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第19回 イッセー尾形 氏

インタビュー リレーインタビュー

イッセー尾形 氏
イッセー尾形 氏

俳優

スターダスト・レビューの根本要さんにご紹介いただいたのは、意外にも俳優・イッセー尾形氏。もともと根本氏がイッセーさんの熱烈なファンで、「音楽ネタ」の音楽プロデュースも手がけたという間柄だとか。イッセーさんはもちろん音楽業界人ではありませんが、言ってみれば内なる衝動の表現方法がほんの少し違うだけのこと。音楽と演劇の分かれ道とは、ちょっとしたことなのかもしれません。工事現場の仕事を続けながら活動を続けた下積み時代や、得意の「音楽ネタ」創作秘話、そして海外公演から得たものなど、ジャンルを越えた共感を呼ぶ楽しいお話となりました。

[2001年8月31日/原宿・クエストホールにて]

プロフィール
イッセー尾形(Issey OGATA)
俳優


本名:尾形一成
1952年福岡生まれ。
1971年、演劇学校で現・演出家の森田雄三と出会い、その後活動をともにする。1981年、日本テレビ「お笑いスター誕生」で金賞を獲得。サラリーマンの悲哀や家族の肖像などをテーマにした「一人芝居」で独自の地位を築く。また、近年ではドイツ、イギリスなどで海外公演を行い、高い評価を受けている。数多くの戯曲、小説を手がけるほか、イラスト集なども出版し、幅広く活躍中。
http://www.issey-ogata.net


 

  1. 「歌ネタ」づくりは最後のお楽しみ!?
  2. イマジネーションで広がるネタ作り
  3. ギターとの出会いは高校生〜フォークブームまっただ中
  4. 現場仕事で凌いで続けた下積み時代
  5. 芝居も、小説も、「日常が耐えられない」からやってるだけ
  6. 外側から眺めると…海外公演で得たもの

 

1. 「歌ネタ」づくりは最後のお楽しみ!?

イッセー尾形2

--お忙しい中ありがとうございます。根本要さんからのご紹介で、歌ネタのお話を中心にお伺いしますので…

イッセー:よろしくお願いします。

--イッセーさんのひとり芝居はサラリーマンものが有名ですけど、その中における「歌ネタ」っていうのは、最初はどんなものだったんでしょうか。

イッセー:最初にやった歌ネタは「津山ひろし」っていう歌手なんだけど(引退を決意した老年の歌手が最終公演を前に今後の身の振り方について客の前であれこれと考える)、これはある人に「いいところ(ネタ)から入ったね」って言われたんですよ。僕らは最初(演歌っぽいのなんてどうかな〜?)って思ったんですけど、演歌じゃなくても老年のポップ歌手っていうのはいっぱいいるんですってね。

--地方に行くと、昔は東京でレコード出してた、なんて歌手はたくさんいますよね。それで誇りを持って活動してる、っていう方が描かれてますよね。今は歌ネタのキャラっていうのは何人ぐらいいるんですか?

イッセー:…「津山ひろし」「フォークシンガー」「ウェスタン」「ロック歌手」「シャンソン歌手」「シンガーソングライター」「歌姫」「ストリートシンガー」…8人ぐらいかな…?ほかにもいくつかありますよ、最近はやってないけど浅川マキさん風のやつとかね。ちゃんと黒いワンピース着て…

--歌ネタだけのライブっていうのは最近始められたんですよね。少しずつキャラが増えていって、じわじわと人気があがってきたんですか?

プロデューサー森田清子氏(以下M):前からね、やってくださいっていうリクエストはあったんですよ。でもそれだけだったら絶対退屈すると思って。歌ヘタなんだもん(笑)。それで(根本)要さんにね、どうせ毎回見に来てくれてるんだから手伝ってよ、ってことになったんです。

--要さんとは最初はどういうおつきあいで…?

