第17回 赤坂 泰彦 氏
DJ/パーソナリティー
日本DJ界の重役、小林克也氏にご紹介いただいたのは、テレビ、ラジオで大活躍中のディスクジョッキー、赤坂泰彦氏です。土曜日の午後、2時間の生放送を終えたばかりのお台場のスタジオにお邪魔してのインタビュー。小さい頃からラジオの箱の中に入ることが夢だったというDJ赤坂。ラジオとの出会いから、努力と紆余曲折の末につかんだディスクジョッキーへの道、そして永遠の憧れ、ウルフマン・ジャックとの夢の競演……赤坂氏のプロのディスクジョッキーとしての真摯な姿勢が伺えるインタビューとなりました。
プロフィール
赤坂泰彦(Yasuhiko AKASAKA)
DJ/パーソナリティー
1959年11月25日生まれ。東京都出身。
1986 年、ロックバンド「東京JAP」のメンバーとしてソニー・レコードよりデビュー。1986年にバンド活動停止以降、憧れであったDJの道を本格的に志す。以降深夜番組を皮切りに数多くの番組を担当。なかでも惜しまれつつ終了した「赤坂泰彦のミリオンナイツ」(TFM系)は絶大な人気を誇っていた。1994 年、DJとしては初めて「第31回ギャラクシー賞(DJ、パーソナリティー賞)」受賞。現在は複数のレギュラーを抱えるラジオ、テレビを中心に、オリンピック中継のメインキャスターやCMなどで幅広く活躍中。特技はスキー1級、スノーボード、ビリヤード、ウェイクボード等のスポーツ。
<現在放送中のレギュラー番組>
●赤坂泰彦のサタデーリクエストバトル(ニッポン放送)
●MITSUBISI MOTORS presents Heartbeat Style(TFM系)
●DJ AKASAKA Mail Vox(JFN系)
●赤坂泰彦の This Is The Radio(JFN系)
●THE 夜もヒッパレ(日本テレビ系)
●火の玉スポーツ列伝(テレビ東京系)
- ラジオの箱にドキドキした少年時代
- 近所のスナック、電気屋…音楽のストックを集めるために、あらゆる手段を使いました。
- しゃべり上手な団地のカウンター少年が 電波の威力に目覚めた!
- バンドはラジオに行くための「手段」
- ウルフマン・ジャックと夢の競演
- ウルフマン・ジャックの涙…「ヤスヒコは僕のホープ」
- プロのディスクジョッキーとしての自覚
- リスナーとともに音楽文化を育てよう!
- リスペクトが21世紀の音楽文化を創る!
- パーソナルなメディアとしてのラジオの役割
- インターネットはコミュニケーション・ツール
- ディスクジョッキーに必要なのは「ジャーナルであること」と「プロデューサー感覚」
- 自分で道を切り開いてこそ、音楽にも姿勢が反映される
- 誕生日には親に感謝…「産んでくれてありがとう」
- 最後まで、いいディスクジョッキーとしての人生を全うしたい
1.ラジオの箱にドキドキした少年時代
--小林克也さんの還暦祝いでは司会の大役、おつかれさまでした。
赤坂:ああ、楽しかったですね。
--あの日の模様は「Musicman-NET」で紹介しているんですが(Musicman-NET SPECIAL REPORT)、その克也さんからのご指名ということで、今日はよろしくお願いします。
赤坂:一番ご指名だから、って言われたら「わかりました。ニューヨーク行くのずらします」って(笑)。
--お忙しいところ、すいません。それでこんな所までお邪魔した次第です。
赤坂:いえいえ、ありがたいことです。光栄です。
--まず、ご出身はどちらなんでしょうか。
赤坂:東京です。多摩地区の方で生まれまして、それから東の太陽が昇る方向に少しずつ近づいてきわけですけど…ディスクジョッキーを目指したいと思ったきっかけはね…今までも何度も話してることですけど、中学校の時に映画「アメリカン・グラフィティ」を見たのが衝撃で。あと、小学校高学年の時にやっぱりラジオだったんですね。テレビが寝室にある環境でもないですし…ラジオの色々なプログラムがありましたよね。音楽を流しているプログラム…もちろんFENもそうでした。それが日本にあるなんてわからないですから、「これ外国から流れてんのかなぁ」とか思ってましたね。そのなかでトム・ジョーンズが来日するとか、プレスリーとか…そういうものを覚えていったんですね。
--テレビと言うよりはラジオで。
赤坂:そうです。今まで聞いたこともないような人たちの名前がどんどん挙がってきて。その中から流れてくる音楽でやっぱりビート・ミュージックに何かドキドキしていたんですね。何か得体のしれない…学校の話題にもならない、教科書にも載っていない、親からも知ることが出来ないその何か艶っぽい…色っぽい匂いがしたんでしょうね、ラジオの中に。もちろんバカ話をしている番組もあったし、笑ったりとか、歌謡曲が流れていたりとか。それで音楽に響いたのと同時に、この喋っている人たちはどんな人たちなんだろうと興味が湧いてきまして、それで好きなプログラムがいくつか出来てきたんですよ。
--ラジオで音楽に興味を持ったっていうのはよく聞きますけど、そこで音楽だけじゃなくて、喋っている人にも同時に興味を持ったんですね。
赤坂:やっぱり当時の方たちが魅力的だったんでしょうね。
--どんな方たちがいらっしゃいましたっけ?
赤坂:色んな方がいますよ。少しあとになってからは(小林)克也さんの「オールナイトニッポン」があったり、あと糸居さんですよね。昼間だったらロイ・ジェームスさんとか。今のようにレンタル屋さんも何もないですし、レコーディングする機材も持ってないですから、(音楽を聴きたければ)その週のチャート番組とかを日曜のお昼に聞いていれば全部聞くことができたんですよ。特に日本の曲でしたけどね。それでだんだんいろいろ調べだしたころに、エルビス・プレスリーのハワイ公演の世界初衛星中継がハワイから行なわれたじゃないですか。
そのアオリをテレビなんかでやるようになって、もの凄く興味が湧いてきたんですね、大きいアメリカがうちのテレビのブラウン管にもやって来るんじゃないかなっていう期待感があって。ですから後期のエルビス・プレスリーに非常に興味を持ちまして…初期の頃ではなくて。それで自分でいろいろアメリカのロックンロールの歴史を調べたりなんだかんだしするようになってね。実際そのエルビスのテレビ衛星中継が流れたときは、オープンリールのちっちゃいテープレコーダーで、テレビのオンエアと同時にマイクくっつけて録音したんですけど、後で聞いたら自分の興奮の声ばっかり入ってましたね。「スゲー、かっこいいよ」とか言って。
--今いきなり音楽中心のお話ですけど、それでも小さい頃は悪ガキだったんじゃないですか?
赤坂:いや…それからですよ。やっぱりロックンロールは革ジャン、オートバイとかね。飛び出しナイフとか色んな話が出てきて、そうするとスタイル真似したいですからね。
エルビス・プレスリーのロックンロールのそもそものスタートっていうのは、「That’s Alright Mama」とか「Love Me Tender」「Hound Dog」とか、「Teddy Bear」があったり…。そこで「ちょっと待てよ、なんでエルビス・プレスリーがビートルズ曲やってるんだろう」って疑問に思ったりしてね。「Something」とかやってましたから、ハワイ公演で。
--リアルタイムではないけど、体験としてプレスリーを先に聞いちゃったんですね。
赤坂:そうですね、だから時代を逆行していったですよそこから。「なんでビートルズの曲やってんだ?」「イギリスとアメリカどう違うんだ、どっちがロックンロール最初なんだろうか?」と調べていって、「なるほどイギリスに渡ったんだ、アメリカのポップスが。その前にエルビスが黒人と白人の持っているリズム感を融合させた。この人が第一人者なんだな」とかね。調べるのが面白くてしょうがなくなったんですよ。
--ちゃんとしっかり勉強してるんですね。
赤坂:もちろんそれはプロのディスクジョッキーですから。ブルースについても誕生ぐらいは言えますよ、ちゃんと。
--若い頃からそういう勉強をしてたと。
赤坂:それはそれだけ興味が湧いたのと同時に、曲がすばらしかったんでしょうね。何の情報もないただのひとりの悪ガキの男の子をドキドキさせるだけのエネルギーを持っていたんでしょうね、ほんの3分間ぐらいの曲なのに。キャラクターも含めてだと思いますよ、ビートルズにしろエルビス・プレスリーにしろ。それで、今度はイギリスはイギリスでのモッズミュージックを含めてビート音楽を聞いてみようかなとか。黒人のロックンロールと白人マーケットに持っていったロックンロールの違いとか聞き分けてみようかなとか、その後ニール・セダカ、ポール・アンカになったりとかね。そもそもストリートコーナーで生まれたドゥーワップは、黒人マーケットにあったものが白人マーケットに出ていったんだとか。
2.近所のスナック、電気屋…音楽のストックを集めるために、あらゆる手段を使いました。
--じゃあ最初に興味を持ったのがプレスリーで、次はやっぱりビートルズっていうのは大きな存在でしたか?
赤坂:もちろん、大きかったですね。僕らが子供の頃ちょうど解散直後で「LET IT BE」とかあの辺で…。ただ僕は初期の頃がやっぱり好きで、トニー・シェルダンのバックをやっていた時とか好きでしたね。
--探求心ありますねぇ。
赤坂:デビューアルバムもオリジナルじゃないじゃないかって思いまして。みなさんもそうだと思いますけど「Twist & Shout」はビートルズの曲だと思ってますよね。「Mr.Moonlight」聞いてもそうですよね。あれ、違うなぁって気づいた時に、なんてビートルズってカバーのレパートリーの幅が広かったんだろう、それがその辺のビートバンドとは違ったんだな。それと、やっぱりハンブルグとかドイツでライブやっている時に、ウケるためにいろんな曲を演奏しなければいけなかったんだな、なんてことも何か見えてくるんですよ映像が。酒飲んでいるやつらにちょっとウケるために「ベサメ・ムーチョ」を用意しとかないとビン飛んでくるぞ、みたいな。そんな匂いにドキドキドキドキしちゃって。それで、ビートルズがカバーした曲を今度またアメリカに視点を戻したりすると、エルビスだけじゃなくてエディ・コクランがいたり、もちろんチャック・ベリーがいたり、ファッツ・ドミノがいたり、ニューオリンズから来た音楽があったり。そうするとやっぱり必然的にブルースに行きますよね。やっぱブルースに戻るんだ、じゃあちょっとブルース調べてみようかなぁって。まぁそんな話をするのが好きな先輩もいたんで。
--それは時代的にいうと…。
赤坂:高校ですね。やっぱ金が無いですから、音楽のレコードがいっぱい置いてあるような、バーというか喫茶店・スナックみたいなところがありますよね。まずそこの人と仲良くなるのが大事じゃないですか。金無いんですから。
--そのへんは得意だったんですか?
