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第80回 岡部 比呂男 氏 ヤマハ株式会社 取締役 常務執行役員 楽器事業統括

インタビュー リレーインタビュー

岡部 比呂男 氏
岡部 比呂男 氏

ヤマハ株式会社 取締役 常務執行役員 楽器事業統括

今回の「Musicman’s RELAY」は中村紘子さんからのご紹介で、ヤマハ株式会社の岡部比呂男さんです。学生時代にトランペットに魅了され、東京大学へ進学後も精密機械工学を学びながら音楽漬けの日々を送られた岡部さん。大学を卒業後、音楽と精密機械工学の両方が活かせるということで’74年にヤマハ株式会社へ入社し、管楽器開発チームの一員として当時プロ奏者の間ではあまり評価されていなかったというヤマハの管楽器を現在の品質まで向上させる足掛かりをつくりました。その後、東京・銀座のヤマハ管楽器アトリエにて数々のアーティストとのコラボレーションに携わり、’87年には楽器制作の本場であるドイツ、そしてイギリスに渡り世界中のアーティストを技術者として裏側から支えました。帰国後は執行役員、取締役などを歴任され、現在は取締役常務執行役員・楽器事業統括に就任されている岡部さんにヤマハの歴史や楽器業界について伺いました。

[2009年5月15日 / 港区高輪 ヤマハ株式会社にて]

プロフィール
岡部 比呂男(おかべ・ひろお)
ヤマハ株式会社 取締役 常務執行役員 楽器事業統括


昭和26年11月15日生

昭和49年 3月 東京大学工学部精密機械工学科 卒業
昭和49年 4月 日本楽器製造株式会社(現 ヤマハ株式会社)入社
平成10年 8月 ヤマハ株式会社管・教育楽器事業部副事業部長
平成12年 4月 同 管・教育楽器事業部長
平成15年 6月 同 執行役員
平成15年11月 同 楽器事業本部副本部長
平成18年 6月 同 取締役
平成19年 6月 同 取締役常務執行役員 現在に至る
平成19年 6月 同 楽器事業統括 現在に至る

 

    1. トランペット漬けの学生時代
    2. ヤマハの管楽器開発者としての充実した日々
    3. プロの世界でシェアをナンバーワンに
    4. 海外と日本のオーケストラの大きな違い
    5. はじけられないブランドイメージを払拭したい
    6. 中国市場の可能性
    7. トップアーティストが満足する品質を目指したい

 

1. トランペット漬けの学生時代

--今回は中村紘子さんからのご紹介ですが、中村さんと出会われたきっかけは?

岡部:私がトランペット奏者として参加していたアマチュア・オーケストラ、浜松交響楽団の定期演奏会のソリストとして中村さんにおいでいただくことになり、リハーサルでお会いしたのが最初です。そのとき私はまだ管楽器の仕事をしておりまして、その後、自分がピアノの仕事をするとは思っていなかったものですから、純粋にオーケストラの一団員とゲスト・ソリストという形でお会いしたんです。

--そのときの中村さんのご印象は?

岡部:中村さんは昔からあまりにも有名な方でしたし、中村さんがコンクールの審査委員長として世に送り出した若いピアニストも沢山知っていましたから、こんなこと言うと怒られてしまうかもしれませんが、前の世代の巨匠だと思っていたんです。ですが間近で演奏を聴いた瞬間、全然そんなことはなくて、カリスマ性のある本当にすごい演奏家だな、というのが第一印象でした。

--ビッグネームに違わぬ実力だと。

岡部:ええ。圧倒されました。現在の中村さんはさらに円熟味を増したと言いますか、素晴らしい演奏をされていますよね。

--中村さんとはミュージシャン同士として出会われたということになりますね(笑)。

岡部:そうですね(笑)。最近私がピアノ事業も担当するようになりまして、浜松市が中村さんを審査委員長・音楽監督に迎えて開催している「浜松国際ピアノコンクール」や、「浜松国際ピアノアカデミー」を、ヤマハも地元企業として後援し、色々なお手伝いをしたことがきっかけで、中村さんと親しくお話をさせて頂く機会が増えました。

--ここからは岡部さんご自身についてお伺いしたいのですが、ご出身は茨城の日立市で、高校卒業までブラスバンド漬けの日々を過ごされていたそうですね。

岡部:もともと音楽は好きだったのですが、習いごとといえばあってもそろばんぐらい、というような田舎でしたので、音楽教室ももちろんなく独学で演奏していました。

--ヤマハ音楽教室に通われていたというわけではないのですね(笑)。

岡部:そうですね。当時、日本鉱業日立という会社のブラスバンドがわりと上手で、その演奏を色々な機会に聴いていて「ああ、いいなぁ」と思いまして、それで中学でブラスバンド部に入部してトランペットを演奏していました。

--最初からトランペットを?

