第158回 (株)Zeppライブ 執行役員常務 青木聡氏【後半】
今回の「Musicman’s RELAY」は音楽プロデューサー 河井留美さんのご紹介で、(株)Zeppライブ執行役員常務 青木聡さんのご登場です。新卒で入社したワーナーからEPIC・ソニーレコード(以下、エピック)に移られた青木さんは、テレビで偶然見かけた元ちとせを育成し、紆余曲折を経て「ワダツミの木」を大ヒットさせます。また、ソニー・クラシカルに在籍時、200万枚を超えるセールスを記録した「イマージュ」や、「ライブ・イマージュ」「情熱大陸ライブ」の企画・立ち上げなど斬新な企画を連発。その後もCrystal Kay、アンジェラ・アキ、中孝介、そして「のだめカンタービレ」のCDなど数多くの作品・アーティストを送り出されました。現在はZeppライブで日々新たなコンサートやイベントを開発されている青木さんにレーベル時代のお話から、自身が考える「ライブ&アート」についてまでお話を伺いました。
(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也/山浦正彦)
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第158回 (株)Zeppライブ 執行役員常務 青木聡氏【前半】
「僕はずっとニッチです」〜Crystal Kay、アンジェラ・アキ、中孝介
ーー 2003年にはエピックの制作部長になられていますね。
青木:要は、数字の責任を背負わされたってことですね、初めてちゃんと(笑)。
ーー (笑)。でも、それまでにずいぶん数字を作りましたものね。
青木:とはいえ、僕が困ったのは元ちとせがいなくなっちゃったことなんですね。多分、会社的には「元ちとせを数字の柱にしろ」と任せたと思うんですけど、元ちとせが結婚と妊娠でアルバム2枚目でいなくなることになったので、ちょっと困ったなと(笑)。
ーー 任された途端に柱がなくなっちゃったと。
青木:そうそう(笑)。で、エピックで前からコツコツやっていたCrystal Kayはなかなかブレイクしなかったのですが、浜野が担当になった途端に良くなったんですよね。で、Crystal Kayが「恋におちたら」というブレイクポイントを迎え、昼間、浜野が発掘したアンジェラ・アキが形になり、そして中孝介くんの「花」も売れて、部署としては苦しいながらも存続したって感じですね(笑)。
ーー いやあ、しぶといですね(笑)。
青木:しぶとかったですね(笑)。でも1つ当たったものの余波みたいなことは感じながら仕事させてもらえたのかもしれないですね。
ーー 青木さんは奄美大島と縁深いものがあるんですか?
青木:元ちとせをやったことによって、地元の人に繋がりもできましたし鹿児島との繋がりも深くなったので、色々やることになりましたね。中くんは元ちとせが休みに入るタイミングで口説きに行ったんですよ。
ーー 以前からマークしていた?
青木:はい。地元のテレビ局の方からも「何で中くんをやらないんですか? やったら良いと思いますよ」とか言われ続けていたんですが、僕としては元ちとせがいる横で同じ奄美のアーティストをやるのは居心地が悪かったんですよ。
ーー 「同じネタで何回勝負するつもりなんだ」みたいな?