イッセー:知らなかったんですけどね、ずっと見に来てくださってたんですって。

--そうなんですか。根本さんも勉強家ですよね。

M:ずいぶん長く見てらっしゃるみたいでね。

イッセー:僕のネタ、僕よりも詳しいもんね。

M:セリフ間違えたりするのもわかるしね(笑)。知り合ってから、要さんがロックシンガーだってわかったんだよね。それで要さんがモデルのロックシンガーのネタとか作って…それで、歌ネタライブをやるってなったときに、うちの子供たち(森田オフィスのスタッフ)のアイデアで、要さんに監修していただいて、着替えの時も、イッセーさんの歌がヘタで間がもたなくても(笑)、要さんにその歌に関する解説とかね、してもらえたらいいかなと思って。

--最初なにが流れてるかわからなかったけどよく聞くとあれ?って思いましたよ(編註:歌ネタライブの幕間でイッセーさんが着替えているとき、会場内には直前にやったネタを稽古中の根本要さんと尾形さんとのやりとりが流れるようになっている)。音楽プロデュースということですが、要さんが教えたりするんですか?

イッセー:ほんとに雑談って感じですよ。テープ回しながらね。「僕だったらこの曲はこういうコード進行でいくな」とか…それで要さんに「ちょっと歌ってよ」って歌ってもらうとさ、これがいいんだわ、また…(笑)。

--要さんがその場にいるような臨場感がありますよね。

M:それで口コミですごい人気になっちゃって…“イッセーさんの歌ネタって「迷曲」だと思ってたのに、要さんが歌ったとたんに「名曲」になった”なんて(アンケートに)書いているお客さんもいてね(笑)…

イッセー:“ちゃんとした歌だったんですね”とかね(笑)。

M:“感動すら、しました”とか(笑)…(要さんは)上手だもんねぇ。

--でもあのネタのもともとの歌の作詞作曲はイッセーさんなんですよね?

イッセー:まあ、そう言えるんですけど、言えなくもない、って感じなのは、いろんな楽譜が出回ってるでしょ?コード進行が曲想になってるじゃないですか。ジャンル別コード進行ってあるでしょ。それをパクってるんですよ。

--まあみんなそんなようなもんですよ(笑)。

イッセー:でも楽譜読めないから、元歌のメロディーも知らないんですよ(笑)。コード進行ジャラーン、ってやれば、まあその中に出てきた音で、なんか出てくるでしょ。そうやって作ってるの。

--立派な作曲家じゃないですか。

M:でもみんなあてますよ。「あのコード進行は吉田拓郎さんだ」とかね(笑)。

イッセー:「旅の宿」だ、とか言われるよね。あてられちゃって。

--でも芸のネタとしてやるぶんには気楽に持ってきてやれますよね。

イッセー:そうですね…歌ネタはね、最後の楽しみなんですよ。ほかのネタができあがってきて、じゃあその上で、どんな歌詞をのっけたらこのプログラム全体がおもしろくなるかな、っていう、最後のお楽しみなんです。歌ネタって。

--歌詞もね、いかにも〜っていうのをきちんとおさえてますよね。

M:そうですね、彼は作詞家、作家だとは思いますよ。これだけのネタを作ってきてるんだし…作詞力はすごいあると思う。「自称作詞家でもある」って書いといて(笑)。誰もほめてくれないんだもん。

 

2. イマジネーションで広がるネタ作り

イッセー尾形3

--持ちネタのなかには演歌歌手、フォークシンガーのほかにもフラメンコ風なものやカントリー風のものなど、いろんな作風がありますよね。どうやって研究なさってるんですか。

イッセー:ほんとにさわりだけですよ。聞きかじりでね。

--モデルになる人のビデオやライブを繰り返して研究するんじゃないんですか。

イッセー:いや、違います。聞きかじりのテクニックオンパレードですよ(笑)。

--聞きかじりでやってるとは思えないほど細かい芸がところどころに隠れてますよね。よーく見ないとわからないところとか沢山あって…

M:直接だれかのまねしてる訳じゃないし、その人の想像力で補ってもらって見てくださるのがいいんですよ。

イッセー:(歌ネタに限らず)ほかの人物もいろいろ演じますけど、まったく同じで、お客さんの想像力を足してもらって成立するんですよ。ほんとに歌じっくり聞かれるとかなわないですよ(笑)。

--想像力のある人は楽しめるけど、ない人はなかなか…

M:もう単調で…これなに〜?みたいに思っちゃうでしょうね。

--ほかのネタも、街で人間観察というか、そういうのもやってらっしゃらないんですね。

イッセー:やってないですよ。街嫌い(笑)。出ないもん。人で疲れるから。

--そういう観察の積み重ねで努力なさっているのかと思ってました。

イッセー:いいえ、一人で勝手に努力してますから(笑)。

--歌ネタで若い女の子のやつがありますよね。あれはだれかモデルがいらっしゃるんですか?