岡部:いえ。最初はフルートをやりたくて入ったんですが、フルートはもう満席でトランペットも満席で、ユーフォニアムという、トランペットとチューバとの間ぐらいの楽器が空いていたのでそれをやることになりました。それから1年間ユーフォニアムをやりまして、先輩が卒業して抜けていったことをきっかけにトランペットを始めたのが中学2年のときですね。それ以来ずっと吹いています。

--もともとクラシックがお好きだったんですか?

岡部:ええ。トランペットが好きというよりも、クラシック音楽、特にオーケストラ曲が好きでしたので、大学では迷わずオーケストラに入りました。

--東京大学工学部に入学されたんですね。大変な秀才ですね。

岡部:いえいえ。その当時は学園紛争が盛んな頃で、東大の安田講堂が占拠されたりしていましたので、私が受ける前の年には試験ができなくて入学者がいなかったんです。私が入った頃も民青と全共闘が学内で闘っていたのですが、私はそれを眺めながら屋上でトランペットを練習したりしていて、ひどいノンポリでしたね(笑)。

--(笑)。政治的なことにはあまり興味がなかったんですね。

岡部:今にして思うと、真面目にもっと色々考えるべきだったんだろうなとは思いますけども、他にやりたいことがあったものですから。

--そのやりたかったことが音楽だったと。中・高・大と音楽漬けの日々だったのですね。

岡部:そうですね。とくに大学に入ってからはろくに勉強もせずトランペットばかり吹いていました。最近オーケストラを引退されましたけど、新日本フィルの大倉滋夫先生が師匠です。私が大学1年のときに、大倉先生は東京芸大の4年生か卒業して1年目ぐらいだったと思うんですが、日本音楽コンクールで優勝されたんですね。本当に上手な方でしたので紹介してもらって弟子になったんです。

--そのときに音楽家として生きていこうとは考えていなかったのですか?

岡部:それは考えなかったですね。アマチュアとしてそれなりに吹いていましたけど、プロになるほど上手ではなかったので。それにプロは大変だろうと思っていましたから(笑)。それで大学院に進むつもりもありませんでしたから就職をすることにしたんです。専攻が精密機械工学だったので、それも活かせて音楽も活かせるというところを探していたら、ちょうど日本楽器(現在のヤマハ)の求人がきていたので。それに、当時、日本楽器の管楽器部門の部長だった方が精密機械工学科の先輩だったのでお会いしましたところ「それならぜひおいでよ」と言っていただいて入社することになりました。

 

2. ヤマハの管楽器開発者としての充実した日々

--入社された当時のヤマハの状況はどのような感じだったのですか?

岡部:音楽教室も全国にありましたし、楽器の会社としてはもちろん大きな会社でしたね。

--すでに超一流の会社だったのですね。管楽器の分野でも一流だったのですか?

岡部:私がヤマハに入る8年前に初めてヤマハブランドのトランペットを発売したのですが、当初はまだアーティストに使っていただけるクオリティーのものではありませんでした。私が大学に入ったときに、親から入学祝いとして買ってもらったのがヤマハのオーケストラ用のC管トランペットだったのですが、大倉先生のところに持って行ったら「そんな楽器使ってちゃ駄目だ」と言われてしまって、先生が使っていたヴィンセント・バックというアメリカの老舗メーカーのものをおさがりで安く譲っていただいたんです。ヤマハに入社したときもヤマハはまだまだだと自分でも感じていましたので、「バックを超えるブランドにしなくては」と思っていました。

岡部 比呂男1

--その当時の老舗メーカーとの実力差は大きかったんですね。でも今はヤマハの管楽器というと学生からプロまで使われているメーカーですよね。

岡部:そうですね。30年以上同じポリシーで開発してきているので、当時とは比べものにならいほどレベルが上がってきたと思います。

--岡部さんはその第一線でご活躍されていたんですよね。

岡部:昔はそうですね。ですから現在のようなトランペットが完成したことはとても感慨深いですね。バックを譲ってくれた大倉先生にも、私が設計担当になってしばらくして、それなりの出来栄えのトランペットができたときには試奏をお願いしていました。

--恩返しですね。

岡部:当時、先生の楽器をヤマハに変えることはできませんでしたが、少なくとも「ヤマハじゃ駄目だ」とおっしゃっていた評価は変えることができたと思います。

--その当時、岡部さんは楽器の設計を担当されていたのですか?

岡部:ええ。トランペットの開発と申し上げますと皆さん何をするのかピンとこないようで、「形は決まっているし、何をするの?」とよく聞かれますが、我々がやるのは「いい音が出せるようにする」ための開発なんですね。今になって思うと私の30年以上のキャリアの中でも最初の10年が一番充実していたと思います。

--設計を担当されている方は何人もいらっしゃったのですか?

