第52回 荒川 祐二 氏 株式会社ジャパン・ライツ・クリアランス 代表取締役
株式会社ジャパン・ライツ・クリアランス 代表取締役
糟谷銑司氏の紹介で、今回ご登場頂いたのは、(株)ジャパン・ライツ・クリアランス 代表取締役 荒川祐二氏です。広告代理店の立場からイベントの企画制作やプロモーションに携わり、(株)プロマックスへ移られてからは、坂本龍一のコンサートやインターネットライブを制作された荒川氏。その経験を見込まれて(株)ジャパン・ライツ・クリアランスの代表に就任されてからは、著作権ビジネスに取り組まれています。偶然にも「iTunes Music Store」オープンのこの日(2005/8/4 ※取材当時)に、音楽ビジネスの行方や著作権についての考えなど、じっくり語って頂きました。
プロフィール
荒川祐二(あらかわ・ゆうじ)
株式会社ジャパン・ライツ・クリアランス 代表取締役
1965年4月14日生まれ。長野県長野市出身。
1988年より、広告関連イベント制作プロダクションで、企業イベントの企画制作を手がける。
1992年、株式会社電通の契約社員となり、営業の立場から企業の冠イベントの企画制作やプロモーションなどに携わる。
主な実績はディック・リーによるオリジナルミュージカルの制作や、JAYWALK香港公演及び上海公演など。
これらのステージ制作にあたって常にパートナーシップを組んでいた株式会社プロマックスに誘われ、1995年、(株)プロマックス取締役就任。(現任) 坂本龍一のコンサートやインターネットライブの制作などにあたる。
2000年11月の著作権等管理事業法成立を受け、同年12月(株)にジャパン・ライツ・クリアランスを設立、代表取締役に就任。(現任)
2002年6月、グローバル・プラス株式会社取締役就任。(現任)
2003年8月、株式会社JRCホールディングス代表取締役就任。(現任)
2004年8月、株式会社イー・デシヴェル取締役就任。(現任)
1. あえて踏み込まなかった音楽業界
−−前回ご登場頂いた糟谷銑司さんとの出会いはいつ頃だったのですか?
荒川:糟谷さんとの出会いというのはイコール、ジャパン・ライツ・クリアランス(JRC)という会社の設立と非常に密接な関係があります。ですので、話は少し遠回りになってしまうのですが、JRCの設立というところからお話しします。’95年くらいからインターネットが拡がり始めて、’98年、’99年になると急激に拡大したわけです。その拡大に併せて、音楽配信であったり、音楽に関わらず色々な意味における「コピーライト」という概念が少しずつ変わり、ビジネスの環境としても直接的・間接的を問わず影響を受け始めた時期だったわけです。
そして’99年あたりからJASRACが独占的に著作権管理をすることを定めていた、俗に言う「仲介業務法」の見直しが具体的に始まりました。その見直しの際には、おそらく複数の民間事業者が参入できるような規制緩和の方向に行くのだろうと予想されており、また色々な意味で音楽業界を取り巻く環境も大きく変わってゆくだろうと思われていました。そこでアーティスト・マネージメントや原盤制作をしている音楽制作プロダクションの代表者が10数名集まって、これから自分たちでできることを考えてみるべきではないか? とミーティングを始めました。それで、その時に集まったメンバーの中に糟谷さんがいらっしゃったわけです。ですから直接的な関係のスタートは、’00年の春頃です。
−−糟谷さんのご印象は?
荒川:糟谷さんとお会いする前から、糟谷さんがどのようなキャリアをお持ちだったのか存じ上げていたので、数々の実績を築き上げられてきたすごい方だという認識はありました。それで最初は「気難しいタイプの方なのかな?」と思ったんですが、いざお話をしてみるとこんなにフランクにお話なさる方もいないですし、私のような歳の離れた者に対しても、ものすごく丁寧にお付き合いしてくださるので、お会いする前に思っていた「もしかしたら恐い方なのかも…」という先入観が、あっという間に切り替わって、色々お話しできるようになりました。すごく魅力的な人だなという印象ですね。
−−糟谷さんは見た目がアーティストっぽいですものね。
荒川:そうですね。あと常に本を持ち歩いていらっしゃる印象がすごく強いですね。それもあるときは司馬遼太郎だったり、あるときは最新技術の本だったりと、音楽に直接関係ないものがほとんどだったと思います。
−−ここからは荒川さんご自身のお話を伺いたいと思います。長野県のご出身と言うことですが、おいくつまで長野にいらっしゃったんですか?
荒川:高校を卒業するまでです。
−−家庭環境はどのような感じだったのでしょうか?
荒川:ごくごくふつうのサラリーマン家庭で、父親は言ってしまえば高度成長時代の典型的な父親ですよね。要は仕事一本やりで家に全然いないわけです。ただ、私がやりたいということに関しては、最大限バックアップをしてくれました。
−−音楽との最初の出会いはお幾つですか?
荒川:3つ上の兄がピアノを習っていたこともありまして、私が5歳の時にピアノを始めました。それから小学校、中学校、高校、大学を通じて、色々な意味で音楽は身近な存在でした。
−−ピアノをなさっていたということは、聴くものもクラシックが中心だったのですか?
