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第50回 中村 伊知哉 氏 スタンフォード日本センター研究所長/国際IT財団専務理事

インタビュー リレーインタビュー

中村 伊知哉 氏
中村 伊知哉 氏

スタンフォード日本センター研究所長/国際IT財団専務理事

廣瀬禎彦氏の紹介で、今回ご登場頂いたのは、スタンフォード日本センター研究所長/国際IT財団専務理事 中村伊知哉氏です。
 京都大学在学中にはロックバンド「少年ナイフ」のディレクターを務め、郵政省入省後は主にメディア関連に従事され、マルチメディア政策やインターネット政策を推進。退官後はMIT客員教授をはじめ、様々な団体の要職を歴任されている中村氏。ご自身のユニークな経歴や、ご専門であるITメディアと音楽との今後についてお話を伺いました。

 

プロフィール
中村伊知哉(なかむら・いちや) 
スタンフォード日本センター研究所長/国際IT財団専務理事


1961年生まれ、京都市出身。京都大学経済学部卒。在学中はロックバンド「少年ナイフ」のディレクターなどを務める。
1984年、郵政省入省。電気通信局で通信自由化に従事した後、放送行政局でCATVや衛星ビジネスを担当。登別郵便局長を経て、通信政策局でマルチメディア政策、インターネット政策を推進。
1993年からパリに駐在し、1995年に帰国後は官房総務課で規制緩和、省庁再編に従事。
1998年、郵政省を退官し渡米、MIT客員教授に就任。(社)音楽制作者連盟顧問、 NPO「CANVAS」副理事長、(株)CSK顧問、ビジネスモデル学会理事、芸術科学会評議員。
2002年9月からスタンフォード日本センター研究所長を兼務。
2004年4月から国際IT財団専務理事/事務局長を兼務。著書に『インターネット,自由を我等に』(アスキー出版局)、『デジタルのおもちゃ箱』(NTT出版)など。

 

  1. パンク発 郵政省行?
  2. たった一人のマルチメディア&インターネット担当
  3. パリでの「公然スパイ」活動
  4. 日本の活路は1億人パワーの発揮!
  5. 「役所なんか辞めて外に出なさい」〜人生を変えた廣瀬氏の一言
  6. 気軽に音楽を作れる場〜キッズプロジェクトの試み
  7. デジタル千年周期の始まり
  8. 恋人の声に打ち勝つ音楽を!

 

1. パンク発 郵政省行?

--ご出身は京都ということですが、大学までずっと京都にいらしたんですか?

中村:そうです。

--そして、在学中に少年ナイフのプロデュースをなさっていたんですね。

中村:はい。詞や曲を書いたり、ちょこっとギターを弾いたりしている裏方ですね。彼女達を見てるとピュアでちゃんと表現しようとしてるので、自分はそれを下で支えたいなという気持ちがありまして、今もずっとやっています。

--ご自身はもともと音楽の道に行こうという気持ちはあったんですか?

中村:ありました。というか大学の時は音楽しかしていなかったですね。当時は日本のパンクが出てきた頃で、ちょうどその辺りの方々と音を鳴らしていました。私の数年上に近藤等則さんがいらして、2年上にボ・ガンボスのKYON、2年下に亡くなった どんとがいました。

--みんな京都大学なんですか?

中村:そうなんです。KYONは滅茶苦茶頭の良い工学部で、近藤等則さんも工学部ですね。近藤さんはここ(スタンフォード日本センター)によく来ますけど、僕が大学にいた時は西部講堂の辺りで、いつも朝から晩までトランペットを吹いている人っていう感じでしたね。

--(笑)。

中村:西部講堂というのは別に大学も何も関係なく、みんながごろごろいる所なので、あとで大学の先輩だと知ったんですけどね。

--京都に行くと、街全体がすごいアカデミックな感じがしますよね。鴨川の所でギターを弾いていたり、一人楽器練習してる人とかいて。

中村:京都の街の力というか雰囲気というのはあるかもしれないですね。

--独特の風土がありますよね。

中村:学生にとっては居心地が良くて、かつ縛られないで変なことをしなさいというところがありますからね。京都から任天堂が生まれたり、京セラが生まれたりと、変なものが出てくる風土かもしれませんね。

--日本の中の街で1番かっこ良くて雰囲気のあるのは京都だと思いますが…。

中村:千数百年の歴史文化みたいなものと、最先端のエッジの立った所と両方あるんで、そこが面白いんでしょうね。

--ちなみに中村さんは、楽器は何を弾かれていたんですか?

中村:ギターやベースを弾いたりはしてましたけど、一番熱心にやったことは楽器作りみたいなことですね。

--楽器作りですか?

中村:田舎によくかかっているオロナミンCやベープマットの看板を取ってきて、叩くとどの看板が1番良い音がするかとか(笑)。

--(笑)。

中村:ビール瓶を割ると、どの瓶が1番効果的な音が出るかとか、そんなことばっかりやってましたね。

--サンプリングのはしりですかね。

中村:サンプリングも何もしないで舞台の上で瓶をガシャーンと割っていただけです(笑)。

--(笑)。バンドを組まれていたんですか?

中村:だから、そういうバンドとか、パンクバンドみたいなやつとか色々やっていたんですが、たまたまその1つが少年ナイフだったわけです。

--そこから何故突然、郵政官僚に転身したのですか?

中村:「こいつには勝てないな」と思う出来事があったんですよ。

--具体的にはどんなことがあったんですか?

中村:西部講堂の辺りで大学3年の時に、夜中にギターを弾いてると、モヒカンで、シンナーで歯が溶けたような人が、自分の目の前でビール瓶集めているわけです。「何してるの?」と聞いたら、そのビール瓶を翌日酒屋さんに持っていくと1本10円で代えてくれるから、それで俺はパンを買って食うって言ってるわけですよ。だけど、ギターはフェンダーのムスタングか何かを持っていて、それはピカピカに磨いて絶対売らないわけです。その時に「こいつには勝てない」と思ったんです。

--既に生き方がパンクだと。

中村:はい。では自分に出来ることは何かと思ったら、そういう人達の表現を何とか上手くいくようにするとか、新しい技術をみんなが上手く使えるようにするとかそっちかなと思ったんですね。考えたらそれって広告代理店なのか通信会社なのかテレビなのか、なんだろう? と思ったんですが、そういうのをいろいろ見てる郵政省という存在に気がついて、じゃあそこへ行こうと思ったんです。

--そういう発想なんですか(笑)。

中村:そうすると公務員試験というのを受けなきゃいけないので、それからガリガリと勉強を始めました。その当時、西部講堂のイベントでモギリをしながら法律書を読んでいたら、モヒカンの連中に「こんなとこで勉強すんな!」って怒られました(笑)。

--(笑)。結局、音楽のために公務員になられたわけですか?