赤坂:得意でしたね(笑)。お店の中で勝負かけても忙しいだろうから、店入る前とか狙って「この店いっぱいレコードあるんですよねぇ」なんて聞いて「(低い声で)あるよ。だけどオマエまだ入れねーなぁ」「あ、いいですぅ。いつか来ますから」って、これを4〜5回続けるんですよ。「なんでオマエここに来んの?」「いやーなんかお店の中一回見たいなと思って」「いいよまだ店開けてないから一回入れ」
--おおお(笑)
赤坂:「いいなーレコードは。チャック・ベリーなんてあります?」「(得意げに)あるよ」なんて言って(笑)。「あ、聞いたことない」。(一同笑)「ターンテーブル開けてごらん」「わっ、スゴイスゴーイ」なんて言いながら「録音とか出来ないですよね?」って(笑)やりましたね。
--その辺はうまそうだなー(笑)。
赤坂:中1になって初めてレポセブンっていうビクターかどっかのカセットテープレコーダーやっと買ってもらって。
--よく覚えてますねぇ!レポセブンという名前を(笑)。
赤坂:だって僕、レコードプレーヤーは持ってなかったんですよ。うちそんなに裕福ではなかったんで。それでレコード屋に500円持って行くじゃないですか。一枚買うじゃないですか。それでビートルズの「Roll Over Beethoven」と「抱きしめたい」とどっちにしようかな〜〜って迷うけど一枚しか買えないっていう。で、一枚買って町のちっちゃい電器屋行くんですよ。でそこのお兄さんに「ステレオ見たい」っていうと「これは新しく出た○○社の△△だよ」と。「例えばこのレコードとか録音できますか?あ、カセットテープ買います」って30分のヤツ一本だけ(笑)。紙の箱に入ってあるソニーの買って。「両面録音してもらえますか?」といって録音してもらって。
--やってくれるんですか。
赤坂:やってくれましたね。それまで何回か通ってましたから。必ず乾電池買うのはこのおじさんの所とかね。母親に「なんか電化製品買い物ない?」とかいってね。…それでレコード屋戻って行くんですよ(笑)「すみません、なんか間違って買っちゃったんですけれども。僕欲しかったのは「抱きしめたい」の方なんですよ」。
--(爆笑)
赤坂:「お兄ちゃんに頼まれていて読み間違えました」って。「Twist & Shout」と「抱きしめたい」全然違いますからね。で「抱きしめたい」持ってまた電器屋に行くんですよ(笑)。「録音できないですかぁ」って言って。これでカセットに4曲入っているわけですよ。で(レコードを)返しに行って「やっぱり間違えました、お金返して下さい」て言って叱られるんですよ「オマエいい加減にしろ、そこまでやるか」って(笑)。じゃないと曲のストックないんだもん。とにかくストックが欲しくてしょうがないんですよ。だから観音開きのドアのステレオなんか持っているのは羨ましかったですね。
--いまどきのガキに聞かせてやりたい話ですね、これは。
赤坂:だからきっと、プレーヤーの前にいる時間が長かったんだと思います。もちろんCDはCDの良さがありますけど、デジタルの良さが。スキップできたりとか早送りとかできますけど。僕ら早送りも何も終わるまで待ってなきゃいけないじゃないですか。レコードもA面の一曲目にパチッと針を落としたら、やっぱり友達2〜3人集まってそのLP1枚最後まで聞いてましたからね、ずっと。多分僕らそこで覚えたんだと思います。で、好きなタイプの曲をチョイスしてみたりとか、録音失敗してもう一回針を戻して録音しなおすとか。だからこれは僕の職業だけに限らず、僕らの世代の人たちまたは僕らの先輩の人たちもレコードプレーヤーの前にいる時間が長かったんじゃないかと思いますね。今はもう好きな曲だけで飛ばせますからね。
--今はつまみ聞きみたいな感じだし、同じ曲を何回も聞く回数も昔の人の方が絶対多いですよね。好きな曲を何回も擦り切れるまで聞くとかありましたもんね。
赤坂:だから僕らとか僕らの先輩のディスクジョッキーは曲の途中の話もできるし、エピソードも知っているし、ルーツ知っているし、そこでの喋りは原稿いらないですからね。
--ネタは尽きないってのはすごいですよ。
赤坂:ラジオの喋りを原稿で喋るのはバレますからね。それでディスクジョッキーと言われてもね。「ごっこ」ならいいですけどね。よくスポーツ新聞に出てますよね『DJに挑戦!』とか「最近DJやってて」とか。誰でも出来るんだぁって(笑)。
--DJがそこまでメジャーな職業になったとも言えますけどね…。お話を聞いているとほんとに評論家になってもいいぐらいな感じですね。
赤坂:いや、僕は評論よりも、ストーリーをラジオで話すのが好きですね。
--それはやっぱり書くより喋るということですね。
赤坂:うん、僕は書くのはダメですね。ディスクジョッキーはモノ書くのダメだと思いますよ。
3.しゃべり上手な団地のカウンター少年が 電波の威力に目覚めた!
--喋るのが好きだっていうのは、普通の学校生活の中でも、友達の中でも目立った存在としてあったわけですか?
赤坂:そうですね、何か知らないけど作り話をしてみんなを盛り上げたりはしてましたよ。ある時なんか団地で話してるときに「だって嘘だもんこの話」って言ったのに、団地のガキ達から「嘘でもいいから何か話を作って話してよ」なんて言われたこともありましたよ(笑)。
--話上手なんですね。
赤坂:だから朝礼の時なんかのメガフォンとかマイクとかにはやたら興味がありましたね。自分の声が大きくなって全員に聞こえる喜びっていう…、だから体育委員になりたかったんですよ、メガフォン使えるから。ボタンを押すとキュルッキュルッと注目の音が鳴るじゃないですか。そうすると全校生徒がピタッと静かになる。快感だなーって(笑)。
ーー聞いた話では、消防車を見たいんで勝手に電話して呼んだとか(笑)。
赤坂:ああ。(笑)そういうこともありましたねぇ。
--それもまたすごいですよね(笑)。
赤坂:「泰彦ちゃん消防車見てーな」っていうから「しょうがねーなー、呼んでやるよ」って。それはなんでかっていうと消防署と警察署はただで電話かけられる(笑)。「火事だから来て」て言ったら本当来ちゃって…「泰彦ちゃん本当に来たよぉ」「俺の名前は言うな」って(笑)。
--おいくつの時ですか?
赤坂:それは小学校の時です。団地っ子でしたから、団地はほらあれ全員横一列ですから全員。一斉束になって多摩川の鉄橋の所に行って走ってくる電車の下から顔出したりとか、4階から立って下にオシッコしたりとか。
--自然もいっぱい残っていたんですよね。
赤坂:そうですね。川で誰か溺れねぇかな、そしたら俺たち救助隊になれるのにって人を落としてみたり(笑)。「オマエ落ちろ!」なんて言って。そしたら水深30cmでやんの。「自分で上がってこい!」みたいな。
--子供の時の体験だけで最近のバラエティー番組が作れそうですね。
赤坂:好奇心の対象になるモノは全部試したんじゃないですかね。子供の時は原っぱもあったし、山もあったし、車も走ってはいましたけど、なんかいろいろやっていたような気はします。それは悪さだったかどうだったか…。
--ガキ大将というか、赤坂さんのところに集まるみたいな感じだったんですか。
赤坂:いや、けっこうガキ大将じゃないんですよね。いるんですよ、ガキ大将っぽい雰囲気のヤツは。そうすると必ずオレは違うチーム作るんですよ、対抗するために。
--カウンター集団を(笑)。
赤坂:違う手で負かす、みたいな。向こうが自転車が流行ると「バカ自転車じゃねーよ、砂場でしょ今の時代は、砂場プレーだろ」(笑)。
--ひねくれてるとも言えますね(笑)。
赤坂:ひねくれてたんじゃないですか?腕力で勝てないなぁって思っていたんじゃないですか(笑)、最初から。
--なかなか知能犯かもしれない。
赤坂:かもしれないですね。
--結構面白かった時代ですねぇ。ほかに今の自分にとって忘れられない体験とかありますか。
赤坂:うちの親父が船乗りでね、通信士をやっていたんですよ。それで小学校の頃に…あれはラジオたんぱの、船舶会社がスポンサーについていた番組だと思うんですけど、船員さんと家族を結ぶっていう番組があって、くじびきかなんかでたまたまうちになりまして、船の上と我が家を結んで通信したことがあるんですよ。その時に電波の凄さみたいなのを感じたことがありました。
--それは原体験になっているかもしれないですねぇ。
赤坂:ラジオカーでしたね、来たのは。その中に母親と弟と3人で入って。団地は大騒ぎですよ、今までに見たこともないような…変わった車って消防車とパトカーぐらいしか知らないのに、そこにラジオカーなんか来ちゃって。ただ車の中人数は多かったですよ、今のようにシステム良くないですから。5〜6人は入ってましたね。形は普通の乗用車でした。その時にもの凄くドキドキしたのを覚えています。何で電波が届かないところに電波が届けられるんだろうって。
--そのとき親父さんと話したんですか。
赤坂:そうです。人工衛星使って通信届けて話したんですよ。要するにあれは電波が屈折するっていうことですよね。それは小学校3年とか4年のことですよ。だから父親からは通信のことも含めて電波の持っている影響力の凄さとか責任感とかそんな話を結構聞かされてたんで。なんか信号を打つ機械のいらなくなったモノとかうちには置いてありましたよ。そんな風に電波っていうものになんかドキドキしていましたね。周りの子達が○○マンとかやってるおもちゃよりも、なんかそっちの方がほしかったのを覚えてますね。
4.バンドはラジオに行くための「手段」
--バンドをやられていたわけですよね?どういう経緯でバンドを始めたんですか?