イッセー:あれは仙台に行ったときに出会った路上パフォーマーでね、「ああ、女の子も歌うんだ」って思って、それで女の子の歌詞とかメロディーとか歌本で研究したんですよ。そしたら要さんから「最近イッセーさん難しいコード使うようになりましたね」って言われましたけど(笑)。

--仙台で1回見たぐらいで特徴をつかめてしまうものなんですか。

イッセー:うーん、特徴っていうかね、ほかのネタ作るときと同じでね、別に観察とかしなくても小さなイマジネーションがあればね。

--ほとんど天才的というか、神業ですね。

イッセー:でもね、フォーク歌手をやったときにね、最前列で見ていた女の子が僕の歌ネタをず〜っと「?わかんない?」って顔で見ていて、最後にやったフォーク歌手の歌詞で「ごはんが炊けるまで抱き合ったね」ってのがあるんだけど、そこでクスって笑ったんですよ。そういう思い出がありますね。

--ステージからちゃんと見えてるんですね。

イッセー:そういうフォーク歌手がいるみたいね。

--根本さんにご紹介いただいたときは、「尾形さんは音楽業界を横から見てるからおもしろいんだよね〜」ということだったんですが…

M:横から見てるんじゃなくて知らないだけよ(笑)

--(笑)だから、尾形さんの目から見た音楽業界っていうものがどんなものなのかを伺いたかったんですよ。

イッセー:いやぁ、音楽どころかテレビ業界も知らないんですよ、私(笑)。演劇業界も知らないし(笑)。

M:ライブとか行ったことないんだよね。

イッセー:そう、根本さんのが初めてだったんですよ……おもしろかったなぁ…

--おもしろかったんですか?

イッセー:…しゃべりがおもしろかった(笑)。

--なるほど(笑)。基本的にそれほど見聞きしてらっしゃる訳じゃないんですね。

イッセー:してないよ、全然。

--それであれだけのネタを作れちゃうっていうのは何なんでしょうね。とくに熱心にライブやCDを研究なさっているわけではなし、音楽業界のことはそんなに詳しくはないわけですよね。

イッセー:詳しくないからこそ作れるんでしょうね。責任持たないでいいもん。知識があると責任もって作らないとだめでしょ。

M:知らないからやってられるんでしょうね。そういうところが根本さんみたいな人はおもしろくてしょうがないんでしょうね。あの人も変わってますよね(笑)。

--そういえば根本さんが「僕らの業界ではコード進行はこの次は絶対これじゃなくちゃいけない、っていうのがあるのに、イッセーさんはそれ関係ないんですよ(笑)」って言ってましたよ。

M:そうなのよ(笑)。とんでもないこと平気でする。

--そういうのがある意味新しかったりしますからね。

イッセー:深読みしてくれるんですよ要さんは。「おお〜〜」とか言って。

--ちょっとしたヒントからイマジネーションをふくらませて、ああいうネタができあがっていくわけなんですね。

イッセー:作るときってね、ふだんは「作ろう」なんて思わないんだけど、「明日本番だ〜」と思うと何でも作っちゃうんですよ(笑)。

--なんだかレコーディング中のミュージシャンが作曲するのに似てますね(笑)。

 

3. ギターとの出会いは高校生〜フォークブームまっただ中

イッセー尾形4

--本業のひとり芝居だけじゃなくてイラストや小説など、とても多芸ですけど、歌ネタでは作詞作曲、ギターもお弾きになるし、チェロもやられるんですよね。

イッセー:ギターはね、最初はすごくヘタだったんだって。

--いつごろから始められたんですか。

イッセー:ギターですか?高校生のころです。フォークブーム全盛でね、(井上)陽水さんとか、かぐや姫とか吉田拓郎とか…あの時代でしたからね、みんなで学校で、クラスで金出し合ってギター一本買ってね、いちばん勝手に弾いてたのが俺でね…あとで聞いたら俺だけ金払ってなかったんだって(笑)。

