から『さらば宇宙戦艦ヤマト』、そして『完結編』くらいまでは同世代のファンだったら感想に大きな差はないような気がするんですが、『復活編」になると、観る人によって全然評価が違います。それは作品としての評価だけじゃなくて、「あの西崎が制作した」という行為に対する評価も含まれていると思うんですよ。
——純粋に映画だけの評価ではなくなっていると。
牧村:「今さら何を悪あがきやっているんだ」という見方もあるでしょうし、「前科者で破産者の老人がよくぞここまでやりきった」という見方もあるでしょう。それまでの西崎氏の生き方に対する評価が『復活編』という映画に対して込められていて、それゆえに多種多様な声が上がるのは分かるような気がしますね。
自分の振る舞いを貫き通すために金を握った
株式会社アストロビジョン 代表取締役 山田 哲久氏
——この「『宇宙戦艦ヤマト』をつくった男 西崎義展の狂気」は本当に面白かったです。前半は私も存じ上げるお名前がたくさん出てきたので、生々しかったですし、自分が辞めた後の全く知らない後半もすごく読み応えがありました。お亡くなりになるまで、恐るべき執念というか、西崎さんは本当に「野生の獣」だったんだなと再確認しました。
山田:本当に「一匹狼」という言葉がふさわしい男で、文字通り、独立プロデューサーでしたね。嵐のような人生というか、爆弾を撒いて生きているような…。
牧村:西崎氏は人間として未成熟な部分を自分の中で許容しながら、そのまま成長した悪ガキみたいなものですよね。アニメと同様、女にしろ、クルーザーにしろ、好きなものは、ありったけの金をはたいてでも納得できるものを所有にしなければ気が済まないんです。ただし、最初は悪ガキたることを自覚していたと思うんですよ。「俺がやっていることなんて、そんな上等なもんじゃねえよ」と。ヤマトだって、「自分の好きな作品を好きなように作るんだ。誰にも文句は言わせねえ」と、なかばガキ大将気分で作っていたんじゃないか? だから、ものわかりがよくて人に好かれる大人になる気なんかなくて、確信犯的な悪ガキとして突っ張って生きていた。そのうちに思わぬ名声を得て、きわめてアンバランスに自己肥大化していく。
その過程で自分の主張を通すために何が必要かと考えたときに、とにかく他人に金を握られたら、自分なりに突っ張って生きていくことなんてできない。だから、自己を貫き通すためには絶対に金を握っている必要があると痛感していたと思います。それがゆえにどんな状況であっても金と権利は手放さなかった。権利も自己主張の武器ですから。でも、その生き方を貫くのは楽じゃないですよ。金は自分で調達しなきゃいけないわけですし、失敗すれば破滅です。思うがままにやったけど、決して楽な人生ではなかったと思うんですよね。
——私が西崎さんにお世話になっていたときは若かったですから「こういう人は世の中にたくさんいるんだろう」と思っていたわけです。特に映画や音楽の世界には。でも、その後40年近く経って、「あんな人は後にも先にもあの人しかいないんだ」ということに気づきました(笑)。
牧村:(笑)。彼も経営者ですから、いくら野放図にやっていたとしても、毎月毎月の支払い報告は来るだろうし、出入りの最低限の管理はしなくてはいけないし、必ずどこかで胃の痛い思いをしたとは思います。ただ、僕が聞いている範囲ではそういう泣き言を延々と聞かせたりした形跡はないんですね。悩みを怒りとして表現したり、八つ当たりしたことはあったかもしれないけれど(笑)、泣き言を並べて「分かってくれよ」的な、一般的な愚痴のタレ方をしていないんですよ。
——なるほど…とはいえ、もっと楽に生きることはできたはずなんですよね。ヤマトで得たお金を有効に使えばよかったわけですし、そういったことは簡単にできたと思うんです。
牧村:普通の人だったら、例えば、老後のこととか考えますよね。あるいは自分の家族にどうやって財産を残すかみたいなね。でも、おそらく西崎氏の中にはその考え方はなかった。彼は「強欲だ」とか「金に汚い」とか言われましたが、少なくとも自分で金を貯め込もうとは思っていないんですね。つまり、何かやるためには絶対金がいるし、他人から見れば無駄な浪費というのも、女性関係を含めて「俺が豊かな気持ちで過ごしていない限り、良い作品は出来ないんだ」と。そういう思考なんですよ(笑)。
