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第15回 大貫憲章 氏

インタビュー リレーインタビュー

大貫憲章 氏
大貫憲章 氏

音楽評論家/DJ

音楽評論家として、またDJとしても精力的な活動を続ける傍ら、自らが立ち上げたロックDJイベント「LONDON NITE」は昨年で20周年を迎えるなど、常に現場主義のモットーを貫き、若者達だけでなく現役ミュージシャンからも絶大な支持を得ている大貫憲章氏。「ROCKIN’ ON JAPAN.」の鹿野淳氏が学生時代から敬愛してやまないというラブコールを受けて、「Musicman’sリレー」に登場です!
自宅兼オフィスとして改築したばかりのペンキのにおいの残る事務所にお邪魔して、壁一面のレコード棚を眺めながら、音楽との出会いやそのルーツ、そしてロンドンナイトの20年の歴史、さらには音楽業界全体に対する苦言まで、率直に語っていただきました

[2001年2月5日/世田谷・KENROCKSにて]

プロフィール
大貫憲章(Kensho OHNUKI)
音楽評論家/DJ


1951年2月22日生まれ。1970年から音楽評論家として執筆活動スタート。NHKラジオ「若いこだま」のDJを皮切りにラジオ番組のDJ、TVK「ミュートマ」のVJなどを担当。1980年からクラブDJイベント「LONDON NITE」を新宿ツバキハウスにてスタート。以後、場所を変えつつ、2000年で20周年を迎える。現在は新宿CLUB WIREで毎週金曜に開催中!他に渋谷のクラブ「The Room」で毎月第3日曜に高橋盾、村上淳らとDJ10名によるオールタイム・ロック/ポップイベント「GROOVY ROCK CARAVAN」を主宰し5年目。同CDシリーズを8枚リリースしている。ほか、雑誌のコラム等も手がけている。

◆レギュラー・プログラム(構成、選曲、DJ担当)
・インターFM「KENROCKS NITE」(毎週土曜26:00〜28:00)
・JFN14局「ロンナイ」
・JFN基幹7局「ロックDe GO! (FM TOKYOは除く)

◆雑誌のコラム(月刊「WARP MAGAGINE」)執筆中!

◆「ロンドンナイト」20周年イベントのヴィデオ、絶賛発売中! 


 

  1. 初仕事は「ミュージック・ライフ」の2000字レコード評!
  2. 60’sの影響をモロに受けた少年時代
  3. 学生時代は、学校さぼってGS追っかけ!
  4. バンド「東京ヤードバーズ」から評論家「クイーンの大貫」へ
  5. CLASHイギリスツアー同行でDJに目覚める!?
  6. 新宿ツバキハウスにLONDON NITE!!
  7. ロンナイ=バイオレンス時代
  8. 20周年ロンドンナイト@zepp東京の裏話
  9. 業界人ほど音楽を知らない
  10. あくまで現場主義がモットー!
  11. クラブシーンの中でのロック
  12. 洋楽のシェア下落の根底に流れているのは…
  13. ロックの語り部がいなくなってきた
  14. 大量露出・大量生産・メディアコントロール…。だから日本は文化がない!
  15. 批評の目を持たない”評論家” 立場の曖昧な”ライター”
  16. ロックンロールをリスペクトしてくれ!
  17. 自分で自分の首をしめてる音楽業界
  18. アーティストは使い捨ての消費財じゃない
  19. 洋楽と邦楽のロックの橋渡しをラジオでやりたい
  20. パソコンでDTMに挑戦!?

 

1. 初仕事は「ミュージック・ライフ」の2000字レコード評!

大貫憲章2

−−最初に会ったのはまだ大学生の頃でしたよね。そもそもどういう経緯で業界の仕事をするようになったんでしたっけ?

大貫:最初は平凡出版(今のマガジンハウス)からなんですよ。『anan』が創刊されるって時に、俺の友達が、同じ歳ぐらいの女の子たちがね、素人スタッフを募集してるっていうから応募しに行ったわけ。その時俺はお付きでただついて行ったんですよ。

−−普通の就職活動とかじゃなくて?

大貫:全然、全然。俺はポツンと待って話を見てただけなんだよ。そしたら「君はなんかできんの?」って聞かれたから、音楽、ロックが好きだって言ったら、「評論とか原稿書けんの?」って聞かれて、書けなかったけど書けるって言ったわけよ。「書けんじゃないですかねぇ。作文は得意でしたから」って言って。

−−わははは(爆笑)

大貫:そんなこと言ったら、おもしろいねぇなんて言われてね。結局女の子達は仕事もらえなかったみたいだけど。今野さんとか働いてましたよ。

−−今野雄二さん?

大貫:そう。『anan』準備室みたいなとこだったんだけど、今野さんは『平凡パンチ』にいて、手伝ってたの。それで、まぁ俺だけが声掛けられて…。ヤマハ楽器の渋谷店によく出入りしてたんだけど、そこでタイアップの輸入盤紹介っていうほんの4分の1ぐらいのコーナーで3枚ぐらい書かせてもらってたりしたわけ。

当時は編集部には色んな人が出入りしてましたよ。もう最先端の方々で、たとえば篠山紀信さんもそうだし、立木三郎さん、もちろん兄貴の(立木)義浩さんもそうだし、秋川リサとかも、もちろんおばちゃんじゃなくてまだ全然若いしね。川村都さんとかスタイリストの先駆けになる人とか…。『平凡パンチ』の表紙を描いてた大橋あゆみさんもまだ全然お元気で、彼女を生で見ましたからね。そういう時代。その中に松山猛さんがいらしたんですよ。今でもエッセイストっていう形で時々文章書いたり、テレビなんかにも時々お出になってますけどね。あのフォーク・クルセダーズの「オラは死んじまっただ〜」の詞を一緒に書かれた方ですよね。その松山さんに「『ミュージック・ライフ』に行くけどお前も一緒に行くか」って言われて、「ぜひ行きたいです」って言って『ミュージック・ライフ』に連れて行ってもらったんです。そこで当時の星加(ルミ子)編集長に、こいつそこそこできるんで、って紹介していただいて、じゃあよろしくお願いしますっていう流れだったんですよ。

それで仕事はいきなり東郷(かおる子)さんから直接お電話いただいたんです。『一枚のレコード』っていうコラムのコーナーがあって、ある程度文字数があったんですけど、たぶん2000字以上あったと思うんですよ。そんなの書いたことなかったけど、「できる?」って言われて「できます。」って言って。それでエマーソン・レイク&パーマーのファーストを取り上げたのかな。それが音楽の専門誌に書いた初めての経験。それから今度はレコード会社の人知ってんの?って言われて、全然知りません、って。松山さんも星加さんとかも、それじゃあ紹介してあげるわよってことで、東芝EMIの石坂敬一さんを紹介していただいて。当時まだ現場にいてかなり面倒を見ていただいて。それからできたばっかりのCBSソニーにも紹介してもらいましたね。68年ぐらいだと思いますけどね。

−−最初から評論家を目指してたんですか。

大貫:評論家を目指してたっていう意識は特にないんですけど、ただなんか好きなことをやれればいいな、と。

−−その頃から「ハードロックの大貫」っていうイメージでしたよね。

大貫:ハードロックっていうほどもないですけど。ブリティッシュ・ロックですよね。イギリスのロック。

 

2.60’sの影響をモロに受けた少年時代

大貫憲章3

--じゃあその前の話を聞かせてもらうと、ロックに目覚める前はどんな感じの子供でした?

大貫51年生まれですから、もろ60年代ですよね。物心ついて、テレビが来たのが小学校4年とかそういう時代だから。月光仮面、その世代でしょ。で、ベンチャーズ。エレキが上陸してきて…『青春デンデケデケデケ』(編註:ベンチャーズに影響を受けてバンドをはじめた四国の少年の青春を描いた芦原すなお原作の小説。映画化もされた)の映画なんていうのは、ほんと僕らの時代をとらえてるんですよね。だから、エルビスじゃなくて、エルビスは僕より10歳ぐらい上の方ですよね、今だと60代以上の方。僕らはちょうど物心ついて、テレビ文化の初期の頃で、小学生ぐらいじゃラジオとかあんまり聴かないから、まずマンガですよね。漫画本に夢中になってて、だんだん耳にそういう洋楽…当時ロックなんていう言葉はなかったですけど、洋楽系の外国の曲が日本語に訳されて、パラダイスキングだとか坂本九さんだとかそういうのを聴いてたかな。

--けっこう世代近いんだね。

大貫近いよ。ほとんど同じでしょ。だってエルビスよりかはやっぱビートルズでしょ、どっちかっていえば。

--もちろんそうだよね。

大貫若大将、ゴジラ・・・。そういう60年代っていうのは、俺にとっては今考えても、音楽史上、歴史的に客観的に見ても、最も混沌としていたけれども、特に道筋がなかったんで、いろんなものを同時に聴けたっていう良さがあるんですよね。今はもう、かなりもう対象が狭められて…。要するに音楽もかなり商品化されてるんでね。対象はある程度かなり設定してやってますよね。ロックの場合は、いわゆるロックっていう概念だけで、ポピュラー、ヒットポップス向きの45回転3分間シングルから、もっとアルバム単位のものまで、いろいろ生まれてきた時代じゃないですか。だから、そのドラマティックな見方があってるかどうかわからないけど、あの変化がね…あのとき60年代から70年代にかけて、こう一気に噴出してきたものが、いろんな形でかたまりはじめた時代があの時代で、それにつきあえたってことが…

--実はおれたち嬉しいよね(笑)

大貫うん、ものすごい自慢ですよ。だって、その時代に生きた人間しかわからない感覚だから。自慢っていっても別にほかの人を卑下するつもりは全くないんだけども、誇りって言った方がいいかもしれませんね。

 

3.学生時代は、学校さぼってGS追っかけ!

大貫憲章4

--イメージ的には大貫憲章は洋楽のロック人間ですよね。

大貫:今でもそうですよ。基本的に洋楽人間なんですけど。

--日本のミュージシャンとのつきあいっていうのはどんな風に?

大貫:それは実際はものすごく古くて、グループサウンズの頃ですよ。グループサウンズの時にもう楽屋行ってた人なんで。

--そうなんだ。

大貫:そうです。安岡力也さんにちょっと脅かされたりとかさー、そういうコワイ思い出も(笑)

--あはは(笑)

大貫:最初に見に行ったのがシャープホークスと、俺の好きだったアウトローズ、後のビーバーズなんだけど、それを新宿アシベに見に行った時が最初で。だから、最初見たバンドはその2つですよね。

--それって中学生ぐらいですよね。

大貫:中学から高校にかけてですね。中3ぐらいですね、だいたい。

--東京のどこにいたんですか?

大貫:小平です。高校は府中で、もう一人バンド好きな奴がいたんで、学校終わる頃にそいつと2人で制服のままカバン持って(笑)、新宿アシベとか行くわけですよ。昼は学校で見れないから夜の部。どうしても見たい時は時々学校ふけて行ったときとかありますけど。テンプターズとかね。新宿アシベ、銀座アシベ、それからラセーヌ、横浜プリンス・・・もういっぱい行きましたね。

--日本のミュージシャン追いかけてた時もあるんだ(笑)

大貫:ええ、ありますよ。GSから始まって「はちみつぱい」とかその辺の、洪永龍の「乱魔堂」とか。

--男でGSファンって当時あんまりいませんでしたよね?