ちょうど長谷川きよしさんが出たときが卒業の時で、あのすごいテクニックでサンバやるでしょ?うわあすげぇなあと思ってね。もう少し学校にいたらそのギター使えたんだけど、卒業しちゃったから自分でギター買ってね。

長谷川きよしはそのころ「ガッツ」とか「新譜ジャーナル」とか楽譜がのってる音楽誌があったでしょ。あんなのコードを見ながらやってましたね。

--けっこうやってるんですね。ほかにもチェロとかやられてますよね。

イッセー:いや、それはほんとに最近ですよ。初めて手にした楽器はマンドリン(笑)。しょぼいでしょ?

--ギターより前にですか?

イッセー:そうです。マンドリン→ウクレレ→ギターですね。

--学生の頃からやられてたってことは、ふだんもなにか楽器をなさるんですか。

イッセー:…バイオリンを…自己流でね。

--ということはクラシックですか?

イッセー:クラシックからいろいろ…今「枯葉」を稽古してます。ほんとに自己流ですけどね(笑)。

M:こうやって言うのはいいんですけど、それでみなさんラジオとかに呼んでいただいて、「弾いてみなよ」って言ってくださるんですけど、もう聴けたもんじゃないんですよ(笑)。

 

4. 現場仕事で凌いで続けた下積み時代

--私服で現れたイッセーさん、ここで写真撮影のため着替えタイム。二人三脚でやってきた演出家・森田雄三氏の妻であり、プロデューサー、マネージャーとして二人を支え続けてきた森田清子氏にしばらく話を聞いた。

--こういう手作りライブ風の作り方っていうのは、もうずっと前からやられてるんですよね。

M:うん、もう初めからですね。つまり私たちは、アマチュア演劇のグループがそのまんましょうがなくやって来ただけだったから。アルバイトも同じだったしね。主人(演出家・森田雄三氏)も、尾形も現場のアルバイトやってましたから。現場仕事しながら自分たちのライブの組み立てをしないとやっていけなかったっていう、それだけですよ。特別仲良しな訳でも何でもないですけど…27年続いています。デビューするまでの下積み生活が8年ぐらいあるんです。現場仕事して、稽古を1日おきにやって…

--現場って工事現場の仕事ですよね。

M:そうですよ。「いじわるばあさん」出ていたときはまだ現場の仕事してましたね。出演料安いから。子供ももう二人いましたし。

--鳶職の免許をお持ちだとか…

M:ああ、あれはねえ…免許とるって言っても試験会場で寝てたんだと思いますよ(笑)。

--いつも作業現場でお仕事なさってたわけですか。

M:そうですよ、だから朝は強いですよね。どんな土地でも、市川とかぐらいまでいつも行ってましたからね。

--そういうお仕事をなさっていたのはいつ頃のことですか。

M:そうですねぇ…平成…昭和64年ごろまではやっていたと思いますよ。

--じゃあ平成になる前まではやってたんですね。

M:ええ。だから(営業用の)「コマーシャルトークっぽいな」って、たけしさんなんかにはずいぶん疑われたりしたみたいですけど…ほんとなんですよ。

だいたい私たちはただ単に土建業のアルバイト仲間で、私もプロのマネージャーになるつもりなんて全然なくて、今もそのつもりはないんですけどね(笑)。演劇はしてたけど、演劇は8年間お客さんは来なかったからね。ただ自分たちのお金で公民館を借りて、公演してたんですよ。現場の仕事でね、盆暮れにもらえるボーナスにも満たない5〜6万のお金があるのよ。それで公民館を借りて、お客さんだれもいないのに公演してたの。8年間。そのなかでも感動的だったのはね、あるとき中野公民館の方が言ってくださったんです。「僕はこれまでもいろんなもの見てるけどね、(君たちは他と)全然違うんだ。だから君たちは絶対になんとかなるから、続けるんだよ!」って。

--そのときはもう一人芝居だったんですか。

M:いいえ、そのときはまだ普通のお芝居で、私も出てましたから。ただのアマチュア演劇グループだっただけだから。

--そもそもどういう関係でできあがったグループなんですか?

