第33回 佐藤勝也 氏 株式会社ジャパンエフエムネットワーク 専務取締役
株式会社ジャパンエフエムネットワーク 専務取締役
(株)ホリプロ代表取締役社長、堀義貴氏の紹介でご登場いただいたのは、(株)ジャパンエフエムネットワーク専務取締役、佐藤勝也氏です。講談社出版研究所のベテラン編集者から、43歳でエフエム東京に転職した異例のキャリアの持ち主である佐藤氏。小説家をめざした文学青年が20年のキャリアを捨てて出版社〜放送局と仕事を変えた理由とは?また、表現の実験としてひそかに行っていた全く別の顔とは?知的好奇心の赴くままにあらゆるメディアからアイディアを発信し続ける佐藤氏が、音楽業界にかぎらず、全マスコミ、および社会への提言も交えた辛口トークで一刀両断!
プロフィール
佐藤勝也(Katsuya SATO)
株式会社ジャパンエフエムネットワーク 専務取締役
1944年東京都生まれ。
1968年慶應義塾大学文学部社会学科卒、同年講談社出版研究所入社、以降21年間勤務。ファッション・音楽・旅などサブカルチャー関連のムック本、池田満寿夫・川本三郎・村上春樹ら芸術家&作家関連の単行本・その他、学術教養関連の単行本・全集企画などに幅広いジャンルに携わる。1988年5月末日に書籍編集部長をもって退職。同年6月1日エフエム東京に転職。制作現場を1年間経験し、編成デザイン室デスク、広報室長、編成部長、1997年取締役編成局長・事業局長などを歴任。2000年7月株式会社ジャパンエフエムネットワーク常務取締役に就任。現在、同社専務取締役・株式会社JFN衛星放送専務取締役。
出版社勤務時代に新聞・雑誌などに書評評論、青春小説、官能小説を著す。官能部門は1985年頃よりスポーツ新聞に連載するなど1990年にかけて単行本十数冊を著す他ビデオ映像の表現指導なども試みる。
- 幼い頃から夢は小説家!?
- 活字の世界からFM放送へ!
- すべてはターゲットの身の回り3メートルの分析から始まる!
- 放送の多チャンネル化、さあどうする?
- 音楽業界に元気がない理由…
- 壮大な表現の実験? 官能小説で子供の学費を稼ぎました!?
1.幼い頃から夢は小説家!?
−−まずご自身のことから伺いますが、東京のご出身、大学まで普通に進学して、出版社からFM放送局に転職……ご家庭がマスコミのお仕事に関係があったということではないですよね?
佐藤:まったくないですね。
−−ごく普通の家庭だと?
佐藤:ええ。もう普通ですね。ただ環境は多少よかったかもしれませんね。ドーンと立派なステレオやピアノがありました。歌謡曲からクラシック、寮歌に軍歌などなど、レコードもたくさんありましたよ。誰が買ったのかわからないけど。
−−ハイカラなご家庭ですね。どんな生活を?
佐藤:祖父の代には、県知事・警察官僚・大蔵省造幣局長などなど、社会的地位の高かった者がちらほら、父親はサラリーマンでした。マスコミ関係に就職するよりは財閥系がいい……そう望まれていましたね。ま、普通 のサラリーマンの中流家庭ですよ。
−−とくに音楽を意識したこともなかったんですね。
佐藤:ないですね。とにかく活字人間だった。10年程前、本場の『ビルボード』誌からインタビューを受けましてね、その時に外国人の記者が「なにゆえに、あなたのナツメロはエンカではなくて、チャック・ベリーにエルビスなんだ?」と問いつめられまして「寝床のトランジスタラジオとFEN放送のせいだ」と応えましたよ。音楽は聴くには聴いたという程度です。
−−大学は文学部ですか?
佐藤:そうです。小説家になるにはベストだと想って文学部にしました。
−−小説家志望だったんですか?
佐藤:小学生の後半ぐらいの頃からそうでしたよ。なぜか小説家が世の中で最高に素敵な職業だと思い込んでまして。
−−まさか小さい頃から小説を書かれてたとか?
佐藤:単に本好きだった、それだけですよ。むちゃくちゃ書籍が家にあった。海外の雑誌もあった。そう、書いたと言えば、童話かな、小学生時代にね、どこかの大会で表彰された記憶がありますよ。
−−慶應義塾大学ご出身ですが、幼稚舎からですか?
佐藤:いえ、大学からです。『三田文学』が復刊されるとの噂があって慶應に行きたいと思った。その頃、実存主義・サルトル・ブームだったね。フランス文学の大御所・白井浩司先生に「小説を書きたいのなら何で文学部に来た? ここは研究するところだ!」と言われ、それで文学部の社会学科に専攻志望を変えたんですよ。純粋バカもいいところですね。
−−どんな学生時代だったんですか?
佐藤:伝説の60年代です、高校時代は安保闘争、キューバ紛争、66年はビートルズの来日、ジョン・コルトレーンも来たね。ホンダS6とかトヨタ8とか、スカイラインGTとか、ああ、カラーTVの誕生もね、ドーッといった感じの変革の旋風。その一方で、ゲバ棒に火炎瓶。私はニューライト、だから左の面々とたったひとりの闘い。怖かったけれどね、闘いは好きだから。 人間とは何か? そんなことがしきりに問われた時代で、モダンジャズが流行っていて、哲学者風にジャズ喫茶に……あとは文学論争に政治論争。
−−なにかしゃべったら怒られるジャズ喫茶ですね(笑)。
佐藤:そうそう、そういう所に行くのがなんとなく成長した証みたいな感じでね。
−−たしかに過激な時代だったようですね。
佐藤:あの頃は、文学青年や演劇青年が主流で、音楽家になろうとか、そういう若者は私の周辺にはあまりいなかった。映画大好きとか音楽大好きとか言うようになったのは、そのちょっと後になってからでしょうね。少なくとも今みたいに音楽が日常的じゃなかったですから。
−−慶應ではアカデミックな大学時代をお過ごしになったんですね。
佐藤:はあ、ま、そうですね。論争とか論議に負けたくないから知的でありたいと! 学校はサボっていたけど、成績は良かったよ。ゼロックスのない時代で、慶應の薔薇○○○嬢が試験用の模範回答論文を手書きでつくってくれたおかげです。
−−その延長で出版社にお勤めになるわけですよね。講談社出版研究所というのはどういうところなんですか?