大貫:あんまりいませんでしたね。女の子ばっかりで。よく言われましたよ。「あんたたち何?ボーヤ?」って。ボーヤってのはローディのことなんだけど。モデルくずれのねえちゃんとか来て、ショーケンのテンプターズが出た時、楽屋も女の子とか入れないのになんか入ってるねえちゃんがいてね、俺の方に来て「あんた何?」「いや、僕は入れていただいて。対バンのビーバーズの方なんですけど」「あぁそうなんだ」って話して、「テンプターズのどこがいいんですか?」って聞いたわけ。「どういう曲が好きなんですか?」「曲?曲、関係ない。顔よ、顔」って(笑)。あー女の子ってそういうんだなって。今もたぶん変わってないんだろうなって。女の人と男の人と聞く観点が違う。俺達はすぐ、クリームのあの曲はどう、あの間奏の部分はどうやってる、とかってことを聞くわけですよ。

--確かにそうだけど、楽屋まで行く男のファンっていうのも、なかなかおもしろいよね。

大貫:それは最初から楽屋だったんですよ。友達がそういう奴だったんで。一番最初ライブに行ったのも入り口は楽屋から。友達がバンドをよく知ってたんで、「もうおまえ金払わなくて大丈夫だから。始まる前に行くんだから」とか言って。「えーそうなの」って言って。機材車が来たら一緒に手伝うからって。

--それは、純粋に音楽的興味で行ってたの?

大貫:そりゃそうですよ。まぁ好奇心だよね。GSってのは見たかったんで、僕はお金払ってもいいと思ってたけど、いや、金払わなくていいよ、メンバーも紹介できるし、って言われて。で、いきなりもう楽屋ですよ。客席で見た回数のが少ないですもん。

 

4.バンド「東京ヤードバーズ」から評論家「クイーンの大貫」へ

大貫憲章5

−−音楽的にいうと何がきっかけで音楽に目覚めたんですか?

大貫:うーん、具体的にっていうと難しいんだけど、最初はやっぱりエレキですよね。当然60年代の。次はずーっとしばらくたって、今度はイギリスものとかよく聞くようになってきて…サイケデリック、クリームとかジャニス・ジョップリンとか要するにウッドストック、あの反戦とかああいう時代。大学も僕70年に入りましたけど、一浪してたんで、ちょうど全共闘のあのすごい嵐が吹き荒れた後ですよね。安田講堂の攻防をテレビでボーっと見ていたような人間ですから。いわゆるノンポリでしたから。音楽でその頃流行ってたのはジミ・ヘンドリックスとかそういうウッドストック時代の音楽ですよね。それから、70年代は…やっぱりクイーン。クイーンを知ることによって、その自分が音楽評論家として、「クイーンの大貫」って言われるようになりましたから。

−−パンク・ムーブメントのときはやっぱり衝撃を受けた?僕なんかそれで会社やめちゃったけどさ(笑)

大貫:パンクは76年ぐらいですよね。僕は実はね、70年代の中期にね自分でバンドを始めたんですよ。

−−バンドなんかやってたっけ?

大貫:やってたんですよ、75年ぐらいに、「東京ヤードバーズ」っていうのをはじめて。

−−わはは(笑)。

大貫:要するに、クイーンとか今のロックは難しすぎて、俺達にはできないと。で、もっと簡単なロックンロールをやろうということで、ヤードバーズ。かっこよかったからね。そうはいうけどヤードバーズも難しいんだぜ、なんて言いながら(笑)。で、最初は「東京ヤードバーズ」。それからDr.FEELGOODが出てきて、すぐに「東京ドクターフィールグッド」になって。これめっちゃくちゃかっこいいよ〜って、いわゆるパブロックがあって。で、その後すぐにパンクっていうのがどうもあるらしいっていうのを聞いて、で、向こうのファンジン、個人が出してるインディーズマガジンですよね、それを手に入れると、全然知らないアーティストがいっぱい出てるわけですよ。『ニューヨーク・ロッカーズ』とかね。ラモーンズが表紙の『PUNK』マガジンとか。こういうのは全然『ミュージック・ライフ』には出てねえなとか思いながらそっちの方にのめり込んでいって。

結局、最初の衝撃はやっぱりピストルズですよね。ピストルズの音聞いて、ビデオで映像見て。最初見たのは今野さんがやってた10チャンネルの番組だったんですけど、あの映像見てぶっ飛びましたよね。それからダムドが出て…

−−評論家やってて、自分が好きないいと思う音楽を広めたいと思ってたわけだよね。

大貫:もちろん。それは今でもそうですけど。

−−僕がびっくりしたのは、ある時期から評論家からDJに仕事が移行してきたでしょ?あれもパンクに衝撃を受けて、とかそういうことなの?

大貫:ああ。あれは変えたというよりも自分では自然になんかそうなっていったっていう感じで・・・NHKの『若いこだま』っていうのをやらせてもらったのが一番最初のラジオなんですけど、それでしゃべりもしてましたから。

−−その頃って渋谷陽一もDJしてたんだっけ?

大貫:そうですね。ほとんど同時期ぐらいに始めましたね。彼は『サウンドストリート』とか。ちょっと僕より後ですけど、ほとんど同時期ぐらいにはじめて、そういう点では自分で意識的に変えたっていうよりも、来る仕事を拒まないでやってたらそうなったっていう。

−−普通にラジオでしゃべるっていうのは、それまでもあったし、そこまで変わったっていうイメージはないけど、しゃべるDJじゃなくて、その次は・・・新宿の歌舞伎町のツバキハウスだっけ?

大貫:歌舞伎町じゃないんだけどね。靖国通りに面したテアトルビルっていうのがあるんだけど、そこに『ファッションディスコ・ツバキハウス』っていうのがあったのよ。かに道楽の下ね。

−−そこで、S-KENとかもやってたよね。

大貫:ああ、やってたよ。

−−で、その辺と前後して、そこで始めたわけですよね。

大貫:S-KEN達のがバンドは早かったよね。東京ロッカーズの中だから、79年とかそのぐらいですよね。だいたいそのぐらいですよね。フリクションとかも。トリオレコードがまだあった時で、かなりあそこに結構硬派な人がいて…

−−S-KENとか東京ロッカーズはストリートムーブメントみたいな感じでやってたんだけど、憲章さんは、『若いこだま』とかNHKとかでしゃべってるときは普通の評論家然としてたのに、いきなり「街」に来ちゃったじゃないですか。

大貫:いやもうそれは自然な流れなんですよ。それでね、1980年1月にCLASHの『ロンドンコーリング』っていうアルバムが出るんですけど、そのアルバムのツアー、要するにレコ発ツアーみたいなもんだよね。そのツアーに同行したのがDJはじめるきっかけになったんですよ。

 

5.CLASHイギリスツアー同行でDJに目覚める!?

大貫憲章6

大貫:ツアー・タイトルは昔のテネシー・アーニー・フォードの「SIXTY TONES」って曲からつけられててさ、労働歌だからホリゾント(カキワリ)もそれらしく工場の三角屋根のシルエットのやつで凝ってるんだけどさ、このツアーに当時の所属先のソニーの野中規夫が行くっていうんで、俺も連れてけって言って、2人で行って、スケジュールの都合でロンドン公演は見れなかったんだけど…見たんですよ。シェフィールドとかブラックプールとか北の方の地域でね。2ヵ所同行してついてまわって。

−−それは、かなりくるでしょうね(笑)

大貫:うん。だって同じ車だからね。メンバーが横にいるんだよ。ジョイント巻いたりして、「You?(君もやる?)」なんて言われたけど、俺はそういうのとかやんない方だったから「Oh Sorry! I am NO SMOKE」「Sure, OK, OK!」なんて言ってさ・・・あとで向こうでやっとけばよかったなんて思ったんだけど(笑)。でも、そしたらなんかお菓子くれたりしてさ(笑)子供みたいになんかチップスかなんかいっぱい喰いながら。

−−あはははは(笑)

大貫:そいで俺がいて向かい側にベースのポールがいて。ポールの当時の彼女が乗ってて、こっち側の隣にミック・ジョーンズが乗ってて、ポールがカセットでレゲエかけてて…、あいつ絵が好きだから今でもペインターの仕事してるんだけど、カセットに全部迷彩みたいな色つけたりラジカセ自体もいろんな色つけたりしてて。「これどうしたの?ユーカラー?」なんて言ったら、そいつが「YEAH. I paint」なんて言ってたんだけどさ。俺のたどたどしい英語で少し会話しながらね、どんな曲が好きなんだって聞いたら、ほとんどはレゲエとスカとあとちょっとロカビリー、エルビス・プレスリーとかなんかでさ、「Oh I Like It!」とかそんなような話をしてて。要するにルーツミュージックだということで、いいなぁと思って。

−−ずいぶん、変わったでしょ。その辺の体験は。

大貫:それは、当然変わりますよね。

−−すごい体験だよね・・・。

大貫:それでね、そのツアーの時に、SEの代わりに生のDJがついてたんですよ。バリーってやつがやってて。たしかバリー・マイヤースだったと思うんだけど・・・詳しくは『ロンドン・コーリング』のライナーに書いてありますけどね。そいつが実際のDJキットを持ってて、(レコードを)かけるんですよ。ほとんどシングル盤だったと思ったけど。それもレゲエがほとんどで、スカ、レゲエ、あとロックンロール・ロカビリーがちょっとあって…それがなんともかっこよく見えたんですよね〜。生でやってるというのが。客はそんなに踊ってるわけじゃないですよ、まばらだし。要するに客入れの時の曲だから。でも本人は黙々と別に踊ろうが踊るまいがどんどんやってるわけですよ。仕事だってこともあるでしょうけど、自分で楽しみながら、こんなんなって踊りながらね。かっこいいなぁーとか思って。で、スタッフだけは踊ってるんですよ。暇なスタッフは袖で。ナイス!ナイスなんて言いながら。で、メンバーも時々出てきてもっと違うのあれやってくれとかって言ってて。これって結構かっこいいなとか思って、東京へ戻ってきて、そういうのやりたいなっていう気持ちがあったんです。そこに偶然『anan』で仕事してた編集部のやつが西麻布の『トミーズ』っていうショットバーにはDJやってるやついるよって言うんで、連れてってもらって。たしかにDJやってたんですよ。

−−それが最初のDJ体験?

大貫:それで、『トミーズ』のオーナーのトミーさんに紹介してもらって、DJやりたいんだけどって言って。「わかりました、この人の紹介だったらいいでしょう」みたいな感じでやることになって。で、まぁこっちは素人だから、そういうことに関しては迷惑かけないようにしますって言って。で、「どんなのやるんですか?」「僕はイギリスものが好きなんです」って言ったら、「あっそっか」って。その店はどっちかっていうとソウルものが多かったんだよね。

−−だいたい店って、そういうもんが多かったじゃないですか。ブリティッシュロックをかけるようなDJスタイルっていうのはなかったよね。

大貫:ロックっていうのがだいたいね。ロック喫茶以外ではね、ショットバーとかではないですよね。

−−そういうとこではだいたいブラックですよね。

大貫:ブラックですね。ソウルがほとんど。9割がた。だから、俺がそこに入って、アダム&アンツとかクラッシュとかかけると、やっぱりさ、雰囲気はおかしいんだけど、まぁ、トミーは許してくれて。で、それを聞きつけたのかわかんないですけど、『ツバキハウス』の当時のジェネラルマネージャーだった佐藤さんがお客で来てて、うちでやってくんないかっていうことで、まぁツバキは何回か行ったことあったけど、あんなでかい所でいいのかなとか思ったんだけど・・・。

 

6.新宿ツバキハウスにLONDON NITE!!