M:主人と尾形が演劇学校で出会って、その二ヶ月くらいあとに私がふたりと出会ったんです。たまたまNHKのラジオドラマのバイトみたいなところ知り合ったのがきっかけて、それからずっといっしょにやってるだけなの。

--純粋に演劇がしたくて集まっただけだったんですね。

M:うん、演劇がしたいっていうよりも日常生活がイヤだったんじゃないですかね。それだけだったと思いますよ。働きたくなかったんじゃないですか。ただ働いてるのはイヤだった、自分たちは普通じゃないんだと思ってやってただけだと思いますよ。

--そのへんはロック、音楽をやり始める動機と共通点がありますね(笑)。

M:べつに音楽でもよかったんだろうけど…主人がすっっごい音痴なんですよ。今でも着替えの音楽なんて選んだりすると、「わかんねぇ」って言ってますからね。5. 芝居も、小説も、「日常が耐えられない」からやってるだけ

 

5. 芝居も、小説も、「日常が耐えられない」からやってるだけ

--ここでイッセーさんが身支度を整えて再登場。「Musicman-NET」用の写真を撮影しながら話は続く。

イッセー尾形6

--今森田さんから昔話を伺ってたんですよ。お客さんが8年間も集まらなかったお話とか伺ったんですが、そのころの自分には今の姿って言うのは想定できていましたか?

イッセー:いや、よく思うんですけど、間違ってこうなってるんです。お客さんがこんなに集まるとか、そういう予定じゃなかったんです(笑)。

--一人芝居っていう形態はほかにない、オリジナルだと思うんですけど、それは偶発的にできたものなんですか。

イッセー:そうだよ、ほんとに偶発的。高田純次とかいっしょにやってたんだけど、だんだん役者がいなくなって……みんな私がイヤでやめていったんです。

--そんな真面目な顔しておっしゃらないでくださいよ。

M:でもね、それはやきもちもあると思うよ。できるからね、尾形が。そうするとできない自分に勝手に追い込まれ行くんじゃないかな。

イッセー:他人を追い込む傾向にあるんです…。

M:いや、才能ってそういうものなのよね。よくやきもちやかれるものじゃない、モーツァルトだって(笑)。

--お芝居をやって、絵を描いて、小説までお書きになって…

イッセー:それはね、個人の才能もあるかもしれないけど、みんなができるものなんだよ、っていうワークショップ(身体文学)をやってるんですよ。だれでも小説を書けるっていう。これがみんな書くんですよ。オリジナルの時代小説をね。

--ワークショップですか。

イッセー:ええ、森田(雄三氏)中心にね。僕も参加してそこで作品作ったりして…「作品を作る」っていう考え方を変える運動も今始めているんです。

--お話を伺っていくと、尾形さんたちの形態は、音楽業界で言ってみればインディーズ・レーベルのようなものだと思うんですよね。今はインディーズでだれでも音楽ができるんだよ、っていう風潮がありますし。

M:(渋谷)ジァンジァンのオーナーがおっしゃってましたけどね、そういう動きはいくらでもあるんだけど、たいがい儲かるようになってすごく喧嘩するっていうのね(笑)。だからうちのチームの組み方がすごく唯一無二だなって、言っていただけたのは、やっぱり普通の人と違うと思っている、個性があると思いこんでいるインディーズじゃなくて、日常が耐えられないからやっている。だから有名になったらなったで、尾形はその「(有名であるという)日常」が耐えられない。だから絵を描くとか小説を書くとか、自分のためにしているんですよ。 O:それは最初からそうですね。「イッセー尾形」になる前からそう。現場やってる日常が耐えられなくて、そしたら森田がね、「くすぶってないで小説書け」って。そのころからですよ、断片的なものを書きはじめたのは…それでなんとかなってくるとまた耐えられない…(笑)ほんと始末に負えないタイプなんですよ。

 

6. 外側から眺めると…海外公演で得たもの

イッセー尾形7

--最近行われている海外公演のきっかけっていうのは?