中村:音楽が自分的には柱だったんですが、表現とかコミュニケーション一般のためですね。それをやりたいなというのはその頃からずっと変わらないです。

--そんなこと考えて官僚になる人っているんですか?

中村:自分は官僚になりたかったというより、郵政省に行って仕組み作りやプロデュースみたいなことがしたいと思ったんですが、そうすると公務員にならなきゃいけないという「後ろめたさ」みたいものもありましたね(笑)。

--なるほど。何かイベントを仕掛けたいと思って電通に行くみたいな発想だったんですね。

中村:そうかもしれないですね。自分的にはすごく素直な発想だと思うんですけどね。

--ちなみにお役所の試験というのは各省でやるんですか?

中村:筆記試験というのはみんな一緒にやるんですが、それで受かった人が「ここ入りたい」と希望を出すわけです。それで私は郵政省に行きたいと言ったんですが、東京で面接ですから、その時、東京に行くお金もないし、何か東京に用事がないと行けなかったので、東京でP-Modelとライブをやると言って、「今日ライブなんでこんな格好で来ました」と蝶ネクタイで面接に行きました(笑)。「変な人が来た」と言われましけど、結局何とか入れてくれましたね。今から考えるとよく入れてくれたなと思いますね。

--(笑)。

中村:まあ、入り込んでしまったということですかね(笑)。

 

2. たった一人のマルチメディア&インターネット担当

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--郵政省にお入りになって、具体的にどんなことをおやりになったんですか?

中村:その頃は全国に電話が行き渡って、次にテレビが行き渡り、「次はニューメディア」という頃でした。なので新しいメディアのプロデュースみたいなことが多かったですね。衛星放送が始まるぞとか、多チャンネル化としてのケーブルテレビがビジネスとして始まるぞと言っている頃の仕組み作りをやっていました。例外は一時だけ登別の郵便局長をやっていたのと、パリに行っていたぐらいですね。

--その登別郵便局長は自ら志願して行ったわけではないんですよね?

中村:今はもうほとんどなくなったんですが、その頃の郵政省のいわゆるキャリアは、20代で1回郵便局長をやるというのがあったんですよ。

--それで登別というのはまた遠いですよね…。

中村:いやー、それが大変な郵便局で、職員が死んだとか、悪いことをしたとか色々なことが起きるんですよ(笑)。あとは切手売って回ったり、挨拶をして回ったりしていましたね。「今日はちびっ子サッカー大会があるんで、局長は行って挨拶してくれ」と言われたり。

--とても若い局長さんという感じですよね。

中村:街でそんな若造が来たのはおそらく初めてでしょうね。

--その時は20代ですか?

中村:28か29くらいです。

--その年齢で、いきなり街の名士になるわけですか。

中村:だから全然悪いことをできないわけですよ。エロ本とか売ってても、立ち読みもできない(笑)。しかも給料が安くて、10万円ちょっとしかなかったですしね。

--10万円ちょっとですか!?

中村:安かったんですよ。だから、毎晩挨拶をしに商工会の人達の飲み会とか、市長の飲み会とかに行かなくてはならないんですが、給料が安かったのでお金が払えなくて、「払えない」といつも言っていたんですね。それである日に給与明細をみんなに見せたら、「お前はこれから金いらん」と言われて、結構タダで飲み食いしてました。今やると捕まってしまいますね(笑)。

--昔の公務員というか官僚の給料ってそんなに安いんですか?

中村: 安いです。

--今もですか?

中村:今もそうじゃないですか? 例えば一流大学を出て銀行に行った人と較べたら、全然割に合わないです。

--地位のある人と付き合わなきゃいけない、会わなきゃいけない立場で給料が安いということは、始めからおごってもらえという感じですよね(笑)。

中村:そんな感じでしたね。悪さをする役人がたくさんいたので、今は公務員倫理法ができて、キッチリしなくてはいけなくなっていますが、人とちゃんと付き合って、それなりに仕事をしようと思ったら、当時はおごってもらわなかったら無理だったような気がします。

--登別には何年間いらっしゃったんですか?

中村:1年です。その時に1回登別郵便局長のオールナイトニッッポンをやれと言われて、やったりしてましたけどね。何でそういうことになったのかよく覚えてないんですけど。

--…そういうのはやって良いんですか?(笑)

中村:後でいろいろ言われましたよ(笑)。何をしてるんだと。

--表に出るのは苦にならない性格なんですか?

中村:いや、そんなことないです。その時は面倒くさくてしょうがなかったです。

--これも修行だと思って(笑)。

中村:そうですね。郵便局長がもうそういう仕事ですからね。これが税務署長や警察署長だったら違うじゃないですか? 郵便局長の場合は切手を何枚売るとか、貯金をする人を増やすといった世界ですからね。

--そして、登別郵便局長から戻って、マルチメディアとインターネットの政策推進をなさったということですが、具体的にはどのようなことをされていたんですか?

中村:ホリエモンとフジテレビで注目された通信と放送の融合をやっていたんです。当時は通信と放送の融合という言葉自体が政府内ではタブーでした。その理由としては、通信と放送の融合をすると秩序が大きく変わるので、規制緩和をしなくてはならないし、大変だということが1つ。もう1つは今デジタル放送を一生懸命政府が推進してますが、当時はそんなのは絶対ダメだと言っていたんですね。放送はアナログだという大前提があって、その政府の方針をどうすればデジタルに切り替えられるのか、みたいなことを一生懸命やっていました。当時インターネットがぽつりぽつりと出てきて、下手すると日本でも来るぞというのが政府内の議論であったんですが、来たら、それはそれで大変なことになると。今、本当に大変なことになってますが、例えばNTTとかKDDみたいな通信会社の売り上げがガクンと下がるかもしれないということや、広まったらこうなるということがわかるわけですね。だからそれを普及させるべきなのか、あるいは敵だと思って止めるのか、どっちだみたいな議論がありました。

--開国派と鎖国派みたいな感じですね。

中村:そうです。だからどうメディアのコントロールをするのか、あるいは出来るのかみたいな話ですね。それを担当していました。

--そういうセクションというのは、当時どのくらいの人数いらっしゃったんですか?

中村:最初はマルチメディア担当もインターネット担当もいなかったんです。だけど、私はフリーな立場で次の政策を考えるというポジションだったので、1人で手を挙げてやらせてもらいました。チームも3人くらいですね。

--3人くらいのチームが日本のインフラの根幹を担っていた?