佐藤:その昔、出版界には<岩波書店文化>と<講談社文化>がありまして、岩波は学術分野、講談社は雑誌『キング』に代表されるような大衆分野ですね。 学術文化 VS 大衆文化という構図で、「このままじゃ講談社の将来はない」というもとに生まれたのが講談社出版研究所と聞かされました。これは知的渇望派の私にはうってつけだと思いましたよ。学者・作家・芸術家と出会いました。後に私に官能小説を書けと言う池田満寿夫にもね。
−−具体的には、どんなお仕事をなさっていたんですか?
佐藤:中山伊知郎経済学全集とか、生態学の権威・今西錦司全集とか、学術分野ですね。東大学派、一橋学派、京都学派だの。岩波の編集者に負けたくないから……なにしろ、こちらは新参もの、岩波の編集者ときたら、頭脳明晰、背広姿も似合うインテリ野郎たち、かくなるうえは学者先生方の印象に残るようにと私はジーンズに赤シャツとかレースのワイシャツというファッション革命を自らに課して、ダークグレイのサングラス……。先生の奥様方には受けましたね、奥様を味方にすれば、原稿は貰いやすいですからね。
−−硬いほうばかりですか? 軟のほうは?
佐藤:硬軟の軟ね? 池田満寿夫、川本三郎、村上春樹、後のスーパーエディター安原顕、飛行機大好きの大場ひろし、山本寛斎、漫画家の江口寿史……あとね、初めて小説を書かせるのも企画だとばかりに、コミックでベストセラーだった『東大一直線』の小林よしのりに小説を書いてもらったり……。
−−音楽関係の出版は?
佐藤:『JAZZ & JAZZ5000』というムック本かな。当時は雑誌『スウィング・ジャーナル』がかなり売れていたんですよ。それだけ売れるならやってみようかって思いますよね。ジャズが好きだからというよりは、ビジネスになるだろうというスタンスでやりました。講談社がジャズ分野に進出するかもしれないという噂がパーッと広まり、歓迎どころか、既存のジャズ雑誌やレコード会社をはじめ、良い意味でも悪い意味でも、いろいろ言われました。当時『スウィング・ジャーナル』に書いていた筆者たちから「講談社には協力しない」ともと言われた。ようするに仲間うち文化だったんですよ。こうなると、闘い大好きですから、負けるわけにはいかない、こちらは筆者の顔ぶれをがらりと変えました。表紙および裏のイラストを池田満寿夫に描いてもらって、サントリーに提供してもらい、安岡章太郎、野坂昭如、猿谷要、中上健次、つまりジャズ評論家を一切起用しませんでした。当時のジャズは、私には難しい気取った常套句が頻繁に使われる。だけど私たちは「コルトレーンの‘A Love Supreme’を<至上の愛>と名訳した人は何処の誰か」とか、そういう日常の地べた的な感覚というのか普通の視点で攻めました。これは学術の専門家に庶民が読んでも解るように書いて下さいという執筆依頼の姿勢と同様です。
−−なるほどね。
佐藤:ロリンズ、ミンガス、マイルス……スーパースターには逸話が数多くある、ところがちょっと読むと、取材しないで書いたなとすぐにも解ります。多くの評論家は引用文献も掲載しないで、自分が見聞きしたように書く。学術分野の出版では許されないことですよ。洗い直せとばかりに、クリフォード・ブラウンは何処のどのハイウェイで事故死をしたのか、アメリカのハイウェイパトロールに頼んで調べあげたし、逸話の多くを実際どうだったのかも証言を取り、原稿を起こしたんです。今は亡きビレッジバンガード(編註:高名なジャズメンを多く輩出したニューヨークのナイトクラブ)のオーナーだったマックス・ゴードン氏にもずいぶんお世話になりました。当時は新人だったロン・カーターもちゃんと取材のフォローをしてくれました。それによってそれまでのジャズ評論家の引用・孫引きによるボロがたくさん出てきましたよ(笑)。
−−すさまじい話ですね。
佐藤:この本は三万部刷って三日間で売り切れました。後に古本屋で高値をつけたらしいですよ。これが売れたんで、続編とか派生企画である『ROCK & ROCK』も刊行しました。で、講談社のジャズ分野進出ですが、やめました。たかりの評論家、孫引きをするレベルの筆者群に某社の発行部数も大嘘、オーディオメーカーとかレコード会社からの広告をとるためのツールであり、余りにも狭い特定ジャンルのファン雑誌だったんですね。
−−これが刊行されたのは?
佐藤:70年代の半ばだったかな、東芝EMIの行方さん(行方均氏:現・東芝EMIストラティジック・マーケティング本部長)ほか、ジャズ好きな人はけっこうご存じのムックでしたよ。
−−いろいろ新しい分野を開拓なさったというわけですね。雑誌には関わってなかったんですか?
佐藤:フリーライターの多くが雑誌ブームに乗っていたので間接的な指導はしていましたが、内職原稿の書き手として参加していました。集英社の『月刊プレイボーイ』が創刊されるときにインタビューのお手伝いもしましたね。
−−え? 他社の創刊雑誌ですよね、そんな事ってありうるんですか?
佐藤:普通はないだろうけれど、頼まれれば断われない性格なんでしょうね。よそさまを見るのが私は好きなんです。自分の目で確かめたい。だから、この癖が、エフエム東京に転職してからも、他のラジオ局を全部見に行かせたね。文化放送の三木さんや、ニッポン放送の宮本さん、みんなに会いに行きました。FM802はこんなふうにリクエストを受けているのかとか、エフエム横浜って、こんなベイブリッジの先端にスタジオがあるのかとか、実際に目撃しに行きました。
2. 活字の世界からFM放送へ!
−−出版社に20年間お勤めになって、書籍編集部長をもって退職、エフエム東京に転職なさるんですよね。エフエム東京からはスカウトされたんですか?
佐藤:まさか、スカウトなんてしてくれませんよ(笑)。朝日新聞の中途採用広告を見て応募したんです。
−−そうなんですか! てっきり出版社時代の実績を買われての転職だと思ってました。これは失礼しました。ということは、ものすごい倍率をくぐり抜けたということですよね。
佐藤:ですね、書類選考から始まって700人中6人採用したうちのひとりだったみたいですね。自分自身、まさか転職するなんて、思ってもいなかった。
−−どうして転職されたんですか?