青木:だったら新しいことをやった方がいいという気持ちもあったので、元ちとせが動いている間は中くんをやるつもりはなかったんですが、元ちとせがいなくなっちゃったタイミングで連絡をしてやり始めたんですよね。これもご縁ですよね。
ーー また「のだめカンタービレ」の大ヒットもありますね。
青木:そうですね。これは部を任されて「何か稼がなきゃ」という意識の中で、クラシックという自分の得意なものでやった方がいいよなと思い、獲りにいった仕事ですね。
本当は原作とタイアップしたコンピを出したかったですよ。それで講談社に話をしに行ったら「すみません、この間EMIさんが来て、もうやることになっちゃいました」ってことで(笑)、マンガのコンピはできなかったんですよね。それが悔しくて「これアニメ化とかドラマ化のタイミングで狙いたいな」って思っていたので、メディア周りをしているマーケティングのセクションに「『のだめ』を絶対にやりたいんだ」とお願いしておいたんですよ。「ドラマやアニメが当たるかは分からないけど、CDは絶対売れるからやりたい」と。マンガを読んでCDを聴きたくなるなんてそうないですし、ドラマを観ていても絶対音楽を聴きたくなるはずだからと言っていたら、佐野と杉山いうマーケの仲間がちゃんとアンテナを張ってくれていたんです。
それでフジテレビのアニメのセクションが「ソニーミュージックと一緒にやりたい」って来たから、「青木さん、来ましたよ!」って(笑)。ただ、いずれにしてもこれは制作費がものすごくかかるから映画とアニメを同じ音源で作ろうという提案をフジに持ち込んだんです。
ーー アニメと実写化をいっぺんにやるってあるんですか?
青木:あんまりないですけど、それだけ注目の作品だったんだと思うんです。たまたま上手く取れて。僕はクラシック好きなので、自分のキャリアの中で1つは何かやりたいなって思っていたんですよね。
ーー 一世を風靡したドラマですよね。
青木:お陰様で。40万近く売り上げたので。でもそれはドラマがあってのことなんでね。
ーー 「のだめカンタービレ」も「イマージュ」も「情熱大陸ライブ」も前例がない企画じゃないですか。すごいですよ。
青木:ただ、リリースは「イマージュ」より「フィール」の方が先なんですよ。「イマージュ」の企画自体は「フィール」が出る前から自分の中で温めていましたけど、「フィール」が出たことによって勇気づけられたというか。横目で見たら「あ、売れているんだ。じゃあ『イマージュ』も絶対にやれるな」って確信に変わったんですよね。
ーー 事前の流れの読みも的確だと思いますが、ビッグネームに頼らないで企画でヒットを成し遂げるのはA&Rの醍醐味ですよね。
青木:楽しく仕事させてもらえる環境をこの会社は用意してくれているのはありがたいことだと思います。でも、はっきり言えることは、僕はずっとニッチです。そういう意味では。
ーー 満員の車両には乗らないと。
青木:乗らない。そこだけは自分の中ではっきりしています。絶対に混んでいるところには行かないって決めています。混んでいるところに行っても競争が激しいだけなんで。混んでいないところでどう当てるかというのをずっと考え続けています。アンジェラやちとせに「ニッチです」って言ったら怒られるかもしれないですけど、でも実際そうだと思いますね。
ーー 失礼ながらよく売れたなっていう…(笑)。
青木:ですよね(笑)。アンジェラをやるときも「洋楽っぽい邦楽アーティストが売れるわけないだろ」と当時の上司からもさんざん言われました。しかもアンジェラって、どこかカントリーっぽいでしょう? あの子はアメリカでウエイトレスをやりながらライブをやっていた子ですから、どこかカントリーっぽい匂いがあるんですよ。そういうのがデモにも出るから「こんなカントリー臭いの売れるわけない」とかすごく言われたんですよ。
ーー ちなみに売れたとき、その上司の方はなんて言ったんですか?