岡部:管楽器全部で15人ぐらいでした。

--やはり楽器も吹けて設計もできるという方ばかりだったのですか?

岡部:設計のメンバーはそういう人ばかりでした。基本的に1楽器1人ずつで、プロのように演奏ができる必要はないですが、プロの言っていることが理解できて、楽器自体のこともわかる人ですね。工場で製品を作る段階に落とし込むまでに演奏家の言葉を何度か技術用語に翻訳をして、その分析をして商品に盛り込むまでの作業をするというのが設計者の一番の仕事です。

--例えば1つのモデルを作るのにどれくらいの時間がかかるのですか?

岡部:製品設計から設備を作ったりというところまで入れると2年ぐらいですね。そこにいくまでに専門家と開発をしていますので、その開発がまとまってきたころにモデルチェンジをして、また次の10年にという感じですね。私が開発したときから、今のモデルまでに3世代ぐらい変わっていますから。

--意外とゆっくりとしたスピードで開発されているんですね。

岡部:電子楽器や、コンピューターなどの進歩から見るとすごくゆっくりですね。それは担当者が1人だったということもありますし、あまりコロコロとモデルを変えても演奏家が慣れるのにも時間がかかりますからね。

--せっかくですからトランペットの歴史について教えていただきたいのですが、トランペットの起源は何だったのですか?

岡部:一番最初まで遡ると、狩猟用や戦争用のラッパですね。そして音楽に使われるようになったのは、バロック音楽の時代です。今から300年ほど前でしょうか。改良されて160年ほど前に今のような形になって、音階がきちんと吹ける楽器になったので、バイオリンなどと比べると比較的新しい楽器ですね。一番新しい管楽器であるサクソフォンができたのもほぼ同じ頃ですし、色々な楽器の革命的なことが起きた時期でもあります。

--楽器自体のルネッサンスもあったんですね。

岡部:ベートーベンの頃ですと、トランペットはドミソしか音が出なかったので、打楽器と同じように使われていたんです。それがワーグナーあたりの時代になると音階が吹けるようになって、古典派からロマン派になる頃の曲を順番に見ていきますと、オーケストラでのトランペットの使われ方が10年単位ぐらいで変わっているんですよね。

--では、基本的にはほとんど完成されている楽器なんですね。

岡部:ええ、楽器自体は本質的にあまり変わっていないんですね。

--岡部さんは開発者としてどんな毎日を過ごされていたのですか?

岡部:開発の人は開発だけやっているわけじゃなく、工場の課題解決や市場クレームの対応まで全てやっていました。最初は検品もやっていましたから。高級モデルを1本1本吹いて、検査してね。

--つまりマイスターのようなことをされていたんですね。

岡部:まさにそうですね。日本にマイスターの制度はないのですが、ドイツのマイスターは、学校の職業コースで勉強をしてきているのでとても実力があります。ちゃんと技術を勉強する期間があって、それも国が支えているんですね。ドイツでそれが成り立っているのはその仕事がきちんとできるマイスターだと、大学を出て、会社のマネジャーになっているような人たちと同じような給料がもらえて、社会的なポジションもあるからです。

 

3. プロの世界でシェアをナンバーワンに

--今の管楽器の市場で、ヤマハのシェアはどれくらいなのですか?

岡部:そうですね、全世界で25%ぐらいです。

--それはプロの世界でですか?

岡部 比呂男2

岡部:いえ、全ての市場でです。プロの方は今でも欧米の専業老舗ブランドの楽器を使ってらっしゃることが多いので。ヤマハはいろんな種類の管楽器を作っていて、競争相手は楽器ごとに異なるのですが、プロの使用率でいくと、ほとんどの楽器でナンバー2またはナンバー3というポジションにあります。

--ナンバーワンの楽器はありますか?

岡部:トランペットとサクソフォンが突き抜けてきています。今、新品で使い始める人の数でいうとヤマハのほうが多いかもしれません。

--値段は他のメーカーと変わらないんですか?

岡部:変わらないです。管楽器は他の楽器に比べると安いんですよ。フルートはちょっと高いですが、トランペットは高額品でも40万円ぐらいで、初中級者向けの弦楽器と同じくらいですね。浜松交響楽団のコンサートマスターのバイオリンの一年間の保険料を聞いたら、私のトランペットの価格と同じぐらいでした(笑)。

--(笑)。木管と金管で違うんですか?

岡部:そうですね。木管楽器のほうが手作りの部分が多くて、その分値段も高いですが、フルートが特に高価なのは、金製や銀製で材料が高価だからです。

--金管楽器も金属の材料によっても音は変わってくるんですよね? 材料の開発はされないのですか?

