第20回 小林悟朗 氏
NHK芸能番組部チーフディレクター
イッセー尾形さんにご紹介いただいたのは、NHKで数多くの音楽番組を手がけられている小林悟朗氏。『紅白歌合戦』『ときめき夢サウンド』『ふたりのビッグショー』などのおなじみの番組の他にも、長野オリンピックの『五大陸を結ぶ第九』やお正月の『ニューイヤーオペラコンサート』など、ポップスからクラシックまで幅広い分野の番組を手がけられ、テレビというメディアで長年音楽に関わってこられた小林氏。「音楽は目に見えない」ということを認識することがとても重要だと語る小林氏の言葉は、ふだんなにげなくテレビを見ている視聴者として、テレビと音楽の関係を改めて考えさせられる意義深いものでした。
プロフィール
小林悟朗(Goro KOBAYASHI)
NHK芸能番組部チーフディレクター
1956年6月5日東京生まれ。
東大卒業後、NHKに入社。秋田支局でNHK特集「白神山地」などを担当する。80年代後半より「紅白歌合戦」を初めとする音楽番組をクラシックからポップスまで幅広く数多く手がける。
〜小林悟朗氏が手がけた主な番組〜
<特集番組などスペシャルなもの>
●NHK紅白歌合戦
(1990/1991/1992/1998/1999)
●NHKスペシャル/地球シンフォニー
(1995年1月1日放送)
●ジュリー・アンドリュース&N響コンサート(1993)
●マドンナ in Japan(1993)
●ライザ・ミネリ at NHKホール(1994)
●ブロードウェイ・ミュージカル
/VICTOR VICTORIA(1995)
●長野オリンピック/五大陸を結ぶ第九(1998)
●NHK特集/白神山地(1985)
<定時番組>
●邦楽百選
●N響アワー
●芸術劇場
●歌謡コンサート
●ふたりのビッグショー
●音楽夢コレクション(1990)
●ときめき夢サウンド(1994)
●青春のポップス(2000)
<その他>
●ゴールドディスク大賞(1992〜1994)
●大貫妙子 in アコースティックサウンド(1988)
●列島ドキュメント
/上々颱風〜平成のレットイットビー(1993)
●芸術劇場/ピアソラのすべて(1997)
●小澤征爾/マタイ受難曲(1997)
●ベルリン・フィル定期演奏会生中継 fromベルリン(1997年5月、11月)
●ニューイヤーオペラコンサート(1997、1998)
●にっぽん点描
/ある天才チェロ奏者の死〜徳永健一郎(1996)
●名曲アルバム
「イマジン」「ホテル・カリフォルニア」他14本
- NHKは「良い学校」!?
- メディアの役割は「音楽をきちんと伝える」こと
- 「音楽は目に見えない」──メディアは音楽を伝えられるか
- 発売されたレコードはすべて聴く!? ファーストオーディエンスであるための努力
- 若い世代への警告…「ダウンロードするみたいには音楽は伝えられない」
- 映像の持つ意味と怖さ…思い出深い「Can You Celebrate?」
- CD, SACD,DVD AUDIO…枝分かれメディア競争の結末は?
- 音楽は時代を写す鏡、フラジャイルで不可分なジャンル
1. NHKは「良い学校」!?
−−イッセー尾形さんとはどういうおつきあいんなんですか。
小林:もとはといえば小澤征爾さんがあいだにいるんです。4、5年前の成人の日のコンサートで「だれをゲストに呼んだら若い子が興味持って来てくれるかな」って小澤さんが娘さんに聞いたら、征良さんがイッセー尾形のすごいファンで…自分たちも(イッセーさんの演出を手がけている)森田雄三さんがどういう風に芝居を立ち上げていくのかにも興味もあったので…舞台裏を見たいと思ったからね。それが最初かな。
−−小林さんがイッセーさんのスタッフを育ててくれた、と森田さんがおっしゃってました。
小林:ああ、それはたぶん…イッセーさんのお芝居は幕間に着替えているときに音楽をかけているんですけど、その音楽をどういうつながりでかけるといいか、前後でお客さんがどんな心理になるだろうか、とか、そういうことを助言してあげたことがあったので、それででしょうね。 それ以降、『N響アワー』のゲストに出てチェロ弾いてもらったり、去年『青春のポップス」でもゲストで出てもらったりしてますけどね。
−−では小林さんのプロフィールをご自身で語っていただけますか。
小林:裏方ですからねぇ。…テレビとかラジオの業界の方々のなかで、自分たちはたぶん、「物心がついてから家にテレビがやってきた」っていう最後の世代だと思うんですよ。物心がついて、幼稚園とか小学生ぐらいの時に家に突然テレビという不思議なものが現れた。今の若い人は別に不思議と思わずに「テレビとはこういうものだ」って思っちゃってるでしょ。自分たちの頃はもう、子供はテレビの後ろに回って中のぞき込んだりとか、真空管が光ってて、「これはいったいなんなんだろう?」って思ってましたから。…だからやっぱりテレビを通じた音楽とか、そういうものから大きな影響を受けているんで…テレビに感謝してるんです。今の仕事で恩返ししてるのかもしれませんね。
−−小さい頃からピアノやバイオリンもやってらしたとか。
小林:楽器は何でもやるっていうか…なんか、音が出るモノは鳴らしたくなるっていうか…
−−基本的にはクラシック畑なんですね。東大ご出身ということですが、音楽系の大学には行かなかったんですか。
小林:そうですね…やっぱり我々の世代って、ミュージシャンになると食べられないっていうか(笑)…音楽って当時はそういう商業的なものではなかったんですよね。
−−趣味としてはかなり本格的に音楽をなさってたわけですね。で、東大ではなにを専攻なさってたんですか。
小林:文学部です。
−−それでいきなり就職がNHKだったんですか。
小林:…自分はすごく古典が好きで…長い間風化しないで残ってきてるもののおもしろさっていうのが好きなんですよ。音楽にかかわらず、美術でも文学でも芝居でもすごく古典が好きなのね。芝居も好きで、ギリシャ悲劇とかオペラとか…そういう古典的なものに向かってたわけです。だからこじつけになるけど…NHKの「大河ドラマ」にすごい興味を持っているんですよ、今でも。当時はたしか『おんな太閤記』かなんかだったと思うんだけど、30〜40%もレーティングとっちゃうわけですよ。そういう状況が、シェークスピアの時代のロンドンの劇場だったり、歌舞伎や文楽、浄瑠璃の初期の形態にすごく通じるものがあるような気がしたんです。で、現代のからくりでそういうおもしろいことがあるっていうのがすごく興味があるんですよ。携帯が普及する前はアマチュア無線でテレビを送信しようと思ったりとか、あとレコードを再生するとかね…そういうからくりものが好きなんですよね。
−−NHK入社後、最初はなにをおやりになったんですか。
小林:秋田に配属されて、ジェット機の秋田空港が開港するときの中継とか、東北新幹線が開通するときとか、あとは稲刈りとか田植えとか、稲の病気とか…東京で育ったから、ここでの経験はすごく大事なことでした。
−−最初に音楽関係の制作に移られたのは?