佐藤:40歳を過ぎた頃です、生涯編集者も悪くはないが、別の生き方もあるかな、そんなふうに考え始めていましたね。内職で官能小説を、書評やら外部の企画原稿もかなりやっていましたから、フリーでやるのも悪くないか、とも。
で、ある日、ほんとうに、ふとエフエム東京の経験者募集の新聞広告が眼にとまりました。私は放送の経験者ではないけれど、書き手としては、それなりに実績を踏んでいましたから、ラジオの放送作家くらいならできるんじゃないか、そう思って応募しました。
−−放送作家でもいいなと思ったんですか?
佐藤:ええ、放送業界の経験者ではないですから。とにかく好奇心で応募してしまったんです。履歴書の顔写真が間に合わなくてたまたまあった10年前のをペタッて添付して!
−−普通の<社員募集>だったんですよね?
佐藤:そうです。でも経験者じゃないし、失礼だと思って朱書きで<社員でなくても可>と書いて応募しました。それが43歳の時です。
−−その狭き門のなかで佐藤さんを評価して採用した人はすごいですね。
佐藤:それより、43歳の男を採用した会社が偉いと思いますよ! その頃の役員全員が賛成してくれたとか。
−−このインタビューを読んでいる人の中には、音楽業界への就職を目指している人たちもたくさんいると思うんですが、佐藤さんなりの秘訣か何かあれば教えてください。
佐藤:面接というのはね、あれ、格闘技ですよ。私もエフエム東京で採用側として面接を担当したことがありますけれど、一瞬の出会いのなかでの選抜でしょう、いや、疲れます。 あるとき最終の一歩手前の面接で一言も質問しなかったことがあるんです。女性3人が並んでいましてね、そうしたら、ひとりの女性が「どうして質問されないんですか?」と問うから、「みなさんを拝見していて解りますよ、ほんとうは、もうどこかに内定しているはずだ、よくしゃあしゃあとFMが第一志望だとか、さしさわりのないことばかりアピールできるなって、私、不愉快になっていたんです」と申し上げたら「だから質問しなかったんですか?」「そうです」「それは差別じゃないでしょうか!」「でも私が言った事は当たっているはずですよ」と。やはり三菱商事とかJALとか講談社とか人気のある会社に内定しているんですね。ラジオが好きだとか、マスコミが好きだとか言って、記念受験してくる場合もあるんですよ。ま、彼女たちは、結果しだいで考えるかなという雰囲気。バレタカといった笑顔は美しかったが、こっちは格闘技のつもりなのにね。ほんとうにマスコミ志望なら、自分だけの個性ある言葉が放たれます。流れのように毎年新卒採用をやっているけれども、それに意味があるのかと疑問だし、私は就職試験制度を変えなくちゃダメだと思いますよ。
−−具体的にはどのように変えたらいいと思いますか?
佐藤:やっぱり経験者募集を主体にする、それに尽きるんじゃないかな。新卒は、出会い頭、ある種のテクニックで受かりますよ。最終面接の一歩手前では誰が受かってもおかしくない。
−−たしかに最近新卒採用をやめるところが増えてますよね。
佐藤:そうでしょうね。数多くの出会いの中で<こいつは!>と思った人を、そのつど選んだほうがいいと思います。
−−ご自身が途中採用で選ばれたほうですよね? 普通に考えると、出版社にいらして、やりたい事が出来るポジションにいながら、今辞めるのはもったいないというか、知らない業界に飛び込むには、たいへんな葛藤があったんじゃないかと思うんですが、そのへんはいかがでしたか?
佐藤:ふーん、そんなに大変なことだったのかなあ。悩むとしたら、培った人脈とか教示してくださった諸先輩との関係とか……うーん、葛藤ゼロだったね……未知への好奇心のほうが強かった。出版時代も好き勝手にやらせてもらいましたしね。ただ、エフエム東京は全国区でなくてローカル局ですよね。全国的に知られている会社ではない、そういう視座で<なぜ?>と問われることは多々ありました。
−−転職で失うものはなかったんですか?肩書きとか。
佐藤:うーん、惜しまれるようなビッグな編集者ではなかったしね。そう、これは、少年時代の記憶に繋がるんです、東大法学部以外は学校じゃないという家庭だった、許されて旧帝国大学ね。それに対する反発が子供の頃からありまして。名刺の肩書きとか権力の虚しさの事例を小学生時代から見てきました。へつらうバカにへつらわれるバカ、反面、電話一本で難題解決の恐ろしさとかね。 そうした反動で私は<好奇心に吹かれるまま>の日常です。何処に行っても、闘争心と才と仲間があるならなんとかなるさという、お気軽さでした。
−−反発精神はトラウマですかね? 学歴社会に何か思うことは?
佐藤:ある種の方々にとって、昔は、官僚か、三井・三菱などの財閥系に勤めるのがエリートでしたよね。今はまるで変わった。エリートという言葉も虚しい。寒気がするね。もはや学歴社会は崩壊している。学歴より常識としての学は備えておきたいですよね。無教養はまずいね、無教養は、儲けることが経営だと錯覚させ、保身から企業ぐるみの不祥事を生む。企業哲学とか気品がないのはNG!
−−学歴は経歴のなかのヒトコマで、ブランドということですか?
佐藤:だとしたら、好き嫌いでいい、自分好みでいい、ところが親連中はちがうよね。「何処の大学も昔に比べれば難しい」とみな言うけど、実際、多くはタコにミソにクソでしょう? これって、かばいあいだね。昔も今もアホバカでいいじゃないですか。学校のお勉強ごっこはアホバカだったけれど、「あいつ、すごいぜ、クリエイティビティはNo.1だ」とか、「商才があったんだ、あのやろう」とか、このほうがかっこいい。ただ、スーパー学歴なら意味があるかな? ほんとに学んできたという意味でね。誤解されるといけないから、ちゃんと言うよ。お勉強ごっこよりは、その人の才とか努力が大切。生半可な学歴は意味がないし、かえってないほうがいい。そんなもんじゃないですかね。生半可といえば、錯覚ね、あれ怖い、たいした才もないのにポジションで錯覚するヤカラ、こういう無教養派は許せないね。
−−たしかに名刺の肩書きだとか、ポジションで勘違いしている人が多いですからね。権力にしがみついている人も多いですね。
佐藤:戦後GHQがやってきて財閥が解体され、当時の偉いさんが全部ぶっとんだでしょ。あの状態から日本経済を復興させてきたのは、若い人たちだったわけ、この他動的な教訓をどう解釈するかだね。資本家じゃない雇われサラリーマン社長とか役員になって、長く居座るのは最低だし、もっと惨めで哀れなのが茶坊主どもだね。もっとも、こういう発言を無防備に放つ私がいちばんあぶないね?