岡部:楽器産業がそれほど大きいわけではないので楽器用の材料を独自に作りだすことはあまりないですね。ただヤマハには昔、金属事業部があって、当時は社内でいろいろな材料を実験しました。ウィーンフィル用の楽器や、昔の楽器を作るときには今の金属ですと同じような音がしないので、オリジナル楽器の材料を分析して復元したりもしました。

--なるほど。やはりそういった分析や研究をされていたんですね。

岡部:そうですね。私が入った頃は日本自体が今の中国のように、まずは真似をして、そこからどんどんいい物を作って・・・というような時代だったと思います。ですから今のトランペットやサクソフォンのように欧米の一流の楽器と競い合うレベル、あるいはそれを越えたレベルになったときに、次に何を目指すのかというのは難しくなってくると思いますね。

--ピアノのシェアはナンバーワンではないのですか?

岡部:ピアノ全体ではナンバーワンですが、コンサート用のグランドピアノはスタインウェイのピアノが、ホールの持ち物として入っているので難しいですね。ピアニストが他の楽器の演奏者と一番違うのは、自分の楽器を持ち歩けないことなんです。他の楽器は演奏者が気に入れば常時使ってもらえますので、他の老舗ブランドとも対等に勝負ができるんですが、ピアノの場合は本当に気に入って使っていただくとなると、まずはホールに持ち込まないといけないので、それはそれでコストがかかってしまうんですね。楽器としての評価が高まり、使用するピアニストが増えて、ホールのピアノが置き換わっていかないと、本当のナンバーワンになるのは難しいですね。

--やはり高名な演奏家に使ってもらうことが楽器の世界では大切なことなんですね。

岡部:特にアコースティック楽器はそれに尽きますね。我々の世界ではアーティストリレーションがすごく大事なんです。ピアノは中国製の安い楽器から最高級のものまで鍵盤の数は一緒で、高級品ほど多くの機能が付いているわけでもありませんし、トランペットやバイオリンでも高級品と廉価品の形は一緒、という中で、どれが良くてどれが悪いのかというのは初心者ではなかなかわからないんですね。音のちゃんとわかるプロがステージで使って初めて「これはいい楽器」だというのが定着するんですね。

--では、ヤマハのシェアをこれからも伸ばすことが岡部さんにとっても大きな目標となるわけですね。

岡部:そうですね。とは言っても、特定メーカーのシェアが100%になることは現実的では無いですし、それはプレイヤーにとって選択肢が無くなって不幸なことなので、我々は少なくとも演奏家が選んだ3本の指のうちのひとつには必ず入っているような形にしたいですね。もちろんすべての楽器でシェアナンバーワンを目指したいと思います。

 

4. 海外と日本のオーケストラの大きな違い

--ところで岡部さんは海外での生活が長かったそうですね。

岡部:入社して9年ほど浜松にいまして、その後、銀座にあるアトリエという演奏家の楽器を直したり、マウスピースを削ったり、試奏をしたりというような工房に転勤になりまして、金管楽器の担当として4年間を過ごしました。アトリエを開設した頃は、ヤマハの楽器を使っている演奏家はあまりいませんでしたから、他社の楽器を直すことで、こちらの技術も磨いて演奏家の信頼も得ると。それでヤマハの楽器も使ってもらって、演奏家と「ここがまだまだ駄目だね」といった話し合いをしながら楽器のレベルを上げ、同時に演奏家との関係も作るという場所だったんですね。

 フランクフルトにも同じような工房がありまして、やはりヨーロッパは管楽器のメッカですから、そこに希望を出して行かせてもらったんです。赴任したのが35歳のときだったので、ある程度経験をつんでから海外に出た感じになりますね。それでドイツに行って5年間、ドイツを含めたヨーロッパ中のプレイヤーと関係を築きました。マウスピースを削る仕事ができると、金管はすごく人脈が広がるんです。歯並びや唇の厚さには個人差がありますから、奏者と楽器との接点となるマウスピースは、カスタマイズで奏者に合うものを見つけることができるので。

--ドイツ語の勉強はいつされたんですか?

岡部:それはドイツに行ったときですね。学生時代に第2外国語として選択していたんですが、真面目に授業に出なかったのでもっとやっておけばよかったなと後で思いましたけどね(笑)。英語の会話も会社に入ってから学びました。当時は今のように学校でネイティヴの英語を耳にするチャンスはありませんでしたから、会社に入ったときはほとんど話せませんでした。最初にアメリカ人のプレイヤーとコンタクトしたときに焦りましてね。とにかく言葉が全然通じないんですよ(笑)。外国人と一対一で話をすることも会社に入るまでなかったですしね。ですから英語やドイツ語は会社のお金でずいぶん勉強させていただきました。

--フランクフルトの後にはどこに行かれたのですか?

岡部:ロンドンに1年いました。イギリスはヨーロッパ大陸と違う文化があるので、イギリス用のモデルも作るべきだと言ったらお前が行けということになりましてね(笑)。

--(笑)。

岡部:言い出しっぺだったもので。結果的にはイギリスは1年だけで、アトリエを立ち上げてすぐに日本に戻りました。それで最初にいた本社の設計に戻って、それ以来ずっと浜松ですね。

--日本の音楽業界とヨーロッパの音楽業界の違いなどはあるんでしょうか?