荒川:そうですね。基本的にはクラシックばかり聴いていました。流行の歌謡曲も耳にはしていましたが、自分から積極的に聴くという感じではなかったんです。でも、中学1年の時にイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)との衝撃的な出会いがあったんです。彼らのサウンド、ヴィジュアル、スタイルも含めて、単純に「かっこいいな」という思いから、YMOを積極的に聴くようになり、その頃から視野が拡がっていきましたね。
−−ちなみに荒川さんはミュージシャン志向だったのですか?
荒川:いや、それはなかったです。高校の時もバンドを幾つか掛け持ちして、自分で曲を作ったりもしてみたんですが、「俺はそういうタイプじゃないな」という思いがありました。大学でも音楽を勉強していましたが、そこでも自分で演奏するという視点はありませんでした。そして、仕事を始めるということをおぼろげながらに考え始めた頃、時は正にバブル絶頂の頃ですから、変な話ですけど何をやっても食えるだけの環境もあったんですが、自分が一番好きでやってきた音楽に直接関わるというのは何となく気が引けるような部分があったので、当時注目の広告関係の仕事を始めました。
−−それで広告代理店に入られたわけですね。その後、電通の契約社員になられていますね。
荒川:最初はいわゆる広告イベントプロダクションで仕事をしていたのですが、その頃、電通との仕事が多かったんですね。そして92年頃、電通のとある営業セクションから「一緒にやらないか」と声がかかり、契約社員という形で仕事をするようになったんです。その頃、バブル経済は崩壊していたんですが、企業がコンサートの冠協賛をするとか、そういうケースがまだあったんですね。私は三菱電機さんの担当として、「三菱電機スーパーセレクション」という冠イベントを筆頭にしたイベント企画を広告代理店の立場からサポートさせてもらっていました。その時にコンサートやオリジナル・ミュージカルの制作もやったんですが、その現場の多くをディスクガレージの関連会社であるプロマックスという会社とやっていたんです。それで、これはたまたまだったんですが、プロマックスは坂本龍一のコンサートの企画・制作を全部やっていた会社なんです。
−−つまりプロマックスは、中学時代の憧れの人のコンサートを一手に引き受けていた会社だったと。
荒川:そうです。「ここ(プロマックス)でやっていたんですね!」という感じだったんです(笑)。それで、ディスクガレージ創業者の市川義夫氏と、キョードー東京出身の遠山豊氏という2人が当時のプロマックスの代表で、その2人からプロマックスに誘ってもらいました。でもその頃は電通の仕事も面白くなってきていたこともあって、正直言って音楽業界に飛び込むことに躊躇がありました。そんなある時、ファイブ・ディーの佐藤剛さんも含めた食事会があったんですが、その時に剛さんから「音楽業界は音楽のことが誰よりも好きで、誰よりも詳しい人間というのは山ほどいるし、センスの良い奴も悪い奴もいる。だけど、これからは音楽業界の村の中だけで全てを考えているわけにもいかない。そういうための外との繋がりというのは、これまでも色々試行してきているけど、これからは益々重要になってくる。荒川君は音楽のこともよくわかっているし、なおかつメーカーの人とのビジネス的付き合い方や企画の持っていき方もわかってる。その両方がわかっている人というのは意外と少なくて、これからの音楽業界はその両方を兼ね備えている人間が必要なんだよ。だから一緒にやろう」と言われたんですね。その言葉が音楽業界に飛び込む決め手になりました。
2. インターネットライブの衝撃〜坂本龍一の影響力
−−プロマックスに移られたのはいつ頃ですか?
荒川:’95年です。そして坂本龍一のコンサートの企画・制作をお手伝いさせて頂くようになり、’95年秋に「三菱電機スーパーセレクション」で坂本龍一のコンサートツアー「D&L」をやったんですね。そしてそのツアーの中で「11月30日の武道館ライブをインターネットで世界に配信しよう」という企画がアーティストを中心として持ち上がり、実現に向けて動き出したわけです。当時の世界のネットワークの背骨にあたる「Mボーン」を使って大規模に行われるインターネットライブはローリング・ストーンズに次いで世界で二例目、日本では初めての試みでした。
私はそのインターネットライブにすごい衝撃を受けたんです。その企画実現のために、当時のマイクロソフト株式会社の古川会長や、日本のインターネットの父と呼ばれる慶応大学教授の村井純先生というトップクラスの方々をはじめとしたたいへん多くの方々にボランティアベースで集まって頂いたんですが、まずそのミーティングの内容が何一つわからないことに最初の衝撃がありました(笑)。そして徐々にわかり始めたものの結局全貌を把握しきれないうちに当日を迎えました。そして実際に臨時電話の線を通じて映像が流れたんです。その時に「今まで放送局にしかできなかったことが、全然違う概念と技術・コンディションでできる時代が本当に来たんだ」と強く思ったんですね。
−−その当時のインターネットライブはどのような感じだったんですか?