中村:最初はそうですね。段々インターネットが大きくなって来たり、通信と放送の融合問題が大きくなってくると、チームとして大きくなっていきました。

--そのチームに中村さんは最初からいらっしゃったわけですね。

中村:そうですね。予算の面倒を見るとか、税制を変えるとか、法律を作るとか、ちゃんとした仕事があるセクションもあったんですが、私はたまたまフリーになって考えるという立場だったのでできたことですね。今はそれが段々大きくなってきて、課とか部とか局の仕事になっているわけです。

--では、その時中村さんが旗を振ってくれなかったら、日本のインターネット状況というのは大きく変わっていたかもしれないということですか?

中村:そんなことはないですよ(笑)。私がいなくても誰かが担当していたわけです。

--でも頭の固い人達いっぱいいたわけでしょう?

中村:それは民間の人達との調整よりも、役所の中の調整の方が大変でしたからね。

--やはり「融合禁句」とか「基幹産業を守れ」みたいな感じですか?

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中村:役所の中には色々な利害関係が凝縮してますからね。そこは結構大変なところがありました。でもそれは役所がどうとかよりも、民間の動きや技術の動きで決まってしまう話ですから、スピードだけの問題です。自分でも失敗したなと思うことは何度もあります。 大きな失敗をしたと思うことの1つはケーブルテレビを担当してた頃の話なんですが、ケーブルテレビを推進しようという自分のセクションと、ハイビジョンを推進するというセクションが隣同士だったんです。ケーブルテレビというのはケーブルを1本引けば、50チャンネル、100チャンネルになるという政策なんですね。対してハイビジョンはテレビのチャンネルを6つくらい潰せば、1つの綺麗な画面が見られますという政策なわけです。だから綺麗な絵を見せたいのか、沢山見せたいのかでバッティングするわけですよ。これがどっちもできるなら良いんですが、一方はチャンネル潰せで、一方はチャンネルを沢山にする。それで明らかにバッティングしているものを政府が両方推進すると言っているのは、おかしいじゃないか? という話になったんですが、どっちを優先するかという問題に対して国として議論にならず、結局ハイビジョンを先行させることになったんです。

--それはいつ頃の話ですか?

中村:20年くらい前の話ですね。それから92年頃なんですが、インターネットを担当している時にADSLという技術が出てきたんですね。それを使えば日本でも電話線ですごく豊かな動画が見られるようになると思って、それを推進する立場を私は取ろうとしたんですが、その案は役所の中で潰れてしまったんですね。

--ユーザーがインターネットに対してすごく不満があった時期ですよね。私自身も何でADSLを日本でやってくれないんだとずっと思ってました。

中村:その当時、日本はISDNや光ファイバーで行くという方針で、それとバッティングするADSLはダメだということになってしまったんです。

--方針を変えるのに時間がかかりましたよね。

中村:それからADSLで行くということが実現するまで、その後8年かかりました。私が92,3年に担当して、一時期パリに行って、戻って来てからやっぱりやるべきじゃないですかと主張して、そのあと3〜4年かかってやっとADSLが日本で実現したわけです。この8年は痛かったですね。

--隣の韓国のADSL普及率はどんどん上がっているのに、日本はどうなってるんだ?と思っていましたよ。

中村:あれは韓国に負けたので良かったですね。アメリカに負けているだけだと別に問題ないわけです。要は韓国に負けたということが大きかったですね。森政権の頃で「韓国に負けたら考えよう」というのがあったので、急に普及させることになったんですね。ですからADSLは韓国が上手くやってくれてなかったら、もっと遅れてると思います。 携帯もそうだと思うんですよ。携帯でネットが使えるというのは、日本と韓国が世界のツートップですけれども、日本と韓国がお互い競争してるんですね。今はそれに中国がついてきてるという構図になってます。

 

3. パリでの「公然スパイ」活動

--その後パリに2年間程行ってらしたそうですが、これは何をしに行かれていたんですか?

中村:スパイです(笑)。

--スパイ…ですか?(笑)

中村:郵政国際協会という財団のパリ所長という肩書きで行っていました。要するに向こうの政府役人やフランステレコムの技術者にメシを食わせて、情報を取るといったことをしていました。

--中村さんはフランス語を喋れるんですか?

中村:いや、全然できないです。できないので言葉がわかる人を一緒に連れて行って、メシ食わしながら色々話してもらうんですよ。

--つまり敵状視察ですね。

中村:そうです。期待されている役目はそれですね。

--パリでのご経験によって、何か得たものはありましたか?

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中村:1つはやはり文化やアーティスト、表現といったものが根本的に大事だなと思うようになったのと、そういったものと国との関係ですね。ヨーロッパの場合は国家意識みたいなものがすごくはっきりしているので、出てくる戦略もきっちりしていました。逆に日本は何を取っても曖昧で、イライラしながら外から日本を見ていることが多かったですね。

 パリに行っていた頃にガットウルグアイラウンドで、オーディオヴィジュアル交渉というのがあったんですね。クリントン政権ができて間もなく、アメリカが「ヨーロッパの映画市場をもっと解放しろ」と言ってきたわけです。それでフランスが「アメリカの言うことは聞けない」とバッティングしたんですね。アメリカからしてみれば産業政策として言っているんですが、フランスは「映画は産業じゃなくて文化だ」と言うわけです。ハリウッドにヨーロッパを席巻されるとヨーロッパ文化が途絶える、だからアイデンティティを売るわけにはいかないと真っ向から対立したわけです。

 しかもフランスの主張の後ろにはドイツとイタリアが付いてるわけです。「そうだ、アイデンティティだ」とドイツ、イタリアは言いたいんですけど、敗戦国は強く言えない。だからフランスの言ってることをぐっと後押しする構図になってるんですね。それで当時のフランス文化省に「映画市場を開放するのか、今のままで良いのか、日本の考えはどっちなんだ?」と問われて、日本政府に「そう言われてるんですけど、どうですか?」と聞いたら、「担当している役所がない」と言われて、「こりゃあかんわ」と思いましたね(苦笑)。

--当時はそういうことを誰も考えてなかったんですね。

中村:この役所はこう考えてるとか、この課はこう考えるとか、それは当然あるんですが、日本全体としてこうだという答えが出るところまで議論をしたことがなかったんですね。今、ようやくコンテンツ政策ということで政府は力を入れてますが、当時はまだ国としても、そういったものが大事なんだという感じではなかったですね。所詮はエンターテイメントだろうみたいな感じで。

--フランスは文化というものを国がちゃんと政策にしてるわけですね。

中村:そうですね。ただ国が出てくるのは善し悪しだと思います。例えばフランスみたいに古典芸能と言いますか、確立された芸術を何とか守ろうという時には国が役に立つんでしょうけど、新しいものを伸ばしましょうという時に国が出てくると、いい人が集まらなくなるじゃないですか? そこが難しいところだと思いますね。

--やはりヨーロッパ諸国の「伝統を守ろう」という姿勢には強烈なものがあるわけですか。

中村:ありますね。実際に映画だとフランスはまだかろうじて残ってましたが、伝統のドイツ映画やイギリス映画みたいなものは、ほとんど無くなるくらいまでに国内市場が小さくなってきて、その危機感は相当あったと思います。

--ちなみに最近もパリには行かれたりするんですか?