小林:秋田に5年いて…1987年かな?30歳でしたね。最初は『邦楽百選』とか『リサイタル・オペラ』とか、いろいろやりました。 NHKはスタッフを育てるという意味ではすごい「良い学校」なんだと思います。自分で希望し秋田は行かなかったと思うし、やりたいことをやってたら『邦楽百選』もやってなかったと思いますよ。『邦楽百選』ではラジオで毎週浄瑠璃の番組を作っていたんです。そういう知らないものに出会うって、すごい大きな事ですよね。秋田にいたときも、まだ世界遺産になる前にNHK特集で『白神山地』をやったんです。あの2年間は大学で林学を専攻してる人たちと同じぐらいは勉強しましたよ、シノプシスを書くまでにはね。そういう意味ではNHKの組織自体の教育力はすごい大きなものがありますよ。
−−その環境はNHK以外では絶対にありえないですね。
2. メディアの役割は「音楽をきちんと伝える」こと
−−番組を制作したり演出したりする上で、心がけてらっしゃることはありますか。
小林:音楽をきちんと伝えるということですね。あんまり極端にクリエイティビティが発揮されても困るんですよ、メディアの人間は。いいところを素直に伝えてあげる、トンネルみたいな役割。演歌でもポップスでもクラシックでもどれが価値が高いとか、自分ではあんまり考えたことがない。自分の価値判断を加えずに、なるべくストレートに伝えたいんですよ。こういう番組を作ってやろうとか、あんまりアンビシャスだといけないんだよ、たぶん。
−−なるほど、自分の主義主張をあまり込めすぎてはいけないと。
小林:自分たちはNHKに所属しているディレクターで、インディペンデントな映画監督とは違う、雇われシェフなんだよね。ファミレスでもなんでも、自分がお店を作った訳じゃないので、自分の芸術性を示してもしょうがないんだよね。
−−企画から自分で立ち上げる訳じゃないんですか。
小林:コンセプトがもう決まってて、素材をもらうことが多いですね。プロデューサーが素材を集めてきて、自分は料理する方。「この豚肉の質が悪い」とか言ってもしょうがないわけですよ。我々はそれをなんとかおいしく食べてもらう方法を考えるわけですから。
−−ご自分で立ち上げた企画にはどんなものがありますか。
小林:…大きなものだとNHKスペシャルの『地球シンフォニー』なんかそうですね。「音で世界を語ろう」っていうテーマで、優秀なニュースのディレクターといっしょにやったんですよ。世界中から電送されてくるニュース素材には音もついてくるわけでしょ、映像と音が。でもニュース番組ではコメントがのっちゃうから、音はほとんど出てこないんだよね。その音がもったいないんじゃないか、この音で世界を語れるんじゃないかなっていう発想で作った番組で、小澤征爾さんがキャスターをやってくれて、お正月に世界を結んで、3時間の生放送をやったんです。それから『ピアソラのすべて』はピアソラが話題になってた時期の『芸術劇場』(教育テレビ)で、当時は3時間オーバーしてもいいぐらいの枠があったんです。今では地上波にはそういう長い枠がとれないんですよ。せっかく長い枠があるんだから、今話題になってるピアソラをまとめて全部やってみようっていうことだったんです。
3. 「音楽は目に見えない」──メディアは音楽を伝えられるか
−−さきほど「メディアの役割は音楽をきちんと伝えること」だとおっしゃいましたけど、具体的にはどういう方法で伝えればいいんでしょうか。
小林:話の中心としては、「メディアが音楽を伝えられるか」というのがあると思うんですよ。自分たちはたぶん今の若い人たちよりもすごく悲観的かもしれないね。「メディアが音楽を伝える」ということがすごく難しいんだって、まだ思ってるわけです。でも、ビートルズにしてもカラヤンやベルリン・フィル、グループサウンズもそうだけど、自分たちがテレビから受けた影響力はすごく大きいから、何か伝えられるんじゃないかなと思ってやっている。自分はテレビとラジオしか知らないけど、メディアの特性は凄くありますよね。だからきちんと考えることがすごく大事だと思うんです。パッケージメディアとテレビメディアは全く違うから。
簡単に言うと、テレビ局に入った新人スタッフに「音楽は目に見えない」っていうことをわかってもらうのに10年ぐらいかかると思うんだよね。でも「音楽は目に見えない」っていうのをわかってもらわないと、そこから先に進めないんですよ。
−−…それはもう少し簡単に言うとどういうことなんですか。
小林:だから、音だけのパッケージならすごく簡単なんだけど、絵があるところで目に見えない「音楽」をちゃんと伝えなくちゃいけないっていうのは非常に難しいことなんです。目に見えないって事に気がつくと、音楽であろうとドラマであろうと報道番組であろうと、全部同じになるんですよ仕事が。例えばね、「不況」ってものは目に見えないんですよ。「構造改革」も目に見えない。それを伝えるために報道番組はいろんなことを取材して番組作るでしょう。ドラマは「愛」が目に見えないから、その「愛」を伝えるためにああやってセット組んで俳優さんに芝居させてドラマを作る。「音楽」も目に見えないものを伝えるんだって思うと、すごくやることが整理されてくるんです。
いちばん難しいのはクラシックの中継なんですよ。NHK交響楽団がクラシック演奏しているときに、目に見えるものはすごく少ないんです。
−−ああいう中継は何台くらいカメラ使うんですか。
小林:オーケストラは5台くらいじゃないかな?