しかし、権力の座にしがみついていたい気持ちはわかるなあ、あれ、魔物が憑いているんですよ、きっと。反面、<俺は、これを成し遂げた>という手応え感がなくては辞めるに辞められないでしょうね。プライドとしてね。会社は株主のものであって雇われ人のものではないですから。哲学あっての数字という業績をあげないと……。
よく言うじゃないですか、就職することばかりを考えているから、日本ではビル・ゲイツが生まれないと。が、そうじゃない、松下・ホンダ・ソニー、リクルート、あるじゃないか。スモールオフィスからビッグになる、これ最高に気持ちいいだろうね。
私は今58歳だけれど、これからでも起業家になりたいな。オリジナルのコインサイズ煎餅、これ焼くの、いま凝ってます。勅使河原さんとフラワーブーケづくり、やがて海外に、いまは国内4700万世帯のうちの0.01%に! この企業哲学は<愉しみを創る>です。創ってて愉しいからです。
−−数字と言えば、昨今の出版不況、それからCDも苦戦していますよね。数字が苦しい時代では?
佐藤:そうです、古巣の仲間もレコード会社の友人も大変な転換期だと。<では、どうするか>の論議をします。論議の結論のうちのひとつ、それは何だと思いますか? よきクリエイター人材の不足です! あと育成です。だから行動力があってクレバーなヤツを採用しなくちゃだめなんですよ。それを見抜く目があるかってどうか……茶坊主とか業績なしとかコネで入ってきた上司に他者の才を見抜けるわけない。
−−コネ入社の弊害はあるんでしょうね。
佐藤:昔はひどくて、今もあるけれど、TV局、ラジオ局、音楽業界も、一般企業にしても縁故入社が多かった。今もあるでしょ。結果オーライで、すべてコネが悪いとは言わないけど、まとも派でも、新人のうちは苦労する、まあ、鍛えられますよ。歌で音痴と言われても笑えますが、文章音痴なんて言われたら屈辱ものですからね。企画の文章を書いて、著者に文章を書かせて、それを最初に読んで……タイトル、見だし、コピーをひねりだし……、在庫の山を築いたら無才能と不運の証。編集長になっても企画と数字と日々にらめっこ、悪ければ、即バッサリ! だから、コネでも結果オーライならと言ったのです。アホバカに社内の居場所はありません。企画を売る会社だからです。
−−そこが放送業界と出版業界の違いでしょうか?
佐藤:全然違いますね。放送は時間軸で動きます。あくまでも割り振られた金額をもとに時間帯にマッチした番組をつくるわけです。原則空白時間はなし。ラジオの場合、おおかたクライアントニーズがあって番組を企画する。いま流れている番組を提供してくださるケースはまれですね。広告代理店がクライアント情報をもってきてくれます。つまり応援団がいるわけですね。ところが書籍にせよ雑誌にせよ、時代からニーズを読み取り、自分で企画を出して、極端に言うと、制作費を会社から前借りしているような感じで刊行し、制作費と人件費などを回収するわけです。売れないと倉庫が溢れ、在庫は資産ですから、売れないものは不良資産、倉庫の費用だって大変ですよ。返品のないのが放送局。流すだけ。
−−構造上に違いがあるんですね。
佐藤:ソフトづくりでは、書籍は個人戦、番組は団体戦かな、出版は、放送のように免許事業ではないし、クライアントがなくても売れればいい。放送局はクライアントと番組の関係は密着、視聴者とかリスナーがいる前提でのBtoBが放送収入、BtoCが基本の出版社とは収支構造が違います。だから広告によって書籍はウダハダはしませんね。昔の話ですが、典型例として言いますよ、かたや田中角栄を週刊誌でメタ切りしながら、かたや列島改造の田中角栄センセイの単行本を刊行している、タバコの広告を数ページ頂戴しながら隣の隣のページでタバコは発癌物質だらけの禁煙コラムがあったりと、それはそれ、これはこれの、なんとも凄い割り切り。24時間という限定編成でビジネスする放送会社と数種の雑誌に無数の書籍を毎月浴びせる出版会社とでは感覚も違います。
−−ということは放送は甘えているんでしょうか。
佐藤:その姿勢が少なからずあるのかもしれませんね。だからパッケージをつくっている人たち、映画やレコードや編集者は、制作費回収のためにいろいろ経験していますからね。 出版社の人間に売れそうな企画のタイトルを100本書かせるとするでしょ。まず30本くらいはすぐ書けるでしょうね。それからその辺をウロウロ歩きながら20本ほど考えだして、それでダメだったら友達に電話するとか、何かを調べたりして書くでしょうね。放送局の社員ね、社員ですよ、社員、10本も出ればいいほうでしょう。チャン呼びなんかしてね。「なんか考えてよう」と電話を入れるかな、外部制作会社にね。
−−放送業界はそこまで必死にならなくて良いからですか?