中村:先々週くらいにちょっと行ってました。

--パリは楽しいですか?

中村:楽しいですね。でも住んでみて最初の半年くらいまでは、こんな所でやっていけるかなと思っていたんですよ。向こうの人はよく怒るんです。例えば、一方通行の道でも、こっちは道の通りに進んでるのに、逆走して入ってきた方が怒ったりするわけです。それで当初は「何を怒ってるのかな? 」と思ったりしていたんですけど、それが半年くらいたったら、「こいつらは自分よりアホや」ということに気が付いたわけです(笑)。そうしたら気が楽になりましたね。

--(笑)。確かに凱旋門のロータリーなんて1年中誰かがケンカしてますよね。

中村:ケンカばっかりしてますね。それでも不思議なことに深刻なことにはならないような感じがするんですよ。

--フランスを始めとするヨーロッパと日本の最大の違いは何だとお感じになりましたか?

中村:フランスの場合は、非常に個人主義というところがありますね。個人主義というのは社会的なルールよりも、当人同士の決め事の方を優先するということです。車に乗っていてこちらが赤信号で止まらなきゃいけない時に、青信号の方の運転手と目が合って、アイコンタクトで「行っていいよ」と言ってもらえば渡れるという、そういうところはありますね。ラテン系は全部そうだと思います。これがドイツに行くと違うんです。ドイツは社会ルールの方が優先します。それは日本と似ていると思いますね。

--赤で渡って轢かれたら、渡った方が悪いという社会ですよね。

中村:そうですね。

--日本はどっちかと言うとゲルマンっぽいですか?

中村:そう思いますね。あと食事がフランス・イタリア辺りの方が美味いですから、日本人はやはりそっちの方が良いんではないですかね。フランス人はアメリカ人・イギリス人のことは馬鹿にしてますけど、イタリア人や日本人、中国人のことは尊敬している。それはイタリア・日本・中国というのは、きちんと何でも食べるからなんですよ。

--ステーキとハンバーガーばかり食べてる人に偉そうなこと言われたくないと。

中村:黒い変な発泡ジュース飲んでるような人らと話はできないというのがフランス人の立場ですね。私がパリにいたのは10年前ですけど、結構じいさん連中が「マクドナルドなんかに行ったら恥だ!」とか、「ディズニーランドになんか行くもんか!」みたいな感じでしたが、それは世代によって変わってきていると思います。ただ基本的にはアングロサクソンとケンカするという感じは続いてるんじゃないですか? イギリス人はイギリス人で、フランス人のことをカエル野郎とかカエル食う奴らとか言ってますしね。

 

4. 日本の活路は1億人パワーの発揮!

--ヨーロッパ全般では大人が権威なり勢いを持っていて、日本ほど若者偏重の文化じゃないという感じがしますが、実際はどうなんですか?

中村:それはそうだと思います。フランスだとレストランに犬は連れて行っていいですけど、子供はダメですからね。高級レストランに行けば行くほどそうです。子供と大人の世界をはっきり分けられているところも日本との違いですね。日本は子供王国と言いますか、子供が市場を引っ張っているところがあって、ゲームにしろマンガにしろ子供も大人も一緒になって楽しむし、子供は自分で小遣いを持って自分で物を買うので、子供の好みがストレートに商品となって出てくるわけです。だから子供が本当に喜ぶゲームやマンガが市場に出てくるんですが、アメリカ・ヨーロッパは親が子供に買い与える世界ですから、親の目を通ってこれは良いマンガだという物しか店頭に並ばないので、子供がストレートに欲しい物を市場に置けないわけです。日本のポップな物が向こうで人気になっている最大の理由はそこで、子供が欲しい物をストレートに表現しているからだと思います。

--本当にそれは感じますよね。日本が全体的に子供っぽいというか、大人に権威がない。そこがちょっと海外に行って、日本に帰って来ると私なんかが1番感じる違和感です。

中村:大人文化と子供文化の線引きがないのが、日本のすごく大きな特徴だと思います。そのことで日本のポップカルチャーが競争力を持つという良い面にも出てくるし、「だから日本の大人はだらしがない」と言われたりもしますし、両方あると思いますね。

--やはりマンガを大人が真剣に読む国というのは、少なくとも欧米諸国にはないですよね。

中村:日本の場合はそういう子供や大人を育てて来ましたからね。

--でも、いつの間にか国際競争力で言うと、最も世界に通じるところが、そこになっちゃったわけですね。

中村:ええ、なりましたね。90年代にそうなったと思います。フランスでも日本のマンガを大人が読むくらいまで浸透していますし、アメリカでも少女マンガが売れるようになってきてますね。

--フランスの大人が日本のマンガを読んでるんですか?

中村:読んでます。フランスのマンガコーナーはすごいですよ。ほとんど全部日本のマンガです。

--そういえば、向こうのテレビでも「キャプテン翼」とか日本のテレビアニメも色々やってますよね。

中村:マンガを読むには能力が必要で、それを身につけるのに時間がかかるわけです。マンガは書き手が一杯いてもダメな世界で、大切なのは読み手がどこまで育つかですからね。ですから10年20年単位で時間が必要なんですが、読み手がだんだん育ってきているような気がします。

--私なんかマンガ世代としては、小さい頃思ってたことが今、現実になってるんですよ。つまり「なんでこんなに面白いマンガが世界中に広がってないんだろう?」とか、「どうしてこんな面白いものを大人は読まないんだろう?」とか、思ってたことが今は普通になっていますね。

中村:やっと読む能力が付いていて、追いつこうとしているみたいな感じでしょうね。こっちは数十年単位で鍛えてきたんで(笑)。

--(笑)。

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中村:ヨーロッパや韓国でも、マンガのクリエーター、ゲームのクリエーターを沢山生んで、国策としてやろうとしていますが、ユーザーというか音楽でいうリスナーがちゃんと育ってないと絶対に続かないので、そこが強いところが多分勝つと思うんですよ。私はしばらくアメリカに行ってて日本に戻ってきた最大の理由はそれで、ITやネット、デジタルにおいて「作る」のが強いところは結構あるんですが、それを「使う」側の力はどこが高いかと言えば、多分日本だろうと思ったんです。

--結果として電車の中で全員携帯を使いこなしている。

中村:電車の中で携帯をガチャガチャやる人があんなにいるから、携帯が発達するんだと思うんですよ。

--電車の席1列全員がガチャガチャやってたりしてますよね。

中村:変ですよね(笑)。

--ちょっと不気味ですね(笑)。

中村:変なんですが、今は変だと思っていることが50年くらいたつと世界中でこうなってるんじゃないかと思うんです。その世界を作ってるのが、今日本で携帯をいじってる人達のはずで、ドコモとかシャープみたいに携帯自体を作ってる側じゃないと思うんですよ。

--使う側が作る世界ですか。ちなみに中村さんご自身はずっと携帯をいじっている方なんですか?