−−確かに演奏シーンをずっと録っていて、果たしてそれでいいのかっていう疑問があるわけですよね。
小林:ええ。だから、目に見えないってことがわからないと、目に見えるものを写しちゃうんです。バイオリンが演奏しているとバイオリンを写しちゃう。クラリネットがソロ吹くとクラリネットをポンと写しちゃう。でもそれは「行為」であって「音楽」じゃないんです。見てる人はそれを追いかけることに一生懸命になっちゃうんですよね。
−−なるほど…確かにクラシックの中継はとてもむずかしいですね。
小林:クラシックの場合は「音楽が見える瞬間」があるんですよ。それをじっと待つんです。自然番組とかと似てるんだよね。鳥の巣でずっと親鳥が帰ってくるのと似てる。ポップスの場合は自分たちも動き回って探せるんだけど、クラシックの場合はじっと、とにかく「音楽の見える瞬間」をじっと待つんです。
−−うわぁぁ…。
小林:じっと待つんです。どっかにあるんですよ。用は打率の問題で。その瞬間をいかに逃さないかということで、積極的に録ることは難しいんです。
−−その打率の高いカメラマンを選び取るのもディレクターの腕ってことになるわけですか。
小林:まあそうですね。
−−いかに打率をあげるか。
小林:そうですね。非常に厳しいものがありますね。…ポップスの場合、絵でも語る部分っていうのは多いので、積極的に録りに行くと打率を稼げることもあるんですけど…
−−歌ものだと表情によるところもありますよね。
小林:そうですね。「言葉」が大きいんですよね。ジャズにしてもクラシックにしても、純粋器楽は非常に難しいですね。言葉があると、ものすごくテレビの機能を有効に活用できるんですけど、純粋に音楽だけだと、テレビの伝える力はものすごく少ないんですよ。だけど、それに言葉がついてくると、テレビの機能が凄くうまく回転して、より伝わりやすくなるんです。やっぱり純粋器楽の音楽はテレビの機能を100%使う事はむずかしいですね。
−−『名曲アルバム』はメロディーがあって、曲が決まっていて、それを映像で表現されてますけど、今のお話ですとそれはどういうことになるんでしょう。素材の曲がクラシックの場合はメロディーだけですけど、「イマジン」や「ホテル・カリフォルニア」なんかはもともと言葉のある楽曲ですよね。
小林:…そうなんだよね。ちょっとわざわざ作ってみたんだよね、そういうのを(笑)。うーん…この『名曲アルバム』の場合は実験的なものなんだよね。ほかの定時番組がある種きちんとした散文であるのにい対して、5分間の、短歌とか詩に近いんですよね。映像は映像である種のストーリーがある。それと音楽の流れとくっつけたときに、聞く人が何を感じるのかなみたいなことで、読みとれる世界なんじゃないかなと思うんですよ。だからこれはけっこうおもしろい番組なんですよ。
−−絵(映像)と音とどっちを先に持ってくるんですか。
小林:絵ですね。だからこの『名曲アルバム』はちょっと特別で…これはテレビの機能としては今ではおもしろい番組なんですよ。というのは、昔はフィルムだったでしょう。フィルムは絵だけなんですよ。音はない。だけどビデオっていうのは初めて、絵と音と両方録れる機械なのね。フィルムカメラっていうのは側に行くとよくわかると思うけど、ものすごい音のする機械だからね。70ミリ(フィルム)の機械なんてガーッとものすごい音がするから、同時に音が録れないんだよ。でもビデオは初めて絵と音が一緒に録れるようになった。だから『名曲アルバム』っていうのはフィルムの時代の番組の名残なんです。 だって、わざわざ海外にロケに行くわけでしょ。で、音と絵と両方録れるビデオなのに、音を録ってこないっていう(笑)、非常に不思議な、贅沢な番組なのね。だから逆に、音がシンクロしてないから、絵に強烈なストーリーが必要になっちゃうんですよ。絵と音が独立した番組なのね。
−−曲に合わせて絵を撮りに行くんじゃないんですね。
小林:まあ行ってみないとわかんないんだけどね…これはいろんな作り方があるんだけど、よくプロモーションビデオだと音楽が先にあって、それに絵コンテをつけて作っていくじゃない。自分が「イマジン」や「ホテル・カリフォルニア」を撮ったときは全然逆の作り方だったわけ。まず「ニューヨークでイマジンを作ろう」と思ってニューヨークに行くわけ。ウォークマンのテープにイマジンを入れて、カメラマンとふたりで持って、「(イマジンが)聞こえるようだね」って思ったところでパッと絵を撮る。その絵をつなげて、絵が撮れてから音楽のアレンジを作るんです。下絵も何にもなく撮るわけだから。まあ「イマジン」のニューヨークや「ホテル・カリフォルニア」のロサンゼルスは知ってる街ではありますけどね。
4.発売されたレコードはすべて聴く!? ファーストオーディエンスであるための努力
−−ドキュメント番組のうしろに音をつけることもそういった手法になるんでしょうか。例えば「白神山地」とか。
小林:いや、これはもう完全な自然ドキュメンタリーだから、撮るときはひたすら野宿するって感じですね。
−−番組での音楽の使われ方は特別タッチされてはいなかったんですか。
小林:当時の『NHK特集』とか今の『NHKスペシャル』はNHKの看板番組だから、すごく丁寧に時間をかけて作るんですよね。だから音楽もこのために作るんです、ラッシュして…ローカル番組だと自分たちでレコード室で探してくるものもありますけど…
−−その場合は作家選定が必要になりますよね。そうすると常に幅広く、どんな作曲家がいて、どんな音楽をやっているかっていうのをジャンルをまたいでいろんな音楽の知識を入れてないとだめですよね。
小林:まだこの(「白神山地」を作った)1985年頃は1ヶ月に発売されるCDが30枚ぐらいだったから、全部聞けたんだよね…あとローカルから東京に来たときに、最初の1年ぐらいはわけがわからなくて、まだ時間に多少余裕があったんで、時間のあるときに発売されているレコード全部聞いてたから。
−−…今、さらっと何ておっしゃいました(笑)?
小林:当時はCDのアルバムだとそう枚数なかったから。
−−ジャンルは?
小林:いや、そういうのまったくこだわらずにね。自分の趣味で聞いちゃうと娯楽になっちゃうから仕事だと思って。
−−それはNHKのレコード室で?
小林:ええ、資料室で。暇があると資料室に行って、番号順に聞いたりとかね。
−−NHKで音楽番組作ってらっしゃる方は何人もいらっしゃるとは思いますけど、レコード室にいちばん通い詰めてたのは小林さんなんでしょうね。
小林:…うん、レコードを買う量はいちばん多いでしょうね。
−−レコード室だけでなくてご自分でも買われるんですね。
小林:うん、買いますよ。めちゃくちゃ買いますよ。たぶん今日もこれから…せっかく出てきたんで(笑)。
−−じゃあレコードを収納する専用の部屋とかあるんでしょうね。
小林:段ボール箱につめてそのままおいてあったりしますけどね。
−−ご自分でお買いになるものは、聞くために、それとも勉強のために?
