第163回 ゼンハイザージャパン株式会社 代表取締役 宮脇精一氏【後半】
今回の「Musicman’s RELAY」は國崎晋さんのご紹介で、ゼンハイザージャパン株式会社 代表取締役 宮脇精一さんのご登場です。高校時代にロックの洗礼を受けた宮脇さんは以後、バンド活動に邁進。大学卒業後に入社されたヤマハでは一貫してプロオーディオに携わられ、「YAMAHA PM3000」や「YAMAHA 02R」など多くの名機とともに歩まれていきます。その後、アメリカ、ドイツでの海外生活、ヤマハサウンドシステム株式会社 代表取締役を経て、現在、ゼンハイザージャパン 代表取締役を務める宮脇さんにご自身のキャリアから、現在も続けるバンド活動についてまでじっくり伺いました。
(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也/山浦正彦)
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第163回 ゼンハイザージャパン株式会社 代表取締役 宮脇精一氏【前半】
アメリカ、ドイツでの海外生活
──その後、宮脇さんはアメリカに行かれますね、アメリカのどちらに行かれたんですか?
宮脇:プロオーディオの仕事で行かしていただいたんですが、ヤマハアメリカの営業オフィスがカリフォルニアのディズニーランドのちょっと北側にあるんですよ。
──ポートランドとかあっちの方ですか?
宮脇:いや、本当にロサンジェルスの郊外です。
──リゾート地みたいなセレブがいっぱい住んでいるような?
宮脇:ヤマハのオフィスがあったところは、わりとオフィス街です。日本のオフィス街とは違って、平屋とか2階建てくらいまでの面積をいっぱい使った建物が多かったです。
──アメリカでのお仕事はいかがでしたか?
宮脇:英語は分かるつもりだったんですが、実際に行ったら全然わからなかったですね(笑)。会議でみんながドッと笑うところについていけないわけです。それで、ほぼ同時に駐在した奴と「今のわかる?」「わからない」「でも何が面白かったか聞けないしなぁ」みたいな感じでした。
でも、リスニングの方はすぐになんとかなるんですよね。一緒に仕事をしていたアメリカ人部長はすごく頭が良くて、速射砲のように英語をしゃべるんですよ。もちろん最初は全然分からないんですが、あるとき急にボロボロっと壁が崩れるようにクリアに聞こえるようになるんです。それが割と早く来たんですが、聞こえるようになるとこちらからも意見が言いたいじゃないですか? でもそれが言えないんですよ。
──言う方が難しい?
宮脇:遥かに難しいです。聞く方は本当に一カ月、英語の洪水の中にいたらほぼ大丈夫ぐらいの感じになってくるんですが、じゃあそれに対して言うとなると、自分が表現したいことが表現できるだけの語彙を全然持っていないですし、言い回しはわからないですし、それを無理して言葉にするとものすごく誤解されて「あいつ、さっきあんな風に言ったから全部あいつにまかしてやらせればいいじゃないか」「あいつにやらしとけ!」みたいな(笑)。「いや、そんな風に行ったつもりはないんだけどな…」と(笑)。
──(笑)。
宮脇:だから喋る方はもうちょい時間がかかりましたね。3カ月とか。
──でも3カ月ですよね?
宮脇:3、4カ月ですよね。そんなやり取りを毎日ですから。
──疲れますよね?
宮脇:疲れます。最初はそういうストレスと時差ボケもありましたし、最初は家族も呼べないし、家も決まっていないですから、とりあえずキッチンがあるウィークリーホテルみたいなところにずっと住んでいて、1.5リットルくらいのバーボンを買ってきて毎日浴びるように飲んでいました(笑)。
──酒を飲まなくちゃやってられない?(笑)
宮脇:もうやっていられないですし、とにかく眠れないです。今日の出来事や英語力による問題でグルグル頭の中が回っているし。
──そこには何年いらっしゃったんですか?
宮脇:アメリカは2年ちょっとくらいで、2005年には帰ってきているんです。その後、本社で再びプロオーディオに関わって、2009年にドイツのハンブルグに行きました。
──アメリカとはまた違いましたか?