青木:何も言われてないですね…(爆笑)。
ーー (笑)。
青木:この業界の人はみんなそうじゃないですか? 自分の悪い思い出にはみんな蓋をしますから(笑)。僕も含めてみんなそうです(笑)。
ーー 手柄は言いふらしますけどね(笑)。
青木:そう。「俺がやった」です(笑)。そういう意味では、水商売って言っていたうちの親もあながち外れちゃいないですよね(笑)。
ミュージックマンとしての賞味期限を自覚
ーー 2011年、アリオラジャパンに執行役員として異動されますね。
青木:実を言うと当時、僕自身が煮詰まっちゃって「場所を変えないと」と思って、小林和之さんに相談したんです。そうしたら「お前、オフィスオーガスタさんと仲ええやん。アリオラいってオーガスタさんのこと面倒見てや」って言われて(笑)、それもアリかなと思って行ったんですよね。
ーー 小林さんは的確に青木さんのツボを突いてきたと。
青木:カズさんは本当にすごい人です。だってあの年でワーナーのトップとしてTWICEやっているんですよ。
ーー アリオラジャパンでは小田和正さんともお仕事をされていますね。
青木:はい。小田さんのところで色々勉強させてもらいました。やっぱりすごいミュージシャンです。あの年まで現役で、事務所も自分でやられてという潔さとか気持ちよさみたいなね。事務所の吉田さんというトップの方と小田さんとの関わり方は、他の事務所にはない、すごい気持ちのいい関係なんですよ。
ーー 小田和正さんは、僕が中学生のときに聞いていたラジオにすでに出ていましたからね。
青木:そうですよね。僕はマーチンさんなんかも担当させてもらったんですけど、自分が小学生のときに物真似して「ランナウェイ〜」って歌っていた相手と仕事をして、しかも時と場合によっては反対意見も言わないといけないみたいな立場にいることが、すごく変な感じでした(笑)。
小田さんのときはご本人と何かを話すってことはあまりなかったですが、事務所の吉田さんがどんな風に小田さんと向き合って仕事をしているかみたいなことはすごく勉強になりましたね。吉田さんは「レコード店が大事だ」と考えられていて、ソニーミュージックに移籍されたときも、最初に営業部隊と食事会をやって、リリースがあるときは必ず全国の営業所をまわられるという、そういうことをされる方なんですよ。
ーー 小田さんにはマネージャーとアーティストの一体感が残っている?
青木:本当にそうですね。素晴らしい関係だと思います。
ーー そして2013年、エピックレコードジャパンの代表に就任されています。本部長だったんですか?
青木:当時エピックレコードジャパンは株式会社だったんですよ。で、当然そこの代表で戻ったので代表取締役だったんですよ。ところが、1年後に8レーベル合体し、ソニー・ミュージックレーベルズという会社になったんですよ。それで本部長に…まあこればっかりはしょうがないですよね。
ーー 一瞬は代表取締役?
青木:そう。一年という一瞬(笑)。名刺も持たせて頂いたんですけどね。
ーー その名刺を返すとき、ちょっと悲しかったですか?
青木:僕は立場とかにこだわりがないので「悲しい」という感覚はなかったですけど、説明が面倒だなっていうのはありましたね。みんなから「代表」とか「社長」って言われているのをね。
ーー 「本部長」だけだと「何かしでかして格下げになった」と思われちゃいそうですよね。
青木:そう思われるじゃないですか。何もしてないのに(笑)。でも、ある種しでかした感もあるんですよ。レーベル事業自体のサイズが小さくなっていくのを止められなかったっていうことでいくと、このタイミングでビッグヒットを作れなかったという忸怩たる思いはあります。あるアーティストを発掘してデビューさせたのですが、僕の中でそのアーティストは元ちとせや中孝介よりも数倍売れるだろうと信じていたんですよね。ところが、ビッグヒットに導くことができなかったというのは、僕のミュージックマンとしての賞味期限が来たなと、自分自身すごく反省したんですよね。
ーー 厳しいですね。
青木:いや厳しくないですよ。でもこの業界って、そこをズルズルやる人多いじゃないですか。自分の賞味期限を考えない人(笑)。でも、これは大事だと思うんですよ。自分の賞味期限を意識しないととんでもないことになります。ボカロのシーンであるとか、YouTuberのシーンであるとか、もう僕らが理解できない音楽シーンが今はいくつでもあるじゃないですか。