小林:それは聞くためにですけど、今はリリースされるものが多すぎて、聞けないものがあるんですよね…。
−−そりゃ全部は聞けないですよね。
小林:だから毎日家に帰ったら1時でも2時でも、5枚はCDの封を切るようにはしてるんですけどね。寝る前にベッドの側にヘッドフォンのシステムがあって、もう義務だと思ってやってるから。
−−ええ〜〜〜?毎日5枚?きついですね〜。 でも毎日5枚でも追いつけないんだよね。ものすごい量がリリースされてますからね。あの、その聴き方っていうのは、ちょこっと頭だけ聞いて、っていうんじゃなくて…
小林:そういうものもある。中にはすごく一生懸命聞くのもあるし…基本的に夜聞くときはけっこうとばしちゃいますね。それで朝、8時半に起きて、2時間ぐらいスピーカーで音出して聞くんですよ。それで、その時聴くための素材わけをしてるだけなんだよね、夜は。
−−うわぁ〜(ため息)…そんな話は初めて聞きましたね。
小林:でもね、聞くことが基本なんだよね。たぶん「歌謡コンサート」とか演歌の番組やってて、若い子で演歌はイヤだな、って思っている子がいるかもしれないけど、自分はそんなイヤだとは思っていないんだけど、案外年配の方々が自分たちのことを凄く信頼してくれて、いろんなことをやれるっていうのは、ただ一生懸命聞くからなんだよね。それ以外のなにものでもないわけ。だから、そうじゃなくて、もっと政治的なことで人を動かそうとしても動かないんだよね。とにかく自分たちがファーストオーディエンスなんだよね。『歌謡コンサート』でもポップスの番組でも、テレビの番組って、ある種我々の世代の前はアーティストに信頼がなかったと思うんですよ。テレビ局がちょっと横暴だったと思う。
−−要するに、出してやる、使ってやるっていう…
小林:テレビの力がそれだけ強かったのかもしれないけど、だから自分たちがそういう歌番組というジャンルの番組をやり始めたときに、同じ世代のみんなが尊敬するアーティストたちがそっぽを向いちゃってた。「テレビなんか…」っていうときに自分たちがやり始めた。そうすると、同世代の人たち、大貫妙子さん、山下達郎さん、それと井上陽水さんでもユーミンでも中島みゆきさんでもチャゲ&飛鳥さんでも…みんな出てくれないんですよ。それはテレビに対する信頼性がないから。だから、自分たちは『歌謡コンサート』でも、演歌の歌手でもポップスの演奏家でも、まず音を、その演奏をちゃんと聴くっていうところからスタートしたんだよね。たとえばテレビにバンドで来ても、カラオケで当て振りでやってください、みたいなことをずっとやってたわけでしょ。そうすると「俺たちなにしに来たのかな?」って思うでしょ。まず「音楽を演りに」テレビ局なりスタジオに来ていただく、っていうのがまず、根本的にそれが大事なことだったんです。プロモーションしてほしいんじゃなくて、音楽をやってほしいんだけど、っていうのが、この10年間の自分たちとアーティストたちの信頼関係の基礎になってるんですよ。
−−紅白のディレクターだって伺ってたんで、お会いする前は「文句言ったら出してやんねぇぞ」みたいな(笑)、そんな立場にいらっしゃるのかと思ってたら…(笑)
小林:自分は出してやるとかそういう、出演者を決める立場には全然ないので(笑)。決まったものをいただいて、どういう風にみなさんがかっこよく出られるかっていうのを考える方だから。自分がやり始めたのは、ちょうど2時間45分で9時からやってた紅白が終わって、4時間25分っていう、すごく長い枠になってからなんだよね。
−−二部構成になってからですね。
小林:そう。そのフォーマットを作った時代なんですよ。
−−モックンがコンドームのかぶり物をして審査員に出たというのが伝説になってますけど…(笑)
小林:…あれは92年ぐらいじゃないかな?あれは隠しでやったんだよね…(笑)
−−あとで怒られたりしたんですか?
小林:いや、我々は別に怒られたりはしなかったですね。あととんねるずが赤鬼さん白鬼さんみたいなブリーフ1枚でやったときも騙されましたね(笑)。知らされてなくて。
−−リハでは普通の格好してたんですか?
小林:ええ、打ち合わせではすごく真面目な、歌舞伎とかラストエンペラーみたいな衣装でと、ちゃんときちんと打ち合わせしたのに…
−−やられちゃったんですね。
小林:でも「やってくれるじゃない」みたいな感じでしたけど(笑)。
5.若い世代への警告…「ダウンロードするみたいには音楽は伝えられない」
−−これまで手がけられた番組で思い出深いエピソードとかありますか。
小林:まあエピソードもいっぱいあるけど、今自分がいちばん興味を持って考えてることはね、今の特に若い世代、自分たちの後輩たちのテレビの現場にいる人たちなんていうのは、情報がコンピュータにダウンロードするみたいに伝わるって思ってるんじゃないかと思うんだよね。それが凄く危惧してることなんですよ。テレビに何か情報を流すと、それが見ている人たちにダウンロードするみたいに伝わると思ってる。どうもそういう節があって…すごくよくないっていうか、困ったことだなと…テレビの機能っていうのは凄く不完全なものなのね。そういう風に、ダウンロードするみたいに情報を伝えるっていう、コンピュータみたいな考え方がすごく危険なような気がして。要するに自分たちが番組を作って、アーティストと見ている人たちの間にいるとすると、その見ている人の想像力が完全に機能している状態じゃないと、テレビの機能は完全に発揮できないんだよね。だから、見ている人が完全に想像力がなくなって、ものをダウンロードするみたいに見るって言うことは危険なことなんだよね。だけど、今どっちかっていうと、そういう、ダウンロードするみたいにものが伝わるんだと思ってるんじゃないかとしか思えないことがいっぱいあって、そこがすごく不安なところなんです。
−−それは後輩のディレクターとかに対して、番組の作り方に関してですか。それともテレビの機能的なことですか。
小林:うん、テレビの機能をちゃんと把握していないから、そういう作り方になるっていうか…
−−それがさっきおっしゃった、「音楽は見えないものなんだよ」っていうお話につながるんですね。
小林:そういうことなんですよ。
−−そういう傾向にあるのは、やっぱり世代的な特徴が大きいんでしょうか。
小林:世代的な特徴もあるんでしょうね。でも今全体的なテレビの傾向として、ミスリーディングしない、っていう傾向にすごくあるんですよ。誰が見てもミスリードしない、誤解しない、っていうことがすごくあるんです。でも、例えばカボチャがピーマンに見えたらすごくいけないとは思うけど、ある音楽を聴いたときに、それはすごくエッチなものであるのか、それとももっとピュアな宗教的なものであるのか、必ずしも同じじゃないというか、ミスリーディングされることはあるわけです。