中村: そういう人達に教えてもらってやろうとはしますけど、やはり勝てないですね。

--マンガは未だに読まれますか?

中村:マンガはやっぱり縁が切れないですね(笑)。

--日本のマンガは幅が広いと言いますか、色々な人をターゲットにした作品がありますよね。

中村:日本は特殊な発達をしていて、例えばストーリー物もあればギャグやナンセンス、エロ、歴史物や法律のマニュアルをマンガで出したり色々あります。浸透の仕方と言いますか、色々なジャンルが出てきてしまうというのは、すごく大きな特長だと思います。例えばゲームの始まりは日本もアメリカもほぼ同時期で、スポーツ物やレース物といったゲームは両国共に同じようにできたんですが、その後日本だけ何故かギャグゲーとか育てゲーとかダンスゲーとか変な物が出てくるわけですよ。こういうのは他の国からは出てこないわけです。これは何故かと言いますと、そういう作り手が多いと言うより、それを好むユーザーが多いからだと思いますね。そうじゃないと説明が付かない。

--本当に不思議な文化を持った国ですよね。

中村:その変さが競争力の源と言いますかね。

--中村さんのお立場はこの変さというか、特殊能力に更に磨きをかけて、世界へ広めようと言うことですか?

中村:そうです。日本ができる道はそれしかないです。ユーザーの力というか1億人のパワーの発揮ですね。これまで日本はハリウッドみたいなものに、追いつこう、追い越そうと思っていたわけですが、そういうモデルを目指しても多分上手くいかないと思います。アメリカの構造というのはごく一握りの上位1%や5%の連中が素晴らしい物を作って、残りの90数%に売って儲ける、という社会ですよね。日本はごく一握りの上位の人達だけで作りましょうではなくて、残り90数%の人達が作る。ごく一握りの人達より、残り90数%の人達の能力が高いから、そこで物を作れば勝つと思っているんです。それって、さっき言った携帯をずっといじってる様な人達がコンテンツを作って、発信するという世の中だと思うんです。2ちゃんねるみたいな世界ですね。ああいう世界に結構チャンスがあるなと思っています。だから早いうちにそういうことをやっていったら良いんじゃないですかね。今ここの事務所でやってることは、子供に音楽を作らせましょうとか、子供にアニメを作らせましょうとか、そんなことばっかりやっているんですよ。

 

5. 「役所なんか辞めて外に出なさい」〜人生を変えた廣瀬氏の一言

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--最近、音楽業界でも一般のリスナーの意見がプロの意見に勝ってしまう時代が来ているような気がします。ただ、その処理に業界がどうしたら良いかわからなくなっているんですね。やはり音楽もユーザーが作り上げていくという時代になりつつあるんでしょうか?

中村:そうだと思います。そのことによって音楽そのものが変わっていくと思っています。デジタルやネットというと、すぐに流通の手段という風に見てしまうんですが、それ以上にデジタルやネットというものを使うことによって、音楽を作る環境が変わってくるとか、音楽の表現そのものが変わっていくと思うんですよ。みんなで一緒に作るとか、これまではテープの長さとか、CDの長さで尺が決まっていましたが、そういう制限が全くなくなって、フリーにずっと音楽を作ったり聞いたりできますからね。

--なんだか現代音楽みたいですね。

中村:ええ。本番はそこから来ると思っているんですが、いつ本当の波が来るのかは、まだ分からないですね。

--アメリカのように個人が全部作って発信していくという動きは、やはり日本にも来そうなんですかね。

中村:それは来ると思います。ただ、私はそれが本格的に来るのは、今の子供達が大人になってからだろうと思います。それまでにどれくらいのものが生まれてくるのかということは気になっているんですけどね。

--本格的にその波が来るのは大体10年後ということですね。

中村:そうですね。そんなもんだろうと思います。

--前回ご登場頂いた廣瀬さんも仰っていましたが、音楽業界は今が曲がり角で、みんなその曲がり角でスピードを落として、「次にどうすれば良いか」とか「その状態になるのは分かっているけど、今はまだそうではないし…」というような状態ですね。

中村:そうですね、表現もそうですが、そもそもそれで誰がどうやって儲けるのかというビジネスの所は全然見えてないですからね。

--1番苦しい時期ですよね。ところで話が前後してしまうんですが、廣瀬さんとはどういったご関係なんですか?

中村:廣瀬さんと最初にお目にかかったのはまだ役所にいる頃で、私が行革などをやっているころにお会いしました。当時廣瀬さんはアスキーの専務でゲームを作っていて、2回目に会った時に「役所なんか辞めて外に出なさい」と言われたんですよ。私はその時、役人道を突き進んで、必ず事務次官になると思っていたので、「何言ってるんだ、このおっさんは」と思いましたね(笑)。何故か分からないですが、それから1年後に外に出ることになって…どうしてくれるんですかと(笑)。

--(笑)。役人としては順調な出世を遂げていたんですか?

中村:ええ、順調でしたね。

--もう、めちゃくちゃエリート?(笑)

中村:もう間違いなしですよ(笑)。

--では、郵政省としては事務次官候補を失ってしまったと。

中村:そうです。そう言ってないと悲しいので(笑)。最後は省庁再編を担当していて、結果として郵政省と自治省と総務庁を合併して総務省にするという政治的な決着をさせるところまで担当したんです。それで14年役所にいたんですけど、タイミングとしては大体ここで前半終わりだなという感じだった時に、廣瀬さんみたいな不良のおっさんと出会って、「外に出るべきかなぁ」と思っているうちに、気が付いたら本当にフラフラっと外に立ってたと(笑)。

--(笑)。廣瀬さんは何を見抜いて、事務次官候補に「外へ出なさい」と仰ったんでしょうかね?

中村:分からないですよ。思いつきじゃないですか?(笑)

--何か見えたんですかね。

中村:見えてないと思いますよ(笑)。それで廣瀬さんはアスキーからセガへ行って、ドリームキャストを作るということになったんですけど、当時セガのオーナーだった大川さんが、MITに個人で寄付をして、メディアと子供に関する研究所を作るというプロジェクトが持ち上がったんですね。そのプロジェクトをコーディネートするために日本から誰か一人行けという話があって、「中村という奴を行かせたら良いんじゃないか」ということで、私は役所から出ていくことになったんです。

--では、結局は廣瀬さんの紹介なんですか?