佐藤:どうでしょうかね。昔はクライアントは「代理店が見つけてくれますから」とホザク者もいたらしいけどね。今もっと凄まじい視聴率競争があるうえに、多チャンネルだからね。テレビとラジオでは動くカネも規模もまるで違うのに、お客様から時間を奪いあうのは、大変ですよ。そこは共通。十数年来、放送局の数は増えても、接する平均的時間は1日当たりTVが3時間30分前後、ラジオは30分間前後ですから、今後ますます時間という名のパイ争いはきつくなります。
−−ソフト競争はますます厳しくなるわけですね。
佐藤:ええ、テレビという箱は電話のように家に置いてある、新聞は配られてくる、携帯は身の回りにある、これ、絶対的に有利です。わざわざ買いに行く書籍に雑誌にCDなどなどパッケージ・チームと比べれば。 映画のプロデューサーのように、何から何までの費用を工面してつくる……そんな番組制作者、いないです。テレビでは有名なプロデューサーがいるかもしれないけど、ラジオの世界では、まだ残念ながらいないですよね。 今後はCS、BS、インターネットのブロードバンド、全部が16:9のテレビというハコのなかに入っちゃうわけですよね。その状況で誰が覇者になるかといったら、会社の規模でも名刺の肩書きでもなくて、社員の頭脳だけですよ。
−−たしかにおっしゃるとおりですね。
佐藤:例えば、『磯野家の秘密』とか『ハリー・ポッターと賢者の石』という書籍を小さな出版社が出してベストセラーにしましたよね。企画の力で小が大を食う事ぐらいいくらでもあります。クリエイティブですね。これからの時代は本当のクリエイティビティな面白い競争が始まりますよ。
−−エフエム東京の現場は佐藤さんの目で見ると、生え抜きの放送マンと言っても甘いですか?
佐藤:いや、そうでもない、鍛えられている、でもいまは数字において結果が出ていないな。もっともっと聴取を増やさないとね。小さな小さな株主としての私は不満だね?
−−では、今、ジャパンエフエムネットワークでは、社員を鍛えてらっしゃるのですか?
佐藤:これはねえ、実は鍛えちゃいけないんですよ。言葉で教えるのではなくて、こちらも動く、上司ヅラはだめ。現場は自分で学んで盗み取るどんどん上司を利用すべし。利用するうちに解るものです、「この上司、アホちゃうかあ!」とかね、そうなると馬齢を重ねるだけの上司はすぐばれる、「評論するより企画案を出せ」「知恵も出せないなら汗を出せ」とかおおいに上司を責めていいんです。アホバカ上司は恥ずかしくて引退しますよ。そのくらいソフトづくりは厳しいんです。伝統に胡座をかけないのがソフトですよ、昔、エフエム東京は新参のJ-WAVEにコテンパにやられましたからね。
−−スタッフにコイツはいいなという人はいますか?
佐藤:それはもちろん何人もいますよ。でもね、方法論は教えられるけどセンスは鍛えようと思っても、そうはいかないから、こればかりは難しいですね。とにもかくにも数多くの方々とお会いしろと言っております。1ヶ月に名刺15枚は交換せよともね。
3. すべてはターゲットの身の回り3メートルの分析から始まる!
−−出版社と放送局の違いを感じられることは他にありますか?
佐藤:放送局では作家をゲストに呼んでも、名刺交換をして打ち合わせをし、あとは本番、お疲れさまで終わることが多いんです。編集者は一冊の本を作るのにその作家と深いつきあいをしますね。それが、結果、人脈となり、財産になるんです。放送局のクリエイターはタレントさんやパーソナリティとはずいぶんつきあっているかもしれないけど、ラジオの音楽プロデューサーは、すり寄ってくる人脈を中心に仕事をしていたように思うんです。レコード会社のプロモーションとかね。レコード会社はパッケージメディアですから、売るためには必死で動きますよね。ラジオは彼らを利用してるつもりで実は利用されているだけであって、企画ものプロデューサーなら、逆にすり寄っていかなくちゃいけない。音楽番組はすり寄りだけで制作できますからね。
−−ところで、この「Musicman’sリレー」は堀さん(堀義貴氏:(株)ホリプロ代表取締役社長)からバトンを受けましたよね、どんなおつきあいですか?
佐藤:うん、彼は、いいね、CGアーティストの兆戦をはじめ、新たなことにチャレンジする、華奢な外見なのに芯は強い。彼はニッポン放送にいましたからね、企画好き、こちらの姿勢をよくわかってくれますね。
−−かなり年齢も時代も違いますよね。堀さんとの出会いは?
佐藤:堀さんは37歳、私は58歳……たしかに、この業界で親しくさせていただいている面々も、遥か年下が多いですね。作家、漫画家、映画監督、それからCG作家、彼らは25歳くらい、そう言えば、彼らとホットラインが繋がってるっていうのは、どういうことなんだとよく言われますよ(笑)。 掘さんが老けてるのか、こっちがバカなのか、どっちかだよなあ? 出会いはね、彼がLF(ニッポン放送)にいた時に広報担当だったんです。私も転職2年めに広報をやってるんです、その時の出会いです。まあ当時は彼の上司だった森谷さんや宮本さんとおつきあいしていたから、それほど交流はなかったけれど、堀さんは「エフエム東京になんか変わったヤツが入ってきたな」って思ったみたいですよ。
−−実際は堀さんが老けてるんですか? それとも佐藤さんがお若いんでしょうか?
佐藤:あ、それね、実は、私がバカなんだという結論がでています(笑)。携帯メールの仲間はもっと若いな、10代から20代前半の若きクリエーターが多いですね。午前2時に集まるのは、いざとなったときの、悪なフリーライター連中で20代から30代。
−−若い方が男女問わず好きだと。
佐藤:そうですね、人の才を開発するのが好きなんでしょうね。裏方に徹して若いやつらをどうデビューさせようか、これ好きですね。
−−年齢の話となりますと、43歳でエフエム東京に転職してきて、役員にまでなってしまうっていうのは、やっぱりすごいことですよね?
佐藤:あ、サラリーマン物語ですね。めぐりあわせです、たまたま私が編成部長をしていたとき、いい出演者、いいスタッフ、素敵な外部応援団に恵まれた、それから女神の微笑み。ビデオリサーチに言わせれば「動きの少ないラジオの数字が異常な急上昇をみせた」という結果があってのことかな。 私がしたことといえば、「打倒LF宣言」だけ、それから局宣伝の仕方。雑誌と同じように地下鉄の中吊り広告をやって<80.0>を再度アピールしたり、あたりまえのことですが、小さな小さなこと、その積み重ねです。
−−それはやっぱり出版社でのキャリアがあったからできたことでしょうね。放送業界にずっといた人には思いつかない手法かもしれない。
佐藤:まあね、いや、書籍というパッケージ商品はターゲットを鮮明にしますから。<どこの><誰に>それから<どう売るか><そのためにはどうするか>の方程式をつくる。それを時間軸で表現するのが放送ですからね。
−−聴取率を取る秘訣は?