−−音楽番組じゃないですけど、バラエティとかでしゃべってる言葉をそのまま字幕出しますよね。あれで強調することが今や常套手段になっている。それが音楽番組でもある定まったものを受け取るようにピシッと作っちゃってる、っていうのが、ダウンロードするように作ってしまってる、ってことなんですね。
小林:そうですね。ああいうのがそういうことですね。
−−あれは想像力を奪ってますよね。日本語に字幕出してるんですから。「ここで笑え」っていう強制ですよね。
小林:ええ。脳に電気ショックを与えて笑わせるって感じですね。
−−聞こえなくても見えますからね。最初はそのサポートをしているつもりで始めちゃったんでしょうけどね。音楽番組もそういう傾向にあるとお考えなんですね。
小林:うーん、だから字幕をスーパーすると耳がちょっと怠けちゃって一生懸命聞き取ろうとする姿勢を奪っちゃうかもしれませんね。とにかく自分としては一生懸命聞いてほしいわけで、それを妨げることはあんまりしたくないな、と。
−−具体的にはどういう事ですか。
小林:例えば…昔ピンクレディーとかが出た頃、1980年代ごろっていうのは、ある種テレビのマルチカメラとかが技術的に成熟してきた頃で、そのころにやたらにスイッチングが早かったり、カメラがバカバカ動いたりっていうのをやってたんですよ。民放でもNHKでも。そうするとね、絵がおもしろすぎるとね、音楽って聞こえてこないんです。ピンクレディーも含め、当時のアイドルの人たちっていうのは、「今時の歌手は何を歌っているのかわからない」ってよく言われていたんですけど、あれは歌手の責任じゃなくて、テレビの側の責任でもあるんですよね。
−−なるほどね。
小林:だからね、「見たい」よりも先にスイッチングしちゃいけないと思うんですよね。要するにね、バカバカ面白がってスイッチングしちゃうとだんだん見てる人がコンビニエンス・ストアの監視カメラ見ている気分になっちゃうんだよね。「フロントの3人ばっかりじゃなくて、ドラムスの人の顔が見たいな…」と思ったときにポンと入るといいんだけど、その「ドラムスの顔が見たいな」って思ってもらうことがすごい大事なんですよ。その前に自動的にバンバン入って来ちゃうと、ただダウンロードされてるような状態になるわけね。だからあとは絵と音のバランスとかで…音楽や映像のディレクターだっていうとなんか偉そうだけど、自分は「面白くないことにする」ほうに力がいるんです。そのほうがたいへんなんですよ。例えば『紅白歌合戦』なんかは50%ぐらいの人が見てるわけだし、カメラが13人いれば、カメラマンはシャカリキになって絵を面白くしようとするでしょ。でも絵が面白すぎると音楽が伝わらなくなっちゃうときもある。だからここはガマンしてくれ、ここは音を聞かせるんだから動かないでちょうだい、っていうのをやるほうが、大事になってくるわけ。
例えばイルカさんが出て「なごり雪」を歌ったときに、ギターを抱えてじっと歌ってるショットにしておいた方が、言葉が伝わってくることもあるわけね。絵がおしゃべりだと音が聞こえなくなっちゃう。その調整がいちばん難しいんですよ。
−−いちばん最初におっしゃっていた「音楽は目に見えないっていうのを理解するのに10年かかる」って言われたことの意味が今わかりました(笑)。
小林:だから実際『紅白』とか、みんなが一生懸命やってる番組は、自分たちはあんまり邪魔しないで、頑張らないくていいよ、こっちが頑張るから、っていう交通整理をしてあげてるだけなんですよ。
−−カメラもはしゃぎすぎないようにということですね。
小林:そうですね。あとは歌番組を見てるとみんな今はそれに慣れてるから、ここで変わるだろう、とか思っちゃうんですよね。そうするとフレーズでパンパン切っちゃうんですよね。でもそのフレーズから次のフレーズに行くところに、音楽の一番面白いおいしいところがあるわけ。そこを全部切っちゃうと、演歌にしても最近の歌い手はそれに慣れちゃってるからその間がすごくいいかげんになっちゃうんですよ。昔の人はもっとフレーズとフレーズのつなぎ目にも命かけてましたからね。そこをテレビでパンパンカッティングされていっちゃうとあんまり…一つのフレーズのなかでは思いっきりやったりはするんだけどね。
6.映像の持つ意味と怖さ…思い出深い「Can You Celebrate?」
−−音楽に関わるメディアとしてのテレビの功罪はあると思いますね。よく1カメのほうが伝わったりしますよね。
小林:そうですね。まあ自分ももう20年くらいやってるからわかるんだけど…自分がキューを出して撮ったものはダメなんですよね。あの…例えば98年の暮れの『紅白歌合戦』のときに、安室奈美恵さんが泣いちゃったことがありますよね。あのときのカメラは私が「ズームイン」って言う前にズームインしてるんだよね。あの絵ははすごくいい絵で、私がカメラマンだったら、「この絵はお父さんが撮ったんだよ」って子供に自慢できると思うけど…やっぱりカメラの人が勢いで撮ったっていうのがすごく、いちばん伝わるんだよね。離れたところから「はいズームイン」って指示してからズームインしたのと、やっぱり全然違いますよね。
−−微妙な間とかタイミングで、味わいが全然違ったり…
小林:あの「Can You Celebrate?」は、97年の暮れにもやって、98年は2回目ですごく印象に残っているんだけど…二つあるんですよ。ひとつは彼女が突然立ち止まっちゃったときに カメラが待てなくて寄ろうとしたのを、止めたんです。あれはいい仕事をしたと自分でも思ってるんだけど(笑)。彼女がカムバックするっていうことは、1年間お休みしていて、それでオーディエンスに近づいてくるのが意味があるのに、カメラが近づいちゃったりするとしょうがなくなっちゃうんですよ。それを彼女が本番で思いがけなく突然立どまっちゃって、それをハンディカメラが歩いて寄っていこうとしたのを止めたんです。それから泣いちゃったときは、カメラが勝手に動いていって…そういう風にうまくいくときはいくんですよね。
−−カメラマンにもそれぞれの力量が問われるところですね。
小林:小澤(征爾)さんとか見ていてお互いに面白いな、って思うのは、小澤さんはオーケストラの指揮をしていて、それを撮っている私たちはカメラマンや音声や照明をある種指揮しているようなもので…画面のこっち側にいるオーケストラなんですよ。