ーー そういうシーンがどんどん出てきますよね。
青木:興行のトレンド資料からパーセンテージが分かるんですが、徐々にJ-POP、ロックのパーセンテージが減っているんですよ。当然、昔は70パーセント、80パーセントがJ-POPだったのが、今は46パーセントまでになっている。そこに韓流があり、アイドルがあり、それからさっき言ったYouTuberがあり、それからボカロがあり、みたいなね。そんなマーケットになってきているんですね。そういう状況で、僕が自分自身でYouTuberをやるかと言われても、多分やらないでしょうし、ボカログループをやりたいか? というとそんな気持ちもなく(笑)。それらをやりたいと声を上げてくる部下は応援したいですけどね。自分自身の中である種CDというもので紐解ける何かが終わっちゃったんだなって自覚しているんです。
ーー 自分の賞味期限が。
青木:そう「来た」っていう感じはエピックの代表をやりながら思っていました。何かが当たれば、もう1回リングで戦うぞっていう気持ちはありましたけど、結局エピックの代表を3年やらせてもらいましたが、何1つ当てられなかったですから。
「これがソニーミュージックのフェスだ」という興行を作る
ーー その後、Zeppライブの執行役員常務に就任されて、お仕事もライブ関連になりましたね。
青木:そうですね。CDレーベルの仕事に何となく行き詰まりを感じていたときに、「ライブの方をやってみない?」とZeppホールネットワークのトップの妹尾さんに声をかけて頂いたんですよ。よく考えると僕は今まで「情熱大陸ライブ」をやったり「ライブ・イマージュ」をやったりと、レーベルをやりながらずっとライブやってきたんですよね。それこそ中くんのマネジメントや興行もレーベル内でずっとやっていましたから。
このZeppライブは(株)バックステージプロジェクトの杉本(圭司)さんとソニーミュージックが合弁で作ったライブの興行の会社です。イープラスと杉本さんとうちの3頭立てでやっているという、そういう会社です。
ーー 確かに青木さんはずっとライブにも携わってこられていますよね。
青木:レーベルの中でマネジメント的なこととライブ的なことをずっと片手間でやってきたので、今までの経験を生かしつつ、もう1度ライブをきちんと掘ってみるのもありかなと思ったので、話を受けたんですよね。
今、レーベルというものだけで音楽業界を紐解こうとすると、ちょっと不自由だと思っているんです。CDの売り上げ自体がすごく落ちちゃっているじゃないですか。だからレーベルという立場から離れて、ライブやグッズ、色々なイベント催事であるとか、そういうものを多角的に結びつけることで、もう少し自由に考えられるなって思ったんですよね。
ーー 今はメインのお仕事はイベンター的なことなんですか?
青木:そうです。メインの仕事は本当にそうですね。今年、イープラスの橋本会長からのお声掛けで、一緒に立ち上げたのが、日本初の大規模なクラシックの野外フェス「スタンドアップ!クラシックフェスティバル 2018」なんですよ。反田恭平、上野耕平、ル・ベルベッツといったアーティストたちが出演しています。
ーー 「スタンドアップ!」ということはクラシックを立って聴くんですか?
青木:一応イスは置いてありますが、立って観てもいいですし、ゴロゴロ寝て観てもらってもいい。
ーー 気楽に観ていいわけですね。飲食も自由って感じですか?
青木:はい。クラシックをそういう環境で聴けるのは多分このフェスだけだと思います。
ーー かしこまらなくていい。
青木:そういうことです。通常のクラシックのコンサートは、おじいちゃんとおばあちゃんがウトウトしながら聴いているみたいな感じですが、普通のフェスにくる子たちがクラシックを楽しんでいたので、良かったなと思います。
もともとイープラスの橋本会長が「やりたい」とすごくおっしゃっていて、僕も同じ想いだったんですよ。クラシック業界ってブルーオーシャンだと思っていて、マーケットとしてちょっとへたっているけれども、やはりビックプレイヤーがいないから狙い目じゃないかなと。
ーー ちなみに興行的にはどうだったんですか?