宮脇:違いますね。よく冗談で言うんですが、アメリカのオフィスがある南カリフォルニアに住んでいると「ずっとここで住んでいると頭が悪くなるんじゃないかな…」って心配になってくるんですよ。
1月とかにゴルフへ行っても短パンで、時に寒い日はあるんですが暖房なんか年間で数日くらいしかつけないですし、ほぼ晴れている。といって暑くもないですし、暑いときも日陰に入りさえすれば問題ない。本当に爽やかな気候で。しかも道はだだっ広いし駐車場は広いし。
──バックで止めるやつは誰もいない?
宮脇:バックで止めると「あいつ何やってんの?」って。本当にそうなんですよね。6,000ccぐらいのバカでかいシボレーにおばちゃん一人が乗って会社に来るとか、そういう環境なんです。車でヒョイっと行けるスーパーでなんでも買えますし、焼酎も日本酒もすぐ買えます。しかも下手すると日本より安いぐらい。本当に快適過ぎる生活ですよね。それで、「これ以上ここにいると頭が悪くなるんじゃないかな」って思い始めたときに帰国して、今度はドイツです。
ハンブルグは本当に素晴らしい街です。街の大きさがちょうど良くて、公共交通機関の電車も色々な種類があります。バスもしっかり動いていますし、街中をちょっと移動するくらいならタクシーでも2、3000円で行けます。ですけど、冬は大変なんです。
──冬は北海道より寒いんじゃないですか?
宮脇:札幌より寒いかも知れませんね。雪は降らないって聞いたんですが、私が行った初年度は11月から3月まで雪が消えなかったんですよ。でも、本当に素晴らしい街ですし、基本的にはなんでもあります。日本酒とかそういうのはアメリカと比べると高いし、どっちが楽に生活できるかっていうと、圧倒的にロサンジェルスのほうが楽ですけどね。
要するに年の半分、春から秋まではハンブルグの方が良いんですよ。冬は寒いだけじゃなくて晴れないんです。雨が降っているわけじゃないんですけど太陽が出ないのが本当に嫌で、11月から3月の20日くらいまでほぼお日様を見ずに。だから寒いし、ゴルフ場もクローズしています。当時、誘ってもらってサッカーをやっていたんですが、冬はインドアの練習なんですよ。それぐらいしかやることがないんです。
──日本でいうと新潟とかに近いんでしょうかね。
宮脇:そうですね。金沢も日照が少なくて若い子が転勤で来ると、ふいに気が滅入るっていう話を、最近友人から聞いたことがあるんですが、ハンブルグはその比じゃないと思います。だからハンブルグの人たちは春がくるとものすごく喜ぶんですよね。いきなり肌を出したりして(笑)。その気持ちはものすごくわかります。でもハンブルグは本当に大好きな街です。
──住んでいる人たちはどうでしたか? ドイツ人って真面目なイメージがありますが。
宮脇:僕も最初はそうかなと思いましたけど、それはやっぱり人によって違うんだなと思いました(笑)。アメリカ人でもクソ真面目でものすごく残業するヤツもいますしね。ドイツ人は、真面目な人が多いけど残業は絶対しないですね。
──ちなみにドイツではドイツ語も使われたんですか?
宮脇:基本的にビジネスは全部英語なので、英語しか使う機会がほとんどないんですよ。でも、日常生活で困るということで、会社がドイツ語の教室を用意してくれたんです。すごくセクシーな先生だったんで、僕はほぼ皆勤賞だったんですけど(笑)。
それで習うんですが普段使っていないからもう無理なんですよね。ドイツのスーパーで買い物をするのだったら、かごに商品を入れてレジに持っていけば、いくらかわかるし、極端な話「小銭をここから取っていって」って仕草をすると、嫌そうな顔をされるけど取っていってくれる。だから困らないんですが、マルクトという土曜日に駐車場みたいなところにできる市場で買い物をすると、もちろん「100g 何ユーロ」とか書いてあるんですけど、お店のおばさんにいくらって言われてもよく分からないんですよ。
──数字の数え方がわからないんですか?