大貫憲章7

−−ツバキはパンクにいっちゃってたんですか。

大貫:別に全然なんにもいってないんですよ。昔は平日でもいっぱい入ってたんですけど、行ったときは客はガラガラで、かつての勢いは全然なくて、俺は最初、月曜日か火曜日かどっちにしてもウィークディの担当してたけど、40、50人いればいいほうですよ。かつては数百人が満員で、週末だったらね5〜600集めたとこなのに、さびしいなと思いましたよ。でもそんときは俺はやらせてもらえるだけで嬉しかったんで。当時のツバキハウスはダンスミュージックとかが流れていて、お客も箱についてる客ですよね。それとDJの知りあいとか、そういうやつがそれでも10人ぐらいは踊ってるんですけど、俺がクラッシュとかかけはじめると、それまで踊ってた人がどんどん1人欠け2人欠けしていって、最後は誰もいなくなるんですよ、俺がかけると。

−−うん(笑)

大貫:そうすると、俺の方は別にあんまり気にしてないんですけど、店の人がね、やっぱりDJが悪いと思うのか俺のこと気使ってるのかわかんないんだけど、「大貫さん、じゃ自分が替わりますよ」とか言ってきて、「あーそう?じゃあわかりました」なんて言って。で、またすぐディスコがかかるとまた客が出てきて、ま、少ない客が少ないながら踊ってたんです。ある日ね、佐藤さんが直接現場を視察しに来て、俺がちょうどやってなかったんですよ。それでディスコがかかってたんです。そしたら、いきなりブースに入ってきて、「何やってんだ!今日は大貫さんの日だろっ」「そうですけど、大貫さんの時間はまだなんで」「何言ってんだ、全部こんなのかけんじゃないよ!」って言ってくれて。中途半端が一番まずいから徹底しなきゃだめだ、って。今来てる客全部いなくていいから、新しい客をとればいいって言ってくれたんですよ。俺はすごい人だなぁって思って。なかなか言えることじゃないですからね。まああれは一つの賭けだったと思うんです。時々佐藤さんともそんな話しますけど。「佐藤さん、あの時すごかったですよね」って。だって、 DJに喝入れてましたもんね、怒ってましたから。「余計なことすんじゃねえ、おまえらは!大貫さんの言うとおりやってればいいんだ」みたいな感じで。それで俺も責任感じちゃって、編集部のやつだけでもサクラで呼ぼうとか、そういう風になって。

−−全員、気合い入っちゃったわけだ。

大貫:うん。まぁでもおもしろく思わないやつもいたでしょうけどね。でも佐藤さんがそう言ったからみんな変わって、じゃ大貫さんにまかせようってことで、俺は一所懸命やってたんですけよ。でも笛ふいても踊らないですから、半年ぐらいそういう厳しい状況が続いて。でも、ツバキも色々対策してくれて、割引カード作ったり、近くにちょうど文化(服装学院)とか専門学校生がいて、当時ってメシ食えるんですよね、ディスコは。だから、そういう連中を獲得しようってんで、早い時間5時までに入ると500円割引とかいうようなことをやると。で、メシも食えると。そういうようなサービスを、とにかく色んなことをあの手この手でやってくれて、広告もうってくれたり、『anan』でも「ツバキハウスが変わった!大貫憲章のDJで今ロックがバンバン盛り上がってる!」みたいに取り上げてくれたり。ほんとは全然盛り上がってないんだけど(笑)、みんなやってくれたりして、毎週みんな代わる代わる来てくれたりして、そうですねぇ、年末にはぞろぞろ客が来るようになって1年後には結構来てましたね。もう満杯、平日だというのに。300、 400ぐらいは来てましたね。

−−「LONDON NITE」っていう名前いつからなんですか?

大貫:最初から「LONDON NITE」ではあるんですよ。それは店長が「大貫さん名前何しますか?」っていうんで、「特に考えてないですけど」って言ったら、「大貫さんロンドンが好きなんですよね」「ああそうっすね」「じゃあ『ロンドンナイト』ってのはどうですか?」「別にかまわないですけど」って。ただ、「NIGHTっていうのを NITEにした方がおしゃれでいいんじゃないですか」って、「ああいいですね」って。今ロミオとか色んな箱やってるナイツって事務所の増田君が当時の店長さんで、彼が提案して俺がアグリーしたんです。そんときからずっと「LONDON NITE」だったんですけど、(客が)入るようになったのは1年ぐらい経ってからで、そこで7年やりましたね。

−−7年やった・・・。うわぁ。すごいね。その後の流れは?

大貫:7年やって、ツバキが閉めることになったんで、しょうがないなってことで・・・ちょうどお客さんもいっぱい来てくれてたし、まだ自分でもやりたいなって思ってたんで、他に場所探して。

−−それは週1で?

大貫:週1で。週1でどっかやれるところないかっていうんでいくつか場所を転々としましたけど。渋谷の、今はもうないですけど「ホットポイント」とか、西麻布の「P.PICASSO」。あそこももうないですね。それでだいたい10年・・・8年ぐらい前に、「wire」の前身の「ミロスガレージ」にいって。

−−「レッドシューズ」ではやってなかったっけ?

大貫:レッドシューズでは、俺が好きでかけてた時はありましたけど、あれは「ロンドンナイト」ではないですね。「CLUB D」で少しやったことありますけどね。「ロンドンナイト」はそういう形で変遷して、新宿にまた戻ってきて、ほぼ8年ぐらいたちますね。

 

7.ロンナイ=バイオレンス時代

大貫憲章8

−−客層はどんな感じなんですか?

大貫:客層は若いですよ、相変わらずね。入れ替わってるから。

−−新陳代謝があるわけだね。

大貫:うん。新陳代謝でね、まぁさすがにだってさ、俺は年長の人にも来てほしいんですけど、やっぱ来にくい。もうね、音楽も変わっちゃってるし、あと一緒に行く奴もいなくなると来なくなっちゃうんだよね。特に女の子なんか友達が行かなくなると、あと男ができると行かなくなりますよね。てきめんに。要するに、他の娯楽があると来ないんですよ。

−−やっぱりお客さんはパンク系とかコワイ人が多いのかな?

大貫:たしかに、うちのロンドンナイトに来る奴はまぁ体中に絵が入っちゃってるやつとか、お勤めいっちゃってる奴とかもいるんですけど。でも「おまえら、ここで暴れたらどうなるかわかるだろ」って言えばわかるんですよ。暴れたら出入り禁止になるってことはおまえの行く道は場所はないぞ、と。一人じゃ楽しくないだろって。で、暴れたらおまわりに捕まるし、もしあっちの業界の方に行っても、あっちの業界だってかなり厳しいじゃないですか。みんなが組長になれるわけじゃないしね。それは、株式会社と同じですよ。だから、そしたら普通の頭で考えれば一般的な考え方として、人とうまくやって折り合いつけて、自分の人生として受け入れて、まぁ時々暴れることはあっても、やりすぎないっていうか、やっぱり人間としての常識っていうかね、最低の部分は社会人として守らないと。人間として、はみ出したら行く場所は一つしかないんで。だから、そうなったらおしまいだぞ、って言えば、だいたいの人はわかりますよ奴らは。ロンナイに来れなくなっちゃったら、俺ら行くとこないっすよってよく言ってますけど。どこも出入り禁止ばっかりで行って暴れてばっかりいますから。だから、暴れてて頭ごなしに怒っちゃうのは簡単なんですよ。もちろん俺も怒りますよ。怒りますけど、まず理由聞いて、むかついたからって言ったら、じゃあなんでむかつくんだよって。喧嘩なんか理由ないんですよ、基本的に。だから、むかつくで片づいちゃうんですけど。

−−ロンナイってそういう場面もあるんだ?

大貫:ありましたよ、多々。今まではね。最近はもう時代が違ってるんで、最近はないですね。一時はロンナイ=バイオレンスみたいな時代があって、それこそ自分でもね、そんなんでいいのかな、ていうかね、その頃は僕もこんなに大人じゃなかったんで、ただオロオロしてただけですけど、ま、ある程度この10年、35以上過ぎると・・・、だから29の時からはじめて、で、49で20周年でしたから、ま、もうじき僕今月(2月)22日で50になりますけど、昔はほんとに自分でもまだ経験途上だったので、そういう子達に対して対応できなかったんだけど。

 

8.20周年ロンドンナイト@zepp東京の裏話

大貫憲章9

−−去年の暮れに「ロンドンナイト」20周年の記念イベントがあったじゃないですか。あれ、行きたかったなぁ。俺の知りあいでもけっこう大貫さんを先生とか言ってる若いDJ系がいるわけですよ。

大貫:そりゃあいるだろうけど。

−−20周年っていうのをzeppでやるんだってきいてね。

大貫:今回はバンドが多いし、もちろんzepp以外でもどこでもできたんだけど、今うちの若手で頑張ってるDJのヒカル君とかが、やっぱりロンドンナイトは基本的にDJイベントだから、あんまりその、横浜アリーナとかそういうとこでやっちゃだめだって言われてね。俺もたしかにそうだなーって。規模としては13バンド14DJだから、もう全然横浜アリーナでもどこでもやれたんだけどね。

−−どこまででもでかくできるんだね。

大貫:その気になれば全然できますね。バンドとの絆も俺が長い間かかって築き上げたっていうか、できたもんだし、まぁ俺だけじゃなくてまわりの人間も含めてなんですけどね。だから、ミッシェルガンエレファントとブラフマンとバックドロップボムが一緒にステージに立つってことは、まず今後もたぶん2度とないんじゃないかなと思うんですよ。だから、俺のイベントだからみんな出てくれる、ギャラもほとんどめちゃくちゃ安い法外な足代ぐらいで出てくれてるんで。

もっと他にはね、マグミのレピッシュとかデラックスとかも出たいっていう話は聞いてたんだけど、時間に限りがあるんで、お断りせざるをえない人もたくさんいたんですけどね。

−−20年かけてやってついてきた人たちの中に、第一線のミュージシャンがいっぱいいるってことだよね。

大貫:いっぱいいますね。

−−強力だなこりゃ〜。

大貫:やっぱ20年やってるとね。

−−行きたかったなあ。

大貫:まあビデオも出ますんで、宣伝ですけど。よろしくお願いします。売りビデオが出ますから。

−−いつごろ出るんですか?

大貫:出るのは一応春過ぎ、5月か6月ぐらいかな?まぁ準備が色々あるんで。ロンドンナイトのCDはもう出てますよ。

−−洋楽CDなんですか?

大貫:洋楽と邦楽が混ざってんの。洋楽は出してるところはワーナーミュージックのインディーズ系の別会社のGRMっていう永島氏がやってたとこなんだけど。

−−ワーナーインディーズネットワークの?