佐藤:<カチキ、マケンキ、イッキ!>が基本姿勢。怜悧な分析は半日でいいさ、どうするかを、ぎりぎりまで。具体的には、きめこまかなステーションブレイクの利用、パブリシティ、それからターゲットの身の回り3メートルのなかにある<ヒト・コト・モノ>を素材にした組み立て、ここにキャッチコピー、つまり今月のテーマですかね。そして女神の微笑を待つ。いまで言えば、3メートルのなかに携帯電話がある、タレントAとBがいる、あの雑誌、このトレンドがある、とか……ごく身近な部分をちゃんとウォッチする、送り手の発想になってると絶対ダメなんですよ。身の回り3メートルから入っていかなくちゃ。タマちゃんそのものの表情はテレビでいいんですよ、タマちゃんの番記者を追っかけるとか、視線をちょっとそらす。アメリカの大統領が来日してジョギングなんかするでしょう。そのボディガードとかSPまでが一緒に走っているのをテレビは撮りますよね。ラジオの視点なら<あのSPは喧嘩強いんだろうか、100メートルをどのくらいで走れるだろうか>とか、そういうのを調べて話題にすべきだと思います。つまり、聴いている者が、つい、誰かに伝えたくなるようなことを追いかけるということですね。政治家にせよ、財界人にせよ、リスナーの関心事という視座からインタビューする、そうすると、今度は、その政治家が身の回りの3メートルに入ってくる。つまり、「最近、何を買いました?」そこから始まります。
4.放送の多チャンネル化、さあどうする?
−−ご自分のお仕事を振り返ると、出版から放送にフィールドを変えたのはご本人としては成功でしたか?
佐藤:面白い仕事を体験したと思っていますよ。活字の世界でやってきて、さらに自分自身書き手でもあったわけで、電波はまたちがう世界。 今は東京のローカル局ではなく、全国区ジャパンエフエムネットワークにいますから、企画を立てるときに、基本はFM地上波ですが、端末からではなくて、<まず何がいけるかな>って考えるんです。端末はブロードバンドでもラジオでもフィールドでも、出版だっていいわけです。 何がビジネスになるのかを考えるときに、20年間の編集者と十数年のFM放送局の編成マンが同居していて、なおかつ書き手の自分が同居してるんですよ。それらがちょろちょろ出てきて各々ざわめくんですよ。こんなのはダメだよとか、これがいいよとかね。そういう経験が今の自分の仕事に生きてくるかなという気はしますね。さまざまな分野での友人もいますからね。
−−ジャパンエフエムネットワークでのお仕事を具体的に教えていただけますか?
佐藤:ジャパンエフエムネットワークは、その名のとおり、ネットーワークの会社です。加盟放送局38社に番組を供給しますし、BS放送局を持っています。FM各局に支えられて支えるのが仕事です。トータルパワーが発揮できるようなソフト複合セールス企画の開発もある。ラジオのデジタル化前夜、映像開発とその人脈の基礎づくりとか。
−−今後の方向性としてはJFNから各局に提供する番組が増えていのか、それぞれの局の自社番組が色濃くなるのか、これはどっちなんでしょうか?
佐藤:これは結果論ですね、どこの局も<売れる番組・人気のある番組づくり>が基本ですから、自主制作でも、JFNからでもいい。各社、その営業収入構造によって変わってくると思います。ラジオ全体の収入はね、90余から100余りの社になっても、ここ数年、2000億できてたんですよ。それがここへ来て1850億、地上波からデジタル化でテレビが広告パイを増やそうとしていますしね、ラジオから奪われかねないですよ。パーソナルメディアとしては唯一だったラジオにとって、携帯電話・インターネットなど、パーソナルな端末が元気いいですから……うーん、効率を考えるに、JFNを基本にして、ジャンル別の箱番組を配置させ、ブロック番組帯をアレンジし、超地元密着の時間帯、そこをスーパーフル強化するべきでしょうね。その時間帯に挿入する尺は短いが全国区的な話題を取材する企画をスパーンとね、これはJFNに……。今言いながら思ったんだけど、JFNに取材専門の部をつくってもいいね、週刊誌の特捜班だ。うろつき隊は既にあるようなものだから。
−−「Musicman-NET」を見ている人には放送マンになりたい、ラジオ番組を作りたい!っていう人もたくさんいますが、そういう若い人たちに何かアドバイスとかはありますか?
佐藤:そうですね。それはさっきも語ったが、ラジオに就職してくる人は、本当にラジオをやりたいのか、それとも大企業、大マスコミを受験し、序列的に落ちてきた結果来てしまったのか、それによって全然違うと思うんです。今も本気でラジオ会社に就職したいという人がいるのかどうかもわからないし、ラジオのパーソナリティとして喋りたい人は多いんだけど、なんとなくの憧れではねえ、職業ですから。 そう、そう、ある人気DJの年収が1500万ぐらいだったときにね、「3000万出すから、<こいつが、3000万!DJ>とパブをはらせてくれないか。そうすればいいDJ志望が現われるかもしれないし、クライアントも効果を期待してくれるかもしれないから」と申し出たことがあったんですよ。この広告に対して少なくとも、ざわめきは起きるだろうしね。でもプロダクションがノーと言って譲らず、頓挫したことがありました。あれはおしかったな。
−−今もDJ志望の若者は多いと思いますが。
佐藤:話すテクニックは研究されていていも、中身が伴っていないことが多いんでしょうね。DJとかパーソナリティってね、役者以上の役者じゃなければだめですよ。スタジオの中のマイクに向かって泣いたり笑ったり怒ったり、見えない相手に向かって感情移入したり、とにかく知識とセンスがないとダメなんだよね。これは小説家ぐらいの頭脳がないとなれない職業だと思います。
−−才能があるヤツなら年収3000万ぐらい稼げる職種なんだって見せていかないと、いい人が集まってこないということですよね?
佐藤:たとえば赤坂泰彦さんは、夜の10時台で若者の人気をとったでしょう(「赤坂泰彦のミリオンナイツ」)。5年やれば若者も成長するから、本当は朝の番組のパーソナリティをやってほしかった。成長した若者をターゲットにした番組で、経済も時事ニュースもなんでも語れるようにね。ところが赤坂さんは俺はそういうことは好きじゃないし、俺は生涯DJでいたいと……。
−−今後、ラジオの活路をどのような方向に見いだすべきだと思いますか?