岡部:30年前と今とでは状況がそれぞれ変わっていると思うので、同じようには論じられないのですが、当時は日本とヨーロッパでオーケストラの音楽家の生活がずいぶん違うと思いました。ヨーロッパの方が豊かな生活を送っている音楽家が多かったですね。例えば、ドイツのオーケストラは基本的に内職しなくても十分生活できますが、日本は公的なスポンサーが付いている一部のオーケストラ以外は、オーケストラの活動そのものが忙しい上に、オーケストラの給料だけで生活して行くのは厳しかったように思います。当時の西ドイツでは、オペラ劇場も含めてオーケストラが100団体ほどあったのですが、全て税金で運営されていて、生活が安定しているように思いました。

岡部 比呂男3

--100オーケストラ全員がちゃんと生活できているんですか?

岡部:できていましたね。1989年の東西ドイツ統合後、東西でそれぞれ100ずつあったプロのオーケストラを税金でまかないきれなくなり、統合されたり淘汰されてきました。それでも現時点で100団体ははるかに越えていると思います。そういう点からみても、基本的には音楽文化がしっかりと定着しているように感じます。

--音楽家に対する敬意のはらい方も含めて日本とは違っていたのですね。

岡部:そうですね、やはり歴史の差だと思います。ただ日本もだいぶ変わってきているんじゃないでしょうか。

--ここ最近の不況で日本のオーケストラはますます窮地に陥っているという話を聞いています。

岡部:厳しいですね。それと、スタジオの仕事もずいぶん減ってきているんじゃないでしょうか。昔はだいたい生演奏でやっていたのが、今はデジタル化が進んで打ち込みでできてしまうので大変だと思いますね。

 

5. はじけられないブランドイメージを払拭したい

--それにしてもヤマハは本当に広い分野をきちんとカバーされていますよね。

岡部:そうですね。ヤマハは信頼ブランドではあると思うんです。親が子供に楽器を買ってあげるときにはわりと高い確率でヤマハを選んでいただいていると思います。ですが、「これからは若者が憧れる楽器づくりを目指さないと駄目だ」という話を最近社内でもしております。  信頼ブランドというのは必ずしも憧れのブランドにはならない。信頼されるというのはもちろん大切なことなので、「ヤマハを買っておけば間違いないよね」というポジションは守らなくてはいけないと思うんですが、それが逆にギターやドラム、特にエレキギターにおいては、ちょっと「はじけきれないブランド」というイメージに繋がってしまっているんですね(笑)。

--(笑)。確かにヤマハと聞くと少しおとなしいイメージがありますよね。

岡部:ヤマハのエレキギターを持っていると「お前、親に買ってもらっただろ」とか言われそうなイメージがあるんですかね(笑)。同じギターでも、アコースティックギターは楽器のキャラクターとヤマハの真面目な楽器づくりのキャラクターが違和感なくつながるということはよく言われます。いずれにせよ、性能面では常に向上していきたいですし、それを評価してくださるアーティストとの関係づくりは重要だと思っています。

--ブランドイメージを高めるというのは大変な作業ですよね。

岡部:そうですね。30〜40年前にピアノを持つことがステイタスだった時代があり、その結果として今の若い人が生まれたときにはもう家にヤマハのピアノがあったんですね。もともとあるのがあたりまえの中でヤマハのイメージ自体も古く感じられてしまい、新しさとかときめきが起きにくいブランドになっているんじゃないかなという心配があって、そこをなんとかしていかないといけないと思っています。

岡部 比呂男4

--デジタル楽器の部門には係わってらっしゃらなかったのですか?

岡部:今まではあまり係わってこなかったですね。ずっとアコースティック楽器のほうでやってきましたので。今は楽器全てを担当しておりますので、デジタル楽器にも係わっていますが。

--ヤマハのCP-70やDX7は類似品がない独壇場で、生ピアノに劣らない音がPAから出るようになり、それは1つの革命だったと思います。

岡部:そうですね。デジタル楽器の中でも鍵盤系のデジタル楽器は歴史的に見ても強いと思いますね。

 新機能での差別化を図りにくいアコースティック系の楽器ですと、本物のナンバーワンブランドという位置を確立していかないと、これからは中国製がどんどん出てきますし、実はヤマハも中国とインドネシアの工場で製品を作っていて、どんどんいいのができているんですね。日本国内で作っているものはもちろん海外で作ったものより高いのですが、「日本製のヤマハ」にどんな付加価値を付けることができるかというときに、アーティストに選んでいただけるものを作れているかどうかということが本当に大きいんですね。

--すでに日本製と中国製はそんなに変わらないんですか?