大貫:そうそう、流通は結局そこでやってるんだけど、企画してるのはGRMで、販売してるのはワーナーインディーズ。

−−権利関係は?

大貫:権利関係は洋楽に関してはイーストウエストとワーナーのものしかとりあえずやってない、使えないから。邦楽はミッシェル(〜ガンエレファント)入れたりラフィンノーズやモッズ入れた、鮎川くんのシナロケ(シーナ&ロケッツ)とか、古い人ではね。新しい若いとこでは、ハスキング・ビー、ブラフマンとかハイ・スタンダードとかそういうのは俺が交渉して、ちょっと入れろよってね。

−−それ、すごい力だよなー。

大貫:力というか、まぁ友達だし、半分力技もあるんだけど、ちょっとおまえ入れとか言ってね。でもそういうのもあるけど、よっぽどのことがないかぎりは向こうもいいですよっていうことで。

−−すごいよねぇ、それは人徳なんだね。

大貫:まぁ長くやってきたからね。

 

9.業界人ほど音楽を知らない

大貫憲章10

−−でも、そんだけ長くやってると、自分の中でしっかりしたその使命感みたいなのが生まれてくるんだろうね。

大貫:使命感っていうと大げさですけどね。でも、ロック伝道師だと思ってますから。(伊藤)政則はメタル伝道師ですけど、俺はもっと幅広くロックを伝道するという意味では、いろんなメディアを通じて現場でやりたいと。あくまで現場でね。

−−そういう気持ちが確立した時期っていうのは?

大貫:それはもうツバキが終わる頃にはそう思ってましたよね。思ってなければもうそのまま終わってましたよ。その頃はまあロックを伝道するというよりは、もっとやりたい、DJはおもしろいからなんかやりたいと思ってたんだけど。

−−その辺からもう、音楽業界で仕事してるっていうイメージじゃなくって、ちょっと違ったスタンスの人だというイメージだったよね。

大貫:音楽評論家っていう肩書きは、みんな違和感があったんじゃないですかね。俺はそんなこと全然考えたこともないんだけど。まわりの人はそうかもしんないですけどね。

−−そのころの仕事としてはDJやるわ、伝道師はやるわラジオの番組はやるわで・・・

大貫:当時のラジオ日本「全英トップ20」とかだね。

−−あとは、普通の評論もやってたしね。

大貫:そう。ライナーノーツとか、まだいくつか書ける雑誌がありましたからね。今書けるところはほとんどないですよ。『FMファン』か『WARP』ぐらいで。

−−20年も続けてたら、完全に社会に影響も与えてるし、業界の見え方、つきあい方も変わってきたりしますか?

大貫:いやあ、レコード会社の中でも僕が「ロンドンナイト」やってるの20周年で初めて知ったっていう人も多いですからね。聞いたことはあったとかね。俺が一番思うのはね、意外とレコード会社の人ほど自分の担当のもの以外関心ないから音楽知りませんよ。だから、ブラフマンとか言っても、子供たちはもう大騒ぎしてチケット取るし、ブランキージェットシティだって出たときなんて誰もほとんど知らなかった。俺はブランキーなんか昔から知ってるんですけど、モッズにしてもそうだし、今だとブラフマン、バックドロップボム、ハイスタ、ミッシェルガンなんかもそうだけどさ、最初の頃から、彼らがバンド作ってしばらくしてぐらいから、みんなずっとつきあいがありますから。

−−日本のミュージシャンてっていっても、どっちかとういうとその・・・パンク系、要するにストリート系だよね。

大貫:パンクっていうか・・・そうですね。いわゆるストリート系ですね。まぁ「ロンドンナイト」自体がストリートのクラブですから。共通点はそういうところでしょうね。だから、メジャーも相手にしてくれないですよ。うちらもバンドと一緒ですよ、だからレコード会社行っても「ロンドンナイト」って知らないし、それと同じで、(バンドと)立場がまったく一緒だったからじゃないですか。目線が常に一緒だから。

−−洋楽では今流行の曲とか・・・オアシスとかもかけるわけ?

大貫:オアシス?かけたりもしてますよ。

−−新旧織り交ぜて流すわけなんだね。

大貫:新旧、洋邦全部取り混ぜて。DJまかせだから、ヒップホップかけたいDJはヒップホップかけるし、たまたまディスコとかハウスとかかける奴がいないだけの話で、みんなとりあえずクラッシュが好きってのが基本。クラッシュやジョニー・サンダースとかそういうパンクが好きっていうのが基本で、レゲエ専門の奴とかスカ専門の奴とかいますよ。

−−DJっていうのはどういう人たちとやってるの?

大貫:DJは俺が「ロンドンナイト」やってるなかでつき合ってきた仲間や、あと客ですよ。それこそ10何年前に来てた客が今はDJやったりバンドやったりしてるから、だから、やりやすいんですよ。ヒロトとかもそう。ヒロトはブルーハーツができる前から、コーツっていうバンドをやってた時から知ってる。今DJやってる藤井悟ってのが昔は俺の客で、MODのイベントやったりしてた奴なんですけど、そこにヒロト君連れて来たのが最初。こいつ、ヒロトって言って踊りうまいんですよ、なんつって。ほんとに踊りうまかったんですよ。バンドやってんです、とかいってね。マグミなんかも来てて、レピッシュもまだ明大の学園バンド、音楽サークルのバンドで、渋谷の屋根裏かなんかにちょこちょこ出てた段階ですから。だから、あの頃まともにちゃんとバンドやってた連中はスターリンとか・・・。ちょっと古いですよね。だからその後出てきたバンド、チューヤ&デラックスとかもロンドンナイトの客だったし、だから、歌詞にもちゃんとそういうの入れてくれてるんですよね。

 

10.あくまで現場主義がモットー!

大貫憲章11

−−20年、ずっとひとときも休まずに毎週やってる?

大貫:うん、移転の時に多少1カ月あいたとかそんくらいありますけど。基本的に全然休んでないですね。

−−うわ〜!

大貫:だから1000回記念とか2000回記念とかそういうのわかんないんですけど。

−−常にそういう若いキッズたちと真剣に向い合ってやってきたんだね。

大貫:真剣にっていうか、自分がおもしろいものは奴らもおもしろがってくれるから。

−−普通、こういう歳になると若い人とは接しないじゃないですか。

大貫:まぁ、普通の人は接する場所がないですからね。俺だって「ロンドンナイト」やってなくて、ラジオやってなかったら、たぶんそういうことはないと思いますけど、たまたま自分が好きでこういうことやってたからね。

−−ラジオでも投書があって話したりするだろうしね。

大貫:ええもちろん。現場主義ですから。

−−クラブでは裸で汗が飛び散るところでやってるわけだからね。

大貫:そうですね。やってますね。

−−エネルギーすごくいるんじゃない(笑)?

大貫:エネルギーはいるんで、昔みたいにずーっといるってことはできませんよ、はじめっからね。昔は入りが5時で、朝の5時まで12時間いたときもありましたけどね、始めの頃は。今はもう4時間が限界ですね。もう、つかれた、帰るからって。さすがにいられないね。だから、俺がまわす時間は今は遅いですよ、深夜2時からだから。

−−それもまたすごいよね。

大貫:まあ「風営法」のこともあるんで、これはあんまり言えないんですけど(笑)、ほんとは一応11時半で終わらなきゃいけないんだよね。そんな店どこもないですけどね。いずれにしても、トータルでかけてる時間は、最低1時間はかけますけど、体調によって、とか、あと気分によって、1時間半とか1時間でやめちゃったり、平均すると1時間15分から20分ぐらい、80分ぐらいはかけてます。

最近歳になったなと思うのは、昔は客に喜んでもらえればいいと思ってたんだけど、今はそれだけじゃ満足できなくなってきて、この10年近く、だからもうロンナイの半分くらいになるんだけど、やっぱりルーツっていうかロックをもっと広い意味で知らせなきゃいけないっていう気持ちになっていて。ただそれはなかなか実践するのにちょっと勇気がいってたんだけど、もうこれくらいの歳になると当たり前だろって感じになってきた。おまえオヤジだろって言われても、「おうオヤジだ!」って言うから。全然オヤジだぜって。おまえんちの親父と比べてもたぶん俺のが上だぞって言って、「親父の言うことはきかなくていいから俺の言うこと聞け!」とか言って。

−−わははは。それいいなぁ〜〜(爆笑)

大貫:で、これ聴け!っていって「ボブディラン」。で、客いないんですよ。かけてもボブディランとかいっても、みんな知らないから。最初はあれですよ、全然みんな聞いてないし、ブルーチアーとかガンガンかけるんすよ俺。イギー・ポップとかね。時代を追って、カントリージョー&フィッシュのあの「Fixing To Die Rag」とか、これはベトナム戦争の歌だぜ、とかね。おまえら、ベトナム戦争とか全然知らないかもしんないけど、昔そういう戦争があったんだよ、って。

−−店で語るんだ?

大貫:マイクでいっちゃいますもん。マイクでバリバリしゃべって。で、「声が小さいー!」とか言ってますよ。

−−まさに伝道師ですね。

大貫:「オーイェー!」とか言って、「楽しいかー!」とか言って。シーンってしてると「楽しくねーのかよー!」とか言って。そうすっと、「楽しいー」って。「声が小さい。もう1度!」つったら「楽しい〜〜!!」って言って。そういうことをやらせるんです(笑)。だから、そういうようなことは、ま、俺にとっちゃバンドと聴衆がコール&レスポンスするのとおんなじで、DJもそうやってもおかしくない。ま、そのやりたい人とやりたくない人がいると思うんで、俺はどっちかっていうとしゃべりたい方なんで、歌って踊れるDJっていうのが前は看板でしたから。歌って踊りもするけど、最近は説教もする、と。

−−なるほど(笑)

 

11.クラブシーンの中でのロック

大貫憲章12

大貫:だからクラブっていう所がね、勉強っていうか、単なる一過性の楽しみに過ぎるものじゃなくてね、やっぱり何かしら引っかかるものがあって、そこで新しい曲を覚えたり、いろんな出会いがあったり、音楽であり人でありね。そういう空間だと思うんで。そこがディスコと違うとこだと思うんですよ。ディスコは常に盛り上げてなきゃいけない所だけど。

−−ロックのDJはやってる人が少ないからね、これはとっても重要な仕事になってるってことですよね。

大貫:やってる人はたぶんいませんよね。できないと思うんですよね。ロック以外だと別に語らなくてもいい音楽が多いですからね。

−−俗にいうクラブ系だとかDJが脚光を浴びてるのは、全部ロックじゃないでしょ。

大貫:そうですね。ヒップホップとかは、あれも一つのメッセージですけど、テクノとかトランスになると、あれはもう、なんていうんですかね、まさにトランスですから。

−−現状ではほとんどがそういうクラブ系のシーンのような感じがするんですけど。

大貫:そうそう。

−−DJ選曲家協会とかね、その辺の仕事をプッシュしようっていう動きはありましたよね。

大貫:ああ、そうでしたね。でも俺は別に組織にしようとか全然思ったこともないし、自分の楽しみの連続で、要するに音楽がいかに楽しいものであるかっていうのを、身をもってみんなに伝えたいっていうのが一番。それは、ずっと今でも変わらないですよ。

常に現場主義がモットーだと語る大貫氏。「ロンドンナイト」を20年間に渡って週一回ペースで休むことなくひたすらやり続けている姿勢からは、ハンパじゃないロックへの情熱がビシビシと感じられます。「ロンドンナイト」が単なるイベントの枠に収まらず、一つの音楽シーンを築きあげるまでに成長したのは、まさに氏の業績であり、ロック精神の賜物です。編は、大貫氏が日本の音楽業界を隅々までメッタ斬りします!業界人の皆さん、心して読むべし!!