荒川:画面サイズなんて本当に小さくて、映像も秒1コマ動くか、動かないかくらいですね。そして音声は短波ラジオにも及ばないくらいのものでした。でも、自分のパソコンの中で動いていること自体が、すごく衝撃的だったんですね。その後、坂本龍一のライブとなると必ず「インターネット技術をコンサートの周辺でどのように使うか?」ということをテーマのひとつに掲げてやってきたんですが、1、2年の間に技術やインフラの急速な進歩を実感しました。そんな中で、自分の興味も新しい技術だったり世界の配信ビジネス動向などに目が向いていきましたので、いわゆるデジタル・ディストリビューションによって、音楽産業の有り様がどう変わっていくかということに関して、比較的早い段階から意識的に考えていたと思います。
−−まさにインターネットの力を現場で実感されたわけですね。
荒川:そうですね。’95年のインターネットライブが終わった時に、NHKがテレビ放送の最初に”いろは”の”い”の字を放送したのに引っかけて、「今日がインターネット放送における”いろは”の”い”を送った日だよね」とみんなで言っていました。その日にたまたま居合わせたことが、今に至る最初のきっかけだったのかな? と思います。
−−間違いなく時代はそっちへ動いているわけですから、素晴らしい目の付け所ですよね。
荒川:いや、偶然の巡り合わせだと思います。
−−でも、憧れであった坂本龍一さんと、そういう形でお仕事を一緒にできたというのもラッキーですよね。
荒川:まさかそんな憧れの人と直接話ができるとも思っていませんでしたけれど、仕事となるとやはりその緊張感たるや生半可なものではありません。でも、坂本龍一というアーティストが持っている独特の嗅覚と言いますか、センスが、明らかに普通の人や世間の2、3年先を行っているんですね。それを比較的身近なところで感じられたというのは、すごく大きいかなと思います。例えばこのインターネットというものも、’95年の段階では、まだコンピューターに詳しい人のオモチャと言いますか、一般的ではなかったんですね。そんなときに時代を先取りして自分の創作活動に貪欲に取り組んでゆく、そのアーティストの持つパワーには圧倒されました。
−−まだ「パソコン通信」なんて言われていた時代ですね。
荒川:パソコン通信が崩壊するなんて誰も思っていない時代に、「これからはインターネットだ」と言ったのも坂本龍一ですし、現在非常に大きな話題となっている環境問題に対しても何年も前から訴えていました。単に音楽だとか、アートに対する嗅覚だけではなく、社会全般に対するものも含めて、ちょっと特殊な人だなと思いましたし、その人の近くにいられたという影響は大きかったですね。
−−そして、いよいよJRCの代表取締役に就任されるわけですが、きっかけはなんだったのですか?
荒川:まず、先ほどお話しした「仲介業務法」改正時に、フォーライフの後藤由多加社長が、「色々な情報を僕たちに提供してくれ」と勉強会に誘って下さったんですね。
−−それは坂本龍一さんのインターネットライブの経験を見込まれてということですか?
荒川:そうですね、それもあったかもしれません。あと、’98年、’99年頃に「デジタル時代においてレコードメーカーはどのようにあるべきか?」ということに関するレコード協会のワーキング・グループに参加していましたので、そこで積ませて頂いた経験を後藤社長から評価頂いたということだと思います。
そして、’00年の11月に実際に法律が改正になりました。それまでは私的な勉強会だったんですが、これからは自分たちがリスクを背負い、責任の在処を明確にした上で飛び込んでいこうということになり、最初に集まったメンバーが1社あたり100万円ずつ持ち寄って、資本金1,200万円で’00年12月にJRCを設立しました。
−−そして、集まったメンバーの方々から信任をされて、荒川さんはJRCの代表になられたわけですね。
荒川:信任されたというより、そうですね・・・単に最初は消去法だったのかもしれませんね。その勉強会の場にいたのは各プロダクションの社長たちばかりでしたから現実的に考えてそれらの中から人選して新しい事業を立ち上げるのは難しい、と。でも、客観的に見ると、私がその勉強会の際に適切な情報提供や分析をしていたことが評価された部分もあったかもしれませんね。
−−その若さで「お前しかいない」と託されたわけですから、大変信頼を置かれていたわけですよね。
荒川:変な話ですが、私が今やっているのは著作権管理事業ということですから、著作権のプロ中のプロであるはずなんですが、ざっと過去を振り返ってみても、私は一回も音楽出版社のような著作権に直接接点を持った仕事をやったことがなかったんです。
−−どちらかというとイベント関連と言いますか、広告関連でいらっしゃいますものね。
荒川:そうなんです。ですから、発起人のみなさんから「お前がやってくれ」と言われたときに、最初は「いや、できませんよ」という感じだったんですよ(笑)。ただ、「やってみようかな」と思ったのは、それまでの環境がドラスティックに変わっていくのだとしたら、過去の有り様を中途半端に知っているよりも、かえっていいのかもしれないな、と前向きに考えたからなんですね。ネットの有り様や技術的な問題と、音楽の有り様、アーティストの考え方やビジネスのスキームだったり、私の場合はどれをとってもプロではないんですが、それ故にできることってあるのかもしれないなと思ってその役目を引き受け、そこから色々な方々のお話を伺い、勉強させて頂きました。
−−結構猛勉強なさったんですか?
荒川:そうですね。著作権法もその時初めて読んだくらいでしたから。会社を作ってから1年間というのは、常に勉強を続けてという感じでした。特に役に立ったのは、著作権事業者としての核を作り上げる際に、プロダクションの出版管理や契約を担当されている複数の方に参加していただいてワーキンググループを作ったのですが、そこでまさに「生きた情報」の交換やディスカッションをさせてもらったことだったと思います。
3. 重要なのは「作品との距離感」
−−JRCを立ち上げられて、現状はどのような感じなのでしょうか?