赤坂:(遮るように)それはラジオに行きたかったからです(キッパリ)。ラジオの世界にどうやっていくかなんて方法知らなかったから、バンドやってればいつかラジオ局に行けるかもしんねぇって。なんかコンテストあるかもしんないし。
--ああ!手段ていう頭が先にあったんですね。
赤坂:上手くして売れちゃったりしたらゲストとしてラジオ局行けるかもしんねえって。もちろんロックンロール好きだったから、ビートルズの初期みたいなことをやりたいってのももちろんありましたし。不純な動機を言えば女にもてるかもしれない、カッコイイ、イキがれるっていうのもあったけどね。
--それは普通にある話だけど…ラジオに行けるかもしれないっていう頭が先にあったんですねぇ。
赤坂:プロでデビューしたときは特にそうでしたね。「これでラジオ局に入れる!」ってのはありましたね。ゲストでも何かの番組に出られたら、ちょっとそこでがんばちゃって絶対覚えてもらおうっていうハラはありましたよ。
--「ラジオの世界に行きたい」っていうのは、もう「喋るぞ!」っていう意味でのラジオですよね。
赤坂:うん、そうですね。アマチュア時代にアルバイトとかやったことはありますよ。NHKの録音の声とか、たまたまそんなのが回ってきてここぞとばかりに…。そんな時にもカバンの中にレコード入れてましたけどね、かけさせてくれるかもしれないなっていう。やっぱり自分が持っていったレコードをかけなきゃっていうのがどっかにあって。
--一言いわれたらいつでもやれるぞという準備をカバンの中にはしていたと。
赤坂:もちろんそんな要求じゃないんですけどね。一声「わーい」とか言うだけなんでしょうけどね。そういうことは常に狙ってましたね。
--バンド活動はどのくらいしてたんですか。
赤坂:82年にデビューして、85年ちょっとぐらいまでやっていたのかな?活動は。うちらのバンドはもう、それぞれが次のヴィジョンを描いているステップバンドだったんですよ、最初から。「オレは役者にいきたい」「オレはプロデュース作業をやりたい」「オレは音楽家でいたい」「オレはディスクジョッキーやりたいから」。そういう試しを、バンドのステージに入れていたんですよ。僕ライブでDJショーとかやっていたし、喋り担当だったし。それで、バンドでレギュラープログラムをTBSラジオでもらったんですよね。その時に僕は僕で音楽のコーナーを作ってもらって。そのプログラムが終了して、その時間枠を引き継いで今度僕の番組が始まったんです。まだバンドやってましたけど、個人でラジオでやりだして、初のレギュラープログラムですね。それからバンド活動は止めて、ラジオの制作会社…ある知り合いの所に出入りしながら、例えばパイロット版作るの手伝ったりとか、J-WAVEが開局する前のパイロット作って、スポンサーみたいな所に行って「これ実現したらスポンサーになってくれます?」みたいなことやったりとか…ちょっと待てよ、喋る前に、裏知っておいた方がいいな、って思ってね。
実はバンド時代に話はあったんです、ある放送局の横オビやんないかって。でもそこは奥歯食いしばって断わりました。何故かというとやりたい勢いはある、だけど今はまだ僕に喋りの引き出しがないですから。
--そう言われたんですか?それとも自分で思ったんですか?
赤坂:自分で思いました。これは半年で潰れるな、そしたら二度と放送局入れない。半年つまんない放送やるぐらいだったら、やらないほうがいいなって。
--失礼な言い方かもしれませんけど頭のいい方ですね…
赤坂:こんなこと言ったらあれですけど、この年だからちょっと分かりますけど、そんなディスクジョッキーいっぱいいるじゃないですか。ちゃかしいだけでさ、内容ねーよオマエって。それでチャートで売れている曲をかけている。
--それで消耗されて潰れる人もいっぱいいますからね。
赤坂:番組の目的がない番組。だから手段の番組は多いですよね。
--いろいろ堪える所は堪えてるんですね。
赤坂:お金はおしかったですよ。横オビでもレギュラーやれば、多少がんばれるお金になるかなー、レコード買えるなーなんて思いましたけれども、ただ冷静に見て、これ今オレやっても、ただヤリタイチャンの一人でしかねぇや、これ残れねぇや、って。だって周り見たらその時代って言ったら、もちろんタレントさんで喋っている人いましたけれども、本気ディスクジョッキーの壁でかいですからね。
--仕事する前からプロっていうものに対してのあるべきものを見据えていたんですね。
赤坂:やっぱりプロになりたかったからじゃないですか。
--それだけ本気だったんですね。先ほどから伺っていると、小さい頃から目指す方向がパーンと見えてらしたんですね。
赤坂:目指す方向というか、正直言えばエスケープでもあったと思います。子供の頃に理由付けて、オレは夢があるんだっていうのを言い訳にして、他のみんながやっているまともなことをやりたくないんだっていう。できないしね。だいぶ後になってから「逃げでもあったのかな正直に言えば」って思ったりはしましたけどね。ただそんなこと思うよりも、思い描いていたヴィジョンの方がでかかったんでしょうね。「アメリカン・グラフィティ」見たときに、そこへ行きたいと思いましたから。バカみたいにそこへ行ったらウルフマンに逢えるかもしれないとかね。メルズドライブインっていう映画の舞台になったドライブインは本当にあるもんだ、ぐらい思っていましたから。行ったら帰ってこなくていいのかなぁと思って、勝手に行く計画もしていましたよ。パスポートの取り方も知らないで。
--「アメリカン・グラフィティ」見たのはいつですか?
赤坂:中学2年でしたね。
--あぁ若いですねぇ。
赤坂:小学校の頃からひとつひとつ手を伸ばしていたものが全部一瞬そこにありましたね。スピードとガールハントとクルージングとロックンロールとディスクジョッキーと。
--全部カラーワイド画面で迫ってきた(笑)
赤坂:全部ありましたね。で、「いつかここへ行きたい」ですよ。同じカッコして歩いてみたりとか。カリフォルニアなんだろうかサンフランシスコなんだろうかわかんないけど行ってみたいな、コーラ片手にハンバーガー食いながらとか。そんなこと思ってましたね。
--その辺60年代っていうのは、アメリカへの憧れはみんな凄かったですよね。
赤坂:そうですね。リチャード・ドレイファスがウルフマン・ジャックに逢うシーンがあの映画の中にありますけれども、いつかこの人に逢いたいってずーっと思っていて…一度逢うことが出来ましたけどね。
5.ウルフマン・ジャックと夢の競演
--その、ウルフマン・ジャックとの共演はどういうきっかけだったんでしょうか。
赤坂:TOKYO-FM開局25周年記念番組で、ニューヨークから25時間僕が日本に向けて放送するという企画があがったんです。まあこれもひょんなことからなんですよ。幹部の人にあるとき「開局25周年なんだけど赤坂君」「25時間生放送すればいいじゃないですか」て雑談で言ってたんですよ(笑)。それでピーンと来ちゃったんでしょうね。「やるなオマエ」みたいな(笑)。それで「オーケーやりますよ」って言って、プレ取材しにディレクター一人連れてニューヨークに乗り込んで、向こうのニューヨークのスタッフと一緒に、実はコレコレこうで、ウルフマンの思い出とかずっと言って、向こうでも呼びたいということになって、探したんですよ懸命に。
--その時は探さないと分からないくらいだったんですね。
赤坂:なんか亡くなったなんて噂もあったし(笑)。
--ラジオの放送は亡くなる直前だったんですよね。
赤坂:そうです。で、探して、ワシントンで「プラネットハリウッド」なんかで喋ったりしてたんですね。それで連絡をして呼びたいということになった時に、やっぱりギャラも発生するし、エアー代と送迎、ホテル代と考えると、完璧に予算が無かったんですよ。
--はあ。
赤坂:それで、その辺はちょっと赤坂に黙っていようみたいな空気はあったんでしょうね。電話出演なら…みたいな。でも電話なんかじゃ意味ないじゃないか、ちくしょうって思って一晩考えて、ウルフマン側の方に「失礼な話かもしれないけれど、僕がすべて、企業としてではなく個人で出します。あなたの要求額とエアー代と全部持ちますから、それは失礼に当たらないだろうか」って。
--そう言っちゃったんですか。
赤坂:うん。そう言って。逆に向こうがめちゃくちゃ純粋な気持ちになってくれて、「そこまでして、アジアのどこかで昔たまたま映画を見た一人の少年が、あこがれてディスクジョッキーになって20何年もかかってそこまでして俺と会うの?喜んで行く」って言って来てくれて。
--うわあ…。
赤坂:自然とやる気で涙出ませんでしたね。「よし来た!やっと今掴むときが来たぞ」って。
--こっちはもう今話聞いただけでジーンときましたけどね(笑)。
赤坂:すんごい燃えちゃって。それで一番いい場所に出そうっていうことになって。その25時間番組はニューヨークで朝からやってたんですけど、日本で当時僕がやっていた「ミリオンナイツ」っていう番組の時間帯に、その時報と同時にドカーンと出してやるって言って二人で吠えましたよ。で、一緒に選曲して順番で曲かけてね。
そのときね、前日にニューヨークに入っていたんですけど、本当は前の日に食事しに行こうって誘われていたんですよ。でも止めたんです。聞きたいことは山のようにあったわけですね、本一冊分ぐらい。でもガマンしたんです。スタジオで映画のリチャード・ドレイファスみたいに会いたい!って思ったからね。まぁ正確にはラウンジで選曲の打ち合わせだけは二人でしたんですけどね。僕が持っていったCDを二人で開けて「よく持ってるなぁ、オマエ」なんて言いながら「この後食事でも」って言われたんだけど、そこ行っちゃうと僕がお腹いっぱいになっちゃうじゃないですか。お腹いっぱいになっちゃうと、僕はもう満足しているウルフマンをみんなに届けるような気がしちゃって、一緒に興奮している二人をライブでニューヨークから出したかったんですよね。だからすっごいガマンしたんですよ。
--すごいコントロール効きますね…よくガマンできましたね。
赤坂:いやもの凄いガマンしましたよ。結局眠れませんでしたから。それとこれからアサイチで起きて25時間喋り続けるから、多少睡眠とっておかないとプロとしてまずいなってのもあったんですけど。ガマンしました。本当はもう手つないでずっといたかったですからね。
6.ウルフマン・ジャックの涙…「ヤスヒコは僕のホープ」
--憧れのウルフマンと一緒にやれるっていう興奮を生の番組中に出したかったわけですね。
赤坂:もの凄いライブだったと思いますよ。聴いてるヤツはなんか取り憑かれているんじゃないかというくらい(笑)。
--ドライブかかりまくりでね(笑)。
赤坂:番組のエンディングの頃になると泣いてましたからね、ウルフマンが。こんなに僕は今純粋な気持ちになってるって、彼が涙流していて。
--横でカメラ回っていると良かったですね。
赤坂:カメラは撮ってあります!