中村:そうです。

--廣瀬さんはこんなにも他人の人生を変えてしまった人なんですね(笑)。

中村:「どうしてくれるんですか!」と廣瀬さんには言っていたんですが、気が付いたら今度は廣瀬さんが音楽業界に来ていたと(笑)。

--なるほど(笑)。それでMIT客員教授に就任されたわけですね。MITでは何を教えていらっしゃるんですか?

中村:いや、教えてはないんです。新しい研究所を作ろうというプロジェクトが持ち上がったんで、結局役割としてはコーディネートですね。日本とアメリカを繋いで、研究所が上手く立ち上がるようにプロデュースするみたいなことをやっていました。

--そのお仕事は何年やってらしたんですか?

中村:正味3年です。本来は建物を建てるはずだったんですけど、それがまだできていないうちからプロジェクトを幾つかやっていたんです。例えば、1つはトイシンフォニーという子供のための新しい音楽環境を作るプロジェクトで、セガやCSKの出資でやりました。それは新しいデジタル技術を使って、特殊な訓練なしに子供が誰でも演奏できるような新しい楽器を作るのと、もう1つは誰でも簡単にお絵かきをすれば音楽ができるという作曲ツールをウェブサイト上で作るというプロジェクトでした。 お絵かきの場合は子供がクレヨンを持ってすぐ絵を描くのに、音楽はプロフェッショナルの、特にクラシック音楽みたいなものが特殊な訓練を積んだプロの手に行ってしまって、曲を作ろうという子が出てこないんですね。だから音楽を自分の手に引き戻すにはどうしたら良いんだということをデジタルで考えようというプロジェクトですね。意気込みは良いんですけど、なかなかモノにしようとすると上手くいかなかったですね。

--そこから先は色々なところから要請を受けられていますね。

中村:タダ働きでフラフラしてただけなんですけどね。

--皆さんは何を中村さんに期待して依頼なさったのですか?

中村:自分でもよくわからないです(笑)。

--ちなみにどういうルートで話が来るんですか? 例えば音制連とか。

中村:それは、音制連の前の理事長の奥田さんから「ブラブラしてるんだったら何か手伝ってよ」と頼まれたんです。

--奥田さんは郵政省時代から知ってらしたんですか?

中村:はい、知ってました。

--郵政省と音制連って、どのような関係があるんですか?

中村:もともとはケーブルテレビを僕が担当していた時に、担当していてもケーブルの針金を敷くところには興味がなくて、結局コンテンツに興味があったんですね。どうやってプロダクションの方々やアーティスト、またはコンテンツを持っている人達に全面に出てきてもらって、ビジネスになるようにするのかという問題があったので、そっちの方ばかり回ってたんです。その時に音制連の方々とお話しをしたのが最初ですね。

--今は音制連に対して何をアドバイスしてるんですか?

中村: 何もしてないです(笑)。怪しくフラフラしてるだけですよ(笑)。

--(笑)。では、スタンフォード日本センター研究所長というのがお給料を貰えている仕事なんですか?

中村: 給料はちょろちょろみんなから貰っているという感じです。冊子に文章を書いたり、例えば総務省の人と文部科学省の人と内閣官房の人を呼んできて話を聞きましょうとか、そんな感じの仕事ですね。まあ、用心棒みたいなものです。用心棒って困ったことがないと出ていかないじゃないですか? 普段は酒を飲んでるというね(笑)。

 

6. 気軽に音楽を作れる場〜キッズプロジェクトの試み

--今後の音楽業界とITメディアとの関わり方に対して、中村さんはどのような予測なさっていますか?

中村:決まってしまっていることはあると思うんです。アナログは完全にデジタルに移行する。それは時間の問題で、パッケージもかなりの割合でネットに行くでしょう。それまでの時間の中でどう儲けるか計算をするのもそれぞれだろうと思うんですけど、でもそれは決まっていることなので。

--決まったことなんですか?(笑) まだ決まってないと思っている人もいると思うんですが…。

中村:いるでしょうけど、決まったと思って動いた人はちゃんと儲けると思います。儲けた人は黙ってて、儲からなくなりそうな人が騒ぐので、それを政府側が分かって動いている。そういうことが5年、10年と進んでいくんだろうなと思います。

--何もしなくても間違いなくそれは進むと。

中村:はい。それは技術とユーザーが決めていく話ですからね。

--今後、音楽業界にはどんな人材が必要だとお考えですか?

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中村:それは2種類あると思います。1つはとにかく音楽が好きな人。これはどうしても必要だと思います。24時間頭の中で音楽が回っているような人ですね。もう1つは、音楽が好きとかはどうでもいいから、国際的にビジネスを回せるプロフェッショナルな人。この2種類が多分足りないと思います。だからそれをどう生んで、あるいは引き寄せていくかというのが業界には大事だなと常に思います。

 それと業界のこと以上に、私自身がやらなくてはと思っているのが、さっきも少しお話ししましたが子供のことで、リスナーとプレイヤーを小さい頃から作っていくということにもっと気合いを入れなくては、と思っています。音制連との関わりで言いますと、キッズプロジェクトみたいなことをやることになりました。5月からウェブサイトで「 おとコトひろば」というのが始まりまして、子供達が自分で詞を作り、ウェブサイトに貼り付けて、良いと思ったら曲を誰かが作る。そしてマッチングして良いなということになったら、誰かがその演奏をするということを取りあえず始めてみようと思っています。

--とても面白そうな試みですね。

中村:もっと気軽に音楽を作れる場を子供達に与えたかったんです。また、本当のミュージシャンにも出てきてもらって、「音楽は格好いい」ということを、もう一回ちゃんと示したいなとも思っています。僕らが楽器をやっていた頃に比べて、最近は音楽がそんなに格好いいと思われてないかもしれないなと思ったんですよね。これから10年、20年してから「音楽をやってる人は格好いい存在か?」ということが決め手になるかなと思ってまして、もっとミュージシャンと子供達を触れ合わせたいなと思います。これは1つの小さいプロジェクトなんですが、そういうものを沢山やっていきたいですね。

--なるほど。

中村:先ほど話に出ました近藤等則さんも、子供を集めて、自分の音を探して、自分だけの楽器を使って、思いっきり音を出すという子供のワークショップをやってます。子供達がチンドン屋さんになって、宣伝をして練り歩くとかそういうことをやっていきたいです。

--ヤマハは誰にでも作曲出来る物とか、そういうソフトをいっぱい作っていますよね。そういう物を子供に使わせるというのはこのプロジェクトにあるんですか?

中村:まだないですね。これからそういうツールも色々紹介しながらやっていきたいですね。商売気は全然ないのでそういう場がちゃんと出来れば良いと思っています。

--正に広場ですね。

中村:そうですね。どんどん使ってもらえれば良いなと思いますね。例えばヤマハとかでやると、プロにもなれそうなぐらいちゃんとしているじゃないですか? それはそれで良いんですけど、敷居が高いかな? というところもあるんです。もうちょっと幅広くていい加減な感じでやりたいですね。

--これは要するに新しい時代のヤマハ音楽教室という感じですか?