荒川:経営的な部分で言えば、正直言ってまだまだ悪戦苦闘中という状況なんですが、成り立ち自体が先ほどお話しさせて頂いたように、プロダクションが主体ということもあって、各プロダクションが持っているアーティストの情報や、音源そのものを上手く活用できるような場を作ろうと、JRCの子会社としてグローバル・プラスという会社を設立しました。そこが比較的上手く回り始めているので、それを含めて見るとようやく上昇気流に乗れるきっかけを掴み始めたかな? というところまで来ていると思います。
そして、JRCの音楽管理事業者としての有りようはどうなのかと考えると、これは我々の努力不足、営業不足も含めてなんですが、認知度が非常に低いレベルに留まってしまっています。これに関しては非常に強く反省しているんですが、慎重に丁寧にやりすぎてしまっているのかもしれないな、と感じているんです。逆に言えば今年、来年というのは、我々の会社はこういうことをやっているんだ、ということを積極的に広くわかりやすく説明し、権利者の皆さんに対して我々と一緒にやるとこういうメリットがあるんだという部分をもっと明確に出していかなくてはいけないと考えております。
−−JRCが契約の対象にしているのは法人だけなのでしょうか?
荒川:JRCは色々な意味においてアーティストをサポートし共同作業を行っていくという立場の人間が集まって作られたので、我々が契約をする対象は、基本的にマネージメントや音楽出版社といった法人単位なんですね。ですので、個人の作家さんからの直接の受託というのはしていないんです。
−−それは個人からの契約は受け付けないということなんですか?
荒川:決して今後も受け付けないということではありませんが、スタート時点がそうだったのと今までの経緯から、今のところ法人100%なんです。
−−JRCは著作権に対して、どのようなスタンスをとっているのですか?
荒川:我々は、著作権というものはまずはシンプルに「独立した権利である」と捉えるべきだと考えています。例えばAさんという人が作詞・作曲をしてAさんが歌った場合と、Aさんが作詞・作曲をしたものをBさんが歌った場合があったとしたら、著作権の使われ方としては同じはずです。だとしたら原則としてどのような場合でも平等に扱おうと。でも、感覚として、「自分で作って、自分で歌っているのに、何で他のところに金を払わなくてはいけないんだ」と強く思っていらっしゃる方は多いと思うんですね。
−−確かにそう思うのもわかりますよね。
荒川:そのことを全く否定するつもりはないんですが、こういう場合だったら無料で使えて、こういう場合だったらちゃんとお金を払うんだよということを明確にしておかないと、著作権という公共財的側面をもつはずのものが個人レベルから脱却できないと思うんです。新しい作品は必ずや過去の偉大な音楽を聴いた経験の中から生まれているはず。著作権は個人の権利でもあると同時にそういった側面もあるはずですから、その視点は原則として忘れてはならないと思います。
インディーズでは自分で作って、自分で歌って終わりということが多いですから、現実的には自分で使う場合には使用料は無料にしたいと考えるヒトがたいへん多い。そうなんでしょうけど、いわゆる「メジャーシーン」というところで考えてみると・・・。我々のところに多くの作品の著作権管理を委託してくださっているスピッツを例に取りますと、草野正宗という作詞・作曲ともに秀でた才能を持っている作家が、ある曲を作ったとします。その曲を草野正宗がボーカルを担当する「スピッツ」が演奏したそのコトに対して、そしてその演奏を収録した音源そのものに一番の価値があるわけですが、さらにその曲を色々な方が使ってくれることによって、その曲がスピッツを離れても、もっともっと生きていくわけです。商業的な価値と言えば、一番据わりがいいのかもしれませんが、そういったものに対して、作品との距離感はものすごく重要だと思います。
ですから、JRCは自分が作った作品を自分が使う場合でも、お金を払うということを原則にしています。ただ、プロモーション・ユースとして使うなど、作家の思いや著作隣接権者たる音楽出版社の思いとして、「これはフリーでやりたい」という場合は、それらの意向を最大限に尊重して、著作権使用料免除の手続きも可能です。ただ、何でもありではなく、ある程度秩序というものを考えていかなければと思います。
4. ジャパン・ライツ・クリアランスの強み
−−JASRACとJRCとの兼ね合いはどのようになっているのですか?
荒川:我々に預けて頂いている方のほとんどは、録音権とインタラクティブ配信権に関してはJRC、演奏権、出版権、貸与権といったところに関してはJASRACに預けています。
−−つまり、JRCは録音権とインタラクティブ配信権以外は扱っていないということですか?
荒川:そうです。
−−「録音権」とはどのようなものか、ご説明願いたいのですが。
荒川:一般的なのは、CD・レコードに作品を固定・複製するという行為です。あとはビデオグラム=映像と共に固定する、それからゲーム、CM放送・送信用録音、また、映画における最初の録音ですね。そこまでが「録音権」と言われているところです。また、携帯電話で着うた・着メロをダウンロードしたりする場合やインターネットを経由してPCで楽曲を試聴したりダウンロードしたりする場合は、「インタラクティブ配信」という利用形態の範囲の中で処理されます。しかし、ちょっと面白いのは、同じ携帯電話の「着信メロディ」でも携帯電話を買ったときに最初からプリセットされている音源は録音権が働いていて、買った後でダウンロードする音源は「インタラクティブ配信」として処理されるんです。
−−複雑ですね…。でも、どちらもJRCが取り扱っている権利ですから、今の時代には合っているわけですね。
荒川:そうですね。その携帯電話なのですが、人気機種は1機種で200〜300万台軽く行くわけです。つまり、言い方には語弊があるんですが、300万枚売れることがほぼ確実なシングルに近いわけですから、プリセットされた音源の著作権使用料って結構大きいんです。
−−それは確かに大きいですね。
荒川:我々は著作権者と近しいところにいますので、携帯電話のメーカーさんに対して働きかけをし、実際に4、5機種くらいにJRCで管理している楽曲をプリセットして頂いています。
−−例えば、何が入っているんですか?