--じゃあそれは宝物ですね!
赤坂:でも見れないですね、まだ。見ちゃうと僕もダメなんで(笑)。まだ見れないですね。だから(ウルフマンの)奥さんに送ってあげようかなぁって何度か思ったこともあるんですけど、まだ奥さんも5年前ですからね、辛いかなぁと思って、いつかお墓参りしたときに、僕と一緒にプレイした時のだよって持っていってあげようかなと思って。でそれの番組が4月でウルフマンが亡くなったのが7月ですから、その直後ですよね。最後の日本に向けての放送…ライブ放送だったんじゃないですかね。
--うーん…
赤坂:で、彼の出演時間が終わって、僕はまだプログラム進行していたんで、ウルフマンが終わって彼をエレベーターまで見送って、その後にニューヨークのスタッフに頼んで、彼にいくつか質問しておいてほしい、っていうのを手紙にしてもらって、それを帰りの飛行機の中でやっと落ち着いて読んだときには涙止まらなかったですね。生まれて初めて人に誉められたみたいな感じで…涙止まらなかったですねぇ。今も家に置いてありますけど。
それで亡くなったときに奥さんと連絡取ったんですけど、あの後2ヶ月くらい『ヤスヒコ、ヤスヒコ』ってずっと彼が言ってたって。『僕のホープができた』って。それ聞いたときたまんなかったですけど。おうちに飾ってある昔のディスクジョッキーの写真、モンタギューとかアラン・フリードとか、歴代のDJの横に一つ僕の写真も入れてくれているらしいですけどね。飾ってくれてるっていう。
--凄いですね、それ…ウルフマンの意志を受け継いでるということになりますねぇ。
赤坂:いやー、足下にも及ばないと思いますけども、すごい確認したことはあります。それは僕の一生のテーマでもありますし、彼以上の人が僕の前に現われることはないと思いますし。もちろんその人よりも、例えばアメリカだったらディック・クラークに会ってみたいとかね、偉大な方はたくさんいると思うけれども、僕の中ではトップオブなんで、ずっと僕はそうでいたいなっていう。
--いやー、凄い話ですね。
赤坂:今でも神棚の所に彼の写真と彼から貰った言葉があるんですよ。彼がポートレイトに書いてくれた言葉がね。いつも手を合わせてますよ。
--その時のビデオがあるのに見れないというのが、赤坂さんの気持ちがわかりますね。
赤坂:その時録音したテープもそれ以来聴いてないですね。いつか奥さんと息子さんといっしょに…おうちにはいつでも来てくれって、息子さんが空港まで迎えに行くからって言ってくれているんですけど、行ったときにでも彼のスタジオで再生してみようかなって(笑)。
--(笑)その時はボロボロになりますよね。
赤坂:そんなことができたらね。…でも幸せだと思います。自分が憧れて、何十年も追い続けていた人に逢うことができた、ってことはなかなかないことですから。
7.プロのディスクジョッキーとしての自覚
--でも自分で目指したことをひとつひとつちゃんと実現させていますね。
赤坂:まあ縁もあったと思いますよ。あと運もあったと思います。
--でも赤坂さんのディスクジョッキーにかける情熱がそれらを揺り動かしていたんだと思いますよ。
赤坂:バンドの時も含めて、「オマエ何屋なんだ」っていう、「何で金取れる?」って意識があったんですよ。そのときに、学校にもロクにいってないし、手に職を別に持っているわけでもない。でもラジオのディスクジョッキーだったらまかしてください、プロですから、いつでもいいですよって。「5時間ナマ、台本何もないでやってくれ」って言われたら「いいですよ、やりますよ、できますよ。自分でサラ持ってきますから」ぐらいのことはビシッと言える位のヤツになんなきゃ意味がねーな、という。だから、誰々をぶっ潰すとかそういったことではなくてね。それは僕が70 年代とかに聞いていたラジオのディスクジョッキーの人たちに対する敬意でもあり、あなたたちがいい音楽を教えてくれたから…糸居さんがかけるんだったら本物だろうとか、あなたが言うんだったらオレ買うとか、あなたが言うんだったら流行るわとか…やっぱり僕もリスナーの一人として育ててもらいましたから。だからニッポン放送でも特番作ってやりましたよ、糸居さんの御命日に合わせて。糸居さんの生前のテープとここにいるナマの俺の声で順番でやるという、ウルフマンの時もやりましたけどね。克也さんとはやらなくてもね、死んでないですから(笑)。
--じゃあその小林克也さんについて、少しお話しいただけますか。
赤坂:克也さんは、やっぱり番組を聞いてて。だから「ベストヒットUSA」よりも前にやっぱりラジオですよね、克也さんは。「ベストヒットUSA」もラインナップが強力でしたからね、あの時代の。克也さんのDJっていうのは聞きやすくもあるし、音楽が品のいいモノにもなるし、凄く荒っぽいモノにも聞こえる。克也さんの本買ったこともありますよ、その頃。
--実際に知り合われたのはいつ頃ですか。
赤坂:初めて会ったのは…10年ぐらい前だったと思うけどいつだったかなぁ…覚えているのはNHK-BS で「BSヤングバトル」ってのをやってまして、僕が地方のブロック大会の司会をやっていて、克也さんは総合司会で、決勝大会になると生放送なんですよ。各ブロックの司会者が集まってやるんですけど、その時に生のプログラムで初めて横に並んだんですよね。嬉しかったですね。小林克也の横にいる(笑)。
--ついに横にいるぞ、と。
赤坂:「よし負けねーぞー」みたいな(笑)。だけど、嬉しかったですね。克也さんの横に並べるような入り口に来れたのかな、って。入り口ですよ、同じ同格になったっと言うことじゃないですよ。
--一緒に遊びに行ったりとかはあるんですか。
赤坂:遊びに行ったりとかはないですよ。これから何か、そんな匂いはしてきているんですけど。例えば特番の時に一緒になったりとかね。クリスマス特番で縦オビで僕がやる前に克也さんがやっていて、ちょっと克也さん呼び込んで「克也さんせっかくだから曲紹介して下さいよ」なんて言って、「(克也さんのモノマネで)うぃ〜、ちょっと酔っぱらっているからさぁ〜、じゃあエルビスの「Blue Christmas」」なんてポロッと言ったりして、チクショーカッコイーなーって(笑)。
--でもさっきから赤坂さん、克也さんの分まで一人で二役できそうじゃないですか(笑)。
赤坂:いやあもう、チクショーあの声いいなぁ〜〜って思いますよ(笑)。
昔のインタビュー記事かなんかで、克也さんとんがっていていいなーって思ったのは、英語も独学で喋られて、これは質問したヤツ自体がバカだと思うんですけど、「なんでそんなに上手にできるんですか?」一言ですよ「だって僕勉強したもん!」。カッコイイでしょ?
「だって僕勉強したもん!」これ何にも聞けないですよね(笑)。「あなた不倫したでしょ?」聞かれたときに「やったよ、やった!」(笑)。それと一緒だよね。レポーター何も聞けないよね(笑)。
--ビシッときますからね。
赤坂:オレあの時カッコイイと思った。よかったぁみたいな。僕はバイリンガルではないし、そこまで克也さんのように喋れるようになるまでの遅いか早いかはそれはちょっと分からないですけど、僕は違う方法を取ったんでしょうねきっと。
ただ克也さんも、英語で勝負したから人気ディスクジョッキーになったかというと、それは違いますからね。日本語ですからね、やっぱり。それで切り開いたんでしょ。声のアーティストだと思いますよやっぱり。特に「スネークマンショー」なんかはそうだと思います、あれは。還暦パーティーの時にも言いましたけども、僕らは何もバイブルがなかったから「スネークマンショー」をマネすることが授業ですからね、僕らは。自由授業ですからね。
実は克也さんとは前々からスタッフに言ってる企画があるんですよ。この間の克也さんの還暦の時にも、2時間か3時間枠くれよって。まずオレがかける1時間、それを聞いた克也さんが次の1時間選曲する。3時間目に二人で順番こでやるってのはどう?って。そういうのやりたいよなぁ〜。
--そういうバトルおもしろいなぁ。
赤坂:で・も!枠は取れないんですよ、今の時代は。やっぱり。
--むずかしいですね。
8.リスナーとともに音楽文化を育てよう!