−−映画監督のチームのように、信頼できるカメラマンとか、気の合うスタッフっていうのはいらっしゃいますか。
小林:そうですね。やっぱりだんだんにわかってくるんだよね、やってると。その信頼関係ができるまでが大事なんじゃないですか。こういう風に台本に書いてあるっていうことは、そのうちにきっとこうだろうと向こうで勝手に読んでくれるようになるから、そうするとすごい楽なんですよね。
−−NHKのシステムはそういう環境としてはいいということですね。
小林:まあいい面も悪い面もありますけどね。
−−時間的にもじっくり最善を尽くせる環境にあるんじゃないんですか。
小林:うーん。やっぱり商業主義にどっぷりにならないところがいいんでしょうね。
たまたま長野オリンピックの時にオリンピック実行委員会に行ってたんですよ。そのときに外からNHKを見て、面白い会社だなと思ったりね…それからちょうど湾岸戦争の時だったかな…ロサンジェルスに半年間留学してアメリカの大きなテレビ局で勉強したりして…外から見てるとまたNHKも面白い体質ですね。
−−アメリカにテレビの勉強に行ってたんですか。
小林:1990年ごろ、バブルが崩壊する前後っていうのは、ある種の断絶があるんですよね。それまでテレビのすごい初期から関わってきた人たちが第一線を退きはじめて、若い人たちに橋渡しをしていて、たぶんNHKに迷いがあったころだと思うんです。『紅白歌合戦』も昭和58年の都はるみさんの引退を境に長期低迷期に入ってきて…このままじゃいけないんじゃないかな、っていうのが社内に雰囲気としてもすごくあって…
−−それで新しい息吹を持ち込むための環境作りをするということで海外留学システムなどがあったってことですか。
小林:そうですね。当時はすごくダイナミックだったんだよね。景気が良かったのかはよくわかんないんだけど、今よりも発想がダイナミックな時期があって…たまたま1980年代の終わり頃に、すごくいい番組をアメリカで作ったディレクターがいたんですよ。その番組を輸入したことがあって、いくつかのいい番組をみんな同じ一人のディレクターが作っていて、「この人は誰なんだ」ってことになって、彼を捜して、むしろそういう世界一のディレクターに『紅白歌合戦』を演出させてみたらいいんじゃないか、ぐらいのドラスティックな発想があったんですよ。それでとりあえず彼とコンタクトを取って呼んでみたんですよ。それでいろいろ話をしてみて、彼はアメリカ人だからやっぱりすごくプラグマティック(実務的)で、条件が良ければいいものができる、というんです。彼が望むような条件を満たすことはとうていできないんですよ。例えば「アカデミー賞授賞式」は、3週間前にセットをローディングしてるんです。それから1週間かけてライトをセットアップしたり、マドンナが1曲授賞式で歌うために、音合わせ2時間、カメラリハーサル3時間とかやってるわけですよ。『紅白歌合戦』みたく、分刻みでやっているのとは条件が全然違うんです。
−−天下のNHKをもってしても違うんですね(笑)。
小林:例えばカメラマンも英語がわからないと、とかアメリカ人じゃないと、とか、いろいろ条件があって…やっぱり言葉がわからない歌は撮りにくいですしね…それでなかなか折り合いがつかなくて、そのときたまたま「俺がこっちに来てやるのは無理だけどお前が向こうに来ればいいじゃないか。そのほうが簡単だろう?」みたいな話になって(笑)…それだけが実現したんだよね。
その後も何度もいろんなスペシャルで彼らと仕事しようとしたことがあるんだけど、やっぱりなかなかそういうアメリカの超一流の人たちの制作状況っていうのは自分たちにはなかなかちょっと…
−−なんていう方ですか?
小林:ジェフ・マルゴリスっていうフリーのディレクターです。
−−向こうに行って小林さんもいっしょに番組を作られたんですか。
小林:…番組を作るっていっても、ほとんど丁稚奉公というか、鞄持ちみたいな…(笑)。彼はそのとき「アカデミー賞授賞式」を演出していて、それから「アメリカン・ミュージック・アワード」とか、それからちょうど「ウェルカムホーム・アメリカ」っていうでかい特番がありましてね、湾岸戦争が終わって兵隊さんお帰りなさいコンサートでね。プレジデントが何人もそろっちゃうような…(笑)。そういうのを作っているのにつきあっていました。
7.CD, SACD,DVD AUDIO…枝分かれメディア競争の結末は?
−−じゃあ少し個人的なことをお伺いします。小林さんがとてもオーディオに造詣が深いというのは知る人ぞ知る、なんですが…
小林:あれは趣味だからね(笑)。
−−ご意見を伺うと、SACDは将来どうなるんでしょう。
小林:今年の夏ぐらいにようやく新世代CDのフォーマットっていうのがなんとなく具体的な形が見えてきたところで、SACDのハイブリッドがたぶん定着するんじゃないかと私は思ってます。SACDとDVDオーディオとでは、どっちでもいいんですよ後世代メディアは。もうどっちが普及するかだけの話で。たまたまDVDオーディオはあまりにもDVDと近過ぎちゃったために、なんでもできる安い機械を出しちゃったんだよね。それがすごく評価を下げちゃったんです。SACDはとにかく音だけでがんばったから、アメリカやヨーロッパでSACDはCDの後継メディア、みたいな流れが定着しちゃったのね。SACDのハイブリッドっていうのは二層になっていて、CD層があってSACD2チャンネル層とマルチ層があって、3つの音源が1枚に入っている。そうするともう(どういう状況で聞くかは)受け手に任されるわけです。それがヨーロッパの輸入市場で2800円ぐらいで流通してるので、もうCDだDVDオーディオだSACDだってばらけて出すんじゃなくて、それひとつになっちゃえば、それでも普通のCDプレーヤーでもかかるわけだから、レコード業界的に言うと、CDの価値が今どんどん下がっていってますよね。CD-Rとか安いのが出てますし。CD1枚が2500円とかって「高いな」って思っちゃいますよね。ハイブリッドSACDの定着で新譜の定価の値崩れを防げると思いますね。
−−そういう市場は日本がいちばん遅れているんですか。