荒川:例えばTHE BOOMの『島唄』。これは複数の携帯電話メーカーさんのプリセット音源として、MIDIの着メロや着うた、着信ムービーとして採用していただいています。
−−ちなみに、そのプリセットする楽曲の決定権は誰が持っているんですか?
荒川:ケース・バイ・ケースなんですが、例えば広告を絡めていく場合は、広告宣伝部的なセクションの人がイニシアティブを持ちますし、単純に機種の販促という側面から言うと、工場のトップの人という場合もあります。あるいはプリセットするデータを作って納品するビジネスをなさっている方もいらっしゃいますので、そういうところと組んでプレゼンテーションをしたりもします。
−−やはりそれは重要な仕事の一つなんですかね?
荒川:変な話なんですが、JASRACには絶対にできないことですから、我々に預けたことの非常にわかりやすいメリットになると思います。実際に数字として300万台出るわけですから。
−−現在、JRCでは何曲くらい楽曲管理をしているんですか?
荒川:2,000曲くらいです。すごく少なくて「もっと増やしてゆかなければ」と思っているんですけどね。
−−ただ、少数精鋭で売れる曲が多いわけですよね?
荒川:そういう傾向になっていけばいいなとは思っていますが、これからはもっと視野を広げてゆくことも必要だとも思っています。我々が作り上げた著作権管理システムは、相当高いレベルで完成しており、また管理スタッフのスキルも申し分ないので、これからは色々な人の曲を幅広く数多く預けて頂けるようにしたいですね。
−−先ほどJRCさんの持つメリットについてお話頂きましたが、そのほかにJRCに楽曲を預けることによってどのようなメリットがあるのでしょうか?
荒川:着うたや着メロといったインタラクティブ配信は、多くの配信事業者さんにたくさんの作品を使って頂いているわけですが、権利者としてはその実態を把握する術が非常に限られている状況があります。JRCでは、権利者さんに対して、JRCが管理を受託している楽曲がどの事業者のどのサービスで、どういった状態で、いつ、何回使われたかということに関して、詳細なデータを作成し、3ヶ月に1度、著作権使用料をお支払いする際にお渡ししています。インタラクティブ配信の著作権使用実績報告において、明細をそこまで出しているところは、弊社だけだと思います。
これは「私たちはしっかりやっています」というアピールにもなるわけですが、それだけでなく、権利者側の立場に立ってみると、そのデータを色々と活用できるはずなんですね。例えば、紙だけで明細をお渡ししたとしたら、紙に付箋や丸を付けて…みたいなことが必要なんでしょうが、データだったら作家ごとにソートをして別の形に加工したり、カテゴリー別で見てみるとか、お渡ししたデータを二次的に上手く使って頂ける・・・それが、我々にとって一番の目的です。
もう一つは、データが3ヶ月、3ヶ月とずっと溜まっていくと、当然同じ曲の売り上げがどういう風にカーブしていくのか傾向を見ることができます。これからインタラクティブ配信はマーケットとして大きくなればなるほど、そういうものを持っておくことが権利者さんとしても、重要になってくるのではないか? と思います。
−−そのデータはデジタルのみなんですか?
荒川:いえ、紙をご希望の場合は紙でお渡ししますし、紙とデータということであれば両方お出しします。そこは各権利者さんの事情に合わせて対応します。
−−JRCの一番のメリットは、ビジネス・データをいかようにも提供できるというところなわけですね。
荒川:そこが一番大きいですね。あと、積極的に謳っているわけではないんですが、3年以上この仕事をやらせて頂いていると、直接著作権に関係のない契約周りの相談などが持ち込まれることがあるんですね。それらに対して私たちがご協力できることであれば、最大限にやらせて頂いておりますが、そういった点についても評価して頂いていると思います。
−−昔は全部の権利をJASRACに丸投げしていたわけですが、丸投げされた過去の曲も、JRCさんに預けることは可能なのでしょうか?
荒川:JASRACが「著作権等管理事業法」というスキームに則って管理をスタートしたのは’02年4月で、我々もそれに合わせて開業しているんですが、その時点において、すべての支分権がJASRACにあるとなっていた作品は、そこから5年間は動かしてはいけないとされたんですね。厳密に言えば、動かしてもいいんですが、万が一外に出ていって、何かあったとしてもJASRACには戻れませんよというような約款改正をしたんです。で、’02年4月から5年間なので、’07年3月末までがその期間なのですが、’07年4月1日以降、’02年3月以前のものの支分権を変えたい人は、’06年9月末までにJASRACに届けを出す必要があり、そうしたら’07年4月1日以降は動かせるんです。
−−ということは、JRCにとっての最大のビジネスチャンスが来年の9月までの間ということになるわけですね。
荒川:そうです。ですから今年の下期からは、色々な形で表に出ていこうと考えています。
−−例えば、来年の9月までにJASRACに届けを出さなければ、契約は自動的に更新されてしまうんですか?