--還暦祝いの時にも感じたんですけど、みなさんのラジオに対する情熱はガンガン感じるんですが、現実にはなかなか良いラジオ番組というか、音楽番組が各局取れないみたいですね。克也さんの特番はあのときありましたけど。大貫憲章さんもその辺をえらい勢いで悔しがってましたよ。
赤坂:そうでしょうね。今のラジオ番組は手段と目的で二種類に分かれてますからね。
音楽文化とか、若者文化を育てる目的でラジオプログラムを作るんだったら今のプログラムは変わりますよ。数字が取りたいスポンサーの枠取り、箱埋めなきゃいけない。今縦で割ってスポンサー一社なんて無理ですからね。たまたま僕が今やっていたのは(赤坂泰彦のサタデーリクエストバトル)一社提供でカミカゼ番組なんて呼ばれていますけども、そういう状況もあるでしょうけれども。それも踏ん張って目的。日本の音楽リスナーたちの文化をもっと盛り上げるんだったらもっと目的番組、あと半分増やした方がいいですね。半分半分にしてもいいと思いますね。
--そういう状況に、思ってもならないところが悔しいですね。
赤坂:放送局の中でもディスクジョッキーを育てようと思っている人は何人いるのだろうか。そんなに高いお金払わなくてすむからなんか元気でちゃかしいできる子だったらとりあえずその子使ってた方がいいと思うのか、本気でやるのか。
--結局人気DJというかカリスマというかそういう人が出てくるのが一番いい方法で、そうしたらそういう目的番組を作っても数字も取れるし、リスナーもついてくる。本気でラジオ局にDJを育てようという方向の人が増えるといいんですよね。
赤坂:いらっしゃることはいますからね。そういう方がね。
--それに応えるべきそういう人がでてくるのもいいけども、赤坂さんはすでにそういう位置にいらっしゃるわけなんで。
赤坂:いや、いないっすよ。僕なんかキツイっすよ、今。
--DJ赤坂はラジオだけでなくテレビにも出てますよね。テレビはまたすごい巨大なメディアなので、テレビに出ると一夜にして知れ渡るって人気者にもなりやすいわけですけど、テレビとラジオの自分の使い分けというか、出し方は考えてらっしゃいますか?
赤坂:他の方はどうかわかんないですけど、僕がそうしたのはディスクジョッキー界をメジャーなものに押し上げたかったんですよね。
--それには有効な手段ですよね。
赤坂:もの凄く。それと同時に、「甘いもんじゃねぇんだよDJなんて」っていうのを少しでも発表できる機会が増えれば、そしてそこに憧れる本気の人が増えてくれたら。だから、もしこれが「ラジオのディスクジョッキーでちょっと人気者になれればテレビにも出れたりすんのかなー」と思ってた子たちは失敗すると思いますね。それは動機としては。
--克也さんもそうなんですよね。「ベストヒットUSA」でテレビに出てから克也さん認知は高まりまして…ラジオの何倍の勢いで、それがラジオに帰るとラジオがまた盛り上がるという方向が有り得ると思うんですよね。
赤坂:さぁ本業やってきたっという時ですよね。
--だから赤坂さんも同じテレビとラジオと両方かけられてる数少ない方なので、そのパワーがラジオに戻ってくるときに、本来一番自分のやりたいことがやれるようになるといいですね。
赤坂:やりたいこと全てはなかなか難しいですけど、今やっているプログラムは、バラエティー番組以外に関しては全曲自分で選曲しています。それも自分のお皿で。もちろん見本盤もあるしレコード室から引っ張り出したものもありますけど、基本的には自分のものでいつも車にはやっぱり数百枚は積んでますね。
--そういうことがやれるのは、やっぱり自分としてもうれしいことですよね。
赤坂:だからいろんな番組に言ってますよ。「いつでも穴開いたら行くから。携帯に電話してくれればすぐに飛んでいって打ち合わせいらないし、せーので時報と同時にやってやっから」ってね。
--はっきりいって、やらせろよオレにって感じですよね。
赤坂:もちろん。かけていいの?っていう。
--大貫憲章もオレにやらせてくれぇ〜って叫んでましたよ(笑)。
赤坂:それは大貫さんが与えた影響は大きいですからね、実際。
--実際そういう大貫さんに影響を受けた子どもたちが今ミュージシャンとか業界人になってきているんですよね。
赤坂:「ロンドン・ナイト」で育った人たちなんてたくさんいますよ。僕はお会いして直接話したことはないですけど、大貫憲章さんがDJを手段としてやっていなかったから、目的があったからでしょうね。音楽文化を育てたいという気持ちですよね。
--ほんとにそうですよね。その目的はすごい強い思いだったでしょうね。
赤坂:それと同時に、生半可なヤツを叱りたいっていう強い意志、目的があったと思いますよ。
--彼の場合は「オレが教えなきゃ誰も教えてねーじゃねーか、ロックそのものについてオレは語り続けるぜ!」みたいな意気込みもありますよね(笑)。
9.リスペクトが21世紀の音楽文化を創る!
赤坂:そうだと思いますよ。僕らの代なんかは道を道を作った方々への思いっていうのはありますけど、その後の代の人たちがそういった人たちに敬意を表わすかどうかですよね。日本ってなかなかリスペクトに関しては薄いじゃないですかまだ、受け取り側文化が。
--そうなんですよね。だけどやっぱり重要ですよね。これから21世紀は間違いなくそうだと思います。それがモノを高度なものにしていく、熱いものにしていく作業としてはリスペクトだと思います。
赤坂:だから僕は克也さんの還暦の時にも辞書を渡したり…あれはジョークですけども(笑)。カードに書きましたよ。「道を造って下さってありがとうございます」って。そういう人たちがいなかったら僕らそのレールに乗れませんでしたからね。この僕に対しても何人かいましたよ、「赤坂潰す!」みたいに地方の局で盛り上がってるのがね。そうするとリスナーが「赤坂、こいつがこんなこと言ってるぜ」何て言って。そういうのはほっといていいもん。だって相手にするものでもないしさ(笑)
--盛り上がってくれりゃいいよみたいなね(笑)。
赤坂:そこが盛り上がってればいいよ、それは。でもさ、僕はやっぱり糸居さんにしろ克也さんにしろ、みんなどっかでちっちゃなエポックメイキングをしているわけですよね。例えば土居まさるさんが深夜放送で「僕はね」なんて喋ったら上司に叱られた。「私は」にしなさいとかね。「オレ」なんて言えなかった時代もあるとか…初めてコーナーを飛ばしちゃった人もいるかもしれないし、たった一枚のハガキで2時間引っ張っちゃった番組もあるかもしれない。どっかで切り開いて道を造って、なんか全放送局の歴代のそういった人たちの積み重ねで、もしかしたら僕なんかが初めてやった頃はかなり甘くなってたんだと思いますよ。今はザルみたいになってますから。ただそこういう状況で5時間でも6時間でもやっていけることが大事ですよ。いくらでもどうぞって克也さんでも言うでしょうね。「(克也さんのマネで)え〜眠くなっちゃうなぁ」なんて言いながらも「いいよ、僕かける」って。何にも打ち合わせいらないんじゃないですか。「どの辺からかけよう、50年代から行こうか?」とか「90年代から遡ろうか?」とか、できますよ。
--本来のディスクジョッキーって完璧なそういうイメージでありたいですよね。
赤坂:多少機械もいじれないとダメですからね。編集手伝ったりとか。今技術マンだって…まあ「Musicman」に載ってる方はそんな方はいないと思いますけど、レコードをオープンに録音してスクラッチノイズ除れる作業できない子いっぱいいますからね、ADでも。ハサミ細かく入れればスクラッチノイズ取れるじゃないですか、めんどくさい作業ですけど。「そんなことできるんですか?」って知らないの(笑)。だって昔の方たちは「これノイズとっとけ」でしょ。「もう終電乗れないんだから朝までノイズとっとけ、全部」なんてのあったじゃないですか。
--そういう時代がありましたよね。
10.パーソナルなメディアとしてのラジオの役割
--じゃあ制作者側だけじゃなくて、リスナーの方の変化とか感じてらっしゃることありますか?いろいろ手紙とかファンの声とか。
赤坂:僕の所に来る範囲では、(音楽のことを)教えてくれたり、ちゃんと連れていってくれる番組が聞きたいっていう子の方が多いですね。「どこかけても朝から同じ曲、きついよぉ。人気なのは分かるけど、朝からキツイぜ」っていう声もよくありますし。もちろんそういう番組あっても良いんですよ。でもうちのリスナーなんかはやっぱり僕が一生懸命やってきたことをありがたく受け止めてくれてて、全然興味なかったけどその音楽に興味が湧いたとか言ってくれますよ。
--赤坂さんのリスナーでジョン・レノンが死んだことを知らないで「ジョンの新譜は出ないんですか?」って言った少年がいたそうですね。
赤坂:あぁ。ラジオには色んなエピソードがあって、それもその中の一つの話ですよ。たまたまテレビで言うと広がっちゃうみたいですけどね。いっぱいありますよそんなの。僕は「ラジオマジック」っていう言葉が好きでいつも使っているんですけど、この話もラジオマジックだったんじゃないかなと思いますよ。
--いくつぐらいの子だったんですか。
赤坂:ハガキ送ってきたときは平仮名のきったない字で「ぼくはジョン・レノンがだいすきで、イマジンをきくとほっとするんです。さいきんジョンのしんぷってでてないんですけど、ジョンはどうしてるんですか」って。だからそのとき番組では「これ笑っちゃう人は笑っちゃうんだけど、こいつ純粋だよ。出たらいいね。調べてみて」って。(ジョンが殺されたこと)言わなかったんですよ。「色んなモノあるから調べてみ。それでいつか教えてよ」って。
--その後その少年に会えたんですよね。(編注:のちに赤坂氏が司会をつとめたイベント「ビートルズ音楽祭’96」を見に来ていたその少年が、帰りの空港で赤坂氏に声をかけた)
赤坂:そのときは中3か高1ぐらいの感じになってましたね。空港のロビーでこんなになって本とかいろいろ抱えて、「これ見てよ、全部買ったんだよ!」って。かなりの小遣いはたいたと思いますよ。そのとき言ったんですよ。「ジョン・レノンが会わせてくれたのかもな、オレとオマエな」って。あの日ラジオでハガキを読んだだけなのに、そんな時はたくさんの聞いてる人の中の、相手は一人ですからね。
--ラジオはパーソナルなメディアですよね。
赤坂:うん、そうだと思います。それに、そいつがほんとに調べるかな、調べないかな、っていうのに他のリスナーが興味を持ちますから「どうなったんだろアイツ」って。
--一個人のことがそれを聞いている自分にも共有されてヴァイブが広がってゆくみたいなところが「ラジオマジック」ということに繋がるわけですよね。
赤坂:だからラジオは3ウェイなんですよ。この中(ブースの)で言ったら僕とリスナーとディレクター・ミキサー含めてこの三角形ですよね。放送でいったらオレと例えばハガキ読まれたヤツ、FAX読まれたヤツ、リクエスト読まれたヤツ、それを聞いているもう一人という3人いますから、この輪をどう転がしていくか。特に限られた時間の中で起承転結、自分でプロデュースして自分で作っていくわけですからね、ディスクジョッキーは。やっぱり番組のエンディングにはどこかに着地したいし、時にはこれが深夜放送だったら着地しないまま次に美人局で残してもいいし、フェードアウトで終わっちゃってもいいし。でもテレビの場合は与えられた役目の所をこなすことをしないと、他の人にも迷惑かけちゃいますから。場所与えられるじゃないですか「これをやって下さい」と。ラジオは全部ですからね。
--ラジオの方が個人を出せるし、個人枠の方が電波に乗って伝わりやすいってことも言えるんですよね、きっと。
赤坂:そうでしょうね。これが間違って伝わっちゃうと(笑)…逆に自分が出せるぶん、自分を殺さなきゃいけない部分も時には出てくると思います。
11.インターネットはコミュニケーション・ツール
--最近はインターネットの連動というのもニッポン放送なんかも盛んに押し進めてますよね。ラジオにインターネットを連動させることに今手応えとか出てきてますか?