宮脇:そう、数字の数え方になれていないから全然聞き取れない。だから何をやっていたかというと、「これだったら5ユーロ札を出せばお釣りはもらえるだろう」「これを買ったんだったら10ユーロ札を出したらお釣りがもらえる」と(笑)。それでポケットが小銭の山になるんですよ。で「これではダメだ。とにかく数字ぐらいはきちんと聞き取れるようにならないといけない」と、そこは努力しましたが、会話レベルでは全く駄目でしたね。
ヤマハと競合せず業界に貢献するには〜ゼンハイザージャパン代表に
──ヤマハを辞められてゼンハイザーへ移られるきっかけは何だったんですか?
宮脇:これはヤマハを辞めたんじゃなくて、もともと任期満了なんですよ。2014年にヤマハサウンドシステムに完全に移籍して社長に就任しまして、60歳を越えた最初の株主総会までが任期っていう風に最初から決まっていたんです。
──要するに定年ですか?
宮脇:定年だったんですが「引き継ぐ人がまだ見つけらないから、もう1年やって」と言われたんですよね。ですから2018年3月に61歳になって、今度は「私を継ぐ人は見つかったんですよね?」って言ったら「見つかった」という話で無事終わったわけなんですが、恐らく2018年6月でヤマハは最後になるなと、その前から私は思っていました。
でも、なかなか次の仕事を探す動きをできるような余裕もなかった中、たまたまゼンハイザーの前任者の方が会社へお越しになったんです。当時からヤマハサウンドシステムはゼンハイザーをたくさん使わせていただいていてホールとかにお納めしていたものですから、取引はあるんですが、そのときは「何の相談に来るのかな?」と思ったんですよ。それは18年の1月、2月の頭とかそれくらいのタイミングだったと思います。
──その時は完全にフリーになっていたんですか?
宮脇:いや、2018年の6月までは社長をやっていたんです。ですからヤマハサウンドシステムの社長と、向こうはゼンハイザーの社長っていう立場で、「宮脇さん、考えてみたらまだちゃんと挨拶もろくにしていなかったような気がするから、一回お邪魔してもいいですか?」って言われたから「あ、はい。いいですよ」と。
そしてお会いしたら、「宮脇さん、そろそろヤマハサウンドシステムの仕事が終わるって聞いたんやけど、私の後任やってくれへんかな?」と、そういうお話をもらって「終わるか終わらないか、今はちょっとわからないし、ありがたい話を頂いたんですけれども、ちょっと今日この場でお返事するのは無理ですね」という話にはなったんですが、今まで長年携わってきたミキサー関連や大型スピーカーなどのプロオーディオ、そしてヤマハサウンドシステムような音響設備施工の会社と競合する仕事をするっていうのはできない、というか、したくないですし、でもカッコイイことを言うと「これからも業界に貢献させていただけたらな」とぼんやり思っていたんですね。
それでまだ半年くらい任期が残っている段階でそういうお話を頂いて、でもよく考えてみると今言ったような話にそぐうところは滅多にないんですが、ゼンハイザーの仕事ってほぼそれを叶えることができる話じゃないですか。その時僕が持っていた情報は、ゼンハイザーでは何の役にも立たないですが、経験は役に立ちますしね。
──確かにそうですよね。
宮脇:ヤマハも昔マイクを一回真剣にやったことがあるんですが、例えば、ゼンハイザーで必要な知識レベルのものを全然私は持っていないですし、それは自分としてもチャレンジでした。本当になんともいえないご縁で誘っていただきまして、タイミングの妙ですね。
──ヤマハ以外の会社を初めて体験なさったわけですよね?
宮脇:そうですね。「外資系の仕事って大変でしょう?」ってよく聞かれるんですが、全然そういうことを思わないですね。前の会社と今の会社でなにか大きく違うのかなっていうと、もちろん違うことはいっぱいあるんですが、もうちょっと大きな概念でいうと何も変わらないし、温かい会社だなと思いました。
──ドイツの本社にも行かれましたか?