荒川:そうですね。
−−もし、JRCや競合他社の(株)イーライセンスができていなかったら、どのようになっていたとお考えでしょうか?
荒川:私の立場でそのご質問にお応えするのは大変難しいのですが、よく聞くのが、私たちが参入していったことによって、JASRACの対応がお役所然としたものから、柔軟になってきたということですね。私はJASRACともいい関係を保って、今このビジネスをやっているつもりなんですが、JASRACの内部の人からも同じことを言われます。ただそれは、私たちのような民間の事業者が、まだJASRACの足下を脅かすほどの存在になっていないから、それだけ余裕の発言があるという裏返しでもあるので、そろそろ焦って欲しいなと思いますが(笑)、そのためにもしっかりやっていかなければなりませんね。
5. 重要な命題を突きつけられた日〜iTunes Music Store上陸
−−ところで、今日(8月4日)は偶然にも「iTunes Music Store」(iTMS)オープンの日となったわけですが、iTMSのお披露目はどんな感じでしたか?
荒川:午前中は東京国際フォーラムで、スティーブ・ジョブスがプレゼンテーションをしたんですが、その中でiTMSのオープンの発表をして、ダウンロードのデモンストレーションを見せていました。それで先週FUJI ROCKに出演していたBECKが出てきて、アコギで2曲演奏しました。午後はiTunes株式会社という新会社ができたので、そこのスタッフのお披露目や懇親会がありまして、そのパーティーで糟谷さんや中村伊知哉さんにもお会いしました。
−−盛大なお披露目だったんですね。
荒川:すごかったですね。国際フォーラムにはメディアや音楽業界関係者を中心に、そうとうたくさんの方が来ていました。その後の懇親会にはレコード・メーカーやレーベルを中心とした音楽業界関係者とiTunesチームの顔合わせで、200人以上いたと思います。
−−今日iTMSがオープンし、配信ビジネスもいよいよ本格的になっていくと思うんですが、パッケージとノン・パッケージの行方について、荒川さんはどのようにお考えですか?
荒川:広い意味でパッケージとノン・パッケージを語っていくと、パッケージが減っていくかどうかは、これからレコード・メーカーが価格の点であったり、サービスや企画などといった部分で対応してくるでしょうから、今の状態のまま減り続けるということは無いんでしょうが、音楽販売全体に占めるノン・パッケージのシェアが上がってゆくということだけは間違いないと思っています。
そして、もしかしたらノン・パッケージのシェアが、ここ数年のうちにパッケージと肩を並べるくらいにきても、追い越してしまってもおかしくないんじゃないかとも思っています。そうなると、ある意味アイディアの勝負になってくるんだろうなと思うんですね。例えば、ノン・パッケージの企画に関して言えば、iTMSでも発表されていますし我々も実は色々と仕掛けているんですが、ノン・パッケージでしか手に入らない音源の配信や、音源を買ったときにエクストラ・トラックとして映像を付けるとか、ノン・パッケージならではのものが出てくると、もっと活性化していくのではないかと思いますね。
−−ノン・パッケージの付加価値を付けるということですね。
荒川:そうですね。それと同時にiTMSを俯瞰して見てみると、あの圧倒的なアーカイブの中で、自由自在に検索とダウンロードをし、組み合わせてプレイリストを作ることができるということが、今までにはほとんど実現しなかったという意味も含めて、音楽の捉えよう・楽しみ方として面白いと思いますね。
今日発表になったiTMSの目玉の一つが、ローリング・ストーンズの初期音源を含めた既発表楽曲の全てを、初めてダウンロードできるようになったということなんですが、そのことについて、今日とあるレーベルの方と色々話したんです。もうすでにLPで持っているストーンズのアルバムを、今さらCDで買おうとは思わないけど、あのLPに入っているこの曲とこの曲、という感じに20曲くらいのマイベストが作れるiTMSはいいということなんですね。これは「あの曲が欲しい」という能動的な行為なので、比較的受身の音楽ファンにはハードルが高いのかもしれませんが、そういうところで旧譜の活性化が図られたり、アーティストの再発見といったことに繋がってゆくと、売れ線がバーッと展開された物理的なリテール・ストアとは違う部分が明確になって、パッケージ・ノンパッケージの双方を含めた音楽マーケット全体がすごく面白くなっていくんだろうなという感じがします。
−−「楽しさ」ということであれば、圧倒的ですよね。
荒川:音楽は趣味性の高いものですし、雰囲気だったり勢いといった目に見えない要素がすごく重要だと思うんですね。私がiTMSのオープンである今日という日をどう捉えているかと言いますと、正直まだピンときてはいないんですが、中身や価格はとりあえず置いておいても、「あのiTMSというものが日本に来たぜ! 」というこの勢いはすごく感じますし、インパクトがあると思います。
−−黒船来襲くらいの衝撃がありますからね。
荒川:話は少し逸れるんですが、コピーコントロールCD(CCCD)というものがありますよね。あれが重要・必要なのかどうかは、依って立つ位置によって、色々な考え方があったと思うんですが、こと音楽ファン、リスナー、ユーザーからすると「あんなもの駄目だ」という想いを抱いた人が多かったと思います。対して、権利者側としては「いや、だけど権利侵害に対する措置は絶対に必要…」という、大袈裟に言えば「対立構造」があったわけです。おそらくこういった心理的な対立は、今までもLPからCD、あるいはVHSかベータかといった規格や新技術が出てくるたびに、必ずどこかであったはずなんですが、その対立軸が今まではあまりよく見えなかったと。