赤坂:もちろんジャーナルな部分とか、すごく敏感になった部分はありますね。今までレコード室に行ってレコード一枚引っ張り出してきて「とりあえずこの曲終わりまで3分しかねーなー」とか言いながらそこのライナーからだーっと調べてたようなことが、今はネットで検索して、バーッとコピーアウトして。それはそれで凄く便利だと思いますよね。でもリスナーから来るメールがありますけど、あれ字体がないですからね。ハガキやFAXと違って。
--なるほど。一生懸命顔文字とかやるけど。
赤坂:ひらがなででかい「ばぁ〜〜か」とか、そういう発音がないですからね、字の中に。だから僕は今でもハガキ読むのが好きですね。ハガキ一枚のスペースの中に自分を表現するという凄いカロリー必要ですよ。
--情報量が凄いということですかね。
赤坂:細かく書く子もいるし、イラスト一枚で笑い、ウケを狙ってくる子もいますし、いろんなヤツいますけど。もちろんメールにも愛情あると思いますちゃんと。ただ、これは作業的なものですよね。僕らがメールをプリントアウトしてもらってそれを読むのと、ハガキでこの人の50歳のこういう感じの字っていうのを感じるのとでは、これはかなりの違いがありますからね。
--50歳の方からも来るんですね。
赤坂:来ますね。僕10代から70歳までリスナーの人がいるから(笑)。
--幅広いですねぇ〜。
赤坂:ホンットに。別に女の人向けにも男の人向けにも喋ってないし、聞いているのは誰でもいいといつも思ってるんだけど。
--赤坂さんのオフィシャル・サイトもありますよね。ご自分でのぞいたりしますか?
赤坂:時々のぞいたりします。あれも最初はやんなくていいよって言ってたんですよ。
--あのオフィシャルサイトでは会員限定でインターネット番組も流してますよね。
赤坂:そういうこともやってますね。どうしてホームページをやりだしたかというと、今までは番組やっていてFAXが一枚来ると、これは読まれてますよね。読まれたことみんな知ってますよね。でも読まれてないこっちがありますよね。これ僕は読んでいるんですよ。もちろん面白いのが後からあったりするんですよね。インターネットだとこれが載っけられるんですよ、全部。それに対して全員ディスクジョッキーになって、このコメントに対してのリアクションする子、このコメントに対してリアクションする子、ときにはこの子とこの子がやりあったり自由にできるじゃないですか。これはラジオの世界にないなと思って。じゃあそれやってあげようよと思って。まぁ本人たちで情報交換していて「○○のアルバム探しているんだけど」とかね。ついこの間も「ウルフマン・ジャックの『ビッグ・イヤー・ミュージック』のCDが2枚出ていたよ。池袋のどこどこで売ってたよ」なんて書いてあったら僕が買いに行きますからね(笑)。
--「教えてくれてありがとう」みたいな(笑)。
赤坂:それでまた番組で「(ウルフマンのCD)あったよ!これだよ」って紹介してあげるという。
--それはなかなかすごい連動ですよね。
赤坂:うん。チープなことかもしれないんですけど。そこになんか動きがあるのかな、情があるのかな。
--その辺は便利ですよね。じゃあ自分のサイトでは、ご自分のやりたいことを、できる部分はやってらっしゃるということですよね。
赤坂:そうですね。だから、メールも含めてリスナー同士のラジオ番組っていう感じですね。例えば「20歳の誕生日を迎えて友達もいない恋人もいない、一人で部屋にいて、今日僕誕生日だったんだけど」っていう書き込みに対して全国から「実はオレもそうなんだよ、オレもひとりだよ」とかね、ちょっと救われるじゃないですか。誰かが「おめでとう」って入れてあげればいいし、「アタシは50だけど今日誕生日」でもいいし。それはラジオではそこまでのフォローはなかなか割く時間がないですから。
--お忙しいでしょうけど、ご自分でネットに向かう時間も適当にはあるわけですね。
赤坂:のぞいたりはしています。それとスタジオ取って、深夜放送ノリのだらだら喋りを15分、週に2本ずつぐらい録ってどんどん更新してゆくようにはやってますけどね。これは自腹ですからね(笑)。
--今のところネットは僕らも自腹でして…収入ないし。
赤坂:もうそれしかしょうがないでしょ。
--収入ないけど何とかやり続けなきゃしょうがないなーみたいな。
赤坂:僕なんかの場合は一介のDJがそれで金儲けしようなんて思ってもすぐばれますからね。そんなことやっても(笑)。ただ帽子をオリジナルでどうしても作ってくれっていうから一回だけ100個だけ作りましたけど。それもじゃあ一回だけ作ろうと。別にグッズ売ったってなぁ買わねえよだれも、なんて言いながら一回だけね。あと(ネットは)音楽かけられないじゃないですか、やっぱり。
--法的なことがありますからね。
赤坂:ゲリラ的にはやりますけどね。本人の承諾を得るという方法で(笑)。桑田佳祐さんが格好良かったですよ。一回だけならいいって言って。だから聞いてるヤツびっくりしていましたよ。サザンオールスターズの新曲「ホテル・パシフィック」がインターネットラジオで完奏しているんだから。
--あのサイトの中に入っていたんですか(笑)。
赤坂:内緒ですけどね。
--へぇー。
赤坂:スタジオで桑田さんと会ったときに「桑田さん、これこれこういうことやってるんですけど、一回だけかけていいですか?」「うーん…いい。」
12.ディスクジョッキーに必要なのは「ジャーナルであること」と「プロデューサー感覚」
--克也さん、赤坂さんとお会いして、喋るプロの方というのはむちゃくちゃ頭がいいのか勉強されてんだなーと思いますよ。でないと次から次に回転してネタを順序立てるとか、普通頭悪いと喋れないもんね(笑)。先の展開を読みつつ、今も喋るっていうことですよね。
赤坂:なんなんでしょうね。まあ隙間が空いちゃうのが怖くてとりあえず何か埋めとかないと、ていうのがあるのかな。
--それが上手にできるということだけでも凄いですよ。
赤坂:ただ喋ることがディスクジョッキーじゃなくて、あえて喋らないディスクジョッキースタイルもありますからね。喋らない美学もありますよ。
--ああ、そうなんですか。
赤坂:イントロにぴっちり曲紹介を入れればDJかっていうと、そうじゃないですからね。
--基本は如何に音楽を良く聞かせられるか、聞こえさせられるか、伝えるかっていうことですよね。
赤坂:発売日、コンサート日程、受付電話番号言ってイントロで終わりっていったら、それはもしかしたら曲死んじゃいますからね。それは予定曲であって、大事なのは曲紹介よりも曲締めで、曲をどう聞かせてあげることができるか。克也さんがかけるビートルズと僕がかけるビートルズは違うし、(クリス・)ペプラーがかけるビートルズも違うし、ケイ・グラントがかけたらまた匂いも違うだろうし。
--そこにディスクジョッキーのカラーが現れるんですね。
赤坂:選曲に対するこだわりも必要だし、頑固にもなっていくだろうし、全然違うところで柔軟性も必要なんだろうし。やっぱりディスクジョッキーに必要なのはジャーナルであるってことですから、昔は良かったって考えはないですからね。昔も良かったわけですから。ただ見極めは大事だと思います。何を届けてあげたいかっていう。だから断わったプログラムもありますよ今まで。「これ僕じゃなくていいじゃないですか、僕はこれには興味がない、ごめんなさい」。それははっきり伝えてあげた方がいいと思います。別に偉そうな意味とかじゃなくて。
--そういういいディスクジョッキーの番組をもっと増やさなくちゃだめですね。
赤坂:最近はTOKYO-FMも久しぶりにレギュラープログラムやるようになったんで、今度特番やるんですよ。レギュラーは録音ですけども日曜日に自分で選曲してやってます。そうするとまた「今度特番やってくれませんか?」「いいですよ。そのかわりにこっちに選曲権くれる?」って。
--手に入れなきゃおもしろくないっていう感じがありますよね。
赤坂:そうですね。ウルフマンも言ってましたよ。「ディスクジョッキーに権利を!」って。アメリカではそうなりつつあると。喋るパーソナリティーの権利、これは分配のお金じゃなくて番組プロデュース権利ですよね。
--それは昔のローカル局はじめからあったのでしょうけど、メインのメジャーな局では見事になくなりましたね。
赤坂:番組の流れとかいろんなこと考えたら、それこそ編集からCM作りからやりたいもんね。
--自分の番組で。
赤坂:他の番組では、○○っていうスポンサーのCMはそう流れているかもしれないけれど、うちの番組では絶対一緒の形にしない方がいいから。オレが作るからって、スポンサーさんとやりたいな。「この形にしましょう、オレ喋るから」とか「僕喋る人連れてくるから」とか。コラージュは得意ですからオレ。
--プロデューサ感覚も目一杯ありますね。
赤坂:いやディスクジョッキーそれ必要ですよ。それはもう歴代の人たち持ってますよ。
--瞬時に判断してコントロールしながら進行していくわけですよね、全体の時間をプロデュースするわけですよね。