岡部:ヤマハの場合、日本人技術者が現地の自社工場へ行って教え込んでいますから、中国でかなり信頼性の高い楽器ができてきています。ですから中国で作っているヤマハ製品と中国メーカーの楽器との差別化はできていると思います。

--これからピアノの演奏を学ぼうとしている小さな子どもたちとか、楽器演奏をやろうという人口自体は少子化と言われている中で減ってきているのですか?

岡部:音楽教室の生徒数はそんなに減っていないんですね。ただ、ピアノの販売台数は30年前からすると1/10ぐらいまで減っています。

--それは少子化の影響ではないのですか?

岡部:過去に売ったピアノが累積で存在しているというのが大きいと思います。全部が弾かれているとは限りませんが、なかなか壊れないんですよね。デジタル家電のように陳腐化もしませんしね。今500万台ぐらい存在しているところに年間3万台ぐらいの新品が入ってその倍以上が中古で出てきて、それが一部海外にも流れてというような形ですね。中古市場でヤマハブランドの信頼度は間違いなくナンバーワンです。喜んでばかりもいられませんが(笑)。

--ヤマハのピアノは壊れませんからね(笑)。

岡部:本当に丈夫ですね(笑)。デジタルピアノの品質が良くなって値段が下がったので、デジタルピアノの台数はアコースティックピアノの何倍も売れていますから、そこまで入れると鍵盤人口というのはむしろ増えているんじゃないかなという気もします。手に入りやすくなっていると言いますかね。一番安いのですと5万円ぐらいで買えますから。

--音楽業界全体が昔ほどの勢いがない状況ですが、マーケットを裏で支えていらっしゃるヤマハという大メーカーとして、また業界が盛り上がってくるような秘策はありませんか?

岡部:30年前だったらたぶんピアノをやることが文化的なステイタスでしたし、他にそんなに選択肢もなかったのですが、今は世の中がかなり多様化していますよね。ですが音楽文化が停滞しているわけではないと思うんですよ。選択肢が増えて、音楽制作でも打ち込みでできるようになりましたし、色んなことができるようになっている中で、楽器だけが光輝くような状況になかなかなりにくくはなったかなと。競争相手も昔だったら競合他社のことを考えていればよかったですが、今はゲームと楽器がどう戦うのかというような状況になってきましたよね。

--携帯電話もライバルですしね。

岡部:そうですね。一方では携帯電話の中の音源チップをヤマハが作っていたり、係ってはいるんですが、ヤマハとしてどのように事業の枠を伸ばしていくのかということも経営陣の中で議論しているところです。売上を伸ばしていくにはやはり新しいことをやらないといけないなと思いますね。

 

6. 中国市場の可能性

岡部 比呂男5

--ヤマハのビジネスモデルは独特だと思いますがそのルーツは?

岡部:創業者は山葉寅楠(やまはとらくす)です。会社が大きくなったのは、4代目の社長に川上源一が就任したときで、そのときに音楽教室を始めて日本中に広まっていったんですね。この、音楽教室を普及しながら楽器マーケットを拡げていくというビジネスモデルは、国内で50年を越えて維持され、現在でも有効に機能しています。但し、ピアノの高普及率と少子化により今後の成長を期待するのは難しい情勢です。一方で、これからの新興国ではまだまだ有効だと考えています。また欧米には独自の歴史的音楽文化があり、国内でやってきたような方法が必ずしも通じるわけではありません。もちろん先人が考えたヤマハのビジネスモデルはすごいですけど、それをそのまま守っているだけでは次がなかなか描けないのではないかと思います。

--ヤマハのビジネスモデルと、戦後に音楽文化が普及していくタイミングが一致したということですよね。

岡部:ええ。ただ、この現象は日本だけで起きたわけではなくて、ピアノ自体はヨーロッパで生まれてアメリカで同じようなブームがあって、それで日本にきて’80年頃に年間30万台まで増えて、そのあと韓国と台湾にいって次は中国にいってこれから日本の最盛期と同じ30万台になっていくところですね。

--ということは、今のヤマハ・ピアノの一番のマーケットは中国ということですか?

岡部:販売台数から言うと間違いなく中国ですね。ただ、今の中国はデジタルピアノもありますし、テレビも携帯電話も豊かさを象徴するものは日本の’80年当時より格段にたくさんありますから、日本の10倍の人口を持つ中国でアコースティックのピアノが将来どれくらいのマーケット規模になるかというのは誰もわからないですよね。

--でも、クラシックの演奏家はすごい人材が沢山出てきていますよね。

岡部:出てきていますね。あれだけの大きさの国ですから今後の変化も大きいと思います。

--では本格的に中国でバンドブームが起こったら…。

岡部:大きいでしょうね。中国はどちらかと言うとピアノ教育先行でギターはまだそんなに売れていませんから、今後そういう時代がくるかもしれませんね。アジアの他の国ではヤマハが色々仕掛けていて「アジアンビート」などを開催していますが、中国はまだこれからです。

--中国における「ヤマハ音楽教室」の拠点はどのぐらいあるんですか?