佐藤:これからはね、<薫り高い教養の時代>だと思うんですよ。エグゼクティブチャンネルをつくりたいですね。薫り高いエグゼクティブチャンネル。30代後半をターゲットに、まあ若くてもそういうセンスがあればいいんだけど、ほら、あの、雑誌で言えば『一個人』とか『自遊人』とかのような、ある種モノにこだわる人たちね。まるごと、そういうテイストの編成にするんですよ。
−−それは面白いですね。
佐藤:ズバリ、パワー・エグゼクティブだけを狙うんです。今はそういう時代だと思いますよ。このあいだね、かっこいい百姓と出会ったんですよ。「この百姓め!」と言ったら、「この百姓好きめが!」ってね。いい手をしているんだ、品種改良なんかしてね、若いヤツなんだ! 腕のオメガも、いい汚れ方をしていてね、彼もまたエグゼクティブだ。こうした表現は、やぱり雑誌かなあ。
5. 音楽業界に元気がない理由…
−−音楽業界に関して何かおっしゃりたいことはありますか?
佐藤:ないよ! レコードの売り上げが落ちたとか、いいタマがないとか、みんなそういうけど、じゃあヒットがない責任は誰なの? 単純な話で、売れる人はやっぱり今でも売れるんですよ。クリエイターは全体論でウダハダ言っちゃいけないと思いますね。
−−出版界も不況だと言ってもベストセラーは出ますしね。
佐藤:そう、売れるヤツは売れるんですよ。そういう作家やミュージシャンが何人出るかってことだけなんです。音楽業界に限らず、状況をあれこれ語るのは評論家であって、ビジネスマンは、そんな言葉に惑わされちゃダメなんですよ。それよりも、どうやって売るか、その目利きが問題なんだけど…いいプロデューサーがいないってことなのかなぁ。
−−売れないとかごちゃごちゃいってないで売れる作品を作ればいいと言うことですね(笑)。
佐藤:単純にそうですよ。タマがないなら探して探しまくれ、インディーズが伸びてきているのは何故なの? ジャンル外の私が乱暴言っては失礼だけど、でも浜崎あゆみは立派だと思いますね、この不況化でミリオンヒットを放ったでしょう。結果を出した。その根性と、売ったエイベックスはなんだったのか。ほかのクリエイターは負けてくやしくないのってね。ぶっちゃけて言えばね、クリエイターは売れるものをつくらなければ、おしまいなんですよ。でも、名前は言えないけれど、売れない、儲からない、名ばかりの大御所アーティストを抱えているレコード会社ってあるよね。それも企業哲学かな? 歌手にアーティストという呼称を使うのも抵抗あるね。文学青年であり、多くの芸術家とつきあってきた私には。このあたりになると私、時代遅れなんだよ。出版社では署名原稿にしても売れないのに放送番組の下書き人を<作家さん>とかね。とにかく歌手でも作家でも売れなきゃおしまい、売れるの探さないアンタが悪い!
−−言い訳するなと。
佐藤:私は好きなアーティストはいないんですよ。その代わり好きな楽曲はたくさんあります。たとえば矢沢永吉がデビューした時の「ファンキー・モンキー・ベイビー」(キャロル名義)はいい。それからオーティス・レディングの「ドック・オブ・ザ・ベイ」もいい、歌手まるごと好きになることないです。小説家でもAという作家が好きだったらAの作品が全部好きということはないでしょう。Aにも駄作はある。もちろん買うときには安定特定銘柄という意味で買うけどね。世の中にはいくらでも駄作がありますよ。駄作も含めてまるごとそれが好きだなんて寛容な精神を私は持ってないですから(笑)。
−−みんなもそう思っているから最近アルバムが売れないんでしょうね?
佐藤:ただ、こう思うことがあるのね。たとえばAのシングルでもアルバムでも買うのはいいよ。でも、AがTVやラジオで言ってることのレベルがアホで、仮に、仮にだよ、裏で脱税なんかしていたとしましょうか。で、そのトウサン・カアサンがバカやってるとしましょう。一方、Aを買った娘や息子の親がリストラでやせ細っている、そういう家庭だとしたらだよ、「カネの使い方、考えろ」と言うね、私は!「Aとその親を食わせるカネを使えるタマよ」ってね。それだけ、大切なカネを奪うのがパッケージづくりの職人なんだ。これだと思うものにカネは使えってことですよ。だから、これだと思うものを俺たちは創ろうよ、こう言いたいな。 そう考えると、まあ売れる歌手、浜崎あゆみは、アーティストの呼称でいいかな。 「ファンキー・モンキー・ベイビー」が好きなのは、山本寛斎がファッションショーでパリにのりこんだ、その時に同行したのがキャロル、その練習演奏をたまたまですが私は山本寛斎サイドの取材として見てたんだ、<俺がヒット放ってやるよ><天下取ってやるよ>って眼が語ってた。革ジャンと撥ねる汗を目撃したんだ。あの時のキャロルのエネルギーはすごかった。パリでも評判だったようですよ。
−−やっぱりパリでも言葉の壁を超えて伝わったんでしょうね。
佐藤:うまいヘタとかよりエネルギーだよね。それが伝わってくるって本当だと思いましたよ。だから、創るって、そうなんだよ。いかにしたら売れるかということばかりを考えていてもだめなだね。エネルギーを発見しなくてはいけないのかかもしれない。それが今のレコード業界にも言えることかもしれないね。 私自身にも。
−−長い編集者生活を経て、いちばん身につけられたのは受け手のことを考えるということなんですね?
佐藤:それに尽きますね。誰に何を、どう送るか、あとは量だね。ノベルスは2時間で読めた方がいい、ハウツーブックも2時間、タブロイド紙は30分とか、尺ですね。見る者にとって野球は18回もあるから長いんですよ。
6. 壮大な表現の実験? 官能小説で子供の学費を稼ぎました!?
−−ちょっとおっしゃってましたが、佐藤さんは官能小説をお書きになっていたそうですが、そのことについて伺っても良いでしょうか?