赤坂:そうですね。その瞬間は誰も入り込めないと思いますよ。スタッフでさえ声かけられないと思いますよきっと。だからミキサーとディレクターと一緒に向上していきたいですね。僕が生のプログラムやっていてありがたかったのは「ミリオンナイツ」という番組の最終回の時には、休みだった人間も含めて5人…6人来たかなミキサーが。「最後の放送一人ずつリレーでやります」って言われたときにはもう涙堪えるの必死でしたよ僕は、休みなのに出てきて。どうしても来たいけど他の番組があって来られなかったっていうヤツからも「ミキサー人としてこんなに参加した番組なかったです」っていう手紙貰えたし。自分がミキシングする腕出せるわけですからね。だからみんなカートリッジ持ってましたよみんな、赤坂仕様の。「オレはこれぶち込んで今日の赤坂やる」。今でも付き合ってるミキサーいますし、番組によっては逆指名しますから、ミキサーこの人にしてって。
--深いつながりですねそれは。
赤坂:ディレクターもこの人とやりたいっていう時ありますよ。
--それだけいい番組だったんですね。
赤坂:この間もやったTOKYO-FMの番組なんかも、ミキサーは何にも言わなくてもいつものそいつら二人。「赤坂の番組、ちょっと待て、オレがやる」って言って来てくれますからね。よっちゃんっていうんだけど(笑)。
--実際ミキサーも大事ですよね。
赤坂:僕がいつも言ってたのはディレクターはプロデューサーになれって。現場のプロデューサー。ディレクションはオレとミキサーでやるから。オレがマイクからバッてやった瞬間に向こうでカチャッて入れたの顔で分かるもん(笑)。ここで吠えるなって分かったらドカンと上げたりとか。
--タイミング瞬時ですからね。
赤坂:僕はトークバック山のように使いますからね。「お見事!」って。
--そういうコミュニケーションも大切、と。
赤坂:ミキサーとのタイミングが合う人とはとても安心出来ますね。やっぱり仕掛けてくるから向こうも。
--向こうも楽しみですよね(笑)
赤坂:「今日ちょっと声出てないんじゃない」って言って(ボリューム)下げますからね。そうするとこっちは大きい声になりますよね。上手くコントロールしてくれる人いますよ。
--それはミキシングエンジニアの腕ですね。
赤坂:もの凄い大事ですよ。もちろんディレクターもそうだし、ディレクターの一言が貴重なときもあるし… 僕の場合だいたい逆キューですから。向こうからキューってあまりないですから、こっちからキューですからね。今でも付き合ってるクルーいますけど、よく付き合ってくれたと思いますホントに。感謝しています。一緒にいいディスクジョッキー界っていうのを作っていきたいですね、連中と。もう十何年付き合っているディレクターもいるし、逆にディレクターとミキサーを指名できる喜びみたいなのももの凄く感じるし。彼らからの愚痴も聞くしね、「赤坂さん、こんだけ今6本も番組やっていてやる気出る番組1本もないよ」ミキサーからも「変えたいっすよ番組、勘弁してくださいよ。卓の前に座ってスイッチ入れるだけですよオレなんか」。
--それはまずいですねぇ。
赤坂:もうしょうがないですよね。ちょっと出てきて面白い子がいたらスポンサーがつきやすいですからね。
13.自分で道を切り開いてこそ、音楽にも姿勢が反映される
--邦楽で気に入っているアーティスト、グループはいらっしゃいますか。
赤坂:やっぱり自力でやってきたヤツらは最初から認めますよ。今は売れたら雑誌はすぐ「アーティスト」って書きますから「ビートルズと一緒なんだこの子、アーティストなんだ(笑)」
--やっぱり思いますよね(笑)。
赤坂:誰かが教えてあげないと自分で言っちゃいますから。思いこんでいると「アーティストデビューしたんですよ」って自分で言うの。人が決めんじゃねーの?アーティストって何、100万枚売れるとアーティストなの?だから僕今ミュージシャンって言っています。ミュージシャンになれるか、じゃあ。自分で作るんだぞ、自分で人生切り開いて、身を削って音楽作って、与えた人たちの喜びを自分の喜びとしてる人。それがアーティスティックな考え方であって。だからそういったところでも、聞き手側文化をマスコミも含めて育ててあげないと…海外の友達が聞いたら鼻で聞いちゃうもん。悔しいけど、「これなの?200何十万枚も売れているのって、えっ?!」
--(笑)
赤坂:それで例えばスターダスト・レビュー、(山下)達郎さん、矢沢永吉、CHAGE & ASKA聞かせて「何でこれが売れないの?ミュージシャンが売れなくてタレントが売れるんだ、日本って」。それもありなんだな日本も。
--アーティストっていう言い方を業界がするようになっちゃたけど、あれは「(タレント)」っていう感じに近いわけですよね。言い方がね。
赤坂:だから誰かが、別に口を酸っぱくする必要はないですけど、ほっとくのはほっとくかもしれないですけど、僕はミュージシャンの人が好きです。だからLOVE PSYCHEDELICOの「Free World」がインディーズ時代に作っていて、メジャー4枚目に出したなんて面白いですよね。半分英語半分日本語どちらか分かんないような感じ、アリじゃないこんなの全然っていう。ギターウルフが自分たちで切り刻んでツアーに出たりとか、いいじゃんいいじゃんって思いますよ。だから大まかにいうとインディーズの方が面白いなんて言う人がいるんでしょうね。切り開いているから、身を削ってるから。身銭切って自分の言葉を作ってやってますから。
--音楽聞いてもその姿勢はやっぱり映し出されているというか、身を削ってるように聞こえてるってことですよね。
赤坂:うん、そうだと思いますよ。生き残っている音楽は生き方ですからね、やっぱり。スタンダードナンバーになっている曲は、ただ売れたからずっとそうかって言ったらまた違いますから。切り取った時代、時代の瞬間、瞬間の日常ソングは多いんですよ。ヒットしやすいから多いですけどね。じゃあビートルズの曲がいまだに全世界でナンバーワンになる、日本でもゴールドディスク大賞獲っちゃう…この21世紀最初のゴールドディスクで。なんでかって言ったらあの人たちは季節季節のうたなんか唄ってないですからね。日常の切り取りソングじゃないでしょ。もっと普遍的なものを唄っている人たちだから、一曲もないですよね「♪夏が来たイエ〜イ」とか(笑)。「♪夏の終わりはもの悲しいな 砂浜に立っていると君の面影が」なんて曲一曲もないですからね。そういう歌一曲もないですからね。それに気づいているミュージシャンいっぱいいると思いますよきっと。「♪ポケベルが鳴って」なんて歌詞が入っていたら今はもう流れないでしょう。そん時の曲じゃなくて日記だもん、歌詞じゃなくて。だからキャラクターが面白くて、チャチャッと人気者になってドカーンとなった子もいたかもしれないけど、その後に同じ世代で自分で自作自演やっている人が出てきたら転がっちゃいますよ、聞き手側もバカじゃないから。作っている子たちの生き方見えちゃうんだもん。浜崎あゆみちゃんなんかそうなんでしょうね。生き方が見えてきたから、自分から発信しているっていうパワーを受け取っているから説得力が曲に付いてくるんじゃないですか、時代の若手のオピニオンリーダーとしては、きっと。そんな風に見たりなんかはします。好き嫌いは別として、力を持っている人なんだろうな、と。
日本はライブやらなくても出られるっていうのがありますからね。さぁやった時にどうなるんだろう?例えばそういうのを見に行ったリスナーからのメッセージかなんかで「テレビで見ていたら面白かったんだけど、ライブ見に行ったら全然面白くないよ、赤坂。動きも何もないんだね。横に歩いたり走ったりしているだけで飽きた」。それはなぜか?テレビの編集で救われているから。何回カット割りしてます?一曲の中で。「エド・サリバンショー」なんか2カメですよね、アップと全身だけ。だからその時代の人はいかにパフォーマンスで惹きつけるかでやってたわけじゃないですか。演奏している格好良さ、唄っている素晴らしさ、歌唱力、そこが勝負ですから。今は編集で誤魔化せるもん。どんなにでも格好良くできますからね。だってロックバンドがテレビに出ていてさ、メイク係が汗拭きに来る時代ですよ。「オメェバンドなんだろ?汗拭かれてていいのか?」と思うときありますよ。「汗かきたくてバンドやってるんじゃないの?ロックバンド汗拭いてもらうんだ今」。なんかこの辺にいっぱいつけた(ヘアメイクの)女の子たちが平気でカメラの前を横切って、前髪をピッピッ、髪の毛一本これで違うのか?おかしーなぁ、オレの周りにいたロックバンドなんて、「触んなバカヤロー、今こう流れている汗が大事なんだろ」ってね。汗だくでさ、Tシャツなんか汗のシミが隠れるくらい汗で全部色が変わっていたらたまんなく嬉しいわけですよ。「やったぁ、オレ今日燃えたぁ」みたいな。Gパンもグショグショで、みんな楽屋で「タマキンの周りだけ汗かかないのおもしれぇーなー」みたいな(笑)。…今はそういうものなのかなぁ。それもアリなんでしょうね(笑)。
--やっぱり赤坂さんのスピリッツはロックなんですね(笑)。
14.誕生日には親に感謝…「産んでくれてありがとう」
--リスペクトの話題がさっき出ましたけど、最近若い人の履歴書なんかを見ると、尊敬している人の所に「両親」って書いてあるヤツも結構いるんですよね。
赤坂:ほほぉ。
--赤坂さんはご両親のどんなことに対して「ありがとう」と言いたいですか?