岡部:直営の教室というのは3つ4つといったところで、これからはディーラーさんでのヤマハ音楽教室をどんどん増やしていく予定です。ピアノの現地生産も増やしていまして、生産台数でいくと日本の工場より多くなりました。単価が安いですから売上高、売上金額でいくとまだそこまででもないですけど。

--しかし、いわゆる大メーカーが少ない楽器業界においてはヤマハは有利なポジションですよね。

岡部:ヤマハはピアノの年間生産台数が約9万台で世界一ですが、中国・広州の珠江ピアノは7万台ぐらいとのことですし、それ以外にも中国にはピアノメーカーがたくさんあって、世界中で生産されている年間50万台ぐらいのピアノの約7割は中国製ですね。ヤマハの中国製も含めてですが。

--ピアノって年間50万台ぐらいしか作られていない商品なんですか?

岡部:少ないですよね、世界中でですから。それだけ回転しない商品だということですね。

--楽器は寿命が長いですよね。へたすれば百年前のピアノもあるわけですから。それを考えると維持費も安いですよね。

岡部:かなり手間をかけて作っていますから。製造工程をご覧になった方にはピアノは安いと言っていただけるのですけどね。

--ヤマハはサイレントシリーズも得意ですよね。

岡部:サイレントシリーズはピアノから始まったんですが、時代の要請もあって売れています。ヨーロッパでもサイレントピアノの比率がかなり増えていますし、それはヤマハの強みだと思うんですね。消音の技術に加え、本物に近い良質な音源もありますから。

--他の楽器でもサイレントシリーズは展開されていますよね。

岡部:ええ。サイレントピアノが商品化できたときに、ピアノ以外の楽器の開発者が、自分たちの楽器で消音するということはどういうことか、それぞれに考えて次々に商品を出すことができたんですね。全社プロジェクトでトップの指示でやったというよりも、会社の中にミュージシャンが多いので「自分たちが欲しいものを作る」という発想から、それぞれの開発者がみんな好き勝手に開発していったんです(笑)。こういうヒット商品を今後もたくさん作りたいですね。

 

7. トップアーティストが満足する品質を目指したい

--今ヤマハには社員が何名いらっしゃるんですか?

岡部:全世界で約2万8千人ですね。国内は6000人ぐらいなんですが、音楽教室の先生などヤマハグループで働く皆さんを含めるともっと多いです。一番多いのが海外の工場なんですよ。インドネシアの一番大きな工場ですと5000人近くいますから。

--岡部さんが次期社長になられることもあり得るんでしょうか?

岡部:それはないですね。

--即答でしたね(笑)。

岡部:(笑)。今の経営陣はほぼ同じ世代なので、このチームで数年間きっちり仕事をした上で、次の世代に引き継いでいくことが大事だろうなと思っています。先輩方もそうでしたし、経営チームに入ったら次の世代を育てることを考えないと。

--でもこれだけの大きな会社をマネジメントしていくのは本当に大変なことですよね。この昨年末からの経済危機の影響はありますか?

岡部:ええ。特にピアノが影響を受けています。アメリカでサブプライムローンが問題になった一昨年の秋ぐらいに、まず安いピアノが売れなくなったんですね。アメリカで住宅を買う人が一緒に低価格のグランドピアノを買うというのがパッケージのようなものになっていて、今にして思えばバブルだったわけですけど。その時点では、高いピアノは買う人が別なものですから売れていたんですが、去年のリーマンショックで今度はお金持ちが買わなくなってしまったんですね。

--この経済危機はいつまで続くのでしょうか?

岡部:車が売れるようになってくれないと・・・という感じはしますね。でも車は乗っていればいずれ壊れますからそれで需要がある程度回復してきて、少し世の中のマインドが変わったら楽器も売れ始めると思っています。

--でも車も3〜4年は壊れないですよね。

岡部:2年ぐらいは耐えないとと思っています。我々が作っている商品は、生活が豊かになる、平和なものだと自負しておりますが、生活のプラスアルファの部分なので、最初に切り詰めて最後に戻ってくる商品ですからね。

--ピアノなど楽器が売れる平和な世界にならないといけないですよね。

岡部:本当にそうですね。楽器や音楽を通じて子どもたちの心は豊かになりますし、協調性も増し、情緒も安定すると思いますから、子どもたちが音楽や楽器に興味を持っていただけるような仕掛けをしていかないといけないなと思います。楽器はゲームのように商品だけではなかなか売れていきません。つまり、必ずしも楽器があるからそれが自動的に売れていくというものもありませんので、今後も楽器の普及や演奏の場の提供など取り組んでいかなくてはと思っています。