青木:6,000人近くは入ったんですよ。よみうりランドオープンシアターEASTでやった「情熱大陸ライブ」の1回目が3,500人だったので、そこから考えると1回目で6,000近い数字でやれたのはすごく良かったなと思います。来年も是非やりたいですね。
ーー 来年が楽しみですね。
青木:そうですね。他にも、NACや鹿児島のフェス、特徴的なイベントごとを主催してますが、もっと「ソニーミュージックのフェスはこれだ!」みたいなものを作れるといいですね。
今「New Acoustic Camp」というキャンプと音楽をテーマに水上高原で9月にやっているイベントがあるんですが、これが1番人が入っていて、2万人くらい入っています。2万人分のテントのキャンプは壮観ですよ。
あとソニー・ミュージックアーティスツ(SMA)で氣志團を手掛けられてきた河原田さんという、氣志團万博を成功に導いた人が今ZeppライブとSMA兼務でいて、その河原田さんがやっている「THE GREAT SATSUMANIAN FESTIVAL」という鹿児島のフェスがあるんですが、椎名林檎ちゃんとかも招いて2万人集めました。
ーー 鹿児島で2万人はすごいですね。
青木:地方のフェスとしてはすごく集まったと思います。こういったイベントを増やしていきたいなと思っています。フェスのマーケットも飽和状態になっているので、じゃあその中でどう新しいものを提示するのかって難しい問題ではあるんですが、そこはチャレンジしていかないといけないなと思いますし、絶対になにかあると思うんですよね。
ライブやイベントを軸に新しいアーティストを育成する
ーー 青木さんはずっとレーベルを続けてきて、現在ライブに携われているわけですが、それって音楽業界の大きな流れと一致していますよね。
青木:そうですね。ただ、そんなに簡単な話でもないと思っています。先発のエイベックス・ライヴ・クリエイティヴさんはあそこまでの勢力になったというか、逆に言うと、ライブのセクションがレーベルを飲み込んだ形になっているわけじゃないですか。ではソニーミュージックを見たときに、あそこまでの勢いがあるか?というと現実そうでもない。
ソニーミュージックって江戸の列藩同盟みたいなところがあるわけですよ。小さい藩がいっぱいあって、SMAはSMAでライブビジネスをやっているし、僕もエピックの中で中孝介の興行をやったり、本当にバラバラでやっているので、それをどうやってまとめるのかみたいなことは、大きな課題として残されています。
ーー でも、「スタンドアップ!クラシックフェスティバル」みたいな試みを通じて、葉加瀬さんに続くようなクラシックのスターが生まれたら素晴らしいですよね。
青木:まさにその中でスターを作りたいんです。僕はCDからそこのスターってできにくい環境になってしまっているなあと思っていて、やっぱりライブの中で作るしかないという思いがすごくあります。ご存じかどうかわかりませんが、クラシックのエージェントってあまり新人でリスクを背負わないんですよね。でも、我々はリスクをとって、新人を育てられたらと思います。
ーー ようするにポップミュージックで培った手法を、クラシックの分野にも応用したいと。
青木:そうです。あとZeppライブではテレビ番組の製作もやっていて、「アートな夜」という番組をBSフジの中でやっているんですが、そこにル・ベルベッツをパーソナリティとしていれながら育成してスター化したいなと思っています。彼らは今オーチャードくらいでやれるんですが、これを武道館でやれるところまで持っていければいいなと思っています。イル・ディーヴォがあれだけ武道館公演できているんだから、彼らもできると思うんですよ。
ーー その他に何か計画していることはありますか?
青木:実は今、美術の方にも行きたいと思っているんですよ。会社も「ライブ&アート」とお題を掲げていますが、例えば、この「木島桜谷展」のチラシを見て下さい。クレジットに「協力:Zeppライブ」と入っているんです。木島桜谷は日本画の作家なんですが、5年前にやった催事のときに「すごく良い作家だな」と思ったので、また催事をやると聞いたときに「関わらせてくれ」って自分で押しかけたんですよ(笑)。
本当は委員会を組織したかったんですが、いわゆる財団法人なので無理と言われて、ただ、すごく理解のある方々で「そこまでおっしゃるのだったら、こういう形でどうですか?」と提示をいただいたのが、図録をうちが担当して、その収益をハンドリングしつつ色々なプロモーションの協力をするということでディールをしたんです。で、4万人くらい入って、図録もちゃんと利益になったので良かったんですけど、これはうちの主催ではなくNHKさんの手掛けているものですが、例えば、有名な伊藤若冲とかってどのくらい人が入るかご存じですか?