 

12.洋楽のシェア下落の根底に流れているのは…

−−最初にそういうふうに(音楽が楽しいものだと)思ったきっかけってどんなことだったんですか?

大貫:それは、どこで教えてもらったかっていうと、エレキなんですよ。エレキを初めて聴いたときのショック。こんなものが世の中にあるのか。って。テケテケテケテケ…を聴いたときに、あと、ワイプアウトのドンドンツドンドンとかあんな3連(ドラム)とかめっちゃくちゃかっこいいって思ったのが今でも・・・

−−刷り込まれてるんだ。

大貫:今でも常に鳴ってるんですよ。それと同時にセックス・ピストルズの「ゥラィト!」っていうのもこんなか(頭)に入ってるし、だからもう全部ロックンロール。あと、エルビスも後から聴いてね、やっぱりすごいって思うし、ボブ・ディランも最初聴いたときはわかんなかったですけど、しわがれ声でつまんねえなって。でも『LIKE A ROLLING STONE』を聴いて、これはちょっとロックだなって思ったりして後から聴くようになったりしてね。(小倉)エージさんに「遅いんだよ、大貫は」なんて馬鹿にされながらもね(笑)。だから、若い子達は、たぶん今聴いてあまりわかんないと思うんですよ。でも、いずれわかるやつがたとえば100人いて一人いればいいと。100人中100人にわからせるのはそれはムリですけど。

−−でも誰かが・・・

大貫:そうそう。誰かがわかってくれればよくて、こんだけ多様化してるんですけど、基本的に音楽の楽しみっていうか良さは一つだと思うんですよね。「心に訴えるか、訴えないか」の問題だから、それを洋楽がどんどんシェアが減ってるとか、そういうようなことだけでね、理不尽に聴かれなくなってるっていうのはね、露出の問題とか色々あるんだろうけど、俺はやっぱり気持ちの問題だと思うんだよね。やっぱりやっていこうってする人の気持ちがないと、聴く方は、聴かないですよ。

−−アメリカだと例えばウルフマン・ジャックとかさ、ラジオのDJ聴いて育ったとか、いるわけでしょ。

大貫:そうですね。(イギリスだと)BBCのジョン・ピールとかね。

−−日本にも昔はカメさんがいたし。

大貫:ええ。いろんな人がいましたね。亀淵(昭信)さんとか八木(誠)さんとか桜井(ユタカ)さんとかもういろんな人がいましたよね。

−−どっかで切れちゃったんだね、これは。

大貫:僕は八木誠さんが非常に好きだったし、おもしろかったんですけど、ほかにも高崎一郎さんにしても、もちろん土井まさるさんにしても、音楽番組ね『まだ宵の口』とか、『9500万人のポピュラーリクエスト』とか。

−−さっき厳しい話が出たけど、結局そのレコード会社だけじゃなくて放送局もあるんだよね。

大貫:だから放送局も同じなんですよ。放送局の現場も今若い子だとわかるんですけど、俺がたとえば、ブラフマンは今すごい人気があるんですけど、TOSHI-LOWをゲストに呼んだことがあるんですよ。あと、バックドロップボムのタカっていうボーカルも。そいつら呼んでた時は、放送局の人は誰もわかんなかったみたいで、デリバリーボーイかなんかかと思ったらしいんですよ。ほんで、あとになってから、「大貫さんとこバックドロップの人、来たことあるんですか!?」とか言ってきて、「一番最初のゲスト、バックドロップだよ」とか言って、それと「コブラ」っていうバンドがあるんですけど、コブラが東芝EMIで洋楽契約したときにね、「大貫さん、コブラってバンド知ってますか?」って言われて、「おまえに言われたかないよ。俺は15、6年前から知ってる。奴らが東京来た頃から。今メンバー変わってるけど。」って。

−−わははは(爆笑)

大貫:「そうなんですよ。ぜひラジオ出して下さいっ!」「おまえに言われるまでもなく、前のメンバーの時も出してるし、今のメンバーの時も出してる。俺はちゃんと同録をいつも渡してるのに、聞いてないのか!?」って。聞いてない証拠ですよね。第一、聞きませんよ。

−−だいたい半年か1年遅れぐらいで気がついてくるんだよね。

大貫:そう。まあ半年で気がついてくればいい方ですね。そのまま、聞かない人が多いですから。だから、コブラなんかとっくの昔に出してるし、もうみんな出してるよ。チバも来てるし。「えー?ミッシェルガンのチバさんラジオ出るんですか?」とか言われたり。だから、普通は出ないのかもしんないけど、俺はダチだからとりあえず、暇だったら出てって言って、暇だったら出ます、って。奴もレコーディングジャンキーだから、けっこうレコーディングしてるとなかなか来ないんだよね。ほんの一瞬だからってしつこく留守電入れて(笑)「出ろ出ろ出ろ出ろ」っていうと、「わかりました」って言って(笑)

−−ま、なんでも言えちゃうわけですよね。

大貫:だからね、それは長いつきあいだったり、向こうが俺のこと知ってくれたりしてるから。そういうのは、ある意味20年間「LONDON NITE」やってきたり、ラジオやらせていただいたりしたことが、だから、一方的にメジャーの方が悪いとは僕全然思っていませんけど、やらせていただいたからですね。

 

13.ロックの語り部がいなくなってきた

−−ラジオの方はどんな感じなの?

大貫:今、3本番組やってるんですけど、全部いずれにしても若い人向けなんですよ。平たくいうとだいたい中・高校生から20代の前半ぐらいなんですよ。一応かけてるものも7割方は今のものが中心だしね。それで時々趣味で昔のもの、プログレかけたりビートルズかけたりして教えてあげるっていうことで、おこがましいけど、でも今の子たちそういうのにすごく敏感なんですよ。たとえば「パンクしか聴かなかったけど大貫さんのラジオを聴いてボブ・ディランっていう人の存在を知りました」とかね。だから、そういうことって、語り部がいないっていうことが一つですよね。渋谷陽一、伊藤政則ぐらいですよね、他にももちろんいらっしゃると思うんだけど、少なくとも僕の知る限りでは、その2人はラジオで語ってそうやって音楽について自分の体験をもとに語ることができて、しかも新旧の比較もできるっていう。タイプは違いますけど、お2人は。でも音楽の良さを伝えるのは、伝え方がいろいろあると思うんですけど、基本的にただ垂れ流しっていうんでは日本ではまだ難しい現状だと思うんですよね。やっぱりある程度トークを交えて紹介する、それはだからいわば解説ですよね。ライナーノーツがついてるのとついてないのとじゃ、やっぱCDもね。だから俺は、初心者は絶対国内盤買えって言ってるんですよ、少なくとも。だから音だけ聴いて、ノるからいいとか、今流行ってるからいいっていうだけだと、後に何も残らない。一瞬、そのときの青春の思い出って言われるのは俺は一番嫌いなんで。だから、青春の思い出なんかじゃなくて俺にとって一生ものだと思ってるんで。音楽、ロックは。だって、年代が同じ位の人はたぶんすぐに思い出せると思うんですよね。あの時のあの自分はこういう状態でああやって、で、しかも音楽がどういう風に変わってきて続いてきてるのかっていうようなことも含めてね。音楽に関わった仕事してるからっていうんじゃなくて、ずっと聴いてるとね。そういう人は、だからある意味で、俺たちは、非常にラッキーな時代だったって思うんですけど。

−−ほんとにそうだよね。

大貫:だから今ね、そういう番組やってるんですけど、俺はもう一つやりたいんです。それはオールディーズの番組。今オールディーズ、ナツメロっていうと、いつまでたっても歌謡曲・演歌っていうイメージがあると思うんですけど、今のナツメロはもう、ザ・ピーナッツでありGSであり若大将でしょ。

−−今のオールディーズっていうのは日本の?

大貫:両方。だから外国であれば、ビーチボーイズ、ビートルズ、基本的には60年代。そういうものを

−−ビートルズのちょっと前ぐらいの感じ。

大貫:そうですね。そういう番組をやりたい、と。で、それは絶対、若い子も聴くと。

−−昔だとね、八木誠とか木崎義二とか…

大貫:そうそう、昔だったら八木さんとか木崎さんとかそういう人たちがやってくれてたんですけど、もう今、皆さんなかなか。

−−引き継がなきゃいけないんだな。

大貫:引き継ぐっていうか、ほんとはおやりになって、それに僕らが交ざるのが一番いいんですけど、なかなかその、年齢もあるだろうし。あと、放送業界って・・・ちょっと批判めいたことになっちゃうんですけど、頭堅いじゃないですか、すごく。ロックの番組なのに。

−−それは言えてるね。

大貫:街ではみんなロック普通に聴いてるじゃないですか。で、ロックが蔓延っていうか、こんだけ浸透してるように錯覚するじゃないですか。これはあくまで錯覚だと僕は思ってるんですけど。というのも、うちのところに、やってる番組に、こうやってハガキがこう来るんですよ。で、そのハガキなんか見ると、たとえば「今でもクラスにロックの話をできるやつは一人ぐらい、全校でも5人ぐらいしかいません」って。それだと、全然僕らの頃と変わらないんですよ。僕らビートルズやベンチャーズの話しても、学校でわかるやつはあんまりいなかったから。舟木一夫とかそういう話してる人はいましたけど。

−−あはははは(笑)

大貫:やっぱり変わってない。

 

14.大量露出・大量生産・メディアコントロール…。だから日本は文化がない!