イッセー:人から薦められたからですよ。僕からは絶対行こうなんて言わない。

M:共同通信のニューヨーク支局長やってる方がたまたまインタビューにいらしたときに、英語に全部変換できる文体がとてもおもしろいから、ぜひ海外に持って行きなさいって言われてね。すごく確信ありげに言ってくださって…ずっとイヤだイヤだ言ってたんですけどね。

--海外公演をやってみて、今ではご自分でも楽しめる状況になってますか。

イッセー:うん、今はほんとにおもしろくなっちゃってね。日本と反応が違うでしょ。とらえ方が違う。でも同じところもある。違ってても同じ、同じだけど違うっていうね、複雑な体験をしていきますからね、劇場の中で。

--それは国によっても反応が違いますか。

イッセー:違いますね。

--ネタは日本でやっているものを持っていくんですよね。だから向こうは、「日本人像」を見ているわけですよね。

イッセー:そう、最初はね。それが例えばヨーロッパ、ドイツ人も日本人も同じなんだな、っていうところに行き着いて。いつのまにか同化して、参加していくっていう、すごいダイナミックな反応が返ってきますよ。ま、うまく行けばの話ですけどね。

--結局日本人が海外で成功するっていうのは、日本人であることを全面にアピールした場合なんですよね。向こうの真似しただけでは、音楽の場合もまったくダメですから。

M:それもよく聞きますよね。ほんとのオリジナリティが問われる関係に、自分たちが飛び込めたっていうのは、大きい飛躍の原因だったと思います。内的なね飛躍だけどね。対外的には飛躍なんかしてないよ、だって手弁当で行くんだから(笑)。何が儲かっているわけでもない。内的な飛躍ですよね。でもそれが一番大事だって、彼が思ってることが、すごくすてきなことですし…

--海外行かれた時には、その地で見聞…劇や映画を見に行かれたりとか、そういうことはしないんですか。

イッセー:ほとんどしないですね。日本に帰ってきてからアイデアが生まれるというか、日本がよく見えたりするんですよね。

--海外でネタを仕入れる訳じゃなくて、見え方が違ってくるんですね。

イッセー:視点がね…広がるっていうか、今までと違う角度でとらえるっていうか。

--…そういう意味でも海外に出るといいって言われることが多いですよね。

イッセー:ドイツに行くとね、ストリートパフォーマーいるんだけど、もうレベルが違うのね。バッハのアコーディオンとかね、ベートーベンのバイオリンとかね、あちこちでやってる。もうレベルが違う。

M:オペラのアリアなんかもコーラスでバーッとやってて、それを聞いているおじいさんがいて、「演出家かな?」と思ったの。「そこのキミ、ちょっとバリトン弱いから」「今のところ、繰り返し」なんて言ってるのに、ただのオヤジなのよ、観客の(笑)。それでお札ちゃんといっぱい入れてて。

--向こうはそれでメシ食っているっていうプロ意識でやってますよね。最近は日本でもストリート・シンガーがはやってますけど、みんなプロモーションって意識でやってるから、自分の芸でお金もらおうって魂胆まで行くヤツはほとんどいないんだよね…。

M:自分のためにやるべきなのにね。

--根本さんの話じゃないですけど、たしかに音楽も売れないと続けにくいからねぇ…

イッセー:ドイツ公演で知り合ったアルス・ヴィタリスっていうね、ミュージシャンがいるんですよ。僕もそろそろ50ですけども、同じような年齢のおっちゃん3人でね…

--一度来日されてごいっしょに公演なさったとか。

イッセー:そうそう、演劇でもそういうのやってて、見る音楽、聴く演劇ってオーバーラップした感じのやつでね。そのおっちゃん3人組にここ(クエストホール)でやってもらったんですよ。

--お芝居ではなくて、基本的には楽器をやる方々なんですよね。なんかふだんはけっこう汚い格好してるとか(笑)?