--やはり心に余裕がないと楽器演奏などで音楽を楽しむという気持ちにならないですよね。

岡部:ええ。アーティストも必要ですしね。今までフルート・ブームとかサックス・ブームとかありましたけど、例えばテレビで有名なタレントが楽器を使ってくれるとそれがきっかけになって売れるんですよね。ですから、少子化が逆風ではあっても、楽器人口が増える可能性はあるということだと思います。

--やはり楽器にもスターが必要なんですね。

岡部:ブームがなかなか続かないというのが楽器の難しさで、演奏が楽しいと感じていただけるところまで持って行けてないのかなという反省がまだまだあるんですね。ですからブームを作ることも大事なんですが、ブームに乗ってきた人たちに本当に楽しんでもらうために、練習や演奏の場を作ったり、バンドの活性化のためにイベントなどを開催して定着していくようにしないと一過性のブームで終わってしまいます。

岡部 比呂男7

--では、今後はそういった仕掛けにも力をいれていくということですね。

岡部:ええ。やはりこれだけのシェアを持っているので「まずは我々が仕掛けないと」という思いはあります。それは「ヤマハが売れればいいや」ではなくて、マーケット自体が大きくなってくれないと、パイの取り合いになってしまいますし、その状況では成長にも限度があります。ですから他のメーカーと一緒になってマーケットを大きくするというような発想でいかないとなかなか業界として厳しいと思います。

--ヤマハは常設のコンサート会場は持っていないのですか?

岡部:ポピュラーなのは、静岡県掛川市にある「つま恋」ですね。あとは来年2月末に新しくできるヤマハ銀座店には本格的なコンサートホールとライブスタジオが常設されますので、そこをうまく使っていきたいですね。

--ところでハイブリッドピアノというのが最近発売されましたが、これはどういった楽器なんですか?

岡部:グランドピアノに憧れる人達をターゲットに、グランドピアノの生の鳴りと弾き応えをふんだんに盛り込んだ究極のデジタルピアノ、ですね。

--要するに小さなサイズなのに、演奏者自身がコンサートホールで演奏するような気分を味わえるピアノということなのでしょうか?

岡部:そうです。これはなかなかこだわりの商品なんです。デジカメは昔、フィルムのような味が出せないと言われていたのが、性能が上がってくるとプロが使い始めましたよね。CDが出たときは「周波数の高い方はカットされているから」と言いながら、ノイズはありませんし便利だからみんなが使い始める。ピアノも同様で、メーカーとして「ピアノはやっぱりアコースティックが一番だからデジタルじゃ駄目だよ」と言ってはいられないんですね。

--デジタルはどこまでも進化しますから凄いですよね。

岡部:ええ。コンピューターの処理能力にしてもメモリの容量にしても10年前と今と全然違いますでしょう? 今、アコースティックピアノにできて、デジタルピアノにできないことはたくさんありますが、それが10年後も20年後も同じかと言うと同じじゃないと思います。デジタルピアノにはまだまだ可能性があるので、アコースティックピアノという自分たちの持っている成功領域をある程度自己否定していくぐらいじゃないと出遅れることになります。自分の成功領域があると、そことかぶらないように事業を考えるじゃないですか。何かで成功して守るべきものができてしまうと、次のことをするときにどうしてもスタートが遅くなりますからね。アコースティックピアノに遠慮したデジタルピアノでは困りますから。

--今までの実績を踏まえつつも、ヤマハは今後も新しい領域にどんどん挑戦していくと。

岡部:そうですね。あと、新しい挑戦と同時に大切なのは品質に対するこだわりです。楽器の高級品はもちろん持つ喜びもありますが使ってなんぼのものですので、使ったときに「さすが高級品は違うね」と言ってもらえるような品質のもの、トップアーティストが「これがいいんだ」と言っているものと同じものが使える満足感をどうやって訴えていくかというのが、結局日本の物作りを支えることにもつながると思いますので、ヤマハとしてもこだわりを持ち続けていきたいですね。

--本日はお忙しい中ありがとうございました。ヤマハ(株)の益々のご発展と、岡部さんの更なるご活躍をお祈りしております。

(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也 山浦正彦)

 今回のインタビューで、普段何気なく目にしているヤマハというメーカーの素晴らしさを改めて感じることができました。誰もが一度は触ったことがあるヤマハの楽器や機材。音楽教室に通った経験がある方もたくさんいらっしゃると思います。この莫大な普及の影に、開発者として奮闘されていた岡部さんのような方がいたからこそ、ヤマハは世界に誇るブランドとして広く認識されているのではないでしょうか。大メーカーの経営者の一人として、過去の成功にあぐらをかかず、常に新しいことにチャレンジする岡部さんの姿にはとても感銘を受けました。

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