ーー すごい人気なんですよね。10万人くらいですか?
青木:あれ50万人近く入ったんですよ。だからそういう意味でいくと、僕がクラシックをブルーオーシャンと考えているのと同じなんですよね。やっぱり時間を持て余している年配の方々がこれから増えるわけじゃないですか。そこに対するエキシビジョンビジネスを意図的にもうちょっと増やしたいです。
年明けから「奇想の系譜」という催事がありますけど、これもNHKプロモーションが関わっているから、若冲のように人が入るんですよ。でも、そんなNHKをはじめとしたテレビや新聞社が絡むもの以外はなかなか当たってないから、そういうのをもうちょっと一緒に育てることができるんじゃないかなって思っていて、ここはビジネスとして強化したいですね。
ーー もともと美術に目を光らせていたんですか?
青木:いや、まったく(笑)。もちろん好きでしたけど、改めて勉強していくと、面白いですし、僕らのノウハウが活きるなって思っているんです。しかもメジャープレイヤーはいないわけですから。美術のギャラリーとか美術館とか、みんな新聞社やテレビがやる催事の波を待っているんですよね。それでその波が来たときに、みんな「あー波が来たーよかった」って言って、また次の波が来るのを待っている状態だから、音楽業界のような形で意図的に波を起こせば、もうちょっと面白いことができるんじゃないかなと思っているんですよ。
ーー 美術でも波を起こす側にまわろうと。
青木:はい。また新人作家のエージェントもしていますので、エージェントをしながら催事を仕掛けるみたいなこともしています。僕が考えている「ライブ&アート」というのは、エージェントと催事・ライブということなんですよね。ル・ベルベッツも、僕らはマネジメントじゃないんですが、ある種エージェント的な動きをしています。
ーー 青木さんからはアイディアがどんどん溢れてきますね。
青木:いやいや、そんなことないです。色々幅広く考えていかないと、本当に食いぶちなくなっちゃうので(笑)。
ーー 常にポップミュージックの第一線ってつらいですよね。
青木:そうですよね(笑)。僕は本当にニッチでずっときているので、楽というか、そんな第一線のピカピカのところでやってきたわけじゃないので。
ーー いや、レーベル時代はハードだったじゃないですか。
青木:(笑)。「ハード」というよりも、ビジネスとして考える場合に、今、ソリューションが見つかりづらくなっているなと思っています。僕はレーベル代表をやっていたときに、窮屈さをすごく感じていたんですね。やっぱりCDや音楽配信で考えなくてはいけないと。もう、エンターテイメントのビジネスってそういうところと違う状態に入っちゃっているんじゃないかなという気がするんですよね。
ーー もうなんでもありって感じはしますよね。
青木:極論言うと本当にそうだと思うんですよ。逆に言うと、レーベルは今、何でもありという発想に行けないから、辛いと思うんですよね。Zeppライブではライブやエキシビションを軸として、どう新しいアーティストを育成し、ビッグビジネスのソリューションを作っていくかということが、これからの大きなテーマになっていくと思います。
長い時間おつきあいいただき、ありがとうございました。こういうことでもないと自分のやってきたことってなかなか整理する機会もないですから、とても良い機会をいただきました。あらためて、自分の履歴を振り返ってみると、幸運なことに、同僚や上司や社外の仕事の仲間など本当に良い出会いをいただいてきたなあと感じさせていただきました。僕も含めて、レコード会社の人間はプロデュースの仕事をしていても、フリーではなくて、会社員ではないですか。フリーのクリエイティブなプロデューサーと戦うためには、やはり周囲の力というか、チームの力が必要で、自分の足りないものを補ってくれる人がいないと、良い結果はなかなか出せないんだなと改めて確認する機会になった気がします。