——必要経費(笑)。
牧村:西崎氏は本気でそう考えていたと思う(笑)。だから、もったいなくなかったんですよ。普通の人が「もったいない」とか「単なる無駄使いだ」と思うような感覚で、自分の金遣いを考えていたことはないと思いますね。成り上がっていく事業家のパターンとして、私生活はものすごく質素で事業にはどーんと投資するタイプと、西崎氏のように公私無差別な浪費家タイプがいますよね。
——西崎さんは事業家ではないですよね。むしろアーティスト的というか。
牧村:これは僕の解釈なんですが、事業家も最初はアーティストなんですよ。事業を作るという。のちに形ができあがってきたら、それを管理するために別のスタイルを構築していかなくてはならないから、周りから見たらだんだん変わっていくかもしれないですが、「これを売りたい」「あれを売りたい」と、「これを作りたい」はあまり大きな差がない気がします。西崎氏も『ヤマト』を作りたいというところから成功は始まっていますが、もっと以前に民音でプロデューサーをやっていたときも「俺の作った舞台は他とは違うぞ!」とこだわりを持って作り、結果的に金を儲けて会社もどんどん大きくなっていくわけです。
実際に成功を遂げたときに、金の使い方という側面だけを見ると、日本人的な美談としては事業には金を投じるけど、私生活は質素というのが一つの形ですよね。その清貧さによって社員は惹きつけられるというか、魅力を感じて「この人についていこう」と思わせるようなところもあります。無私の人というのは日本では受けますから。ところが西崎氏はそこで露悪的なくらいに、成金ぶりを見せつけるわけです。
——そこに関しては確信犯だったと思います。
牧村:成金ぶりを見せつけることによって彼は成功を確認できたんでしょうが、結局、自分の俗物性を隠し立てしなかった。女性関係もそうですし、第三者から見たら眉をひそめるようなことばかりしでかすわけですが、それを隠そうとすることもなく、成功の証として見せつけていったんです。
——ずっと思っていたんですが、誰の心の中にも小さな西崎さんはいるんですよ。ただ、普通は色々なことで押さえつけられている。それをやると人に嫌われちゃうとか、社会から弾かれてしまうとか、生活が成り立たないとか、色々なバイアスがかかっている。それを一切思うがままに、我慢するのは止めようとどこかで決心したのかなと思うんですけどね。
山田:ただ、高校のときからそうだったと同級生は言っていましたね。その頃から目立って暴れん坊というか、態度がでかい生徒だったそうです。だからもうあの人の性なんでしょうね。彼はある取材でこう言ったんですよね。「事業家としての成功よりもプロデューサーとしての可能性を追ってみたい」と。彼はとにかくスター性にこだわる人でしたね。
——事業家の中にも表に一切でない黒幕タイプの方もいますが、西崎さんは目立つことを望んでいた人なので、こういう本が出たこと自体喜んでいると思うんですよ。
牧村:そうでしょうね。西崎氏は寂しがり屋の側面がすごくあって、良かれ悪しかれ注目されなければ気が済まないし、人の手を煩わせることによって己の存在を確認するみたいなところがあったと思うんです(笑)。
——やっかいですね…(笑)。
牧村:子供のうちだったらそれも「よしよし」と面倒見てもらえるんだけど、自立して行くにつれて相手にしてもらえなくなるし、自分でもその幼児性に対して恥じる気持ちも出てくるから普通はおとなしくするんでしょうけど、西崎氏は大人げなさを最期まで貫き通すために、確信犯的に金を握ったんです。物欲があるとかではなくて、自分のスタイルを貫き通すには金を持つしかなかった。だから彼にとって金は処世上の武器であり、死んだ後に残そうとはしていなかったんですよ。
直感的な閃きを力づくで遂行したら宝物を掘り当てた
フリージャーナリスト 牧村 康正氏
——本を書いてみて、牧村さんは面白かったですか?