中村:そうですね…ヤマハ音楽教室には行かない、というような人でもいいし、いい加減な曲でもいいから、いっぱい作ってもらいたいですね(笑)。

--面倒だし、塾みたいな所に行きたくないけど、面白いことはしたいみたいな?

中村:音楽教室の様なところへ行く子は良いところの子じゃないですか? 僕らがギターを弾いていた頃は「ギターなんか弾いてちゃダメだ!」と言われて、不良の象徴みたいな感じだったんですけど、今はギター弾いていたら良い子ですからね(笑)。

--(笑)。そう言う時代になったんですねえ。

中村:今は不良がいないんですよ。

--このプロジェクトは「悪ガキのための〜」といった感じでしょうかね。

中村:そうですね。でも「こういう風にしたい」って言ってしまうとそれはそれで問題ありますから、テイストとして何とか残したいなとは思いますね。それからクラシックあるいは学校教育的な綺麗な音楽もあれば、「そんなことしちゃいけません」というミュージックの世界、例えばポップなんてずっとそうだったじゃないですか?

--ビンを割る音や看板の音にこだわった可能性というか(笑)。

中村:その広がりが欲しいんですよね。

 

7. デジタル千年周期の始まり

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--表現やコミュニケーションがデジタル技術を通らずして何も表現出来ないという時代になるとお考えですか?

中村:道具としてはデジタルを使った物が多くなると思うんです。多くの人に伝えるとか、簡単に物を作るとかという時には、デジタルをたくさん使うんでしょう。ただ、のどを震わせるとか、手足を動かすというアナログのところが全部発信源ですから、そこは1000年2000年たっても変わらないでしょうね。

--例えば、先ほど伺った「キッズプロジェクト」もそういった社会になるだろうという予測のもとにやってらっしゃることですよね?

中村:それは役人だったころとあまり気持ちは変わってなくて、子供のためのプロジェクトというのはポリシーというか、国家政策の一環だと思っているんです。ハリウッドのようにごく一部の人ではなく、日本の1億人がテレビ局になるとか1億人が音楽家になるということが、1番国のパワーを発揮することなので、そのための環境や技術を大人が次に与えていく。それを年寄りが始めるよりも、生まれたときからデジタル環境とかネットワークを使っているという人たちが作っていくのが次の社会だと思うので、それに投資した方が効率が良いってだけのことなんですね。本来は、そういうのをやるのが国の役割だと思うんですが、国が本気になって取り組むにはまだ時間がかかるだろうから、とりあえず一人で始めるぞと思っています。

--パンクですね(笑)。

中村:そうですね。いつでもパンクでありたいですね。

--社会全体としては、間もなく急激な少子高齢化社会ということになっていくわけですが、産業的な競争力は落ちるに決まっているからこそ、コンテンツビジネスを発達させなければいけないという考え方をなさっているということですか?

中村:私は面白いコンテンツをいかにたくさん埋めるかとか、いかにそれを楽しめるかとか、そういう場になることはすごく関心があるんですけれども、コンテンツの産業というか、業界がどれだけ儲けるかということは、実はあまり関心がないですね。例えば、映画業界の売り上げを倍にしましょうとか、そっちの方向を一生懸命考えるというのはあまり得意じゃないんです。おかしな作品ばかりどんどん生まれるようになってきたという状況を私は作りたいですね。

--社会全体はどう変わって行くと想像なさっていますか?

中村:私は結構楽観的なんです。ダメだダメだと言われている日本の若者たちが、絶対にいろんなことをしでかしてくれるぞとかなり期待をしています。ひょっとすると景気が悪い方がそういう才能が出てくるかもしれないし、その辺は分からないですけど、面白いポジションにはなってくれるんじゃないかなと。ついこの前まで日本人は表現下手でコミュニケーション能力がなくて顔が見えないと言われていたんですが、日本がポップでクールと言われるようになってから、評価が変わったと思うんです。日本から出てくる表現というのは変だし面白いぞと。多分どんどんそうなってくる気がしますし、「電車男」もそうですけど、色々なフラッシュアニメを見ていると、世界的にかなり先を行っているんじゃないかと思いますね。携帯でギャル文字作ってる女の子とか、文字を作っちゃうわけですからね。

--確かにプリクラとか日本っていろんなものが出てきますよね(笑)。得体の知れないものが次から次へと。

中村:一千年前の紫式部の頃というのは、日本の女性が世界文化をリードしていたと思うんですね。中国文化の漢字を仮名に変えて自分たち独自の表現をするというのは、世界レベルで見ても、かなり高い表現だったはずなんですが、そこから千年たって、今、日本のティーンエイジャーたちが何か似たようなことをしているわけです。ギャル文字の様なデジタル文字を作ったり、完全に世界文明をリードしている動きですからね。あとネットでの新しい繋がり方とか、匿名人たちがストーリーを作って電車男に仕立ててみるとか、2ちゃんねるの人たちが「Time」誌に投票をして「Man of the year」の1位に田代まさしを当選させてしまうとかですね、そういう「何をしてるの!?」という事がたくさん出てきています。それが5年10年でポンとなるんじゃなくて、20年30年かかって新しい表現を生んでるという、丁度今面白い時期に来てるという感じもしてますね。

 デジタルというものがIT革命とかデジタル革命と言われていた頃は、10年に1度のビジネスチャンスだと言っていたんですけど、ある人は100年に1度単位の産業革命に匹敵する波だと言うわけです。だけどデジタルはこれまでなかったんですから、アナログの千年が終わってデジタルの千年が始まるという文明の転換点とも言えるわけで、千年、二千年前に起こったことが、デジタルという技術で千年後にどうなっていくかというのを考える良いチャンスだと思うんですよね。活版印刷が出てきたのが15世紀で、グーテンベルクが活版印刷を発明してからみんな本を読むようになり、その頃に宗教革命が出てきた。だから活版印刷革命は本を読んで宗教革命で終わりかと言ったらそうではなくて、そこから近代技術や資本主義という概念が生まれたりしたわけです。

--印刷技術の発明によってそういう文明が出来たということですよね。

中村:その効果を理解されるまで3、4世紀かかってるはずなんですよ。じゃあ、グーテンベルクの頃の人がそうなるだろうとその時思っていたかというと、全然そんなことは思っていなかったわけです。今、色々な機材が出てきて5年後、10年後のビジネスはこうなるでしょうとみんな言うわけですが、多分100年、200年、300年後に社会がどう変わっているかを考えると、これまで文字に頼っていたけれど、300年後は文字なんてもうなくなっていて、全員が映像で考えて映像で表現するようになってるかもしれないわけです。コミュニケーションの在り方とか、生きるリズムが変わっているかもしれないわけですけど、それを全然空想できてないですよね。だけど、言ってみればグーテンベルクの頃に生きていた人たちと同じ空想をするチャンスって今の時代にしかないわけですから、結構楽しい時だと思うんですよね。

--(笑)。千年周期の始まりに我々は今立ち会っているということですね。

中村:100年経って「あの頃始まったよね」と言う「あの頃」が今だと思うんです。

--例えばグーテンベルクが活版印刷を発明する前、みんなが聖書を手書きで写してしていたわけですよね。それで、印刷機が生まれてやっと印刷物を人々が目にすることが出来るようになった、出始めくらいが今なんですかね、デジタルとしては?