大貫:どうしてもみんなドメスティックなものにいっちゃう。モーニング娘。聴いちゃったりとか、別にそれが悪いっていうことじゃなくてね、どうしてもそういう…要するにね、大量露出、大量生産、大量消費っていう形でいけば、メディアコントロールがそのままこの15年ぐらい・・・特に80年代以降進んでると思うんですけど、海外でもMTVとかの功罪が言われてますけど、要するにメディアにのらないとヒットしないと。ヒットしないものは売れないから、やらないと。ということで洋楽はしかも利益率が少ないじゃないですか、業界の皆さんはご存じだと思いますけど、ロイヤリティ払わなきゃいけねえとかA&Rだって所詮は編成じゃねえかだとか、何枚売らないと元が取れないだとかこまかーい計算まで出すじゃないですか。でも昔はそれでもヴァン・ダイク・パークスが800枚しか売れなくても出したとかいってワーナーとかね。でもそれは文化を売る人たち・・・売るっていったら申し訳ないけど、文化に携わってる人たちの仕事だと思うんで、今だったら800枚っていったら、たぶんアウトですよ。元が取れないから。でも、それだったらますます悪循環で、血がいかないところには要するにどんどん血がいかなくなって、腐っていくだけですから。で、大胆にその大なたで腕ずくで手術しようとする人はいないんですから。壊死していくばっかりで、ただ一方的に一部だけ脳だけ肥大するとかね。売れてるもんだけ栄養いっちゃうとかいうような形だから、どう考えても俺にはいびつな世界だとしか思えない。しかも、地上波だのデジタルだのハードとかそういう部分はすごい拡充されてるのに、肝心のソフトの実体だけが今まで旧態依然で非常に貧弱で、しかも相変わらず事務所がらみで、主導は広告代理店、みたいなね。要するにやっぱり結局、お金。だから、作品の質なんかはむしろ、俺なんかに言わせれば昔の方がおもしろい番組多かったと思うんだよね、個性的なっていう意味では。

−−要するに、そういう仕事はさ、相当情熱がないとできないんだよね。

大貫:いやーでも情熱は当然・・・それは最低限ですよ。金を儲けだしたら人間ダメになるっていうのが僕の持論なんで、お金考えたらできません、これは。

−−情熱人間がやっぱり減ってますよ。

大貫:ああ、それは減っちゃったんでしょうね。だから、それは、あの俺は大人だけの問題じゃなくて、子供もそうなんですけど、最近キレやすいとかすぐ人を殺したくなったからとか言う17歳の少年とか、そういうのってすべて根っこは一緒だと思うわけ。

要するに日本は文化がない。だから、金儲けの手段としての文化、っていうかその知識、だから経済の構造は作ったけど、空っぽ。主体がないから、基盤になるものがないんだよ。だから、子供は大人見てても不安でしょうがないと思うんだよ。自分の親父とかおふくろとか見てても生き方というもので一本筋の通ったもんがないっていうのを感じるようなところがあると思うんですよ。たとえば、何が大事かっていうのがまずわかってないっていうか。家のローンの話だとか接待の話だの、お母さん達のそういう姿見てると子供はやっぱり家に寄りつかないし、親も子供が大事とか言いながらも金さえ与えとけばいいとか、学校さえいいとこ入れときゃいいとかいう考え方で、要するに、もう任せっきりでしょ。そうなると、心のケアができてないから、どんどんそれが進行すれば歳を重ねるごとに悪くなるわけだから、それは。病気と一緒で進行するから。だからここまできちゃったんじゃないかと。

 

15.批評の目を持たない”評論家” 立場の曖昧な”ライター”

−−大貫さんはね、ここまで誰にも頼まれずに一人でやってきてるっていうその功績がすごいなぁーって思いますよ。ほんと、ごつい仕事ですよねぇ。

大貫:まあ生活もあったからね、やっぱり。やらないと、食えないっていうのも。だって評論家だけじゃ食えないですよ、今時やっぱり。原稿料だって、月に20本も解説書かないと食ってけないでしょ。

−−あれ、安いですよね。

大貫:安いですよ、未だにね。だって、そしたら、みんな今フリーペーパーで2ページ記事書いちゃった方が全然高いじゃないですか、お金。だから、そういうのも理不尽でしょ。でも、だから、今「ライター」って言葉がまかり通ってますが、あれも僕ねちょっといやなんですよ。「ライター」っていうのがね。

−−あれは嫌ですね。

大貫:ライターってなんか、ルポライターなのかミュージックライターなのか、その辺はっきりしろっていうね。評論家とまで言わなくていいけど。

−−紹介記事ライターみたいなね。

大貫:だからあれ、はっきり言ってちょうちん記事ですからね、基本的にね。だってレコード会社が頼んで、要するに悪いことは一切載んないわけですから。批評はないですから、そこには。そこにはだから、その人なりの主観で、これはいいとかって。それは別に俺も仕事受けてますから、いいと思うんですよ。ただやっぱり、渋谷陽一じゃないけど、批評精神がなくなったとこに、いいもんは育たないってのはやっぱ事実で、ただやっぱり批評性っていうのは常にその、こういう業界に携わってる人間はなにごとにもよらず批評する目ってのは持ってないといけないと。

−−文化の芽を育てるってことになりますもんね。

大貫:ま、そういうことですよね。でも、それは能書きをいちいちね、小言ジジイみたいに、これはあーだこーだって揚げ足とって言うってことではなくて、悪いものは、おもしろくないものは、自分で「俺はおもしろくない。ここがおもしろくないから」って文句っていうか抗議があるんならそれはそれで受けるけど、その前に基本的に不愉快な思いをさせてはいけないんで、僕はだから自分が好きじゃないものは(DJで)かけないですから。それで、わかってくださいと。「なんで、大貫さん、かけないんですか」ってよく質問くるんですよ。このアーティスト、まだ一度もかかってませんけど。って。それは、返事はできねえなぁ〜って。なんでって言われても、たぶんおまえら気〜悪くすると思うし、バンドの人もたぶん嫌がると思う。そういうことだから。って。要するに嫌いなんだなぁってわかってもらうんで。好きじゃないんだな、と。ただまぁ誤解もありますから。途中から気にかけたりしてね、なんだ最近かかってるじゃないですか。とか言われるけど、やっぱ会ってみたらすげえいい奴だったから、とかあんだよね。でもそれは人間と人間なんで、そういう細かいことじゃないですか。だから、俺は神様でもないんで、俺が言ってることはすべて正しいわけじゃないし。ただ、きっかけを与えるってことには露出しないと意味ないですね。今回も、番組でかける曲なんかも、すごいっすよ。驚きますよ。

 

16.ロックンロールをリスペクトしてくれ!

大貫:明日、番組があるんですけどね。ま、最初はラモーンズでいくんですよ。ちょうど来日しましたからディー・ディーがね。で、まぁ新しいもんでドアーズのトリビュートものが出てるんで、あと洋楽を基本的にかけるんで、モグアイとかマイナーなものもかけて、で、ピールアウト。邦楽も一曲いれて。あとすごいですよ、後半の特集は。もうコレですから。フォークジャンボリーから高石友也『受験生ブルース』とかね。

−−ひぇ〜!!

大貫:70年代の音楽ってのは、ずーっと続いてきてパンクとかって言ってても格好だけパンクなのと中身がパンクなのと色々ある、と。で、コレはもうパンクだと思うから、友川かずきの『生きてるって言ってみろ』とかそういうのをちょっとかけようかな、と。また、そういうのが喜ばれるんですよ。

−−めちゃくちゃですけど、すごいよね。

大貫:すごいです。で、今度(忌野)清志郎くんが来てくれるだけど、たまたまサイン貰ったやつがあるんですよ。これ今から約10年前ですね。RC20周年の時に「TO 憲章 忌野清志郎」って書いてあるでしょ。で今度ゲストに出てくれるんで、Baby a Go Goのやつを『あふれる熱い涙』ってのをかけるんですけど、ストーンズの「Waiting On A Friends」をパクったと思われる曲なんですけど(笑)イントロとかギターとか。それはまぁいいじゃないですか。そういうことでも、ロックンロールなんですから。でもこんなかでも、「ロックンロールは子供のおもちゃだ」とか言ってるじゃないですか、この時点でもうすでに。忌野清志郎くんってのは、同い年なんですよ、50年生まれで。で、今回も「ロンドンナイト」の20周年に関して、わざわざコメントもいただいたんですよ。それもすごく俺にとってはリスペクトするところではあるし、あの人なおかつ今でもライブハウスツアーやってるじゃないですか。「マジカデ・ミル・スター・ツアー」なんてふざけたタイトルつけて。「マジカルミステリーツアー」をなぞらえて、「間近で見るスターツアー」。ライブハウスですから。

−−わはははは(爆笑)

大貫:で、自分で言ってんですよ、間近だよ間近。顔でっけー!とかなんとかいいんながら。で、映画も撮って。「不確かなメロディー」っていう。

−−言葉がすごくよく出てくるからね。

大貫:そこがあの人のすごいとこなんですけど。それで、頭が柔らかいんですよ、すごく。だから、そういうところがリスペクトできるとこなんですけど。で、その清志郎くんからFAXいただいて、「憲章さん、あなたが同世代でいることはとても心強い限りだ」と。「一体いつになったらこの国にロックが幅をきかせるときが来るんだろう。でも、俺はへこたれないぜ。お互い負けないで頑張ろう」っていうメッセージをもらったんで。

−−おぉ〜!!美しいですねぇ。

大貫:俺もね、そういう人が一人でもいるかぎり、それから内田裕也さんみたいな先輩がいるかぎりね、やっぱりー裕也さんがあれだけのお歳でがんばって、かまやつさんだってまたスパイダーズみたいなことをね、井上堯之さんにしても、宇崎竜童さんにしても、頑張ってるじゃないですか。熱いじゃないですか!若い奴だけじゃないんですよだから。喜納昌吉さんにしてもそうだしね、それから中堅ぐらいにしても、アンジーとかあの辺のバンドにしてもやってんですよ。ただ、それが報道されないだけで。どうしても流行りものにいっちゃいますから、みんな。

−−どうして10代に流行るモノにしか力を入れないんだ馬鹿たれ!みたいな感じがしますね〜。

大貫:ほんとそうですよね。だから、俺は10代の奴らにそういうものを教えなきゃいけないと。

−−ほんとそうですね。

大貫:だから、そういう機会がある限りはやっていくと。この間、ピールアウトのメンバーと会ったときも、特にドラムの高橋くんが「ロンドン・ナイト」の熱狂的なファンらしくて、僕は大貫さんのストーカーですとかいって。俺の記事いっぱい持ってるんですよ(笑)、俺すら持ってないやつを。だから、今度貸してくれっていったんだよ。俺が資料欲しいから。「いいですよ今度貸しますよ。大貫さんのストーカーですから僕は」だってさ。

−−はははは(笑)

大貫:ベースの奴なんかビヨンズの奴だってな、昔会いましたよね、って。俺、全然覚えてなかったんだけど、うちのスタッフが覚えてたんですよ。まだ24で若いんですけど、ライブハウス好き人間で、日本のロックめちゃくちゃ詳しいんで。

−−そういえば(小林)克也さんの還暦祝いパーティが来月あるんだよ。ウェスティンホテルで盛大にやるらしいよ。

大貫:そうなんですか!すごいおめでたいじゃないですか。僕も参加しますよ。なにかお祝いできることがあれば。小林克也さんには、お世話になりましたから僕も。

−−いわゆるひとつの先輩ですよね。

ええ。大先輩ですよ。なんでそんなに英語がうまいんですかとか言って、お宅まで押し掛けちゃって。奥さんからお茶までご馳走になったりとかした人間ですから、ほんとに。いろんな人からお世話になってますから、ほんとに。つのだ☆ひろさんとかね。

−−克也さんももう60歳なんだよねぇ。

大貫:そうですね。全然お元気ですよね。まだ3チャンネルとかで英会話されてますもんね。外人に日本語教えたりする役とかもやってたりして。あー克也さん相変わらずだなあとか思って。

−−みんなに愛されてるから、いいスタンスですよね。

大貫:そうですよね、ほんとに。嫌いな人とか・・・好き嫌いでもの言うわけじゃないですけど、なんかこうグローバルじゃないですか。俺なんかは、あんなにグローバルじゃないんで、もうロックだけしか言えないんだけど。

−−でも、若い人からリスペクトっていうのが入ってくるのはすごいことだと思いますね。

大貫:うーん、それは、若い奴がどこまでそういう風に言ってくれてんのかわかんないんですけど。

−−いや、いろんな奴から聞きますよ。

大貫:いや、してくれんのは非常にありがたいと思うんだけど、俺はそんなことよりも、まぁ俺をリスペクトしてくれることと同時にロックンロールをリスペクトしてくれってことで。あと、自分がリスペクトをしてる相手が俺であってロックンロールであったとすれば、それをおまえが今度はリスペクトされるような立場でものを伝えてかなきゃいけないっていう風にはみんなには言いますけど。

−−ロックをリスペクトしてくれってのはいい言葉だねぇ!