牧村:そうですね。西崎氏の人生はそんじょそこらにいるような人間の生き方とはわけが違うから面白かったですし、それと同時に、彼のようなカリスマと言われる人間に巻き込まれざるを得なかった人たちの機微が大変興味深かったです。西崎氏が生きている当時に話を聞いたらまた違うと思いますし、亡くなって4〜5年目で聞く話って、一番生々しいんじゃないかなと思いました。これが10年を過ぎちゃうと、今度は風化しちゃうかもしれないですしね。ちょうど良い時期に取材ができたなと思います。
——私は2001年に宮川泰さん(故人)にインタビューさせて頂いたんですが、そのとき宮川さんに「実は私、西崎のところにいまして…」とごあいさつしたら、「そうか!」と西崎さんの話になっちゃって、インタビューの本題に入るのに1時間半くらいかかっちゃったんですよ(笑)。そこで宮川さんは「普通は『あの野郎、嫌なヤツだけど良いところもあるよな』って大体思うんだけど、オレにとって西崎は良いところが1つもないね。見つけられねえよ」と仰ってました。
山田:まあ、100%の本心ではないと思いますけどね。私は宮川さんから「ぼくの才能を本当に絞り出してくれたのは西崎だ」って言われたことがあります。『宇宙戦艦ヤマト』をやりきって、もう新しい曲が出ないと思っていたけど、それでも死にもの狂いで西崎さんの厳しい要求に応え名曲が生まれた。宮川泰さんと阿久悠さんは西崎さんの戦友です。息子の宮川彬良さんも「お父さんの作品で1番好きなのはやっぱり『ヤマト』の曲だ」と仰っていますからね。
牧村:ちなみに屋代さんご自身は西崎氏から受けた影響って何かありますか?
——そうですね…スケールは全然違いますけど、リスクを負った上で、権利を大きくとらないと駄目で、そこで話し合って、うまいことやろうとしても結局何も残らないんだとか。
牧村:なるほど。人生において「そういうことはやめなさい」と言われることって結構ありますよね。意見としてはそっちの方が聞きやすいですしね。でも「あ、そう攻めるべきなのか」という風に気づかせられる人って滅多にはいないと思います。ですから、そういう人と巡り会ったことの影響力というのは、ブレーキ役タイプの人と巡り会うことより何倍も影響が大きいような気がしますね。
——まして、私は年齢が若かったので、何でも吸収してしまったのかもしれません。それが良かったのか、悪かったのか分かりませんが(笑)。
牧村:余談になるんですが、この間、ラグビーのワールドカップで南アフリカと日本が試合をして、最後の最後、ペナルティキックで同点を狙うか、負けを覚悟しても逆転のトライを狙いにいくかとなったときに、マイケル・リーチ主将はトライを選択しましたよね。
それはベンチ内でも意見が分れるくらいの決断だったわけですが、ああいった場面で、西崎氏だったら、間違いなくトライを獲りにいきますよね。「同点なんて意味がない」と即座に言って。それを言える人が偉いということじゃなくて、その場で即座に「よし獲りにいこう」という風に言える人がどのくらいいるかというと、あまりいないですよね。
そこで合議制で決めるとして、いくら時間をかけても、正当な答えって出てこないじゃないですか。どっちが正しいかということではないですから。なおかつ、時間をかければ良いという話でもないし、誰かが「負けようが勝とうが、とにかく四の五の言うな。これでいくんだ」と言い切れる現場を本当はみんな欲しているんだろうけど、責任の所在が云々という話になって、それがなかなか成り立たないんですね。
——西崎さんはとにかくやりたいようにやって、文句があるなら直接かかってこいと思っているわけですよ。腹を括っているわけですから。
牧村:そうなんです。西崎氏はアニメでビジネス戦略を切り開いたとか言うけど、すごく緻密に練り上げて、効率良くビジネスを展開したという感じはしないんですよね。彼が直感的に閃いたことを力づくで実行していったら、アニメ界ではとてつもない宝物を掘り当ててしまったという感じはしますね。
——だってそんな計算できませんよ。別に前例のないことをやっているわけだし。
牧村:もし西崎氏が自伝を書いたら、「それには実はこれこれこういう計算があって…」と書くだろうけど。
一同:(笑)。
牧村:「こういう成り立ちがあったから、あのときはみんな分かんないから口では言わなかったけど、オレはこういう確固たる見通しでやったんだ」と、多分言うと思う(笑)。
山田:間違いないですね。
——後講釈ですね。
牧村:だけど、緻密な思考ばかりしていたら、ものごとは進まないですもんね。
——大体そういう計算をしないのが、野生の本能で生きる獣じゃないですか。
牧村:本当にその通りですよ(笑)。
——牧村さんは今後、どなたかのノンフィクションを書くご予定はあるんですか?
牧村:評伝の企画は1本あるんですけど、今ちょっと取材中です。ちなみに西崎氏とは全然畑違いの人物です。
——音楽業界の中にも面白い人とかたくさんいらっしゃると思うんですよね。
牧村:そうでしょうね。今回初めてアニメ業界というものが取材対象としてあったんですが、どんな業界でもこういう物語はありますよね。西崎氏ほどというのはどれだけいるか分かりませんけれどもね(笑)。
——今後の著作も楽しみにしております。本日はありがとうございました。