中村:そうなんでしょうね。家の中にインタラクティブの映像環境が入ってきたのがファミコンですけど、あれが出てきて20年ですよね。それでインターネットや携帯が登場したのが10年前で、ブロードバンドと言っても今だにテレビが見れるかどうかって言ってるだけでしょう? それは20世紀の話ですよ。19世紀の終わりから20世紀の始めにかけて映画が出てきて、初めてみんなが動く映像を見られるようになりました。今度は20世紀になってテレビが家庭で見られるようになって、それでブロードバンドでテレビがどうのっていうのは20世紀の話です。そんなのは分かってる話で、じゃあこれからどうなるかというのがまだ全然わかってないわけですよね。モバイルと言ったって本当にどう使っていくか? という空想ができてない。

 これは明日のセミナーでも話そうと思っていた話なんですが、70年間ビデオを取り続けて、MPG4の小さいファイルだと、70年間のビデオは10テラバイトに収まるわけです。今そのくらいの容量のハードディスクが100万くらいで買えるんですが、多分2年くらいしたら10万くらいで買えます。すると赤ん坊の額にカメラをつけて、生まれた時から起きてる間、70年間ずーっと映像で撮っても、10万で済んでしまう。それを全部ブロードバンドに繋いでシェアすると、全人類の一生分の映像を全部シェアして、別のバーチャルワールドみたいなのを作ろうと思ったら、今のコンシューマープロダクトで技術の進歩を待たなくてもできちゃうわけです。

--全く想像できない世界ですね。

中村:でも、「そこから先に何が起こるのか?」と色々考えるわけですよ。今は目の前にすごいものがたくさんあるから、その 先をまだ空想しようとしてないと思うんですよね。そういったことが10年、20年単位でがちゃがちゃ起こってくると思ってます。

 

8. 恋人の声に打ち勝つ音楽を!

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--僕等は業界人ですから、ネット社会に行くにつれて、ミュージシャンがどうやったら飯を食っていけるかというのを心配してしまうんです。

中村:そうですね。本当に暮らしが成り立つモデルをちゃんと組み立てられてないですよね。ネットではタダでいいからライブで稼ぐ人もいれば、DRM(Digital Rights Management:デジタル著作権管理)で管理して儲けていきましょうという会社もあります。しばらくの間は色々なモデルが並行して走って、どれが失敗した、成功したという状態が続くと思います。当分読み切れないですね。

--中村さんを持ってしても読み切れませんか。

中村:数年前までは、みんながこういうモデルになるんじゃないかと予想していて、私もこうじゃないかと思って提案したりしたこともあるんですが、結局「こうだ」というのは確立しないですね。上手くいった場合もあれば上手くいかない場合もある。

--とにかく何十年か続いてきた音楽ビジネスのやり方が今変換点を迎えていることは間違いないわけですよね。だからこれは1回崩れてみないと次の想像も次のビジネスモデルの確立も今の段階ではなかなか難しいところですよね。

中村:そうですね。例えば著作権のような制度で守るようなビジネスから、確実に技術で守るというか生んでいく方向に変わっていくでしょうしね。つまり仕組みそのものが変わっていくと思うんです。あと、リスナーは増えているけどお金が上手く流れない。その人達は全然お金を払わない人なのかといったら全然そうではなくて、彼らは携帯とかパソコンにはお金を払っているわけです。そこのメディア支出はすごく伸びているのに、コンテンツにはお金が流れていない。そういう構造をどうするかというのと、もう1つはティーンエイジャーがお金を払っているのは、例えば携帯とかネットですけど、CDやマンガやゲームを買わないでその分の小遣いを携帯に払うんですね。何で携帯なら払うかというと、友達と会話をしたり、恋人の声を聞いたりチャットをしたりすることだったら1万円払っても良いわけです。

 要するに音楽が恋人の声に負けてるんですよね。若い人たちにとってはそっちの方がキラーコンテンツになっていて、恋人の声とか友達との会話に打ち勝つような音楽を作っていくしかないと思います。つまり、今、彼らは直接のコミュニケーションや親密度のためだったら、バイトをしてでもお金を払うという、その領域にどれだけ食い込めるような表現をできるか? ということです。だから対向する相手が、例えばハリウッド映画だとか携帯会社とかではなくなっているんです。音楽が対向しなきゃいけないのは、彼らの横にいる恋人や友達なんです。だから血を見るような努力をして、表現していかなきゃいけないところに今来ていると思っています。大変なのはデジタルとかそういうことではなくて、そっちだと思うんですね。

 でも、彼らは戻らないかと言ったらそんなことはなくて、たまたま今まで出来なかったことが、携帯やネットで出来るようになったことによって、みんながそっちにワっとお金を払っているだけであって、そこにまたどんなコンテンツを持っていくかというのが、これから生まれてくると思います。そうしたティーンエイジャーの横にいるティーンエイジャーの、また横にいるティーンエイジャーの中からまた新しい表現が出てくるんだと思うんですけどね。そこが多分僕たちにまだ見えていない。新しい表現とかジャンルとかっていうのが、音楽と呼べる物かどうかはわからないですけど、確実に生まれてくると思います。

--本日はお忙しい中ありがとうございました。
(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也/山浦正彦)

インタビューの中で“今後は後ろ指を指されるようなことをしたい”という中村氏の発言には驚かされました。正に根がパンクな中村氏。その考え方自体、大変新鮮かつ刺激的なものだったと思います。個人的には日本の「変さ」が生み出すポップカルチャーの力と、日本の活路はユーザー力の結集にあるというご意見には思わず納得させられました。日本国内ではむしろ「負」の要素であるかのように語られがちな部分にこそ、日本独自の強さがあるのかもしれません。

 さて次回は、長渕剛やBOφWYをはじめ多くのアーティストを成功に導き、現在は音楽制作者連盟の理事長としてプロダクション、アーティストの権利関係の整備、音楽事業の発展にもご尽力されている(株)アイアールシートゥコーポレーション 代表取締役 糟谷銑司氏です。お楽しみに!

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