赤坂:やっぱり産んでくれたことでしょうね。
--ええ?
赤坂:いやいや冗談じゃなくて、母親にも毎回自分の誕生日は電話しますよ。「僕を産んでくれてありがとうな、やっと言えるわ」っていう。前は言えなかったですよ。誕生日っていうのはみんなにプレゼントもらってお祝いしてもらう日じゃなくて、逆に親にお礼言う日じゃないかなって思うんですよ。親父にも言いましたもん「オレ作ってくれてありがとうな」って。ありがたいことに、そんなこと言っててリスナーから言われたこともあります。「この前あなたが誕生日だったけどあなたの親に感謝している、じゃなきゃあなたの声聞けなかった」。
--人からも言われてしまう。
赤坂:ラジオではよく言ったことあります。誕生日ってさ、お袋から離れて仕送りで学校行ってるんだったらさ、親父とお袋に電話してやったら? 一回電話するのそんな大した時間かかんないだろ。それで「母ちゃん産んでくれてありがとう」って言ってやれよ、オマエって。
--誕生日の捉え方って、それが一番正しいって感じしますよね。
赤坂:僕は今そうですね。今一人だけ婆さん生きてるんで、婆さんにも言ったことありますね。だから二人に電話しますよ。実家と婆ちゃんと。「婆ちゃん、お袋産んでくれてありがとう、じゃないとオレ産まれなかったから。ホントよく産んでくれた」っていう気持ちですね。これはもうかわんないと思いますよ。
--ラジオでも言いました?
赤坂:もう何回も言ったことありますよ。
--それでですかね、最近若い子の…。
赤坂:いやー、それはどうか分かんないですよ(笑)。まあそれと同時に背中合わせにあるのは、ホントごめんなさいっていう(笑)。謝りきれません、どうもすみません。ホントごめんねっていう(笑)。
--何したんですか一体!?(笑)
赤坂:放送できない範囲でゴメンネっていう(笑)。それは今言われると今でも痛いみたいな。
--ここに来るまでさぞかしいろんなことがあったんでしょうね(笑)。
赤坂:それはもちろんはみだしたりもするしね、今のガキだって横道はずれたりすると思いますよ。頭も、カッコも信じられない方向に行っちゃうヤツもいるし、だけど戻ればいいかなと思いますけどね、悪さやっても。戻れなくて、やっぱその空気にいたくて組織行っちゃう子もいるし、ずっと肩で風切りたくてね。オレらガキの時って、30過ぎて、肩で風切って「何みてんだコノヤロー」とか言ってたら、「何やってんの?いつまでやってんの?そういうこと。だったら誘わないよ」っていう風になってましたからね。もちろん向こうからふっかけてきたらね、三回くらいガマンしますけど、三回ガマンしてダメだったら「おじさんいい加減にした方がいいよ」ってなりますけど。ガキの頃はいいですよ、それが名前を売る方法ですから。ケンカで勝てないと渋谷・原宿あたりで名前売れないですからね。でも30過ぎたらねぇ。
--じゃあ最近頭にくることとか、本気で許せないこと、キレそうな、バカヤローみたいなことって何かありますか?
赤坂:自分の周りではそんなに…ないと思いますね。
--意外に赤坂さんは短気ではないんですかね。
赤坂:いや、両極端だと思います。結構僕って平和主義なんですよ。輪はなるべく丸くなっていた方が安心しますからね。どちらかというと。ただ、最近「ごめんなさい」ってちゃんと言わなきゃいけないんじゃないかって感じるときはあります。人っていうのは自分の非を認めて「すみませんでした」っていった時が一番美しいと思うんですよ。
--それ言える人と言えない人がいますよね。
赤坂:「はい、はい、はい」「はいじゃなくて『すみませんでした』先に言わないといけないんじゃないオマエ」ていう。「『ごめんなさい』なんじゃないか」って。
--若いヤツ、特に言えないですよね。
赤坂:それはしょうがないですよ、ガキの時の延長でいちゃってるから。
--赤坂さんも昔からそれは言えてた方なんですか?
赤坂:言えてなかったと思います。なんでそれがわかったかというと、先輩が教えたから。「タテ」っていうのがありましたからね僕らは。まあ、きな臭いとこに頭突っ込んだから余計そうだったんでしょうけど。あともう一個は小ずるい手段として。「あやまっちまえばすぐ済むんだから、適当に泣いたフリでもしときゃいいんだよ。バカなんだからさ。下向いてさ、テレビドラマの役者と一緒だよ。悲しくて泣いてんじゃないよ、役者なんか。まばたきもしないで二分も頑張れば涙でんだよ。下向いて目開けりゃいいんだよ!」…っていうのもありましたね。
--なるほど(笑)。そういう言い方もあるんですね。
15.最後まで、いいディスクジョッキーとしての人生を全うしたい
--じゃあプライベートなことを少しお伺いしますと、気分転換でなさっていることってありますか?
赤坂:僕は海ですね。今ウエイクボードってのをやってまして、都内だったら江戸川、荒川、羽田沖…海は汚いですけど、モーターボードおろしてボードやってます。潜りも行くし。仲間と朝一番で江戸川行って2本滑って、そのまま仕事に行っちゃたりとか。
--日常的に行かれているんですね。
赤坂:行ってますね。朝7時頃電話して、「どう今?」「ボート降ろせますよ、今誰もいないから」「今行く」ってパーッと行って、「二本ぐらい滑ろうか」ってシャーッて滑ってシャワー浴びて、「じゃあ仕事行ってくるわ」って。
--かっこいいですねぇ〜。じゃあ車にこだわりとかありますか?
赤坂:タイヤついてて走れば何でもいいですね。
--特に車マニアとかそういうことはない。
赤坂:うん、ないですね。それよりモーターボードの方が興味ありますね。
--モーターボートはご自分で持ってるんですか?
赤坂:チームのがあります。うちのチームのヤツで、仲間で3艇。
--どういうチームなんですか。
赤坂:チームはウエイクボード、海全般のチームで、「チーム佃煮」っていうチームを作ってるんですよ。でもオレなんかアレですよ、モーターボートって聞いちゃうと、金持ちみたいな感じしますけど全然そうじゃないですからね。ぶっ壊れたらみんなで砂浜で作業衣着て炎天下の下作業して、床張り替えしたり、エンジンのせ換えしたり、溶接したりとか。
--好きな食べ物とかは。
赤坂:たぬきそば週に3回食えれば(笑)。大事ですね。立ち食いそばですね、生涯。
--そうなんですか。
赤坂:ええ。週に3回はかき揚げそばもしくはたぬきそば。それと、カレーライス。これがないと多分萎れますね、オレは。グルメ家ではないです。ただ、知っておいても損はないから信じられない値段の肉を食ったりする時もあります。信じられない値段というか、信じられないような美味しいところを取っておいてくれるマスターと仲良くなるみたいな。生でステーキ出す店とかね。
--その辺も小さい頃覚えたレコードコピーする時のテクニックで(笑)。
赤坂:でもお金はちゃんと払っています(笑)。50年前のジンとかね。すんごい味違いますからね。
--お酒は結構飲まれるんですか。
赤坂:ダメですね、最近は。飲みに行ったり、仲間とワイワイ喋ったりするのは好きですけどね。あんまり大勢で飲みに行かないんですよ、僕。一人で行くのが多いですから。知ってるヤツがいるとか。向こうも来てる、じゃあオレも行くわっていう。自由解散できますからね。
--最後に、「この先オレはこんなことやりたい!」っていう、抱負のようなものを聞かせてもらえますか。
赤坂:これはもう聞かれる度にホント答えは同じなんですけど、いいディスクジョッキーとしてこの道を全うできていけたらいいなと思いますね、正直に。別に○○賞獲るとか、どうなるということじゃなくて、そのいいディスクジョッキーとして生きていけたらいいですね。その現場があって…例えば克也さんが 60歳を迎えられて現役で喋る素晴らしさ。僕が今、後20年近く経って還暦になったときに、はたして自分で選曲するプログラムがあるだろうかこの世の中に。ラジオ局のプログラムでね。今とは形変わってるでしょうからね。でもなんらかの形で現役のディスクジョッキーとして喋り続けて、自分なりのディスクジョッキー道を全うできたら幸せだなーと思いますね。
--と言うと、やっぱりラジオで、ということになりますね。
赤坂:ラジオ、テレビとか、そういう区分けはしてないですね。いちディスクジョッキーとして…例えば僕がこの世に別れを告げてどっか別の世界にいった時に、誰かが、リスナーなのか誰かが、「日本からまた一人DJからいなくなったね」なんてポソッと言った一言聞いて、勲章もらうんでしょうね。そういう表現されることで…別に新聞載る必要ないですよ。そう思ってくれるリスナーの一言を天国から聞いて「あー良かったぁ。ウルフマンこう言ってるよ。オレもやっとこう言われるようになったよ」なんて言って、たぶん上の方で一緒に放送するんでしょうね(笑)。「今日何かける?」「スポンサーも何も関係ないぞー」なんて言って。
--いいですね!でもウルフマンと再会するのはまだ先にして、今後もますますご活躍いただきたいと思います。
赤坂:今日はどうもありがとうございました。
(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也/山浦正彦)
DJ赤坂の「ラジオマジック」に魅せられたリスナーは10代から70代までと幅広い。そんなリスナーとの絆を大切にし、いい音楽を伝え、自らがそうであったようにリスナーと日本の音楽文化を育てていきたいという赤坂氏。プロのディスクジョッキーとしての使命を全うしようとする氏の心意気がひしひしと伝わってくるお話でした。
さて、赤坂氏にご紹介いただいたのは、デビュー20周年を経て、さらに新たな挑戦を続けるスターダスト☆レビューの根本要氏です。お楽しみに!