イッセー:うん、ふだんは汚い。公演ではね、衣装はスーツ着るんですよ。でもそのスーツも一回も洗ったことないから汚いんですけどね(笑)。でもステージの赤いライトの上だとかっこよくってね…さすがドイツ人って感じで…。それまで音楽と演劇の分かれ道って漠然とあるんだなとは思ってたけど、彼ら見ると、別にいいんだな、そんなことは、って思いますよ。物作りにしても楽になりましたよ。

たまたま歌ネタ、津山ひろしとかフォークシンガーとか、当時もうそういう歌ネタをやってたんで、彼らを見て「ああ楽に生きてればいいんだな」って。だって(歌ネタ)やるの楽しいんだもん。これからも作っていいんだよな、って。次は誰にしよう?ってね。

--それもいい出会いだったんですね。では最後に、今後挑戦してみたいことなどあったら教えてください。

イッセー:これでも外から影響を受けるタイプなんですよ。今回桃井(かおり)さんと二人芝居をやって、一人ではたどり着けない相当違う世界に入っていくことができて…そのあとはガーンとベルリンとロンドン行って、そういうエキサイティングな都市に行くことによってなんかガーンと影響受けて…そういうのでネタ作っていくんですよ。

--この音楽ネタはこれからもどんどん増えていくわけですよね?

イッセー:うん。ずっとやっていきたいですね。楽しいんですよ、音楽ネタは。ジャンル別でどんどんやってきてるからね、キャラが増えるんだよね。すっごいコケネタもあるんだけどね(笑)。すっごいムード歌謡コーラスのリーダー。前でメインのボーカルの人とかいるじゃないですか。リーダーの人は後ろで「ウ〜」とかコーラスやってるだけで。あれは…コケましたね。

--ムード歌謡っていうのは、例えばマヒナスターズとかですか?

イッセー:子供の頃ね、毎日出てたもんね、マヒナスターズ、テレビに。裏声が気持ち悪くてね。なんでこんな人たち人気あるのかなって子供心に思ってたんですけどね、この年齢になってくるといいんですよね(笑)。やってみたいけど裏声あんなに出ないからね。あとウエスタン歌手ってネタがあるんですけど、今度の海外公演ではそれやろうかなと思ってるんですよ。

--それが海外で通用するとおもしろいですよね。じゃあ本場のカントリーウエスタンの歌手をパクらないと(笑)。9月の終わりからまた歌ネタのみのライブを東京でやられるということですが、業界人にももっと見てもらいたいですよね。

M:そうですね。たぶん今の尾形だったら、業界人の方からのサジェスチョンで、またどんどん変貌していくと思うんですよね。だから業界人のみなさんの前にデビューしたいと思いますんで、よろしくお願いします。

--では尾形さんから、音楽業界人になにかひとこと。

イッセー:…あのね、ギターを6本ぐらい使うんですよ。で、チューナーを買ったんですよ。でもチューニングをやっても、どうしても狂うんで、そこはあんまり気にしないでくださいと(笑)。いくらやってもだめなんで(笑)。

--わかりました(笑)。今日はありがとうございました。

(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也/山浦正彦)

--桃井かおりさんとのふたり芝居の公演中の会場にお邪魔してのインタビュー。ロビーにはイッセーさんの独特なイラストが使われた数々のグッズが並べられ、バーカウンターではフリードリンクが提供されている。この試みはずいぶん前から行われているそうだ。また、ファンにはこまめに「イッセー尾形からの手紙」という情報レターを送り、親密な関係を保つことで支持を広げ、独自な活動を支えてきた。「他とは違うと思いこんでいるインディーズじゃなくて、自分のためにやっている」という言葉は、地道なインディーズ活動の末に確固たる地位を築き、海外で高い評価を受けたことが次の活動への自信につながっていることからも頷けます。音楽業界で働く者にとっても大きな示唆を含んだお話を伺うことができました。

さて、音楽業界人にも多くのファンを持つイッセーさんにご紹介いただいたのは、NHKのベテランディレクター、小林悟朗氏。「紅白」や「N響アワー」「ふたりのビッグショー」など、数多くの音楽番組を手がけた小林氏。テレビで音楽を伝える難しさとは?ご期待ください。

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