でも、CCCDに関しては、ネット上のコミュニティの拡がりによって、対立構造やアンチCCCDという塊が見えたわけですね。そうなったときに、変な話ですが「あのアーティストはCCCDで出さなかったからリスペクトするけど、あいつはCCCDで出したから買わない」という音楽以前のところと言いますか、ある意味気分的な要素が強かったんですね。
−−感情的なものですね(笑)。
荒川:その要素がすごくあって、しかも対立構造が目に見えたから体制を覆すくらいまでの勢いがあったわけです。iTMSを見たときに、今日、全てのレコードメーカーや音楽業界関係者が拍手をもって、日本に迎え入れたかというとそんなことはないわけです。幾つかのメーカー等は「本当に黒船が来たな」という感じで見ていて、「これからどう付き合っていくか、様子を見てみよう」というところがあるんだと思います。
今日音楽ファンは学校や職場でiTMSのオープンを知って、家に帰ったら色々と検索するんでしょうが、やったときに「あれ? この曲ないの?」ということが、きっと顕在化してきます。その時に、「CCCDで出しているメーカーは駄目だ!」と平気で言う人がいたのと同じように、「iTMSに曲を出していないメーカーってどういうことだよ!」というようなことが仮に起きてきたとすると、その意見や考え方がどのように振れるかだと思うんですよね。つまり、iTMSは始まったけど、「欲しいものがない」と言って、iTMS自体から離れる≒配信自体から離れるのか、もしくはメーカー側が「こんなにユーザーの声が高まってきたら、うちも出さないわけにはいかないよな」ということになって、配信がもっと活性化していくのか…。そういう意味で、ものすごく重要な命題を突きつけられた日と言えるのかなと思いますね。
−−では、JRCとしてiTMS上陸をどのように捉えていますか?
荒川:今までやってきたことが生かせる状況にはなっていると思いますが、意外と冷静ですね。JRCみたいな立場はどこかで「のめり込んではいけない」と言いますか、全ての方々と等距離でなくてはならないんですね。権利者さんもそうですし、ユーザーさんともそうなんですが、半歩引いたところで物事を判断しなければいけないという宿命を持っていると思うんです。そういう考え方の癖がついているのか、今日の状況を見ても、すごく冷静に客観的にしか見ていない感じなんですね。例えば、「ここは今後、こういう問題が出てくるんじゃないだろうか?」とか、「あそこはこうした方がいいんじゃないか?」とか、そういうことが見えてきてしまうんです。
−−確かに著作権管理事業者というお立場だと、あまり儲けてもいけないような部分がありますよね。
荒川:そうですね。JRCを設立する時からよく話しているんですが、もし仮にJRCの事業展開がうまくいった場合にはその利益を権利者に再分配などの方法で還元してゆくという考え方を常に持っていないといけないと思っています。
話は少し遡ってしまいますが、先ほど’98年、’99年にレコード協会のワーキング・グループに参加していたとお話ししましたが、そこでの出来事が今でも私の大きな財産になっているんです。当時レコード協会が中心になって、音源を配信していくときの全てのデータが集まっている巨大なデータベースを作ろうという構想があったんですね。それは、音源然り、付随したメタデータ然り、そういったものが全てそこにはあり、そこから色々な配信事業者に対して情報を提供したり配信の許諾をしていく「総合音楽データベース」というものを作るワーキング・グループだったんです。そのために、当時の通産省の補正予算から補助金をもらい、相当大きなプロジェクト・チームで研究開発をやったんです。
そこでは、メジャーというところに限らず、インディーズレーベルであっても、「そこに参加したい」と表明すれば参加できるシステムとルール作りをやったんですが、その時に、音源の在り方や音源に紐つくメタデータの在り方であったり、許諾していくときのルールであったりだとか、徹底的に考え抜いてきました。もう7年も前の話なんですが、今になっても、その時の考え方は古びていないんですね。ただし最終的にこのプロジェクトは、色々な事情によって当初の思惑とは若干違う形で落ち着いたんですが・・・。
−−もし、当初の予定通りに完成していたら、そのデータベースは上手くいったんでしょうか?
荒川:上手くいったか、いかなかったかは本当に五分五分だと思います。世界的に見てもその時期は配信の黎明期で、例えば米国ではIBMが中心になって、幾つかのメジャーレコードメーカーに声をかけて、配信の実験プロジェクトを立ち上げたりし始めたばかりの頃でした。それはどちらかというと業界・産業全体をまとめてゆくということよりも、あくまでも自分たちのビジネスのためにという部分がすごくあったんですね。でも、そういう世界の流れの中において、日本のレコード協会が「総合音楽データベース」というプロジェクトでやろうとしたことは、ある種「公共に資する」という面を強く持っていたので、そこが上手く貫けて行ければ、成功していた可能性は結構あったかもしれませんね。
6. 今こそ著作権法を見直す時期!
−−現行の著作権法に対してどのようなご意見をお持ちでしょうか?