大貫:『TOO FAST TO LIVE,TOO YOUNG TO DIE』っていうロックンロールの有名なフレーズがありますけどね。要するに、『世間が早すぎて生きられない、スピードが早するから。でも、死ぬにはちょっと早すぎるぜ』っていうことでしょ。今でも常に心の中にはそういう言葉がぶぁ〜っとありますよね。だから、年賀状にはずーっと「TOO FAST TO LIVE, TOO YOUNG TO DIE」で、その気持ちでやりますんで、よろしくお願いしますって書いたんです。

 

17.自分で自分の首をしめてる音楽業界

大貫:僕に言わせれば、ラジオ局にしても業界の人はほんとに(音楽を)仕事としてしか見なさすぎるんですよね。でも、仕事として見るんであっても、俺としてはほんとにあの、なんていうんですかねー。こういう言い方しては失礼だと思うんですけど・・・間抜けですよね。

だって、効率よくお金使ってないんですよ。だから、たとえばお金使うんならテレビ使うとか、そんな単純な発想でしょ。1ページの広告打てばいいとか。そういう問題じゃないと思うんですよね。やっぱり、地道な作業が一番いいんですよ最終的には。やっぱり、ボクシングと同じであの、大振りのパンチばっかりじゃ、結局勝てないんですよ。ボディブローとか少しずつ地味ですけど数多く打ってくことによって、相手のダメージを多くして最後にパンチをあてるっていうのが鉄則でしょ。あと、野球でもなんでも基礎が大事だって言うじゃないですか。基本が大事だとかって。で、今のレコード会社のやり方って基本もなにも無視して、ちぎっては投げ状態ですから。それで媒体効率とかいいますけど全然・・・レイティングが第一だっていうのに、僕の番組はこういっちゃあなんですけど、自画自賛するようで悪いですけど、平均が地方局でも結構とれてるんですよ。それなのに、お金はなかなか出ない。それなのにムダなお金を・・・。お金がないっていうから、お金がないならしょうがないけどって言うんだけど、でもこんなパンフレットとか作ってんじゃないのって。これは宣伝費がつくから、って、そんなの作るぐらいだったら俺の方に・・・これ作っただけで3万とか4万とかかかるじゃんって。それなのに月10万がなんで出せないんだっていうのがいっぱいあるわけ。アルバイト一人雇うより安いんだよ。それなのに何万人と(ラジオを)聞くんだよって。効率的にいったら、どっちか考えろっていったら、どう考えたってアルバイト一人雇うより何万人かに聞かした方がいいって、誰でも…子供でもわかることでしょ。それができないんですよね。規定でこうなってるんで…って。規定だったら変えりゃあいいって。なんでも人間が作ったもんでしょ。規定でもなんでも。それ変えられずに縛られてるってのがおかしい。もっと柔軟にとかって、口ではみんなそういうこと言うじゃないですか。で、「このIT時代が・・・」とか「もっと柔軟な思考が大切で・・・」とか言ってる人間が全然柔軟じゃないんですよ。

 

18.アーティストは使い捨ての消費財じゃない

大貫:今のダンスミュージックって、リスナーの興味が繋がんないですよね。次にロック聴こうとか次の音楽聴こうとか、ある程度時期がきたら、たぶんみんな買わなくなって、『80’S HIT』なんていうのが出ると買っちゃったりするっていう。そうすると、売れると思って、めちゃくちゃお金かけてやるっていう。そういうのドロ縄っていうか場当たり主義っていうかね、計画性がない。それはどうしてかっていうと、文化がないし、長期的なタームにおける自分のスタンスもない。だから指針がないわけですから、計画の立てようがないですよね。売れりゃあいいと思ってる。そりゃ確かにレコードは商品だし、アーティストも商品かもしんないけど、単なる生産財じゃないんですよ、消費財でもないんですよ。それとおんなじ考え方でやろうとしてるから、どうしてもそうなるんですよ。大量露出、大量消費、大量生産。そんとき売れりゃあいい。で、次はまた違う商品。で、使い捨てでしょ。アーティストだっていい迷惑だよね。

−−それじゃあかわいそうですよねえ。

大貫:かなりかわいそうですよねえ。

−−音楽業界が自分で自分のクビをしめてる・・・。

大貫:そういうことです。だから自分で自分の首をしめちゃってるんです。この長い、約30年かかって。だから、60年〜70年代の人たちはある程度見識もあったし、それなりに努力してたんですよ。売れなかったから。売ろう、と一生懸命。ただ、いつのまにかそれがメディアが使えるっていうのが思った時に、違う方にはまっちゃったんでしょうね。

−−ビッグビジネスだと思っちゃったんだよね。

大貫:そうそう。『泳げたいやきくん』の大ヒットがね、あれもテレビの歌だったでしょ。だからフジテレビでやってましたけど、この20年間のビッグヒットの中でベスト10って8曲までがテレビタイアップの曲だっていうじゃないですか。それはだからもちろん、そういう時代だと言われればそれまでですけど、あっていけないとは言わないけど、みんなそっちの方ばっかり傾いてますよね。それに合った素材はそうすればいいのであって、そうじゃないロックなんかは、普通かからないじゃないですか。だから「いや、なんとかテレビにタイアップいれたいんですよ。」とか「CM タイアップで頑張ろうと思ってます」とかってすぐそういう発想に行くんですよ。なんでもっと地道に地方の人たちに訴えるような、もっとディーラーとね、営業所の人とか販売店の人ともっと昔みたいに話し合って協力して・・・、昔、会議とかよくやってたじゃないですか、僕もよく行かされましたけど・・・。

−−ほんとにね、レコード会社とか放送局の意識が変わらないと話になんないんだよ。

大貫:そうですよねぇ。

−−レコード会社は小さなタイアップやってるんですよ。スキー場でかける音楽にまで細かくやってるんですよ。ミニモニ。の『ジャンケンぴょん!』が一日中かかってたりしますから。

大貫:ああそうでしょうね。細かいことやっても、だから・・・。

−−細かいことが必ずしも文化的なことやってない。

大貫:ほんとそうですよね。

−−やっぱり業界の人たちの意識が変わらない限りは・・・。

大貫:そうですよ。あと、やっぱりプロだというなら商品知識を持って欲しいんですよ。だから、このバンド知らないとか言うんじゃなくてね、たとえばブラフマンっていったら今どのくらい売り上げがあって、Zeppのツアーをすぐソールドアウトにしちゃう人たちですから、その人達を知らないっていうのがね、俺にとってはね、業界の人たちはどういう人なんだろって。

−−あれは不思議な現象だよね。

大貫:そのくせ藤原ヒロシは知ってんですよ。藤原ヒロシがゲストってすごいね、とかいって。いや、今ブラフマンのがすごいと思うよ、とかって俺は言うんだけど、それはなんだかわかんないけどって。

−−ふはははは(爆笑)

大貫:そういう勉強してないんですよね。認知されたものしか知らないから、どうしてもあと・あとになっちゃうんですよ。お客は先・先行ってるんですよ。

−−業界は知らないのにその世界はあるわけじゃないですか。

大貫:そう。それで、ちゃんとシェアもあってお客さんもいるんですよ。

−−それも、ものすごい巨大なシェアがあるのにね。

大貫:巨大なのよ。で、もっと開発すればもっと良くなる。若いうちから、小学生高学年・中学生のレベルからそういうものを聴かせていけば、たぶん絶対ロックにお客さんくると思うの。

−−でも、業界が知らないっていうのは逆にいいことかもしんないね。

大貫:ああ・・・そうね。荒らされないからね、そういう部分でね。ただね、邦楽ばっかり聴くような人が増えちゃうと、やっぱりつらいと思うんですよ。だから、基本的に邦楽っていっても、俺洋楽だけがいいっていうことじゃないんだけど、洋楽知っといて邦楽聴くのと、洋楽知らないで邦楽聴くのとじゃあえらい違いがあると思うんで、どうせなら洋楽知っといて邦楽聴いてほしい。後からでもいいからね。だから、そういう橋渡しを今、自分がやろうとしているわけで、その他の人たちにもそういうものをやってもらおうと。

 

19.洋楽と邦楽のロックの橋渡しをラジオでやりたい

大貫:ラジオもなかなか大変なんだよね、ほんとに。

俺が今やってるラジオでインターFMの「KENROCKS NITE」っていうのがあるんだけど、CMついてないんですよ。俺としてはとにかく納得いかないとこなんですけど。もうレイティングが取れてるんですよ、ちゃんと。こんな土曜日の深夜の2時〜4時なのに、数字がでてる。だから俺の番組だけ聴いてる固定客なんて当然いると。

−−うん。

大貫:もっと早い時間にやれば、早いって言っても限度があると思うけど12時とか、その時間になれば絶対もっと聴くやつが多いと思うよ。だから俺はまずそういうことをやっていって。あと、もう一つ。ロンナイって言って地方のJFNのライン14局で各社協賛(10万ずつ)でやってるんですよ。それもレイティング調査が行われるんですよ。年に一回とかですけど、地方局は。それでもね、数字でてるんですよ。出てないとこもあります。FM山口とかだめでしたけど。たぶんとった時期か取り方がまずかったと思うんですけど。福井、山形、岩手、秋田、全部数字が、高いとこだと1.5ぐらい数字が出てるんですよ。だから、まぁ数字だけが全てじゃないんですけど、僕もそれはわかってるんですけど、逆にレコード会社の人がね、効率だ媒体だというんであれば、高率なのになんで辞めちゃうの?で、他に全然数字が取れてないの、なんでこれやるんだよっつったら、いや、これはからみが…って。からみはねー大根だけにしとけ!って。

−−あははは(笑)

大貫:ほんとにね、そんなこと言ってるからおまえら全然変わんないし、いざというときにまた俺んとこに頼ってくるわけだから、そういうなんかさーなんていうの?昔と同じことの繰り返し、なんでやってんのか!?って言いたいよ。ロックでそんなにね、やりたいんだったら、もっとロック番組増やすしかないでしょって。別に俺がやんなくてもいいから、増やすしかないのに、どうしても目先のもの・・・『いや、シ・エ・ル売らなくちゃいけないんで』とかそんなのばっかりだから。普通に予算つけとけばいいじゃないって言っても『いやそれがだめなんです』とかなっちゃうんだよね。

−−話聞いてるとさ、もっとやりたいっていうパワーを感じるね。

大貫:いや、もっとやりたいですよ。そりゃもっとやりたいですよ。だって14局じゃつまんないですよ。やっぱ全国40何局やりたいですよ。

−−それで、今3つ番組持ってますよね。

大貫:番組、あともう一つ古いのやりたいんですよ。

−−やっぱラジオで?