小林:いや、日本が一番進んでいるんじゃないかな。4万円の出すって言ってますからね、ソニーが。でも4万円のプレーヤーと60万円のプレーヤーで音が違うのは当たり前なんだよね。フォーマットだけでクオリティーが決まるというもんでもないんです。今みんながデジタルな数字志向になっちゃってるから、みんな数字数字で営業できちゃうからね。44.1kHzよりも96kHzの数字が大きい方が偉いと思っちゃうでしょ。ほんとは数字じゃないんだよね。そのへんはちょっと怖いものがありますよね。 たぶんそれで普及するんじゃないのかな。あとは切り替えのタイミングだけの問題だから。CDがそういう風に全部進化しちゃえばいいわけで、いわゆる普通のCDプレーヤーとコンパチブルでね。今アメリカなんかでは日本よりも遅れてCDウォークマンがすごく普及してるんですよ。向こうでは「CDバーガー」って言うんだけど。ハンバーガーみたいだからね。アフリカとかアジアでもこれから普及するんですよ。MDなんて全然、日本のローカルのメディアですから。そうするとカセットと同じで、CDはまだまだ続くだろうから、そのCDとコンパチビリティがあればね。DVDオーディオはメニュー画面を出さないと操作できないとか、そういう変なことをやっちゃったのでたぶん難くなったんですよね。
−−ダウンロードミュージックに関してはどういうご意見をお持ちでしょうか。
小林:ダウンロードミュージックも放送と大して変わらないんじゃないかなぁ。
−−ネット上での音楽のやりとりは歓迎するっていうのもヘンですけど、自動的に広まっていくだろうとお考えですか。
小林:ダウンロードミュージックで伝えられないものっていうのがいっぱいあるので、そういうのをちゃんと理解してればいいんじゃないのかなぁ。カラオケの練習するために歌詞を覚えるんだったらダウンロードミュージックでもいいんだろうけど、例えば『First Love』がどうしてあんなに人の心を打つのか、「TSUNAMI」って歌がどうして人の心を打つんだろう、どこがいいんだろうって一生懸命考えるにはねダウンロードミュージックでは難しいかもしれない。
−−そうするとやっぱり小林さんとしていちばん好ましいメディアはアナログレコードなんですか。
小林:いや、アナログレコードは全然、メディアとしては価値がないですね。私はアナログLPは1枚も持ってないですよ。アナログLPが音がいい、っていう人はもう、全然おかしいですね(笑)。要するにね、枝分かれのメディアはもうダメなんですよ。オリジナルの音源があって、LPっていうのは枝葉の部分じゃないですか。オリジナルじゃないから、LPは。これはもとがテープじゃない。ディスクメディアに1回変換してるわけで、その変換されたものはオリジナリティーがまったくないんだから、これは失われていくだけですよ。
−−CDはオリジナリティーがあるということですか。
小林:いや、これはオリジナルは元の音源ですから、アナログLPもCDも同じですよ。どっちが使い勝手がいいかと言うだけで。たぶん、圧倒的な使いやすさで残っていくのはCDでしょうね。
ただ、アナログディスクでもSPっていうのは、ダイレクトディスク録音で、これ自体がオリジナルなのね。これに直接カッティングしたものなので全然違います。テープで録音したものは、アナログLPでは残っていけないでしょうね。ダイレクトカッティングのLPは別としてね。だからうちはSPは聞いてますよ。
−−どんなステレオセットをお持ちなんですか。
小林:それはね、『ステレオサウンド』の126号に書いてある(笑)。
録音メディアのこともね、聞いて体験してみないとわからないでしょうね。例えば初めて蓄音機でSPを聞いたらね、感動すると思うよ。70年前の。ほんとに針でそのまま吹き込んだヤツを再生してるから、信じがたい音なんですよ。ハイエンドは全然進歩してないんですよ。使い勝手だけで。SPの70年前の音も、うちのNHKの音声スタッフが聞いても「たまげる」って言ってますからね。すごい音も大きいんだもん。30畳ぐらいの部屋で聞いてみんながダンスできるぐらいの音ですよ。それもすごく生々しい音でね。
−−SPレコードのプレーヤーにアンプをつなげたわけじゃなくて?
小林:SPはもう70年前のその機械だけでそれだけの音が出るんですよ。それは信じがたく音がいいんです。それが滅びちゃったのって、単に音量調整ができないってだけだと思いますよ。あとSPが滅びたのは3分しか録音できない、ダイレクトカッティングだから録り直しができない。
−−制約が大きかったんですね。
小林:だからコンビニエントなほうには進化しているんだけど、そんなに世の中の人が言うようにすごい進歩してるかって言うとそんなことはないわけ。でもその70年前の蓄音機は…世田谷区が買えるぐらいの値段したらしいですよ(笑)
−−世田谷区っていくらなんだろう…(笑)
小林:日本には戦前にはそのようなハイエンドの蓄音機が4台しかなかったらしいですよ。1920年代っていうのは、情報が、ソナーとか通信とかが戦争の勝ち負けを決めるわけでしょ。当時のベル研究所っていうのは、今で言うとNASAなのね。その当時のベル研究所が作ったスピーカーがあるんだけど、それはすごいものですよ。スペースシャトル作るぐらいの気持ちで作ってるからね。今でも完璧に動くしね、全然劣らないですよ。便利にはなってるんだけど、そんなには音は変わらないわけですよ、当時とね。だから全体の録音の系譜を見るとディスク録音がテープ録音になって、テープ録音のアナログテープ録音だったのがデジタルテープ録音になって、それがデジタルディスク録音になる、っていう一連の系譜の流れから言うと、LPっていうのは恐竜だったり巨大な三葉虫だったり、ちょっと録音の再生のメディアの本流ではないところにあるんですよね。
8.音楽は時代を写す鏡、フラジャイルで不可分なジャンル
−−では最後に、NHKで音楽番組のあり方は今後どうなっていくんでしょう。以前ホッピー神山さんのインタビューのときに、NHKでは民放ではできないような音楽番組をガンガン作っていて、いちばん勢いあって面白いよ、と伺っていたんですけど、意外と大胆なことができるんでしょうね。
小林:…今は波(放送波/チャンネル)が多いですからね。
−−全国ネットだからパワーはダントツですよね。
小林:…まあ、ダメなときに没にできる力があるのがNHKのいいところかもしれませんね…
−−いくら金かけて作っても没にできる(笑)。
小林:うん、金かけて作ってもっていうのはすごく語弊があるかもしれないけど、とくに『NHKスペシャル』みたいな番組は試写してから「これは放送に値しない」とかいわれてお蔵入りになることもありますからね。
−−そうなんですか。
小林:それはありますよ。だけどそれはそれなりに受信料からなるお金を使って制作したものだから、『NHKスペシャル』の枠では放送しなくてもまた違う企画として別に再生することはできるし。
−−NHKはたくさんチャンネルありますよね。