荒川:新しいデバイス、メディアが出てきたときの対応の有り様・・・それは成功もあったかもしれないし、失敗もあったかもしれませんが、その対応に色々な歪みが出てきたりもしかしたらある意味で限界に来ている、その原因の一つとして、著作権法の存在が挙げられると思いますが、私としてはそれを完全に見直す時期に来ているんじゃないかな? と思います。これは半年、1年というタームでできることではないですし、法改正というのは大変な話ですが、時間をかけて変わっていくべきなんだろうなと思います。
−−例えば、「新しい著作権法はこうあるべき」というお考えはお持ちでしょうか?
荒川:現行の著作権法の背景には、例えば音楽産業の視点で見ると「音楽をレコードにして、レコードを全国に対して何万枚、何十万枚という単位で頒布することが、個人レベルや小さな資本レベルでできるはずがない」という前提があると思うんですね。これは極論なんですが、デジタル技術の進歩と浸透によって、パソコンを買えば、「誰しもがCD工場と流通網を手にした」ぐらいの言い方ができるわけです。数十年前は3社とか5社しかできなかったことが、今は誰でもできると。
「コピーライト」という英単語自体がある意味で象徴的なんですが、「複製する権利・複製物の権利」なわけで、それが重要だとされている。でも、その「コピー」が一昔前からは考えられなかったレベルで手軽に、それも「コピー」ではなくて「クローン」ができるわけです。そうなると「コピーライト」という概念のところから考え直さない限りは、絶対どこかで歪みが出てきます。
−−すでに歪みは出ていますものね。
荒川:ある意味、限界にきているんですよね。制度疲労を起こしている。そこに手を付けない限りは、新しいものが出てくるたびに問題が出てくる。著作権法も改正を繰り返していますが、改正を繰り返すうちに本体自体がわからなくなってしまっている状況は、何とかしないといけないと思いますね。
−−そこら辺の旗振りは誰がやるべきなんでしょうか?
荒川:どうなんでしょうね。
−−荒川さんがやったらどうなんでしょうか? まさにそういうところから運動していくべきではないかと思うのですが。
荒川:そうですね。これはたまたまなのですが、去年から文化庁の「著作権審議会」の中の「契約・流通小委員会」に参加させて頂いています。そこは文化庁長官の諮問機関として、大学の先生や弁護士の先生や権利団体の代表者の方々が集まり、著作権全般を取り巻く色々な問題について討議しているんですが、もっと色々な人が参加できて、柔軟な体制ができてくると面白いなと思っています。その中で私に何ができるか、今は本当によくわかりませんが、もっと積極的に参加していこうと思っています。
−−あと例えば、プロダクションというシステム自体も変わる可能性もありますよね。
荒川:そうですね。そういったシステムも冷静に見直さなくてはならないのかもしれないと思いますね。私たちが今どこまでお力になれているのか、わからないんですが、JRCの子会社のグローバル・プラスでは、携帯電話でアーティストの公式サイトやモバイル・ファンクラブ的なサイトをやったり、そのサイト上で、着うた・着ムービーの配信やモバイルを使ったチケットの販売、グッズの販売というようなことをやっているんですね。各プロダクションが、各アーティスト単位でそれぞれ携帯電話の公式サイトを持てるかといったら、ほとんどの場合持てないし、持ったとしても維持することはすごく大変なので、そういった面倒臭いことは、我々がプラットフォームを用意するので、そこに乗ってください、ということをやっているんです。
実はJRCもそういうふうになっていったらいいなと思っています。つまり「あそこに預けておけば、著作権のことを忘れていても安心だ」となれば、プロダクションはもっと「コンテンツやプロダクツを生み出す集合体」として、クリエイティビティをより発揮する方向に特化できるのではないか? と思っているんです。
−−つまり人手と手間がかかることは任せて、その分本来の業務に専念できると。
荒川:そうですね。例えばiTMSであれば、ある程度の活動実績があるレーベルであればAppleと契約できますし、配信することも可能なんですが、音源やメタデータをアップロードしたり、それを管理したりということを本気でやるとしたら、それなりに手がかかるわけです。かといって、アーティストが直接配信できるからプロダクションはいらないということではなくて、そういうことをサポートするスキルを持っている、あるいはそういった情報に対するアーティストの疑問に即座に回答できる知識を持つプロダクションは必要だと思います。でも、その全てをプロダクションに求めるのはもしかしたら酷なのかもしれません。そんな中、JRCがそのバックエンドとして色々な引き出しや、プラットフォームを持っている立場になっていけるとしたら、音楽業界全体にとって、小さいけれど意味のあることになってゆけるのではないかと思っています。
−−本日はお忙しい中、ありがとうございました。JRC並びにグローバル・プラスの益々のご発展をお祈りしております。
(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也/山浦正彦)
錚々たるメンバーからの信任を受け、JRCの代表になられた荒川氏は、想像以上にお若くビックリしてしまいましたが、お話を伺う中で、氏の幅広い知識や冷静な分析力を垣間見ることができました。また、どこかに偏るわけでもなく、あらゆる物事に対して等距離で接する荒川氏のようなバランス感覚は、今後の音楽業界に必要な部分なのでは? とも思いました。音楽配信が本格化しつつある状況の中で、民間の著作権管理事業者としてのJRCと、プロダクションの強力なバックエンドを目指すグローバル・プラスの今後に期待大です。
さて次回は、THE BOOM、中村一義、ハナレグミら個性派アーティストを擁するファイブ・ディー(株)代表取締役 佐藤 剛氏です。お楽しみに!