大貫:テレビはね、難しいんで…やり方にちょっと工夫がいると思うんで…俺は話が出来るんだったらそれでいいわけで、テレビはどうしても絵ばっかりになっちゃうからね。

−−音聴かせるっていうのが重要だよね。

大貫:そう。そうなの。

−−ラジオのパワーをあげるために。

大貫:テレビは特番でやってもいいね。特番で、ロックのヒストリー番組みたいなのに、湯川れい子さんとか交えながら俺も一人のコメンテーターであるっていうならいいけど、レギュラーはちょっと難しいと思うんですけど。ただ、ラジオはいっぱいやりたいですね。ラジオですよ。ラジオで聴かせないと。NHKが一番やりたいんですけど、なかなかね難しいもんが・・・あそこは難しいから。でも、めげないで企画は毎回出し続けますから。だめでもともとだからね。

−−NHKなんか立場的にやるべきですよね。

大貫:まぁほんとだったらそう。

−−昔はやってたのになぁ。

大貫:そう言ってんですけど、あそこも、まぁセクションがいろいろ分かれてるじゃないですか。FM放送班だ、音楽芸能班とかって、なんかこう同じ放送なのに班がわかれてたりしてね。そこの主導権争いみたいなのが。

−−けっこうややこしいんだよなー。

大貫:ややこしいんだよね〜。俺も人から聞いただけなんでわかんないんですけど『あそこからいっちゃだめよ』『そこは攻めちゃいけない』とか『エンタープライズから攻めた方がいい』とかね、いろんな話を聞いたりするから、ややこしいんだなぁとか思って。俺は単に全国ラジオでロックを聴かせたいだけなんだけどと。

−−まぁそういう一番強いネットワークがあるのに頑張ってほしいとこですけどね。

大貫:そうですね。頑張ってほしいですね。ほんとに。だから苦言を提すようですけど、やっぱりラジオ局もテレビ局もそういう関わってる業界全体が真剣にもう少し深刻に受け止めなくちゃだめですね。媒体的なものじゃなくて、やっぱり長期的なタームと、理想論といえばそれまでなんですけど、やっぱり一つの文化だっていうプライドとかそういったものを持った形で音楽産業をしていかないと、ただ売ってるだけの。

−−ロックンロールをなんと心得てる!っていうことだよね。

大貫:ほんとそうですよ。そういうことですよね。確かに商品なんですけど。商品である以上は生産性ってものを求められるんですけど、俺にしてみると、その生産性っていうものもずいぶん曖昧だし基準がないみたいなんで。そこは『絡みが』っていうことで、絡みが一方でありながら、もう一方でコストの適正な見直しとか言ってるっていうのは、納得いかないっていうか理解できない。二つ顔を持ってるから、一元化してればさ、こっちも話を持ってきやすいんだけど。

−−その納得のいかなさがある限り、憲章は元気だね。

大貫:そうだね、俺は元気だね。納得がいかなすぎるもん、だって。だってこんだけソフトが必要だとか言われてる時代じゃないですか。衛星放送も含めて。そのわりに、どの番組も画一的じゃないですか。一つ流行ると、じゃあ今インディーズが流行ると、インディーズ番組、夜中の深夜テレビなんかもういくつかのチャート番組・・・。

−−たしかにソフトが追いついてないよねぇ。

大貫:全部同じですよね。俺に言わせれば、おもしろくない。だって、上っ面なでてるだけですもん。清志郎に言われちゃいますよね。話がわからんすぎる。みんな物事の上っ面だけなでて『あ〜忙しい忙しい』で終わりだ、って。だから、それじゃあやっぱり、だめですね。

−−愚かな忙しさがあるんでしょうね。

大貫:うん、なんかわかんないけど。

 

20.パソコンでDTMに挑戦!?

−−最近の近況はどう?大貫さん、太ってきましたねぇー(笑)

大貫:肉が30年分ぐらいついてね、子供一人分いるからね(笑)全体にね。

−−うん、だってすごい生活してるよね。

大貫:すっごい。夜と昼が明らかに逆転してるけど、でも逆に言えば、夜と昼を逆にしないと、中途半端なのが一番いけないって医者に言われて。

−−完全にひっくり返せないんだ?

大貫:今の仕事が辞められないんだったら、夜型にするしかないからって。だから、夜起きたり昼起きたりってのが一番よくないみたいね。

俺、自律神経失調症でしょ、最初メニエル症とか言われて、今から10数年前に1回目の前がこうぐるぐるっとまわって倒れた時があったわけ。で、なんなんだろって、とにかく立てないんだよ。で、変だなこれは、ただのめまいじゃないなと思って病院行ったりしてさ、でっかい昭和大学病院とか行って。でかい病院って待つじゃん。2時間とか待って、診察5分とかさ。そんなの繰り返しで頑張ってやったんだけど、結局出た答えは、要するに体に機能的には特に問題ないと。聴覚も、ま、多少難聴気味はあるんだけど、いわゆるメニエルというような異常とかね、組織の異常はないと。理由は他に精神的なものもあるのかもしれないけど、それはうちでは治せないと。でも、めまいがするんですよって言ってたら「我慢しろ」って言われちゃってさ、そんな医者がいるのかって世の中にさ。

−−なりきりが足らん!とか言われたのかな(笑)

大貫:わかんないけど。で、耳鼻科行ったんだけど、それでまぁそういうことが2回ぐらいあって。もう、こりゃだめだと。それで、たまたま俺の友達で若いくせに15歳ぐらい下なんだけど、鬱病にかかっちゃった奴がいて、そいつがたまたま病気がよくなりかけてきたときにきに電話で話して、自分が通ってる病院があるんですけど、紹介しましょうか、って言われて、心療内科っていう所で。そんで今でもそこ通ってるんだけど丸2年ぐらい。

−−そこはいいんですね。

大貫:そこで、まぁカウンセリングしてもらったり、まぁカウンセリングっていっても話を聞いてもらうぐらいなんだけど。それで、あとは薬もらって。で、まあそこの先生が言うには、そういう生活してたら、ある程度はやむを得ないんだけれど、ま、早急に直す必要がなければ、夜型をキープした方がいいと。ま、直すときになったらまた言って下さいと。

−−ええと、結婚はしてないんだ?

大貫:ええ。してないんですよ。困ったもんですよね、ほんとに。

−−(笑)困ったもんだ。

大貫:まあでもしないってわけじゃないんですけどね。(親から)家なんてもらっちゃったから(笑)一人じゃこれはちょっとつらいからね。嫁さん募集中とでも書いておいてください(笑)。まぁこんなおっさんっすけどね。

−−あははは(笑)

大貫:バツ2はちょっとつらいけどバツイチぐらいだったらなんとか・・・持ちこたえられるかな、と(笑)。バツ2だったらやっぱり性格的に問題がありそうだからね(笑)。まぁそういうことなんですけど。

−−この事務所兼自宅も改築したばっかりで、ちょうどおめでたいところですよね。

大貫:もともと持ち家だったんだけど改築したんだよ。親父が今から20数年前に、ちょうどバブル前後だね。ここ、一番高いときに買っちゃったとかって、みんな後で文句ブーブー俺も言ったんだけど。もっと時期見て買えよとかっていったんだけど。で、まぁ自分が住むことになって、でもその前に事務所が必要だから、ここは3階建てができないんで、地下に。まぁ1階2階はムリでしょ、現実に。リビングがあったりキッチンがあったりとかすると事務所できないから。

−−親御さんも一緒に住むわけでしょ。

大貫:うん、まぁそうだね。まぁ、一応俺は一人だけど、かみさん来ても2世帯住宅になっちゃいますね。そうすると狭いけどね。ま、そういうことだね。

−−いいなぁ。窓があるから地下じゃないみたいですね。

大貫:ドライエリアっていうなんかこの空堀のところを作んなきゃ逆にいけないらしくて…その空間逆にもったいないっていったらもったいないですね。

−−でも光が当たってるから。

大貫:採光は多少上からですけどね、昼間は。夜はまだカーテンついてないので灯りつけますけど。

−−地下は音をどれだけ大きくしても・・・

大貫:どれだけってわけにはいきませんけど、ある程度は大丈夫かなっていう。それでね、ここにおいてあるんですけど(デスクの脇に積み上がったパソコンなどの機器類の箱を指して)、俺は全然コンピューターとかわかんないわけ。要するに「音」を作るっていう作業があるじゃないですか。だから知りあいの人に頼んで、そういうことはどの機材をどれだけあればいいのかっていうことで、頼んで見積もってもらって、その人の言うなりに買ったの。

−−ということは、DTMやる気なの?

大貫:ま、やってみようかなと。今は楽器ができなくてもサンプリングとか手法をある程度マスターすれば、組み合わせでしょ今って。あとはセンスの問題ってことになってくると思うんだけど、センスの方はともかくとして、組み合わせればなんとかなるっていうことであればね・・・。まぁパソコンてのも全然知らなかったんだけど。未だに原稿手書きだし。俺と伊藤政則だけらしいんだけど。手書きで原稿書くのは(笑)

−−わははは(笑)

でも、ワープロはなんかね、文字が変換した原稿見ると時々ムカツクときがあるんだよ。こんな難しい漢字、日常会話で使わねえだろっていうのを完全に書いてるのは、絶対、あれパソコンとかワープロで打ってるとしか思えないんだよ。いわゆる変換で。「うがった見方を」の「穿った」なんかさ、おまえ書けるかってさ。

−−でも井上陽水が詩が書けなくなったスランプの時期があって、ワープロやったら詩が書けるようになったっていう。

大貫:ああ、だからそれは発想が違ってくるからでしょ。

−−全然発想が違うからね、勝手に字が出てきちゃったりするじゃん。

大貫:字がね。それはそれで。アーティストの人は違うけどさ、文を書く人は、基本的に字を知っとかなきゃだめだよね。変な間違いがやたら多いからね。

−−じゃあこれからは大貫さんもパソコンこの机の上に置いて、それでインターネットもやりましょう!

大貫:インターネットもやりますよ。インターネットは基本的にホームページは見れないことはないんですけど、すごい長いアドレスなんで簡略化しようと思って。「kenrocks.com」ぐらいにしようと思ってるところなんですよ。

−−繋げたら、ぜひ「Musicman-NET」も見て下さい。今日はいろいろなお話をありがとうございました。

大貫:あぁいや、とんでもないです。こんだけいっぱいね、言わせていただいたらね、業界の人から怒られてもいいですよ、ほんとに。「おまえ、言い過ぎだよ」って「言い過ぎじゃないよ!あれでもかなりあれでもカットしたから。自主規制したんだから」って言います。これ、かなり自主規制してますから。

−−でもね、このシリーズはね、みんなねしゃべってくれるんですよ。

大貫:そうでしょうね。

−−一応チェックはしてもらいますけど、基本的に全文掲載なんで、よろしく。

大貫:ああもう全文掲載してけっこうですから。はい。ぜひ全国の人に見てほしいですねー。それで、意見がよくわかるって人たちがいたら、でっかいスポンサーの社長さんの息子さんとかいたらね、パパに頼んで・・・

−−わはははは(爆笑)

大貫:えートヨタ・ホンダ・その他、家電メーカーの方とかでも結構なんで、薬品でも結構です、よろしく〜!!

年間、1000万ぐらいあれば楽勝でできるんで、大会社の人なんて税金で1000万持ってかれるぐらいだったら、広告で使った方がいいですよ

−−そうですね(笑)。今日はほんとにありがとうございました。

(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也/山浦正彦)

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