小林:今はすごく多いですね…テレビでNHK総合、教育テレビ、BS-1、BS-2、ただね、音楽のものの伝わり方って独特なものがありますよね。映画とも違うし、ニュースとも違う。そういうようなものがわかっていただけるとすごくいいんだと思います。 たまたまさっきも話題になった「名曲アルバム」の「イマジン」とか「ホテル・カリフォルニア」がありましたけど、いいポピュラー音楽、人々の心を広くとらえる音楽っていうのは、時代を映す鏡なんだよね。それ自体がニュースなんですよ。
−−「イマジン」は爆破テロの余波で放送の是非を巡ってニューヨークで話題になってますね。
小林:逆に今でこそああいうのをほんとはやらなくちゃいけないんですよ。楽屋うちに終しているようなバラエティ番組は消費番組としておいといて、音楽番組っていうのは、ほんとにニュース番組とも情報番組とも違う、一つのジャンルであるということをすごく認識していただけるといいなあと思いますね。そうしたら生き延びられるかもしれない。
特にやっぱり音楽は生き物だから…なんていうのかな、銀紙でパックされてもうできてるお菓子を開けて並べるだけのような番組はなくなっちゃうと思うけど、ほんとは音楽はもっと生き物みたいなもんで、水やってちゃんと育てるような、伝える番組があれば…それはすごいお金と手間がかかるけどね。そういうのにお金かけるのは何だ、っていう風潮になっちゃうと、すぐなくなっちゃうんじゃないかな。やっぱり直接話法で語るのは強いですからね。『ときめき夢サウンド』っていうのは30分の番組で、こんなに薄い台本だったけど、30分の番組作るのに、なぜこんなに時間とお金がかかるのかって怒られたことありましたね。
−−他の民放の音楽番組とかで、この番組はなかなかだな、って思われているものはありますか。
小林:うーん、最近あんまり見てないからなぁ…『ミュージック・フェア』とかは前はスタッフの交流があって、スタジオに見に行ってすごく勉強になったことがありましたよ。あれも番組変わっちゃいましたけどね…民放の番組ってどうしてもやっぱり持って来ちゃったヤツが多いからね。それこそなんか、ジャニーズ系の人たちが深夜にプロダクションナンバーを作っってやってるようなのとか…あと逆転現象みたいなのもあると思いますよ。昔やっていた『音楽は世界だ』なんて、すごくNHK向きの番組だなとは思ったし…『夜もヒッパレ』も始まった当初から見てるけど、『音楽は世界だ』も『夜もヒッパレ』も、すごく民放っていうのは根気強くねばり強くやるのがいいなあと思うんだよね。どうしてもNHKは育たないうちにやめちゃうような、定着しないうちにやめちゃうことも多かったですね。
−−長寿のイメージもありますけどね。
小林:音楽番組、ポップスの音楽番組に関していえば、今けっこうがんばって定着してきたかなという感じはするけど…あとやっぱり1週間に1つ出してるような番組は、定食屋さんみたいなもので、クオリティがハイエンドなものはできないからね…もっとハイビジョンのためにも良いものを作らなくてはいけないな、とは思っているんだけど…以前手がけた『ジュリー・アンドリュース&N響コンサート』とか『ライザ・ミネリ at NHKホール』、ハイビジョンの『ブロードウェイ・ミュージカル VICTOR VICTORIA』なんかは何度見ても耐えうるし、スタッフもみんな一生懸命作ってるし…そういうハイエンドなものをね…NHKは非常に状況のいいスタジオとかあるんだから、そういうからくりをちゃんと使わなきゃだめだと思ってるんですよ。なかなか日々に追われちゃってて思うようにはいきませんけどね。
−−今後予定していらっしゃる、構想中の企画はなにかあるんですか。
小林:スタジオライブみたいなものはやってみたいですね。
−−FMではやっていますよね。
小林:やってますね。我々が見ているかぎりでは、音楽シーンはすごく成熟していて、非常にいい活動をしていると思うんですよ。とくに40代ぐらいのアーティストたちがね。コンサートを中継すればいいじゃないか、って言うかもしれないけど、スタジオコンディションのものとコンサートってすごい違うものなんですよ。
−−クオリティを考えるとスタジオでやったほうがいいってことですか。
小林:もちろんライブの良さはあるんだけど、それはある種のぞき見みたいなものですよね。アーティストのエネルギーはオーディエンスに向かっているから、余っているエネルギーをテレビがもらっているようなところがあるでしょう。やっぱりテレビの向こうのお客さんのために100%エネルギーを発揮するような、そういう番組があってほしいなと。
−−単発ではたまにそういうのもやってらっしゃいますよね。アーティストのミニライブとトークを組み合わせたような…
小林:そうですね。単発ではたまにやってるんですけどね。体系的にやりたいですよね。けっこうそういうのはちゃんと条件を整えてしっかりやらないと、バババッてやるとね、とってつけたようなものになってしまうし。アーティストがいいわけだから、すごくいい条件にしてあげたいですよね。
−−個人的に好きなアーティストとか、仲のいいアーティストとかいらっしゃるんですか。
小林:個人的にはあんまり…みんな好きだからな(笑)。嫌いなアーティストはいないかもしれない(笑)。
−−では、音楽業界人に対するメッセージで締めくくっていただきたいんですが。
小林:やっぱり自分たちが音楽を扱うメディアの人間として、すごく音楽を大事に扱わなくちゃいけないし、本来音楽はすっごくかよわいものだから、ナイーブで弱々しい赤ちゃんみたいなものだからね。一方で、ものすごい商業主義の鎧を着た音楽もいっぱいあるけれど、そういう音楽はもろい、はかないものなんだって言うのをみんなが同じように思って、大事に水やって育ててあげて…
−−取り扱い注意ですね。
小林:そう、フラジャイルなものなんだよね。
−−今日はありがとうございました。
(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也/山浦正彦)
「自分たちがファーストオーディエンスであり」「音楽をやってもらうためにテレビ来ていただく」という姿勢…常に真剣にアーティストと向き合う小林氏のようなテレビ制作者がいたからこそ、大物アーティストがテレビへの信頼を取り戻し、出演することが多くなったのかもしれません。そして、目に見えない「音楽」というものを、映像で表現しながら、きちんと伝えるということの難しさ、そしてテレビの持つ影響力の大きさに改めて気づかされるお話でした。
さて、小林悟朗氏にご紹介いただいたのは、日本音楽界が誇る有数の作・編曲家であり、自身のバンドを率いて現在も精力的なライブ活動を続ける宮川泰氏です。乞うご期待!