佐藤:ええ、これはね、実は極めて真面目な話なんですよ。私にとって表現の実験なんです。映像の限界、活字の限界。組み合わせの妙とか。このあいだ感激したことあるんですが、いい例だから言うと、ごくごく普通の写真、岩が幾つかあって樹木もあり、そして遠くに海が広がっているという構図の写真があったんです。これだけでもよく撮れて写真だったんですが、そこにキャプションがあったんです。<勤皇の志士たちが見た海>とね。この組み合わせで、見る者に限定ではあってもドラマを感じさせ、またあらためて写真を見させる。そういうことなんですよ。
官能小説でもそう、映像よりも小説の方がよりイマジネーションをかきたてるんですよ。例えば男性が女性のパンティを脱がす、それまでパンティで圧迫されていたヘアがじんわりじんわりと盛りあがっていく描写、これ映像では撮れません。が、小説では描ける。ヘアを吐息がそよがせる、撮れませんね。向こうから歩み寄ってくるときにセミロングの髪がかすかにゆれ、それにともない繁みが妖しくよじれる、小説なら表現できる、これは小説だからできる手法ですよね。表現したい事がある、道具は何を選ぶかです。どの端末で表現するのがベストか。
それからポルノ小説と官能小説は違います。ポルノはね、勃起させられないと負け、結果がはっきりしています。昔も今もでしょうかね、純文学の世界は特殊な世界で、自己顕示欲が強くて陰湿なところがあったな。でもね、ポルノ小説は、勃起させれば勝ち。評論の意味なし。合評の意味もなし。
−−お忙しいのにいつ書くんですか?
佐藤:エフエム東京に入ってすぐのころ、宿直制度があったんです。みんな宿直嫌がるんですよ。だいたいノルマの23時くらいに宿直室に入るんだけど、その頃、私は新聞の連載を抱えていたからワープロを持って、通常業務が終わるとルンルンで宿直室に入って(笑)、翌朝まで小説書いてました。ふだんは金曜日の夜から土曜日、終えるのは日曜日の朝まででした。
−−ご家族は官能小説作家としての佐藤さんをご存じなんですか?
佐藤:私、給与はすべて家内に、小遣いも貰わないくらい稼いでいました。子供の養育費も全部ポルノ小説から叩きだしたんですよ。家内が「来年高校受験なんだけど」て言われると、「じゃあ、一本、小説書くから」とか言ってね。 美観にはうるさいからね、子供って純情でしょ。「ママのオッパイでかい」とか言うとね「違うよ、世の中にはもっともっと良い形のオッパイがある」と言って、私のコレクションを全部子供に見せて解説までして、美的感覚を小さい時から養ってきたんです(笑)、バックレスのヒールは踵が2ミリから3ミリほどはみだすように履くのがいいとか、これ自慢話(笑)。
−−いいオヤジだな〜(笑)。お子さんは男二人ですか? 男でよかったですね。女の子だったらちょっとフクザツでしょ。
佐藤:ほんと男で良かったですよ。女の子って私は怖くて近寄れないんですよ。昔から。<男女7歳にして席を同じうせず>みたいなことを言う祖母にも育てられましたから。女性は苦手なんです。だから憧憬から美を生む。たさ面白い祖母でね、明治も半ばに生まれたのにね、結婚は惚れた女以外はだめ、親に反対されても惚れたら放すな、ハートに惚れるが真のラブとか、妙な祖母でした。それでいて東大以外は学校じゃないとくるんだから。
−−それで女性は苦手なんですね(笑)。お子さんはすくすく育ってらっしゃいますか?
佐藤:もう、30前後です。美観以外は子供に関しては何も言わなかった。上の息子はカメラマン兼デザイナーで、下の息子はテレビ番組のロゴをつくったり、CGイラストレイターでCMとかCFもつくっています。ところがイヤなヤツらで親の顔で仕事を貰ったと思われたくないので、実際、親は無関係なのに、親のことは一切業界で言わないんです。お洒落なファッションメーカーのデザインや広告媒体のデザインやってるのにね。そう息子が言うから、親としてもそのクライアントには行きにくいですよ。コンサバ家系からすると、親としては心配だね、フリーのクリエイターという仕事は。月次によっては私より遥かに稼ぐね。
−−小説は今も書かれているんですか?
佐藤:いえ、表現の実験は終わりましたし、そうだ、聴取率競争のほうが愉しくなって、いつのまにか辞めていた。
−−じゃあ約5年間ほど書きまくったんですね?
佐藤:ええ、5年間書きまくりました。ペンネームは公表してませんが、十数冊出しましたし、資本かからないから儲かりましたよ。それこそ誰に読ませるかのターゲットから性の嗜好を分析し、きっちり設定すれば、ポルノに限らず小説は方程式で書けますよ。例えば「少年を主人公にして年上の女性に憧れるタイプ」という読者層に設定して、少年の身の回り3メートルの小道具を利用すればもう書けますよね。一冊の単行本、三百枚の原稿を書くのは大変ですけど、30枚で1話完結の短編を十章書けばいいんです。
−−やっぱり身の回りの分析ということですね。
佐藤:たしか漫画家の方にも同じようなことを言われたことがありました。
−−このお話は音楽制作にも置き換えることができそうですね。ターゲットを見据えて、分析して、こういう音楽をみんな聴きたがるんじゃないかとか。
佐藤:そうですね。私の年代だったら、オールディーズのロックをサザンの桑田佳祐 に、あの映画「アメリカングラフティ」をカバーしてもらいたいですね。売れるんじゃないかな。あと矢沢永吉版もね。
−−それは売れるかもしれないですね。音楽業界も今企画ものブームですからね。そういういろんなアイディアをぜひ今後も実現してくださいね。
佐藤:それから最後に……僕はジャパンエフエムネットワークを、最強の才能集団にしてビジネス軍団にしあげたいんです。ほんとうに、これはこちらから業界の皆様にお願いします、ご教示下さい。
−−こちらこそよろしくお願いします。今日は面白い話をたくさん聞かせていただいてありがとうございました。
(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也/山浦正彦)
ベテラン編集者として身につけた「身の回り3メートルを分析し、ターゲットを絞って発信する」というコツを生かし、現在も日々新しい形の情報発信を模索する佐藤氏。若い人達との交流からアイディアを得、また彼らを育てるのが楽しみ、という氏の周りには、自然とそういう流れが生まれるのかもしれません。
さて、佐藤氏の幅広い人脈からご紹介いただいたのは、インタビュー中にも登場した若いお仲間(?)、(株)オン・ザ・ライン代表取締役、西茂弘氏です。お楽しみに!