宮脇:もちろん、入社後ですが行きました。これは日本での話ですが、前任が「来てくれ」と言ったって、本社のボスがOKじゃないとダメじゃないですか。それで、本社のボスはドイツ人じゃなくてフランス人なんですが、僕がドイツの文化がある程度わかるかとか、文化の違いをちゃんと受け入れられるかということをすごく気にしていました。僕はたまたまドイツに3年半いましたし、そのときに一緒に仕事をしていた周りの8割くらいはドイツ人でしたから、「何の違和感も感じない」とてらいもなく言えたんです。その後、シンガポールでトップとの面談を経て、無事オッケーとなりました。
──考えてみると宮脇さんは音楽の世界にずっといらっしゃる方なんですね。
宮脇:本当にラッキーですよね。周りからは「遊んでいるようにしか見えない」とか、「好きなことをやって、美味しいものを食べに行けて良いね」とか家族からも言われるんですが(笑)、その通りなんですよ。もちろん仕事ですから嫌なことも辛いこともありますが、そういうものを遥かに凌駕することばかりなんですよね。だからそれをずっとやれているっていうのが何よりも幸せですね。
──自分が使う立場の商品でもあるでしょうしね。これで冷蔵庫を売れって言われたら…。
宮脇:僕はピアノとエレクトーンだけは売りたくなかったんですが、幸い売らずに済んだものですから(笑)。
今も現役のバンド活動
──ライブを観に行ったりすることは多いですか?
宮脇:最近はライブを観に行くことより、やっていることの方が多いんですけれど、もちろん行きますよ。
──バンドはずっとやってらっしゃるんですか?
宮脇:はい。実は3つやっています。学生時代は一応オリジナルとかもやっていたんですが、今は好きな音楽を演奏したいという気持ちの方が大きくて、好きな音楽をきっちり表現できるメンバーと一緒に演奏したいんですよね。で、単純なコピーというより「当時のバンドが出していた音」を再現しようと。
──なるほど。
宮脇:僕が高校のときに楽器をやるきっかけになった先輩たちがやっていたマウンテンをトリビュートするバンドをやっていまして(笑)。もちろんコピーするんですが、それ以上に自分たちがやろうとしていることは、もしあのバンドが、今、あの時と同じ状況のまま、同じミュージシャンシップで、同じ機材を使ってやっていたらこういう音を出しているだろう、こういう演奏をするはずだ、ということをやっているんですね。ですから、機材にはこだわって「この音はこれしか出ない」というものは絶対それを使うようにしています。
──もう研究者みたいですね。
宮脇:ただ「あのレコードのあの曲を一音も間違わずに弾こう」とか、部分的に大事な部分もあるんですが、そこはポイントじゃないんですよね。例えば「LED ZEPPELINの何年何月何日のライブ、これを間違えるところまで再現します」とか、そういうことをされている素晴らしい方々もいらっしゃいますが、僕がやりたいのはそこではなくて、あのときにマウンテンが出した音を、今同じミュージシャンのマインドで同じように今のノリで、この現代で出したいんですよ。
そういうところにこだわっているバンドが1つと、レーナード・スキナードが大好きなやつだけで集まってやっているバンドが1つ、そして最近始めた3つ目のバンドは、2つ目のバンドとメンバーが被っているんですがトリオ編成で、僕が「昔から一度は演奏したかったり、やってきた曲をトリオでやる」ことがコンセプトのバンドです。
それで、今年ウッドストックが50周年で、色々な50周年イベントがあるんですが、カナダ・オタワの野外イベントでウッドストックに出たバンドのトリビュートバンドを集めようという企画があって、僕らに「出てくれ」とオファーが来たんですよ。
──おぉー! すごいですね!
宮脇:「僕らをどうやって見つけたんですか?」って聴いたら「YouTubeで見つけた」と(笑)。
──多分世界の中でもマウンテンのトリビュートバンドってあまりいないですよ。
宮脇:マウンテンを真剣にやっている人はいないです。マウンテンの曲を何曲かやっているとかならいくらでもいるでしょうけど。僕は高校のときに、ベースでマウンテンの曲をやっていたんです。それで大学入ってからも、1曲、2曲やるくらいならできたんですが、いざ「マウンテンやろう」って言ったって誰もやってはくれないし、いないんですよね。結局マウンテンのトリビュートバンドを正式に組めたのは2007年ですから。何十年もやりたかったことができなくて。
──向こうは宮脇さんの職業は知っているんですか?
宮脇:僕はFacebookに書いているので見ていると思いますけど、そんなの関係ないですよね。だから、バンドで選んでコンタクトをしてきてくれて、「こんなことをやるんだけどぜひ出てほしいんだけど、出る?」と言って。もちろん最後の最後までわからないですよ。ウェブサイトも立ち上がっているし、やるとは思うんですけれども。
※このインタビュー後、ステージ機材の打ち合わせなども終えた後の6月初旬に、スポンサー不足によるコスト圧縮などで、残念ながら日本からバンドを呼ぶことができなくなった、との知らせが主催者から入り、この話は実現しませんでした。
──ところで宮脇さん、お姿がレスリー・ウェストそっくりじゃありませんか?
宮脇:よくいろんなところでそう言われるんですよね。少し体重は足りないですが(笑)。
──やはりそうですよね(笑)。宮脇さんは音楽以外に趣味はないんですか?
宮脇:そうですね。本当はゆっくり時間があれば、水槽の中で美しく水草を育てて自然な世界を再現するアクアリウムとかまたやりたいんですが、結局アメリカに転勤になったりとか、ドイツに単身で行ったりとか、そういうことを繰り返しているうちに維持できなくなって、今は殆どやっていないんです。だからリタイアしたら再開して、毎日水槽を眺めていたいですね(笑)。それかギターを弾いていれば幸せになれる。後は酒と美味しい食べ物があれば嬉しいですっていう本当に単純な人なんですよ(笑)。
──現在、ゼンハイザーの業績は好調ですか?
宮脇:業績はおかげさまで大丈夫ですね。携帯電話が3Gから4Gに行くにあたり、もっと高速なデータ通信が必要だということで、ワイヤレスマイクロフォンが使っている帯域を明け渡すことになったんですね。そのときに何が起こったかというと、業務用のワイヤレスマイクロフォンを持っている放送局さんやホールさん、PA会社さんがみんな使えなくなるので、携帯電話会社が全て費用を負担して新帯域対応のワイヤレスマイクロフォンに入れ替えをするという話だったんですよ。
海外だと電波の帯域をオークションにかけるので、やる気があれば新規参入できるんですが、日本の場合は電波を売らない。買わなくてすむ代わりに、そういうことによって発生する費用はすべて持ちなさいという流れだと思うんですよね。だからその携帯電話会社の4社が買い替え費用を持ちますということで、それが私がゼンハイザーに入る前に全部終わったんですよ。
3年ほどで10数年分くらいの売り上げというか、まだ買い換えなくても良いものもしょうがないから換えているわけですよね。だから、これからしばらくは売れようがないんですよ。
──宮脇さんはなかなかシビアなタイミングで社長になったわけですね。
宮脇:それほど全体がグシャグシャになっているわけではなくて、ワイヤレスマイクロフォンのところだけですので、幸いながらその要素を除くとみんな頑張ってやってくれていますから順調に推移しています。
──復刻版のU67も注目を集めていますね。
宮脇:復刻版U67はお陰様で売れています。以前、出した復刻版はかなり違ったらしいんですよね。今回のU67は、オリジナルを再現するために、いまできることは全てやったという意気込みで作りました。もちろんビンテージのものと比べられると、電気部品の経年変化なども含めて音が微妙に違うかもしれませんが、できる部分は忠実に再現しています。是非、一度試して頂きたいですね。